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本の紹介

2016/08/25

「自然科学」の進歩(笑)

随分前になるが、日本の自然に関する学問の変遷を調べたことがある。
 
当初(江戸時代始め)は名物学が重要だった。
これは、物の名前を定めること。というのも、当時の文献のほとんどは中国からもたらされるが、そこに登場する動物や植物、さらに鉱物も含めて、それが日本のどの種類か突き止めないといけなかったからだ。さもないと、せっかくの文献が使えない。
当時は、地域によって動植物の分布が違うことを知らなかったので、中国にあるものは日本にもある、と思い込んでいたのだろう。
 
そして、次が本草学。これは主に薬になる植物を研究するものだった。つまり医学と重なっていたし、担い手の本草学者は医者でもあった。ある意味、実学だった。役に立つ知識を学ぶ学問だったのだろう。
 
それは江戸時代を通して本草学として発展したが、徐々に役立つ学問から逸脱してくる。興味の赴くままに動植物を収集したり生態を研究する人物が現れる。
 
これは博物学だ。ナチュラルヒストリー、自然誌学の世界に踏み入れたのではないか。
 
そして江戸後期になると、蘭学として西洋の生物学が入ってきたこともあって、日本の生物学の萌芽が生れてくる……。あきらかに趣味としか言えない研究が行われているからだ。
ここに至って、ついに近代の自然科学の域に近づいたのだろう。
 
私は、さらに日本独自に環境と生物について考えた生態学の片鱗も登場してきたのではないか、と想像しているのだが。さらに分布について気づいたり、品種改良から遺伝学へと至る道もあったようだ。
 
ちなみに『森と日本人の1500年』を執筆する際に調べたのだが、(主にヨーロッパの)林学のスタートは、官房学だそうだ。官僚が行政を行う上で必要な学問。もっと具体的に言えば、国家運営のための財政とか国土管理の手法について考えたものらしい。
 
なぜそれが林学に発展したかと言えば、林業が重要だったからだ。もっと言えば木材資源が必要だったのだ。しかし、木材を得るために野放図に伐ると底をつく。そこで計画的な伐採を考え、一方で回復を自然のままに任せるのではなく、人が手を加えて早く回復させる、森林づくりを始めた……その技法を考えたのが林学の出発点だった。
 
だから森林経理学とか林政学、造林学とか、また法正林とか恒続林とか。。。土地純収益説とか森林純収益説なんてのが考えられるようになったのだろう。
 
それが今では森林生態学の分野にも広がってきた。そこでは木材生産は森林の効用の一部に過ぎず、地球環境や砂防・治山も重要視されるようになる。。。
 
 
世の中、実学から趣味の学問、そして純粋科学へと変遷していくものなのだろうか。
となれば、自然物を扱う林業が、現実社会の経済から外れて観念的なものになっていくのも仕方ないのかもしれない……なんて思ってしまった。外れちゃ困るんだろうけど(笑)。

2016/08/24

ドイツとスイスと吉野林業

昨日は、「情報のバーター取引」について記したので、その成果の一つを(-_^)。

 
 
いただいたのは、『吉野林業概要』(北村又左衛門著)のコピー。
 
正確に言えば、吉野の大山主・北村又左衛門が記して、大正3年に発刊された『吉野林業概要』の改訂版として昭和29年に発行されたものである。ただし非売品だ。
 
もちろん古い本だから、制度とか伐採搬出運材、取引、木材加工・利用などに関しては、現代と違いすぎて歴史的な文献としてしか役に立たない。しかし、読みごたえは各所にある。
 
なかでも面白いのは、この改訂版には、佐藤彌太郎(京都帝国大学教授等を歴任した林学者)が序文を付けているところ。そこに興味深いことを記しているのである
 
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読みにくいだろうが……30年前(つまり戦前)にドイツに留学したが、かの地の林業地は、単純一斉林と皆伐施業を行っている。しかし、その生育状況は必ずしも納得のいくものではなかった。
一方でスイスの択伐~天然更新施業も見ていて、両者を比較したことで、皆伐に少なからず疑問を持っていた……とある。
 
ところが、皆伐を行う吉野林業では不健康な状況が皆無なので驚くのだ。言い換えると、ドイツよりも吉野林業の方が優秀だったわけだ。
 
その理由を幾つか並べている。種子の選定や適地適木を守っていること、皆伐面積が小さいこと、混交林の造成(この場合はスギとヒノキだと思う)を進めていること……などがある。しかし、もっとも感心したのは、造林指導者たちの目が肥えていることだったという。
 
これ程に造林に注意を払ふところが他にあるだらうかとさえ思った。
 
 
なんか、現在にも通じる言葉ではないか。
 
佐藤は、戦前からドイツの一斉林と皆伐に疑問を持っていたのである。ドイツも戦後になると方向転換して、今は近自然的混交林と原則皆伐禁止になっているはず。
残念ながら現代の日本は、今も戦前ドイツの林業を真似し続けて一斉林-皆伐を今も押し進めている。
 
また山林看守人(造林指導者)の知恵と技能が重要なことを指摘している。残念ながら、現在の日本の林業現場はそれに応えているだろうか。
林業大学校は次々と設立されているが、そこで養成されるのは、現場のワーカーだ。しかも伐採技術の取得が主流である。造林に眼を向けているところは少ない。
 
 
幸い? 奈良県は本書でドイツよりも優秀としたスイス林業を取り入れようとしている。この点は、一筋の光明(^o^)かもしれない。
各なる上は伐採ワーカーではなく、造林のマネージャーを養成してほしいものである。本書には、今に通じる細かな造林技術が記されているのであるから。

2016/08/23

情報のバーター取引

ちょっと仕事に関して思うこと。
 
私の仕事は、基本的に情報を扱うことだ。そのためには私自身が情報を集めねばならない。現場の人や識者から聞き出すだけでなく、文献を漁ることも重要となる。次に、集めた情報を練って自分なりに理解を深め、自らの意見を付加していく。さらに発表舞台や方法を考える。
 
そんな情報収集技術をどこで身につけたか。。。とふと考えたのだ。
 
一つは大学の卒論だろう。
先日、某教授と話していて、「卒論とは、考え方のプロセスの勉強だから、結果はあまり気にしない」ということを言われた。たしかに学生の研究結果が使い物になるわけがない(笑)。データの集積と考察の仕方を学ぶ過程だと割り切った方がよい。逆に言えば、卒論を本気で仕上げることこそ、もっとも大切な勉強法だと思う。
 
もう一つは、学生時代の探検部の遠征プロジェクトだ。
私は学生時代、ボルネオと小笠原諸島の遠征を手がけた。しかし、現地情報がほとんどない。当時はネットもないから、情報収集は大変だった。
図書館へ行って、タイトルにボルネオ(小笠原)の入っている本を集める。雑誌や論文集を片っ端から見て、タイトルにボルネオに関することが出てくるものを探す。その参考文献に登場する文献をまた漁る。その文献の参考文献から別の文献を見つける。小笠原諸島の場合など、礼法の小笠原流の本まで手を出した(アホや)。
さらに著者に連絡を取る。直接関わった人が見つかれば訪ねていく。そして別の人を紹介してもらう。遠征計画が新聞報道されると、何らかの反響があるので、またそこから情報をたぐりよせる。
 
 
……ま、そんなことをしつつ計画をまとめて、とりあえず現地に行くのだが、そこで新たな情報に出会うわけである。それもとっときの。
 
たまたま当時集めた資料を手に取る機会があった。稚拙だが、すごい、と自分を褒めたくもなった(^o^)。
そして、今も同じことをしていることに気づく。あの頃の経験のまま今の取材をしているな。。。と感じたのである。ただし、今はネット検索があるので、はるかに楽になったが。
 
 
 
ところで、現在だからこその情報収集方法を一つ紹介しよう。
 
長年森林に関する情報発信をしていると、私が取材される側に回るということもままある。意見や情報を求められることがあるわけだ。
ただフリーである私の持っている情報は、まさに飯の種。それを安易に(無料で)提供できるだろうか。ちゃんと情報の対価を払っていただかないと困る。私だって情報を収集することに私は金も手間もかけているのだから。
 
かといって、最初から情報料を請求しても無理なこともわかっている。日本の社会は、企画などの段階で金を払うシステムになっていない。
 
そこで最近よく行うのが、情報のバーター取引(⌒ー⌒)。
 
私の情報を提供する代わりに、そちらの持っている情報を私にも寄こしなさい、というわけだ。何らかの古文献(のコピー)をいただくこともある。経験談を語ってくれるだけでも有り難い。情報以外に、先方の権威等で私の取材に協力してくれてもよい。
私を取材しようとした時点で、ほかのところの取材もしていることが多くて、そちらの情報をいただくこともある。
 
業界情報はオイシイv(^0^)。森林研究現場に林業界、木材業界、建築業界。そしてマスコミ業界。いろいろある。とくに裏情報は好物だよ。こっそりメールでアブナイ現場の話を伝えてくれる方もいる。案外、直接会って聞き出す情報より中身が濃かったりする。
 
 
この前は、私を取材に来た人が林学出身で、それどころか大学院にまで進んでいて、私よりはるかに優秀な学歴の持ち主だった。当時どんな研究をしていたのか聞いてみると、ちょうど私が興味を持っている分野。
 
そこで修士論文をいただいた。これぞ、まさに情報のバーター取引だろう。そんな情報こそ、質が高く、ほかに例のないものが含まれているのだ。
 

2016/08/22

なら枯れ後~キノコまみれ

生駒山北辺の大阪側に「ほしだ園地」と呼ぶ森林公園がある。

 
ここには長大な吊橋があるなど、なかなか見どころは多いのだが、私にとっては初めてナラ枯れを目にした地域でもある。ナラ枯れ、カシノナガキクイムシは北から侵入したのだ。
 
以前訪れた時は、まさに紅葉しているかのように森の中がモザイク状赤く枯れていたが、先日訪れると、枯れてはいるがもはや周辺の木の緑に包まれていた。
 
 
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吊橋「星のブランコ」から見下ろした森。各所に葉が落ちた枯れ木が見つかる。
 
枯れるものは枯れ、今後どうなるのか……。
 
で、見かけたのは。。。
 
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え? 何じゃ、これ。。。。とよく見ると、枯れたコナラを倒して放置されたものらしい。
しかし、真っ白になってしまうとは。菌類、つまりキノコが大発生したのだね。
 
これは何というキノコなんだろうか。こちらの方はとんと弱いのだ。
 
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アップすると、こんなキノコ。
 
伐採した後は燻蒸したのかしなかったのか、とにかく腐朽してしまったのだろう。カシナガが抜けた後はキノコまみれになるのであった。

2016/08/21

センダンとヒヨドリ林業

兵庫県の宍粟市を訪ねた。訪問したのが兵庫県の森林林業技術センター。

 
宍粟市では、早生樹として注目されているセンダンを植林したという説明を聞き、よし、センダンの植林地を訪れるぞ、と思ったらセンターの玄関前にセンダンがあった。。。
 
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さっそく植えたんですか、と聞いたら、いや勝手に生えてきたという……。
 
実は、センダンそのものは珍しい木ではない。意外と山野にもあるのだ。それは、ヒヨドリが種子を運んだらしい。ヒヨドリは、センダンの実を食べるのだ。たまたまセンター前に種子を含んだ糞をしたのだろう。
 
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センダンの実は、もう付いていた。もう少し大きくなるという。
 
ただ問題は、センダンの実には毒が含まれていることだ。サポニン系らしいが、わりと毒性は高い。犬の場合なら5、6個、人でも子供ならば、6~8個の実を食べたら死に至ると報告されている。それも摂取後2~4時間で症状が現れ、致死量を摂取した場合は、48時間以内に死亡するというのだ。怖!
それほど強いのに、なぜかヒヨドリは死なない。それどころか好物にしている気配さえある。
 
そして肝心なのは、センダンの実は、一度食べられて果肉が取れないと発芽しないというのだ。つまり果肉の物質は食べたものに対する毒性が強いだけでなく、発芽阻害物質も含んでいるらしい。
だから鳥に食べられて糞にして出されて、ようやく発芽する……。それもヒヨドリ(ほかにムクドリなど)限定とか。
 
おかげで、センダンの苗をつくるのは大変だそうだ。センダンは挿し木もできないので増やすには、実生苗をつくるしかない。
 
そのためには、まずヒヨドリを捕まえて、それをケージに飼って、センダンの実を集めて食べさせて、糞をさせて、その糞から種子部分を洗い出して、それを植えて苗をつくるのである。
 
早生樹植林は、ヒヨドリ林業なのである。もし早生樹、とくにセンダン植林を考えている人がいたら、まずヒヨドリを飼うことから始めよう。大変な手間だから、苗の価格も高い。もしかして、センダンの苗づくりをしたら、一儲けできるかもしもさない。
 
 
 
 
 
……本気にしないでね。
そこまでしないでも、水に漬けて果肉を腐らせても種子は取り出せる。銀杏と同じ要領だ。もっとも、それだって結構な手間だが。
 
 
ネットは記事を最後まで読まない人が多いので心配(⌒ー⌒)。

2016/08/20

醍醐の桜のクローン?

ふと目に止まった新聞記事。日経(8月16日)なのだが……。
 
住友林業がバイオテクノロジーの一種である組織培養技術を磨き、樹齢が高く枯死の危機にひんした桜などの名木の苗木増殖に挑んでいる。親木から小さな芽を採取し、親木と同じ遺伝情報を持つ「クローン」の後継樹を育てる。成功例のなかった品種でも次々に培養を成功させ、木と、木にまつわる歴史を後世に引き継でいく。
 
 
バイオ技術を使って、古木のDNAを取り出し培養するそうなのだが、それで思い出したのが大阪城公園内にある豊国神社。豊臣秀吉を祀ってあるが、その一角にこんなサクラがある。
 
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これ、醍醐の桜のクローンなのだそうだ。
 
ちょっと脇の看板を拡大しよう。
 
 
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秀吉が晩年に開いた醍醐寺の花見(1598年)の桜を住友林業の技術でクローンをつくったと読めるのだが……よくよく読めば、大しだれ桜の樹齢は160年とか。
 
(・_・)...ん?  醍醐の花見から400年以上経つのだが……。
 
先の記事でも、最後に
北野天満宮の推定樹齢300年超の梅も約5年かけ増殖させた。梅の古木での成功は世界初の快挙だ。
300年が快挙なんだが……。
 
しかも元の木はまだ生きているわけで、細胞培養しなくても挿し木なりはできなかったのだろうか。無理に遺伝子を一緒にしなくても、実から種子取った方が、よいような気もするし。
 
 
まあ、こんな疑問を持つことは無粋なんだろうなあ。

2016/08/19

切株の上の生態系2

久しぶりに、「切株の上の生態系」を追ってみた。

 
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今回は、切株上の苔の中に、たった1種類の芽吹きを追う。孤高の芽である。苔に負けるな(~_~;)。
 
切株の母樹はどれもスギと思うが、苔むした中にさまざまな芽が出ております。
 
考えてみれば、切株の上は、圧倒的に苔が多く茂るが、なにか理由はあるのだろうか。しかし、苔の中に樹木の種子が芽吹けば、ライバルが少なわけで、雑草などに取り囲まれることがなく、光はよく当たる。水気も苔が繁っていると意外や貯水してくれて豊富。さらに木部が腐っていくと養分の供給にもなる。
 
意外や切株の上は、最初の一歩を芽吹くのに際しては悪くない環境なのかもしれないと思える。
 
ただし、このまま育つかどうか。

2016/08/18

私の訪れた墓4 ~ソロモン・シンボ島

今日は、少し遠出をしたのだが……お盆が明けたから大丈夫だろう、と思っていたのだが、高速道路はとてつもなく混んでいたよ……。帰りなどは泣きそうだった(>_<)。

 
で、お盆だからと始めた墓シリーズ。そろそろオシマイにしよう。
 
最後は、こんなの。
 
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はい。ソロモン諸島のシンボ島で訪ねたスカル・プレイス。頭蓋骨がびっしり。
 
この頭蓋骨が自分たちのものなのかどうかは怪しい。ここの住民は、かつて(ほぼ戦前)までは首狩り族だったからだ。ほかの部族(島ごとに、部族は変わる)の村を襲っては、首を狩っていたのだ。若い女は拉致して連れ帰り、シンボ島に幽閉……というか、そのまま自分たちの奴隷兼嫁さんにしていたらしい。だから、女護が島伝説もある。
狩りは、いわば文化で生きがいだったらしく、信仰でもあった。
 
なお島によっては、首狩りではなく、一部は人肉食(カニバリズム)もあったよう。
 
だから、ここにある頭蓋骨も、その時に狩った首の可能性は高い。埋葬したという点では墓なのだが、敵の首なんだから新死んだ肉親を祀るという意味での墓ではないのかもしれない。
 
そして重要なのは、今は墓としての機能を失っていることだ。
 
なぜならイギリスの植民地となり、首狩りは取り締まられて根絶したからだ。(人肉食も。)
そして住民のキリスト教化を進めた。
 
今では、ほぼソロモンの全国民がキリスト教徒と言ってよい。だから、この墓(スカルプレイスと呼んでいた。墓ではなく、頭蓋骨の置き場と化したか)も、見せ物として案内された。平気で頭蓋骨を手に取って渡してくれる。訪れた我々(私と学生の隊員)も、手に手に取って記念撮影した(⌒ー⌒)。
 
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ちなみに、こちらが現代風の墓。キリスト教式に土葬して、岩と貝殻、そして花で飾られている。文化の変容というべきだろうか。
 

2016/08/17

私の訪れた墓3 ~青森キリストの墓

墓シリーズ第3弾(笑)。

 
大学生の頃、東北地方を一人旅した。目的地を決めず放浪したのだが、それでも幾つか行きたいところを目安にして各地を訪れた。
 
その際に選んだ一つが、キリストの墓である。
 
そう、青森県戸来(へらい)村にある「日本の」キリストの墓をめざしたのだ。
 
この墓について説明するのは面倒なので、ウィキペディアの記載を引用する。
 
 
1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間~3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。
 
この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという。ただし、竹内文書は多くの研究者から偽書と断定されている。
 
この後「古代史書研究会」が来村、戸来村の村名は、ヘブライに由来するとした。 アメリカ在住の川守田英二が現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるという書簡を戸来村に送った。
 
また日本において「桔梗紋」と言われるこの村の旧家に伝わる家紋は五角の形であり、ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似しているとしイスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もある。 戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があったという。
 
 

なかなか楽しいであろう(笑)。へらい村だからヘブライ。見事だ\(^o^)/。
 
学生時代からこの話を知っていた私は、ぜひ一度は見たいものだ、と二戸を訪れた。地元の数少ないバスを乗り継いで、なかなか大変だった記憶がある。
 
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そしてたどりついたキリストの墓。わかりにくいが、右手に盛り上がった塚があって、その上に十字架が立つ。また左隅に木柱が立つが、そこには「十代墓」とある。こちらがイスキリの墓なのである!
 
イスキリという弟がいたのか。単にイエス・キリストの略のように思えるのだが……(だいたいヘブライ語ならヨシュア・メシアだよ)。
 
当時は、これだけ。ただ案内板はあった。
 
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とくに見るものもなかった。近くに車があって、その中に寝袋があったので、私と同じように墓目当ての人が来ているのかなあ、と思ったが。(その人物とは遭遇しなかった。)
 
それから帰るのもまた交通途絶状態で大変だったのたが……。
 
 
さて、それから幾歳月。
 
今や、このキリストの墓そのものが観光地である。
 
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ネットではこんな写真があったが、ほかにも資料館ができたりしているらしい。
地域興しのネタになったんだろうなあ。
まあ、よいか。私は先鞭をつけたと満足しておこう。

2016/08/16

私の訪ねた墓2 ~畔田翠山

畔田翠山、を知っているだろうか。くろだ・すいざん、と読む。

 
ほとんど無名、知っている人は江戸時代の学者マニア(笑)。
 
一般には、本草学者とされる。詳しくは、私のホームページのここ に記した。
もう一つあった。こちら にも。
 
畔田翠山は、江戸後期の紀州藩の藩士だ。1792年和歌山生れ。名は伴存。通常は十兵衛と呼ばれる。重兵衛とも記す。号は翠山。別に翠嶽、翠嶺軒、あるいは紫藤園といった号も使っていた。
 
翠山の職は御広敷添番庭仕事の担当である。ただし藩の庭では、薬草を扱う本草局もある。つまり医学に通じる科学部局だったのだろう。
直、藩士としては軽禄で、そんなに位の高い武士ではなかったが、当時の藩主・徳川治寶に愛されていたらしい。またパトロンもいたらしい。
 
実際、全国を歩いているし、山野を歩いて植物の研究をしている。彼は、山に入ると何日も帰って来ず、天狗のようだと言われたらしいからチョー健脚だったらしい。 
 
しかも江戸時代の藩の庭仕事職と言えば、「御庭番」。紀州藩から将軍になった徳川吉宗は、御庭番を連れて江戸に行った。そして彼らの仕事は……スパイ(笑)。いわゆる隠密、忍者である。当時、幕府の忍者集団は、御庭番という役職だった。庭仕事の職人を装っていたのである。 
だから、翠山も隠密だったのかもしれない。
 
 
ま、詳しいことはリンク先を読んでいただくとして。
 
 
私は、畔田翠山の謎の生涯を追っていたことがある。探検家として。最後の本草学者として。日本の博物学者であり、日本独自の生態学的発想の先駆者として。動植物の生育環境が記されているところがあるので、分布と植生がわかるのだ。
 
そして訪ねたのが和歌山県本宮町のお墓。彼は、この地で客死したのである。
 
苦労した~。記されていた集落を訪れても墓地が見つからない。ようやく出会った人に聞くと、個人宅の裏であった。他人の家の軒下を抜けて家の裏手に回らないと、墓地を訪れられないのだ。そして、数ある古い墓石の中から彼の名前を探し出す。 
 
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かろうじて墓石の裏に「畔田十兵衛」の文字が。よくぞ、残っていたなあ。。。。
 
彼の家は、明治維新で没落して、息子が父の書物や財産を売り飛ばした。そのため彼の業績が伝わらず、ほとんど謎の人になってしまったのだ。それを拾い集めて翠山の実像に迫りたい……。
 
 
ちなみに和歌山市内にも墓はある。
 
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明治時代になって、翠山の学者としての再発見があり、叙勲位が授与されて碑が建てられたらしい。南方熊楠が彼に注目していたとも言われる。
 
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この碑には、畔田翠山の業績が記されている。
 
今は、ウィキペディアにも記載があるようだ。私が調べた頃は、まったく検索に引っかからなかった。多少は知名度を上げたか。とはいえ、いまだに謎の人である。
 

2016/08/15

私が訪れた墓1~サンダカンのからゆきさん

8月15日。敗戦記念日というより、お盆の真っ盛りというイメージが強くなった今日この頃。

 
昨日、お墓をつくらない方法 あるいは自由に“お墓”もどき(=記念碑)をたてる方法、を提案したわけだが、やはり後世に伝えたいお墓もある。お墓があるから記録が残り、発掘できる真実もある。それが後世に影響を与えることもある。
 
 
ふと、サンダカンの墓を思い出した。
 
私の初めて海外、つまり40年近く前になるのだが、訪れたのはマレーシア連邦サバ州。いわゆるボルネオだ。州都コタキナバルから旧都サンダカンに入り、そこの森林局を訪ねて、野生のオランウータン調査を行うことをお願いした。するとゲームレンジャー(狩猟官)を二人付けてくれて、調査地に選ばれたデン半島深くの森を訪ねた。
 
その調査活動に関しては割愛するが、その後サンダカンにもどってきて、しばしの休暇となった。有体に言えば、のんびり町を楽しんだのだ。
サンダカンは、戦前から港町として栄えたところだ。私が訪れた当時は木材景気で潤っていたが、まだ古い町並みが残っていた。コロニアル様式というのか、イギリス風の建築と中華系の町が混ざって異国情緒が漂っていた。
 
そんなサンダカンで訪ねたいところの一つは、やはり日本人墓地だった。
 
 
サンダカン八番娼館』をご存じだろうか。
山崎朋子のノンフィクションである。 不朽の名作として今も読み継がれているし、映画化もされた。
天草出身の日本人女性がサンダカンには多くいて、娼婦になっていた時代がある。いわゆる「からゆきさん」である。その一人サキさんの生涯を描いた作品だ。彼女はサンダカン八番娼館で働いていたのだ。
 
ボルネオに行くのなら読まねばならない作品だった。そして、この続編も。山崎朋子が現地を訪れた記録が『サンダカンの墓』としてまとめられていた。
 
そこには戦前、現地でなくなった日本人の墓があることを記している。その多くは娼婦たちのものだ。
この本が出てから、戦後のサンダカン在留邦人たちは荒れ果てた日本人墓地の整備を行ったらしい。
 
そこで、私も訪ねてみたのである。交通機関はなく、てくてく歩いてサンダカン湾を見下ろす丘に登った。
 
墓地は広く、中国人や欧米人の墓は立派だ。なかには家一軒分の大きさでエアコンの聞いた墓まであった。現地人の墓もあったはずだが、あまり記憶にない。
 
その墓地の奥の奥、山頂に近いところではなかったか。
 
日本人墓地という門が設けられていた。草は刈ってあった。高台にいくつかの墓石が並ぶ。
 
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一部は戦後の船乗りの墓もあった。が、ほとんどが娼婦のもののようだ。
 
本当は、当時の娼婦の墓はほとんど墓石がなかったそうである。高くて買えなかったのであろう。木の卒塔婆だけでは、朽ちて消えてしまう。ただ、いくつかの例外と、娼館の経営者?(記憶が定かでない)の木下クニが立てて上げた墓があるらしい。
 
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かろうじて「木下クニ建立」と読める。
 
写真も40年の月日が流れて色落ちしてしまっている……(~_~;)。
現在はもっと整備されたと聞くから、ネットで検索してみてほしい。わかりやすい写真もあるだろう。
 
 
ちなみに日本人墓地は、サラワク州のクチンでも見学した。各地に日本人女性の娼婦がいたのである。
 
かつての日本は貧しく、海外への出稼ぎは珍しくなかったが、実は男より女の方が人数は多かったようだ。つまり「からゆきさん」である。多くがだまされて連れ出されたというが、意外や海外は遠くなかったようだ。
(日本人が初めて訪れたアフリカ! みたいな冒険旅行記が明治に出されているが、そこに日本人娼婦が登場することをどのように考える?) 
 
彼女たちの墓の存在は、隠された歴史を今に伝える大きな役割を果たした。山崎さんが記録を掘り出した際に石塔の墓だから発見できた。樹木葬でなくてよかった、のかもしれない。
 

2016/08/14

墓を記念碑にする方法

お盆になって、墓参りに行かれる方も多いでしょう。

 
そして墓守について考えることもあるでしょう。次に入るのは誰か。いつまで続けられるか。誰が継承してくれるのか。
 
……そして、樹木葬に目が向くこともあるでしょう。
 
最近は、樹木葬なら簡単、後腐れがない、安い、という声がある。
 
ちょうど、こんなイラスト見つけた。
 
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フリー素材の中に、樹木葬墓地のイラスト があった。
しかし、このイラストの中には石の墓標がありますなあ……。墓標の代わりに樹木、というのが基本的な樹木葬なんだが、残念ながら現実はそうなっていない。
 
 
しかし、樹木葬と言っても千差万別。なかには「樹木がなくて、石の墓標のある樹木葬」墓地まであるから、もはやナンデモアリなのだ。
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よく、「死んだ後のことは、どうでもいい。好きにしてくれ。遺骨は海でも山でも捨ててくれ」という声があるのだが、ちょっと勘違い。決めておいてくれないと、l遺族は好きにしたくてもできず、周りが迷惑するから(^0^)。
 
これは法的な問題だ。日本ではお墓に関する法律(墓、埋葬等に関する法律、墓埋法)がある。細かな定義・字句はさておき、火葬するにも、その後遺骨を埋蔵するにも法的な規定がある。海にも山にも散骨するのも手続きがいるし、無縁墓地にだって入れない。墓はいらない、というのなら、その点を遺言でもしておかないと面倒。
 
散骨だって、実は骨の形を残していると散布はできないのだ。基本、粉にしなければならない。しかも撒く場所は公的には限られている。川はダメだし、海も相当沖合に出ないとダメだし、山は所有者の了解と周辺のステークホルダーの承認がいる。(さらに言えば、散骨は法的に認められているわけではなく、法の隙間を縫ったものである。)
 
では、どうすれば墓をつくらないでいられるか。
単に遺骨を自宅に置いておく、という手はある。しかし遺族は、ずっと骨を保管し続けなければいけない。それははっきり言って辛いし、「墓はいらない」という意志に反するのではないか。
 
一番簡単なのは、遺骨を火葬場から引き取らないことかな、と思う。あるいは完全に灰になるまで焼いてもらえば、量的には極小にできる。
日本の墓の定義は、遺骨や遺体を埋葬するところだから、埋蔵するものがないと墓の法律に縛られなくて済む。
 
遺族側からすると、遺骨さえなければ、法律の縛りから解放される。
ら樹木や石塔を立てて「これが墓だ」と主張しても、法的には、それは記念樹・記念碑であり、墓ではない扱いになる。だったら、どこに(石塔などを)置いてもよい。自宅の庭であろうと、法的には問題ない。山に墓代わりの樹木を植えても「記念植樹」と同じになって、周囲の人も文句のつけようがない。
 
 
ちなみに樹木葬は、一旦は遺骨を埋葬するから墓だが、年月とともに遺骨は土に還る。その時点で墓ではなくなるはずである(今のところ、法的な判断はされていないが……)。ただし、地目は墓地のままだろう。
 
でも、樹木葬といいつつ土に埋めるのではなくコンクリートの小部屋に遺骨を納めるところもあって、これでは土に還らない。合葬墓の場合は、何万人分の骨を納められます、という記載まであるが、最終的に骨をどうするのか疑問。あふれたらどうするのだろう。
 
多分、霊園側はそこまで先を考えていないのだろう。こっそり捨てるのかな?
 

2016/08/13

恐竜・化石・岩石・骨……のマニア

テレビで「知られざる恐竜王国ニッポン 」をやっていたので、つい見てしまった。

 
日本にも恐竜~大型爬虫類の化石がどんどん発掘されている実情を紹介していたのである。当然ながら、兵庫県の丹波竜も登場していた。
 
Dsc_0062
 
丹波竜が発見されて今年で10年。丹波竜に関しては、このブログの9年前に私も記している。発掘現場まで行ったのである。
 
それで思い出したのだが、私は石マニア、とくに化石マニアだったのだ(笑)。今も、と言いたいところだが……。
 
たとえば、我が部屋には、こんなのも転がっている。
 
003 アンモナイト。
 
これはインドネシアのチモール島で見つかったもの。アンモナイトだ。
私が掘ったのではなく、もらったのだが、なかなか大物だ。全体があれば直径30センチ以上だろう。
チモール島は、全島が高原地帯だが、そこには珊瑚化石がゴロゴロしている。かつて海底だった証拠だろう。
 
思えば小学生の頃は、結構化石を堀りに行っていた。実際に掘り出せるのは植物化石くらいのものだが、今振り返ると、なかなか興味深い。
化石は石そのもの、鉱物にも興味を持つし、さらに土器など考古学的なものや、地形にまで興味は広がる。
 
 
だから我が家には、小笠原諸島の瑪瑙とかもゴロゴロ(笑)。実は、小笠原諸島はメノウ(石英の結晶。オパールの一種といった方がわかりよいか)だらけなのだ。
 
かつて小笠原諸島母島で洞窟(石門洞)を発見して、その内部深くもぐって行ったら、暗闇に骨がゴロゴロだったこともある。こちらは化石になる前だったが……。
 
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散乱していた骨。碗骨で10センチくらいある。さて、その正体は……。ちょっとびっくりだった。
 
さらに溶岩のつらら石とか石柱など、ちょっと世界的にもいくつも例がない貴重な石塊もあるのだよ。お宝探偵団に出品しようかと思ったこともある。。。が、手に入れるまでの素性を問われると困るので出さない(~_~;)。
 
世間は夏休み。こんな、昔は胸をときめかした石たちを眺めてみるのもいいかもね。

2016/08/12

生駒山のナラ枯れ新局面

今日は某番組製作の方が訪ねてきたので、我が応接間ラッキーガーデンに。

 
話は林業のことだったのだが、つい目に入る外の景色は、紅葉の進む生駒山と矢田丘陵。もちろん、本当の紅葉ではなく、ナラ枯れによって枯れたナラ類の葉が赤茶けていることだ。
 
それが半端なく広がっている。店の窓から見下ろす形になる矢田丘陵は、ほとんどモザイク状に赤く染まっていた。そして話は自然にナラ枯れに。
 
生駒山にナラ枯れ、つまりカシノナガキクイムシが侵入して立ち枯れを目にしだしたのは、だいたい3年前。生駒山地の北部から始まった。それがどんどん広がり、昨年当たりがピークかと思わせるほど枯れた。
 
逆に言えば、それで盛りを過ぎて終焉してくれれば……という期待もあったのだ。
 
しかし、どうやら今年は昨年より勢いが増しているよう。まだ全容はわからないにしても、枯れ方は昨年より激しいような気がする。とくに矢田丘陵に広がった。
 
 
それで思い出した。先日の森歩きで見かけたナラ枯れ。
 
4
 
あきらかに細い木にもカシナガは侵入しているようだ。写真の木は、まだ根元の太さ10センチを超えているからカシナガ罹患もありえると思うが、もっと細い木もやられている。昨年までは大木中心だったのと比べると、今年は中径木へと被害を広めている。
 
カシナガも、いよいよ理想的な大径木のフロンティアがなくなってくると、これまで手をつけなかった細いコナラにも歯牙にかけ始めたか……。
 
こうなると、生駒山系のコナラ林は、行きつくところまで行くしかないね。最後に寄生するナラ類がなくなってカシナガが自滅するのを待つしかないのだろうか……。そして、生き残った耐性のあるコナラ類が再び広がることに期待しよう。
 
 
ちなみに、ナラ枯れ問題で番組をつくれないか? 林業を扱うよりオモシロくなるかもよ(⌒ー⌒)。

2016/08/11

林業家はヤンキーの虎になれるか

「ヤンキーの虎」を知っているだろうか。同名の本も出ている(藤野英人著)。

 
大雑把に言えば、地方経済の覇者だ。地域に根の張った企業集団で、これが現代の日本を支えている……とさえ言われている。
もっともその前に「マイルドヤンキー」がいる。地方に住んで、東京とか都会に出たいという上昇指向はなく、生れた地元で働き、家族・友人の人脈を大切にして(というか、自分の周辺の世界にしか興味がない)、週末はショッピングモールに行くのが楽しみ……という人種。ヤンキーと言ってもグレているのではなく、その性向が似ているというわけだ。
 
そして、そんな地元指向のヤンキーの勤め先を経営して束ねている経済人が「ヤンキーの虎」らしい。
 
実際に経営しているのは、コンビニや居酒屋、ファーストフードなど外食チェーン、土建業、パチンコ店、ガソリンスタンド、保険代理店、携帯電話販売店、不動産業、新車、中古車を問わないディーラー、観光、そして介護施設まで。
決して新しい業態ではないけれど、各地方に欠かせない業界を複数経営しているのだ。つまりコングロマリット。一見業種はバラバラではあるが、実は人脈・金脈、そしてユーザーなどは重なっていたりする。
トップは起業も次々と行う。リスクを取って、トップダウン経営を行う。
 
……何が言いたいのかというと、こうした地方経済の雄である「ヤンキーの虎」の経営戦略に、林業は加わらないかと考えたからだ。あるいは林業家がヤンキーの虎っぽい経営戦略を取る。
 
 
林業を産業として、あるいは一個の企業体として成り立たせるのは至難の業だ。投資(植林)から資金回収(収穫・伐採)まで50年くらいのサイクルで考えないといけない。これは今の経済界の概念から外れている。50年先の世界経済から市民の消費動向なんて予測できるわけがない。
しかし、逆に50年くらいのスパンで見ると、必ず儲かる時期があるのではないか。突然、木材価格が高騰したり、森林開発の必要性が生れたりするからだ。
 
地方経済を牛耳るヤンキーの虎の経営業界は、たいてい短期決戦型の業態だが、そこに長期サイクルの林業をポートフォリオ(複数の組み合わせ)として入れ込めないか……。すると、安定するはずだ。
 
この長期経営は世代を超えるから、通常の日銭を稼ぐヤンキーの虎が興味を持つかと問われれば首を傾げてしまうのだが……ならば林業家がヤンキーになるしかない!
 
すでに、ある程度の規模の林業家は不動産業を手がけるのは当たり前だし、某山林王はケンタッキーフライドチキンの代理店であることが知られている。介護施設とか土建業、携帯電話店を手がけるケースもよく聞く。なかにはアパレル系もある。昔は、林業家が百貨店や銀行までつくったものだ……。
 
そんな別業務で稼いだ短期利益を、山に投入してもらおうじゃないかv(^0^)。
一方で、短期の景気循環の荒波を支え、イメージ戦略を担うのが森林保有だ。
 
 
いかに林業を成り立たせるか、という議論があるが、林業を単体で考えると行き詰まる。副業とか複業を行う場合も、製材だ建築だといった垂直業態に広げるのはオススメできない。ポートフォリオによるリスクヘッジにならないからだ。
まったく別の業界に網を張る経営が、もっとも林業には向いていると思う。そして、関係ないように見える各業種をいかに森林とつなげて増幅効果を出せるかがポイントだ。
 
 
もちろん、根本は当の本人のビジネスセンスの問題に帰結するのだけどね。そして、短期に利益の出るビジネスが軌道に乗ると、多くの経営者は長期部門を切り捨てたがるのだけどね。
 
 
こんな経営論を考える、真夏の夜。夢に終わるか嵐(テンペスト)に見舞われるかハムレット……。

2016/08/10

怪しい森の怪しいツリーハウス

暑い。暑い。だから家から出ない。外を歩かない。家の中でパソコン相手に仕事に邁進。体力を消耗させずに、じっと。じっと。

 
……そんな生活を幾日か続けていると、おかしくなる。
窓の外は明るいのに、自分はパソコンに向かっている姿に気がつくと、人生の無駄遣いをしている気になる。私の人生を返せ! と叫びたくなる。
 
というわけで、本日は久々に森に入りましたo(^^o) (o^^o) (o^^)o
 
 
ゆったりと遊歩道を歩く。まったく人気がないのは有り難い。ただ歩き慣れた道がいつもと違うように見える。なんだか怪しい雰囲気。草が繁ったからか。全体に茂みが濃くなり、緑というより暗がりに感じる。
 
そんなとき、妙な脇道を見つけた。あれ、こんなところあったかな。
しょっちゅう歩いているのに、知らなかったとは。これまでなぜ気づかなかったのだろう。今日は草刈りをした後があるので気づいたのかもしれない。
 
つい、そちらに足を向けてしまった。狭いが通るには問題ない。意外と奥行きがありそうだ。どこに抜ける道だろうか。
 
そう考えていると、ふと左の方に気配を感じた。立ち止まって茂みを見る。なにか、奥に人工物があるような……。粗大ゴミである確率が高いが、こんな道のない山の中まで持ち込むだろうか。
 
通りすぎようとしたが、気になってもどって茂みに分け入ることにした。
 
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こんな感じ。10メートルほど茂みの奥に入っただろうか。
 
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やっぱりゴミだ。なんだろうか。ソファのようだが、クッションがボロボロに破られている。野生動物の仕業だろうか。なにか禍々しい気持ちになった。
 
……ふと何かを感じて上に視線を向けると。。。
 
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わっ! なんとツリーハウスがあった。
誰がつくったんだ。ここに部品(板や合板)を持ち込むだけでも大騒動だろう。近くに車を寄せられないし、道だって人が通るのがせいいっぱい。足場を築くだけでも大変なはず。この土地を所有しているのかどうかも怪しい。
 
しかし、なんというか……粗末だ。作り方も粗雑だし、肝心のツリーが貧弱だ。しかも直接木にクギを打つなんて素人だ。支柱も機能していず、底が抜けそうである。登り口は取り外したのだろうか。これでは中に登ってもおちおちしていられないのではないか。ゲゲゲの鬼太郎ハウスにもならない。
 
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こんな森の奥に、こんな粗末なツリーハウスを建てるなんて怪しすぎる。生駒山はやっぱり怪しい。
しかし。つくっている時は楽しかったんだろうなあ……(笑)。

2016/08/09

奈良に“フォレスター会”誕生

先週末、奈良県森林総合監理士会が設立された。

奈良県をエリアとする森林総合監理士(いわゆる日本型フォレスター)の有志が相互に連携して活動を深めようという趣旨の任意団体を設立したのである。つまりフォレスター資格者の集まりである。
有資格者自らが自主的に結成したものとしては、おそらく全国初だ(、という声あり)。
 
 
私のところに来た案内には、
田中様は、この日本型フォレスターとも言われる森林総合監理士の資格について、かなり、否定的なご意見をお持ちであることは十分承知させていただいております
とあった。ならば乗り込まないわけにはいくまい( ̄^ ̄)。
 
一応、説明しておくと、別に全否定したわけではない。この資格がつくられる前にはいろいろ私も考えたり話を聞いて疑問を持ったりして、それを口にしたが、スタート時点に発表した記事の結びには「……期待と不安を持って見守りたい」と記したのである。
 
が、その後、ほとんど触れることはなくなった。なぜなら、動きが伝わって来ないから。何か、森林総合監理士が新たな活動をしたとか、プロジェクトをなし遂げたとか、逆に失敗したような情報があれば、いろいろ考えられる。しかし、何の情報もないのでは、私としても興味を失わざるを得ない。
ただ資格取得は当初公務員に限られていたが、近年民間でも取れるようになったとは聞くが、具体的に誰が取った、それで民間は何を始めたとは伝わってこない。
 
だいたいスタート時点では「日本型フォレスター」と呼んでいたのが、政権交代後には「森林総合監理士」となり、背景事情の根幹であったはずの森林・林業再生プランもなにやら消えてしまい……。これでは力も抜けようもんだ。
 
 
現状は、今のところ全国に717人の資格者がいて、毎年250~300人の合格者が出ているそうだ。つまり来年当たりに1000人の大台に乗る可能性が高い。
だから各地で協議会やネットワークづくりは行われている。北海道や秋田、岩手、山形、四国、九州などにあるという。ただこれらは、行政組織の一角に加わったようなもので、森林総合監理士の資格集団とはいいにくい。実際それらの組織の動きは目立たない。
 
 
さて、奈良県の会は、会員7人。県職員6人に森林管理署員1人だ。有資格者のうち、実質的に奈良で活動するだろう人は、ほぼ網羅しているらしい。
 
この人数だが、設立総会は、式次第に乗っ取って来賓挨拶に始まり、議長選出、規約決議、会員の所信表明となかなか仰々しい(~_~;)。最初は飲み屋で開こうか、との声もあったそうだが、あえて仰々しく進行することで 本気度を示したということである。
 
ちなみに今回の会の設立目的は、議案書にあったような仰々しいものはともかく、「林業を志す後輩に、森林総合管理士ってかっこいいなと思ってもらえるようにするのが最終目的」だそうである。 
 
3 
 
 
さて。現在の林政にフォレスター的役割の必要性は以前から言われ続け、ようやくできた資格である。それなのにスタートしたときから機能しているのかいないのか……。700人を超えているのにどこで何をやっているやら。
そんな状況に忸怩たる思いを持つ者は少なくないようだ。
 
現に昨年10月に、岐阜県高山市で開かれた「フォレスターギャザリング」には、50人を越す人が全国から参加した。こちらは森林総合監理士ばかりではないが、フォレスター的役割をこなしたいと思いつつ、思うに任せない状況の人々の意見交換会だった(と思う)。
 
折しも林野庁は森林法を改正して、森林の所有者や面積などの情報を一元化した「林地台帳」の整備に向けて動き出している。これには各分野網羅的な知識が必要となる。しかし肝心の市町村にそれをこなせる人材は少ないだろう。そう考えると、フォレスター的な人物の出番なのである。
 
とはいえ、資格は役職ではなく、なんら活動を担保するものではない。日常的には別の業務がある。当の本人たちが主体的に動かないと資格は有名無実化してしまうだろう。 
 
 
なお奈良県は、昨年よりスイス林業に範をとった林業研修を進めており、かの地のフォレスター学校との提携も議題に上がっている。今月末からスイスに視察に行くという。スイス型のフォレスターの在り方を学び、取り入れようというわけだ。その点からは、グッドタイミングかもしれない。
 
所信表明にあったような個々人の森に対する熱い思いを大いに発揮して、いっそ全国画一的な森林総合監理士ではなく、「奈良型フォレスター」と呼ばれるほどの独自性を出してほしい(^o^)。そうしたら奈良にフォレスター学校が設立できるかもしれないよ。
 
私は、「期待と不安を持って見守りたい」v(^0^)。
 
 

2016/08/08

Yahoo!ニュース「地球温暖化が緑を増やす?」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「地球温暖化が緑を増やす?環境問題は一筋縄にはいかない 」を執筆しました。

 
実は、そんなに新しいネタではないのだが……凶暴さを増す雑草の繁茂を見ていたら、書きたくなった(^o^)。ツバルの面積増加に関しては6年も前に書いたことですわ。
 
 
しかし、暑い。しかもテレビを付けたら、オリンピックと高校野球と玉音放送ばかり。
思わずEテレを見る。女子高校生がわんさか出る番組が多くて楽しめる。近頃、いちばん見応えのあるチャンネルだ。各県別女子高生の特徴とか(本日は沖縄)、ラップ踊って歴史を学ぶとか、プロの研究者を相手に科学実験とか。
 
テレビ番組も一筋縄にはいかない。(なんのこっちゃ……。)
 

2016/08/07

コウウヨウザン

先日、川上村を訪れた際に、旧川上村小学校校庭に植えられているコウヨウザンを見学した。

 
011 (下の茂みは別の樹種の樹冠)
 
コウヨウザン。紅葉山、ではなく広葉杉と書く。日本的には中国杉と記す場合もあるようだ。まっすぐ伸びて、スギよりは幅広の葉がつくからだろう。原産は中国で、ヒノキ科コウヨウザン属の常緑針葉樹である。
 
日本に渡来したのは江戸時代後期とされ、私も三河で古いコウヨウザンの植林を見たことがあるが(江戸時代の木か二世かはわからない)、それが川上村に1本だけあるのは、土倉庄三郎の次男・龍次郎が台湾に渡って事業展開する中で、村に持ち帰って植えたらしい。
それが庄三郎還暦の頃としたら、120年ぐらいは経っていることになる。つまり、このコウヨウザンの樹齢もそのくらいだろう。
 
 
007
まっすぐ育ち、しかも生長が早いという。
そこで近年は、皆伐地の更新に植える樹種の一つとして注目されているらしい。早生樹種というわけだ。
 
もっとも針葉樹で早生ということは材質が柔らかいことを意味する。あまり構造材にはならないだろう。中国では内装材や家具材に使っているという。
 
まあバラエティのある森づくりの一貫で考える一つの樹種として有り得るかもしれないが、外来種だしねえ。。。
 
むしろ樹形がすっきりしているし、常緑の葉が美しい(触ると痛いけどね~_~;)から庭木にいいかもしれない。こんなに大きく育つ木が似合う面積の庭があるのなら、だが。
 
006

2016/08/06

方広寺大仏殿と善光寺如来

NHKの大河「真田丸」では、いよいよ秀吉が亡くなる回のようだが……。
その前に描かれていたのが名護屋城と伏見城建設と伏見大地震。
 
 
それで思いだしたのが、秀吉が築こうとした方広寺の大仏殿だ。
 
最初は信長を弔う天正寺として造営を始めたものの、その後場所を変えて、国家鎮護、王城鎮護のための「方広寺」として造営を進めた。(その後大政所が亡くなったので、豊臣家の菩提寺の役割も担う。方広は豊公の意味という説もある。) 実は伏見城築城と同時進行で、この大寺院建立計画が進んでいたのだ。
 
問題は、ここに奈良の東大寺より大きな大仏と大仏殿をつくろうとしたこと。ほかにも多くの建設計画があり、膨大な木材を必要とした。
 
そのための木材を全国から集めなければならない。それこそ畿内の紀伊半島、九州、四国、中国、信州、そして東北まで号令をかけて木材を集めさせた。各地の大名が競って?木材を運び出したのだ。
 
それが、その後の木材流通ルートの確立に大きな役割を果たす。とくに東北の秋田からは米代川を下り、日本海を南下して、瀬戸内、大阪湾、京都……という後の北前船の大輸送網の先鞭を付けた。
もちろん、各国の大名もそれを機に森林開発を進めることにもなる。林業は、木材搬出と輸送が要なのだから。
 
と考えれば、方広寺こそが日本の林業と木材流通の基礎を築いたとも言えるかもしれない。
 
 
ところが大仏開眼供養を予定されていた1カ月前に伏見大地震に襲われる。伏見城は倒壊し、方広寺も大仏殿はかろうじて残ったものの、建設中の大仏は崩壊してしまった。
そこで秀吉は、意外なことを言い出す。
「夢に善光寺の如来が一週間続けで現れた。善光寺如来が京の阿弥陀ヶ峰の麓に鎮座したいと告げた」。
 
そこで善光寺如来を方広寺の本尊にすることになったのだ。
しかし、大仏殿の巨大な空間に一尺五寸の善光寺如来を安置するのだよ。奇想天外な目論見ですなあ。
結局、秀吉が病に倒れ、その死の直前に善光寺如来は信州に帰されたとか。秀吉の病は「善光寺如来の祟り」と思われたからかもしれない。
 
ただ信州の善光寺というけれど、これまでも武田信玄と上杉謙信が奪い合い、また信長も動かそうとしている。だから当時の本尊は甲府にあったわけで、権力者が動かすこと自体は珍しくないのかもしれない。ちなみに後に家康も動かしている。
 
 
ともあれ、日本の林業と全国規模の木材流通ルートを生み出したのが方広寺大仏殿がきっかけだったというのは、オモシロイ。
 
ところで東大寺の大仏・大仏殿だが、この当時は、松永弾正が焼いてしまったために、大仏殿はなくて大仏も頭が落ちていた。応急に木製の仮の頭を乗せていたそうである。
そこに秀吉の大仏が計画どおりに完成していたら評判を呼んだだろう。そして今も存在したら、東大寺の大仏は、少し影が薄くなったかもしれない。奈良県民としては、そうならずによかったよかった(笑)。
 
もっとも、こうした木材の全国流通ルートが日本の山をはげ山にしていくという副作用も引き起こすのだが。 

2016/08/05

図書館の「森の本」コーナーにて

このところ、少し県立図書館通いを。

 
ほしい資料があるのだが、50年くらい前の書籍で、古本屋サイトで見ると、多くが万を越える金額がついている。これはたまらん。
そこで図書館で探して内容を確認。ああ、やっぱりいるな、しかし、そんな金額を本にポンと払うのは大変だな……改めて古本屋サイトを漁ると、除籍本で4000円ちょっとのものがあった。とはいえ税金や送料を入れたら5000円を越える。除籍されたということは、図書館などからの流出だろうか。しかし、ボロボロだろうな。。。と、思いはグルグル(~_~;)。
 
 
それはともかく。
 
図書館では、夏に合わせて、「山の本」「森の本」「川の本」コーナーを設けていた。
つい「森の本」コーナーをチェック。
 
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ふむふむ。。。。ありました。
 
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拙著『だれが日本の「森」を殺すのか』が。隣は、『日本林業はよみがえる』ですか。
 
もう一点。『日本人が知っておきたい森林の新常識』。
こちらの隣は……『奪われる日本の森』だと。おい! こんな奴の横に置くな。穢れる(-_-)。
だいたい森の本じゃないだろ。
 
3
 
ともあれ、ちょっと古い本ですな。私の本は新書が多いのだが、こうした際には引っかかりにくいという欠点がある。
 
次の本を出る際にはガンバロー。
 
 
 

2016/08/04

『都市問題』にお墓特集

都市問題』という雑誌をご存じだろうか。

(公財)後藤・安田記念東京都市研究所という難しい名前のところが発行している月刊誌だ。かなり骨太な、それこそ「都市問題」となるテーマを扱っている。
そして8月号は、「無縁化するはかのゆくえ」の特集。ここに私も樹木葬に関して1本記事を書いている。
 
1   2_2
 
(記事の続きは、購入して読んでください。。。。あ、この雑誌はどこで売っているんだろう。)
 
 
私も、まだ全部読んだわけではないが、葬儀葬祭業界の論客が並んでいる中で、いかにも私は浮いている(~_~;)。だた墓を巡る迷走が広がっている現状と、墓地行政が行き詰まっていることを感じさせる情報がいっぱい。
ちなみにほかの記事に樹木葬に触れた部分があり、それらの意見と私の記事が微妙にズレているのも面白い。
 
 
そして多分世間は、森林とか生態系に関する知識やとらえ方が私などとは違うのだろうな、と感じる。逆に言えば、私の墓石への感覚が、彼らとまったくズレているのか(笑)。
 
そもそも私は、墓石に手を合わせたいと思ったことがない。正直言って、脳内で拒絶反応さえ起こる。樹木や自然物なら素直に合わせられるのになあ。
 
 
ともあれ、もうすぐお盆である。少しは身近な死、そして自分の死後のことを考えてみる機会になるかもしれない。それも、死の直後、数年後、さらに数十年後と分けて想像しているとよい。
 
Jumokusou_2  
 
 

2016/08/03

FSCで「グローバル化」を!

昨日は、大阪で開かれたFSC(森林管理協議会の森林認証制度)の公聴会に顔を出した。

FSCの森林管理規格が改定されるのに合わせて国内基準づくりを行っていくなかで、一般からの声を聞く催しである。私は、勉強のつもりなので、大人しく(^o^)。
 
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まず厚さ9㎜ある草案資料を渡され、改定部分の説明を受け、その後の質疑・討議……という流れだが、正直頭が痛くなった。膨大な量だけに惚けた頭で消化するのは大変だ。
 
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FSCは国際組織であり、その森林認証制度も国際的な広がりがある。そこで国際的な共通の10の原則と70の基準をつくり、各国の森林事情はそれぞれ違うため、それらに合わせた国内森林管理規格を策定する……という複雑な段取りになっている。
 
ここで改定部分を紹介することはしないが、たとえば、「労働者の権利」部分が強化されたことを感じる。「男女平等の推進」のほか、安全装備、ボランティアや研修生に対する安全や衛生……などが具体的に定められようとしている。
 
さらに自然林や人工林の定義の見直しなど、細部に渡る。
 
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終わってからの脳疲労が激しく、ちょっとクールダウンするつもりで会場で出会った二人と飲みに行ったら、そこで話を延々してしまい喉が枯れたよ……(~_~;)。
 
 
改めて思うのは、FSCを通して見える世界的な林業界の動きだ。目まぐるしく動いていることが伝わってくる。人々の森林に対する捉え方も、施業に関した事情も。そして違法木材はもちろん、森林環境の保全に精力を注ぎ込んでいる様子がうかがえる。
興味深いのは、日本でほとんど話題に上がらないテーマが多いこと。
 
日本の林業界で
・女性の権利、セクハラ、マタハラ、育休などをしっかり制度に定める必要性。
・木材や林産物はもちろん、作業現場の放射線量についていかに設定するか。
・先住民(日本では、ほぼアイヌ民俗を指す)の権利をいかに定めるか。
・「より自然に近い状態」とは何か、生態的に適合する施業とは何か。
・情報公開に取り組む必要性
 
……を真剣に考えている林業家はどれほどいるだろう。 
 
 
……そして、いかに日本の林業界がタコツボに入り、ガラパゴス化しているか、ということが頭に浮かんだ。
日本の林業は、地域どころか谷一つ変わると違うというが、問題は隣の谷の林業をマジメに知って検討するという発想が弱いことだ。さらに全国各地の林業のさまざまな流儀・伝統、そして新たな試みを学んで取り入れよう……という心構えが非常に貧弱。
 
ましてや、海外の林業についての関心は弱い。林業機械や道具には眼を向けても、労働条件や法的な権利や社会意識を学ぼうとする人はどれほどいるか。地球規模の森林環境、林業事情に眼を向ける人はどれほどいるか。
 
むしろ、自分の地域の伝統に縛られ、「自ら生み出した」と称する子細な技術や施業法を“自慢”し、ほかの方法・技術に興味を持たない。敵意を示すケースだってある。もはや思考が化石化してしまっている。
だから、ほんのちょっと「大胆な提案」がされた途端、延髄反射的に拒絶反応を示す……といったことが起きているように思う。すぐに飛びつくのは補助金だけか?
 
ああ、そんな彼らは滅びていくんだなあ、と私は感じている(^o^)。
 
 
あえて、いう。もっと貪欲にさまざまな情報を仕入れて、それを吟味して、さらに自分たちの世界に落とし込む作業をしないと日本の林業界に将来はない。
 
それは林業のグローバル化を進めることかな、と思いついた。
グローバル化という言葉は、最近では批判的に使われることが多いが、少なくても日本の林業界は、もっと世界の動きに目を配る必要がある。木材が国際商品である限り、世界の動きから外れて林業は成立しないし、森林は守れない。
FSCの世界共通原則や基準は、なかなか日本にとって厳しいものもあるが、切磋琢磨して適合させる、別の形でも認めさせるべきなのかもしれない。
 
 
FSCは、林業をグローバル化させる日本で数少ないツールの一つ。そんな印象を持った。
 
……もっとも、この記事を読んで反感を持った人には通じないだろうなあ。そして多少とも興味を示す人は、すでに意識を外に開いている人で、情報を熱心に仕入れているから説明の必要はないのかもね。
 

2016/08/02

川の流れるままに

相変わらず、暇があったら「ブラ生駒」を続けているのだが……いつも森の中を歩いているわけではない。むしろ地形とか植生、あるいは店、ヘンな人のヘンな痕跡などを探している。

 
今回、ふと気づいたのは、こんなところ。生駒市北部の天野川だ。
 
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この2枚の写真、ほぼ同じ地点から川の上流・下流を眺めて撮影したわけだが、どちらが上流で、どくらが下流かわかるだろうか。
 
 
何気なく見ると、前者の山が開けて平野方向が下流で、後者の山が立ちふさがっている方向が上流と感じるだろう。
 
が、正解は、反対。前者が上流、後者が下流。川の流れは平野部から山側へと流れている。
よく流れを見てほしい。川の泡立ちや波が水の流れる方向を示しているはずだ。
 
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もっともわかりやすいもの。川筋に段差がある。
 
川の流れは、山にぶつかるように流れて、その後は谷の隙間を縫うように大阪側へと落ちていく。そこは磐船街道と呼ばれて、結構な渓谷になっているのだが……その上流部が生駒の田園地帯なのである。
 
ちなみに、現在はトンネルが掘られて流れをよくしているが……。
 
 
目の錯覚と言えばその通りなのだが、地形的に人間の盲点をついている。

2016/08/01

燃やされるリグニンと研究

ネットで流れていた大王製紙の愛媛県の三島工場で進行するバイオマス発電計画。ふと目に留めると、で、燃やすのは木材ではなく、パルプ製造工程で発生する廃液(黒液)だという。
黒液とは、木材からパルプを取り出す際に排出される廃液のこと。主成分はリグニンだ。これまでも、製紙会社はたいてい黒液を燃料として自社工場の電力を熱を賄ってきたはずだが、それをFITで電力供給するわけだ。その方が儲かるということなのだろう。新設備の発電能力は、6万1000kWにも上る。
 
 
しかし、リグニンはいまだに燃料としてしか使われないことが残念である。
 
木材の主成分は、セルロースとヘミセルロース(いずれも多糖類)、そしてリグニン(芳香属化合物)だ。このうちセルロースとヘミセルロースは紙になるのはもちろん、近年はナノセルロースファイバーとして注目を集めている。
 
しかしリグニンは、木材全体の25%~40%に達するのに、あまりパッとしない。それをもっと有効利用できないかと昔から研究されているのだが、イマイチ実用化が進まない。
 
本ブログでも幾度か紹介した記憶があるが、三重大学ではリグニンを分離して「りぐぱる」と呼ぶ製品がつくられた。パルプ、つまり紙を再び木質物にもどすという画期的なものなのだが、残念ながら実験室レベルでは成功しても実用化にいたっていないようだ。
 
やはりコストに見合うリグニンの効率的な抽出ができないことが大きいようだ。
 
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さて森林総研では、戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)としてリグニン研究を行っていると聞く。そこではスギに最適なリグニン抽出法を開発したという。理論値の80%以上の改質リグニンを生産できるようになり、パイロットプラントが建設されている。
 
さらにリグニンと粘土によるハイブリッド材料の開発も進んでいるという。またリグニンを分解した化学原料も生み出されていて、生物由来ポリエステルやポリエチレンとして市販されているそうだ。
一方でリグニンを抽出する過程で取り出されるセルロースやヘミセルロースの分解物から高付加価値製品の開発も行っている。
 
これらが実用化すれば、木材成分をすべて利用し尽くすことが可能になる。そして分解した各成分は軽量コンパクトになるから山村の産業として期待されているのだが……。
 
実は、同じことを「りぐぱる」の際にも聞いた。夢があるわりには、いつ実現するんでしょうね……と感じてしまうのだ。
 
早く実用化しないと、リグニンは燃やされる一方だよ。。。

2016/07/31

団扇……の骨の危機

そろそろ夜も耐えがたい暑さの残る季節である。

 
仕事中はエアコンも仕方なし、と入れているが、そうでない時間はひたすら扇風機で頑張る。
 
そして……身近には団扇。もっとも、暑い部屋の空気をかき乱しても涼しくならないよ。。。そこで取り出しましたる和の団扇。
 
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夜、ベランダでひんやりした風を、この団扇で起こすとホッとする。
 
写真は、熊本県山鹿市の栗川製団扇。「来民(くたみ)の渋うちわ」というのだそうだ。竹の骨に和紙に柿渋を塗った伝統産業だ。しかし、今やつくっているのは栗川商店一軒になってしまったという。
 
熊本県がかつては団扇の一大産地とは知らなかった。(京都、丸亀と並ぶ日本三大団扇産地……だったとか。現在は9割が丸亀製。ただしプラスチックが主流。)
 
扇ぐと、紙独特のパタパタという音が涼し気。プラスチック製ウチワに太刀打ちできないだろう。
 
ところで、この団扇の骨だが、3年ものマダケを材料にして、節から割って扇状に広げている。栗川商店では冬の間に作ってしまうというが。。。。
 
 
実は、団扇の骨が危機なのだ。日本製団扇と言えば和紙に価値がある、と思いがちだが、本当の価値は竹製の骨にある。竹材を割って数十本の骨として広げる技を持つ職人は、ほとんどいなくなった。
 
現在は、多くが中国製に取って代わっている。もともと団扇は、中国で生まれたようで、日本には古墳時代に伝わっている。
とはいえ、中国だって、いつまでも団扇の骨職人がいるとは限らない。中国に頼れなくなったとき、どうなるのだろうか……。
 
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2016/07/30

ウルトラ重機の世界

今夜は「ブラタモリ」を見るつもりが……つい裏番組(BSプレミアム)で「ウルトラ重機2」をやっていると気づいて、そちらにスイッチ。プラタモリは録画に頼ることにした。

 
ウルトラ重機。ようするに工事用車両〔重機〕の中でも、巨大でパワー全開の重機を紹介する番組。かなりマニアック二見えてファンが多いらしい。
私が見る気になったのは、林業用機械が登場するとわかったから。
 
初っぱなからカナダの林業地帯の重機だった。
 
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現場はこんな風。
 
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まず紹介されたのはフェラバンチャ。巨大伐採機械だが、なんと1時間で120本伐るという。何本もまとめてつかんでバッサリ、という伐り方なので、日本のハーベスタなんかと桁が違う。
その後は、スキッダにプロセッサ、そして長さが137メートルもある木材運搬クレーンなんかも登場した。
 
 
日本にも重機マニアがいて、現場でも重機に乗りたいから林業やってる、という若手も少なくない。森にも植物にも興味がなくて、あくまで重機を操りたいというのが動機なのだ。
 
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でも、上記の写真を見た通り、これらの木は、みんなパルプ用材なんだよね。。。。
これでも持続可能な林業だというのだが。
 
正直言って、私は重機があんまり好きではない。だから最近の林業現場に足を運ぶ意欲がわかない。今やどこの現場も高性能林業機械という名の重機が跋扈しているからだと思う。
今回も、カナダの林業地の様子が見られるかな、という気持ちが強かった。実際、その点では満足した。別に重機は……見ていると、わりと楽しいのである(~_~;)。
 
重機を見て、楽しんでいる私がいる。
 
それで気がついた。私が林業現場の重機が好きでないのは、機械が嫌いなのではなくて、あのエンジン音に引っかかるのだ。けたたましい人工的な大音響が森に響きわたるのが好きではない。森に似合わないと感じるのだろう。自分の声さえ聞こえない。実際、頭が痛くなる。
 
今後、静穏性の高い重機はつくられないだろうか。鳥の声を聞きながら重機を操縦して木を伐り木を運ぶ……それは夢か?
 
これは好き嫌いとか、林業経営の問題とは別なのだが、本当に重機は日本の林業に似合うだろうか。莫大な燃料を食って、メンテナンスにも莫大なコストがかかる。傷を付けて木材価格を下げてしまうケースもあるだろう。作業道が崩れたら、また補修費がかかる。もっと広い目で林業の全体像を見て、巨大重機が向いているのか考えてみてもよいと思う。
 
 
ちなみに、この番組を見ていて嬉しかったのは、後半に起重機船が登場したこと。
 
巨大クレーン船だ。これ、私は乗ったことがあるんだよね(⌒ー⌒)。ちょっと自慢。船と言っても自力走行できないのだが、3000トンの荷物を吊り下げて、ミリ単位で運ぶのだよ。番組では洋上風力発電機の組立をしていたが、神業です。私は、そんな現場に立ち会ったことがあるんだぜい。船長室も入れてもらったんだぜい。
 
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思えば、長崎の雲仙では、リモコン操縦の無人ブルドーザーや無人ダンプの取材をしたこともある。なかなか重機に造詣が深いじゃないか。
 
次は、重機ジャーナリストだな( ̄^ ̄)。。。。(ないない)

2016/07/29

葉の上の謎の実

タナカ山林で、妙なものを見つけた。

 
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カシ?の萌芽の葉に何か付いている。最初は虫の卵? かと思ったが、そうではないようだ。
実のようで、葉に完全にくっついている。
 
癭(ちゅうえい)、虫こぶ、ゴール……などという、虫が卵を産みつけたり、菌類を植え付けたりしたことによって細胞が変異したものだろうか。 
ちょっと拡大。
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いや、面白いねえ。ここからどんな虫が出てくるやら。
 

2016/07/28

物販こそ地域づくり

地域づくり、地域づくりの声が高いが、果たして具体的に何をすべきか。

 
まあ、人によりけり、地域によりけり、なのだが、肝心なのは、経済的に潤うことだ。人をどんなに集めても、地名が誰でも知っているほど有名になっても、観光客が殺到しても、地域にお金が落ちなきゃダメ。まず村民が自信を持つこと? それは入り口であって、その結果、儲からなければダメ。儲からずに誇りばかり高まった地域は救いがない(~_~;)。
 
以前、私の呼ばれたシンポジウムでこのような趣旨のことを述べた。
「人がたくさん来たから成功、と言っているイベントが、後で決算していたら赤字でした、ではダメなんです。ギブアンドテイク。来訪者を喜ばせたら金を取れ」。
 
すると後に、某地域の地域づくりをしている人は「ギブアンドギブだ。与えて与えて、それで満足してもらってこそ地域は盛り上がる」と反対意見を言った。
 
あの地域、今も生き残っているかなあ……(#^_^#)。。。
 
 
さて、儲けるためには何をしたらよいだろう。これが、そこそこの街なら、手はある。たしかに人が来たら自然と街で消費してくれたりする。サービスに対価を払ってくれる。
 
が、田舎では難しい。そもそもサービスが何かわかっていないこともあるが(~_~;)、目に見えない商品を売ることに長けていない。それこそギブアンドギブになってしまいがち。またサービスのつもりで一生懸命やっても、それが合わないと嫌われてしまうことだってある。
食物は魅力的なネタがあれば客を集めるのに効果的だが、外す場合も多い。B級グルメなどは、まず失敗する。しかも食材には賞味期限があるので、残ると捨てなければならない。
 
そこで思いつくのは、物販だ。物を売って儲けるのが基本。とにかく売れるものをつくれ。安い物から超高額商品まで、揃えておかないとお金は落ちない。
 
 
……そんなことを感じたのは、今大阪で話題の新感覚娯楽施設「ニフレル」を覗いたから。
 
ここは、水族館と動物園にアートを混ぜたような「……に、ふれる」施設らしい。
やはり一度は覗いてみなければ、と思って訪れたら、満員も満員。行列であった。それでも、変わった魚類などをいかに展示するか、触れる動物など展示の面白さは感じる。水槽を真ん中に置いて360度から眺めるというのはよい手だね。
 
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さて、最後にたどりつくのがミュージアムショップ。ここが大賑わいなのだ。
 
 
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木工品。残念ながらインドネシア製。
 
 
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みんな競うようにお土産物を買う。この購買力こそが、地元に金を落とす原動力だ! と感じたのである(笑)。
ぬいぐるみも木工品も、腐らないからいいよ。
 
土産物とは何か。それは、その地域に来た証である。必要なものかどうかではなく、思い出が甦るもの。
 
思えば、土倉翁の百回忌でも、土産物を用意しておくべきだったな。何も土倉饅頭とか庄三郎煎餅を売れ、というのではない。ただ、土倉翁の故郷に来た証を用意しておくべきだったな……と思ったのである。
 
いかに地域の自慢(資源)と連携した土産物をつくって売るか。田舎こそ考えてみるべきではないかな。

2016/07/27

インドとブータンの植林

インドで1日の植林のギネス記録 を更新したそうだ。

 
7月11日に、インド北部ウッタル・プラデーシュ州で、学生や主婦ら80万人が、24時間以内に4930万本の木の苗を植えたのだそうだ。
 
さすがインド、規模が違う。これ、植林面積が記されていないが、計画では2030年までに9500万ヘクタールの森林を増やすそうだから……。日本がいくつ入るのやら。
 
で、思い出した。
ちょうどBS1で録画していたドキュメンタリーを見たばかり。
 
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これは杉山龍丸という人が、私財を投げ打ってインドに植林した人の記録。
 
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杉山龍丸の祖父が明治の政界の黒幕だった茂丸。父は有名作家・泰道(夢野久作)である。
なんとも数奇な人生と運命に導かれて、終戦からいくらも経っていないインドに通い続けて木を植えたのだ。
 
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一見沙漠地帯なのだが、ヒマラヤの伏流水が地下にあることをつきとめてユーカリを植え続ける。その距離は450キロぐらいになるらしいから、こちらの植えた本数は何本だろうか。大雑把な計算でも数百万本になるだろう。
 
インドでは、独立の父ガンジーと並ぶ、緑の父・龍丸なのである。私もうっすら知っていて、興味を持っていたのだが、改めて認識した。
 
 
そして。同じく録画しておいた「スーパープレゼンテーションTED」では、ブータンの首相がプレゼンしていた。こちらも感動的なのだ。
 
ブータンは、世界唯一の「カーボンニュートラル」の国。正確にはニュートラル(二酸化炭素の排出・吸収がプラマイゼロ)ではなく、吸収の方が3倍以上多い。それを維持し続けることを地球温暖化対策会議で宣言している。
 
そんな話の中でも驚いたのがこれ。
 
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国土の72%が森林。日本の森林率より高いのだが……。
 
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なんと、憲法で森林率を60%以上にすることを明記しているのだ!
 
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そして森林の多くが国立公園であり自然保護区。しかも、この保護区の間に緑の回廊を築いてつなぐ「グリーン・ブータン」計画を推進中なのだ。
 
 
政治家の言葉に胸打たれるのは、なかなかない。

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森と林業と田舎