『本を読めなくなった人たち-コスパとテキストメディアをめぐる現在形』(稲田豊史/中央新書ラクレ)
書店でこのタイトルの本を見つけて衝動買いしてしまった。
私も、一応は著作業。本を書いている身であって、世間では本を読まない人が激増していることを肌で感じている。それゆえ、見逃せないテーマのである。
著者の稲田氏は、大学の研究者かと思ったら、あくまでライターだった。この本は、「本を読めなくなった」人を何百人もインタビューして、さらに関連テーマの本やウェブ記事を渉猟して書き切った労作である。
いやあ、まいった。読んで打ちのめされた。薄々知っているつもりになっていた状況の何倍もの現実を突きつけられた。世の中、こうなってるの? とくに若い世代はこうなの? もはや本を読まないレベルではない。新聞も雑誌も、漫画さえ読まない。社会の変容を来たしている。
たとえば、金を払って本を読まないどころではなく、無料のウェブメディアも読まれない。選択肢の多いクックパッドも嫌われる。紙の本だけでなく、別に字を読まないのではなく、タイパ、コスパの悪い文章は読まない、ということか。私のブログも文字が多すぎるわ。
(タイパ用に)いきなり結論を記すとしたら、情報とは自分で取りにいくものではなく、流れてくるものになってしまった。ニュースサイトなどのような情報源にも行かない。あくまでSNSで流れてくるものだけを受動的に読む。それもAIの要約したものだけとか、動画のような耳と目に飛び込んでくるものを。リンク先にも飛ばない(泣)。
加えてあふれる情報の洪水のため選ぶことができない。行動経済学が指摘する「選択オーバーロード(選択肢過多)」に陥っている。
本を選び、字を読むのは能動的なことであって、タイパが悪いのだ。しかも論理的思考とは、脳のエネルギーをものすごく食う。これはコスパが悪い。映像で流し見することに敵わない。
もはや本を読む人とは特別な階級で、長文を読むのは特殊技能であり、一般人ではないのである。だから、本を出版して、宣伝のつもりでネットに書き散らしても読まれない。書評に載っても読まれない。そもそも本を手にしない。。。。泣きたくなる。
これ以上内容を紹介しないから、本書を読んでほしい(泣)。
一応、【目次】を示しておく。
プロローグ
第1章 ニュースを無料で読む人たち
――無料ウェブメディアの行き詰まり
第2章 本を読まない人たち
――〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉
第3章 本と出合えない人たち
――無料抜粋記事と電子書籍の限界
第4章 本屋に行かない人たち
――聖域としての書店
終 章 紙の本に集う人たち
――読者と消費者
ただ全然別のこと、本ではなく今回の総選挙結果の解析にもつながることに気づいた。
選挙になっても、公約や党の理念、個人の人柄……なんて能動的には調べないし、情報量が多すぎて選択オーバーロードになるのでやらない。受動的に流れる情報を省エネ的に受け取るだけ。考えないで、感覚/感情で受け取る。人物も公約ではなくキャラで理解する。
そうなると、圧倒的にキャラの立ったのが「高市早苗」なのである。
選挙前、私は投票行為は「代理承認欲求」になっているのではないか仮説を立てたが、推しとか承認欲求とかは能動的であった。より消極的に流れてくる情報の中から、考えずに摂取できて、心地よくしてくれるフレーズを発する人やキャラ立ちした人物を投票するのだ。
そう考えると、納得感(これも感情だ)がある。
今後、選挙の立候補者が取るべき戦術は、演説は短く断定調で。何より「面白いこと」を言うべきだろう。そして笑いをとること。オチでスカッとさせること。内容は単純化し、気持ち優先に伝える。理屈、論理はいらない。批判も嫌われる。……これが投票してもらえる極意だ。
候補者は、芸人なみに話術を磨き、自らのブランディング(キャラ立ち)させねばならぬ。
ちなみに私がやるべきは、拙著を読んでもらうため、笑える文体でキャラをつくって、短く、結論だけ。理屈もこねない、内容のない本を書くことだ(笑)。あるいは“本を読めるステータスの高い人”だけを対象にした本に絞り込もうか。こっちかな。
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