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森と林業と田舎の本

2022/08/13

和牛再生に学ぶ

ちょっと面白い畜産農家の話を読んだ。

熟豊ファーム

何がすごいって、リンク先のHPを読んでいただければよいのだが、ようは和牛の経産牛を扱う点。通常、繁殖に使われた雌牛は、肉としてはテーブルに乗せられるものではないらしく、10頭ぐらい子供を産むと、ほとんど捨て値で取引される。10万円しないそうだ。それを買い取って、一から育て直す。ちなみに和牛の子牛なら1頭70万円はして、出荷まで20カ月は育てる。

すると、そもそもは和牛の血統なので、半年で出荷できる和牛の肉質になるのだという。ほぼ4等級にはなるらしい。最高品質は5等級だからその一歩手前と思えるが、実は5等級は脂まみれで真っ白い肉(^^;)なので、それを好まない人も多い。とくに欧米では赤身肉の美味さを求める面があるので4等級ぐらいがよいらしい。また肉の旨味も増す。経産牛の方に高値をつける国もあるという。

言われてみれば、私も和牛ならモモや肩ロースのような赤身肉の部分の霜降りを好む。いわゆるロースは脂濃くて食えん。

もちろんビジネス的には、いかに経産牛を肉牛として再生するかというノウハウはあるのだが、これを考えて実行した石飛修平さんは、元警察官がというのも面白い。畜産業界の常識に挑んだわけだ。すでに数箇所の牧場で1000頭近くを肥育しているという。そして海外輸出している。日本国内では、経産牛のイメージがいまだに強くて、価格が上がらないので、海外で高くするわけだ。

小売りの世界ではブランド化、ブランディングの必要性をよく言われるが、狙うべきは今のイメージが低くて安い素材を高く加工することだ。木材業界も参考にしてほしいなあ。高級材を一から生産するのではなく、並材、端材、廃材を加工で高くするのだ。

すでに、いくつか紹介している。廃材による家具とか、端材の木工品、スギ材の広葉樹材化、なんてのも取り上げたことがある。黒芯とか表面に傷が入っていても、製材次第で美しい造作材になるケースもあるのだから。

12_20220813173201高原で放牧される黒牛

 

2022/08/12

森林哲学の基礎編『森の経済学』

『森の経済学』(三俣学・齋藤暖生・著 日本評論社)を読んだ。副題が「森が森らしく、人が人らしくある経済」である。

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森の経済学と聞けば、森林経理学、林業経済学などの既成の学問分野もあるが、それらとは一線を画している。「はじめに」にあるように「『森の経済学』という題名の本書に、森の木々をいかにして売れるようにできるか、ということがほとんど書かれていない」のだ。それを期待して林業家が買うと、痛い目にあう(笑)。

むしろ森林哲学か森林思想かのような内容。そして森林史。似たようなことを書いているのは内山節さんだろうか。私は、同様のテーマをもっと読みやすくするために苦労してきたのだが、こちらは原点回帰? (⌒ー⌒)。

目次を紹介しておこう。目次に登場する用語そのものが哲学用語と言い回しのようだが……。

はじめに

第Ⅰ部 人間の経済と森
第1章 人間にとっての森
 1 連続的な空間としての森
 2 森を見るまなざし
 3 資源としての森
 4 脅威としての森
 5 森の時間――資源の有限性と無限性
第2章 森とともに歩んできた生活世界と経済の発展
 1 生計を支えた森の資源
 2 共同体の経済と森
 3 複雑化する社会と森

第Ⅱ部 森の経済をとらえる学問のまなざし
第3章 自然環境に対する経済学のまなざし
 1 経済学とは
 2 標準的な経済学におけるいくつかの前提
 3 主流派経済学における変化の兆し
第4章 森林をめぐる学問の歩み――森林学のまなざし
 1 林学の誕生と森林学
 2 森林をシンプルにとらえ、体系的に管理する技法
 3 森林を複雑な系としてとらえ、管理する技法

第Ⅲ部 日本の森がたどった近代
第5章 日本の林業・木材加工の技術史
 1 「林業」という言葉をめぐって
 2 樹木を育てる技術
 3 森林伐採と搬出の技術
 4 木材加工の技術
第6章 経済が変える森の姿
 1 姿を変える森
 2 人々の資源利用と森の姿
 3 近代化と森の変容(近代~戦後)
 4 人工林の拡大と利用の空洞化
第7章 農山村における近代――コモンズ解体と「高度利用」の神話
 1 コモンズとしての自然――「自然の公私共利」の原則
 2 日々の生活を支えてきた村の中の「共」――入会の森を利用する
 3 森の近代――入会消滅政策=高度利用の果てに残ったもの
 4 非商品化経済をとらえなおす――高度利用の神話が生んだ放置と無関心
第8章 森林エコロジーの劣化と遠ざかる森
 1 森林の「充実」を説明する理論
 2 過少利用の森林が抱える諸問題
 3 遠くなった森が生み出す世代を超えた問題

第Ⅳ部 ゆたかな森林社会へ
第9章 エコロジカルな経済へのパラダイムシフト
 1 近現代の経済の発展と矛盾
 2 エコロジーをゆたかにする経済は可能か
 3 共的部門の再評価――一九九〇年代の二つのコモンズ論
 4 パラダイムシフトに向けた運動
 5 新たな公・共・私と基盤としての自然アクセス
第10章 パラダイムシフトにおける「公」「私」の役割
 1 社会と自然の結び直し
 2 森をめぐる制度の変容
 3 変容する生産と消費のかたち
第11章 共創するコモンズ――森林をめぐる協治の胎動
 1 伝統的コモンズにおける協働の試み
 2 都市と山村をつなぐ――森林ボランティアの広がり
 3 海・川・森をつなぐ漁民の森運動――「森は海の恋人」
 4 森林の教育利用――学校林という森
 5 非商品化経済の営みが創る新しいコモンズ――環境の本源的な価値を求めて
第12章 エコロジカルな経済を支える自然アクセス――みんなの自然を取り戻す
 1 入浜権運動で問われた「自然はだれのものか?」
 2 英国のコモンズをめぐる歴史
 3 北欧・中央諸国に広がる自然アクセスの世界
 4 多の世界を創る自然アクセス制から学ぶこと
 5 非商品化経済をゆたかにする――森林社会の基盤をなす森の経済学へ

おわりに

やたら項目が多いが、その分、細かく刻んでいるから単元ごとにコツコツ読める。ある意味、森林に人間が浸食していった事情と歴史でもある。その一部には林業も含まれるというわけだ。

木の売るのには役立たないとあるが、逆に言えば、書いているのは森にちょっかい出し続けた人間側の論理である。私は、ここに書かれてある程度のことは林業に関わるなら押さえておくべき、と思った。林業として森に人が関わる際の考え方の基礎だろうから。これらを知った上で、現代を見つめるべきではないか。それがないから目先の利益に走って、山を破壊してから嘆くか、壊した後に興味を失う繰り返しになってしまう。
森にも人にも歴史があるのだから、森と人の関係にも時間感覚が必要だ。まさに森と人のシステムを経済学として描ける。

ちなみに歴史的な流れは概ね納得するのだが、部分的には異論もある。とくに最後に無理やり希望を見つけようとしていないか。
たとえば自伐型林業や森林ボランティアなどをとりあげたのは苦笑してしまった。「小さな林業」とか「保全型の施業」の定義も定まらず、個人の資質に左右される怪しいものを持ち出されたらがっかりする。しょせんは補助金ありきだ。単に時代の現象として取り上げるのならわかるが、希望を達成するための具体策かのように紹介してはマズいだろう。

本気で森の現状を見つめたら、もっと真摯に絶望するべきではないか。

なお大学などでも使えるように、入門書として12回分の講義ができるような章立てにして、章の最後には「読者への問い」まで用意されている。たしかに大学で使ってくれたら売れ行きに貢献し部数が稼げるかもしれない。私も真似しようかな(⌒ー⌒)。

 

 

2022/08/11

発掘された扉

生駒市の隣なんだが、山超えたところにある大東市。そこの歴史資料館に行ってきた。

こじんまりしているが、こんな展示が。

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何かわかるだろうか。木の扉なのである。ちゃんと把手が刻まれている。しかも発掘されたのは井戸跡。どうやら扉としては傷んだのか破棄したものを井戸の壁面(井筒)に使ったらしい。

材質はスギだろう。幅は80センチ級だが、一枚板を削って把手も含めて板にしたものらしい。時代は古墳時代。5~6世紀か。おそらく倉庫などの大きな建物の扉だろう。

井筒だったから腐らずに済んだのかもしれない。こんな遺物は、意外と珍しく日本ではほかにないらしく、当時の建物の建材がわかる唯一の資料だそうである。

2022/08/10

雨の山

昨夜、急に思いついて某村の山に登ることとして、朝出発。

天候は晴れ。猛暑とするでしょう。山裾ではにわか雨に注意……そんな天気予報だった。

実際にすそ野に着いた頃は、青空も残る曇りで、仕事を済ませながら登り始める。が、中腹辺りで、空はにわかにかき曇り……バサバサと大粒の雨が降り出した。ヤバい、と思ったが、にわか雨ですぐに止むだろう、ちゃんと雨具も持ってきているんだぜ、と強気に登る。

しかし難点は、この山、草原なんだわ。まったく雨宿りできる木々もない。ひたすら雨に打たれるしかない。ようやく尾根に着くが、実はここまでは大粒だがまだらな降り方だった。それが、ここで土砂降りに。。。

仕方ないので雨具を着込んだうえに、ザックに入っていた傘まで広げる。しかし、もう尾根を登るのは無理。そもそも山道が川になってきた。ついに引き返す決断。もっとも必要な写真は撮れたので、仕事としては必要最低限のことはできた。

そしてかなり濡れた状態で降りてきたら、雨は止む。まあ、あるある話なのだが……。

その後、ち服も着替えてょっとだけ取材などにも回ったのだが、帰り道はまたもや雨であった。やはり山村は雨なんだ……と思いつつ下界に下りたら、そこでも雨。とうとう前が見えずに車のワイパーを高速で振り続けなくらはならない。ワンセグのテレビをつけると、「奈良県に大雨警報が出ました」だと。

そんな状態で、なんとか帰り着いたのだが……なんでや。生駒は地面が乾いとる。私がびしょ濡れの服を持って帰ったのに、庭木に水をまかねばならないのであった。。。疲れた。

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写真は、出会ったウシさん。奈良の山奥にも牧場があるんだねえ。

 

2022/08/09

Y!ニュース「海を渡るトキは、メスばかり……」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「海を渡るトキは、メスばかり? 放鳥計画に思う」を執筆しました。

書いてアップしてから気づいたんだが、タイトルは「渡る世間は鬼ばかり」に引っかけているんだね (゚o゚;) 。いや、まったくの偶然ですよ。脳裏でゴロのよい言葉を反芻してつけたタイトルなんだが、その時は気づかなかった。本当だってば。

しかも、文中には、オスは佐渡島に里帰りするかも……と書いてから、あ、里と佐渡がひっかかるやん、ならば……と「ホームシックで里帰りならぬ佐渡帰り」と書き直す。もうオヤジの駄洒落ばかりか! と突っ込みつつ止められん(^^;)。

まあ、お盆も近いので、クソ面倒で鬱陶しい脱炭素だとか林業政策だとかの記事は書きたくなかったわけよ。

当初は、テーマとして「メスばかりが渡りをしている」点を面白がっていた。女子の方が強くて新天地を探して出かけていくなんて、若いオスはだらしがねえぞ。なんだか人間界と似ているではないか……と。

その方が一般にウケてアクセス数も伸びるかもしれないが、ちょっとあざとい。書いているうちに真面目なレポートになったのである。社会・学術的には、遺伝子の変異が少ないこと、鳥インフルエンザの心配の方が重要なのである。

 

 

2022/08/08

ブックデザインの妙味

ブックデザインというより、本の装幀と言いたい。本の活字や写真の並びまで含んで装幀という場合もあるが、やはり最重要なのは本のカバー装幀は大切だ。売上を左右するし、何より印象に残るか残らないかに、本の表紙が与える影響大なのである。

奈良県立図書情報館を訪れた。すると世界のブックデザイン展を行っている。各国で開かれた2020年コンテストの優秀作らしい。

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なるほど、凝ったデザイン、装幀の本が並ぶ。表紙が立体的になって中が覗けるものがあったり、もう表紙だけで芸術作品ぽさがあったり。逆に地味すぎて、これのどこが?というものもあるが(^^;)、それぞれのお国柄か。

ちなみに私の本のデザインでは、事実上の処女作(実は別の本があるのだが、そちらは置いといて……)は、友人の装幀家に頼んだ。ところが、版元が「4色(つまりカラー)は使えない」というので、悪戦苦闘させられるのだが……かくして『不思議の国のメラネシア』が出来上がった。

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同じ友人に頼んだのには、『森と近代日本を動かした男・土倉庄三郎の生涯』の複製本『樹喜王 土倉庄三郎』がある。

 

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中身は私が版権持っているわけだから、同じ内容を自分で出版してもよいが、表紙やタイトルは版元とデザイナーがつくったものなので変えることにした。そして再び友人に頼んだわけである。タイトルは『樹喜王 土倉庄三郎』としたわけだが、帯はつけられないので裏表紙カバーに文字を入れる手を使う。しかしでデザイン的にも『森と近代日本を動かした男』より気に入っている。

ちなみに元の本はこんな感じ。

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悪くはない。山林王の雰囲気は出ていると思うのだが、印象に残るかと言えばどうだろうか。

さて、15日後に出版する『フィンランド虚像の森』。この本は私の著作ではなく監訳者扱いのだが、なぜかタイトルやカバーデザインにも口を出している(^^;)。さらに帯文にも……。

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監訳および解説文だけなら、本書の売れ行きの責任はあまり感じないつもりだったのだが、装幀まで口を挟んだとなると……いやあ、気にしないでおこう!

2022/08/07

達磨で、映える寺

ふらりと大安寺に参ってきた。

大安寺と言えば、聖徳太子建立の日本最古級の寺で、飛鳥から幾度も移転と名称変更を繰り返した大寺院である。が、平安遷都の頃から衰退して今は、奈良市の都心から少し離れた田園風景の中にある。ちょうど国立奈良博物館で「大安寺展」をやったことからか人気が出ているが、私は行ったことがなかったので、ちょっと足を延ばしたわけ。と言っても、我が家から車で30分かからないのであるが……。

現在は、すっかり小さくなったということだったが、訪れてみると、なかなか見せる寺であった。何がって、達磨さんが。

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境内のいたるところに小さな達磨さんがいる。それが映えるのだ。インスタ向きのお寺であった。

種を明かせば、この寺のおみくじがだるまさんの中に入っているのだが、引いた後に達磨さん人形を境内に置いていくらしい。みんな、置く場所に工夫している。置くのはおみくじを引いた参拝者なのか、寺側で置き直すのかわからないが、みんな魅せる。

もちろん、お寺としてはインドの聖地と西国八八か所を合わせた巡礼ルートなどもつくって工夫しているし、境内がおしゃれな野外カフェぽい雰囲気だし、寺宝もすごいのだが、やっぱり人気第一はだるまさんだろう。

昨今は寺もSNSで人気が出ないと参拝が増えないのかも。頑張っているわ。こんなちょっとしたことで「映える」のだから、森でも何かできそうな気がする。自然のままを見せるだけでなく、参加型でおしゃれな風景づくりをしてもらえば人気呼ぶかも。

今日はとにかく暑いので、早々に退散してしまったが、気候のよい季節にのんびり滞在してみたくなる。

ちなみに、一つ気になったのがこれ。

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ナンキンハゼなのである。つまり外来種。よく見れば、ドイツのケルン大学の学生会が記念植樹したとあるが、気をつけないと大繁殖してしまう。とにかくナンキンハゼは奈良公園や若草山を席巻して駆除が大変な樹木なのだから。

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後で、インスタにもアップしておこう ♫

2022/08/06

野生動物が都会に進出する理由

先日、大阪に出た際、某ラーメン屋の入り口にネズミがいた。

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まあ、繁華街?にネズミが生息するのは当たり前だし、この店が不潔だったというつもりはない。ただ、まだ明るい時間帯なのにドアをよじ登るかよ、と思っただけだ。

そういや、先日まで山口市小郡で、連続してニホンサルに人が襲われる事件があった。たしか累計60人以上が怪我をしたはずで、それも人が手出ししていないのにいきなり襲ったのか、窓を破って押し入ってきたとか、かなり怖い状況だったようだ。それも1匹の凶暴なサルが……と思いきや、どうも複数が徒党を組んで、いや群で街の中を移動しつつ各地で襲撃を繰り返したという。

少なくても2匹は捕まえて駆除した。だが、その後も被害が出ていたから人を襲うことを覚えたサルはもっといるのだろう。もしかしたら群に伝播した……人を襲う知恵をつけたのか、文化が生まれたのか? さすがに今は被害が出なくなったようなので、群は小郡を去っていったか。暴れるだけ暴れて、さっさと退却するとは、ヒットエンドランを覚えたような。次は、またやるよ。

私にサルの気持ちがわかるわけではないが、人にちょっかい出されてとか、餌になるものがあって、ではなく、人を襲うために室内まで侵入するというのは、野生動物の常識を覆す行動だったのだが、地方ニュース扱いで終わらせるのはもったいないというか、危険と感じる。もっと、重大事として取り上げてほしい。

私の勘としては、今後も続くように思う。時折、町を襲うのだ。これは野生動物の都会進出の一例だと思えるからだ。
動物は、常に行動域を広げる欲求があって、それは条件が整うととめどなくなる。町を自らのホームレンジとして認識しだしたのかもしれない。

野生動物は、今や奥山から里山、里山から田舎、田舎から地方都市へと広げている。そのうち大都市にも向かうだろう。これまではネズミが尖兵となり、タヌキやアナグマ、イタチなども生息域を広げていた。そこにイノシシ、シカ、クマ、アライグマ……なども加わり、目立つうえに被害を出す大型・中型動物も現れだした。その流れの中に、サルも入ってきたのではないか……と。

もちろん、根拠を示すことはできない。ただ野生動物全般の大きな動きとして有り得るのではないか。

まあ人類も一緒で、ロシアはウクライナへと勢力圏を広げる行動を起こした。今ならできる、と思えたのだろう。中国も、常に周辺の領土を狙う。台湾だけではなく、取れるものならどんな小島でも海域でさえも囲い込もうとする。日本だって、アメリカだって、その潜在意志はあるのだろうが、今は理性が抑えているのか。(もしロシアや韓国が国家として破綻し軍事力がなくなったら、日本は北方4島も竹島も取りにいくと思う。私は千島列島全部が日本領土だと思っているけど。)

ネズミとサルから、ここまで連想するのは、もはや予言者だね(^^;)。

2022/08/05

『神々の山嶺』で思い出すあの頃

久々に映画館で見たのが『神々の山嶺』。上映館は少なく、上映期間も限られているようで、私が入ったときもガラガラだったが、いやあ、よかった。アニメなんだが、大人の映画だわ。

内容については、リンク先の『神々の山嶺』公式サイトを参照のこと。

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原作は、夢枕漠だが、製作はフランス。アニメーションである。山登りの映画って、だいたいマニアックで冗長なんだが(笑)、これは魅せる。そしてアニメでしかできないだろう、山のシーンが見事に描かれる。ああ、こんなシーンを実写化するのはCGつかっても難しいだろうな、そもそも登攀できる役者を見つけるのに困るよなあ、と思う。
人物は、東洋人はみんな同じ顔みたいとツッコミたいところもあったが、山岳シーンは実写並に細かくリアルに描いている。今では山というと、森と同義語的に使っているが、本来の山は高みであり、より岩に覆われているものなのだ。

ちょうど先日、BSプレミアムで「幻の剣大滝」の番組を見たが、こちらはドキュメンタリーとしてガッツリ岩登りを魅せてもらった。こちらも、よくぞ撮影したなとは思わせたが、今回のアニメも負けてはいない。

なお原作へのリスペクトは感じるが、ストーリーなどはかなり変えているように感じた。モチーフとしてのマロリーは登場するが、本筋とはちょっと離れている。ミステリーにはなっていない。
でも登場人物はほぼ日本人だし、舞台も日本が多い。よくぞ、フランス人が描いたものだ。都会の隅々の日本語の看板とか、居酒屋シーンとか。時代は1990年代らしいが、過去を幾度も振り返っているから、おそらく話の半分ぐらいは70~80年代。そしてマロリーの時代の話は戦前だから、時間感覚には気をつけて見なくちゃいけない。

Q

たしかに、あの時代は、山にとりつかれた登山家が多かった。最高峰だ、未踏だ、ヴァリエーションルートだ、冬季だ、単独だ、無酸素だ……。自分でハードルをつくって、それを乗り越えることにハマっている人々。私は、ほとんど登山にも氷雪にも岩にも興味はなく、ましてや筋肉勝負のようなアスリートも嫌いだったので、そちらの世界には足を踏み入れなかったが、一つだけ。未踏である場所にはこだわった。

そこで選んだのが洞窟の世界だった。どんな高い山でも、すでに登った人がいるなら興味が湧かない。どんな小さな洞窟でも、誰も潜ったことのない穴なら、先頭をもぐりたくなる。私が発見したり初ケービングした洞窟は、5つ6つあったはず。

もっとも、今はそれも関心から外れてきた。すでに未踏も飽きてきて、より広く未知の世界を探したい。でも体力はできるだけ使いたくない。みんな知らないけど、すぐ近くにあって、苦労なくたどりつけるところ……。
これは学生時代より言っていたのだが「温泉探検家」になりたい。温泉を探検するのではなく、昼間は探検に出かけて、帰って来たら温泉旅館に泊まって温泉につかって美味しいものを食べて、翌朝また探検に出る……そんな探検家になりたいのである。ないけどねヾ(- -;)。

その結果行き着いたのが、森林ジャーナリストだった(゚o゚;) 。。。この肩書は誰も使っていなかったし、森から人間社会を見るという視点の書き手もほぼいない。未知の世界だったのだよ(笑) 。

今? そろそろ森林ジャーナリストも飽きてきたかな。『神々の山嶺』の登場人物のように“未踏”を追い続けない。むしろ過去ばかり繰り言して「昔の俺は凄かった」といって周りに愛想づかしされつつ、でも嫌われない程度の老人が夢。あ、こんなブログを書いたいるのは、すでにその境地か。

 

2022/08/04

熱帯雨林で読んだ松本清張

8月4日は、松本清張の命日だそうだ。それも没後30周年。そういや、最近いくつかのテレビで松本清張もしくはその作品が取り上げられていた。

私は、さほどミステリーは読まないが、松本清張には思い出がある。作品というより読んだ場所に。

それはボルネオの熱帯雨林の中だった。生まれて初めての海外がマレーシア連邦サバ州、つまりボルネオ島なのだが、テーマは野生のオランウータンの観察。当時、野生のオランウータンはほとんど研究はおろか観察例もなかった。とにかく見つけて、その行動を可能な限り追いかけて観察するだけで論文がかける(^^;)と言われたので、学生でも取り組みがいがあったのだ。それ探検部の遠征として行うことにしたわけだ。

実際に現地を訪れるまでのドタバタは省略するが、とにかくサバ州の東部に突き出したデン半島の南海岸に流れる川スンガイ・メラが目的地だった。スンガイは川、メラは赤だから「赤い川」という地名だと思えばよい。当時はデン半島にはまだ原生林が残っていて野生のオランウータンがいると思われたから。

ところが、現地の森林局と交渉の結果、スンガイ・シバハットに向かうことになった。スイガイ・メラの隣の川だ。そして、この川を遡るとティンバーキャンプがあり、そこに泊めてもらいながら周辺のジャングルで調査する計画である。

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まあ、その途中のすったもんだも飛ばすとして、なんとかキャンプにお邪魔して泊めてもらうことに決まったのだが、考えてみればティンバーキャンプ、つまり伐採基地があるのだから、周辺の森はすでに伐られているのである。今考えると、この時点でどこか間違えていたのかもしれないが、現実にはキャンプの周りは深いジャングルなのだから、そんなに気にしなかった。

そして、毎日土砂降り(スコール)の合間を森に出かけては歩くわけだが、泥だらけ汗だらけになって帰って来ては、マンディをする。水をかぶって、与えられた鉄のベッドにゴロ寝する生活。今考えても安楽で楽しかった。ただヒマでもある。

そんなときに見つけたのが、キャンプに置いてあった本。それも日本語の文庫本。そうか、このキャンプにはかつて日本人が滞在していたのか。それも伐採した木の買いつけなんだろう。それをむさぼり読んだ。

その本が松本清張だったのである。書名も忘れたが、短編集だった。そのうちの一つは、ある男が殴り殺されて、犯人はある女が怪しいのだが証拠がない。凶器もない。幾度も女のところに訪ねるが、正月が過ぎて雑煮の餅が出された。それを食べさせてもらう。……そして気づくのだ。硬く乾燥した餅こそが凶器だと。だが、その証拠を私は食べてしまったのだ……。

今、調べたら「凶器」という短編で、「黒い手帳」に所蔵らしい。熱い熱帯で読んだ、雪の降る土地の餅の話。なんとも印象深く覚えている。逮捕されることもなく終わったという点も(当時は)斬新だったように感じた。

その後、長編も含めて清張はいろいろ読んだはずだし、またドラマなども見たが、この短編がもっとも印象深いのである。

 

 

2022/08/03

「ネコは侵略的外来種」論争 

「イエネコを侵略的外来種として登録」。こんなニュースを知っているだろうか。ただし、ポーランド。

ウクライナ戦争でウクライナを全力で支える国として最近注目されているポーランドだが、実はこんな論争が起きていた。

ポーランドの国立科学アカデミーがイエネコ(Felis catus)を1787番目の侵略的外来種に登録。生物の多様性を脅かす存在の動物と認定したというのだ。これは勇気ある発表。同時に日本で報道することも勇気かも。報道したのはスポニチだけどね……。

もっとも、お決まりだが、その後、愛猫家や獣医らが猛反発している。愛猫家の代表的意見は、こんな具合。

「多様性を阻んでいるのは環境破壊や、鳥がぶつかる建物を作っている人間のせい。その人間が侵略的外来種ではないのに、ネコが登録されるのは公平ではありません」と反論。

侵略的外来種だとする根拠は、「イエネコはポーランド国内で毎年1億4000万羽の鳥を捕獲している」とデータベースでの登録に至った正当性を主張。「イエネコが多様性を脅かしているという共通認識は高まっている」

ちなみに私は『獣害列島』で、すでにネコは猛獣!と指摘、主張し外来種認定している。当然、反発を買っている(笑)。私のデータは、主にアメリカやオーストラリアのもので、残念ながら日本には同種の研究例自体がないようだ。いろいろ探したが、たまに見かけたネコ論文は、「なぜネコは可愛いのか」というテーマばかりであった。

可愛いのはいいんだよ。でも、可愛くても猛獣だし、外来種だし、在来種を痛めつけているんだよ。あえて付け加えたら、街中にいるノラネコは、あまり気にしなくてもいいと思う。あいつらは、各家庭を回って餌を確保しているのが大半で、野生動物を獲っていないだろう。ネズミや昆虫などは狙うかもしれないが、野鳥も少ない。逆にカラスなどの餌食になっている。

だが、郊外の森の中に住み着いたノネコもいるのだ。

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これは、生駒山の森林公園に住み着いたネコ。近頃、とみに増えている。こやつらは、たまに餌をやる人間もいるようだが、絶対数が足りないから、おそらく野鳥や野生の小動物を餌にしている。ネコも野性味があるならともかく、ミョーに人慣れしているのが気に食わんが。

ポーランドの科学アカデミーの主張は、「鳥の産卵期にはイエネコを外に出さないようにする」ことを求めている程度だ。

侵略して多様性を奪っていくのは、ロシアと一緒かもね。

 

2022/08/02

バイオマス発電所の燃料アンケート

国際環境保護団体FoE Japanは、再生可能エネルギーのバイオマス発電事業者に対して、バイオマス燃料の持続可能性に関するアンケートを実施した結果を公表した。

これに目を通すと、なかなか味わい深い(^^;)。

ちょうど「再生可能エネルギー」に関する講演を行ったばかりなので、余計に考えさせられる。実はこの講演主催団体は、気候変動対策に再生可能エネルギーを推進していたのだそうだ。が、このところ、メガソーラーにしろ風力にしろ何かと批判が起きてきたので、改めて見直したいという意向だった。そこに私は、バイオマス発電も加えて話をしたわけである。

さてアンケート結果は、ぜひリンク先に飛んでじっくり読んでいただきたいが、私も詳しくチェックし考察する前に感じた点に触れておく。

まずアンケートを実施したのは、FITの認定を受けた発電出力1万kW以上の主な発電設備(187設備)を有する発電事業者154社(2022年5月19日~6月10日)。そして回答があったのは56社(61設備)。それらの会社が利用しているもしくは利用予定の燃料の内訳は、輸入木質ペレットもしくは木質チップが36社、PKS(パーム椰子殻)が30社、国産木質チップが21社、その他が2社となっいる。

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ここで気をつけたいのは、出力1万kw以上であることだ。気づいた人もいるだろうが、これまで日本各地に「林地残材を使って発電します。だから林業に貢献します」と言って建てられたのは、だいたい5000~6000kw級なのだ。そこが入っていない。

実は、5000kw級以上というのは、林地残材を使うという前提だった。すると、この規模にしないと採算に合わない。これ以上だと燃料の残材を集めるのが難しいとされた。
ところが、現実はこのクラスでも燃料となる木材は6万トン、10万立方メートル以上必要なのだが、なかなか集められない。集めやすい林業地の道沿いは1、2年目で底が尽き、その後はより奥地から集めることになる。それでは採算が悪化する。だから産廃をこっそり混ぜている業者も多数いるようなのだが、開き直って1万トン以上にすると、今度は一般木材を燃料にしても採算が合う。FIT価格は安くなるが、燃料を海外調達する前提となるからだ。つまり、記事にもあるPKSや木質ペレットである。そこに石炭混焼も加えている。それがアンケートの対象なのだ。

さて、この前提の上で出た結果だが……回答率が低い(-_-;)。それにまだ稼働していないところも含むから、現状と言えるのかどうか。(事業者の)希望的予定なのかもしれない。

このあとは、皆さんも分析してみてほしい。私も、じっくり考えてみるよ。

ちなみに、このページから飛んだ別のところにあった言葉。

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面白いねえ。

 

 

2022/08/01

万博の木造建築は世界最大か

2025年大阪・関西万博の運営を担う日本国際博覧会協会は、会場となる人工島「夢洲」に建設する1周約2キロのリング状の大屋根を木造でつくる予想図を発表、世界最大級の木造建築になる予定だとか。屋上からは海を見渡せる予定。この大屋根を「会場のシンボル」と位置付けている。

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総工費は約350億円。来春から工事が始めるそうだが、出展されるほとんどのパビリオンは、大屋根の内側に配置される。大屋根をデザインは、建築家の藤本壮介氏。一部が水上にせり出し、建築面積約6万平方メートル、高さ12~20メートルとなっている。

よく世界最大の木造建築というと、奈良の東大寺大仏殿が上げられる。あるいは高さだと京都の東本願寺阿弥陀堂とか。しかし、単純に大きさを言えば、海外にもっと大きなものがたくさんある。記憶では、スペイン南部のセビリアに誕生したメトロポールパラソルという複合ショッピングセンターとか、アメリカオレゴン州のティラムーク航空博物館とか。今回の建築物の大きさは、それらとちゃんと比べてほしい。

ところで以前の大坂万博では、大屋根を鉄骨でつくり、それがシンボルの予定だった。ところが、そこに岡本太郎の「太陽の塔」が屋根をぶち抜いて設置したため、もはやシンボルは「太陽の塔」になってしまったが……。実際、万博後に残されたのは、大屋根ではなく塔となっている。

今回は、終了後に解体して移設することも考えて、組木工法で建てるそうだ。世界最大級の木造建築物をどこに移設するのか……。

そもそも肝心の材料の木材はどこから調達するのか。国産で、という声は強いが、果たして調達できるか。太さは集成材だから気にしないとしても、また特需を生み出すのだろうな。本当は、そうした特需を利用して構造改革を勧めればよいのだが、今の老衰している日本に、そんな発想や余裕はあるだろうか。

いっそ、太陽の塔に相当する斬新なモニュメントを提案する人が出てきてほしい。かつての万博は、ある意味エネルギッシュで、型破りな発想も取り入れる余地というか余裕があった。

 

2022/07/31

マンディ、マンディ!

このところ1日に幾度も風呂に入っている。正確には水浴びしている。

とにかく暑いからね。一度家を出て帰っていたら、まず水を浴びて汗を流す。夕食後にはぬるま湯の風呂に入る。寝る前にも水を浴びる。体を冷やしてから寝床に入ると、エアコンなしでもよく寝つけることに気づいた。

この3回を基本にして、気分次第で水浴を繰り返している。別にエアコンを節約、ということではなく仕事中はかけているが、熱くて汗だらけのときは、エアコンを効かすより水を浴びるのがてっとり早いと気づいたから。

実は、こうした作法?を覚えたのは、若いころボルネオに通ったから。あちらでは水浴のことをマンディ(マライ語)という。MandIと書く。ホテルにもバスタブというよりはマンディ用の水瓶があったりする。さらに天然の川やため池のことも多い。泥水ぽく見えるが、かぶるのは雨水だったりするが、その後川に飛び込んだりもするので一緒(^^;)。とにかくすぐ水をかぶる。

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ここは湿地帯につくられたスラム街。そこにもマンディ用のスペースがある。私は1週間ほど泊めてもらったが、よくマンディをしていた。みんなでマンディしつつよもやま話をすることも多いので、マンディとは井戸端会議を意味することもある。

すると気分が変わるのだ。暑さを忘れる。現在の日本は、当時のボルネオ並の暑さだから、当時の経験が生きている(^o^)。

日本でもやらないかな。

2022/07/30

自家製お箸は無駄?

先日、山を歩いた際に、コンビニで弁当を買って持って行ったのだが、いざ食べようとしたら箸がなかった(> <;)。

割箸もらったつもりだったんだけどなあ。ザックにはマイ割箸も入っていないし。

手づかみで食うか、とおにぎりを一つ食べたところで、なんだ、つくればいいやん、とナタを取り出す。

近くの木を伐って、枝を削って……意外と面倒(^^;)。ナタだと細かな細工ができん。手に入る木の材質も、箸向きかどうか。

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というわけで、こんな出来ばえで、残りを食ってしまった。正直、自分が食べるだけなのだから手づかみでも枝でもなんでもいいんだね。ほかにパンも持っていたし。

ある意味、自分で箸をつくるというのは、趣味の世界だと今頃感じた次第。出かけたか先で、箸をつくる時間や手間が無駄と思ってはできない。食べている最中に時間をとられたくないと思ったらていねいにつくらないわ。つくるなら、自宅で作業したほうがよいだろう。
今後は、既成の割箸を「マイ割箸」として持つことを忘れないようにしよう。

 

 

2022/07/29

「乾燥」という魔法

木材は乾燥させないと使えない、乾燥剤と未完乾燥材は別物……とよく聞く。実際、木を乾燥させると寸法は変わるし、重さは変わるし、強度も何もかも変わる。見た目もかなり変わる。

という話をするつもりはなくて、たまたま見つけたお菓子というかおつまみがこちら。

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 愛媛県の柑橘類の実を薄切りして乾燥させたもの。ただ、それだけ。シトラス・チップスというそうだ。かじるとよく乾燥しているので、パリパリと割れて口の中でふやける。ほのかに甘く、また渋みがあったり、香りもそれぞれ違う。しかし何も味付けしていない。砂糖も使っていないそうだ。皮も美味しい。口の中で柑橘にもどる。

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種類は7種類ほど(温州みかん、愛媛果試第28号、伊予柑、河内晩柑、はるか、ブラッドオレンジ、レモン)混ぜてあるのだが、なんともシンプルで美味い。酒のつまみにもってこい……と思ってから、あえてチップを酒(今回はジンソーダ)に漬けてみた。
しばらくすると、乾燥チップがほぐれて生っぽくなる。果汁が溶けだす。これはジンリッキー(ジン、ソーダ、ライムのカクテル)だね。入れたのはライムじゃないけど。

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そこでふと思いついた。木材も、乾燥を通してこんな変化(へんげ)を見せられないか。7つの樹種の板を乾燥させて違いを楽しむ。何の違いか。内装材というのはアリキタリだな。やはり、かじらせるか(笑)。鉋屑に調味料をしみこませて乾燥させたら、珍味として売れるような気がする。

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こちらはダイソーで見かけた。「枝をかじってストレス解消!」とあるから、えええ、そんな商品あるの? と驚いたのだけど、よく見ると「小動物」用だった(笑)。リスとかハムスターにかじらせるのか。これの人間版を出してみたらどうだろう。食い物にすると、木がもっとも身近になる。

 

2022/07/28

庭の“熱帯雨林”で「商品開発」実験

今年の我が家の庭は一味違う。

私が植え付けたのだ。キュウリ、ミニトマト、ゴーヤ、シシトウ、トウガラシ、そして青ジソ……もある。

問題は、それをほとんとゴッチャに植えたこと。同じ畝に。同じ支柱で組んだ棚に。それぞれが蔓植物系なので、巻きついていく。最初の頃は、どこに生えているのが何かわかっていたが、最近はもう入り乱れている。そして、もはや向こう側が見えない緑の壁となった。

実は、それを狙っていたのだ。隣の家からの目隠しにするつもりで。

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とはいえ、それぞれが稔る。あちらこちらにキュウリがぶら下がり、そろそろゴーヤも稔りだしたし、赤くなったトマトももはや鈴なり。

朝、それを探すのが娯楽と化している。どこで稔ったのか探さないとわからなくなり、気がついたら30センチ級の大物キュウリがちらほらとある。そしてシシトウやら青ジソも茂りすぎるから、切り捨てるほど。ただし多品種少量生産である。一つ一つは多く稔らない。でも、それでいい。食べきれないから。

ま、これが森林用語で言えば混交林、いや熱帯雨林と思おう(^^;)。「ドン・キ・ホーテ」ではないが、どこに何があるかわからない商品配列をして探す楽しみを与える店づくり。実際、収穫物が目的ではなく、収穫行為が目的というか。

それでも食べきれないものは、調理法を考える。デカキュウリは、炒め物や煮物にしてみる。最近は皮を剥き、種子を取り、瓜のような漬け物・ピクルス材料にもする。トマトもたくさん取れすぎたら、ミキサーで攪拌してゼラチンと砂糖でゼリー仕立てにしてみた。ゴーヤもいろいろ。シシトウも炒めたり煮たり。シソもいろいろ。今そこにある素材からさまざまな食べるものをつくる。

……そこから連想したのが林業の収穫物である。同じもの(たとえばスギ材を何万立米とか)ではなく、何種類もの木材を少しずつ収穫して、それぞれを売れる品に加工する。柱に一本しか取れないが、造作用や家具用、彫刻用、なかには薪にもってこいとか、アロマオイルが採れるとか、まず木があって、それを売れるように加工する。

これはプロダクトアウトの発想だ。売れるものをつくるのではなく、つくれるものを売る。

世の中、これまでは消費者至上主義に陥っていたのではないか。しかし物価狂乱が始まり物不足時代の到来だ。生産者主体の経済に重心を移すべきだろう。

 

2022/07/27

「無断伐採」届け出のむなしさ

林野庁が、届け出のあった無断伐採の件数一覧を公表している。

民有林の無断伐採に係る都道府県調査結果について

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「令和3年1月から12月までに情報提供や相談等があった事案について調査結果」だというのだが、具体的な県や市町村など場所や面積などは記されていない。しかも(盗伐ではない)誤伐も含めており、明確な(故意に伐採した疑いのある)盗伐はさらに少ないように読み取れるので、余計に実態がわかりにくい。まあ、たいていの盗伐は、初っぱなは誤伐と主張されるのだから怪しいのだけど。

今回の総計は105か所。うち故意のものが17か所。誤伐が67で、不明が21。ふ~ん。(笑)

相談件数とあるが、自治体窓口と警察窓口を比べると、警察の腰の引け方が想像できる。さらに立件数はいくつなんだ。相談しても盗難届を受け取らないのだから。そもそも届け出ていない無断伐採、山主が気づいていない無断伐採は含まれないわけで、実態は、これらの数字の幾十倍になるのではないか。

 

実は警察庁も内偵していると聞くが、県警に取り締まりのハッパをかけるためじゃなくて、県警の弱みとなるネタを握るためではないかな。

こうして無断伐採された土地も、統計上は森林として残る。帳簿上はすくすく育つ木が描かれて、森林蓄積とか炭素貯蔵とかの数字に計上されている。

 

 

 

 

2022/07/26

スキー場が潰れた理由

今日は早朝より1400m級の山に昇ってきた。これ、日帰りはきついよ……。

面白いのは、その山にはかつてスキー場があったこと。なんと森林を皆伐した跡にスキー場をつくろうと思い立ち、いきなり300人収容できる山荘を建てるわ、リフトも完備するわ。奈良県にそんなデカいスキー場があったとは感動もの。
もちろん昭和30年代の話だが。スキーが日本で広がり、ブームになると睨んだのだろう。この開発会社の社長、なかなか鋭い。その読みは当たった。たしかに、それから10年ぐらいすると日本中にスキー場がつくられるようになったのだ。奈良は先んじていた?

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昭和39年にオープン。 が、5年後に閉鎖される。なぜか。それが笑える。雪が降らなくなったとか、ではない。

そこまで開発したのに、スキー場までの到着する道がつくれなかった\(^o^)/。だからスキーヤーは歩いて山を昇らなくてはならなかった。

ちなみに私は、最寄りの駐車スペースから1時間50分でたどりついたが、なかなかの道であった。渡河すること何回か。ロープを伝わって渡るのだ。そこに梯子を昇ったり、崖に設置された橋を渡るのだが、どちらも腐っている……。かなりの急難コースだろう。道そのものはしっかりあるので迷うことはなかったが。これが夏の場合。雪があれば何時間かかるのか。

でも、5年間は登ってたどりつくスキーヤーがそこそこいたらしい。当時のスキー好きはたくましい。

当時は、もう少しマシな道でも着けていたのだろうか。しかし、ゲレンデとなる平原まで周りは急斜面ばかりである。山荘を築くのに資材搬入の道は入れたのだろうか。あそこに車で登れる道路をつくるのは当時も今も、かなり難関だろう。

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リフト跡か。残骸が各所にある。

伐採跡地をスキー場に、という先見の明はともかく、開発の順番が間違っとる。

目先ではなく、先を読むこと。流通ルートが大切なこと。どんな事業にも当てはまる。なんだか今もありそうな開発である。

 

2022/07/25

「主伐するとカーボンニュートラル」理論・林野庁版

Yahoo!ニュースで「木を伐り木材を使えば脱炭素? 摩訶不思議な理屈を断ずる」を書いたわけだが、これを読んである人から情報を提供していただいた。

それが、「主伐・再造林がカーボンニュートラルに欠かせない!」という理論。元ネタはアメリカの論文らしいのだが、それを林野庁が使っているというのだ。ある検討会(J-クレジット制度運営委員会・第2回森林⼩委員会)の資料として示されたものだ。

そこで私も勉強してみることにしてみた。いかなる理論で、皆伐した後に元にもどるまで何十年もかかる再造林がカーボンニュートラル(どころか、年々炭素を蓄積し続けるようだが。)になると説明できるのか。

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この図である。なんかすごいぞ。伐っても長命な木材製品、短命な木材製品、埋め立て、リター(落葉落枝)、土壌、バイオマス、そして再造林した樹木に炭素はたまり続けるらしい。すごいぞ。これで林業は二酸化炭素の吸収源だ。気候変動なんか怖くない!

となりますか。ええと、どこから突っこめばいいのかな(^^;)。短命と言っても30年ぐらい使われ続けるようだが。長命は40年? 代替製品てなんだ。合板か。バイオマスって燃やすんだよね。ここが肥大しているみたい。

皆さん、ぜひ考えてください。林業と地球環境の関係のよい頭の体操になりますよ。そして理解できたら教えてください。この図のおかしな点を。しっかり理論武装しておかないと、林野庁の言い分を鵜呑みにしてしまうからね。この小委員会のメンバーは見事ハマったらしい。カルト宗教みたいに。怖いよ。差し出すのは献金どころか地球の未来だから。

 

2022/07/24

ジン飲みの本音~フォレストジン

先日、東京を訪れた際に、面会する人は、場所として帝国ホテルを指定してきた。そして、ごっついステーキランチをご馳走になった後は、カフェに移ったのだが、そこでお酒を頼むようにいう。いや、まだ昼間ですし、お酒を飲んだら仕事に差し支えます……なんで言いながら、「ではジントニックを」と注文してしまう私(^o^)。

するとウェイターは「ジンは何にしましょう」と聞くのだ。さすが帝国ホテルのバー(からカフェに運ぶ)。ジンの銘柄を指定できるのか、と感動して、「ではシップスミスを」。シップスミスVJOPがお好みなのだ。

ところがしばらくしてウエイターは「すみません、シップスミスは置いていません」とな。結局、ビューフィーターにしたのだが……。

何をだらだらと書いているかというと、私はジン飲みだ、ということだ\(^o^)/。

このほど「フォレストジン」なるものが発売されたらしい。それも酒造メーカーではなく「日本草木研究所」というところから。

アルコール度数は45度で、内容量は500ml。

一口飲めば、魅惑の森林旅行。
木で酔う「フォレストジン」が新登場。
日本草木研究所では、日本の未利用木材を有効活用する香木酒「フォレストジン」を開発しました。
原材料の60%以上にスギ/ヒノキ/ナラの間伐材を使用し、そしてボタニカル原料の100%が国産野生香木という取り組みは、日本初の試みとなります。

Fe6cf29e36052a953c7c(研究所のHPより)

酒の製造者は、株式会社スティルダムサガと、佐賀県の会社になっている。ここ2020年に設立だと。それもジン専門?の蒸留所らしい。日本草木研究所も、イマイチ存在が不明確。

なかなかそそるではないか。でもお値段は、送料を含めると6000円を優に超える。500mlで。ちょっと手を出しにくいぞ。

そもそもジン飲みを自認しているから、昨今のクラフトジンブームは歓迎していて、各地の地場メーカーがつくるジンを試してみた。が、いま一つ満足していない。マズいんじゃないよ。味としてはそれぞれイケるものもあった。が、ジンとして美味いんじゃないんだなあ。

ジンとは、スピリッツにボタニカルと呼ぶ植物性のエキスを浸透させたものだが、基本はジュニパーベリー(セイヨウネズの実)にコリアンダーである。その風味なくしてジンとはよべない(個人の感想です)。ところが、日本のクラフトジンは、和製ボタニカルを意識しすぎてユズだ茶だヒノキだと懲りすぎて、肝心のジュニパーベリーの香りが隠れてしまっている。

というのが、我が不満。だから、結局は洋物のジンにもどってしまった。シップスミスは、その中でもジュニパーベリーにこだわったジンだ。(ちなみにシップスミス社は、現在サントリーが買収したので日本の会社とも言える。そういやサントリーの「翠」が売り出し中だが、私は鼻で笑っていた。ところが、先日たまたま飲んだら、意外や?イケる。ネズの松脂ぽい香りもかすかにする。価格も手頃で、お気に入りに入れた。サントリーやるじゃん。)

さて、このフォレストジンはどうだろうか。よくよくボタニカルを見ると、ハイビャクシンやネズミサシというセイヨウネズに近い種も入れているようである。

【味わい】
まるで深い新緑の森の中で深呼吸した時のような圧倒的な「森林感」を味わえるフォレストジン。ヒノキの枝葉から抽出する鼻を抜ける青いフレッシュな香りや、杉の林檎を思わせるたおやかな芳香、そして神事でも利用される高野山の霊木コウヤマキの酸味ある後味。ハイビャクシンとネズミサシは和製ジュニパーベリーとして機能し、スパイシーで華やかな風味が引き立ちます。

どうしようかなあ。試飲するには高すぎるし、製造母体もコンセプトも、何か不安。誰かお試しした人の感想を待ちます。

 

2022/07/23

玄関先のスギその後

これまで何回か紹介した、我が家の玄関先に生えてきたスギ。一時は枯れたかと思わせながら、すくすくと成長しております。

玄関先のスギ

現在は、こんな様子。

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枝か、葉が分岐したのか。幅広くなってきた。背丈も伸びている。もうすぐ階段の1段分を超えてしまう。そうなると足の運びが悪くなるので困る。伐るか?いや……。

ほかの草はさっさと引き抜くか切るか、除草剤で枯らしているのに、これだけ残していたら引き抜きにくくなったよ。

 

 

2022/07/22

夏はキノコの季節~キノコ目になる

どうやら、第2回目の梅雨明けが近づいているようで、夏本番。

でも、山は連日の雨で湿っている。こうした状態ではキノコ(子実体)がよく発生しているのだ。キノコは秋と思いがちだが、実は梅雨から梅雨明けの夏もかなり多い。

というわけで、暑い中、登りはイヤだなあと思いつつできるだけ平坦な森を歩いてみたのだが、よくキノコが目に入る。そこで見つけたキノコの写真を順々に撮ってみた。

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ああ、もう嫌になった。キノコを探し始めると、最初はポツポツと見つけるのだが、すぐ加速度的に見つかる。最初はアチコチ目を配っていたのだが、だんだんと歩いているだけで勝手にキノコの姿が目に入ってくる。これって、キノコ目とでも呼ぶのかね。目に映る映像の中でキノコ形の輪郭に頭が瞬時に反応するような。
しかしキノコの種類も形も色もみんな違う。生え方も千差万別。落ち葉に埋もれていたり、樹木の根から出たり、ほかのキノコの中から発生した別のキノコまであるぞ。さらにカサが下を抜いているものもあるし、カサがなくて潰れたような形もある。AIでも、それらをキノコと認識できるのか。

だんだん同じようなものは撮らずにいたり、半分腐っているから止めようとか、いい加減になってきた。多分、見つけなかったものも含めてこの数倍はあるかと思う。

やっぱり今はキノコの季節なのだ。

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2022/07/21

小笠原諸島で見つけた鳥類の骨の話

「日本の研究.com」に、こんな研究結果が載っていた。

外来種駆除後の鳥の増加は「回復」ではなかった! —小笠原の鍾乳洞で見つかった骨が明かす鳥類相変化—

詳しくはリンク先を読んでいただきたいが、概要を引用すると、

国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所と小笠原自然文化研究所の研究グループは、世界自然遺産に指定されている小笠原諸島の南島の鍾乳洞で多数の鳥類骨を発見し、人間が小笠原に住み始める前の海鳥相を明らかにしました。その結果、現在の南島では繁殖が確認されていない固有性の高い海鳥類(オガサワラヒメミズナギドリ、オガサワラミズナギドリ、シロハラミズナギドリ)が、過去には最も普通に見られる種類だったことがわかりました。(中略)
南島をはじめとした小笠原の島々では、ノヤギやネズミなど外来種の駆除を進めた結果、オナガミズナギドリ、アナドリ、カツオドリといった海鳥が増えています。しかし、これらの種は在来種ではあるものの、もともと主要な種ではなかったことがわかりました。これらは世界的に広く分布する移動性が高い種です。つまり、増えやすい種類だけが増えており、人間の入植前の海鳥相とは全く異なる状態に変化していたのです。(後略)

さらに簡単にまとめると、外来種を駆除しても昔の生物種が全部もどってくるわけではない、ということか。

まあ、それはその通りでしょう。が、私がこの記事に目を止めた理由は、全然違うところにある。それは小笠原諸島父島の南に付属する南島の洞窟で鳥類骨を発見していた…という点なのである。 もちろん、この研究よりはるか前に!

ここ、私は40年前に行ったぞ。そして鳥類骨を発見していたぞ! と叫び、いや言いたいのである(^o^)。

南島は、島全体が天然記念物に指定されていて、そこに上陸するのも1日の人数制限があるし、歩ける範囲や時間も決まっている。無人島なのでツアーに参加しないと渡れない。

だが、学生時代の私たちは、カヌーをチャーターして渡り、制限もなく、丸1日島で過ごして全島歩き回って探検した。主な目的は洞窟探しだが、地質や動植物への興味もあった。規制がなかったからこそできたのだ。

 

それで当時の写真を探してみる。

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この写真だけだと、砂漠に椰子の木か、と思わせる。全島石灰岩で断崖絶壁に囲まれているが、内陸部は砂の盆地であり、美しい日本離れした景色が広がっている。

そして洞窟は大小無数にあった。その中に鳥が住んでいたのである。

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上陸ポイントの鮫池を臨む大鍾乳洞。

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これは匍匐前進するような狭い洞窟の奥。鳥の鳴き声が聞こえたので、フラッシュを焚いてみた。カツオドリだろう。

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そして、骨!周辺には羽毛が散らばっていた。

当時私は、母島のオガサラワラオオコウモリ探しをしていて、母島の洞窟でも無数の骨を発見したので、すわ、コウモリがいた証拠!と色めき立ったのだが、持ち帰って鑑定してもらうとオオミズナギドリが大半だった。そしてがっかりしたのである。なんだ、鳥類の骨か、と。しかし、鳥類の骨としても貴重だったかもね。もっと調べたら絶滅危惧種のものも混ざっていたかもしれない。ちなみに当時は、それが新種だとわかっていなかったらしい。今ならどうなるか。

そしてほかにもすごいものを幾つも見つけたのだが……学生の悲しさか、その価値がわからなかった。写真ももっと撮っておけばよかった。

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これは、たまたま私の雄姿も写っていたので(^^;)。バックは扇池。その周辺にはカタマイマイの半化石がいっぱいあった。
しかし若いぞ。髪が長いぞ。痩せているぞ。

 

2022/07/20

Y!ニュース「木を伐り木材を使えば脱炭素?…」を書いた理由

Yahoo!ニュースに「木を伐り木材を使えば脱炭素?摩訶不思議な理屈を断ずる」を執筆しました。

これは『虚構の森』などでも繰り返し訴えてきたことなのだが、本気で脱炭素をやる気のない(世界中の)政府に向けている。

私は地球温暖化懐疑論者ではないし、ましてや気候変動で覇権を狙う国がある…などと陰謀論をぶつ連中を毛嫌いしている。また原子力発電推進が隠れた目的だったり、メガソーラーや風力発電を嫌うあまり、再生可能エネルギーを全否定してしまう運動家とも距離を置きたい。

ちゃんと気候変動に向き合え、と思っている。が、その対策たるや、どうひいき目に見てもCO2(だけではなく温暖化ガス全般)を減らすことにつながらないのである。こんなこと、科学者でなくてもわかるはずなのに。

森林吸収分を認めるのなら、新規植林だけだ。それとも人が手を付けない天然林をカウントすべきではないか。それとも、すべての森を対象にしてしまうか。そうしたらブラジルは、アマゾンの破壊を止めるかもしれない。森があるだけで、カーボンクレジットで金になるから。燃やしても、また木が生えてきたらカーボンニュートラル、なんていうからアマゾンの森を焼いて牧場にするのだよ。「焼いた跡をちょっと牧場にして10年で捨てるから、その後森にもどればカーボンニュートラル」なんて言い訳もできる。

 

ちなみに本文では、林野庁の「中間とりまとめ」を読んで気分が森下がる、と書いたが、誤字というか変換ミスである。が、なかなか森が下がるってピッタリじゃない?と思って残した(笑)。まあ、「気分が盛り下がる」なんて表現そのものがないのかもしれんが。

 

 

2022/07/19

「他人の山でも蔓を切る」?

実は、土倉庄三郎の本の改訂版を出そうとしている。『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』(洋泉社)を出版して10年、書き上げたときは、もうこれで書き尽くしてオワリのつもりだったのだが、その後次々と新しい事実やエピソードが浮かび上がってきた。それらを追いかけると、また違った庄三郎翁像が見えてくる。本は絶版になって手に入らないことから福製本として『樹喜王 土倉庄三郎』(芳水塾刊)を出版したのが、2016年。百回忌の年である。だが、こちらもそろそろ品切れ。

そこで、全面的に書き改めて新たな本にしようという目論見なのだが……。

庄三郎は「木を育てるのにどんな肥料を与えたらよいですか」という質問に対して、「これだ」と見せたのが腰の鎌だったとか。山に通い、苗の周りの草を刈ることで木の成長を促す。刈った草を苗の根元に置くことで肥料となる、と説明した。さらに「山で木に蔓が巻きついていたら、それが自分の山でなくても伐ってやる。それで、その木が大きく育ち国を富ませることを思えば、なんと楽しいことか」と言ったとかなんとか。

 

さて、先日の吉野の山の余祿。葉枯らし乾燥している現場のすぐ側にあったスギの木。

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なぜか、この木だけ蔓が伸びてしまったのだが……。なんだか見事な装飾ぽい。しかし、蔓が巻きついたら育ちが悪くなるだろうか。いや、もしここまで大きく育ったスギには関係ないかなあ……。が、そこで土倉庄三郎の言葉を思い出したのである。

他人の山でも蔓を切ってやるべきか。

ええと。これから車までもどって、積んである鎌を取り出して、また山を下って蔓を切ることは国を富ませるよいことでしょうか。

へたれの私は、結局放置したのであった。。

皆さんはどうする?

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2022/07/18

続・業界脳……でなく業界ノウ?

昨日の葉枯らし乾燥について新事実がわかった。

というのも、昨日のエントリーを読んで吉野の林業家から電話がかかってきたのだ。そして教えてくれた。あの葉枯らし乾燥、目的は杉皮なんだそうだ……。

今や実(丸太)は金にならん、皮の方が高く売れるのだそう。皮剥いたついでに葉枯らしする?

そういや、たしかに杉皮がていねいに積んであった。風のせいかブルーシートがめくれていたので気づいたのだ。ちなみに写真撮影後にかけ直しておきましたから。

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杉皮の需要が増えたわけではない。ただ寺院や数寄屋づくりなどにはコンスタントな需要がある。しかし杉皮そのものの生産がこのところ細っているのだ。だから高値が見込める。

これは業界脳ではない。むしろ業界通だろう。しっかり山からの生産物の需給と値動きをチェックして入ればこその生産計画だろう。目先の木材市場だけでなく、広く世間の売れ筋を知ることで可能になる。

もちろん実も売れるはず。皮を剥いた状態で葉枯らしすると、表面にヒビがいって値が下がるそうだが、杉皮と併せて売り物とすればそれなりの収入になる。天然乾燥の吉野杉、芯がほんのり赤く染まった材もそれなりに需要はあるのだから。

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葉枯らしの際の皮むきは、こんな形にするのか。これは現場のテクニックか。業界脳? いやこれは業界ノウハウ(^o^)。

 

 

 

 

2022/07/17

葉枯らし見て気づく業界脳

朝、突然思いついた。山へ取材に行こう。

天気予報では、今週はずっと雨マーク。今日は晴れだが、明日から崩れだす。このままでは取材に出る日が決まらない。確実に晴れるのは今日だけか。明日早く出て午前中に済ませるとか? しかし曇天だと写真が映えない。せめて写真だけでも……。

と思い急遽出発したのである。が、今は3連休中だったのだね……。渋滞に巻き込まれて、片道2時間の予定が3時間近く。

しかも山村は空いているに決まっているという私の概念をぶち破る混雑ぶり。みんな行楽なんだ。。。

それでも目的地は誰もいなかった。だいたい私が観光地を取材するわけないんで。

で、帰りは山越えマイナールートを取ったのだが、それでもよく車やバイクとすれ違う。狭隘な道をバックするのを嫌がる手合いが多いので、こっちがバックさせられる。ちょっとうんざり。

そこに、ふと目に入ったのが、吉野杉の葉枯らし乾燥の現場だった。

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久しぶりに由緒正しい?葉枯らしを見たよ。ちゃんと木は山側に倒して、元口を切り株に乗せて、樹皮を剥いて。

思わず感激して車から降りて写真を撮る。この方法で天然乾燥すると、渋が抜けると言って芯材部分が赤くなるとか、山側に倒さないと乾きが遅いとか、伐倒して元口を切り株に乗せるのが腕の見せ所とか、スギ皮を剥くのはアオキの枝がよいとか……。

そして、気づいた。これって、業界脳??

業界脳とは私が名付けたのだが、業界内だけの価値基準で判断してしまうバカのこと(笑)。私は常々、業界脳になっちゃダメだ、業界内ではよいことだ、美しいだろう、これが正しい……と思っていることは一般人には通じないぞ。その勘違いが業界を衰退させる。常に外野のつもりで眺めるのだ、と言い聞かせている。
本当に葉枯らししたら、木材としての質がよくなるのか。芯が赤いのは美しいのか。それは高く売れるのか。問い返さないと。

それなのに、葉枯らし乾燥のスギを見てつい喜んでしまったのは「業界脳」だね(> <;)。ああ、俺も染まってしまっていたか。

……でも、一目見て、車から飛び下りてしまったよ(泣)。

2022/07/16

献花と花卉産業

今日は甥が訪ねてきたのだが、用件を済ませた後にどうするか、となって「どこか見学する?」。

そこで訪れたのが大和西大寺駅前。。。まだ献花の列は続いているのだ。

私は送って行っただけだけど、現場写真をいただいた。

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若者が多い気がする。もはや連鎖反応的にバズッている感覚。我れも行かねば、という心理が漂う。

不謹慎?不謹慎なのは、安倍氏を利用する政治家だろう。いきなり安倍氏と並んで撮った写真やメールを公開し始めたし、あげくは国葬だそうである。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相でさえ国民葬だったのに、随分敷居が下げたものだ。そのうち国会議員を一期でもした者は国葬にしようなんて言い出しかねない。

ところで献花とは何だろうか。本来の仏教にはない習慣だ。仏壇や墓に供えるのは供花。献花はキリスト教の葬儀に花を手向けるものだが、それを葬儀業者が取り入れて日本の新たな儀式にしたらしい。私も、身内の葬式で葬儀を案内した担当者の言われるままに棺桶に花を供えた記憶がある。
まあ、絵になるというか、一人一人が何か役割を得るのは儀式としては様になるのだろう。

献花はなんでもよいというが、基本は白い花だ。ユリやカーネーション、キクなど種類は多いが、花屋も頑張って集めたようだ。ちなみに奈良県は花卉の産地であり、多くの花を栽培している。ただ7月はわりと花の端境期ではなかろうか。小ギクなどは夏のお盆シーズンに向けて花を咲かせようと電照栽培していたから、今はまだ少し早いと思うのだが……。ユリも通常ならこれからだ。
それでも葬儀に季節性はなく、春夏秋冬いつでも供給してみせるのが、花卉産業なりの矜持かもしれない。

世間に必要とされたときに必要とされる分だけ提供してみせるというのは、ビジネスであるとともに、関わっているプロならではの誇りである。ウッドショックのこと言ってるんじゃないよ。

 

 

2022/07/15

安倍暗殺事件の裁判は

ちょっと、今日は雑談というか妄想

いまだに大和西大寺駅前は、献花の列が絶えないらしい。ちょっと驚きの人数だ。

なかには中高生の姿も多く見える。いや、私は直接見ていないけど。君子危うきに近寄らず(誰が君子……)なんで。結局、奈良県内の花屋に特需が起きている。とてつもない花の量だ。

どうやら、安倍氏の生前を詳しく知っていない、わりと批判的に見ていた人も参列しているようだ。「奈良県民として申し訳ない」という声も少なくない。やはり射殺時の瞬間映像が何度もテレビで流されるからだろう。撃たれて倒れる様子の映像があることもすごいことなんだが、それを幾度も流すテレビ局もすごい。

ちなみに山上容疑者(という.より、犯人)は、犯行後そのまま捕まったのだから、最初から逃げるつもりはなかったのだろう。やはり「無敵の人」であった。我が身を守るつもりがないのだ。

今後の「山上徹也」像は、裁判の場で描かれていくのではないか。ただ事実関係は争わないと思うから、重要なのは動機の解明となる。そして量刑だろう。

殺人罪では、だいたい死刑か無期懲役刑だ。通常、死刑になるのは二人以上の殺害の場合で、今回は一人だ。動機から情状酌量の余地も考えられる。ただし社会に与えた影響なども加味されるから極刑の可能性がないではない。

動機に統一協会を上げているが、その問題が身に降りかかったのは十数年前なのだから、直接それが動機というよりは、その後の人生が上手くいかないことを振り返ると、その理由は学生時代の母親の振る舞いに思い至ったからとなる。では、近年の暮らしはどのような状況だったのか、精神状態だったのか、まだ完全に明らかにはされていない。

裁判は、当然奈良地方裁判所で開かれる。傍聴に行けないかとも思うが、多分マスコミが殺到して傍聴券をくじ引きで取り合うのだろうから、確率は低い。
私としては、裁判員に選ばれたい、と思ってしまう。そこでしか知ることのできない事実が大量に示されるはずだ。

もちろん、それらの事実から彼の内面を推定できたとしても守秘義務が課されて公表できないのだが、それは私にとって(発表しない)最大級のルポルタージュになるように思う。

 

«雑誌の付録に「箸」

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