門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
田中 淳夫: 田舎で起業! (平凡社新書)
田舎は起業ネタの宝庫だ! その成功と失敗の法則を探る、地域づくりのバイブル
田中 淳夫: 田舎で暮らす! (平凡社新書)
田舎暮らしは田舎づくり! そしてIターンを受け入れる側の極意を本音で語る
田中 淳夫: チモール―知られざる虐殺の島
知られなかった東チモールと日本の関わりと独立戦争
林野庁の「里山広葉樹林の利活用を通じた再生に向けての提言」を読む。
里山広葉樹利活用推進会議という審議会?が3月に出したものだ。最近は広葉樹押しの林野庁だが、こんな研究会も開いていたのね。正直委員の顔ぶれはうさ…、なるほどね、と思ってしまったけれど(笑)。
私も6年前のYahoo!ニュースに「もう一つの林業・雑木林を宝の山に変える方法」を書いているから気になるところではある。
掲載されているデータは、使えるかな。。。
提言部分だけ引用。
提言
上記の3つの基本的な視点を踏まえた上で、広葉樹の利活用を進めるためには、入口(樹種、径級)の多様性と、出口(家具・床板~ほだ木・薪炭・おが粉・チップ)の多様性の中で、広葉樹資源の様々な利用を組み合わせることで付加価値の高いサプライチェーンを構築する必要がある。
広葉樹の利活用について一定の成果が見られている地域は、川上・川中・川下のそれぞれの立場の者がコンソーシアムを組んで連携し、消費者への訴求や、サプライチェーンの構築に取り組んでいるが、現在の取組はまだそれぞれの地域が「点」で頑張っている段階で、多くの困難も抱えており、共通する課題も多い。
このため、里山広葉樹林の新たな価値創造と利活用を通じた再生に向けて、②供給側や需要側の情報の共有や地域横断的な課題に取り組む場として、全国レベルのプラットフォームの構築に取り組んでいくことを提言する。
そして、こうした具体的な指摘もしている。
○すぐに取り組むべきこと
(ⅰ)里山広葉樹の立木伐採予定情報(樹種、径級など)、市場で取引されている原木の市況情報や流通している材の品質の共有
(ⅱ)家具メーカーや材木店、きのこ生産者等が欲している木材情報等の共有
(ⅲ)供給側と需要側の交流とビジネスマッチングとマッチングに必要なコーディネーターの育成
(ⅳ)(ⅰ)~(ⅲ)を円滑に進めるために必要な情報共有や流通拠点のあり方の検討
(ⅴ)里山広葉樹林を積極的に管理し、人との関わりを取り戻すことが 2030 年ネイチャーポジティブにつながることの国民への情報発信
(ⅵ)広葉樹施業の事例収集
○発足後 2~3 年先から取り組むべきこと
当面、上記に取り組みつつ、準備検討を重ね、以下の内容に数年後に取り組む。
(ⅰ)建築家やデザイナー等の需要者からの相談の受付
(ⅱ)広葉樹材の伐採・造材・仕分けや、加工・流通、里山広葉樹林の管理等に関する人材育成や相互研鑽の実施
(ⅲ)広葉樹林の管理や利用による生物多様性保全への貢献等のプラスのインパクトを定量的に評価する指標の検討
さあ、提言は出ましたよ。誰がやるんでしょうね。
吉野の下市町と言えば、割り箸の産地なのだが、そこにKITOという施設ができている。
元小学校を利用した複合施設で、レストランやアパレル、木工、農作物……などの販売をしつつ、ブルワリーあり、シェアオフィスがあり……と何がなんやらわからない(笑)構成だ。しかも、これは行政ではなく民間企業が設立しているという。。。
とまあ、このKOTOの面白さは改めて紹介したいが、そこで見かけたオブジェ。
何?と思わせるが、よく見たら割り箸でつくられている。
天井には、波うつオブジェ……て、これも割り箸製だ!
なんと割り箸を利用したアートであった。
さらに元体育館も不思議な空間~図書室ぽくもあるのだが……こんな遊戯場が設けられていた。
これは迷路だ。子供の視線で見ると、なかなか楽しい異空間。が、これをつくっているのは……
こんな木屑。これもよく見ると、割り箸製造時に出る削り滓だろう。まるで牧草を固めたみたいな状態で、これはこれで木毛セメント板などに利用されると聞いたが、なるほどこういう使い方もあったか!
とまあ、割り箸のこんな二次利用もあったのだね。割り箸アートとして広がれば割り箸需要も広がる……というのは無理か(^^;)。
私は、セルロースナノファイバーに関して懐疑的だ。
素材としては認めているし、まあ、今後技術が進めば(現在は、まだ実用化レベルに到達していないと判断する)そこそこ普及するんじゃないの、と思っているが、少なくても林業や木材産業に寄与することはない。経済的にも怪しい。採算が合う気がしない。
それなのに注目させようとするのは、単に夢物語をばらまいて、林業に希望を持たせて後に突き落とす罠だと思っている。
そこに、こんな研究発表があった。東大のHPにもあるが、こちらは研究comより。
細胞壁セルロースのミクロフィブリル(ナノファイバー)は、植物種に依らず、形状が均一であった
難しそうに書かれているが、要旨は次のようにまとめられている。
セルロースナノファイバー(CNF)の断面寸法は、産業上の主原料である針葉樹に限らず、草本類の麻や、木本と草本の中間的な分類とされる綿であっても、ほぼ同一の2~3nmであり、CNF1本(植物学上のミクロフィブリル、またはセルロースの結晶子)は、セルロース分子鎖18本で構成されるモデルが合致することを明らかにしました。これまでのセルロース結晶学では、樹木と麻・綿のCNFは、断面寸法が明瞭に異なり、別種の生合成機構が想定されてきました。この従来の理解は、これまでCNFを単離(孤立分散)させる技術がなく、複数の結晶子が合一したCNF凝集体を評価していたことに由来します。本成果により、高等植物であれば、木本と草本に差はなく、同様の機構で生合成していることが新たに想定されます。また、産業上も、樹木だけでなく、麻やエリアンサス、農業廃棄物等からも、均質なCNFを生産できることを本成果は示しています。
これでも難しい(笑)。そう思ったら、最後の列辺りだけを読めばいい。
高等植物であれば、木本と草本に差はなく、同様の機構で生合成している
産業上も、樹木だけでなく、麻やエリアンサス、農業廃棄物等からも、均質なCNFを生産できる
樹木だけななく、草本植物や農業廃棄物からもつくれるよ、ということだ。
よくセルロースナノファイバーを説明する図として使われているのだが、これは樹木から取り出すような説明になっている。だが、本研究からはどこから取り出してもつくれるよ、質は同じだよ、ということがわかったのだ。
そうなると、わざわざ樹木を伐ってきて、細かくすりつぶして……という手間をかけずに、簡単に栽培する、いや草刈りするか、廃棄物を利用する方を選ぶわなあ。その方が安く原料を得られて経済的にペイする。価格も下がるかもしれない。
となれば、木材需要が増えるとか単価が高くなるとか、林業関係者が一縷の希望を託したようなセルロースナノファイバー信仰は崩れ去るのである。間違っても林業には寄与しない。
セルロースナノファイバーに期待を寄せるのは、合成樹脂とかガラス、金属、そして食品・薬品系の素材開発者業界だろう。プラスチックの中に閉じ込めて強化したものが、果たして環境に優しいのかどうか知らないけどね。
林野庁のモクレポ4月号が出たが、そこにタイムリーに木材に関係する米トランプ関税および政策が記されている。
トランポリンのごとく飛んだり跳ねたり落ちたり……のトランプの政策だが、とくに木材に関してはわかりにくいというか、情報がちゃんと出ていなかった。それを整理してあるので有り難い。
対米の木材輸出入が示されている。額は25倍もの違いがあるのだが、輸出はたった56億円。スギ製材が半分を占めて27億円。
ただし、実は中国に輸出している日本のスギ丸太も多くが加工されてアメリカに輸出されている。フィリピン輸出分にもアメリカ行きがある。それらを合わせると、日本の木材はアメリカにもそれなりの量が渡っていることになる。だが、中国からアメリカへの輸出は、ほとんど無理になるだろうから、日本は中国への木材輸出も縮むのではないかな。その点を分析してほしかったな。
あと興味深いのは、日本がアメリカから輸入しているのは、木質ペレット(バイオマス発電燃料)と木材チップ(製紙用チップ)が多いものの、製材もそれなりにある。しかし私が注目したのは、「樽」だ。樽が42億円もある。これはジャパニーズウイスキー用なのだろうか。これだけで日本の木材輸出総額に近い。
トランプ関税についての説明がされている。
ただし、この情報全体が「4月14日時点」なのだ。モクレポ発行直前までチェックしていたようである。よく頑張ったなv(^0^)
でも調査中部分もある。今後、トランプ関税に関わる部分だけでも、月一と言わず、速攻で出してもらいたいものだ。
とにかくブリコラージュ、朝令暮改だ。どんどん変わる。最初は、木材に関税はかからない例外扱いだったのだが、今やどうなっているのかわからない。相互関税10%には入ってるの? さらにアメリカ国内の木材増産令が、どのように木材価格に反映されるのかもわからない。
とりあえずトランポリンを注視するしかない。
無印良品で見かけた家具は、面白いものがいっぱいある。
これはエクストラ・シェルフと名付けられているが、ようするに棚である。移動できるのかラック扱い。
高名?デザイナーの設計のようだが、一見だれでも、とくに林業家なら自作できそうな構造である。丸太の輪切りや半割りを金属の骨組みに接続しただけではないのか?
そういや、これまでも太い角材を置いて「ベンチだ!」という“家具”を見たことがある。丸太のタンコロの表面を磨いて置き「スツール!」と強弁した声もあった。
でも、こうしたデザインに価値があるし、それが高く売れることでもある。ン万円以上するんだよ。
誰でもつくれそうで、誰もやらなかった家具。言い換えればアイデア勝負。
我と思う林業家は、自らデザインのセンスを磨いて挑戦しないか。販売ルートなどをつくるのは大変だが、今はネット通販もある。職人的技術を磨く前に「アイデア」で戦える時代である。
とまあ、昨日完結した「半分、青い」(BS11)を見て思ったことだけどね(^_-)-☆。
私はこのドラマを、漫画からそよ風の扇風機まで、クリエイティブな活動の苦しみを描いた佳作だと思っている。
世にいう「トランプ関税」。世界中を相手に高関税をかけて自国生産主義を押し進める政策だ。
私は、どうせ1週間もしたら破綻すると睨んでいた。なぜなら、アメリカ企業の株価は暴落するだろうから。それが1週間も続けば持ちこたえられない……。ところが、13時間後に撤回した(笑)。半日しか持たなかったのだ。ただし株価ではなくて米債権の暴落=長期金利の上昇が引き金だったようだけど。
中国だけは145%の関税を残し、実質的に貿易を停止させたが、翌日には「スマホやパソコン、半導体製造機器は外す」と言い出した。輸入できなくて困るのは自国だったことに気づいたのだ(笑)。ところがまた日が明けると、今度は「スマホには別の関税をかける」と言い出した(笑笑)。よく言えばトライ&エラーだが、ようするに朝令暮改。
これは政策の「ブリコラージュ」なのだと気づく。文化人類学者のレヴィ・ストロースが言い出した概念だ。
ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」こと。「器用仕事」とも訳される。ただ、具体的にはその場しのぎ。目の前にあるものを利用して辻褄合わせをする。わかりやすいイメージを探せば「ありあわせの料理」だ。冷蔵庫の中にある食材を使って、思いつきでつくる料理である。
レヴィ・ストロースは、未開社会の調査を行って、彼らが無計画的に動きつつ、なんとか完成・実現させる姿を観察した結果、この概念にたどりついた。トランプも、貿易赤字を減らす方策にすでにある「関税」制度を利用することを思いついたのだろう。その弊害は、後で考える。不都合が出たら、ちょこちょこいじる。
実は私も、ブリコラージュを経験している。ボルネオのイバン族の村に行き、そこで村民と日本人で水道を建設するというミッションに従事したことがあるのだが、オタオタした。まず湧き水から村までのパイプの引き方が、実にいい加減(笑)。結局、渓流ではなく池から引くことに。そして水のくみ上げるための櫓の建築も、木材を適当に切って、適当に合わせていく。ポンプも、まず設置してから上手く行かないと、調節しながらなんとか動くようにする。でも、水を流しながらパイプを切断したりするのだから、大騒ぎ。
それでも形にするところがブリコラージュの面白さなのだが、これは小規模事業において現場の判断で行うものだ。指導者がやると、現場はついてこれず大混乱をもたらす。身近な例では、関西万博のリーダーがブリコラージュ的に事業推進したから、混乱を引き起こした。
朝令暮改、ブリコラージュは、「その日暮らし」とも言い換えられるだろう。
そこで思い出したのは『「その日暮らし」の人類学』である。
小川さやか立命館大学教授の本のタイトル。
この本に描かれるのは、主にタンザニア商人の生態なのだが、計画的でなく、目先の商売や商品に飛びついてやり繰りするビジネスである。それが香港など世界的ネットワークで動いており、失敗もするが意外と上手く行ったりもする。
とはいえ、それは少人数小規模のビジネスだからである。世界的経済を動かす国家アメリカがやればどうなるのか。壮大な実験のように見えて、すぐ破綻するのは予測できるのだが……。この本のサブに「もう一つの資本主義経済」ともあるのが示唆的だ。
トランプは、政策を十分に検討せずにまずやってみる、それに齟齬が起きたら修正する、撤回する、また次の手を考える……をタンザニア商人なみに繰り返すのだろう。その日暮らし政策なのである。事前に結果を予測する声があっても受け入れない。トランプの記憶力は、一晩寝たら忘れるレベルだから、事前のブリーフィングが役に立たない(笑)。日本政府が、在日米軍にいかに金を払っているか、世界最大の対米投資をしているか、と訴えても、一晩寝たら「日本はアメリカを搾取している」と言い出す(´_`)。
今後、アメリカは「信用できない国」として世界中に刷り込まれるだろう。
とまあ、トランプの政策の幼稚さを指摘するのは簡単なのだが、私はあえてブリコラージュ手法に注目したい。もう一つの資本主義、強欲な計画的資本主義の代わりになる政治経済としてブリコラージュはどうだろう。
事前に計画を練って忠実になぞる産業ではなく、その日暮らしの産業が勃興する。
たとえば木造で建築する場合に、計画的にどんな部材が必要か、どんな品質の建材を何本調達するか……と考えるが、調達できない分はすぐに手に入る素材を使って建築する。使えないと思い込んでいた細い、短い、曲がっている材を活かした建築を行う。金具がなければ紐で縛る、セメントがなければ石を積む、石がなければ土を固める。屋根は樹皮か木板で葺こう……。そうしたら資源の無駄遣いを抑えられる。実は、昔の日本の大工はそうした建築を行ってきた。
よりすぐりの材料を計画どおり集めようと選別するから、多くの無駄を出す。余っているものを使う、使えないと思っていたものを使う発想を持てば環境に優しく、SDGsな展開が可能になる。
ブリコラージュは、個人でやれば「職人芸!」と称賛される。ただ産業とするには、一工夫いる。そこで、職人芸をシステム化、その場しのぎをマニュアル化する。これぞポスト資本主義?
壮大な矛盾を含む概念だが、巨大産業の欠陥を補完しつつ環境負荷を抑えるには、一考に値すると思うのだが。
Wedge ONLINEに「〈道路の横で街路樹が泣いている〉根も張れない劣悪な成育環境 動物福祉もいいが、植物福祉の考え方も検討を」を執筆しました。
なんだかYahoo!ニュースの「桜危機」の記事と1日違いで内容もかぶっているように見えるが、こちらは随分前に書いた記事が今日アップされたのである。ただ街路樹には桜も多いし、だいたいどちらも人が鑑賞用?に植えた木という点では共通点がある。
実は街路樹に、私は大いなる関心を持っている。その現状に危機感もあれば、問題意識も強くある。森林ジャーナリストを名乗るだけに、林業ばかりと思われると困るのである(笑)。
どちらも人間が植えることの多い木であり、目的も景観が関わって似通っている。木と人間の関係を探るのにモデルとなりうると思っているのだ。ただ、最近は街路樹を観察すると、悲しくなるような姿が多い。
ボタニカルウェルフェア(植物福祉)とは、私のつくった言葉だけど、広がらないかなあ。
Yahoo!ニュースに「桜危機!高齢化に世話不足、そして気候変動が襲う」を執筆しました。
先日、吉野山の桜を見て歩いた話を書いたから、そうか、この記事を書くためだったのか、と思われたかもしれない。
残念ながら違う。ヤドリギなんかも見ちゃったし、何か書こうかな、と思って振り返ったところ、すでに記憶にあった桜祭り中止とか桜並木の伐採、開花乱れ…などのネタを抱き合わせたのであった\(^o^)/。
Yahoo!ニュースでは、この手の記事はアクセスも伸びないだろうし、稼げる期待はない。それならWedge on lineかpresident on lineの方が定額制でよいのである。それでも記しておくのは、存在証明みたいもなのか。つまりアリバイ工作(笑)。 最近、Yahoo!ニュースはコメントばかりで、記事は月に1本になってきているから。それに、すぐアップできるので時事的な話題に対応できることも強みか。
せっかくだから、吉野山で見た、桜以外の花を。
ミツマタだろうか。花の多様性も増やさねば(^_^) 。
吉野山で見てきたもの。それは桜の花だけではない。
まず、こんなものを売る売店……というか露店があった。
シカの角。値段は……1万5000円! いやいや、よく見ると1万8000円、さらに3万円もあった! 安いのは……6500円。
こんなに差をつけますか。枝分かれの数によるようだが、毎年、枝分かれ数を増やすから年をとったシカほど高いわけだ。イヤイヤイヤロップイヤー、ムリムリムリカタツムリ、ヤバヤバヤバヤンバルクイナ……と頭の中で唱えたよ(´_`)ワカルカナ
しかし、角自体はシカが山に落とすものである。それを拾うだけ。いわば原価はゼロ。問題は、それを探す手間なんだが、1頭分のオスシカの遺骸があれば2本の角は採れるわけである。1万5000円なら3万円分になる。まあ、どこに落ちているかわからないから、偶然の産物に近いかもしれないし、必ずしも全部売れるわけではなくて、売れ残る可能性だってある。
使い道には、根付、ペンダント、ナンフの柄、帽子かけ、スリッパ立て……とあるが、やはり驚いたのは愛犬のおしゃぶり。そんな需要があったのか。イヌは鹿の角をかじりたくなるのか。何万円もするイヌ用グッズか。。。。と様々な気持ちが去来するのであった。ちなみに防止やスリッパ立てにするにしても高い。なお根付やナイフの柄にするには、プロ的な技術がいるなあ。
さて、もう一つは、吉野山にあった空き家。家そのものではなくて、窓に写るもの。
これは……樽ではないか。吉野杉でつくられた樽だろうか。見たところきれいだから、中古ではなくて新品かもしれない。過去、この家の主が樽を扱っていて(つくっていたのか販売をしていたのか)、その在庫かもしれない。今は、この家に人の気配はないのだが、捨ておかれたというよりは、空き家を倉庫として使っている可能性もある。
こんな商品からも吉野を感じてみてはいかが。
山の中……と言っても道路に近いので草刈りなどの管理がされている場所なのだが……。
のら水仙を発見した。
なぜか、スイセンが咲いている。これ、自生しているのではないよな。スイセンは通常は球根で増えるもの。分球していくのだ。だが勝手に球根 が遠くに飛んでいくことはない。
自家不稔性なので、自然交配して種子をつくることも少ないはず。種子が飛んできた……とは考えづらく、おそらく誰かが球根を植えたのだろう。
のらイヌ、のらネコと同じく捨てられたのだ(-_-;)。もしかして、次々と分球して増えすぎたけど、処分に困って山に植えたかな。捨てるのには抵抗があったのかも。わりと野生化しやすいようだ。
ただスイセンは、室町時代以前に日本に入ってきた外来種とされている。地中海原産。何代重ねても、よそ者扱いされるのだよ。
もし、スイセンはここで増え続けて、数年後には一面のスイセンとなり名所になったらどうする?
昨日は、吉野山に行ってきた。
もともと吉野山の桜の写真を撮っておく必要があって計画し、余裕のある日と桜の開花状況を勘案して選んだのが、9日。だが、この日はトンデモであった。まず満開日(下千本、中千本)。快晴。そして翌日からは雨の予報。つまり花見の最後のチャンスになるかもしれない。
ここまで条件が重なれば、とてつもない人手が予想される。私は、そんなに満開でなくてもいいんだけどね……と思いつつ、覚悟して出かけた。
ただし、もはや車はムリ。近鉄吉野線もかつて経験のないラッシュ。通常人がよく降りる飛鳥駅でも降りる人はほとんどいない。みんな花見客なんだろう。終点までゴーだ。
吉野駅到達後はロープウェイの列が100メートルぐらいあって待つだけで1時間を越えそう。もちろん私は自分の足で登る。これも覚悟済み。撮影用にあっちゃこっちゃに寄り道しつつ、下千本、中千本、上千本まで徹底的に歩く。奥千本はさすがに諦めた。もともと桜は咲いていないはずだし、そんなに重視していなかった。こちらは秋にでも行けばよい。紅葉が見られるだろう。こんなもの序の口だわ。登る道が渋滞しているし、商店街も満員電車なみ。そこは歩行者天国だからいいけど、車やバイクの走る道は悲惨だ。何がって、歩行者が車を通してやらないから(笑)。ただバイクはブンブンとドローンのごとくふかすのが不愉快。そろそろ許可車両以外は通行禁止にすることを考えた方がよい。
面白いのは、沿線の家もみんな店開きしていること。通常は民家じゃなかったっけ、と思うところでも店になっている。そこで売る商品は何かはさておき、稼ぎ時なんだろう。外国人相手の店もよく出ている。これぞオーバーツーリズム?
いや、ここで考えたのだ。吉野山は、普段は閑古鳥……と言ったら失礼だが、まあまあエエカゲンな人手なのだ。秘仏のご開帳とか、何かイベントがないと、なかなか観光客は来ない。私は、静かな季節の温泉と寺社巡りも好きだが……。
だが吉野山の民は、1年を桜の季節の1週間で稼ぐ、と言われるほどなのだ。下から上、さらに奥千本まで含めたら3~4週間ぐらいは花見できるが、いずれにしろその間だけの大混雑。これをオーバーツーリズムと呼んではいけない。祭りだと思おう。
この時期に押し寄せる客相手に稼げ!稼いで稼いで稼ぎまくれ! 賑やかで普段会わない人との交流もできる。ほかの時期はのんびりやる。閉店してもよい。いや、そもそも店をやっていないか。花見時期だけの臨時営業だ。宿も営業は半分ぐらいでいい。
なんだか羨ましくなってきた。3週間で稼いで、後は遊んで暮らす(笑)。温泉に浸かり放題、地酒飲み放題……もちろん、桜の手入れはしっかりして過ごす。
年中ごった返して不平不満をぶつぶつ口にする京都人なんぞと違うのだ。
とはいえ、私も人ごみに酔って気分が悪くなった。結局、人の少ない方少ない方へと進み、はるか高見に……。
ここまで来たら人気はなくて、桜の花を独り占めだ。。。。
いるやん (@_@)。この満開の桜樹の景色を独り占めして寝ている人が。やるなあ。
最後に、一応ステキな花の吉野山の写真も披露しておこう。
別に、こんな写真を撮りにきたのではないのだ、と言いつつも、その場にいたら反射的にシャッターを押してしまう景観であった。
先日訪れた吉野の林業現場では、驚いたというか、変わりつつある吉野林業を感じてしまった。
広がる伐採跡地。標高は800メートルを越えているようだ。
ちょっといびつな形で連なるので、全体の面積を目測で読むのは難しかったが、おそらく10ヘクタールぐらいはあるだろう。ここはヒノキ林だったそうである。
ちょっと吉野としては皆伐規模が大きいかな、と思ったのだが、驚いたのはそこではない。
しっかり再造林している。いや、それに驚いたわけではない。当たり前だ。していなかったら驚くわ。
切り株の配置を見ると、詰まっている。直径はそんなに太くないので60年くらいかもしれない(でもヒノキだからもっと長いか……)が、周辺には直径15~20センチくらいのヒノキ林も残されているんて、やはり密植した気配がある。
さすが、よく手入れされている。いや、それに驚いたのではない。
驚いたのは、……跡地に植林するのがヘクタール当たり2000本だと聞いたことだ。
2000本! 九州などでは1000本、1500本が当たり前になっているのはわかっている。林野庁も、かつての基準だったヘクタール3000本植えから下げたことも知っている。
しかし。しかし吉野で2000本とは。かつてのように8000本、1万本を植えるのが無理になってきたと聞いているが、それでも5000本ぐらいは植えていると思っていた。これでは、育った後も吉野材にならないだろう。標高が高いから成長は遅くなり、年輪は詰まるかもしれないが……。
何も密植多間伐に縛られることはないにしても、2000本ねえ……。間伐もいらないかもしれない。伐期は何年に設定しているのか。
将来的には、どんな林業を展開するつもりなのか。いや、どんな吉野林業になるのか。一抹の心配を感じたのである。
久しぶりに訪れた我がタナカ山林。
普通ならタケノコ堀りを視野に入れるのだが、まだ出ていない。というかイノシシの荒らしがひどくて、もしかしたら食い尽くされたのか。。。昨年もそうだったから、見通しは暗くなる。
それとは別に、以前デッキを築いた現場を確認する。実は、数年前に撤去したのだ。かなり腐朽が進んでいたので天板を外して元の更地にしている。何しろ築いてから10数年。天板はツーバイフォーを使ったのでかなり厚みのある材だし、防腐塗料も塗ったものの、さすがにこの年月をすぎると寿命がきた。再び建設するかどうか迷っているが、しばらく跡地は放置して自然にもどしている。
ただ土台となる部分には、防腐木材を使っているから残っている。ホームセンターで売っている枕木である。
これは再利用することも考えている。ところが……1本を引き抜けないかと思って揺すってみると……。
崩壊した(゚д゚)。。。なんと、外殻以外はボロボロに腐っていた。
この木だけ腐るというのは、防腐処置がいい加減だったということか。もともとホームセンターに売っているような枕木は、芯の部分まで含浸されているのか怪しかった(残る土台も、芯部分に腐りが入っているものがある)が、まさか全体が腐り落ちるとは。
不良品だね。まさか10数年前に買った枕木が不良品だ、と怒鳴り込んでも相手にされないだろうが。それとも防腐していても10年も経ったら腐るものなのか。
東京大学大学院の研究
20世紀初頭までの里山荒廃が 下流環境に与えた長期的影響を解明 ――明治以降の山地環境変化と土砂流出の関係――
これによると、1930年代まで続いた里山の過剰利用、つまり環境破壊の影響が60年経った1990年代まで続いていたことを土砂流出の点から明らかにしたもの。
これは大学演習林のある愛知県瀬戸市の白坂流域で観測されたもの。30年代には、すでに裸地面積が流域の8.6%だった。それが1965年頃まで8.0~11.3%の間を推移したが、1970年代に急激に減少し1980年代には数%以下となった……という点と、土砂流出量を重ねたものだ。ようするに過剰利用で失った森林が1970年代にほぼ回復したが、その後も土砂は流れ続けて90年代まで続いた……ということだろう。
おそらく世間は、里山が自然破壊?と疑問を持つのかもしれない。里山は、人の活動と自然が上手くかみ合って、むしろ豊かな自然を生み出している……という言説が広がっているからだ。環境省も「SATOYAMAイニシアティブ」なんてのを世界に向けて発表している。里山のように上手く利用すれば、自然は守られるし、人も利益を得られる、というわけだ。
ところが、すでに20年ぐらい前から日本の里山は、全然自然を守っていなかったことが歴史的に証明されてきた。社叢、いわゆる鎮守の森も、明治~昭和までバンバン伐られていた。
里山は、どちらかというとはげ山だったのである。私の地元の生駒山も、草山だった。木々はほとんど生えていなかった。そのほか、明治時代の写真で、里山が剥げていることは簡単にわかる。
この研究では、ようやく里山の破壊が治まって木々が生えてきても、土砂は流れ出ていたことを示す。表土が回復するのは緑の回復より約20年遅れだったわけだ。
私は、このところ人間の自然再生事業に懐疑的になっている。
今年になってからも、再造林の嘘くささを示した記事を書いている。
ほかにも思い出すのは、アメリカのプレゼンテーション番組TEDだ。(いくつかのキーワードを打ち込むと、すぐに出てきた。最近の検索は進んでいる。)
一度破壊した自然が回復するまでには、植林すれば早くできる、というものではないのだ。
瀬戸市で万博が開かれた(2005年)海上の森。撮影したの2008年だから、里山破壊後100年ぐらい経っている。森の見た目は、ほぼ完全に回復している。だが、動植物の生態系や、土壌はどうだろう。
平城宮跡の大極殿。ここにはヒノキの大径木でつくられた柱が林立しているのだが……。
外部(建物内部は、ガラス戸に守られている)の柱は、塗料が剥げかけていた。「手で触らないでください」と表記があるほど。
この塗料、大極殿の建設時に奈良時代に則して選ばれたはずなので、おそらくベンガラだろう。酸化鉄の赤色塗料である。ベンガラとはインドのベンガル地方から輸入されたからという説があるが、それは江戸時代以降の話。酸化鉄などどこにでも昔からあるので、古墳時代から使われていた。
ただし、酸化鉄か赤鉄鉱石などの鉱物をすりつぶしたのか、あるいは鉄バクテリアがつくったものか。土中の鉄分を参加してエネルギーを得るバクテリアのつくる赤は、今でも下水溝や山の掘削現場などで見られるから、すぐ採集できる。古代の日本ならこちらではないか。
ただ復原大極殿に使われたのは、何かわからない。鉱石をすりつぶした輸入品の可能性もある。
問題は、完成後十数年で剥げてきたことだ。そんなに長持ちしないのである。また塗り直すのだろうか。
赤く染めた部分を埋めてしまう古墳はともかく、古代の宮殿や寺院神社の赤も、常に剥げていたのではなかろうか。そういや、奈良時代、それに平安時代の建物は赤など極彩色の色合いだが、鎌倉時代以降は渋くなっていく。今では、木が時とともに変色した状態を「日本のわびさびだ」とか言って喜ぶが、古代の日本は中国的な極彩色が好きだったのではないか。
中国王朝を模した宮殿を赤く染める。
それが剥げて来る。
何度も塗り直すが、金がかかるので青息吐息。
そのうち放棄する。
渋い木の色がむき出しになる。
これぞ、和の精神・ワビサビの色だ! と唱えて納得する……。
こんな状況ではなかったのか。
いや、もっと昔まで遡ると、倭国は木の生成りの色を尊んできたのに、随や唐の影響を受けて、建物を極彩色に塗りやがって、こんなの文化破壊だ! と言った倭国の文化人がいたのではないか。倭の文化は、もっと素材を大切にするものだ。中国かぶれした貴族どもは売国奴だ、と政権批判をしたのかもしれん。まっ、それを言うと、古墳の石室やお棺の中を水銀朱で真っ赤にした歴代豪族も批判することになってしまうが……。
ともあれ、防腐剤としての塗料と、木の文化について考えると面白いかもね。
割り箸評論家である私は、割り箸コレクターでもある。いや、割り箸でなくても木の箸を集めている。
とくに各地に出かけて道の駅などで地元の割り箸が売られているのを見つけると、つい買ってしまう。
先日訪れた黒滝村の道の駅でも、割り箸を見つけてしまった。黒滝村は吉野の一部だが、実は割り箸と縁が深い。そこにある割り箸は……いやいやいやいや、同じ吉野の割り箸は、もう段ボール箱からあふれるほど買い込んでいるではないか。これ以上増やしてはいけない。
もう、いいのだ。買わないのだ。どうせ同じ箸だろうし。。。。
でも見つけてしまった。
見つけたのは、右側の天削げ。左のらんちゅうは、比較のため。こちらで24センチだったか。とすると右の箸は28、いや30センチ級。見た通り、でかい。これは菜箸か。いやいやいやいや割り箸だ。いちいち割って菜箸にするのも妙だから、やはり食べるときに割る箸なのだろう。
買っちゃった。
でも、こんなでかい割り箸をいかに使うか。食べるには箸の先でつまんだものを口に運ぶのは、結構大変になる。
コレクションだ。いっそ、50センチ、1メートル級の割り箸をつくれば、土産物に喜ばれるのではないか。新婚カップルが、お互いの口に運ぶ箸……とか能書きをつけたら、喜ぶ人もいる、はず。
単に長さを変えるだけで、特別な箸に化ける。でも、材料を集めるのが大変かもしれない。
イーロン・マスクは「西洋文明の根本的な弱さは共感だ」と訴え、他者に共感することの害悪を唱えたという報道は、一時期話題を呼んだ。
『反共感論』という本も出ており、人が他者に対して共感することを否定・批判する声は一定数いるようだ。
そりゃ、行き過ぎた共感が同調圧力となり、間違った行動を取ったり暴力を生むケースもあるが、共感そのものを否定してよいとは思えない。
しかもマスクは、自分が自閉スペクトラム症であることを認めている。この発達障害の一種は、対人関係が苦手でコミュニケーション困難のある症状を持つ。だから自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを察したりすることが難しいのだ。言い換えると共感ができない・共感しにくい性格なのである。これを突き詰めるとサイコパスとなる。他人の痛みを共感するどころか理解できず、苦しむ様子を平然と楽しめる。
そんな彼が共感を否定しているというのは……。
この話を聞いて私が思い出したのは、最近の進化論、とくにホモ・サピエンスの生き残りに関する仮説だった。
10万年程度前には、地球上に多くの人類がいたらしい。有名なのはネアンデルタール人だが、ほかにもデニソワ人など幾種類もの人類が存在した。その中でなぜホモ・サピエンスが生き残れたか。知能や体力で言えば、ネアンデルタール人の方が高かったという研究も出ている。大脳の大きさは我々を凌駕していたし、筋肉もたくましく、力が強かった。だが、弱い我々が生き残った。
その理由を「共感」に求める研究が最近増えている。ホモ・サピエンスは肉体的には弱かったが、他人への共感性が強くて、助け合いが行われた。集団も家族単位のネアンデルタール人より大きいな数十人の村をつくった。それが社会性を生み出して狩りによる獲物の確保や、氷期を生き延びる手立てとなったという。コミュニケーションの発達も知能を高めることにつながる。
集団生活によるコミュニケーションでは情報の交換と集積を強め、他者の行動や獲物の出現などの未来予測を可能にする。また共感するゆえに争いを減らし、攻撃性を弱めて個体数の拡大をうながす。
これは、人類だけでなく多くの動物にも当てはめられるようだ。
オオカミの攻撃性を弱め共感性を強めた遺伝子が、イヌを生み出した。それを動物の家畜化という言い方もするが、誤解を呼ぶ表現で、ようするに他者と仲良く暮らせる進化なのである。
実は人類も家畜化することで穏やかな社会を築いてきたとする。
さらに『マザーツリー』で示されたように、植物だって助け合うことが知られてきた。異種同士が水や養分を分かち合い、敵に対処するというのだ。
反共感論は、こうした人類進化の決め手を否定していることになる。
米・トランプ政権のメンバーは、概してみんな共感性が弱いようだ。トランプ自身は、共感性が弱いというより目先のことしか考えない・考えられない人間のようだが、未来予測ができない点では似ている。身の回りの人には共感し、今現在の状況には強く反応するが、遠くの人・将来の可能性には興味を抱かない人間だと思う。
米政権の「関税」政策が、今後引き起こす大混乱は、きっとアメリカ自身を痛めつけるだろう。関税で守られたアメリカの商品は、競争を失って進歩しなくなるし、世界中から反感を買ったからだ。
アメリカは、これまでも横暴な面もあったが、西側諸国内では最終的に「味方」してくれると思われてきた。それを破壊したのだから、もはや信頼を失ったことになる。一度失われた信頼感は、長く続く。仮に政権交代が行われても、すぐには取り戻せない。
もう、アメリカから武器を買わなくなるかもしれない。アメリカの重要な産業である軍需産業は痛手を受けるだろう。しかし信頼できない国の武器は購入できない。航空機も、自動車も買えない。
さらには基軸通貨としてのドルも危うくなる。最終的な決済はドルで行うという世界経済の常識は、アメリカが保証してくれるという信頼感で成り立っている。それがなけれはドルを使わない決済が今後広がるのではないか。
……と、アメリカの政策を論じてみたところで、最後に日本の産業界に当てはめると、林業・木材産業は共感が極めて弱い業界だ(笑)。
山主、素材生産業者、木材市場、製材業者、建築業者……いずれもお互いを信頼せずに、情報も交換せず、いかに他者を出し抜いて自分だけが儲けられるかを考えている。他者他業種への共感はなく、同業者もライバルとしか見ていないのではないか。業界の発展よりも自分ファースト。
ほれ、トランプ政権と似ているでしょ( ̄ー ̄)ニヤ。
吉野の黒滝村に行ったのだが、そこで「橿原書店に『山林王』がいっぱい並んでいる!」と教えてもらった。
それは行かねばなりませぬ。そこで帰りに寄り道した。
橿原書店とは、イオンモール橿原に隣接したウェストヴィレッジにできた“世界最大の無印良品”店の中にある書店コーナー。
この通りの巨大店舗だ。中も広いのは当たり前だが、ちょっと変わった配置になっていて、木育コーナーもある。
橿原書店は、意外と狭かったが、品揃えが面白い。かなりマニアックもとい(^^;)セレクトした本が並ぶ。若干刊行年は古いが、こんな本が出版されていたの?と思わせるものもあるし、漫画本もこだわった選書。これ、感性が合えば楽しめるだろうなあ。とくに図鑑類や、木に関する本、家具、さらに椅子に特化したコーナーまである。
さらに書店の区切りを超えて、店内各所にブースが設けられているなど、本を無印の品揃えの一つと捉えているようだ。
そして、私が探していたのは……。
ありました。2か所に。こうした奈良人に選書してもらい、プレゼント用のラッピングもしている。
書店子に声をかけようかとも思ったが、ちょっと誰が担当かわからない。今回は遠慮しておきました。
編集者に「奈良では売れている」と言われる(涙目)が、奈良から全国に広げるのだよ。黒滝村でもサインを求められて感謝感激。
それと、実はテレビ番組製作会社からも接触があり、吉野山の桜を取り上げたいが、土倉庄三郎について……と聞かれた。こちらは、改めて内容が固まれば紹介したいが、私の元には、ちょっと『山林王』ブームが来ているのだよ。
本日、朝のラジオに出演した。
TOKYO FMの「Blue Ocean ブルーオーシャン」という番組である。MCは住吉美紀さん。
9時半からのコーナーで山火事について語ってくれというので、電話出演したわけだ。「山火事波多津の理由は」というのである。
そこで「いや、多発はしていませんよ」と応えたのだが、それで、おお、これをYahoo!ニュースの記事にしてみるか、と思いついたわけ。
事前に打ち合わせで、何を話すか考えていたのだが、そのおかげで内容が固まっている。これなら書けるぞ。
かくして執筆したのが「山火事は減少していた! 減ったために大規模化した可能性」なのだった。
もちろん番組は5、6分の出演だったと思うから、十分に話せたわけではない。そこで記事では深掘りをしつつ、ある程度推測や自身の思いも込めて執筆した。ラジオで思いつきを話すと危険だからねえ。
でも自分の文章なら、「ここは推測です」とはっきり記せるし、誤解する人がいても私の責任で対応できる。
もっとも、ああだこうだ言わなくても、このグラフを見れば一目瞭然ではないかねえ。
こうした記事はよく見かける。今回はウェザーニュースである。
森林はどのぐらいの量のCO2(二酸化炭素)を吸収しているの?
なかなか面白いグラフなのだが…。日本の照葉樹林は、タイの熱帯季節林より多いわけね。
森林別の吸収量は、シベリアのカラマツ林よりインドネシアの熱帯雨林の方が多いというわけだ。ここで記されるのが「純一次生産量」という言葉。説明では、「ある期間内に光合成で生産された葉や幹などの有機物量と同時期に枯死した有機物量を足し合わせて求める」とある。
光合成で生産した量はわかるが、枯死した量も足すわけだ。まあ、枯れても炭素の塊だから。で、呼吸量は?分解量は?
それをどのように計算しているのか示されていない。植物も呼吸してCO2を出すが、それは生産量に内包されているのかな。
また「ある期間内」に枯れ葉や枯れ枝は分解するのではなかろうか。微生物に分解されたらCO2を出す。とくに熱帯雨林だと馬鹿にならない分解量だと思うのだけど。実際、熱帯雨林の土壌は、ほとんど腐葉土がない。
1本木樹木だと、生産だけでもよいが、森林と言えば林床の土壌も含めるだろう。その空間全体の炭素の出し入れはどうなるんだ。
そこまで計算に含めているのか、ちょっと不明だな。
純一次生産量には、吸収と排出の差し引き量と考えるべきなのか、それとも生産だけで、消費する分は無視しているのか。
スギの有機物生産量も示されている。
誰か教えてくれないかなあ。
「プレジデントオンラインpresident on line」に
骨壺が蹴飛ばされ、遺骨が滅茶苦茶に…「散骨」「樹木葬」ブームの陰で起き始めた新たな"お墓トラブル"
という記事を書きました。
先にYahoo!ニュースに記した記事を深掘りした記事と思っていただければ幸いです。
もっともYahoo!ニュースは、意外と?執筆テーマのカテゴリーに厳しく、私は森林に関わる科学と第一次産業をテーマとする記事ということになっている。そのため、樹木葬はかろうじてよくても、それをお墓を巡る社会的な記事にすると「指導」が入る(泣)。
そこで新たな執筆舞台を求めたのだが、プレジデントで書かせてくれることになった。それでも、プレジデント自体がビジネスマン向けであるし、基本月刊誌的な位置づけなので、「お墓が荒らされた!その裏で蠢く“自然保護団体”と地方政治のどろどろ」なんてテーマでは難しい。
そこでお墓全般を巡るトラブル全般の切り口になった。
う~ん、やっぱり社会派のトラブルネタは、週刊誌かな。。。。どこか、触手が動く編集者、募集中(笑)。
恒例の平城宮跡記念公園の一周散歩。
そこで出くわしたのが、ティラノザウルスのフォークダンスだった。
なんじゃあ、こりゃ。ティラノがフォークダンスの曲に合わせて踊っている。ティラノの駆けっこ競争が流行っているのは知っていたが、今度はフォークダンスかよ。なかにはテンポが早くてなかなか疲れそうなダンスもあったが、これは思わず噴き出してしまうぞ。
で、その背景に注目だ。これこそ、遣唐使船である。この船で(ティラノは)唐まで幾度も海を渡ったのだ。ティラノもフォークダンスも、唐の国から持ち帰った文化である(^^;)\(-_-メ;)。
そして遣唐使についての説明のパネルや映像もあるのだが、そこに輸出品と輸入品が飾ってあった。驚いたのが、これだ。日本は、これを輸出していたのか!
わかるだろうか。楮糸とは、コウゾの繊維である。これが日本から唐の皇帝に貢いだのか。
コウゾと言えば和紙の原料だが、これはコウゾを紙の原料として輸出したのではなかろう。和紙そのものが中国伝来のものだからだ。やはりコウゾから糸をつくって、布にしたいたのだろうと思われる。
コウゾは、「白い繊維」であることから、神を招き、神が宿る布として珍重されていたという記述もある。またカゴを編む素材としても、コウゾは重要だった。コウゾの別名にカゴノキもある。ほかカジノキ、カミノキなど。神が宿るから紙を漉いた、といえば出来すぎだが。
コウゾの繊維から糸を作って、それを編むと不思議な布になりそう。
日本の和紙は、ほぼ輸入コウゾで作られているが、国産コウゾを広げるためには、紙だけでなく布としての利用も含めたら幅広くなるかもしれない。
我が家の庭には池があり、金魚を放っている。
最初はいくつか種類があって、そこに小赤と呼ばれる金魚すくい用の小さな金魚を20匹くらい入れた。徐々に数が減っていくのだが、逆に小赤から大きく成長するものもいて、今では10センチ近いものが約10匹いる。また別に入れた白赤のコメットという種も、3匹入れたのだが1匹に減った代わり、それがかなり大きくなった。合計11匹。
昨年、急に小さな金魚を見つけた。しかも赤に黒入り。そんな金魚入れていないから、池で生まれたのだろう。産卵したのである。小赤は、通常は和金で、ほとんと赤一色だが、これは変種ということか。コメットと交雑したのかもしれない。
それも数が減って行って、1匹だけが大きくなってきた。3センチぐらいまでなった。ところが。
それより明らかに小さな同じような赤黒の小赤を見かけたのだ。2センチあるかないか。2匹いたのか! と思ったが、どうしても3センチサイズの小赤が見つからない。まさか縮んだ(^^;)なんてことはないはずだが……。
その後、やはり3センチ小赤をよく見かけるようになった。小さいヤツは生き残れなかったか……。と思っていた。
だが、ついに2匹同時に確認したのである。
左はコメット。右に大小の小赤が見える。ちょっと水面の反射で見えにくいが、2匹いることを確認できた。
冬を過ごしたのか。これで合計13匹だ。このまま繁殖してくれたら楽しいが、改めて金魚を導入して交雑させても楽しいかもしれない。色だけなく、形態も変われば新品種になるかもしれない。
我が家の池のキャパシティは何匹までなのかよく観察しながら金魚養殖作戦に挑戦だ。
林野庁が、最新の「森林・林業・木材産業の現状と課題」を出した。
こういうのに目を通しながら楽しむ。どこにつっ込めるかなあ、……と考えながら。なんて悪趣味なんだ(> <;)
世界の森林と林業なのだが、森林率の順位で面積が大きいのは、日本は3位で、上位はフィンランドとスウェーデンになっている。ここまではよく知られた話だが、一方で人工林面積のランキングが面白い。大きいのはほぼ大陸国家の中で、スウェーデンが5位をキープしているのだ。これを森林面積と比べると約半分が人工林。日本より10ポイントも高い。フィンランドの順位は9位で日本の次だが、北極圏を含む。
北欧は「森の国」であることを売り物にしているが、目にする森の多くは人工林なのである。
これは国民が期待する森林の働き。まー期待だから実態とは違って当たり前だが、木材生産を見てほしい。この乱高下はなんだ? メモリは3~4年刻みだが、1999年に急降下したうえで、2019年に回復したのはなんだ? そして2023年はまた落ちた。これらの理由を分析してほしい。
なお特用林産物、つまりキノコ類や野外教育も順位は下落傾向。野生動物も落ちているが、23年に一つ上がったのは、獣害が頻発したことが理由かもしれない。
温室ガスの削減・吸収のグラフなのだが、ちょっとわかりにくい。ようするに森林が吸収する分は小さくて、輩出削減が大部分を占めるわけだ。でも、22年が4568万CO2トンなのを、40年には7200万CO2トンに増加させる計画なのか。グラフでは小さくても量は多い。
しかし、それなら森林の伐採を推進するのは矛盾だろう。別のグラフでは、木材利用をさらに増やす計画になっているけど。再造林をすれば大丈夫というものではないし、再造林そのものが半分以下の現状からしても、木を伐ってCO2を吸収させるなんて……(´_`)。
これは違法伐採対策として上げているクリーンウッド法なのだが、あれ? クリーンウッド法は違法伐採禁止を謳っていないよね。合法木材推進にすぎない。違法木材を留められないのだ。
そして業者登録制だが、これによると現在登録した業者は696件か。日本に木材関連事業者って、何件あるのか。数千件?数万件?登録率も出してほしい。登録してもしなくても、違反して何の罰則もないわけだが。
……とこういう風に見ていくと、楽しめるのでありました。
山火事つづきである。そして、私も山火事に関するYahoo!ニュースへのコメント続きである。
思えば昨年のハワイ、そしてロサンジェルスで巨大な山火事が発生した頃から、山火事に関するコメントをつけだした。
そして今年は日本で大船渡から始まり、岡山・今治、宮崎、そして三重県伊賀市で連鎖的に起きている。なお韓国では同時多発的山火事がものすごく、死者もかなり出ている。その煙が日本にも流れてくるという。
なぜ私のところにコメントの依頼が来るのか。
ようするに山火事専門家なんぞいないからだろう。そこで気象予報士など気象の専門家や消防関係者などにお呼びがかかるわけだが、山火事そのものを語れるわけではない。
私自身は、森林火災はともかく、焼畑に以前入れ込んでいて、それから野火や火入れなどの「火の生態学」をかじったほか、私自身もボルネオの大森林火災に出くわしたり、生駒山で山火事を発見したりしたことがある。実際の山火事は、消そうと思うのがむなしくなるほど大変だ。
私が話せることは何か。火災原因はそちらの専門家がいるので、これまでは生態学的観点と、林業から派生した山の仕事としての山林消防にテーマを絞っている。でも、同じ山火事に幾度もコメントを求められてもネタが尽きる。
ところで、決して公にコメントできないのだが……山火事の効用ということも考えておきたい。
一般に火事で木々が焼けることで植生の遷移が促進される面がある。火事がないと発芽しない種子もある。
それに加えて、山火事で焼けた木質が木炭になったら、それが土の中に残れば、炭素蓄積になるのではなかろうか……と思いついてしまった。木炭は、分解されることがないので、炭素は半永久的に土の中に蓄積されるではないか。
もしかして、地球は何億年もかけて森林火災を繰り返して土の中に炭素を溜め込んできたのではないか。それで土の性質も変わって来て、木炭にバクテリアなどが住みつき、植物の成長に影響する、という発想である。それが黒ボク土を作った。炭素を地中に閉じ込めたことで、大気中に酸素が増えた可能性もある。森林火災こそが、動植物の進化と多様性に寄与したのだ……。
こんな妄想をした。
火事は二酸化炭素を発生するから地球環境によろしくないと思いがちだが、木炭を残しつつ、新たな草木が繁ることで大気中の炭素を固定することになるかと思うと、長い目で見たら生態系を豊かにしていると言えなくもない。山火事だって悪くない?
あ、炎上する(^-^;
そろそろスギ花粉症からヒノキ花粉症に移りつつある、4月にはシラカバ花粉症が始まる……そんな発表が。
ふと思ったのだが、スギ花粉に反応する人は、ヒノキ花粉にも、シラカバ花粉にも反応しやすいのだろうか。ありとあらゆる花粉に反応する花粉症罹患者だっているのなら、年中何かの花粉に曝露していると思うのだが……。
そうなっても、スギは憎いだろうか。いつも花粉症の季節には「スギを全部伐れ!」という声が響くのだが、ヒノキを伐れ、シラカバを伐れ、そのうちダケカンバもクヌギもケヤキも伐れ、もちろんブタクサにすカモガヤも焼き払え、除草剤を撒け!とは言わないのだろうか……。
スギ花粉の写真は飽きたので、シラカバ並木の写真を。これを見て,くしゃみする人がいたら教えてほしい。
今朝の朝日新聞に、こうしたオピニオンが。
花粉症の原因は人間側に? 環境激変、追いつけぬ身体 神里達博
わざわざ花粉症の歴史を振り返り、イギリス、アメリカ……と花粉症が発見されて、いよいよ日本でも1963年の「発見」が語られる。ただ、それ以前の日本に花粉症はほとんどなかった、と書かれているのは、ちょっと問題だ。単に名称がつかなかっただけで、はるか昔からスギに触れる人の中にはいたと思う。さらにヒノキにもシラカバにも。「発見」されなかったら、風邪扱いだろう。順序も英米日と並べる必要はない。さらに言えば、イヌやネコ、サルも発症している。
ともかく、結論としては、花粉症は人間の身体に問題があるのではないか、と結びつけている。
これらはあくまで仮説であり、反論もあるのだが、ようやく、こうした意見が新聞に載るようになったか、というのが私の気分だ。
私は、『「森を守れ」が森を殺す!』を出版した頃から、こうした仮説を紹介・主張してきたのだ。もはや前世紀、出版は1996年だから、約30年前からと言ってもよいだろう。
時代が、私に追いついたね( ̄^ ̄)。。。
このところ毎朝、庭の動植物チェックをする癖がついたのだが、毎回いろいろ発見がある。
気にしているのは、新しい草花の登場。今年目立つのは、スイセンだ。
あれ? こんなにスイセンがあったっけ、と思ってしまうのだ。急に庭の各所にスイセンが伸びだした。昨年までまったくゼロだったかどうかは確認していないのだが、少なくても今年のように目立つことはなかった。今年は、ほとんど記憶にないは場所に芽を出している。
なぜ今年になってワサワサと生えてくるのか。しかも写真のように石の下から伸びてきたものもある。かわいそうだから石を少し動かしたが。
スイセンは、種子が飛んでくるというよりは球根が分球して増えるはず。もしかして、父が昔、球根を植えた・もしくは種子を蒔いたのだろうか。しかし、長く成長しなかったのが、今年は何か条件がよくて急に伸びだした? 私が手入れしだしてから、環境が変わったのかもしれない。そこそこ土をいじっているし、市販の肥料に加えて堆肥も入れた。
そういや、こんなアヤメも、隅の方で花を咲かせていた。通常は気づかないような場所。
これも、昔植えたのかなあ。昨年見かけたのかどうか記憶にない。庭の植生も、毎年遷移をしていくのだろうか。
こちらは、なぜか我が家に姿を見せるネコ。近寄ると逃げるのに、いつも庭にいる。餌はやらないぞ、と固く決意しているのだが……ねえ。
植物だけでなく、動物層も遷移していくのかね。
なんと、本日3月24日に、「聞き書き甲子園」フォーラムが開かれたそうだ。オンラインもあったそうだが、もちろん私は聞いていない(^^;)。
そして、気づいたのである。
「これって、以前は「森の聞き書き甲子園」だったよな……。今は森がついていないわ。。。」
23回目を数えるが、私はスタートした時の記憶がかすかにある。林野庁主催で、林業に関する技術者を森の名手・名人を100人剪定して顕彰するのではなかったっけ。そして高校生が彼ら名手名人らをインタビューして記録に残す……という趣旨であった。
そのうち森林や林業関係ばかりでは足りなくなったのか、川や海の名手名人も加えるようになった。そしてタイトルからも「森」を外したわけか。でも、「農」は入っていない。それどころか、選ばれる人は、あまり第一次産業ぽくもない。
農林水産大臣賞が木造船で、文部科学大臣賞ががま細工。林野庁長官賞は漆器だよ。
もう、林野庁が絡む必要ないんじゃない?
だいたい、毎年100人からの人を選定していたら、ネタも尽きるだろう。そのうち町工場の旋盤技術者とか、大型クレーンを操るオペレーター、いやゲーマーやユーチューバーも入れるかもなあ。
私は多少裏事情を知っているが、選び方はかなりいい加減。地元自治体の推薦があって……とかいうが、推薦されなきゃプラットフォームにも載らないわけで、自治体職員の胸先三寸だ。師匠はもらわず、教わり始めて3年目の弟子がもらったケースも知っている。師匠とけんか別れした弟子がもらったケースもあったなあ。
結局、名人芸的な伝統技術の伝承や顕彰ではなく、聞き書きする高校生の教育的効果のみが目的と化してしまった。
まあ、聞き書きというのは、いわばオーラルヒストリーである。宮本常一的に名もなき市井の人の人生を聞き取ってはどうか。その点からは民俗学的な範疇に入る。むしろ、聞き取りをする対象者も、高校生に探させて選ばせたら本格的なルポルタージュ作品を生み出せるかもしれない。ノンフィクション作家の養成講座みたいになる。
もう、文科省に任せて、農水省も林野庁も環境省も下りたらいいんじゃない?
たらたら続けるだけが目的となるのはみっともないよ。
庭にバケツが置かれていて、雨水が自然に溜まる。まあ、春以降なら庭木の水やりにも使うわけだが……。
改めて覗くと、なにやら蠢くものが。そう、ボウフラである。
これはすくった杓子の中。バケツにはかり多くいるようだ。
温かくなってきたのは数日前だから、それ以前の寒い日に越冬した蚊がバケツに産卵したことになる。おそるべし。
蚊は、ほんの少しの水でも産卵、孵化、そして脱皮して変態し成虫になってしまう。
これはいけないと、庭の各所に水がたまっていないかチェックをすることにした。小さな容器の底に水がたまっていれば産卵する可能性は高い。絶滅は無理でも、今繁殖を押さえておかないと、夏にはどうなるか。すでに鬼ボウフラもいるから、もうすぐ孵化するのだろう。そうなれば蚊が舞い出す?!
もはや春から蚊など害虫に悩まされる時代になったのかもしれない(泣)。もっとも、最近の真夏は暑すぎて蚊も飛ばなくなった。これからは春の秋が蚊のシーズンなのかもしれない。
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