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2007/06/06

部分木制度

土倉庄三郎について調べる中で、息子の土倉龍次郎の足跡にも手を延ばしている。
先日、とうとう龍次郎のご子息(といっても86歳。庄三郎最後の孫だそうである)にお逢いできた。そこで聞いた話は実に興味深いのだが…ここでは、龍次郎が手がけた台湾植林のことを紹介したい。

日清戦争後、台湾を領有した日本は、台湾先住民、いわゆる高砂族がいる山岳部にはなかなか手が出なかった。そこに龍次郎は1万町歩300年の借地権を得る。そして植林を進めるのだが、首狩り族でもある先住民の抵抗は根強かった。

そこで取った政策が、「化用生蕃」と「部分木制度」だったという。
「化用生蕃」とは、植林前に伐採した雑木を利用して炭を焼いたり製材などを先住民に教えて、それを物々交換所で欲しいものに変えるというものだ。

「部分木制度」は、造林に協力した人々に造林後に山林の一部を分け与えるものだ。おかげで先住民は、植林だけでなく育林にも進んで手を貸してくれるようになった。

この二つの策は、先住民の心をつかみ、懐柔しつつ教育と生活レベルの向上に役立った。おかげで植林も成功を治め、台湾の治安確保や経済的安定をもたらした。

しかし私が気になったのは、部分木制度は、吉野に範を取ったという点だ。しかし私は、この制度名を耳にしたことがない。だから不思議なのだ。
あえて言えば借地林業と山守制度のことかな、とは思うが、地元民に山林の所有権まで与えるものではない。ただ山守には山林の優先利用権があった。立木を販売するという点では、同じことかもしれない。

もし日本の部分木制度について知っている人があったら教えてほしい。

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土倉庄三郎」カテゴリの記事

コメント

私は土倉庄三郎の分家の長女、かのえの孫にあたります。かのえの弟の嫁が評伝をかいた祥子さんです。本家のおじいさんとよく祖母にきかされていた庄三郎のことを調べておられる人はいて驚きました。かのえは庄三郎の娘?(原家に嫁いだおばさんの家で行儀見習いをして和泉の田舎に嫁にきました)の原のおばさんにかわいがられて娘時代をすごしたようで外交官夫人であった原のおばさんの妹も話も鹿鳴館とからめてしてくれました。かのえの実家は父親と長兄が株で失敗してつぶしてしまった、私は帰る家がない、とよくこぼしていました。もう少し時間ができたら祖母とその周辺の人々の思いをしらべてみたいと願っています

井上朱美様、よくコメントくださいました。こうして子孫の方から連絡をいただけるのは感激です。
かのえさんの名前は初見です。祥子さんの夫が梅造ですから、その父は愛造、祖父は庄三郎の弟の平三郎でよろしいでしょうか。原家に嫁いだのは長女の富子、外交官夫人は政子さんですね。

土倉家の分家のことは、わからないことだらけです。
よろしければ、メールをいただけないでしょうか。QZB00524@nifty.ne.jpです。
ぜひ、よろしくお願いします。

はじめまして。私は神戸の宇井英之と申します。

私は今年73歳になりますが20歳からキリスト者として生かされてまいりました。
今日貴重な記事を読ませていただき心が勇気付けられました。嬉しくなりました。ありがとうございました。
私は青年時代から内村先生の本(内村鑑三全集40巻他)を読みながら成長し影響を受けた者です。約15年前から佐伯先生のご子息の方と深交をもつようになりましたのでいろいろなお話をお聞かせいただくさいまして神様の不思議な導きを感じております。佐伯先生の奥様のことも少しはお聞きしています。これからもよろしくお願いします。

このブログを通して、多くの庄三郎の子孫の方に出会いましたが、クリスチャンが多いですね。

佐伯氏は、四女の小糸が嫁いだ先でしたっけ。

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