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森と林業と田舎の本

2019/10/15

報道に見る「被害と原因」の因果律

やはり出てきたか。そう思わせる記事が林政にュースにあった。

林野庁と千葉県は、9月の台風15号で発生した大規模な風倒木被害に関する緊急調査の結果を10月11日に公表した。どこで被害が起きてもおかしくない強風と地形的な要因が相まって、人工林・天然林、樹種などを問わず風倒被害が発生したと分析。サンブスギの多くが溝腐病に罹病・腐朽していたが、「倒木の発生原因とは必ずしも言えない」とした。

これは「倒木の原因は山武杉の溝腐れ病」という報道がなされたことに対する返答だろう。そして、溝腐れ病の存在を大きく広めた一人として私と、私の記事も含めているに違いない。

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で、私は反論するというより、この意見に同意する。いや、初めからそう言っている。

ここで改めて私の記したことをなぞると、台風被害で「中折れしているスギが多い」⇒「千葉県は山武杉が多く植林されていて、その杉の多くは溝腐れ病に罹患している」「溝腐れ病になると幹が途中で折れやすい」と説明してきた。倒木すべてを溝腐れ病のせいだとは言っていない。

また多くのメディアに私がコメントしているが、必ず私は「今回、多くの倒木が出た理由は、何といっても台風15号の風が強かったから」と説明している。そのうえで「街路樹などは根元から倒れているのが多いが、山に植えられたスギの多くが幹の途中から折れている」「中折れした倒木の処理は、通常の倒木以上に難しい」⇒停電解消には時間がかかる、としたのだ。

実際、あるテレビ局の番組では「根元から倒れた木」と「中折れした木」を並べて写して、なぜこんな違いが出たのか、そして今回の千葉では中折れが多かった……ことを説明していた。これは、かなり丁寧に取り上げてくれたと思っている。ただ、中には一部を抜き出して「山武杉は病気がかかっていてすぐ倒れた」と説明してしまうケースもあった。

だいたい千葉県の森林のうち人工林は4割ぐらいで、そのうち8割がスギで、スギの2割ほどが山武杉。山武杉の8割は溝腐れ病。こうした数字を突き合わせたら、溝腐れ病にかかっているのは森林全体の5%にすぎない。

どうしても報道は(時間や文字数の関係で)端折る部分が出るし、単純化してしまうのは仕方ない。そして読者・視聴者も読み聞きしたうちで理解して記憶に残すのは、全体のほんの少しだ。いくら懇切丁寧に説明しても正確に伝わるのは一部になる。これは報道が悪いとか、視聴者がアホだとかいうのではない。人的コミュニケーションとはそういうものなのだ。

ただ、やはり情報のリテラシーを磨くことは大切だろう。さもないと、結果をつくった原因を誤ってしまう。

ちなみに台風19号でも、ダムの緊急放流がいけないとか八ッ場ダムが洪水を救ったとか、スーパー堤防をつくれとかという言説が垂れ流されつつあるが、これもいい加減。もともとダムの貯水量なんてしれていて洪水の時間差をつくるものにすぎないし、もし放流せずにダムの整備が壊れたらより大災害につながりかねない。八ッ場ダムも今回の雨量・河川流量の数%にすぎない。巨大洪水の前に効果は限界があるのだ。そんなこと、ダムが建設される前から計算でわかっている。またスーパー堤防は幅が広いのであって高さは従来の堤防と一緒。かといって見上げるばかりの高い堤防を河川両岸全域に築くのは現実的ではない。ここでは日経新聞などが言い出した「もう堤防に頼れない」の方が正しい。

原因と結果を結ぶのが仏教用語でいう「因果」だが、この因果律をしっかり見極めないと災害対策まで間違えかねない。

 

 

2019/10/14

役所用語と河畔林の伐採

台風19号の洪水状況を空撮映像で見ていると、河畔の樹林帯もかなり水没しているのが確認できる。

つい河畔林は洪水対策に有効かどうか考えてしまった。昔から河畔には竹を植えたりして堤防補強につなげたりしたものだが、河川沿いに樹林帯があることで多少とも水があふれるのを押しとどめたかもしれない。一方で、逆に水を滞留させて流れを悪くすることで越水させる元にもなる可能性もある。ただ河川に沿って森林があることで動植物の生息地として需要な役割を果たすのはまちがいないだろう。とくに広葉樹が多い河畔林は、貴重な生態系を生み出しているはずだ。

もちろん今回の災害は、その雨量が記録的で、河畔林どころか堤防やダムだってほとんど無力だったといえるが……。

そんなときに、こんなものに目を通す。

東北森林管理局の「30年度地域管理経営計画及び国有林野施業実施計画」である。この中の配布資料に目を通していて、興味深い文言が目に入った。

ここでは「渓畔林」という言葉を使っている。そして森林生態系ネットワークを築くために重要だとしている。

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だが、別のページをよく見ると、ちょっと引っかかる文言があった。

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「渓畔林は適切に保全」とある後に、「有用広葉樹がある場合、周辺の人工林の伐採の際に一部利用することも検討」。さらに「間伐等を繰り返すことで大径木育成」「林道沿いの大径木は人工林の伐採の際に利用」なんてある。
なんだ、伐る気満々ではないか。間伐とか大径木育成とか言葉でごまかしているけど、これは河畔林の広葉樹材を得るためというのがミエミエである。「大径木育成」がいつのまにやら「大径木利用」に置き換わっている。言葉を微妙に変化させているところが怪しい。なぜ大径木を育成しようと書きつつ、大径木を伐るのか。
「伐採指定状況」でも、皆伐地の下斜面に当たる沢筋を「間伐」するというが、河畔林の防災能力を落としかねない。

国有林では、スギやヒノキは価格下落で儲からないから大径木の広葉樹を伐りたい願望は昔から強い。大径木の広葉樹材は非常に高値がつくからだ。スギの数倍、十数倍の価格も珍しくない。だから伐りたいのだ。
そもそも国有林の多くが広葉樹林でもある。ただし、天然林を伐ると言うと世間の反発が出る。そこで「渓畔林」という言葉で、その中の大径木広葉樹を伐ることを推進しようとしている……ように読める。しかし河畔林を木材生産する場とすること自体が無理があるのだ。

間伐といえども伐るために重機を入れたら林地を荒らすし、堤防機能を弱めかねない。川の近くだから増水時に水に浸かる可能性もあり、流木発生源になることもあるだろう。伐採跡地が災害を発生させる心配はないだろうか。

こうした役所用語で綴られた計画などは、よほどよく読まないと真意をつかめない。

2019/10/13

森林環境譲与税の配分

いまだ台風被害の全容はつかめていないが、今後は復興の問題も論議されていくだろう。
ちょうど先日記した「超学際的研究の時代…」とつながるところがあって、水害を自然科学的に見るだけでなく、災害許容度や災害後の復興といった社会的な面まで目を配る必要が出てくる。

そんなときにナンだが、森林環境譲与税の配分が始まっている。21年度までは、9月と翌3月の2回に分けて譲与することになっているのだ。今回は総額約100 億円(市町村約80億円、都道府県約20億円)。というわけで、9月30日に第1回目の譲与が行われた。ちなみに配分基準は、5割を私有人工林面積、3割を人口、2割を林業就業者数とするため、人口の多い(森林は少ない)都市部ほど額が多くなるという妙なことになっている。 

総務省が、9月30日に森林環境譲与税を各自治体に配分した額を見ると、最も多いのは横浜市の7104万4000円、次いで浜松市の6067万1000円、 大阪市5480万3000円の順だった。一方で配分額が少なかったのは、沖縄県の渡名喜村(8000円)、北大東村(1万3000円)、粟国村(1万4000 円)。
これを2倍にしたのが、だいたい年間受け取る金額だと言ってよいだろう。ただし、当面は借入金で払っていくため、24年度からの森林環境税の徴収を始めるまでは少なめだ。さらに借り入れ分を返済(10年くらい先になる予定)し終えて満額になると、ざっと6倍ぐらいになるのではないか。つまり横浜市は約4億3000万円ぐらい。渡嘉敷村は4万8000円(^^;)。

こうした金は、森林関連につながることに使うとなっているが、実際の縛りは弱い。こじつけたら何でもOK。だから森や木に関するイベントとか木造建築にも使えるわけだ。

ならば、この譲与金を今回の災害復旧に使ってもよいのではないかと気づいた。山崩れも倒木も、みんな森林絡みだし。洪水被害だって河畔林整備とつなげられる。ちょっとした都市部を抱えているところなら数百万円はあるはず。多少とも足しにはなる。場合によっては、都市部が上流の被災した山村地域に提供する手もあるかもしれない。ま、8000円ではどうにもならないが……。

ほかにふるさと納税なども、こうした被害地が復興のために募集する手として使える。そもそもふるさと納税は、税金の配分を変えるのが趣旨であり、新たな税収アップ策ではない。言い換えると、ほかの自治体の税収をかっぱらう施策だ。泉佐野市のような理念も知恵も誇りさえないえげつない自治体が稼ぐためにある制度ではない。

被災地が利益ではなく復興のために求めるのは、趣旨に沿っているだろう。

 

2019/10/12

『絶望の林業』朝日新聞書評

『絶望の林業』、朝日新聞の書評欄で紹介されました。

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なおネットの「好書好日」でも読めます。書き手は、どうも新聞記者ぽいと思ったら、論説委員でした。

ちなみに、拙著は以前はしょっちゅう朝日の書評欄で紹介されていた。とくに『「森を守れ」は森を殺す!』の出版時には、なんと書評欄で「ここまで書かなくても」と批判?されたのだ。この本は、「絶望の自然保護運動」的だったからね。そして森林ジャーナリストという肩書を最初に使ったのは、その書評ではなかったか。

今回は、タイトルに「環境も経済も持続へ 希望探る」とある。『絶望の林業』のうち希望を記したのは、6分の1ぐらい、それも「無理でしょ!」という絵空事なんだが、そこに注目するとはお目が高い(笑)。

今回の紹介では、プロフィール欄に「フリーの森林ジャーナリスト」としたうえに、著書として『森林異変』(平凡社)と『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』(築地書館)を並べている。このチョイスは謎だ。『森と日本人の1500年』(平凡社)でもなければ、『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)でもない。文字数の関係かね?

ともあれ、共同通信の書評が全国の地方紙に掲載されるのに合わせて広がってほしい。

 

 

2019/10/11

オオカミの聖地でみたオオカミ

超大型台風19号が日本列島に向かっているとのことで、メディアもてんやわんや。先の15号の際には、千葉の大被害をスルーしてしまい、その反省からだろうか。
しかし、あまりに「超大型台風が上陸する!」「早く対策を!」と連呼されるとしらけてくる。単に台風をネタに盛り上がっているだけじゃないか。あまり騒ぎすぎて「オオカミ少年」になってしまわないように。

と言っても、奈良は今のところ平穏です。おそらく生駒山の霊力に守られているからでしょう、知らんけど。


そこで今夜は、のほほんオオカミネタ。

先日、東吉野村を訪れた。ここは吉野林業だけでなく、もう一つの聖地だ。それはニホンオオカミ。1905年、マルコム・アンダーソンが現東吉野村小川で買い取った遺骸を最後に、ニホンオオカミは日本列島から姿を消したからだ。その後、福井等いくつかの地域でオオカミがいたという記録はあるが、公式には確認されていない。だから、東吉野村はニホンオオカミ終焉の地として聖地となったのだ。

そのことを記事にした。

大和森林物語48 幻の生きものたち① 謎だらけのニホンオオカミ

もっとも、ここでは記事ではなく、取材を通じて村内で発見したオオカミを。

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これは有名?なニホンオオカの銅像。実はイヌより小さい。

 

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こちらはモンゴルオオカミ(タイリクオオカミ)の毛皮。もちろん本物。聖地に奉納?した人がいる。比較的新しいが、モンゴルでもオオカミは希少種になっていたはず。密猟かな?オイオイヾ(- -;)

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これは村内喫茶店にあるトルコのオオカミの剥製。おそらく種としてはタイリクオオカミだろう。もちろん本物。剥製コレクターの遺族からの寄贈。やはり聖地には、各地からオオカミに関するものが引き寄せられてくるのだ。

ちなみにタイリクオオカミはでかい。ニホンオオカミの2倍くらいありそうで、生きた個体と向き合ったら震え上がりそう。これを野に放せ、と主張している団体もあるのだが。。。

なお毛皮も剥製も、どちらも間近に観察できる。並んで写真も撮れる。そして触れられる。オオカミファンよ。羨ましいだろう(⌒ー⌒)。やっぱり東吉野にオオカミは似合うのだ。

村内のどこにあるかは、リンク先の記事を読んでいただきたい、有料だけど。

2019/10/10

古墳セラピーに挑戦

ホント、体調が悪い。とくにここ数日ひどいものだ。まず、風邪気味が続き、夜は鼻が詰まって眠れぬ有り様。次に目がしょぼつき、もはや市販の目薬では治まらない。さらにかなり昔の歯の詰め物が抜けたらしく、歯がしくしく痛みだした。そして昨日から急な腰痛。ぎっくり腰か?

結局、歯医者に行ったら、抜けた詰め物の奥に炎症があるらしく、まずは神経の治療から。そして目医者では「もうこれ以上強い薬はない」という抗アレルギー用目薬を2つも処方され、その足で整体院に足を運ぶ。ああ、風邪薬も忘れず飲まなければ……。

というわけで、満身創痍?なのである。

こんなときは、ゆっくり心を静めるのさ……と、訪れたところは、森ではなく古墳(^^;)。

森は必ずしも心を落ち着かせるだけでなく、心をざわつかせる効果もある。もっと静かに心を静める効果のあるところは……と思いついて、ふと石の部屋に籠もりたくなったのだ。

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これは生駒山系の平群(へぐり)町にある西宮古墳。かの古代豪族・平群氏の古墳群の一つだ。実は、この当たり古墳だらけで、さらに中世の山城も重なってあるという史跡の宝庫である。

中に入る。ここはいつでも勝手に入れる。

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石棺もそのままある。この周りは巨大な一枚岩に囲まれているのだ。なかなか精密な造りで石と石の隙間が見えない。

石棺の中に入ってみようかと思ったが、意外なほど小さい。長さ150センチあるかどうか。しかも浅い。深さは30センチないのではないか。
当時の日本人は慎重が150センチ以下だったというから、これでもよかったのか。そして棺桶と言っても、そのまま埋めるのではなく、石の蓋をして玄室に安置するのだから、遺体は寝かせる程度でよいのだろう。

というわけで、古墳に“安置”されて、心を落ち着けようという試みは挫折した(笑)。

とはいえ、暗がりの石の部屋でじっとたたずみ、悠久の時間を感じるのは、一種のセラピーになるかもよ。「古墳セラピー」、売り出せないか?

 

2019/10/09

なぜ?伸びる売れ行き

今週頭より、また『絶望の林業』が売れだした。とくにAmazonで動いている。

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今日(午前)は、なんと全書籍で418位。これは発売以来、最高位だ。ノンフィクション部門でも69位と二桁台をキープしている。

売れて喜ばしいのだが、発売後2か月が経って、この動きはよくわからない。3刷になって、ようやく各地の本屋に並びだしたのかもしれないが、Amazonと直接関係はなかろう。SNSでも、目立ってバズッた様子はないし。

とりあえず週刊エコノミストに書評は載ったが、専門誌だし、さほど大きい扱いではないのだが……。

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これはネット版だが、紙版とだいたい同じ(だろうと思う)。あと、朝日新聞の「次回の読書欄-好書好日」でも取り上げられている。これは今週土曜日に書評が載るよ、という背禁じた告知であるが、まだ本文がないまま、そんなに影響を発揮できるとは思えない。日経の広告は、さほと効果がなかった、とは版元の言葉(^^;)。

では、どこでどんな情報が広がって、売れているのか。わからん。正直、そんなに売れる本だと思っていなかった(^^;)。かなりマニアックでしょ、林業なんて。これまでタイトルの多くが「森林」とか「森」であり、「林業」と付いていなかったのも、森林の方が一般向きという意図からだった。自然よりも産業を扱う方が興味湧くのか。

いや、いいんですけどね。売れれば。ただ理由がわからんと、パタンと売れ行きが止まる恐れでってあるのですよ。

私としては、こつこつ口コミで広がってくれるのが一番。テーマは流行りものじゃないしね。9月は千葉の停電問題でYahoo!ニュースのほか新聞や雑誌に露出したから、このコメント出したのはどんな奴だ? と思って調べてたどり着いたのかもしれない。

ちなみに農水省地下の三省堂書店での8月の売上ランキングでは、以下の通り。

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「森林未来会議」の後塵を拝しております(^^;)。

 

2019/10/08

「健康と自然」の研究は信じられるか?

最近、森林や自然と健康に関する記事がよく目に入る。

たとえば、週に何分以上を自然の中で過ごせば健康さや幸福度が増すのか、その最低ラインが研究で判明 という記事。

イギリスで2014年から2016年にかけてイギリスで暮らす2万人を対象に、自然と触れ合うことで効果が得られるようになる時間を調べたという。具体的には、過去7日間の間に何時間、自然(公園、森林、海浜……)と触れ合いましたか、というアンケートをとって、詳しく調べたらしい。
その調査の結果、少なくとも週に2時間を自然の中で過ごしている人は、自然の中で過ごす時間がゼロの人に比べて「健康状態がよい」「幸福感がある」らしい。逆に2時間以下の人は、全く自然の中で過ごさない人と、健康やウェルビーイングの感覚が同程度。また3時間以上になると、増加割合が緩やかになり、5時間以上自然の中で過ごしてもそれ以上大きなメリットが得られるわけではない……という結果が出たという。

ま、これはインタビューによって得られた主観的感覚なので、それほど確度が高いようには思えないが、自然の中に1週間でたった2時間? その程度でいいの? 私は、どう考えても2時間以上になる。1回森に入って散策すれば、やはり1時間は過ごす。週に2、3回はあるんじゃないか。5時間を越えるかどうかは微妙だが、1回朝からずっと森に入っている日があれば5時間を超すだろう。

どうも、私は無駄に自然と触れ合っているようだ(´Д`)。。。山村住まいだったら、林業関係者だったら、毎日5時間以上かもね。健康には無駄に緑と触れ合っている(笑)。

 

さらにオーストラリア在住の4万6786人を対象に健康状態について調査を行い、居住地から半径1・6キロに占める緑地面積の割合との関連性を調べたという研究結果も出ている。
この場合の緑地とは、樹林地、草地、その他の緑地の3種類。すると樹林地の占める割合が0~9%の環境に居住している人と30%以上のところに住んでいる人を比べると、前者の方が心理的苦痛を訴える人31%、自身の健康状態が悪いと評価した人33%……と、統計学的に有意な低下を確認できたという。そして草地やその他の緑地環境と健康状態には関連性を認められなかった。

少なくても、我が家は数十メートル離れたところから森が始まり、森の入口までも100メートルはない。半径1・6キロ内の面積比だと6割ぐらいが樹林地(笑)。

なんだか私は、えらく健康に効果のある生活を送っていることになるではないか。

こんな取ってつけた「自然と健康」なんて研究結果に惑わされてはイカン(笑)。

 

 

「そこで夕方になってからごそごそ動き出す。とりあえずタナカ山林へ。思えば夏の間はほとんど来ていなかった。やはり酷暑の中運動を控えていたのだ。
見ると草ぼうぼう。ジャングルと化していた。

2019/10/07

NHK番組を見て飢えるナラシカの将来を想像した

昨夜のNHK「ダーウィンがきた!」では、「奈良ならでは!古都のシカ 命つなぐ戦い」をやっていた。これはナラシカ(奈良の鹿)を取り上げた動物ドキュメンタリー。奈良公園で人と交わりながら生きるシカをテーマにした記録だ。メスを巡るオスの争いや、立派な角が危険すぎるので切り落とす「角きり」などを紹介していく。

その中で一部ひっかかった点。

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まず、夜も森に帰らないナラシカがいることの紹介。本来なら昼間は公園や寺社の境内など芝生が広がる街に出て草をついばみ、夜は背後の春日山の森に帰る。ところが最近は、夜でも街の中で過ごし、夜も餌を探しているところを描いていた。
たしかに餌も探しているだろうが、そもそも街の中で寝るようになったことが重要だ。安全を求めて森に帰らなくても公園内でも十分安全と感じだしたのかもしれないし、時間感覚を失いだしたともいえる。ようはシカの生態が変わってきたことに注目すべきだろう。

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ただ、餌不足問題は大きい。番組でも木の皮や落葉を食べる様子を映し出していたが、これは末期的である。あきらかに食べるものが足りない。なにしろ奈良公園内だけで1300頭を越え、春日山などを加えたら2000頭を越えるシカが生息するのだ。生息密度は自然界の100倍以上だろう。それに比して餌となる植物(主に芝なと草類)が足りないのは事実である。だから公園から飛び出し周辺の農地を荒らすことも起こすのだ。

この点を私も昨年、Yahoo!ニュースで「奈良の鹿は栄養失調?鹿せんべい食えたらイイわけじゃない」として記事にしている。
この時は、だったら餌を人間がやれ、という問題じゃない、餌を与えたら野生ではなくなるし、より生息数を増えて問題を大きくすると記したつもりだが、多くのコメントや反応は「栄養のある鹿せんべいを開発して与えろ」だった。。。

より問題なのは、増えすぎたシカの食欲が農地を荒らすだけでなく春日山の植生を壊していることだ。春日山は原生林であることが価値で天然記念物であり世界遺産でもあるのだが、どんどん植生が劣化している。次世代の稚樹が食われてしまって老木ばかりになっているうえ、シカの食べないアセビやナギ、それにナンキンハゼばかりが繁茂するようになってきた。

かといって、「それではナラシカの個体数調整(ようするに駆除)しよう」いうのも困る。あくまでナラシカは天然記念物であり、神鹿として宗教的に1000年以上守ってきた生き物であり、今や観光資源であり奈良のシンボルなのだから。

こうした点を昨年出版した『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』で考察したわけである。

私も考えた。考えて考えて、悩んで出した結論としては「ナラシカはこのまま保護し続ける」である。ただし、餌の給餌などは一切しない。簡単に言えば飢えてもよしとする。それも自然の営みである。そうすることによって、個体サイズは小さくなる現象も起きているし、自然淘汰を受けやすくなる。
一方で、春日山などの植生が荒れる点も享受しなければならない。完全に植生を保護しようとすることに無理がある。そもそもシカのいる森は、どこでも植生被害を受けるのだ。春日山も戦前は荒れ放題だった。結局、長い歴史の中では「豊かな自然」というものが本来の自然ではない、と気づいたのだ。常に自然界にはストレスが存在して、多少は傷みつつ存在するものなのだ。

ただし、森林の一部を柵で囲って、鹿の入れないエリアで現植生を守る。さもないと絶滅種を出して生物多様性を失われてしまう。いつか自然現象としてナラシカが減ったときに、再び植生を広げることに期待したい。それが精一杯の人間のできる「保護」ではないか。

今後、ナラシカはどうなるだろうか。草の餌が足りなくなって飢えたら、高い木の枝を食べようと首を伸ばすかもしれない。首が長いシカが生き延びて、そのうち首の長いシカばかりになる。ナラシカがナラキリンになってしまう。さらに木登りして高木の枝葉をむしりだすかもしれないし、木の幹をボリボリかじりだすかも。もしかしてに昆虫を食べて動物性タンパク質によって栄養つけるとか、池に飛び込んでサカナを食う、いやいやイヌやネコを襲って食べだすかもしれんよ。狩猟を覚えたら、次は芝を栽培し始めて農耕を行うかな。。。とまあ、そんなアホな想像も頭に浮かんだが、動物は環境に適応して生態を少しずつ変え、形態を変え、それが進化につながるものだよ(⌒ー⌒)。

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2019/10/06

人の道を外れて獣道ファン

運動をしなければならないと思った。

近頃の体調不全は運動不足、それも自然不足にあるのではないか。

思えば夏の間は暑さを忌避して、あまり森を歩いていない。昨日のような森散歩はしていたが、ガッツリ歩かないから不眠や肩こりや胃痛や目の充血……と体調がおかしくなるのだ。

と決めつけて、久しぶりに山に入る。運動だから、ザックに水を詰めたペットボトルを幾本も入れて担ぐ。ざっと5,6キロか。これは小手調べ。徐々に重くしていこう……と思って家を出た。予定していた道はすぐに途切れたので、早速木々をかき分けることになる。未知のない斜面を直登する。蜘蛛の巣が顔にかかる。

……ぜえぜえ。あかん。重い。この程度で足があがらん。体力もかなり落ちていることを自認したのであった。これから鍛え直さねば。

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そこに現れた獣道。なかなかくっきり見えて、上等な獣道だ。ここだけなら山の小径に見える。が、後も先もないのだよ(^^;)。

私は獣道ファンである。獣道とは獣(おそらくイノシシ)の通り道だろうが、獣道を歩くと人とは違う視点で山を見られる。何を目的にこのルートを選んだのか、どこへ向かっているのか。そんなことを考えると、思わず自分の人生に当てはめてしまう。人の道から外れて獣道。


ご承知の方も多いが、昨日の朝日新聞の「耕論」の面に私が登場した。千葉の倒木停電から全国の林業危機、森林危機へと話を広げてほしいという依頼だった。さすが朝日新聞というべきか、ひさしく連絡をとっていないかった人から次々とメールなどで「新聞に出ていましたね」と連絡が来る。

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このところインタビューやコメント依頼が相次ぐのは、たまたま森林関連の法律が立て続けにつくられたことに加え『絶望の林業』の出版や千葉の災害と森林絡みの話題が相次いだのに森林林業について発言する人物が極端に少ないからだろう。

もっとも、別の面も見えてくる。

先日電話をくれた方は、以前取材した人なのだが、『絶望の林業』を購入していた。幾度も幾度も読み返したという。そして「ようやく林業のことがわかった。私が受けた仕打ちが理解できた」。

ここで、その仕打ちの内容は紹介できないのだが、かなりひどい目にあっている。この人は親から継いだ山を持っているのだが、理不尽な仕打ちにあって七転八倒してきた人なのだ。その過程で林業界に触れたわけだが、理解できないことばかり。

そして「ごめんなさいね」と言うのだ。実は私が取材を申し込んだ際に、県の役人や林業団体など林業関係の複数の人に私のことを訪ねたそうである。「森林ジャーナリストの田中という人は何者なのか」と。
かなり評判が悪かったそうである(^^;)。だから取材時も色眼鏡で見てしまった……。たしかにつっけんどんな対応だったなあ、と思い返す。

私としてはしてやったりである。林業界に喜ばれることなんぞ書いていたら森林ジャーナリストは務まらん。もともと業界に寄り添わない、ニッコリ笑って振り抜きざまに切りつけるのが信条だが、悪評こそ勲章。有り難い。

獣道だなあ。

2019/10/05

湿原のツリフネソウ

生駒山湿原地帯の定点観測。

秋に入った(入った気がしないけど)ら、ハンゲショウから次はツリフネソウの群落に移り変わったようだ。

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このところ体調不良。よく眠れないし、風邪を引くし、目が痛いし、身体のアチコチにガタが来ていると感じる。

涼しくなったら山を歩いて鍛え直そうと思っているのに、全然涼しくならないので……と言い訳(^^;)しているが、本当は暑い盛りでも耐えられるように鍛えねばならんのだった。森歩きを改めて心がけよう。

実は、この湿原。溜め池のために堰が築かれて生まれたところなので、もともと地形的には谷であり、多少の傾斜がある。そのためか水はけが比較的よい。下手すると乾燥してしまう。

ツリフネソウが咲いているところも地面が渇きかけていた。思わず木道から下りて花に手を伸ばしたくなるのだが……

ツリフネソウの花言葉は「私に触れないでください」であった。。。。

 

 

2019/10/04

「 大阪万博奮戦記」の時代

関西の人以外は、いや大阪の人以外は誰も知らないかもしれないが、2025年に国際万国博覧会が大阪で開かれる。ほとんどの人は興味ないだろうし、情報も持っていないのではないか。

たまたま小松左京の「やぶれかぶれ青春記」(新潮文庫)を読んだ。表題は小松左京自身が青春時代(主に中学~旧制高校)を描いた作品だが、この本自体は30~40年ぐらい前に読んでいる。ただ、今回読んだ復刻版には、第2部として「大阪万博奮戦記」が収録されていた。こちらがショッキングな内容だった。

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知る人ゾ知るかもしれないが、SF作家として知られる小松は、1970年の大阪万博のブレーンでもあった。かつて(1980~90年代)は、影の立役者であり万博を主導した人物とさえ思っていたのだが……実は全然違っていたのである。

簡単に紹介すると、もともと新聞の片隅にあった「大阪へ万博誘致?」の記事を読んで興味を持ち、「万博を考える会」を発足させる。万博って何?何をするの?すべきなの? といったことを考える、まったく私的な勉強会であるが、メンバーには梅棹忠夫や加藤英俊など関西の碩学揃い(ただし、当時は30代の新進気鋭の学者というべきか)。そして万博のあるべき姿について意見を出し合っているうちに、本当に大阪万博が決定して、そのプロジェクトの渦中に巻き込まれていくのだ。

肝心の誘致した国は、単なる商品見本市の国際版的な目で見ていて、具体的なことは何も考えていなかった。そこで「考える会」の成果をパクろうとしたわけだ。しかし、それが「理念」の大切さや情報と世界の未来を描く必要性を突きつけたのだから不協和音が出る。それは官僚たちの主導権争いに巻き込まれることを意味し、世間からもまるで「万博成金」扱いされる中、戦い続けるのだ。
実際は、まともな経費も払われないまま、自腹まで切って行う「満身創痍」である。一時は下りかけたのだが、国のためではなく、ましてやお役所のためではなく「人類の未来のため」に引き受ける。小松にとっては戦争時代の総決算的な意味があったことは、前半の青春記から自然と浮かび上がるのだが。(それにしても、この頃の小松は30代前半である。多くの実働メンバーが30~40代。)

……それでも、なんとか動き出し、結果的には大阪万博を成功に導いたのは、小松の周辺の優秀な人々、そして当時の官僚の中にもいた全体像がつかめる人のおかげだろう。この本を読んで、もし小松左京が「万博を考える会」をつくっていず、単なる国際的見本市としての万博だったら、どれほどひどいものになったか想像できる。

……実は、万博当時の私は小学生で学級会の中でも幾つかの班に分かれて万博について勉強し全員の前で発表するという「授業」があった。一生懸命に調べて教室の前で発表するのは、なかなか緊張感のある経験だ。そのおかげか、今でも時代のなにかしらの空気感はつかめるし、万博がもたらした壮大な未来の夢の断片を感じる。

さて、2025年の万博まで約6年。ちょうど小松が考える会のつくった頃だ。果たして見えない裏側で50年前と同じような苦闘をしているメンバーがいるのかどうか。単に「東京五輪の次は大阪万博」と過去をなぞっているだけではないのか。戦後の幾つかの大きなイベント開催によって積み重ねたマニュアルに沿ってオシャレなコンテンツをチョロチョロと並べて、集客だけはできるようなウケ狙いのお祭にしてしまうような危惧を覚える。

正直、今の私は大阪万博になんの期待も持っていない。小松や彼を取り巻いた超エキサイティングな人材が現代にいるように思えないし、官僚社会はより強固に、人材はより小粒になっている。何より時代が違う。未来を見られた当時とは。
高齢化した社会に似合うのは、未来より過去の回顧ではないか。いっそ「絶望の日本社会」をテーマにした方が世界にアピールできるんじゃないか、と皮肉を言いたくなる。世界の反面教師としての日本である。

 

2019/10/03

インタビュー掲載誌紙届く

今日は、なぜか続々と掲載誌紙が届いた。

もともと8月は、私が取材を受けることが多かったのだが、それに加えて9月は千葉の台風被害問題でもアチコチにコメントすることになった。それらが一斉に届いた状態。私の執筆ではなく、書かれる立場の記事である。

全部は紹介できないが、いくつか披露しておこう。

まずは高知新聞。これは8月初旬に取材を受けた。テーマは森林経営管理法。四国各地に取材して回ってたうえで私のところに来たのであるが、5回連載となり、私の回は9月29日だったそう。余談だが、この記事を書いた記者は、このあと林業の勉強をするためにしばらく会社を休んで林業研修を受けるのだそうだ。なんか、林業沼に足を突っ込んでしまった……パターン(笑)。

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そして週刊プレイボーイ。この雑誌はいいよ。なんたって、グラビアに数々の色っぽいアイドルが登場して、付録に傳谷恵里香のDVDも付いている……記事がなかなかの硬派なのだ。千葉も現地入りして、かなり密に歩いている。私のコメントは最後のまとめ。

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ちゃんと『絶望の林業』にも触れてくれた。

そして、8月にオークヴィレッジで行った対談が、「オークヴィレッジ通信」430号に掲載。これは会員誌?なのか。
1ページ目と4ページ目を紹介しよう。

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最初に「絶望の林業」に触れて、最後に「希望の林業」に言及……ちょっとヨイショぽいが(笑)、なかなかバランスがよい。
ちゃんと本も紹介してくれた。

なお今週末5日(土)の朝日新聞にもインタビュー記事が掲載予定。

とまあ、こんなところです。自分で書かずに書いてもらうのは楽でいいなあ。

2019/10/02

庭に植えたい木ナンバーワン

暑い。とくにこの数日は完全に夏になってしまっている。服装も夏に逆戻り。10月だよ? 
夜も寝苦しくて、何も被らずに寝たら、夜中に寝冷えなのか鼻水で鼻がつまって目が覚めて、眠れなくなるとか、なんか最悪。秋になると消費増税と言っていたが、暑さが続いているのだから延期できないか……とか考える。

と、まあ、そんなときに目にしたのが、この木である。

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ご存じだろうか。実は、私の好きな木なのだ。できうるものなら自宅の庭にも植えたい。生長は早いから数年で高さ3~4メートルになるらしい。そして実をつける。この実が好きなのだ。私が初めて食べたときは、こんな美味い果実があるのか、と感動したものだ。
そして、食料不足に陥ったときは、未熟なこの実をもらって、煮て食べた。煮ると冬瓜のような感じで腹持ちにはよいのだ。この実入りのカレーライスもよかったなあ~。

と思い出にふけるこの樹木の正体は、パパイヤ。

そう、熱帯果樹である。とても日本では育たない。冬を越せないと諦めていたのだが、なんと植えているところがあったよ。しかも……

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実も付けているではないか。もう少し大きくなれば食べられるかも。本当は、かり大きくなり、黄色に熟せば甘くて美味いのだが、未熟な実も料理用に美味しい。沖縄では野菜だ。生駒山も、沖縄なみに育つかもしれない、このところの暑い気候が続くなら。

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場所は、私の応接室、スリランカ料理店ラッキーガーデンである。ここではバナナも育てているが、パパイヤにも挑戦か。この山の上でも植えられるなら、標高が100メートルほど低い我が家でも可能かも……。今後、育つ樹種は温暖化が進む中でどんどん変化するかもしれないなあ。

 

2019/10/01

東京新聞の私のコメント

9月27日の東京新聞「こちら特報部」で、千葉の停電から全国の森林問題につなげる記事が掲載され、そこに私のコメントが引用された。

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ここでは全部読めないように小さくしているが、実際は見開きだからかなり大きい。タイトルだけでも味わってくれ。

私は、その前にも東京新聞で千葉の停電を取り上げた記事にコメントを寄せているが、今回はまた別の記者が林業につなげる記事を書くに当たって電話してきたのだ。

いきなりであったが、それはまあいい。ただコメントの使い方に若干誤解を招きそうな点があるのでここで触れておく。そのためコメントのある段だけ引用する。

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「倒木は手入れが行き届いていないことによって起きていると考えられる」。

このセリフの前に、私は「今回の千葉の倒木は台風の風が強すぎたから起きた」と念を押している。だからスギ以外の広葉樹だって倒れたことを指摘している。手入れしようがしまいが、風が強ければ倒れる。私が指摘したのは、今回の千葉のスギは中折れしている(から処理が難しい)が、それはスギが溝腐れ病になっていたからで、手入れ不足だろうということだ。
ついでに言えば、千葉を訪れたのは別件で、台風被害を視察するためではないことも説明した。

そして溝腐れ病は山武杉だけだが、全国的にはナラ枯れが起きていて危険だと言った。こちらは手入れは関係ない。ナラ類は太くなったらナラ枯れ(カシノナガキクイムシ)が入りやすくなるということだ。

その後、林業の衰退理由を林野庁の見解をそのまま垂れ流している。

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ここの私のコメントもなあ。「人工林は育て、切って、また植栽する」というのは林野庁の見解であって、私は使わない言い回し。これって今の皆伐推進理由に利用されかねないからね。しかもサイクルを繰り返すだけで森は健全にならないし、間伐と保水力は関係ない。保水力と倒木も関係ない。
ついでに言えば、その下のサブタイトル「NPOなど巻き込み」なんて、とんでもない。林業はプロの世界だ。NPOが何を意味するかはともかく、現場作業を気軽に動員する話にしてはいけない。

以上、記事コメントに関する私のコメントでした。

ちなみに私が責任を持つ文章は、書籍と雑誌・新聞など自身が執筆する文だけ。インタビューなどで他人が書いた私のコメントなどには責任をもたない。仮に私の名で書かれた文章によって読み手が誤解しても気にしない。もちろん、正反対の意見・事実だとかまったく別のことを書かれては困るが、ニュアンスの違いなどは口をはさまないことにしている。週刊誌などには、絶対に私が口にしない言葉づかいで、しかもアケスケに語っており、この森林ジャーナリストどこのどいつや、と思うものもあるが、笑って済ます。

そもそも私は本来取材する側の人間で、私自身も他人から話を聞いて記事を書くわけだが、その際に誰のコメントのどこの部分を切り取ってどのように載せるかは私の権限(と責任)において行っている。もしかしたら拙記事に気に食わないコメントを引用されたと思っている人もいるかもしれない。いや、録音などして確実に言ったことを引用しても、ニュアンスの違いは出るし、読み手の誤解はさらに大きい。どんなに詳しく書いても誤読は絶対に起こる。むしろ誤読前提でいなければならない。その程度のリテラシーだ。誰がどんなに丁寧に書いた文章でも誤読されているよ。しょせん、自分の伝えたいことは全部伝わらない覚悟を持たねば。
だから、他人が私のことをどのように書いてもドーデモよいのである。

だけど、たまにはブログでチクチク書く(笑)。

 

 

 

2019/09/30

「超学際的研究」の時代……のツボ

森林に関することは何でも扱う……森林生態学から樹木葬まで……と私は公言しているが、何もすべての分野に詳しいわけではなく、苦手な科学的分野もある。その一つが水文学だ。
幸いというか、縁あって人間環境大学の谷誠先生(特任教授)と知り合って(メールだけだが)、森林と水に関する記事を書くときにお世話になってきた。

その谷先生から、「水文・水資源学会」で発表した資料を送っていただいた。

学際・超学際からみた洪水流量の研究の方向性」である。超難しいタイトルだ(笑)。それでも幾つか抜き出して紹介する。

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極めて大雑把に私が説明すると、これまでいくつもの学問分野をカバーする「学際」という考え方があったが、今後は学問分野だけでなく社会分野も含めて考えていかねばならない「超学際」的な研究が必要だ、ということだろうと思う。そして、それを水文学に当てはめると……どうなるか。現在のような地球規模の問題となる気象変動の時代になると、大雨時の河川の洪水流量をどのように考えるか、というテーマである。

激烈化の進む気象に対応しようと、現在の政府は「国土の強靱化」を打ち出している。ようするに土木工事によって、堤防の嵩上げ、治水ダムの建設、河川流量を増加させて速やかに排水……などで対抗しようとしているわけだ。

しかし、それが可能なのか? 自然界の動きはわからないことだらけのうえ、莫大な資金が必要なだけでなく技術的にも限界がある。生物多様性や人間社会への影響も考えると、強靱化だけで完全に洪水を防ぐのは現実的ではない……というか無理。そこで、「超学際的」に考えてみる。

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ダムや河川改修に加えて、森林・林業の再生、農山村の生活、弱点の自覚と住み方の分散・変更……など社会的な課題を加味して研究すべき、というのである。

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これは学問分野だけではなく法律の壁を越える必要もあり、縦割り行政をも超越しなければならない。その点では、極めて政治的な研究となる。そもそも地球環境問題とは、科学を包含した政治的なものであるのだけど。

当然ながら、これは洪水など水文学分野に限ったことでなく、今後はすべての自然科学でも超学際が求められるだろう。研究から一歩踏み出した、政策づくりと言えるかもしれない。

なお、この説明の1ページに、このような内容もある。なんと! 拙著『絶望の林業』が登場する。……これが今日のエントリーのツボだ。書きたかったのはこれか(⌒ー⌒)。

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なお、スライド全ページは、こちら

水と森林 谷誠ホームページはこちら。

 

2019/09/29

日経新聞9・30

明日は9月30日。日経新聞を見てほしい。

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こんな広告が入っているはずだから。いや、私は確認していないけどね。。。

前回とわずかに文面が違う。何か。一つは、3刷になったこと。そして9・9千葉災害を受けて……。

ちなみに東京新聞にも記事(千葉停電を引き起こした倒木に関して)になったよう。こちらはまた改めて。

 

2019/09/28

奈良シングル

取材帰りに生駒で行きつけのバーに入る。

「何か新しいスコッチ、ある?」

珍しくウイスキーを飲みたくなったのだ。(いつもはジン、もしくはスピリッツ系)

そこで出されたのがTOMATIN、トマーティチン・ク・ボカン。アイラではなくハイランドウイスキー。トマーティンは、スコットランドの古語で「ネズの木の茂る丘」を意味する村だとか。ロンドンの北西約900km、人口およそ500人の何もない村だそうだが、いい水があった。そしてピートもあった。この二つがウイスキーを生み出す。またク・ボカンは魔犬を意味する。

私はロックで頼んだ。

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一口、二口飲む。わりとあっさりの口当たりの中に穏やかなピート臭。ふむ。こんなモルトもあったか。

が、気がついた。写真のグラスを見て、気づかないか?まだ二口、おそらくグラス5ミリ分しか飲んでいないぞ。
それにしてはたっぷりすぎないか?

「これ、水割りじゃない?」

「いえ、ロックですよ。この量は『奈良シングル』です」

マスターの説明によると、奈良のバーは、シングルと言っても通常の店より1・5倍ぐらいなみなみと接ぐそうだ。それを奈良シングルと呼ぶ。ここでは生駒シングル。さらに増量しているような……。

で、度数を聞いた。なんと46度! 通常のウイスキー(約40度)よりずっと強い。これを、奈良シングルで飲むと……。

しかし度数に比して意外なほど口当たりは優しく、全然抵抗ないのである。すいすい飲んでしまう。

奈良シングル。奈良の独り者ではなく、奈良のシングルグラス。これ、奈良のスタイルとして売り物にできないだろうか。飲んべえが集まらないか。ただし、1杯でへべれけになる可能性高し。

それで思い出した。

先日、近鉄駅前の土産物店を覗いたのだが。

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買い物カゴにこれかよ。。。うむ。これも奈良スタイルだろうか。古都の情緒を求めて来る観光客は喜ぶに違いない。いっそ、スーパーマーケットもみんな、こんな買い物カゴにして奈良を盛り上げてくれ。

 

2019/09/27

アスペルガー症候群の人類史

国連の気候変動サミットにおけるグレタ・ショックは世界中に広がっているようだが、それとともに彼女に対する誹謗中傷も後を絶たない。世界中のメディアや、サイトにも、そして私の記事につくコメントにも読むに堪えない言葉が並ぶ。怒るだけでなく、否定し、あざ笑い、裏に陰謀があるとうそぶき、あげくは地球温暖化現象まで嘘だと言い出す。

彼女の演説内容は、実はシンプルだ。科学者が地球温暖化を指摘しているのだから、早く対策をとれ、と言っているだけだ。
なぜ16歳の少女が語ったことに、ムキになって貶めようとするのか。仮に意見が合わなければ無視すればいいだけなのに。しかも理屈で対応するのではなく感情的になるのか。そこには一種の怯えや歪んだ対抗心が見られ、深層心理からの自己防衛反応が見られる……と脳科学的に分析してみるのも面白いのだが、私は彼女が自身をアスペルガー症候群だと述べたことに興味がわいた。そして彼女個人の症状としてではなく、アスペルガー症候群の人の存在意義について考えてしまったのである。

以下は、そんな考察というか論考、いや私の思いつきの妄想である。

アスペルガー症候群は発達障害の一つで、一般に対人関係やコミュニケーション、そして想像力に障害があるとされる。いわゆる空気を読んで臨機応変に動くのが下手で、一つの事象に強いこだわりを持つ。それは、巨大で複雑で、多くの人と交わらねばならない現代社会の生活には不利に働くだろう。

地球史から考えると、生物は適者生存であり自然淘汰がなされることによって進化を遂げてきた。生存に不利な遺伝子は篩にかけられて消滅に向かうはずである。発達障害を持つ個体は、コミュニケーションが重視される人間界では生存しづらく減っていくはずなのだ。

それを説明するのに、一昔前には、これは遺伝子の転写ミスによって生じるという説があった。いくら自然淘汰されても性細胞が分裂する際のDNAの転写ミスによって生まれてくる、と考えられたのだ。しかし近年の研究では、むしろ積極的な役割があるのではないか、と考えられ始めている。つまり一見生存に不利に見える遺伝子も、何らかの点で人類に有利に働いている可能性があるというのだ。

たとえばアフリカには鎌状赤血球症と呼ぶ遺伝病があるが、貧血ばかり起こして生存には非常に不利なのに残り続けている。やがて鎌状赤血球は、アフリカに蔓延するマラリア病に対する耐性を持つという特性があったからとわかってきた。

話は変わるが、同性愛者は原理的には子孫を残せない。だったら、その遺伝子は次世代に引き継がれず消えていくはずである。しかし、いつの時代にも同性愛者は一定の割合存在するとされる(約1割という説も)。実は同性愛者も子孫を残すケースが多いのだが、それにしても生活に不利をもたらすはずの遺伝子保有者がなぜ減少もせず一定数存在するのか。……そんな研究もされており、同性愛にはそれなりの役割があるという結論が導かれている。

同じことが、アスペルガー症候群などの障害にも当てはまるのかもしれない……と思いついたのだ。

いや別にアスペルガーを持ち出さなくても、人同士の関係に漂う言葉にしない空気を読めない、一つのことに集中すると周りが見えない、常に他人と同じことはしたくない、という人は一定割合存在する。通常は疎まれる(時に社会を混乱させる)そうした性格の人も、自然淘汰にかからず人間集団の中にはいなくてはいけない、いることで集団の生存可能性を広げるのではないだろうか。

それは、集団全員が同じ方向に歩いている際、そちらは滅びの道だ、と叫びストップをかける役割かもしれない。あるいは誰もしないことに挑戦することで、新たな生存領域を発見することでもある。

歴史を振り返ると、多くの優れた発明家、技術者、探検家、芸術家、そして戦いの指導者などが、これらの役割を持っていた。そして彼らの多くは奇矯な性格の持ち主だったと伝記などに記されている。他者と同じ行動をとっては上手く行かないときに、突破口を開く役割を人類史の中で与えられていたのだ。ただし、それは日常の破壊でもある。日常に生きる人にとっては脅威だ。

……そう考えると、今の時代にグレタ・トゥーンベリさんが登場したことがわかるような気がする。彼女の意志そのものより、時代の意志、人類史の意志と言えるかもしれない。そして、多くの人が必死になって彼女を否定したがるのも「今の時代」「今の生活」を守りたいという旧人の防衛本能であると読み取れる。

ただ、彼女はそんな誹謗の声にまったく興味をもたないであろうことも想像できる。他者の反発なんて小さなことより、はるかに大きな(地球の)問題に「こだわり」を持っているからだ。


この考察が的中するかどうかの答は、そんなに長く待つ必要はないかもしれない。グレタさんのいうような気候変動のティッピングポイント(後戻り不可能の時期)を迎えるのが約10年後だとしたら、もう「今の生活」が守れなくなるまでさして時間は残っていない。その時に「あのときのグレタの演説はこのことを指摘していたのか」と語られるだろうから。

 

 

 

 

2019/09/26

ホームセンターのビーバーの餌

セミリタイヤして、楽しいことをのんびりやる余生を送ると言いながら、相変わらず世間に追われているんだが、そんなときは気分転換にホームセンターに行く。

ホームセンターは、いつも新しい発見がある(^o^)。

今回は“ビーバー”の餌を発見した。

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こんな板を並べている。端材の投げ売りか……と思いきや、その板の種類は千差万別。

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拡大してもらえば、読めるかな。

写っていないものもあるが、ざっと並べると、柳、タモ、ドロヤナギ、メジロカバ、ケヤキ、谷地ハン、栓、ミズキ、一位、イタヤカエデ、栗……ほかにハンノキもあるが、これは谷地ハンと別だろうか。よく、これだけ集めた。

しかし……こんな樹種の板を並べて、誰が買うんだ? これらの樹種の違いを楽しめる人なんて……どこぞの“ビーバー人間”だろう。。。ああ、わりといるんだな、そんな人が(^^;)。おそらく出荷した製材所も、なんらかのビーバー人間だろうし。ようするに、ここはビーバーの餌場(⌒ー⌒)。こんな木を眺めてニヤニヤする人がいるんだろう。そのうち罠にかかるかも。

ほかにも、いろいろあるよ。

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何に使うのかわからない木っ端の商品が。

2019/09/25

3刷決定!『絶望の林業』

私ももういい年であり、今後は仕事を減らそうとたくらんでいる。食うに困らない程度に、楽しい記事、書きたい記事だけに絞っていこうかと思っている。穏やかな余生を送りたいのだ……と言う割には、尖った記事ばかり書いてしまっているが。

やはり楽しく。嬉しく。わくわくドキドキを。人生、暗く悩んで、絶望ばかりしていてはダメだ。

というわけで、楽しいニュース。

『絶望の林業』、3刷決定!v(^0^)

多分、3刷本は、10月初旬から店頭に並び始めるだろう。なお9月30日に日経新聞に広告を打つことになった。日経というところがミソか(笑)。業界ものとはビジネス書なのか……?

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なんか、久しぶりだなあ(泣)。こう見えても、以前の出版物では2刷、3刷……は幾度も行ってきたのだが、このところトンと縁遠くなっていた。出版不況とともに、自分の書きたいものと世間の興味とのズレを感じたのだが。

しかし、「絶望」が世間の琴線に触れたというのもミョーな気分。楽しい路線ではないような……。

 

ちなみに近鉄奈良駅前の啓文堂書店では、『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』がずらりと並んでいた。下段に4冊、上段に1冊。もう尽きていたのに、改めて並ぶのは追加発注してくれたのか。(^人^)。こちらは楽しい路線の本。

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2019/09/24

グレタの言葉と『絶望の林業』

国連の温暖化対策サミットスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説した。その幾つかをネットで聞いて戦慄する。苦手な英語の言葉なのに、その迫力たるや、身体が震える。

ちなみに演説にも翻訳にも幾通りかあるが、私へはクーリエの[緊急全訳]が一番、しっくり来るかな。日本語の言い回しが自然で、内容をよく伝えるだと感じた。

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【緊急全訳】グレタ・トゥンベリ、国連気候行動サミットでの怒りのスピーチ

グレタさん演説全文 「裏切るなら絶対に許さない」涙の訴え

グレタ・トゥーンベリさん、国連で怒りのスピーチ。「あなたたちの裏切りに気づき始めています」(スピーチ全文)

グレタ・トゥーンベリさんによるCOP24でのスピーチ 

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地球温暖化の進行については、よほどの懐疑論者・陰謀論者でないかぎり認めざるを得ない(懐疑論は、すでに論破されている)はずだが、それでも政治家も経済人も、そして庶民も含めて本気で取り組もうとしない。そして言い訳を繰り返す。私自身は、温暖化はもう止まらないだろう、そして対策も、今後、対症療法に終始するに違いない……という諦めの境地というか“絶望”している。

卑小化するようだが、それは今の日本の林業問題への絶望感と限りなく似ている。私が今夏上辞した『絶望の林業』には、日本の森林の危機的状況とそれを招いた林業現場~林業政策のおかしな事例をたんまりと紹介したが、問題の根幹は事例ではなく林業関係者に対する絶望にあるからだ。

今の林業に問題があるのはみんなわかっている。だが問題は、単に政策や行動が間違っているというレベルではなく、担当者はそれが間違っていると知っていても実行していることにある。それに反対するどころかなしくずしに推進する……そして傷口を広げ続ける人に絶望する。

そもそも改革意欲からしてない。私が「絶望」の事例を上げたら怒るでもなく嘆くでもなく、ましてや正そうとすることもなく、面白がる。絶望ネタを漫談のように聞く。一方で改革案の内容も吟味せず、提案や目標そのものを否定する。「どうせ、できないよ」と。「できない」ではなく、したくないのだろう。

今のあり方がオカシイと指摘する人も、世間が変わらないとしてもせめて自分だけは間違った政策に抵抗する……かと言えば、そうでもない。流されるように「間違った行動」をとり続ける。その理由としては、断ったら目先の仕事がなくなる。反対すると世話になった上司が困る。同僚と上手くやっていけない。職場の居心地が悪くなる……。だがそれは、反対したら出世できない、飛ばされる、収入が減る……それがイヤというのが本音だ。
ようするに、自分の収入と日本の森林の運命を天秤にかけて、待遇・収入を守るためには、森林が破壊されても構わない、と言っているだけだ。目先の仕事や人間関係を持ち出して、自分のやるべき仕事をしないでさぼる理由にしているだけ。そして愚痴を言うだけ。結果には目をつぶる。

自分のやるべき仕事のためなら身の回りの人でも切る。。。というのが私の信条だ。だが、世間は“心優しき森の破壊者”ばかりらしい。きっと彼らは、地球が破壊されるときも同じように振る舞うのだろう。そして、嘆く。自分も加担してきたくせに。

だからグレタさんの言葉が刺さる。「How dare you!

 

 

2019/09/23

「倒木処理」は灯台もと暗し

昨日からの体調不良は続いている。身体がだるい、夜中に目が覚める、わずかな酒が残る……これは老化の症状だろうか?

今日は台風だし、1日寝て過ごそう……しかし、朝から雨は降っていない。風も生暖かいが、快適なほどでさして強くない。これでは台風のせいにして寝て過ごせないではないか。

そこで、まずタナカ山林を訪れる。夏の間、ほとんど放置していたが、どうなっているのか?

そこで見かけたのは、電線・電話線にかかる木々(-_-;)。

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千葉を他人事にしておられないぞ。もし、木が倒れたら電線もしくは電話線にのしかかる可能性大。今のところ、接触しているのは細目の枝だったり、電線が非常に太いことから断線の心配はないが、幹が倒れてのしかかるような事態になるとヤバイ。

とはいっても、私にこれを処理する能力はないなあ。そもそものしかかっている木がナラ枯れ対象木だったりする。枝に葉はついて樹勢はあるようだが、梢が落ちているところをみると、ナラ枯れ病からのサバイバル木だろうか。下手にいじると、逆に折れる。

千葉の倒木処理問題についてコメントしていたのに、灯台もと暗しの事態はどうすればいい? 

それにタナカ山林そのものが草ぼうぼうである。せっかく数年前に皆伐したのに、ブッシュにもどってしまう。まずは、草刈り・除伐から始めるか。運動することで体調不全も解消するかもしれない。老化だったら逆効果だが。。。

 

 

2019/09/22

毎日新聞一面の「はげ山拡大」記事

昨日は風邪を引いていたのに話しすぎたのか、今朝から喉がひりつく。もう一日声を出さないと誓って安静。。。

そんなときにツイッターで谷山浩子も喉を傷めてコンサートを中止したと知る。一週間安静だとか……なんか親近感を感じる(^^;)。いや、私は当分話す仕事はないのでのんびりしたものだが、歌えないのは本職としてオオゴトなのだろうが。

 

とまあ、閑話はさておき。

ちょうど一週間前の毎日新聞一面と三面に大きく扱われた記事の一部を紹介したい。

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全国で再造林が進んでいないことが示されている。皆伐後の山で約1万1604ヘクタールとあるが、このうち北海道が7985ヘクタールと大半を占める。北海道を除いてもっとも多いのは、やはり宮崎県の896ヘクタール。

これは林野庁が各都道府県のデータを集積したものを情報公開請求で入手したもので、「造林未済地」の定義が林野庁と各県によってマチマチなので、数字の信頼性はイマイチかもしれない。ただ、大雑把に言って、これより少ないことはないと思う。

実は記事の中にも、苗木が根付かなくても一度植えたところは未済地に入れないし、天然林の伐採地も集計していない。そのうえ県の数字と林野庁の数字が合わないところがあることを記している。たとえば秋田県は17年度末で569ヘクタールとしているのに、林野庁の基準では24ヘクタールとなっているそうだ。鹿児島県は638ヘクタールのところがゼロ。いやはや(-_-;)。ブッシュでも草木が生えたらよしとしているらしい。

ちなみに皆伐(主伐)面積の累計がわからないのだが、大雑把に再造林率を3割としたら、4万ヘクタールぐらいになるのではないか。

 

もっとも私が驚いたのは、記事内の数字よりも、この手の記事が全国紙の一面を飾ったこと。このこと自体がニュースだ\(^o^)/。

 

 

2019/09/21

『絶望の林業』と一緒に買われる本

久しぶりに『絶望の林業』のAmazon 売れ筋ランキングを見てみると:本日は1570位だった。ノンフィクション部門で191位。

重版になったから、多少上がっているか。ちなみに三版になることが内定。まだ部数などは未定だが、重版した分が底をつきそうなのである。ありがたや。

ところでAmazonの項目を見ていると、「よく一緒に購入されている本」というコーナーがある。読者傾向がわかるし、似た分野の本が多いだろうから、新たな購入意欲を刺激しようというわけだな…。

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しかし、一緒に買われるのが『森林未来会議』と、『森と人間と林業』(いずれも築地書館)とは……。いずれも今年6月から8月に発行された林業関係の書物。

なかなか奇遇なのである。なぜなら、『森と人間と林業』の著者は、村尾行一氏。そして『森林未来会議』は熊崎実氏になっているが、複数の筆者がいて、そのうちの一人が森林総研の石崎涼子氏だから。

この二人に私を加えた3人は、実は奈良県の森林新条例の検討委員会のメンバーなのだ。約2か月に1回奈良に集まって議論している仲間。外部の委員は全部で6人ほどだから、そのうちの3人が時を同じくして林業系の本を出版したことになる。2冊の本の内容については、このブログで適時紹介しているからリンク先を読んでいただければと思うが、3冊とも現在の日本の林業事情を描いていて,ある意味似通った指摘をしているのだが、結論としてはちがう方向に向いているというのが面白い。

そして、各本に興味を持つ人は共通していることがわかるので、いっそ3冊セットで購入すると特典をあるようにできないかね(^^;)。

 

 

2019/09/20

反応は「森林ジャーナリストって、いるんだ」

今日は、TBS系の「ひるおび!」に出演。て、電話でコメントしただけだけど。

溝腐れ病の木の写真も送れというから、テレビ局なんだからビデオはたっぷりあるだろうに、と思ったら、最近はスタジオでフリップを使った説明が主流なんだね。

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内容的には、わりとていねいに使ってくれたように感じる。山武杉をケシカランとけなすのではなく、材質がいいことや花粉が少ないことにも触れてくれた。そのうえで単なる倒木ではなく中折れした木の処理の難しさも指摘している。

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ちなみにこれは、昨夜のブログを読んで、急遽追加になった。森林経営管理法とは出なかったけど、「災害等防止措置命令」が随分有名になったのではないか。林野庁よ、喜んでくれ(笑)。

なお今日の東京新聞にも出たようだ。こちらは取材を現地の人に振ったのに、コメントは掲載された。

 

それでツイッターの反応を見たら「森林ジャーナリストという職業があるんだ」というのが多かった……\(^o^)/。

いやあ、本当にこんな職業はあるんだろうか。でも世間の認知度が少しは上がったのなら幸いである。

 

さて、明日の講演会。なんだか雨模様の予報だが、私が行くとき帰るときは降りません。晴れ男ですから。霊感です。。。

しかし、ぐずついた空模様で本を担いで持っていくつもりなので、なるべく売り切りたい。重いものを再び担いで帰りたくない。そこで、大安売りすることにした。『絶望の林業』を特価2000円、税なし!!!(定価2376円)利益なしの出血サービス。ほ他に鹿の本も持っていこう。

本を買うためだけに来てください。入場料はかかるけど。

2019/09/19

『絶望の林業』講演会のタイトルを決定!

千葉から帰って、いよいよ9月21日の「第11回明日の奈良の森を考える学習会」の資料づくりに勤しむつもりだったのだが……合間にちょろちょろと書いたYahoo!ニュースの記事がえらくヒットしてしまった。ヾ(- -;)

おかげで朝からテレビのワイドショーに出演してしまうわ、その後も移動中にメールに電話で何かと問い合わせや依頼が来る。結局、また明日も出ることになる。あ、あくまで電話出演ね。奈良からスタジオに出演するわけない。ほか新聞にもコメントを出す。なんかヘトヘト。

失礼ながら、そんなに千葉の被害が国民の関心事なのか。。。。おそらく首都圏にあり、キー局に近いからだろう。それに長引きすぎて、ワイドショーでも「大変だあ」というネタだけではもたなくて、深掘りしないと番組をつくれなくなったからではないか。とひねくれた考え方をしてしまう私。

とはいえ、講演の資料づくりもすっぽかすわけには行かない。

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パワーポイントの資料を鋭意作成中だが、ここで改めてタイトルを考えた。決めた。

奈良でシカ語らない 絶望の林業と希望の林業 

どうだ。奈良のシカの話をいっぱいしよう。ちがう。奈良の林業の話をいっぱいしよう。現在進行中の新たな政策に関してもネタばらしする。(いいのか?)

表紙はこんなのはどうだ。

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 やっぱりシカだ。。。

なんでも会場の奈良女子大のG201教室は100人ぐらい入るそうだ。少ないと寂しい(-_-;)。遠慮せずお越しください。ただ二次会、じゃない懇親会、いや交流会は会場の都合もあるので、事前に申し込んでくださいませ。

2019/09/18

千葉大停電記事の余波と森林経営管理法

驚いたことに、昨日執筆した「千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る」の記事のアクセス数が100万を越えたようだ。

えっ、この記事が……?と筆者の私がいうのもナンだが、意外な反響ぶり。100万を超すのは、昨年の「バカマツタケ」以来だ。

おかげで昨日・今日は、さまざまなメディアから問い合わせが相次いだよ。それなりに対応しておいたが。。。

どうも私が一義的に伝えたかった「倒木処理は簡単じゃないよ」ということより、山武杉の悲劇、つまり溝腐れ病に興味があるようだ。こちらは専門ではないのだが、知っていることを伝える。ついでに日本の林業の衰退の原因だとかも聞かれる。つい「安い外材に押され」たわけではないことを力説し、さらに国産材の質が外材よりはるかに悪いことを説明する。国産材は乾燥がなっとらん、反る、曲がる、縮むと使うとひどい目にあうんだ、と……。こちらの方に驚いてくれたら、多少とも世間の思い込みを破壊できるだろう。

 

今回の千葉の停電は、電線に引っかかった樹木を処理するのが大変なわけだが、その理由には倒木処理の技術的大変さとともに、電力会社の立ち会いがいることや所有者の了解を取り付けることの困難さの問題がある。

しかし、電力会社の立ち会いはともかく、昨年成立した森林経営管理法があるではないか? これで所有者の了解はかなりクリアできる。

森林経営管理法の中には、災害等防止措置命令」もあって、危険と判断された森林は所有者の同意がなくても、市町村が伐採などの命令を出し業者に委託できるのだ。もともと、この法律は「経営する気がない」森林所有者の山を、自治体が所有者の管理権を取り上げて他者に委託できる条文がある。地元自治体が「勧告」し、さらに知事が「裁定」して、それを決定できる。これを「見なし同意」と呼ぶが、所有権をないがしろにするという点で非常に危険度も高い。その気になれば、他人の山を勝手に伐ったり道を入れたりできるのだから。

しかし、もう一つ、緊急事態こそ使える条文もあるのだ。それが「災害等防止措置命令」だ。こちらは知事の裁定さえ抜きで市町村の首長が決められる。このままでは災害を引き起こしかねない森林の伐採や斜面の保全工事を行えるのだ。もちろん専門家の意見を聞くことなどの縛りはあるが、基本的に独断専行が可能だ。これを使えば、道路際で電柱や電線に絡みかけている樹木を伐採する「伝家の宝刀」になるのではないか。今のような緊急事態には対処しやすくなるだろう。

もちろん、危険性はより高い。他者の森林を防災の名の元に伐る乱用に陥らないように慎重になるべきだ。しかし、今のような緊急事態にはフレキシブルに使えないだろうか。

……おそらく森林経営管理法の内容を十分に理解している自治体は非常に少ない。こうした点を伝えるのもプラスではないだろうか。

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千葉で見かけた電柱の設置し直し工事。

 

 

2019/09/17

Y!ニュース「千葉大停電の遠因か……」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る」を書きました。

このタイトルはマズかったかな。この記事を「え、千葉大学が停電?」と読んだ人が少なくなかったから(笑)。千葉大学の先生まで……。あくまで、千葉の大停電です!

ともあれ、これで私が千葉で視察した災害のことを書かなかったかわかったでしょう。こちらを準備していたのです……と書いて、後でバレたら恥ずかしいから、正直に書こう。今回の千葉行は、何も台風災害の視察ではなく、以前から決まっていた仕事。
ただ、この時期に千葉に行くのに災害現場を見ないわけにはいかないでしょ、と現地でもなんとか見て歩いた。まあ、行き来だけで目にするのだが。駅に私を迎えに来た人に聞いたら「うちの家の屋根も飛びました」。。。。その上で感じた点を記したのである。

 

ちなみに,千葉の停電ニュースは、少々食傷するほど流れているから深堀りした記事を書いたわけだが、その分マニアックでウケるとは思わなかった。それなのに、意外や反響が大きい。とくにマスコミからコメント依頼が次々と来る。

さて、どう応えようかなあ……。とりあえず、くだらない質問はたたく。「スギの根は浅かったから倒れたのか」と私の記事を読んだのか?否定したいのか? という噴飯ものの質問もあった。あとは、現地の詳しい人に振ったり、どうしても私のコメントを……という場合は、ギャラを要求する。あるいは『絶望の林業』の紹介とバーターに挑む。

これぐらいの体制で臨むか。

 

 

2019/09/16

味な小屋

この時期に千葉を訪れたと書きながら、災害とは縁遠い天然ガスや花の名前なんぞと何を記しておるんじゃい、と思われる皆さん。はい。今夜もそうです(^o^)。

私が泊まったのはいすみ市なのだが、田舎を訪れたつもりが、意外なほど垢抜けしていた。アチコチにオシャレなカフェだレストランだ、ペンションだ。結構豪華なホテルもある。

どうやらサーフィンのメッカとしてサーファーが多く訪れる土地だかららしい。いや、訪れるというよりは移り住んだ人が多いのだ。移住者的な文化が漂っている。この日も海には,多くのサーファーが波に乗っていた。
そして田舎道を歩いていると、ふと目に留まるのは、こんな小屋。

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四畳半ぐらいの小屋。一種の別荘だろうか。いや、別荘に付属したビジターハウスかもしれない。

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ここまで行くと、遊びの小屋だろうか。カフェもやっている雰囲気。楽しんでつくっている。
だいたい、こうした小屋は移住者が好きなんだ(笑)。これが田舎の雰囲気を変える可知らになる。

簡単に自作できるキットもあるらしい。一時期、小屋ブームと言われて、小部屋に籠もる人も多かったのだが、私も建てたくなったのであった。自宅の庭に建ててやろうか。。。

 

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