『木に「伝記」あり」(瀬田勝哉著 朝日新聞出版)を拝読。出版後(4月)、すぐに購入して、すぐに読んだのに、今頃になって紹介する。

この本は、不思議が詰まっている。瀬田氏は歴史家で、歴史を樹木から読み解く研究をしており、以前から日本の森林史などを知るためにいろいろ読ませていただいているのだが、今度は一本の木、イチョウの大木の伝記なのである。
紹介文を張り付けよう。
ある日、著者のもとに植物学者から共同研究への誘いの手紙が届いた。全国の巨樹イチョウを調べているが、中国・朝鮮半島から日本に渡来した時期を科学的な根拠によって明かしたい、歴史研究者のあなたの協力を得たい、という。
植物学者の圧倒的な熱意に衝き動かされた著者は、ここからイチョウの史料調査に正面から取り組む。記録、古文書などイチョウに関するあらゆる文献を求めて全国を歩くなか、ある郷土史家が残した一冊の本に出会う。
そこには江戸中期、将軍吉宗が引き起こした美作国・菩提寺のイチョウにまつわる村の大事件が記されていた。イチョウ関係でこれほどの古文書は世界を探しても他にないだろう。それはどんなイチョウか。また稀有な資料を書き写した郷土史家とは。
歴史研究者が綴るあくなき史料探求の道。
私も、この最初の部分、イチョウが日本に渡ってきた時期を探る(そのためにイチョウが登場する古文献と、巨樹の樹齢から推定する)という試みに心動かされた。その手紙を送った植物学者のは堀輝三氏。
たしかにイチョウの巨木が全国にある。わりと巨木になりやすいのだ。樹齢も500年を超えるものがあれば、室町時代まで遡れる。これは、面白くなるぞ! いったいいつ、イチョウは日本に渡来したのか…。
そうした中で著者は、全国のイチョウの巨樹を調べだすのだが、そこで岡山県の「菩提寺のイチョウ」に出会う。それがすごいのは、江戸時代にあった事件の記録が詳しく残されていたから。
その内容が驚く。ご神木とも言えるこのイチョウの木の「摺り木のごときもの」を切って送れ、という命令が出たのだ。誰から?幕府の将軍から! 摺り木とは、イチョウが大木になったらよくできる垂れ下がった、植物的には気根なんだろう。よくこの部分を乳と評され、その垂れ下がった部分から滴る水を飲むと乳の出がよくなるという言い伝えと信心がある。しかし、どこの地方でも、そんな信心があるわけではない。それに地元の村にとってはご神木に傷をつけることなど…。
しかし、徳川将軍の命令である。享保5年。徳川吉宗である。暴れん坊将軍である。
代官も必死だ。何がなんでも切らさねばならない。伐採ではなく、一部の切り取りなんだが、やはり村は抵抗する。
だからこそ、さまざまな文書が残されたわけだ。私は、なぜ将軍が? と興味はそちらに行く。
……だが、わからないのである。謎のまま事態は展開し、そもそもこのイチョウはどんなイチョウだったか、さまざまな史料を漁っていく。現代まで続くイチョウの来歴。それが「木の伝記」になる。
おいおい、イチョウの渡来はどうなった、将軍の目的はなんだった、と疑問が疑問を呼び、置いてきぼり気分。
しかし、史料から浮かび上がるイチョウの姿。これは、私も機会をつかまえて訪ねてみよう。この「菩提寺イチョウ」は、現在の奈義町か。何度か近くまで行ったことはあるのだが、そんなイチョウがあるとは知らなかった。
一方で、巨樹としてのイチョウは、何かと面白い。基本、イチョウで森をつくらないし、自生もしないから、誰かが植えた例が多いはずだが、人と木の関わりが浮かび上がる。。近畿に巨樹が少ないというのは、都人にイチョウが嫌われたからかもしれない。あるいはイチョウの材が人気だったからか。
もしかしたら森と木を語る上で、盲点のように見過ごしていた木かもしれない。
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