世にいう「トランプ関税」。世界中を相手に高関税をかけて自国生産主義を押し進める政策だ。
私は、どうせ1週間もしたら破綻すると睨んでいた。なぜなら、アメリカ企業の株価は暴落するだろうから。それが1週間も続けば持ちこたえられない……。ところが、13時間後に撤回した(笑)。半日しか持たなかったのだ。ただし株価ではなくて米債権の暴落=長期金利の上昇が引き金だったようだけど。
中国だけは145%の関税を残し、実質的に貿易を停止させたが、翌日には「スマホやパソコン、半導体製造機器は外す」と言い出した。輸入できなくて困るのは自国だったことに気づいたのだ(笑)。ところがまた日が明けると、今度は「スマホには別の関税をかける」と言い出した(笑笑)。よく言えばトライ&エラーだが、ようするに朝令暮改。

これは政策の「ブリコラージュ」なのだと気づく。文化人類学者のレヴィ・ストロースが言い出した概念だ。
ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」こと。「器用仕事」とも訳される。ただ、具体的にはその場しのぎ。目の前にあるものを利用して辻褄合わせをする。わかりやすいイメージを探せば「ありあわせの料理」だ。冷蔵庫の中にある食材を使って、思いつきでつくる料理である。
レヴィ・ストロースは、未開社会の調査を行って、彼らが無計画的に動きつつ、なんとか完成・実現させる姿を観察した結果、この概念にたどりついた。トランプも、貿易赤字を減らす方策にすでにある「関税」制度を利用することを思いついたのだろう。その弊害は、後で考える。不都合が出たら、ちょこちょこいじる。
実は私も、ブリコラージュを経験している。ボルネオのイバン族の村に行き、そこで村民と日本人で水道を建設するというミッションに従事したことがあるのだが、オタオタした。まず湧き水から村までのパイプの引き方が、実にいい加減(笑)。結局、渓流ではなく池から引くことに。そして水のくみ上げるための櫓の建築も、木材を適当に切って、適当に合わせていく。ポンプも、まず設置してから上手く行かないと、調節しながらなんとか動くようにする。でも、水を流しながらパイプを切断したりするのだから、大騒ぎ。
ボルネオの村にて
それでも形にするところがブリコラージュの面白さなのだが、これは小規模事業において現場の判断で行うものだ。指導者がやると、現場はついてこれず大混乱をもたらす。身近な例では、関西万博のリーダーがブリコラージュ的に事業推進したから、混乱を引き起こした。
朝令暮改、ブリコラージュは、「その日暮らし」とも言い換えられるだろう。
そこで思い出したのは『「その日暮らし」の人類学』である。

小川さやか立命館大学教授の本のタイトル。
この本に描かれるのは、主にタンザニア商人の生態なのだが、計画的でなく、目先の商売や商品に飛びついてやり繰りするビジネスである。それが香港など世界的ネットワークで動いており、失敗もするが意外と上手く行ったりもする。
とはいえ、それは少人数小規模のビジネスだからである。世界的経済を動かす国家アメリカがやればどうなるのか。壮大な実験のように見えて、すぐ破綻するのは予測できるのだが……。この本のサブに「もう一つの資本主義経済」ともあるのが示唆的だ。
トランプは、政策を十分に検討せずにまずやってみる、それに齟齬が起きたら修正する、撤回する、また次の手を考える……をタンザニア商人なみに繰り返すのだろう。その日暮らし政策なのである。事前に結果を予測する声があっても受け入れない。トランプの記憶力は、一晩寝たら忘れるレベルだから、事前のブリーフィングが役に立たない(笑)。日本政府が、在日米軍にいかに金を払っているか、世界最大の対米投資をしているか、と訴えても、一晩寝たら「日本はアメリカを搾取している」と言い出す(´_`)。
今後、アメリカは「信用できない国」として世界中に刷り込まれるだろう。
とまあ、トランプの政策の幼稚さを指摘するのは簡単なのだが、私はあえてブリコラージュ手法に注目したい。もう一つの資本主義、強欲な計画的資本主義の代わりになる政治経済としてブリコラージュはどうだろう。
事前に計画を練って忠実になぞる産業ではなく、その日暮らしの産業が勃興する。
たとえば木造で建築する場合に、計画的にどんな部材が必要か、どんな品質の建材を何本調達するか……と考えるが、調達できない分はすぐに手に入る素材を使って建築する。使えないと思い込んでいた細い、短い、曲がっている材を活かした建築を行う。金具がなければ紐で縛る、セメントがなければ石を積む、石がなければ土を固める。屋根は樹皮か木板で葺こう……。そうしたら資源の無駄遣いを抑えられる。実は、昔の日本の大工はそうした建築を行ってきた。
よりすぐりの材料を計画どおり集めようと選別するから、多くの無駄を出す。余っているものを使う、使えないと思っていたものを使う発想を持てば環境に優しく、SDGsな展開が可能になる。

なんかよくわからない、あり合わせの建築。
ブリコラージュは、個人でやれば「職人芸!」と称賛される。ただ産業とするには、一工夫いる。そこで、職人芸をシステム化、その場しのぎをマニュアル化する。これぞポスト資本主義?
壮大な矛盾を含む概念だが、巨大産業の欠陥を補完しつつ環境負荷を抑えるには、一考に値すると思うのだが。
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