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2007年6月

2007/06/30

鹿の糞

毎日新聞によると、奈良市長のところへ、観光客がメールを送ったそうだ。

「県外から観光で来たが、東大寺参道がシカのフンだらけでとても不愉快だった。二度と奈良には来たくない」
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奈良と言えばシカ、だが、その糞にいちゃもんが付けられるのか。シカは見たいが、糞はイヤとは、いかにも観光客の要求である。そもそも奈良の景観は、シカとシカの糞が重要な役割を果たしている。

人がを伐り開き、明るくなったところへが生える。草を食べるシカが増え(それを人は神の遣いとして保護し)、シカはをする。糞はコガネムシなどの糞虫によって地面に引き込まれ餌となるだけでなく、土壌の栄養となる。それが次の草を育て、シカが生息できるだけの草の量を保てる…こうしたサイクルができているのだ。
ただ、シカの数が増えたり、東大寺のようにシカが集まってくるところでは、糞虫の活躍も間に合わないため、糞は必ずしも全部片づけられない。もちろん東大寺も毎日掃除はしているだろうが、昼間の分は間に合わないだろう。

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そのうえ、別の要因もあるようだ。本来のシカの糞はコロコロしているのだが、最近はベタャ、としているそうだ。それが汚く感じる面もあるらしい。

ただ、それにも裏があって、なぜ糞の質が変わってきたのかというと、旅館店主の説(^^;)によると、草やシカ煎餅(成分はぬか)よりも、観光客がスナック菓子を与える量が増えていることが関係あるという。菓子の脂肪分が糞の質を変えるという。
そうでなくてもスナック菓子は香辛料を含んでいるので、シカは腹を壊す。実際、そのために死ぬシカも数多い。奈良公園では年間200頭あまりのシカがなくなるが、その原因は交通事故のほか食あたりが非常に多いのだ。

シカ煎餅の売上が落ちているのも、スナック菓子を与えるせいらしい。売上の減少が、シカの管理費用が出ない原因でもある。今や奈良のシカ愛護会は、運営が立ち行かなくなってしまい、伝統の角きり行事も中止しかけているのだ。

観光客も、この連鎖を知ったうえで、わがままを言ってもらいたいね。

奈良公園では、ごみ箱に頭を突っ込んで弁当の残飯を漁っているシカも見かける。こうした食料事情がシカに与える影響を考えないいけない。

2007/06/29

都会は麻薬?

『世界の半数が都会人」に』という記事があった。国連人口基金が発表した白書によると、来年には世界の人口の半数以上の33億人が都会に住むことになるそうだ。

この場合の都会とは、スラムも含む(いや、大半か)人口集中地域のことだろう。アジアやアフリカでは、とくに顕著である。もちろん経済問題や雇用問題など様々な要素があるが、ここで私が思い出したのは、ベトナム戦争のルポである。

南ベトナム(当時)のデルタ地帯(農村部)から戦乱を逃れてサイゴンなど都市部に流入した難民が、その後戦乱が収まっても帰村しないのだ。そこで政府高官のコメントとして「都会の味を覚えてしまった」というのが印象に残っている。村で農業をやるより都会で乞食になることの楽しみがある……という状況が生まれていた。

これは残念ながら否定しがたい。現在の日本の田舎暮らしブームなんて、小さな逆流にすぎず、基本的には田舎から都会への人口流出は続いているのだ。やはり都会に魅力を感じる人の方が圧倒的に多い。
私は、「都会の魅力は麻薬」と言ったことがある。身体に悪いと言われても、一度魅力を感じると中毒になって抜け出られない、という意味だ。だから最初から中毒にならないような心がけを持つか、中毒になった場合は、かなりの意思力がないと脱却できない。

その麻薬の中身は、「刺激」だと思う。便利さもその一部だろうが、常に多くの刺激にさらされると、最初はびっくりしても、やがて心地よさが生まれる。そしてもっと強い刺激が欲しくなる。もっと便利に、もっと新しい情報を。

もしかしたら、Iターンによる田舎暮らしも、新たな「刺激」を求める面もあるかもしれない。しかし、田舎の刺激がどれほど続くか。都会のようにのべつなく新しいものを提供できないだろう。……(この考察、また続く)

2007/06/28

川上村のコウヨウザン

「広葉杉」と書いて、コウヨウザン。単に中国杉という呼び名もあるが、ようするに中国大陸の樹木だ。中国では「杉木」という名をあてるそうだ。日本にも、この木材は入ってきている。ホームセンターなどには、平気で「スギ製」と書いた簀の子などを売っている。ただし、スギとは似ても似つかぬ材質で、どちらかというとマツに近いと思う。ちなみに葉っぱなどは、モミやトウヒのようでもある。

何を長くこんな説明をしているかというと、先日訪れた川上村で、コウヨウザンの大木を見たからだ。旧川上第一小学校の校庭跡地にあった。

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この木の下に、碑があった。「土倉翁頌徳碑」である。小学校が誕生したのも、庄三郎のおかげであった。土倉翁の次男、龍次郎は、台湾に植林に行っているが、翁が還暦の際には、高砂族の首長らを連れて川上村に帰郷している。(この件については、前ブログで写真とともに紹介した。)
おそらくその際に台湾から持ち込んだこの木を植えたのではないかと推測されている。1900年(明治33年)のことだ。もし正しければ、どんな苗木だったかわからないものの、この木の樹齢は107年程度ということになる。

台湾には、コウヨウザンにごく近い変種のランダイスギ(巒大杉)があるというから、もし区別がつけば、確実に台湾から持ち込んだことがわかるのだが。

当時の土倉庄三郎は、もっとも繁栄していた時代だ。全国に轟き、子供たちも世界に雄飛していた。その名残ということもできるだろう。
吉野杉の里で、中国原産の杉がある理由を考えると、歴史のワンシーンに触れることができた。

2007/06/27

シカとピーマン

昨日は、川上村へ。土倉庄三郎に関して、多くの情報を得られて整理するのが大変なのだが、ここではその合間に聞いた話。

シカに、とうとうピーマンまで食べられたというのだ。

シカ害は山村に行けばどこでも話題だが、今や造林地よりも田畑を荒らす動物となっている。とくに山村では自家菜園程度の小さな畑が、荒らされる。そこで柵を作るのだが、それも2mくらいだと飛び越えるので、3mの高さにまでなっている。もう、柵ではなく檻(もちろん檻の中に入るのは人間)である。
全敷地は無理なので、ニンニク、唐辛子、ニラ、ピーマンなど癖のある香り野菜は柵外に植え付ける。これらの野菜はシカも食べないとされたからだ。

ところが、ついに食べられたのだという。シカがピーマンをかじっているそうだ。シカの嗜好も変化してきたのか。それとも餌不足になりふり構わないのか。ちなみにシキミも食べるという。この木は仏前に備える独特の臭いがある木だが、獣害に合わないので、林業の副産物だったのに。

そのうち、唐辛子の好きな韓流シカとか、ニンニク食べた精力満点シカが現れたらどうしよう。ニラ臭いシカなんて、いやだなあ。

2007/06/26

日本チェンソーアート協会?

先日、吉野まるごとプロジェクトの会議を開いた。といっても、現在の中心的事業であるチェンソーアートスクールの運営に関する内容が、大半を占める。
考えてみれば、チェンソーアート事業の具体的な立ち上げを決めたのは、昨年の6月。たった1年で、よくぞここまで成長したなあと思う。

上半期の中間決算も含めて、事業報告では、極めて順調である。練習場建設関連の負債も、今年中には返済できそうだし、講習会等の内容も充実してきた。今後の受講生の募集とか、安全面の徹底など課題はいろいろあるが、これまでのようにあの手この手試行錯誤しつつ進めるしかあるまい。

その中で話題に上がったのが、(仮)日本チェンソーアート協会のような全国組織の立ち上げ。もちろん長期展望であるが、各地に多くのカーバーとクラブが生まれているのだから、将来的には情報のネットワークと、何かと世間に対しての窓口として求められるのではないだろうか。

吉野が手を挙げるというわけではないが、誰かが作らないと困る時期が来ると思う。その時にどこがどのように声を上げるか、各地の団体・個人がどれほど参加してくれるか。また我々は、山村地域の振興を目的に掲げている。それが果たして全国の愛好者に通じるのかという問題もある。加えて、その仕事量を考えると気軽に「作ろうよ」という気持ちにはなれない。

それに、もっと近々の課題として毎度上げている安全マニュアル指導マニュアルの作成がある。なかなか進まないけど、これも、単に吉野だけでなく全国を視野に入れて早く作らねばならないだろう。問題が起きてから悔やむことになりかねない。

世間には、様々な全国団体があるが、それらをどのように立ち上げたのか、運営したのか(今も運営しているのか)、詳しい人はいたら教えてもらいたい。

2007/06/25

箸文化と「にほんぼう」

東京・広尾に、兵左衛門の「にほんぼう」という店がオープンしたようだ。1000円くらいの塗り箸から52万5000円の若狭塗り箸まであるという。1万円くらいの箸なら、毎日のように売れるらしい。携帯箸や、持ち歩き用のセットも扱っている。

と、このように紹介したら、まさにマイ箸運動の拠点のようである。事実、ニュースではそのような扱いもされている。が、ちょっと実態は違うようだ。

このブログでも紹介したが、兵左衛門は福井の塗り箸メーカーだが、社長が「割り箸ファン」を名乗る。この店でも、割り箸を扱っているはずだ。また吉野の割り箸業界との連携も模索している。マスコミも、もう少し突っ込んだ取材をすべきだろう。

私は、こうした店ができるのは、割り箸業界にもプラスだと思う。塗り箸だけでなく、割り箸を売るにも、箸文化を世間に広めないといけないからだ。何も考えていない人ほど、環境=マイ箸という単純思考に走る。箸とは何か、と深く考えれば、塗り箸も割り箸もいとおしくなるはずである。
逆に言えば、文化で理論武装しないと、割り箸に対する風当たりは弱まらないよ。割り箸業界も、もう少し広い目で見るべきだろう。

一方で、新潟県長岡市のNPO「地域循環ネットワーク」では、割り箸のリサイクルに取り組んでいるそうだ。飲食店や家庭から使用済み割り箸を集め、炭にするそうだ。
私は、割り箸のリサイクル自体は無駄と思っているが、おそらく彼らも、そのことはわかっているのではないかと思う。目的は、割り箸そのものをもったいないというのではなく、割り箸を使っている店・個人でも、環境に対する感度は高いということを示そうとしているのだろう。
割り箸をさっさとプラスチック箸に変える単純思考の居酒屋経営者より、よっぽど環境問題に向き合っていると思う。こうした意思表示的行動も必要な時代となった。

そういえば拙著『割り箸はもったいない?』を読んで、さっそく吉野杉箸を買いに行きました、というメールが届いた。深謝。

2007/06/24

アカシアでバイオ燃料?

ちょっと不思議なニュースを目にした。

秋田県の小坂町は、アカシアを原料にしてバイオ燃料開発の調査研究に乗り出すというのだ。どうやらアカシアの木からエタノールを生成したり、ペレット加工を考えているようだ。そのための研究会を設立するというが、自分で研究するのではなく、民間企業などとの連携しつつ、技術を探るということのようである。
つまり、木材からエタノールを生成するということで、先に紹介した北海道下川町のヤナギ栽培と理屈は一緒だろう。

それにしても、アカシアとは……。ここでいうアカシアは、本当のアカシアではなく、ニセアカシア、つまりハリエンジュのことのようだが、これって、外来生物法で、「要注意外来生物リスト」に指定されている。この点も以前のブログで蜜源植物としてのニセアカシアの重要性に触れたことがあるが、そうした樹木をバイオ燃料として使えるのか?

そう思って少し調べると、小坂町は、以前は「鉱山の町」として知られ、製錬所の煙害で枯れた山林を再生しようと、戦前からアカシアを植林してきたらしい。現在では約300万本も町内に生えている。そして「アカシア祭」を開いたり、アカシアの香りの香水まで開発して販売していた。
つまり、今回の計画は、アカシアによる町おこしの一環にもなるわけだ。バイオ燃料利用にしても、少々伐採しても充分な量があり、新たに植える必要もないから、外来生物法にも引っかからないのだろうか。
植えたアカシアは年々太り、猛烈に繁殖していくだろうから、伐採も必要だろう。伐採木の多角利用も悪くない。そのサイクルの中にバイオ燃料も入るのだろうか。

それにしてもポプラにヤナギにニセアカシアと来たら、次はユーカリ?も登場しそうな気がするが、早生樹種はモテモテのようである。ただアカシアの木質は、硬くて耐久性が高いというから、スカスカのポプラ材より使い道があるのではないかと想像する。逆に言えば、エタノールにするのは難しそうだなあ……と(^^;)。

ともあれ、世の中が一斉にバイオエタノールへなびき始めた気がする。こんなときこそ、逆張りしてみることも考えたら、と思うけどね。

2007/06/23

民主党「森と里の再生プラン」

民主党の作った「森と里の再生プラン」が届いた。

これは、民主党の森林・林業政策、いわばマニフェストと言ってよい。都市型政党から地方重視政党への脱皮をめざす橋頭堡?みたいなものか。
サブのフレーズには、「森と里から日本を元気にします」とあるが、タイトルと合わせると拙著『森林からのニッポン再生』をなぞったようでこそばゆい(^o^)。 いや、向こうの方が先に考えていたフレーズだろうけどね。

実は、このプラン作成の終盤で、私はコメントを求められて、急遽(ほとんど1時間程度で目を通して)疑問点を指摘するという形で関わっている。それらに関して多少は書きかえられたところもあるようだ。それだけに客観的な目で紹介することになるか怪しいのだが、「ブログに書いたことには責任持たない」というポリシーに従って(@_@)、他人事のように論評する。

ここでは、掲げた目標の一つにある「10年以内に木材自給率を50%まで高める」について考えたい。
まあ、大きく出たな、と誰もが思うだろうが、私は潜在的な可能性はあると考えている。日本林業のポテンシャルを考えた場合、不可能ではない。何より蓄積は、現在の3倍伐っても大丈夫だし、作業道の拡充、高性能林業機械の導入を前提としたならば、マンパワーも確保できると思う。ほかにも有利な条件はいくつかある。だから、やりようによっては10年で間に合う。

プランには、この目標を達成するための方法論も並んでいる。それらには賛同するものもあれば、アホな、と思う点もある。しかし問題なのは、それらの施策よりも、関係者のやる気について触れられていないことだ。モチベーションをいかに作り出すかという点の施策が全然見当たらない。これが致命的。機械化などへ金をつぎ込むより、人を動かす機微がほしい。その上での人材教育と人材参入の施策だろう。

建設業も同じだ。本気で国産材を使う気があるとは私には信じられない。外材と一心同体のごとく構築された市場を崩す手法が見えない。とはいえ、外材を規制するのは無理だろうし、禁じ手である。
国産材流通を抜本的に整備して、金融も含めた新しいシステムを作らないと動かないと感じる。さもないと、いくら国産材を増産しても捌けないで価格暴落を招くだけだ。

ようは、国産材の生産現場と消費現場に対する認識と施策が物足りない。

これが、私の他人事のような感想だ。まあ、政権取るまで、まだしばらく時間がかかるだろうから、その間に煮詰めてくださいね。温かく見守っています(^∧^)。いや、求められたら協力しますよ。(こんなこと書いたら、依頼は来ないか。)

でも、改めて考えると、森林や林業のことやっても、票は採れるのかねえ。\(-_-メ;)オイオイ

2007/06/22

とりあえず「地球温暖化論」

『割り箸はもったいない?』に続いて『森林からのニッポン再生』。

どちらも地球温暖化問題に絡めて語られることが目立つように感じた。それは結構なのだが、私が手放しで地球温暖化が進んでいる! と論じているように思われる方もいるようなので、今回は少し大上段に、この問題に関する私のスタンスを記しておこう。

私は、ここ数十年から約100年、地球の平均気温が上昇していることを認めている。
同じ時期に先んじて、大気の二酸化炭素濃度が尻上がりに高まっていることも認めている。
そして、この時期に二酸化炭素濃度が高まったのは、人類の活動(化石燃料の大量使用など)が関係していることもかなり疑っている。

三段論法的に言えば、人類が地球温暖化を招いたことは疑いなし! ということになるだろう。実際、少しでも二酸化炭素排出量を減らすべきだという意見にも賛同する。

だが、本当に地球全体が温暖化しているかどうかには疑問を持っている。短期的な気候変動を、地球史レベルまで広げることには、違和感がある。
100年なんて、宇宙の時間の中では瞬きの時間にもならない。時間の尺度を広げれば、地球の気温は、常に変動を繰り返していた。

遠くは、恐竜の跋扈していた白亜紀は、二酸化炭素濃度は現在よりはるかに高く、当然気温も湿度も高く、サウナ状態だったようだ。もしこの時代に人間がタイムスリップしたら、窒息するとは言わないが、すぐバテてしまうだろう。爬虫類向きの地球だったのだ。
そして氷河期を持ち出すまでもなく、気温が極端に低い時代も何度かあった。人類が登場してからも寒冷期と温暖期を繰り返していたの間違いないだろう。

二酸化炭素量も、巨大火山が噴火したら、すぐ跳ね上がる。人類が苦労して排出量を削減しても、セントヘレナ火山級の噴火が幾つか続けば、すぐ努力は無になるだろう。深海流の変動も人類とは関係のない次元で起きているし、太陽の黒点の数なんぞ、まったく神のみぞ知るで、お手上げだ。
むしろ、ここ数千年間は、地球史の中で希有なほど気候が安定していたのである。

それでも、とりあえず短期的には地球温暖化が進んでいるとして、そして原因は人類にあるとしても、それを押し止めようとバイオマスエネルギー開発に邁進したり、森林整備を進めたりするのは巨大な地球を前にした蟷螂の鎌のように感じて仕方がない。むしろ、温暖化なんて、2万年も待てば収まるんじゃない? と、うそぶきたい衝動に駆られる。

だから何もしないでよいという、ブッシュ大統領並の空っぽ頭にはなりたくないが、どこか冷やかに思ってしまうのだ。著作では、客観的事実として地球温暖化が政策課題に上がっていることから森林に関した部分で触れているが、地球全体の変動に関しての意見は表明しないようにしている。

ただ、危機意識こそ改革を進める原点だ。これを機会に人類の進む方向が多少は修正されるなら、悪いことではない。
どう考えても有限の化石燃料をバカスカ使うのは危険だし、森林に興味のなかった人も森林の現状に目を向けてくれるなら温暖化論を利用するのもよいかと思う。好き放題、野放図に暴れている人類が、多少とも地球環境に気を配っておとなしくなるのは賛成だ。

バイオマスエネルギーは、地球温暖化を持ち出さなくても、推進すべきだろう。森林整備を進めることで林業が立ち直り、生物多様性が増す可能性も好ましく感じる。ついでに「美しい森林づくり」にもなるかもしれない。

ま、地球温暖化論に関する私のスタンスはこれぐらいにしとこか。語り尽くせぬ気分ではあるけどね。

2007/06/21

百均ショップの品

久しぶりに百均ショップを散策(^o^)。

百均ショップは結構楽しめるが、その魅力を「安さ」だけに求めるのは違うだろう。膨大な商品アイテムそのものが魅力になる。事実、この手の店にしかないアイデア商品や、珍品も少なくない。たとえばインテリア系は、不思議な品がいっぱいある。和風ミニチュア家具の癒しグッズなんて、箱庭的に楽しめるし、台所用品も意外に便利な品も多い。

とくに木工品は、数も多い。たいてい中国か東南アジア製。木材の魅力を考える際の参考になることもある。ヤシの木やゴムの木の木工品は、なかなか味があって好きなのだが、百均ショップ以外ではなかなか見つけられなかった。

今回は、「竹のトレイ」を発見。
あんまり知る人は少ないだろうが、日本で話題の「木のトレイ」は、もともと竹製だった。技術としては、竹を材料にして作られたのだ。しかし、東南アジアの太い竹の方が効率よく作れるので、香港だかに移転。現地では結構生産しているらしい。ただし、日本には防カビ剤など、いろいろな規制があって入って来なかった。そのうち国内で、間伐材を利用した木のトレイの製造技術が完成した。その後の展開は、すでに紹介したこともあるが、飛びついた地域は販売がうまくいかず苦労している。

しかし、今回は防カビ剤を使用しない竹のトレイが輸入されていた。もし、これが流行ると復活しようとしている木のトレイの先行きが心配になる。

……そんなことも考えられる百均ショップなのである。

2007/06/20

木箱追放

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写真は、いただいたお餅が入っていた木箱。
よく観察すると、底と蓋は、木目が印刷された紙製だった。幅広の木は高いからだろう。あくまで細い間伐材でも作れる横板だけの木箱である。

それでも、木箱がまだあるだけでホッとする。というのは、今小売業界では木箱の追放が進んでいると聞いたからだ。高級菓子のほかソーメンなども木箱入りで販売していたのだが、それが減っているのは……

消費者が木箱は森林破壊していると思うから」だそうである。

なんと、環境対策の一環で紙箱に切り換えているのである。箱の処理も楽でいいとか、安上がりという裏事情もあるかもしれないが、そこに「環境」という名目があれば、高級品を求める消費者も納得する。

しかし、全国から木箱入り商品がなくなれば、それなりの量の木材消費が減るのではなかろうか。何より、反論しない生産者側に情けなさを感じる。ちゃんと、木箱を使う意味、材料の木がどこから得ているかなどを説明すれば誤解は解けるだろうに、

木材を使う→木を伐採する→森林破壊

という連想を広げているように思う。

しかし、考えようによっては、今後、木箱をアレンジすることによって新たな木製品の需要を生み出すことは可能ではないか。単純に言えば、「森を守る木箱」のイメージを添付すれば、売れると思うけどなあ。

2007/06/19

NHK「みどりのニッポン再生」

先に、になみさんからコメントで紹介のあったNHK教育の「みどりのニッポン再生」、ようやく録画を見た。

東京で開かれたフォーラムの収録だったが、パネラーは、オークヴィレッジの稲本正、宮林茂幸・東京農業大学教授、 JTの篠原政美CSR推進部長、橋本大二郎高知県知事、中野雅光・和歌山県森林・林業局長という面々。

内容は、極めて簡単に言えば、日本の森林を、国産材を使うことで再生しよう、という呼びかけだ。まあ、このプログの読者には、今更、と思えることかもしれない。その大筋には文句を付けないが、気になったのは、映像リポートも含めて、大雑把な表現が平気で使われていることだ。

相変わらず「安い外材」とか「日本の木材需要の8割以上が外材」「水は森林土壌に溜められる」などという言葉が出る。そして、高知県から始まった「森林環境税」、和歌山県が先鞭を付けた「緑の雇用」の手放しの称賛。そして新たに始まった「企業の森」。
そんな単純に森林環境税が褒められるのか、緑の雇用の実態をわかっているのか、と突っ込みを入れたくなる。それに、結局は税金の投入とボランティア頼みの方策であって、林業を経済的に再生する仕組みではない。

でも、まあ。

とりあえず、日本の森林の問題点と模索状況を示すということで、こんな感じでまとめました、ということかな。これはこれで、世間向けには一歩前進かもしれない。

ちなみに番組タイトルは、「みどりのニッポン」の再生という意味のようである。拙著のタイトルは、森林からの「ニッポン再生」と読んで欲しい。区切る点が違っていたよ。

2007/06/18

第3回森林ビジネス塾

今日は、朝早く起きて、丹波へ。第3回森林ビジネス塾開講日だからだ。今回は午前10時スタートなので、早起きした~。

実は、今回こそ、肝であった。なぜならテーマは、「商品企画会議の開き方」だからだ。
林業関係者にもっとも欠けている経験、企画の作り方を学ぶもの。講師は、この手のセミナーのプロ、大川恒さんを東京から招いた。

まずはチェックインと呼ばれる自己紹介や笑顔づくりから、アイスブレークなるチームの緊張を解くゲーム、会議のルールづくり、そしてブレーンストーミングと、通常なら何日かかけるメニューを2時間半に詰め込んだ贅沢な内容。
それにしてもプロだねえ。熱く、そして流れるように進行させて、気がついたら場は盛り上がっているという状態。

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午後は、私が引き継いで、ブレーンストーミングの2回目。これは回数を重ねるほど、頭が柔らかくなる。質より量、なのだ。意外と勘違いしている人も多いが、企画は質ではない。量である。くだらない思いつきネタを数多く出した方が、結果的に質がよいものも生まれる。「よい企画を」と悩むのはナンセンスだ。

ここで企画会議の開き方を体得して、何らかの商品企画を思いついてもらわないと、次回につながらない。だから重要な回だ。

気になったのは、2つ参加している森林組合の一方が、今回全員参加しなかったことだ。個人的に葬式があるとか怪我をした、などなら仕方ないが、4人全員というのは……。組合側で早くも腰が引け始めたのではないことを願いたい。いくら職員個人がやる気を出しても、組織としてのバックアップがないと何も稔らない。

2007/06/17

榛村純一氏

静岡では、森林組合振興会の集まりに呼ばれたのだけど、そこでは榛村(しんむら)純一氏とご一緒した。

榛村氏は、昨年まで静岡県掛川市長を28年も続けた、この筋(どの筋?)では有名人。実は市長になる前から森林組合長を務めており、現在も静岡県森林組合連合会の会長だし、財団法人「森とむらの会」理事長など要職を務めている。林業政策や地域づくりに関する発言や著作も多い。私も何冊かと読んでいる。だいたい28年間市長ということは、私が静大の学生の頃から市長だったということだ。

それだけに発言は鋭いというか、厳しいというか。パネルディスカッションのコーディネーターのはずなのに、パネラーより微に入り細にいった指摘をされる。結構、政治の生臭さもありつつ、突っ込むところは突っ込む。これでは、下にいるものは大変だろうな、後継者は育たないぞ、と余計なお世話なことまで考えてしまった(笑)。

まっ、私に関しては、途中で榛村氏の期待とは反した意見で暴走していましたけどね。

ちなみに、会場に持ち込んだ『割り箸本』と『森ポン』をさっさと持って行って、その代わりにと分厚い2冊を渡された。『生涯学習まちづくりは村格・都市格へ』と『森林と報徳と温暖化と』である。

その後の宴席では、隣の席に配されたのだが、参加者の皆さんが榛村氏に挨拶とお酌に来られるものの、帰らなくてはいけないため酒は飲まないという。そこで私が代役としてせっせと杯を空けては受けておりました(^^;)。

で、私らは2次会で延々4時間林業話で飲み続けていた。みんな、意外と真面目な林業をテーマに議論が続く。普段は林業のことを話す相手がいない?のかもしれないなあ。

2007/06/16

静岡の書店

静岡の書店
昨日より静岡。静岡市の書店を覗くと、『割り箸本』は平積み、『森ポン』は…書棚に1冊発見。これでは影は薄い?と思ったのだが・・・内容が地味だと思われたか、などと想像していた。ところが!

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なんと、平凡社新書のコーナーが別にあった。こちらには、『森ポン』が、2列に渡っての平積みだ~!
『森ポン』を初めて書店で目にしたのが静岡というのもナンだが、気持ちよいスタートであった。

谷島書店さん、アンタはエライ(笑)。

ちなみに静岡の話題は、また改めて。

2007/06/15

『森ポン』のページ

多少、出遅れましたが、拙ホームページに、『森ポン』のページを作りました。

ここには目次と、第1章第1節「日本は世界に冠たる森林王国」を掲載しています。よろしければ、ご試読してみてください。ただし、書籍にある写真などは入れておりません。

もちろん、『割り箸はもったいない?』のページもあります。こちらは告知していませんでしたっけ?

最近は、ホームページの方の更新は「生駒通信」程度ですが、そのうちドカッとやりたいものです。未発表原稿や消えた幻の記事もあるし、「知られざる探検家列伝」のネタも溜まっているし…。

2007/06/14

バイオエタノール用樹木生産

北海道の下川町に行きたいと思っている。

この町は、何かと林業的には注目なのだ。森林組合も多角経営していて元気だし、もいろいろ森林に関した寄付条例などの政策を出している。それが成功しているか否かというより、数々のアイデアを出す体制に興味がある。

加えて、ここには下川製箸という会社があって、FSC認証を受けたシナノキの間伐材で割り箸を作っている。かつての大産地が今や4軒となったが、ここが作るのが高級割り箸ではなく、安価な元禄箸であることも注目している理由だ。

そして、今度の注目は、「北海道草木バイオマス新用途研究会」だ。ヤナギなどの早生樹を原料にバイオエタノール生産を目指そうという研究活動を行うのだそうだ。
流行りのバイオエタノールはほとんどがトウモロコシやサトウキビなどの農作物が原料で、食物をエネルギーにすることに批判の声がある。一方、木材からの生産も試みられているが、こちらは技術的に完全でないことはさておき、原料は廃材を想定している。せいぜい製材端材や林業残材までだ。
ところが、ここで研究するのは、エタノールにするための樹木生産なのである。これは珍しいのではないか。たしかヨーロッパでは、燃焼させ電気や暖房用としてエネルギー利用するために、コリヤナギなどを栽培をしたり牧草を転用するケースがあったはずだが、エタノール生産ではない。実用化が可能なら本格的な燃料林業となるかもしれない。

もちろん植林地?圃場?の整備や、生長量と施業コストなど採算の合う樹種の選定、そして高効率のプラントがあるのかなど、課題は多い。おそらく町の研究会だけで結論が出る問題ではない。

それでも、こんな研究をしようと会を立ち上げるところが面白い。風土と人を知りたい。
この夏、北海道に行く機会はないかな。

2007/06/13

朝日新聞・時代は「ニッポン」?

今朝の朝日新聞に、『森林からのニッポン再生』が登場した。

……といっても、この時期に書評ではない。文化欄だ。

そこに  時代は「ニッポン」の気分
       映画、TV、本のタイトル続々と

という記事があり、ようするに日本、ニホンではなく、ニッポンという表記が流行っていることを紹介しているのだが、そのヴィジュアルとして、タイトルにニッポンという表記が使われている本を集めた写真がある。その一角に「『森林からのニッポン再生』も写っているのである。ちなみに、本文に『森ポン』については一言も触れていない。

なに、これでも人の目に触れる機会が増えたのだからよいのです(^o^)。

ちなみに記事では、ニホンとニッポンの違いを論じているが、私がニッポンをタイトルに使ったのは、漢字と比べたのだ。森林、日本、再生と漢字ばかりが続くタイトルは見栄えが重くなるので、カタカナを使った。ニホンにしなかったのは、単に語呂の問題である。発音したときに、ニッポンの方が口にしやすかったから。

2007/06/12

ウッドマイルズへの疑問

先に森林セラピーと新月伐採、そしてウッドマイルズを並べて書いたことから誤解された方もいるようなので、改めてウッドマイルズを論じる。

ウッドマイルズとは、単純に言えば「木材の生産地と消費地の距離」である。それに「使用木材量」を掛けたものが、ウッドマイレージだ。木材は環境に優しい素材とされているが、実は輸送にどれほどのエネルギーをかけているかを見る尺度となる。
それにウッドマイレージCO2という指標も生まれた。輸送で消費するエネルギーをCO2排出量で表したもの。輸送に汽車を使うかトラックか船かによって、エネルギー消費量が変わってくるからである。そのほか建築物ウッドマイレージ…など、ほかにもいくつか派生した指標がある。

その概念自体はしっかりしていて、疑問を挟む余地はあまりない。だから、新月伐採のようなオカルトもどきと並べては失礼かもしれない。
しかし、実際の数値の計算や運用となると、途端に無理が出る。

そもそも産地を詳しく特定するのが大変な上、その輸送経路、輸送手段を確認するのも並大抵ではない。それに途中で製材したり、人工乾燥させれば、またエネルギーを消費する。しかも製材や乾燥で木材の材積や重量が変わると、その後の輸送にも影響が出る。計算する前のデータを集めること自体、極めて難しい。

ああだ、こうだと議論していても、何が正しいウッドマイレージなのかわからなくなる。しかも、根本的に木材を対象にするから、木材の使用量が少ない建築物ならウッドマイレージも小さくなる。これでは、木材を使うな、という主張になりかねない。
一応、計算を簡単にするため、産地と消費地を直線で結んだ距離と最終材積だけを使った「建築物ウッドマイレージL」という簡略版?もあるが、指標ばかりが増えて何がなんだかわからない、イヌのお巡りさん状態になってしまった。

しかも、消費者(建主)はそんな数値を見せられても喜ぶだろうか。外材で同じ家を建てるのより、ウッドマイレージCO2は3分の1ですよ、ぐらいのことを聞けば満足する人が大半ではなかろうか。細かな輸送経路と輸送手段を聞いても心は動かされないだろう。

ウッドマイルズの研修会に参加したことがあるのだが、発表者はわりと楽しそうに研究結果を話している。それは研究者の愉悦を感じているようだ。
また参加者の多くは、地方自治体関係者なのだが、自分の地元の木がどんな数値によって表されるか気にする雰囲気もあった。しかし、もともとは国産材と外材の違いを環境面(エネルギー消費面)から際立たせるためのものではなかったのか。国産材の中で地域材の数値を競う必要はあるのだろうか。

……といったところから、理論は万全、運用は愕然、消費者は憮然となることに疑問を感じたのだ。学問をするのもよいが、実際の効果を生み出す指標にしてもらいたいと思う。

ちなみに6月30日に、「ウッドマイルズフォーラム 2007 in つくば」が開かれる。

2007/06/11

書評・毎日新聞

昨日、午後5時前だった。ふと、胸騒ぎがした(笑)。
今日は日曜日、新聞に書評欄がある日だ。各紙を閲覧するには、公民館に行かねばならないが、5時半には閉まる。

家を飛び出し、公民館に向かう。徒歩4分のところにあるのだ。そして、まだ割り箸本の書評が載っていない新聞をチェックした。

おおおっー、毎日新聞に発見。しかも、大きい。一般的なコーナーではなく、藤森照信氏の担当する別枠だ。

割り箸問題を定性的視点と定量的視点から解説している。しかも嬉しいのは、意外に評判にならなかった歴史的な発見に触れていることだ。

実は『割り箸はもったいない?』では、割り箸の起源の定説を破っている。これまで1800年代中頃とされた発明時期を、1709年以前まで遡れることを指摘したのだ。これは歴史的には新発見なのだが、マニアック的すぎるのか注目されない。
その点に触れて「スシ(にぎり鮨)やソバ(ソバ切り)に負けない歴史があるわけで、今後の研究の展開によっては、江戸時代に新たに成立した日本独自の食文化を割り箸が支えたなんて可能性も出てくる」と記してくれた。

そうなのだよ、私なんか、この事実に結構興奮して嬉しかったのだが、世間は興味ないんだろうな。

ともあれ、感謝。ネットでは、以下のところで読める。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/news/ 20070610ddm015070135000c.html 

2007/06/10

町内の草刈り

今日は、朝から町内会の美化運動、つまり草刈り

ところが、結構なメンバーが集まったものの、肝心の草がない(~_~;)。考えてみれば、地面はアスファルトだし、家の周りもブロック塀が増えている。昨年まであった空き地には、みんな家が建ってしまった。家の中は、もちろん個人の責任だ。

公園は、市の管轄だそうで、やらなくてもよいという。会館の周りには結構草が生えていたが、そこは毎月当番班がやることになっているので、美化運動の範疇ではないという。

おいおい、やるところがないではないか。都会には都会のこんな悩みもある。

エイ、ヤーと私は、公園をやることにした。管轄外だって、市の草刈りはいつやるかはっきりわからないし、金だってかかる(シルバーボランティアへ発注するらしい)。人数が集まっているのだから今やればよい。ただでさえ、今年は新居を建てて入ってきた新住民が多く、この機会を失うと交流することもなくなる。草刈りの目的だって、実は一緒に汗を流せば、会話も弾むことを狙っている面もあるのだ。

というわけで、皆さん、どんどん参加した。刈り払い機を持っている人が、嬉しそうに刈る。
公園の遊具周りにブロックの壁面に、溝掃除。そのうち会館の周りも草を刈り始め、もう終わりと言っているのに次々と新たな場所に取り組む人もいる。もちろん、だべってばかりの人もいるが、それはそれでよし。

新住民は、みんな若手だ(若奥さんも多いのだよ)し、子供連れだったりもする。夏祭をどうするか、なんて話題も出た。(私が仕切ることになってしまった……)

ちょっぴり生駒が田舎になった気持ちがして、私としては嬉しい。

2007/06/09

割り箸業界最新情報

東京で仕入れた、割り箸業界の最新情報。

まず、ワタミ・フーズの飲食店は、7月から割り箸を止めて塗り箸にする。すでに一部で発表があったようだが、「ブルータスよ、お前もか」ショックである。ただ拙著を送った業者のところに、渡邉社長から話を聞きたいという連絡があったという。

国産割り箸の最後の拠点・奈良の下市の問屋が塗り箸を扱いだした。こちらもブルータスだ。割り箸が売りにくくなったら、塗り箸に移る。この節操のなさが産地問屋か。以前は、国産割り箸から中国割り箸に力足を置き換えたが、今度は塗り箸か。

箸袋メーカーが、割り箸の製造に乗り出した。稼働は9月で場所は北海道。最新式の設備、とは言い難い従来型の製造方法らしいが、年間6億膳の生産能力ということで、国内最大メーカーとなる。割り箸産地としての北海道の復活なるか。

中国の木材輸出関税などが値上げされた。これで中国産割り箸の値上げも必至だが、中国で作っている吉野割り箸も値上げとなりそう。外国産の値上げは国産へのシフトのチャンスだが、それを活かせる態勢がつくれるだろうか。

それぞれ、一つずつ論じたいところだが、目まぐるしい動きに気が滅入る。

2007/06/08

『森林からのニッポン再生』の略称

東京では、『森林からのニッポン再生』の見本をたくさん受け取った。ずしりと重い。

それを鞄に詰めて移動していたわけだが、7日の昼訪れたところは、東銀座。そこで人に会ったのだが、「食事に行こう」と誘われた。イタリアンがいいよね? と言いつつ歩く歩く。目当ての店は、数寄屋橋近くだった。
その後、せっかくだから各地の物産店を覗きに行こう(農林産物を、という意味)と連れられてビルからビルへと地下街を歩く歩く。着いたのは有楽町駅前だった。
各県のいろいろなものを眺めて、それなりに面白かったのだが、さて、「お世話になりました」と別れるところ、「有楽町駅から乗るくらいなら東京駅まで歩けるよ。案内しよう」と歩く歩く。

東京フォーラムを抜けて、「ご飯ミュージアムってあるけど、見る?」。私は、かなりへばっていました(x_x)ので、さすがに断り、東京駅かと思いきや「八重洲口の方が地下街もあるし」と、またまたぐるりと回って…。
東京人って、よく歩くんだあ

気分的には山手線を一周した。鞄に入った『森林からのニッポン再生』がずしりと重かった。

さて、来週には店頭に並ぶ『森林からのニッポン再生』だが、これも長いタイトルだ。略称を考えないと書くのも大変。

『「森を守れ」が森を殺す!』は『森・森』
『伐って燃やせば「森は守れる」』は『伐・森』
『日本の森はなぜ危機なのか』は『森・危機』
『だれが日本の「森」を殺すのか』は『森コロ』
『割り箸はもったいない?』は、
ちょっと苦しく『割り箸本』

ならば『森林からのニッポン再生』は…漢字がうまく配置されていない。『森・再』では語呂が悪い。そこで考えたのは……

『森ポン』だ!

今後、『森林からのニッポン再生』は『森ポン』と略式表記します。よろしく。これで少しは軽くなるかって。ソンナバカナ。でも、東京はもう歩きたくないぞ。

2007/06/07

新幹線の車窓から

東京から帰りました。疲れた…。

帰りの新幹線のぞみで静岡駅を通過した。
7秒だった。
ひかりの時は、もう少し、わずかに長かった。

車窓の風景を写真で撮った。
流れてしまった。
速い速い。

来週は静岡に行く。
今度はゆっくり眺められるだろう。

と、いうわけで、森とも木とも、田舎とも関係ない思いでした。

2007/06/06

東京にて

東京にて
今日は東京です。平凡社で新刊を受け取りました。

部分木制度

土倉庄三郎について調べる中で、息子の土倉龍次郎の足跡にも手を延ばしている。
先日、とうとう龍次郎のご子息(といっても86歳。庄三郎最後の孫だそうである)にお逢いできた。そこで聞いた話は実に興味深いのだが…ここでは、龍次郎が手がけた台湾植林のことを紹介したい。

日清戦争後、台湾を領有した日本は、台湾先住民、いわゆる高砂族がいる山岳部にはなかなか手が出なかった。そこに龍次郎は1万町歩300年の借地権を得る。そして植林を進めるのだが、首狩り族でもある先住民の抵抗は根強かった。

そこで取った政策が、「化用生蕃」と「部分木制度」だったという。
「化用生蕃」とは、植林前に伐採した雑木を利用して炭を焼いたり製材などを先住民に教えて、それを物々交換所で欲しいものに変えるというものだ。

「部分木制度」は、造林に協力した人々に造林後に山林の一部を分け与えるものだ。おかげで先住民は、植林だけでなく育林にも進んで手を貸してくれるようになった。

この二つの策は、先住民の心をつかみ、懐柔しつつ教育と生活レベルの向上に役立った。おかげで植林も成功を治め、台湾の治安確保や経済的安定をもたらした。

しかし私が気になったのは、部分木制度は、吉野に範を取ったという点だ。しかし私は、この制度名を耳にしたことがない。だから不思議なのだ。
あえて言えば借地林業と山守制度のことかな、とは思うが、地元民に山林の所有権まで与えるものではない。ただ山守には山林の優先利用権があった。立木を販売するという点では、同じことかもしれない。

もし日本の部分木制度について知っている人があったら教えてほしい。

2007/06/05

『森林からのニッポン再生』

平凡社から『森林からのニッポン再生』見本が届いた。

新刊である。平凡社新書だ。実際に書店に並ぶのは、ちょうど1週間後になるだろう。

帯文には
知っていますか? 
・江戸時代は禿山が多かった。
・日本の植林は世界最古。
・人工林は天然林より植物が多様。
国土の3分の2を占める日本の森を見直そう!

と、ある。

内容は、
Ⅰ 日本の森林の素顔を探る
Ⅱ ニッポン林業盛衰記
Ⅲ 森の中から見たムラの素顔
Ⅳ 森と林業と山村を考える
の4部構成で、森林・林業・山村を考えたものだ。

乞う、ご期待! あと1週間。

2007/06/04

兵左衛門

昨日は、京都で若狭の箸メーカー、兵左衛門と会談。

この会社は、塗り箸界の風雲児。マイ箸運動もやっているが、塗り箸にこだわっているのではなく、箸文化を守るためなのだそうだ。国際箸文化研究所を立ち上げて、「箸育」を行っている。全国の小中学校を回って、箸の持ち方から始まり、生徒たちに箸づくりを長なわせるのだ。大人気だそうである。

驚いたのは、なんと割り箸づくりを始めているということだ。北海道のエゾマツや、スギ、ヒノキなどの間伐材で箸を作っている。それは、割り箸と言ってもバラ箸で、それを木で作った帯体で止めるもの。割り箸も、すぐに使い捨てずに、それで持ち帰るのだ。

そこで社長が言ったのは、「私は、割り箸ファンです」

吉野など国産割り箸産地との連携も考えているそうだ。割り箸づくりの実演もやりたいという。これは面白くなりそうだぞ。

2007/06/03

飲食店のマイ箸vs割り箸

以前、マイ箸運動をしている人は、口説けば国産材割り箸愛好家にできるのではないか、という書き込みをしたところ、コメントで一大飲食店グループのワタミ・フーズの名が出た。

『割り箸はもったいない?』を、このワタミの渡邉社長のところへ持ち込み、国産材割り箸を売り込んだ割り箸問屋が現れたようだ。
回答は、「コストの面ですぐに全店を国産材割り箸に変えるのは無理だが、高級店を展開する際には考える」というものだったと聞いている。

これをお愛想の返事と捉えるか、ある程度脈があると捉えるかは人によるだろうが、私は後者と取りたい(^o^)。少なくても、マルシェ・グループのようにプラスチックのマイ箸へと行く心配はなさそうだ。

割り箸本(『割り箸はもったいない?』といつも表記するのが面倒なので、略称を考えていたが、なかなかピッタリ来ない。単純に割り箸本とすることにした。)の反響は、思っていた以上に業界から多い。みんな、マイ箸運動に対する理論武装ができずに困っていたようだ。
割り箸関係者だけでも、かなりの冊数が売れた。もちろん、一般にも動いている。プログで取り上げてくださった人もかなりいるようだ。
すでに書店から消えているところが増え、取り次ぎでも在庫がないようだ。環境論者の中には、売れてほしくない、売れるもんか、と思っている人もいるだろうが、大丈夫、売れてます(^o^)。

2007/06/02

書評・田舎暮らしの本

田舎暮らしの本七月号に、『割り箸はもったいない?』の書評が載った。

月刊誌が発売開始後一ヶ月以内に載せるのは珍しい。今回は版元の動きがよかったのか。田舎暮らしとはあまり関係のないように感じる本書だが、意外と読者層は被っていると思う。

田舎暮らしを求める人は、環境に鋭敏だし、割り箸を通して山村社会のあり方を考えてもらえたら嬉しいのだけど。

アエラ記事・森林セラピーの奇々怪々

今週のアエラ(6月4日号)に掲載された森林セラピーに関する記事を読んだ方はいるだろうか。

簡単に紹介すると、林野庁が推進する森林セラピーに関する研究と、実践地としての森林セラピー基地、森林セラピーロードの選定に疑問……というより糾弾しているのだ。

その理由は、森林セラピー基地として選ばれた中には農地もあって農薬を使っている、などと書き手の無農薬オタクぶりを示す記述もあるが、基本は、森林セラピーの非科学性と、選定・認可などに関わる林野庁の怪しげな活動、そして金の流れなどだ。

ま、以前は森林セラピーの本を書こうとして調べたこともある(そういや随分前、私はアエラに森林療法の記事を書いたことがある。それは評判よかったはずだ)私としては、今更である。

金にまつわる問題はともかく、森林セラピーの効果を原因から科学的に証明することは、基本的にできないのだ。森林は多種多様な要素を含み、毎回条件が変わるのだから。ただ東洋医学のように、現象としてはちゃんとあり、それは誰も否定できない。今回の記事でも、書き手は、森の中を歩けば気持ちよいことを認めている。

私にとって、森林セラピーとは、この発想を利用していかに地域振興につなげることができるか、がポイントである。気持ちのよい森林散策ができる(そして健康によい)ことで森林地域に人を呼び、金を落とさせる仕組みづくりに興味がある。

ただ本にまとめることができるか予備取材をしてみると、政府側の動きになんとなくうさん臭さを感じて、早々に撤退した。それは正解であったと思っている。

ところで、私の意識の中では、森林セラピーと新月伐採とウッドマイルズは、同じ位置づけだ(笑)。それぞれのテーマで、森林(木材)を売っていく手段になる。

ただ科学的という点では、 ウッドマイルズ>森林セラピー>新月伐採 かな。

ウッドマイルズは、理論・概念としては確立されていて科学的だが、厳密に計算して出すことに困難がありすぎる。そして厳密に行おうとするほど、手間もコストもかかり、当初の目的である近くの山の木の販売促進に支障をきたすのだ。
森林セラピーは、新月伐採よりは検証が行われており、現象としても確認されている。が、メカニズムを証明することができない。
新月伐採は、理論も現象もぼろぼろ。

結局、アエラの記事は、難癖をつけたものの問題点を絞りきれず、何を言いたいのかわからなくなっていた。

2007/06/01

近所のおばさん

昨日、家を出たところで、隣の家のおばさんが駆け寄ってきた。

「本、読みましたよ!」

新聞の書評を見て、すぐ買いにいったのだそうだ。そしてすぐ読み終えたという。いやあ、照れるなあ(^^ゞ。
すでに現在の家に住んで10数年、ほぼ毎年本は出版していて、書評もかなりの確率で載っているが、こんな反響は初めてだ。ちょっと不思議である。
やはり割り箸という身近な存在が、目に留まりやすいのだろうか。

ところで、もう一つ不思議なのは、アチコチから寄せられる「よく、これほど詳しく調べたわねえ」という感想だ。もちろん、そう言っていただくのは有り難いのだが、ちょっと複雑な気持ちになる。なぜなら、私にとって今回の本は、調べ足りないという思いがあるからだ。

最初の計画では、かつての割り箸大産地である北海道取材とか、竹箸産地だった九州、さらには中国取材…は無理でも、それに類したことはやりたかった。
また参考文献も、これまでの森林・林業本と比べて半分くらい。割り箸という狭い範疇に特化したからだが、並べる資料が少ないと不満(^^;)。

ともあれ、身近なところからの反響というのは、身に沁みる。

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