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本の紹介

2017/01/21

マダケ?の竹林

生駒山中を性懲りもなく歩いていると、いまだに新しい発見がある。

 
今回は、知らない踏み分け道を進むと、竹林に出た。生駒山も各地に竹林が猛威を奮っていて、雑木林ははおろか人工林も田畑も繁っているが、その竹はたいていモウソウチク。
 
でも、これは……マダケだと思うのだが。
 
2   3
 
竹の分類は全然詳しくないのだが、細いし、節が二重になっているし。
 
 
4  棹の部分をアップにしてみた。
 
 
マダケの竹林を見つけて「珍しい」と思うのはどうかと思うが、今ではモウソウチク以外の竹をあまりみかけなくなったもので。
 
ハチクもあったか。ああ、区別がつかない。でもモウソウチクのように猛々(竹々)しくないように感じる。マダケとハチクは日本在来の竹と言われているが、どうなんだろう。

2017/01/20

吉野の廃屋にあったもの

吉野の川上村に出かけた。

 
そこで大滝区の人工林内を歩いたのだが、そこに廃屋があった。 
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中を覗くと、意外なものが……。
 
Dsc_0346_2  Dsc_0346_3
 
なんだ、こりゃ。割箸か?ランチュウのような両側が尖った棒である。
 
ただ、よく手に取ってみると、これはプラスチックであった。
と言えばわかるだろうか。
 
そう、若木の幹に巻き付けて人工絞り丸太をつくる器具である。どうやら、この森一帯は、磨き丸太用のスギを育てていたみたい。
磨き丸太、中でも凸凹の表面をした絞り丸太は、京都・北山杉が有名だが、吉野でも京木仕立てと読んで生産していた。一時期は吉野の方が生産量が多かったそうだ。今は逆に生産しているところはほとんどなくなったが。こんなところで名残を見ることになるとは。
 
もっとも、今回りを見渡しても、絞りのあるスギは1本も見当たらない。だいたい太さが30センチ級に育っていて、もはや床柱にはならないだろう。戦後50年ほど前に植え付けしたそうだが、挫折したか。
 
 
ちょっとオマケ。
 
Dsc_0331
 
この写真ではわかりにくいが、ここにU字形の谷というか、堀り込みが見られる。ここに修羅を設置したらしい。丸太の滑り台である。かつて山で伐った原木は、修羅などで滑らせて山裾まで落としたのである。
 
04 奈良県林業貼より
 
かつての修羅(真ん中の川の流れのように見える丸太の列部分)の様子
 
 
吉野の山を歩くと、こんな“遺跡”が各所に見つかる。吉野林業遺産に認定したいところだな。

2017/01/19

「まずいラーメン屋はどこへ消えた?」から連想する

いまさらだが『君の名は。』を昨年見たとき、フツーに感動していい映画・アニメだな、と思った。ただ二度見に行こうとは思わなかったし、なにか既視感がつきまとった。

やはり男女の入れ代わりなどは『転校生』のアイデアそのままだし、彗星による大災害とかタイムスリップ的な厄難からの脱出などの話は、どこかで見たり読んだりしたストーリー。
で、連想したのは『もしドラ』(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』)である。
 
『もしドラ』は、ドラッカーの『マネジメント』の考え方を世間に知らしめようと小説仕立てにした作品だが、実は物語としても面白かったし、楽しめた。もちろん小説としては文章力表権力ともにイマイチで、ストーリーだってベタで意外性もない。だが、読んでいると感情移入して読ませたのだ。そして、ドラッカーの魅力も十分に伝わった。だから著者の狙いは成功したのだ。
 
『君の名は。』も、ストーリーやアイデアは陳腐なのだ。では、代わりに伝えたものは何か?
 
 
さて、長い前ふりだが、実は『まずいラーメン屋はどこへ消えた?』(小学館101新書)から連想したのである。この本は、『もしドラ』の作者・岩崎夏海が記した本だから。
こちらは小説ではなく、ビジネスハウツウであり社会論でもある。サブタイトルが、「椅子取りゲーム社会」で生き残る方法 だ。
 
Photo
 
椅子取りゲーム社会とは、インターネットが普及して急速に進んだ情報化がもたらした競争社会と格差社会を表わしている。
これまでは、少々まずくても生き残れたラーメン屋も、今や瞬時に消え去る社会となった。しかも当初の勝者さえ取り分が減っていく(椅子が減っていく)社会構造となってきた。単に勝ち組負け組の2極分化ではなく、ピラミッド的な頂上にしか勝者のいない時代に入っていることを説明している。
 
そこで生き残るには、「競争に勝つ」と「イノベーション」しかないという。それをドラッカーから学んだことを伝える形で説明しているのだ。
 
ただ競争に勝つということは、より激しい競争に次から次へとさらされることであり、結果的に自らを滅ぼしかねない。
イノベーションとは、 技術革新というより新しい分野を見つけたり開くことを意味する。新しい分野はライバルがいないから競争も起こらない。こちらをめざすべきだ……というのが著者(とドラッカー)の主張である。ただし、それには長期的視野が必要だと。
 
おもわず自分自身に当てはめてしまう。そうなんだよ、私もイノベーションめざしているのだよ。今あるものを捨てて、新分野を試行錯誤している。すぐに結果は出ないが、今の自分のスタンスに安住していたら、将来は尻すぼみだから。でも、イノベーションの過程が長期になれば、軌道に乗る前にこけてしまいかねない……(>_<)。
 
 
……なんだか林業界にも当てはめたくなった。
短期的利益に目を奪われて今の立場にしがみつけばつくほど、将来尻すぼみは目に見えている。でも、長期的に物事を考えられない。
 
それではイカンと政府は、「競争」をしろと尻を叩くのだが、それで林地の集約化とか機械化とか力を入れていると、手間とコストが増すばかり。そして、どんどん材価が下がっていく。
結局、イノベーションがないのだな。新分野の用途を切り開かず、言われるままに誰もが参入できる合板とかバイオマス用とかの低単価分野に原木を売るだけだから。
 
ま、自分の道は自分で考えないとね。
 
 
さて林業はさておき(~_~;)、私は生き残れるか?

2017/01/18

分厚い本と未知の動物

古本屋で目に止まった「世界動物発見史」(平凡社)

 
古い本(1988年刊)だが、なんかワクワクした。
 
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タイトルから古今の新種動物の発見のドラマかと思った。ところが目次を見ると、ユニコーンとかロック鳥とか幻の野牛とかいう言葉が散見する。さらに海竜にいんちき猿人、雪男、人魚……などが並ぶのだ。
もちろん伝説の怪獣ばかりを紹介しているのではなく、実際に存在する動物の発見と抱き合わせているところが魅力的。
未知動物の発見は、伝説と探検の掛け合いで行われるのだ。
 
定価は、今の税率をかけると4000円を越えるのが1200円。これにも惹かれて(~_~;)、つい購入してしまった。
 
もっとも、この本のスゴサは、背表紙にある。
見よ、この分厚さを!
 
2  小さな字の2段組、700ページ!
 
絶対、通して読み終えることはできないだろうな……(>_<)と思わせる。
 
まあ、拾い読みだけでもいいだろう。思えば、未知動物の発見は、やはりロマンなのだよ。
 
『森は怪しいワンダーランド』にも、ニューギニアに湖の怪獣探しに出かけたエピソードを含んでいるが、実はその前に取り組んだのがボルネオで野生オランウータンの生態を観察すること。怪獣と野生オランウータンは、当時の私の中では同義だった。
いるかどうかわからない存在である怪獣と、観察例がほとんどなかった野生のオランウータンは未知という点では同じだったから。
 
とりあえず本棚の飾りにする(⌒ー⌒)。

2017/01/17

土倉翁、晩年の言葉

今朝は、なぜか暗いうちに目が覚めた。

昨夜、就寝したのはそんなに早くてはないし、なぜこんな時間に……?と布団から出ずにジリジリと過ごし、二度寝を試みる。
 
結局、うとうとしただけで十分に寝つけず起き出したのだが……今思えば、目が覚めたのは午前6時前、阪神淡路大震災の発生時刻に近かったのではないか。
 
関西に住む(ある年代以上の)者として、実は東日本大震災より大きな衝撃を受けたのが22年前の、あの震災だ。昨日の次に今日、今日の次に明日が連続しているという漠然とした戦後観をひっくり返した日だった。
 
 
さて。今朝最初にパソコンを立ち上げて受信したメールには、土倉庄三郎に関して新たに発見された資料が添付されていた。川上村の森と水の源流館から送られてきたものである。
 
それは、昭和43年に川上村高原で92歳だった岩井倉次郎に聞き取りをした記録なのだが、その中に土倉庄三郎に直接会って会話した内容があったというのだ。
会ったのは青年の時というが、庄三郎の晩年というから30代だろう。話の内容から、すでに土倉家が逼塞していたとわかる。それが貴重なのだ。自分の若い頃を振り返ったり、現状を語ったりしている。土倉家が山林の大半を失ってからの庄三郎の生の声を記録した資料はほかにない。(伝聞ばかり。)
 
この資料、『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』(『樹喜王 土倉庄三郎』)を執筆の際に得ていたら、描き方が変わったなあ、と嘆息する。
 
その中でも私が引っかかったのは、「わしは一代で儲けさしてもろたが」という言葉があることだ。そして小さいときは雑炊を食べていたのだと。そこから財を成したと語っている。
 
一般に土倉家は、庄三郎の父・庄右衛門の代に大山林主になったとされている。実際、庄右衛門時代の土倉家も川上郷では名家であり財産家であったはずだ。
 
しかし子供の時は雑炊炊いて食べていたというのだから、かなり厳しい教育を受けたのではないか。決して贅沢はさせてもらえなかったのだろう。使用人と一緒の待遇で山仕事を修業していたのではあるまいか。
そして、それは家督を継いでからも続けていたようだ。官林(おそらく大杉谷)から材を出す際は、自らイモの皮剥いていたという。
 
同時に、庄右衛門の代と庄三郎の代とでは、財産の額が違っていた。庄三郎は、自分一代で巨額の財産を稼いだと認識していたのだ。
 
ただ所有していた山林面積がとくに膨らんだわけではないはずだ。やはり明治に入って、流通網を整備したり吉野材を宣伝することで木材価格を上げ、財を築いたのである。
 
明治時代の林業経済が、わずかな証言から浮き上がる。
 
そして、「あんじょう(財産は)無いようになってしもた」と語ったという。どんなに財産を築いても、時代の波に飲まれたら消えてしまうことを自嘲的に言ったのか。直接的には長男の事業の失敗が原因だが、庄三郎はそれも運命と捉えていたのかもしれない。
 
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土倉翁、最晩年の写真。

2017/01/16

EPAとCLT

なんかイマドキ流行りのアルファベットの羅列みたいなタイトルだが、真面目な国際政治と経済の話。

 
 
トランプ氏がアメリカ大統領に就任するまであとわずかだが、環太平洋戦略的経済連携協定TPPの発効は絶望的になっている。それを喜んでいる人もいるだろう。
 
だが、それならとTPPに代わる巨大貿易協定がいくつも動き出すのではないか。
 
現在交渉が行われているのは、
まず日中韓と東南アジア諸国連合16カ国による域内包括的経済連携(RCEP)
次に、日本と欧州連合の経済連携協定(EPA)
そして、日中韓自由貿易協定(FTA)
 
このうち日本が一番力を入れているのは、EPAだろう。EUとの貿易自由化だ。ただ、これもチーズや豚肉を巡って関税撤廃が難行していて、昨年は締結を先のばしした代物。私は、早く締結してチーズが安くならないかな、と思っているが……。
 
EPAの課題には、当然ながら木材も入っている。すでに木材輸入にたいした関税はないが、EPAが締結されれば、木材製品はより入りやすくなるだろう。なかでも注目は、CLT(直交集成板)あるいはCLTの素材となるラミナではないか、と睨んでいる。
 
つまり、ようやく建築基準法を改正してCLTを使う建築が増えると思っていたら、安くて質もよいヨーロッパ製CLTが大挙して輸入される、なんてことになるような気がするからだ。
 
それに負けまいと、欧州材ラミナを輸入して、国内でCLTを生産する……状況が起きるかもしれない。
 
国産材のCLTなんぞ、ほとんど普及しない、いや生産されないかもなあ。
 
TPPにRCEP?EPA、FTA、CLT!!!
これをつなぐとティピーピーアールシーイーピーイーピーエーエフティーエーシーエルティ
さあ、皆さん声に出して!
 

2017/01/15

Yahoo!ニュース「崩れた熊本城から考える……」書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「崩れた熊本城から考える文化財の復原事情 」を書きました。

 
誰もが気づくように昨夜の続編……というより、昨夜が前編(^o^)。
 
ま、復原大阪城を見て思いついたのさ。。。
 
「復元」ではなく「復原」と漢字を使っている点にも注意ね。
 
せっかくだから鉄筋コンクリート製大阪城の中の写真。天守閣の最上部には、売店もあった。普通の展望台である。
 
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人だらけであったが、これを木造にしたら、あんまり大勢の人を上まで上げられないのではないか。
 

2017/01/14

鉄骨の大阪城

ちょっと出かけた大阪の町。……単に買い物をして帰るつもりが、ふと目についた大阪城天守閣に入りたくなった。

 
昨年までなら、『真田丸』で賑わい、たしか天守閣でも真田関係の展示をしていたように思うのだが。もう終わったかな? そんな軽い気持ちだった。
 
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子供の頃から大阪城公園は何十回と来ている。今も年に何回かは足を運ぶ。花見の時もあれば、散歩代わりに公園を突っ切って歩いたりもする。が、大阪城天守閣は入っていない。おそらく20年くらいは入っていない。
 
なぜなら有料だし、どうせコンクリート製の昭和の復元建築だし。
 
ここで説明すると、いわゆる豊臣の大坂城は、天正11年に建築が始まった。
それが大阪の夏の陣で落城し、その跡地に元和6年より徳川の大坂城が再建される。が、45年後に落雷で焼け落ちて、その後大坂城に天守閣はなくなった。
それを再びつくろうと昭和6年に、市民の寄付で復元したのが現在の大阪城天守閣。(漢字が違っている。)折々に修復改築はされたが、今に至っている。
 
 
 
が、ふと思ったのだ。鉄筋コンクリートの復元城郭とはどんなものか、と。それで600円を払って天守閣に登ってみた。
 
なんと8階まである。エレベーターはすごく混んでいたので階段で昇ったが、どの階も人があふれている。観光客だろう。かなりの割合で外国人。昔は゛のんびり各階を見て回った記憶があるが、今は昇りと下りの階段ルートが別になって、展示を見るのも人波の中をかき分ける気分。
 
まあ、おざなりに見学したが、一つだけ目を引いたのが、これ。
 
2
 
なんと、昭和の天守閣復元工事中の模型だ。見事な鉄骨。戦前なのに、こんな巨大クレーンがあったのか。
 
また写真もあった。
 
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こんな.城郭工事も珍しくていい(^o^)。説明によると、当時の最新技術を使って復元しようということになって、鉄骨・コンクリート製にしたのだそうだ。
 
案の定、中の展示はたいしたことなかったのだが、とりあえず見てよかったよ。天守閣再建は、鉄筋コンクリートに限る?

2017/01/13

「美しい自然」にも認知の差?

昨年、子供の環境教育の指導者養成を取材に行って、そのまま私も参加して受講してしまったのだが、その際に知り合った女性は、大学で保育学を教える教員だった。

 
大学で教えているのに、改めて受講?と驚いたが、テーマが全然違うのだという。彼女の取り組んでているのはジャン・ジャック・ルソーとか。
 
いよいよ?? となった。ルソーと言えば18世紀の哲学者。と言っても、私も「社会契約説」ぐらいしか知らないが。
 
するとルソーは「子供を発見」した最初の人物だという。
子供の発見……これまた難解な言い回しだが、ようするに西欧では、それまで「子供とは未熟な大人」という認識だったらしい。だから鍛えて完全な大人にするという発想につながるのだが、ルソーは「子供は、大人とは違う感性や認知の仕方を備えている」別の人格であり、大人と見る世界が違っているのだと“発見”したらしい。(こんな理解でいいのかな?)
ようするに、子供と大人が同じものを見ても、まったく違った反応をするのは片方が未熟なのではなく、認知の差なのかもしれない。
 
 
ちょうど今読んでいる本が認知科学の本で、西欧人と東アジア人(中国、韓国、日本)の認知がまったく違うことを解き明かしている。考え方は、西欧人が「まっすぐ」で個別の論理を追いかけるのに対して、中国人は「円を描き」関係性を重んじて全体を見る……のだそうだ。まだ読み終えていないが面白い。 
 
認知の仕方が違うと、同じものを見ても、まったく違う世界が見える。人はそれぞれ感じ方が違う。そう思うと、世の中に納得するものが多い。
 
同じ景色を見ても、まったく別の感想を持つこともある。林床にまったく草の生えていない杉林を見て、「美しい」と言った人がいた。私とは正反対の感想だった。知識不足というのとは違う、「美しい」と感じる認知の差だろうか。
 
奈良県が奈良公園に接した土地にホテルを建てる計画を発表したら、さっそく反対運動が起きている。その土地は、以前は官舎や別荘が建っていたところなのだが、長く放置されて森になっているのだ。
だから「自然を破壊するな」と言うのだが、テレビに映し出された敷地には雑木の中に竹(多分、モウソウチク)が入り込んでグチャグチャになっていた。石垣の間から草木がぼうぼうと生えて、私には「豊かな自然」どころか「荒れた廃墟」に見えた。これが豊かな自然なら、日本中に荒れた森など存在しないことになりそうだ。(もっとも反対派は、自然をつぶさに観察したわけではないらしい。)
 
 
もしかして、トランプ(次期)大統領のように、自らが気に食わないものは全部「そんなものはない」「陰謀だ」「嘘だ」と言い切ってしまうのも、ごまかしではなく本気なのかもしれない。彼の認知している世界では、自分に都合の悪いものは存在しないのか。。日本人でも、ネトウヨなんぞはそんな感じだけど。
 
 
私も、異論は聞き流し、ファジーなままにしているが……ああ、これって典型的東アジア人?
 

2017/01/12

薪のお値段

年末に伐採したナラ枯れ木を、せっせと刻んでいる。

 
一つに実シイタケ原木の確保。これは、枯れていない、カシナガの入っていない枝部分を狙って切り取っている。ほぼ必要量は出したところだ。
 
で、残りは刻んで薪にしようと思っているが……我が家には薪ストーブはない(~_~;)。
誰かほしい人に進呈する予定だ。刻んで運べる程度にはしておこうというわけである。よい運動にもなる。ま、その間にチェンソーは油で固まっていて動かなくなったり、チェンが外れたり……と、久しぶりに握るチェンソーならではの騒動も入っているのだが。
 
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で、その帰りにホームセンターに寄った。チェンソー用のオイルと混合ガソリンを購入するためだが、そこに薪が売っていた。
 
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798円! 消費税を入れるお861円……。見えにくいが針金でくくった一束の値段である。一晩の燃やしてしまいそうな量。高っ! 
ナラ?広葉樹材ではあるが、あんまりキレイな状態ではないしなあ。
 
ここで買うなら、タナカ山林の倒木を持って行ってくれ。自分で薪割りする醍醐味もあるし。
ナラ枯れ木は、さっさと燃やしてしまいたいのだよ。その下のアジサイ救出のためにも。

2017/01/11

週刊ポストに土倉庄三郎

先に少し触れたが、今週発行している週刊ポスト1月13日/20日号に、土倉庄三郎が登場している。

 
「戦前の大金持ち列伝」の一角に紹介されたのだ。
 
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土倉のほかには、薩摩治郎八、梅屋庄吉、大倉喜八郎、鹿島清兵衛が取り上げられている。
何人知っているだろうか。それぞれ癖のある人物ばかりだ。
 
共通点を探ると、みな晩年もしくは死後に家は没落していることだろうか……。ただ、あまり暗くなく、一本筋を通した潔さを感じる。
だから彼らの紹介にも、なぜか明るさ爽快さをにじみ出しているように思うのだ。
 
私も、土倉翁についてまだまだ調べて発信していきたい。
 
 
さて、もう2点。
 
静岡新聞の1月8日の書評欄に、『森は怪しいワンダーランド』の書評が掲載された。
 
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ただ内容は、これまでも地方紙に載せられたものと同じ。つまり共同通信配信のものだ。
ありがたい。ただ、どうせなら「この本の著者は静岡大学出身で、本の中に登場する探検話の幾つかは静大探検部時代のものなんだよ」と触れてほしかったなあ(~_~;)。その方が読者にも影響あっただろうに。
ぜひ、静岡にお住まいの皆さん、その点を宣伝してくださいませm(._.)m。
 
 
さらに同日の東京新聞・中日新聞の書評欄に、『林業がつくる日本の森林 』(藤森隆郎著 築地書館)が紹介されている。
 
 
その本の最後を見ていただきたい。。。
こんな紹介のされ方もあるんだねえ。何はともあれ、ありがたい。
 
 
◆もう1冊 
 田中淳夫著『森と日本人の1500年』(平凡社新書)。日本の森が人との関わりの中でどう変わってきたかを追う。
 
以上、3連発でした。

2017/01/10

Yahoo!ニュース「街路樹に生態系はあるか?」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「街路樹に生態系はあるか? 街路樹サミットから見えた世界 」を執筆しました。

 
タイトル、正確には「街路樹に森林生態系はあるか?」なのを、短くするため「生態系……」だけにしたのだった。誤解招きそう(~_~;)。
 
もちろん、沙漠だって、極地だって、深海だって生態系はある。街路樹も森林とは比べるべくもないが、樹冠には虫も苔も地衣類もいて、それらを食す鳥などが訪れて……という生態系はあるだろう。そこには風も雨も吹く。春夏秋冬がある。もしかして黄砂やPM2,5の影響もうけているかもしれん。
 
そして、混みすぎて樹冠が閉鎖した街路樹の列では間伐を施したり、枝打ちしたり、木材を収穫してもいいんじゃないか。街路樹林業\(^o^)/。
 
 
ちなみに街路樹サミットでは、参加者に理想の街路樹の風景を描いてください、というコーナーがあった。そこで私も描いたのだが、低木中心で、地表に多くの草が生えた世界だな。
「斬新だ」と言われた(笑)。
 
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人物は気にせず、バックに張り出された「理想の街路樹像」の図に注目(^o^)。
 

2017/01/09

立命館の里山とミティゲーション

先に街路樹サミットの開かれた会場は、立命館大学のいばらきフィーチャープラザだった。

 
まだオープンして2年のキャンパスでは、「育てる里山プロジェクト」があり、里山づくりが行われている。そのプロジェクト代表でもある田中力教授はサミットの演者の一人でもあったのだが、キャンパスづくりのコンセプトを考える過程で里山に行き着いたという。
 
ちょうど茨木市にある里山センター(里山関連の複数のNPOの拠点)に相談に行って、たまたま新名神高速道路の建設で破壊される里山から樹木をキャンパス内に移植する事業を進行させたという。教職員と学生に加えて、市民ボランティアや高校生も加わったとか。
 
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エリアには雑木林ゾーン、アカマツゾーン、そして草山の3つがある。
正直、悪戦苦闘しているようで、活着はよくない。土は、建設残土に真砂を入れ、そこに樹木を山土ごと根鉢を植えたそうだが、現在、土壌改良などに取り組んでいる。
 
私の見た感想としては、ちょっとガーデニング的な植え方で、しかも遷移を前提とした樹種選定ではないのが気になった。
 
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今は、堆肥づくりも行っている。
 
しかし、話を聞いてみると、最初は専門家抜きでやっていたようだ。土づくりになるだろうと落葉を集めてそのまま撒いたとか(~_~;)、ちょっ、ちょっと! とという経験談を語る。
立命館大学には生物系の研究者もいるだろうし、NPOにも植物に詳しい人はいなかったのだろうか。
 
さて、今年の春にはちゃんと芽吹きが見られるだろうか……。
 
私個人の予想としては、移植した木の中には枯れるものも多いだろうが、幾らかは生き残り、また新たな草木も生えてくるだろうから、数年頑張ればなんとかなると思う。ただ、想定している里山にはならないだろうなあ……。雑木林とアカマツ林に分ける必要もないように思う。
 
 
ただ、破壊される自然を、移植することで守るという考え方は、いわゆるミティゲーションである。ミティゲーションとは、アメリカ生まれの発想で、人間の活動による環境への悪影響を緩和、または補償する行為のことである。
 
いろいろ段階があって、環境破壊を
1)回避する
2)影響を最小化する
3)影響を受ける環境を修復して回復させたり復元する
4)保護やメンテナンスで影響を軽減したり除去する
5)代替の資源や環境を別の場所で行い、影響の代償措置をとる
 
と分類されている。日本ではとくに「代償」が強く意識されている。
 
つまり立命館の試みは、高速道路で破壊される里山環境をキャンパス内に移植する代償ミティゲーションに相当するのではないか。
 
……もっとも、当事者はそうした意識なしに取り組んでいるようであったが。。。また技術的にもミティゲーションとしては弱い(~_~;)。
 
せっかく大学が取り組むのだから、専門家の叡知を集めて実施すべきだった。
そうすれば基盤から土質を計算して積み上げ、移植する草木の種類も選べたはず。さらに根鉢だけでなく山の表土の移転も行えば、里山環境の復元に成功すると思うのだが。
 
まだ2年目だから、気長にすべきだろう。自然はそんな簡単に結論にたどりつけない。150年後を描いた明治神宮の森づくりのように頑張ってほしい。
 
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キャンパス内に冬のサクラが咲いていた。

2017/01/08

『森と近代日本を動かした男』と『樹喜王 土倉庄三郎』

たまたまAmazonのサイトを開いたところ、拙著『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』が目に止まった。

 
ところが、価格は「7299円から」となっていた。
 
本書は絶版だから、手に入れようとすると古書扱いになるわけだが、出品者の付けた価格がこの値段なのである。3冊出展されていて、ほか7300円と7823円である。実際は、これに送料が上乗せされるので8000円近くになるわけである。
ちょっと仰天のお値段。それだけの価値があると思って喜ぶべきか、それとも。。。
 
 
複製本の『樹喜王 土倉庄三郎』を出しているのに、書店には卸していないからなあ。。。内容はまったく一緒である。誤字を直した程度。価格もずっと安いよ(^o^)。
 
 
 
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それで、『森と近代日本を動かした男』の価格は古書の世界ではどうなっているのか気になって検索してみた。
 
……すると、意外な記事を見つけた。CiNiiの論文として検索に引っかかったのである。。(CiNiiとは、学術情報ナビゲータのこと。論文、図書・雑誌や博士論文などの学術情報で検索できるデータベース・サービス。)
 
見ると、学会誌(多分、林業経済学会誌)に3年前に掲載された書評らしい。
 
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あらら。知らなかった(^o^)。3ページに渡って掲載されていた。  読みごたえあるよ。
オープンアクセスだから、誰でも読める。
 
 
さすが、と思えるのは、私が記した吉野林業と土倉庄三郎の唱える林業技術を分析しているところで、庄三郎を「決定的に必要なものは標準化 されたマニュアルよりも、個々の状況に即 した解決法 を創造できる総合的な力を持った人材といえるかもしれない」と評している。
 
そして「総合的な力を持った人材とは、昨今期待されるフォレスタ ーそのものだろう」としている点だ。
 
実際、庄三郎は、当時の山林局の林政を机上の「文書的経営」として批判している。林業とは、その時その時に森を見て判断するものであり、ガチガチの施業計画をつくるものではない、と喝破しているのである。その点を「フォレスター的」ということは可能だろう。いや、庄三郎(と当時の吉野林業人)は、フォレスターだったと言って過言ではない。
 
加えて、現代の台湾には次男・土倉龍治郎の手がけた吉野杉の森林が今も残れされていて、台湾の林学者は土倉庄三郎の名を伝えているらしい。
 
 
拙著では、あまり林業論には踏み込まなかったつもりだが、改めて土倉翁を林業技術と林業政策、さらには林政史の面から追求しても面白いかもしれない。
 

 
ちなみに、現在発売中の週刊ポストに「土倉庄三郎」が紹介されている。私もコメントを寄せているので、ぜひ手に取っていただきたい。こちらの内容に関しては、改めて。
 
 

2017/01/07

街路樹サミットにて

大阪で開かれた街路樹サミットに顔を出した。

 
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まだ松の内が明けず、しかも同日同時刻に京都でよく似た分野のシンポジウムも開かれる……という環境の中、大盛況。席が足りなくなるほどの人が参加した(しかも有料である)。
 
しかも、参加者は北海道や九州からもいて、関東甲信越の人はざらにいる。こんなに街路樹に関心のある人が多かったのか。
私は、多少の部外者意識を持って臨んだのであった。
 
たしかに雰囲気は、林業関係者の多いシンポジウムと違う。参加者には造園業の人が目立つから、それなりのガテン系なのだが、なんかオシャレ(^o^)。都会派ぽいし、女性も多い。
 
……が。
 
会場前で、いきなり知り合いにあった。N林業女子……だ。
さらに声をかけられた。林業家である。
あ、受付にいるのは、以前取材した人。
 
シンポジウムが始まってから、私の隣席に人が座ったのだが、休憩時に明るくなったのでそちらを見ると、あら、生駒市在住のKさん。。。
 
なんか、意外なほど知り合いがいた。街路樹と林業の世界は似て非なる、しかし近い関係だ。それが、さらに融合しつつあるのかもしれない。
 
実際、造園関係者と話しても、意外な林業との接点が見つかった。そもそも林業は樹木を扱うわけで、もっと造園の世界にウイングを拡げるべきだろう。アーボリカルチャーの技術もあれば、高樹の苗づくりも山林で可能。伐採した街路樹の木材利用も考えられる。
 
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私が街路樹に対してどのように考えているか、それは改めて語りたいが、林業界のタコツボに入っていては見えないものに触れることができたのであった。

2017/01/06

農業するカシナガ

ナラ枯れ木の伐採をしたからというわけではないが、ナラ枯れの原因であるカシノナガキクイムシについて少し調べた。

 
すると、びっくり。なんとカシナガは農業を行うのだという。自らの食べ物を栽培して調達していたのだ。
 
農業を行う昆虫と言えば、アマゾンなど中南米の熱帯雨林に生息するハキリアリとか、巨大な巣の中でキノコを育てるキノコシロアリが知られている。
ハキリアリは、回りの草木の葉を切り取って巣穴に運び、それを培地にキノコを栽培する。キノコシロアりは、枯れた植物を食べて出した糞を積み上げて、そこにキノコを栽培する。
 
いずれもキノコを食べ物にするわけで、たまに自然のドキュメンタリー番組などにも紹介されているから知る人もいるのではないか。
 
私も、ほお、珍しい昆虫がいるんだなあ。、アリやシロアリは社会性昆虫として高等な部類に入ると栽培という文化を持つのだろうか……と感心していた。
 
が、なんと、アマゾンまで行かなくても身近に農業を行う昆虫がいたとは!
目の前に枯れたコナラの樹幹の中で、農業をしていたのか。意外と身近な存在だったのだ。
 
 
もっともカシナガが栽培するのはキノコというよりカビ類。ナラ類などの樹木に穿入するわけだが、その孔道の壁に菌を培養するらしい。
 
2
 
上記はカシナガの電子顕微鏡写真だが、その背中に開いてある孔に菌を載せて運ぶという。
ただしナラ枯れを引き起こすナラ菌は、培養する菌(総称アンブロシア菌)ではない。ナラ菌は、いわば農地に生える雑草のようにくっついてくるらしい(-.-)。
それが大繁殖して樹木を枯らすのだが……枯れたら食べる菌も増えて、カシナガにとっても有利なのかしらん。
 
ついでに触れると、キクイムシの仲間は一夫一婦性だそうだが、なかには(♀)が交尾しないまま♂を生む種もあるらしい。そして息子と交尾するというから近親交配である。
 
 
摩訶不思議な世界が、目の前のナラ枯れ木の中に広がっていたのね。憎きナラ枯れを引き起こすカシナガめ、と思っていた目が少し、ほんの少しだけ変わって来る。
 
そのオモシロさ、自然界の妙なシステムを知ることも必要だろう。ナラ枯れだって、実は森林生態系の一部として必要とされているのだから。
まあ、一般の人にオモシロさをわかってもらえるように伝えるのは至難の業であるが……。

2017/01/05

ナラ枯れ木の伐採ミッション

年末になるが、タナカ山林のナラ枯れ木の伐採をした。

 
もちろん、私が伐採したわけではない。近年、伐採の恐ろしさを感じて、チェンソーをすっかり封印している(~_~;)。そこで吉野から林業家が来てくれたのである。
 
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お願いしたのは、写真の左2本。(右の1本は生きている。) ほか1本の3本。
1本目はチルホールさえ使わず切れたのだが、2本目が難渋。なぜなら……。
 
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枝が電線に絡んでいるから。それも、隣の敷地の石垣から生えているカシの木の枝とも絡まるという複雑な状態で、下手に伐採すると電線を引きちぎる。
結局、木登りしてもらうことになった。
 
いやあ、見物でしたよ(^o^)。期せずして、アーボりカルチャー見学ができたわけ。
余計なカシの木の枝も払ってもらったし。(こちらの地主とは話が通っている。)
 
そして、私のミッションは今年に入ってからであった。
 
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たった3本と言いたいところだが、どれも直径30~40㎝級のコナラ(とカシ)であり、それを倒すと、結構な材積になる。
これを玉伐りするのが私の仕事。倒れた木なら、チェンソーを使える(^0^*。
 
刻んで、ここからシイタケ原木をつくる。また薪として提供する。本当は販売したいところだが、それも面倒で、ほしい人は持って行って!作戦にした。
ナラ枯れした木は、ナラ菌が蔓延しているから、シイタケ栽培には向いていないかと思ったが、実際は枝の部分はまったくカシナガが入った様子がなく、材もしっかりしている。これならシイタケ菌も繁殖できるだろう。
一方で太い幹は、燃やしてもらった方が万一カシナガが残っていた場合にも有効だ。
 
 
……そして、隠れたミッション。
 
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伐倒木の下敷きになったアジサイの救出。ここ2、3年植え続けていたアジサイの上に倒れたんだよなあ(涙)。せっせと玉伐りして動かすと、潰れたアジサイが随分出てきたよ。
折れた枝は無理かもしれないが、アジサイは強いから、また復活してくれると思いたい。
 
 
ちなみにナラ枯れ木はこれだけではない。もっとたくさんある。また次の機会を設けたいと思っている。

2017/01/04

新年はYahoo!ニュース「新しい枕で気づいた!」から

Yahoo!ニュースに「新しい枕で気づいた!本当の木づかいとは 」を執筆しました。

 
 
年末年始は仕事らしきことを何にもせず、もはや社会復帰せずにブログも止めておこうかという誘惑……。
 
というわけにも行かないのだが、締め切りのある原稿を書くのが億劫で、締め切りのないYahoo!ニュースを書くという……(謎)。
 
 
枕の記事はしっかり書きたいと思っていたが、Yahoo!では商品紹介をしてはいけない。そこで「間違った木づかい」「本当に必要な木づかい」を絡ませて書いたわけです(^o^)。そろそろ木づかい運動も見直してくれ。タイトルの洒落にも気づいてくれ。。。
 
 
この記事用の写真を撮るために枕を解剖(笑)して、杉チップを出しましたよ。
 
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こうして拡大すると、チップが割箸を細かく切断したものということがよくわかる。
わりと角張っているが、これがこすれて角が取れる過程で香りが立つのだろう。
 
あとは売り方次第だね。扱いたいところはたくさんあると思うが。
 
 
ともあれ、本年も書きます。うだうだ考えて考えて、練って練って練り続けて哲学書みたいな記事を\(^o^)/。ブログは、その息抜きと思考のブレイク場所となるでしょう。
     

2016/12/29

神様と動物行動学と林政

今、神様の本を読んでいる。宗教書ではなくて、宗教解説書。

 
なかなか面白い。たとえばキリスト教の教義を成立させたのは使徒パウロであり、キリストの思想というよりパウロの宗教だとか、19世紀にプロテスタントの合理集義、啓蒙主義が広がる中で、神のいる場所は天上ではなく心の中だ、と規定されたとか。
神が心の中にいるとしたことで、ロマン主義が登場する。ロマン主義が、自然崇拝に踏み出していくのだよ。ロマン主義が現在の森林に対する人の価値観をつくったとも言えなくもない。意外と最近ということになるし、不変でもない。
 
 
一方で、宗教は動物行動学と相性がよいとも感じる。
 
宗教は、人の行動原理を突き詰めて説明しようとするのだが、それは人間の行動学と近くなる。しかし人間の行動原理は、動物として、生命体として規定されるから、動物行動学とも言える。その根本原理は「遺伝子のなすがまま」である。ドーキンスの利己的遺伝子論が述べるように、自らの増殖が至上課題であり、そのために遺伝子の乗り物である生命体の行動を操るからだ。
 
私、学生時代は森林生態学を志したとことあるごとに記してきたが、出発点は動物行動学だった。野生のオランウータンはどんな行動をしているか、知能はどの程度か、というところから入っているからね。サル学にもはまった。
 
 
すると動物行動学は、人間の心理と政治を読み解くことに応用できることに気づく。
 
実は、私自身は組織に属し組織行動が苦手な人種であり、結果的に個人で活動している。しかし、組織のマネジメント論に対する興味が強い。ドラッガーを始め、結構な量の組織経営論を読みふけった。組織経営は、畢竟、人間の心理学であり行動学であると思う。そして経営は、人間社会全体では政治に行き着く。私は、政治に興味があるのだ。
どこで活かすんだ、と我ながら疑問だが、きっとそのうち、私が会社の社長に就任する日、政治家になる日も来るだろう(笑)。
よりよき社会を作りたければすぐれた政治的マネジメントが必要だが、マネジメントには心理学、行動学、そして宗教というか思想的規範が求められるのではないか。
 
 
そんなことを考えながら、マネジメントを森林や林業の世界に当てはめると、現状は「わかっちゃいるけど、止まらない」状態なんだな、と感じる。
 
一例として、今や林業界は「主伐の時代」に入っているが、その理由は「伐期の平準化」だそうだ。戦後、大量に植林した人工林によって林齢が偏っているのを正すのだそう。これは「正す」のが目的だから、正したら止めるのが基本だろう。(そもそも、正さなくてはいけないのかどうかも怪しいが。)
 
主伐は、言い換えると皆伐なわけだが、適切な時期が来たら止められるか。
 
無理だろう。皆伐のための組織や技術、設備、それに意識が固まった時点で止められないのだ。止めたら、目先の仕事を失う人が多く出るから、遠い将来の手法は選べなくなる。目先の政治に終始するのだ。過去の事例、いや現在の数々の事例でも、それを示している。
 
伐りすぎて、伐れなくなるまで続く。伐れなくなるから放棄する。幸い、消費側からすると木材の代わりとなる素材はいくらでもあるから木が伐れなくなっても気にしない。……かくして林業は壊滅するわけである。
 
本当は、そこまで先を読んで行動するのが人間の政治であり、マネジメントなのだが。あとは、神に祈るしかない。
 
最後にドラッガーの言葉。
 
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さて、今年はここで打ち止めにする。頭の中にはいろいろ湧き出て来るのだが、年末年始はあえて脳内に留めて醗酵・腐敗させてみよう。
 

2016/12/28

山岳科学の学位って……

来年4月より、山岳学位というのができるそうだ。

 
筑波大学・信州大学・静岡大学・山梨大学の4つの大学が連携して、山岳地域の環境問題を学び、山岳生態系の管理などを行う人材育成を目指して、新たな大学院(修士課程)をつくり、修了時には、「修士(山岳科学)」の学位を取得できるようにする。山岳科学の修士号は世界的にも珍しいだろう。(というか、ほかにあるのか?)
 
プログラムをスタートするに合わせて、筑波大に研究部門の「山岳科学センター」を来春発足させるとか。
 
山岳学位! なんとも不思議な、魅力的な学問分野だ。もっとも、昔から大学の山岳部(山学部)出身です、という輩はいたが。私も大学は探検部出身です、とのたまっていた。
 
どんな内容かと探ると、筑波大学に山岳学位プログラムのサイトがあった。
 
そこから引用させてもらうと、
 
2  1
 
ちょっと自然科学に偏った説明だが、農学分野、理学分野、工学分野を含み重なる部分をイメージしているようだ。
 
もっとも、農学分野というのは、ほぼ林学のことである。造林学、林産学とか林業経営学、山村社会学、森林保護学、森林風致学まで含めている。みんなカリキュラムにあったなあ。
 
で、理学分野とするのは、生態学地形学、地質学、気象学、水文学……。これ、私は林学で学んだけどなあ。
 
工学分野とは、河川工学、砂防工学、森林工学……これらのテキスト、いまだに我が書棚にあるよ。林学分野じゃないの?
 
 
というわけで、山岳科学と呼んでいるのは、昔の林学とあまり変わるように思えない。林学は、自然科学、社会科学、人文科学、すべてを包含しているからだ。ないのは文学だけだ、と言っていたものである。
もっとも、現在は林学そのものが崩壊して森林科学、生物生産学部などと名前を変えて、内容も以前ほど幅広くなくなったから、比べるべきではないかもしれないが。
いや、昔の林学が崩壊したのは、その幅広さゆえかもしれないのに、また幅広くして大丈夫か?
 
 
めざすのは、山岳域における自然変動・人間活動に伴う地圏・水圏、生態系、自然資源に関する課題の解決に貢献できる人材の育成……だそう。
肝心の就職先は、国家・地方公務員、国立研究開発法人/地方研究機関等の研究員、一般企業、組合等職員、NPO/ NGO……大雑把(笑)。実際のところ、公務員以外はオマケみたいなものだろうか。これも、かつての林学出身者の就職先と酷似。あ、私ははぐれていましたけどね。どれにも該当しない(笑)。
 
何を持って山岳学位という発想が生れたのか知りたいところだが、我が母校も参加しているのだから、一応期待しておこうかな。。。。
 

2016/12/27

Yahoo!ニュース「薪はやっぱり広葉樹?…」書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「薪はやっぱり広葉樹?それとも…… 」を執筆しました。

 
今年最後の裏事情になると思うが、これを書く前の日に本文でも紹介した北海道新聞の
という記事にコメントをつけている。
 
 
実は、このコメント、Yahoo!ニュースの編集部から依頼を受けたものだ。「こんな記事があるのだけど、専門的な解説をしてくれませんか」とあったのだ。この際にはオーサーコメント欄を使う。オーサーとは、Yahoo!ニュースの執筆者のこと。通常のコメント欄とは別に設けられているのである。
 
ほいほい、と私は安請け合いをして、書いた。ところがアップ場所を間違えて、一般のコメント欄に書き込んでしまった。
 
その指摘を受けて、焦りつつもコピーアンドペーストでオーサー欄にコメントを移したりとドタバタしたのが昨夜のことである。
 
 
みっともない(⌒~⌒ι)とほほ...。
 
 
その七転八倒、名誉挽回、失地回復、野放図逆キレ……ではないが、ええいと続編を、今度は自分の記事として書いたのが、今回の薪の話。
 
なんと、回りくどい足跡であることか……。
 
でも、薪に関しては、みんな一家言持つ人が多いようだ。それぞれイチオシの薪があり、薪の扱いや調達方法に思い入れがある。広葉樹がいいのか針葉樹がいいのか。ナラがよいのかスギだって楽しいのか、サクラの薪は匂いがタマランとか、ヒノキはやっぱり火の木だ、カラマツのヤニの焦げ方が好きとか。
 
それでいいんじゃないかなあ。それぞれの考え方と思いで薪を愛すれば。
 

2016/12/26

BS-TBS『日本遺産』に吉野林業

昨日の朝になるが、BS-TBSテレビの『日本遺産』という番組で、吉野林業が取り上げられていた。(先週は木曽林業だった)

 
日本遺産 』は文化庁が選定する歴史的ストーリーに絡めた文化財だが、それを紹介する番組だ。1回に2本、1本15分である。
 
さて、どんな風に紹介したか。まず吉野山の紅葉から樽丸、割箸、三宝といった木工品、それに木材市場などを紹介しながら、吉野川を遡って川上村に入る。
 
伐採風景や密植多間伐、筏流しなどかつての吉野林業を紹介。
 
3 村有林の「歴史の証人」
 
4 なんと、吉野林業全書。
 
6  
 
土倉庄三郎も紹介したではないか!
 
そして林業で栄えた証拠として、吉野の村々にある近代洋風建築物も紹介。
 
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黒滝村の旧庁舎。ほかに上北山村の庁舎とか、村内を走る車の動画とか。
 
子細に見ると、時代を間違ったこともナレーションで言っているし、いくつかの事象を強引に関連づけた紹介もしているが、まあ、細かなことは気にしない(^o^)。
 
 
ちなみに、このところ奈良がよくテレビに登場する。ブラタモリの奈良編再放送とか、今晩も春日大社の黄金の太刀をやっていたしなあ。
 
また今朝のアサイチでは、黒滝村が出ていたのだよ。
 
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山の祭りに出くわした! と長さ八幡神社の「恩供まき」神事を紹介していた。もっとも、トンデモハプニングになるのだが……(笑)。
 
 
 

2016/12/25

クリスマスイブは、眠り杉枕で

クリスマス・プレゼントは、クリスマクラ……クリス枕。

 
オヤジの駄洒落になってしまった。
いえ、本当に届いたのです。枕が。正確には「眠り杉枕」と言います。
 
製造元は、福島県いわき市の株式会社磐城高箸。そう、割箸メーカーである。
割箸の余った木っ端で枕をつくるという話は以前より聞いており、私も少しだけ意見を出していたが、ついに完成したのだ。
 
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わりと大きい。また、比較的硬め。三つの山があり、それが頭にフィットする。
ただ、これだけだと、中に何が入っているのかわからない。
で、カバーを開けてみる。
 
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ちゃんと間伐材マークと木づかいニッポンのマークが付いていた。
さらに中を覗く。
 
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おお、ようやく透けて見えたぞ、木片が。この薄い包み生地は、オガ粉を外に出さずに香り成分は放出する微細構造をしているそうだ。ここを開けたら、チップを直に見られる……というか出し入れできる。たまに天日干しするとよいそうだ。
 
 
実は、これまで私が使ってきた枕も、木質チップが入っているものだったが、それは丸ごと一つの袋に入っていたため、枕の形が自在に?変わる。ときに低くなりすぎるので、タオルを巻いていた。3つの袋に分けて入れると゛そうしたズレがなくてよい。
ちなみに、長年使っていると香りがしなくなったので、時折木曽ヒノキの精油を振っていた(~_~;)。ただ、それも尽きた。最近は百均ショップで見つけたユーカリオイルを振ったりしている。なんの匂いだかわからん状態だ。
 
 
眠り杉枕は、当然スギの香りがする。ヒノキほど強くないし、やはり密閉状態だから匂いはほのかだが、頭を置いているとふんわり香りに包まれるようだ。
 
 
ちょっと驚いたのは、使われている磐城杉の分析。
磐城杉というブランドは、実は木材業界にはない。その意味で建材としては弱いのだが、意外な効能が発見されている。
 
「他の国産杉と比べて伸縮性があり、さらに中身がスポンジのようにスカスカ」
「十分に乾燥しているため吸水性にも富んでいます」
 
これ、スギ材の建材にするには、不人気な要因だろう。スカスカと言われては……。伸縮性があるというのも、すぐ凹むことになる。
が、それを枕にすると最適素材となるわけだ。
 
つまり特徴を弱みとせず、強みとする商品開発というわけである。
 
詳しくは、眠りスギ枕サイトへ。クラウドファンディングもやっているのである。
 
 
私の正直な感想としては、中のスギチップが見えないのは残念。と言っても透明にするわけにも行かないだろうが、販売のときは中にこれが入っています、というスギチップの見本を添えてみてはどうだろうか。
上記の磐城杉の特徴もちゃんと記して。
 
それと、枕の寸法はちと大きすぎる気がした。好みもあるだろうが、この大きさだと、頭の一部しか乗せられないから、一人では余る。もしかしてダブルベッド用?(~_~;)。一回り小さなサイズも出せないだろうか。高さの調節はできるようである。
 
旅行の際に持参して(車を使う旅だろうなあ)、各地の名所で枕敷いて寝る、「旅する枕」安眠シリーズなんか誰かやってくれないかなあ。
 
なお、今回はこんなおまけも付いていた。
 
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熊本復興も始めたんだね。
 

2016/12/24

大和名所図会の吉野林業

ふらりと入ったブックオフで、掘り出し物の本を見つけた。

 
奈良名所むかし案内」(著・本渡章 創元社)である。サブに「絵とき「大和名所図会」とあるように、江戸時代に発行された「大和名所図会」を解題した本である。
 
奈良は、江戸時代初期から観光地だった。そこでいろいろな観光ガイドブックが発行されている。そのトリというか決定版として1791年に登場したのが、「大和名所図会」なのである。
 
この本は、多くのイラストと多数の詩歌や古典を引用しつつ大和(奈良)の名所を紹介しているもので、現地取材もして描かれたものだから、図柄もかなり正確と見てよいだろう。 
 
それを今風に解説している本なのだが、改めて読むと味深い点が多々ある。生駒山周辺も登場する。
 
が、より面白いのは、この中には吉野林業も紹介されていることである。吉野のサクラだけでなく、筏流しの様子なども描かれているのだ。林業も観光対象であったか。
 
絵が大きすぎるので、一部を切り取るが、
 
2
 
場所は、吉野川の中流域、現在の五條市近隣(その部分は音無川と呼んだようだ)だが、下っていく筏を眺める風景を描いている。これで、当時の筏の構造もだいたい読み取れる。何本の丸太をどのように結んだかということもわかる。丸太は中径木で、あまり大径木は使わなかったようである。
 
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筏の上に、樽丸のような木片の束が積まれている。当時、この筏を上に乗せる貨物が利益を上げたそうだが、それを伝える貴重な文献だ。五條には代官所があり、そこで検査を受けて口金(税金)も取られるのだが、筏上のものは無税だとこともあるようだ。
 
さらに、こんな街の風景も。
 
Photo
 
これ、頭に帽子のようなものを敷いた上に丸太を乗せて運んでいるのだが、いずれも女性である。かなりの怪力だ(笑)。
おそらく、材を加工場に運んでいるのだろう。吉野の下流(下市等)は職人の街だから、筏で流されてきた木材の一部は、ここで買い取られて職人が碗や杓子、経木、曲げ物などに加工する。その途上の風景ではないか。そんな運搬は女性の仕事だったことが読み取れる。
 
ちなみに明治の吉野林業全書では、運搬に関わる人はほぼ全員が男として描かれていることを考えると、いつから変化したのか面白い。
 
残念ながら伐採などの山地の様子は、さすがに観光客の立ち入るところではなかったのだろう、登場しない。それでも過去の林業を推測する一助になるだろう。
 
歴史大河ドラマに伐採シーンが登場する時は、注目して見てね(⌒ー⌒)。

2016/12/23

取材に悩むこと

先日、東京からフリーライターが私の取材に来た。土倉庄三郎についての記事を執筆することになったのだそうだ。

 
土倉翁を紹介してくれるのは嬉しいことなのだが、彼も明治から大正~昭和初期の某人物を追いかけて出版予定があるという。その参考資料に拙著『森と近代日本を動かした男』が入っているらしい。
となると、単に同業者というだけでなく親近感がわいて、話はどんどん脱線していく。
 
その人物を追いかけて内モンゴルまで出かけたというし、背景の明治社会についても意見交換して盛り上がる。そのほかの仕事のことでもお互いいろいろ内輪話をする。結構、やばい話も聞いた。彼は、わりと有名人のゴーストもやっていたそうだ……(~_~;)。
 
そんなわけで意気投合し、彼は奈良に泊まるというのでその晩一緒に飲みに出かけたのである(^o^)。
 
いやあ、結構飲みましたね。居酒屋からバーまで行って、ジンのウンチク垂れて(私が)。ああ、ウンチクオヤジになってしまった。
 
 
ただ話題の中心となるのは、やはり仕事、つまり執筆のことなのだ。なかでも取材である。何が大変って、取材先のOKを取り付けることに苦労することもさることながら……もっとも悩み深きは取材経費の調達である。
 
今、出版界はどんどん経費削減に動いている。企画を出してOKが出たら経費もらって取材して記事を書いて原稿料もらって、出版して印税もらう……というサイクルがなかなか働かなくなっている。書いたら掲載するよ、出版するよ……という状態だ。しかしこれが厳しい。
 
ここで一応説明しておくと、自分のテーマを持っているライターは、とにかく書きたいという気持ちが強い。その際に求めるのは、何より取材経費なのである。思い存分取材したい。ネタを集めたい。ところが取材すればするほど身銭を切ることになると、どんどん気分がしぼんでいく。思い残すことなく取材ができない。よほど金に不自由しない身分で執筆活動が余技である場合でないと、満足するまで取材をしまくることはできない。
 
ここでは原稿料と取材経費は別物だ。
原稿料は高いことにこしたことはないが、純然たる報酬である。ところが取材経費は実費だ。もし原稿料が経費込みとなると、ちょっと意味合いが変わってくる。取材の手を抜いた方が手取りが増えることになるからだ。それが取材の心理的ブレーキになる。5か所取材して書きたいところを3か所にして、いや2か所でいいや……という気分にもなる。(電話取材だけ、いや資料起こしで取材せずに書くライターもいる。)
 
 
ま、私なんかも、足を運ぶよりは経費のかかりにくい文献渉猟の比重が増えてきたけどね。それはテーマにも寄る。『森と日本人の1500年』は歴史的な要素が強いから、否応なしに文献に頼るが、『樹木葬という選択』はとにかく現場を訪ねることに意味があり、全国を自腹で飛び回った。
 
ちなみに彼はなかなか凄腕で、上手く出版社から取材経費を引っ張りだしているようだ。
 
それでも、愚痴は出る。でも、何が書きたいか。(取材対象の)どこが魅力か。いかに肉薄するか。失敗談あり成功の喜びあり。そして、どうやったらこの世界を生き残れるか。話しているとわくわくするのである。
 
考えてみれば、私の身近に同業者は少なく、とくにフリーでルポルタージュを手がけるライターにほとんど出会わない。貴重な出会いになったのである。
 
 
というわけで、痛飲しました。この飲み代の経費は、彼が編集部から出させるというので、私も心置きなく飲めたのでした(笑)。
 

2016/12/22

AIの方が林業に向いている?

先日、大学の同窓生(というと、語弊がある。私は留年したので卒業年次が違った)が大阪に仕事で来たので会って飲んだ。

 
彼は、学生当時ワンダーフォーゲル部の主将で、現在は田舎の高校で国語の教師をしている。以前はしょっちゅう大阪に出てきて一緒に飲んでいたが、今回は久しぶりだ。
 
飲んでいるうちに、彼がセミナーでAI、つまり人工知能の研究に触れたことを語った。そして、「教師という職業は、そのうち人工知能に取って代わられる」というのである。
 
えっ? と私は驚いた。さまざまな仕事が機械によって取って代わられる時代だが、人間にとって最後の拠り所?はクリエイティブ、つまり創作的な仕事と、対人間相手の仕事ではないか。とくに子供を相手とする教師は、最後まで生身の人間が担当するんじゃないの?
 
しかし、彼はいうのである。教える技術は、テクニックの蓄積が進めば機械の方が上手く教えられる。情操教育だって、テクニックで補える……。
 
私は反論した。私自身は科学技術を信奉しているが、同時に人工知能の限界というか、現時点での脳科学の研究レベルからすると、まだまだ、数百年から1000年くらいかけないと人間そっくりの知能はつくれないと思っているからだ。一つの謎を解けば10の新しい謎が生れる世界である。
加えて知識を教えるだけの役割ならともかく、情操となると対生徒の心を読んで的確な反応を行わねばならない。それも表情や言葉の抑揚、しぐさまで含まれる。そんな機械が、そう簡単につくれるとは思えない。いや、そもそも相手(生徒)が、この教師は機械なのだ、ロボットなのだと思えば、どんな適切なアドバイスもしらけるのではないか。。。
 
何より情操を重んじる国語教師が、AIに負けると自嘲的になられたら困る。
 
 
まあ、その時はそれで終わった話題だが、考えてみたら人間の教師だって完全に生徒を導けるわけではないし、むしろでき損ない教師が多いといわれる時代(~_~;)。平均点を争ったら機械に負けるときが意外と早く来るかもね、と思い返した。
 
 
そこから連想したのだが、生徒という人間=生物を相手にするのが難しいのは、あまりに複雑で個体差も自然環境条件の微細な影響があって予測不可能な面があるからだ。それは人間だけではなく、動物や植物全般に言えることかもしれない。
 
アメリカのメディアラボでは、農業のデジタル化を研究しているそうだ。多数のセンサーによって作物と環境の反応を記録して、素人でも完璧な農業をできる世界をつくろうという試みらしい。勘に頼る農業が限界に来ているという認識だ。
それは閉鎖空間の植物工場なら、ある程度は効果があるかもしれない。しかし露地栽培ではどうだろうか。
 
ならば林業はどうだろうか。農業以上に条件は多様だ。しかも地形や地質、草木、菌類まで含めた生態系、気象環境……自然そのものとも言える森林が相手だ。そこに完全無人の林業機械は登場できるだろうか。
 
しかし、よくよく考えると、伐採対象の樹木の形状や枝葉の状態から重心を判断するのは精密なセンサーで樹木を計測することで可能であり、それは人間の見た目より確実だろう。
さらに伐採業だけでなく、どの木をどのように伐って運び出すのが、もっとも低コストで一番高く売れるか判断できる。1本ずつ木質や長さなど特徴を計測して市場動向も瞬時に計算して需要を判断することも可能になる。もっとも有利な出荷先も決められる。森林生態への負荷を可能な限り減らす方法も選べる。面倒だ、と嫌がることもない。事故も減るだろうし、疲労から誤った判断を下すこともない。
 
……なんだか、今の人間の林業の方が機械的に作業しているような気がしてきた。現在の林業現場は、作業員に判断させることなく、一律の伐採(列状間伐が最たるものだ)を行ったり、需要を考えないで大量に出荷して、材価を下げてしまっている。
人間の方が、全然きめ細かな作業をできていないのだ。それこそが林業不振の理由の一つでもある。
 
機械の方が人間的?になる進歩というのも有り得る……そう気がつくと情けない気持ちになった。
 
しかし、意外とAIに任せた方がよい仕事分野は多いのかもしれない。私自身は政治こそAIに任せた方が、イデオロギーや好き嫌いの入らない政策判断ができて今よりマシじゃないかと思っているのだが。。。

2016/12/21

「逃げ恥」の“搾取”

TBS系のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』は昨日が最終回だった。

 
これ、ラブコメディという分類なのだろうが、私はどちらかというとラブ・マネジメントとして見ても面白かったように思う。だいたい二人の会話は、まるでロジカル・シンキング。夫婦は雇用-従業員関係で成り立つのか、共同経営者か、なんて議論しているのだもの。ちょっと理系ぽい。
 
ま、ドラマは面白くみたらよい。
 
その中で私のもっともお気に入りのセリフは「やりがいの搾取」「好きの搾取」だ。
仕事として面白いから無料か低賃金で働いてくれ、好き同士で結婚したのだから家事はボランティアでしてくれ……という意味だ。
主人公森山みくりに、こんなセリフがあった。  「人の善意につけこんで労働力をタダで得ようとする。これは搾取です」
 
実は、私も「これって……」と憤懣やる方ないケースに遭遇した。
 
話は2年前、いや正確には2年8カ月前に遡る。
 
某出版社から原稿の依頼が来た。ある業界の事典的な本づくりの一部を執筆してほしいというものだ。編集を統括している某大学の教授が、私を指名したのだという。執筆陣も、私以外はほぼ研究者ではなかったか。
 
もちろん了承しましたよ。もともとその分野は、本を執筆している。ただ依頼があった時点でも随分年月が経つので、改めて情報を集めて分析しなくてはならない。呻吟しつつ、何日間もかけて書き上げた。送ったのは数カ月後である。なんだか、語句の統一表とか、契約書と説明書の量が多かった記憶がある。
 
その時は幾度か編集部とやり取りしたが、そのまま音沙汰がなくなった。その年末、どうなっているのか問い合わせた。
 
すると、ほかの執筆陣が遅れている……(私が原稿を納めた期日がデッドラインではなかったのか?)ので、ということだった。支払いは印税なので出版されないともらえないという。
 
さて、それから1年。まったく音沙汰がないので、私も堪忍袋が切れて、出版の有無に関係なく支払うよう督促した。
 
その時の返事は、いまだに執筆が遅れている……というものだ。ただ私が強硬なので、概算して先払いします、と返信してきた。
 
私が執筆した分量の全体の割合と、だいたいの定価・発行部数から計算すると……4000円(ここから源泉徴収などの税金を引くから受け取るのは3000円あまり。)
 
計算の仕方がおかしいのではないか、一桁間違っているのではないかと、私は疑ったほどだ。これが2年半待って受け取る対価なのか……。取材や資料収集のコストとか、執筆に要した時間を勘案したら、ほとんど対価はなしに等しい。
 
これって、何の搾取なの?やりがいの搾取? 好き……ではないな(;´д`)。権威ある「事典」の一角に執筆できたらハクがつくでしょ!的な搾取?
 
給与もらって研究して、余技で執筆している連中と同列に扱われたらタマラン。  
依頼を受けたときに、受け取れる印税の概算を聞いておかなかった私がバカだったのか。本当に私に依頼したかったら、あらかじめ支払える金額を示して了解を得るべきではないのか。
 
引き受けるにしても、調べ直さず記憶だけで書けばよかった。あるいは昔の原稿を再利用するという手もあったな。
 
ともあれ、もう忘れたいので了承したよ。損金扱いしておこう。でも、ある意味、逃げる。恥ずかしいが、交渉に無駄な労力を使いたくない。この経験は、今後役に立つだろうか。ともあれ搾取された恨みは根深く残るのだよ。
 

2016/12/20

Yahoo!ニュース「大木の尊厳死を考える」書いた裏事情

Yahoo!ニュースに『大木の「尊厳死」を考える 』を書きました。

 
これ、最初はブログネタだったのだけど、「尊厳死」という言葉が浮かんだので、「あ、Yahoo!にしよう」と方向転換(^o^)。逆に、Yahoo!ネタになるかな、と思っていた「樹根の世界」をブログに持ってきたという。。。
 
本当は、大木を目にして神聖なる気分に浸ろう……と思っていたのに、実際に訪れると可哀相な気分になってしまった。それがきっかけと言えばきっかけだなあ。
もちろん、少子高齢化の問題も人間界と一緒だということを意識したが……。 
 
能勢町の人には嫌われるかもしれない。しかし「人はなぜ大木を伐るのか」を書いたばかりで、タイムリーと言えばタイムリーだった。
 
 
なお今回気をつけたのは、タイトルを短くすること。長いタイトルにすると、Yahoo!では2行になってしまう。1行で納めた方がキレイと思ったのだ。
 

2016/12/19

樹根の世界

NHK大河ドラマ「真田丸」、終わってしまいましたね……。

 
ドラマは終わったが、大阪の街では本物の真田丸の調査が行われていることを知っているだろうか。実は、大坂城の出丸だった真田丸は、正確な場所や形状などまだわからないことだらけ。ドラマ「真田丸」の影響か、この1年随分積極的に調査されてきたのである。
 
そこで使われるのが地中レーダー。
 
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さて前降りはこれぐらいで、地中レーダー。これを使うと、地面の下の樹木の根の在り処や形状なども読み取れるそうだ。そんな研究の「樹木の根を掘らずに視る」公開講演会が先日神戸で開かれた。
 
講演を聞いたところ、地中レーダーによる樹木根探査は、まだ道半ばであると感じたが、樹木の根に眼を向けると、面白い世界が広がっていることは非常に感じ取れた。
 
4  Photo
 
まず、当たり前のこととして、樹木の根の深さはどれくらいか。
実は大半が1メートル程度で、深くても3メートルまでのようである。なぜなら土壌がそれくらいの厚みしかないからだ。
ところが樹木の高さは、高木なら10メートルは普通で、30メートル以上の例も少なくない。言い換えると、地表高く伸びている樹木も、根は地面のすぐ下に広がっているわけだ。
 
よくスギは浅根性だからよく倒れるとか、広葉樹は深根性が多くて風害に遇いにくいとかいう人がいるが、どうも怪しい。そもそもスギはわりと真下に根を伸ばす。まあ植林する際に切ってしまうケースもあるが。
いずれにしろ、樹木全体からすると根の深みはいずれの樹種でもたいしたことなくて、倒れる可能性は根の深さではなくて、広がりに左右されるのではないか。いかに広く根を伸ばしているか。これが鍵だ。(深い根があれば、それなりに有利だろうが……。)
 
となると、隣の木との距離が重要となる。間伐していない林の場合、密生状態だから根の広がりは小さくなる、だから倒れやすい……。
もっとも一本の木ではそうでも、密生しているわけだから森林全体としては根が密に広がっていることになり、土壌安定効果が高まると見ることもできる。
 
 
それに根が特異的に無機成分を集積することも知られている。ある種の植物は亜鉛やカドミウムなど金属を選択して集めるというし、樹が土壌のph値を変えるとも聞いた。植物が能動的に土壌の性質に関与しているわけだ。
 
 
人が意識する樹木は、地表、とくに人の目の高さの幹と枝だろう。ちょっと上を向いても樹冠が目に入るのは高さ3メートルくらいまでがほとんどではないか。しかし、植物的に大切なのは、そんな目の高さの部分よりも繁殖部分であり、物質交換をしている部位ではないか。
 
近年は光合成をして、花を咲かせて実が成る樹冠の研究が盛んだったが、次は樹根かな。根は水や養分を吸い上げるだけでなく、さまざまな物質の排出もする。菌根菌との共生や寄生など地中生態系もあれば、腐食することで炭素の蓄積にも関わるわけだし。
 
3_4  地表に広がる根と
 
1_3  地中でも広がれない根。

2016/12/18

なぜ人は大木を伐るのか

昨日、奈良で「ナラ枯れと里山林のダイナミズム」というシンポジウムが開かれた。

 
奈良枯れ、じゃなくナラ枯れに関する、森林史や生態学から樹木生理学、病理学、リモートセンシング、そして二酸化炭素排出に至る広範囲の分野から捉えた深い内容であった。
 
1
 
非常に勉強になったのだが、シンポジウムで出された意見を一言でまとめると「ナラの大木は、みんな伐れ」だろうか。……こんなまとめ方をすると、きっと関係者は怒り心頭かもしれない(⌒ー⌒)。 
会場には、とまどう声も出ていたが、私自身は非常に我が意を得たり、である。
 
ただ私は、ナラ枯れを特段取り上げてそれを防ぐために、と考えているわけではない。実は、このところ私が沈思黙考・千思万考しているのは、「人は、大木を見ると伐りたくなるのではないか」という仮説である。(全然沈思していない。)
このように言えば、また反発が出るかもしれない。「大木ほど神々しく守りたくなる」と。
 
それもまた真なり、である。が、一方で伐りたくなる心理や理由も登場するのではないか、ということを感じているのだ。もっと言えば、木を見て、神聖な気持ちになるのと、禍々しく感じるその境界線について考えている。
 
 
実は、日本に限っても、大木を伐採する逸話はいつの時代にも登場する。
古くは古事記や日本書紀、そして風土記にも高さが1000メートルにもなり、直径が100メートルを越える巨樹があって、朝夕の木陰は隣の国まで届く話が登場するが、みんな伐採されてしまう。
 
巨樹は聖なるもののシンボルであるとともに、不都合で禍々しいものの象徴なのだ。同時に、伐採して得られる利得についても人々は考えを巡らせるのだろう。得られるのは木材であり、日照であり、破壊欲かもしれない。
 
そして、今も大木は狙われる。いろいろ理由をつけて伐られている。
 
 
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こちらは、大阪府能勢にある「野間の大ケヤキ」と呼ばれる大木。
 
これ、天然記念物にもなって、保護されている。正直、弱りかけているのだが、必死に活かそうとしているのである。
 
 
なぜ、守らなくてはいけないのか。ここでは枯れない(伐らない)ことが、利得につながるからだろうか。観光名所、地域の誇り、緑の癒し……。
 
しかし、遅かれ早かれ寿命は来るのだ。木を伐る論理を鍛えておいてもよいかもしれない。とくに林業関係者は。
 
私も、タナカ山林のナラ枯れ木を伐る論理と利得について練っておくよ。。。
 
 

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森と林業と田舎