このところ、林野庁や林業各道府県も再造林を強く押し出している。木材生産量を増やせと言いつつ、再造林をしっかりするように、というのはマッチポンプ的でもあるが、とにかく皆伐をしても再造林をすれば大丈夫と主張したいかのようだ。
私は、この発想に疑念を持っている。「皆伐したら再造林する」というのは、最低限の努めであり、やらないよりマシぐらいである。やってもダメなケースも少なくない。やり方の問題もあるし、そもそも伐るべきでなかった林地もある。
各地の素材生産業者や自治体の林業関係部署が「再造林したから、いくら伐ってもかまわないのだ」と言い出す予感(すでに、そう思っている業者も多いだろう)がして、ここに問題点の一つを記しておきたい。
ツリーシェルターの林立する再造林地。

私が全国の林業地を回っていた昔、地元の方と酒を酌み交わしたりしていると、ふと出たのは「皆伐の跡に植えてもダメだ。次の代の木は今のようには育たない」という声だった。ようするに樹木、つまり枝葉と幹を持ち出せば、それだけ土の栄養分は失われる。次の植林木は今と同じように育たない……というのだ。
私は、若干専門的な反論をした記憶があるが……細かな土壌養分の収支や施業法のあれこれはともかく、理論的に木材を森から持ち出せば養分は失われるのは間違いない。また皆伐すれば表土の流出が起きやすくなることも事実で、それによっても養分は失われる。
この点は、先に紹介した四手井綱英氏の『日本の森林』(中公新書 1974年初版)にも載っている。
皆伐することで栄養分の豊富な腐植土A0層が失われやすい。一回伐れば1割、2割と失われ、3回転くらいすれば育たなくなる(可能性)を指摘する。
この点に関しては、堤利夫氏(四手井教授の後輩)の『森林の生活 樹木と土壌の物質循環』(中公新書 1989年初版)に、やや反論じみた記載があるのだが、それでも徳島県の木頭林業地のスギ林で、皆伐を繰り返すごとに土壌中の炭素、窒素の集積量の減少が起きたことを指摘している。
ただ次世代の森林が戻ってくると、次第に定常常態に戻るという記述もある。問題は、それがどんな周期かということだ。戻るのはリター、つまり枝葉が地表に落下して、腐植することが前提だ。また、山地斜面の上からの土壌の移動によって、ミネラル分の供給が行われるケースにも言及している。ただ、結果的にそれが足りているのかいないのか、わからないのである。
「地力の維持からみて伐期をできる限り長くすることが望ましい」とある。そして林地にも施肥をするべきともあるが、後者は現実的ではあるまい。

土壌中のカルシウムと窒素の量は、漸減していく。
皆伐して長く放置されれば、表土は残っても、降雨と日射により、おそらく土の組成も変わってしまうだろう。
では、そどうするか。たとえば吉野林業では、約500年の歴史の間に幾度も伐採と植林を繰り返したが、地力が衰えたようには思えない。もともと成長速度を抑えて細かな木目をつくる方針であるし、長伐期で80年以上、ときに100年以上の周期で回しているから回復のサイクルに入っているのかもしれない。皆伐する際も面積は小さい。せいぜい数ヘクタールだろう。
だが現代の九州では、数十ヘクタールもの大面積皆伐をして40年伐期で回そうとしている。事実、戦後の植林地は40年で十分な太さに育った。現在は50年60年生のスギ林を伐っているが、今後の皆伐地も40~60年で元どおりに成長するという前提だ。それを繰り返す林業を将来計画に入れている。
だが、私は無理だろうと思う。短伐期で大面積皆伐は確実に土壌流出を伴うし、同種の一斉造林はその種が必要とする同じ養分ばかりが吸収される。アレロパシー物質も貯める可能性がある。これを繰り返せば森林の持続性を失いかねない。
せっせと再造林を進めても、やがて成長は悪くなり、50年後に伐れるような木に育つか怪しい。枯れるかもしれない。温かいから成長がよいとしているが、実は気温が高ければ土壌中の有機物の分解も早く進む。ヘクタール1500本以下の疎植であることも、よいのか悪いのか。
2回目はなんとか60年で伐れても、3回目、4回目はどうなるか。九州でも80年伐期にするぐらいの深慮遠謀がほしいものだ。
そういや三重の尾鷲林業は、今でこそヒノキ主体だが、昔はスギだったという。しかし土壌が流亡して痩せたのでヒノキ林業に変わったと聞いたことがある。これ以上痩せたらマツ林業に転換?
まだまだ森林の生理は謎だらけだが、物質循環を含めた森林生態学の知識を基礎に置かないまま、安易に林業サイクルや施業法を選択すると将来に禍根を残す。再造林したらいい、と単純化することの危険を感じる。
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