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本の紹介

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2007年7月

2007/07/30

書評・農林経済

書評

遅ればせながら、『森ポン』の書評が載ったことのご報告。

写真の通り(携帯で撮影)だが、「農林経済」誌(時事通信社発行)7月23日号に、紹介された。
「著者は有史以来の豊かな時代を迎えた、林業による「ニッポン再生」を熱く訴えている」から始まり、
「長いトンネルの向こうにようやく光が見えてきたようだ」と結んでいる。感謝。

改めて書評に紹介されている本書の内容を読むと、森林・林業にはいいところもあるが、期待するほど大きくないよ、ということが私も感じた(^^;)。そう、等身大の森林とそこに生きる人間の姿を受け入れることが出発点だと思う。

2007/07/29

都会にあった里山

7月14日の本欄に「都会で里山を」と書き込んだが、大阪の都心に里山があった。

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大阪駅北にある新梅田シティ。2本の高層ビルが上部でつながっている近未来都市的景観を作っている一角だが、その真下に「花野」と名付けられた庭園がある。そこがいつのまにやら「里山」になっていた。

なかなか本格的で、水田や野菜畑があり、雑木林が作られている。シイタケのほだ木も積まれていたりする。過剰な草刈りや剪定も行われていず、生態系を形作る努力の跡がみられる。虫もいる。トウモロコシやナスが実っているのを見ると、思わずもぎ取りたくなるわい。
その中には、里山の説明板がいくつも設置されていた。Photo_3

                                                                                                                       

まあ、一種の企業の社会貢献であり、環境学習の場であり、地域(ビル用地)のイメージ戦略とでも言えようか。しかも、ビルの間では、夏祭の準備が進められていて、まさに疑似田舎を作り出そうとしているかのよう。

                                                        

そういえば、前回の記事に海杉さんが付けてくれたコメントにあった「少年ジャンプのこち亀」に載っていたビルを田舎にしてしまう号、幸いにも喫茶店で読めました。 田舎づくりよりも、都会人チェック(実は田舎人見分け方チェック)が笑えた。

山が見えないと不安になる」という項目に、思わずハイ! と言ってしまった(笑)。                   

2007/07/28

視察団part2

宍粟の視察に関して、結構反響があるので、追加。

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今回の視察に参加しているのは、民間の林業事業体(素材生産から製材、集成材まで)が多かったと思う。わりと大手が中心だが、それでも「八木木材」や「宍粟の森の木」は刺激的だったよう。

前回は喫煙をくさしたが、それとは別に参加メンバーはやはり元気だし、何より熱心。3時間以上も山の中で質問が続くのは、森林組合の場合にはあり得なかったのではないかと…。そして、学んだことは、すぐにでも実行しようという気概を感じた。何人かの人と話したが、自分なりの意見を持っている。

私も、短伐期論や無間伐論、森林組合民営化論を戦わせたよ(^o^)。こうした議論ができる相手は、森林組合には少ない。

日本の林業を再生するには、森林組合を中心にすべきだという意見がまだまだ根強いが、今回で感じたのは、もっと民間の林業事業体が前に出すことを考えないと、ということだった。

2007/07/27

視察団

宍粟の森から帰って来ました。

これは「儲かる林業研究会」の視察団に参加させてもらったものです。なんと70人以上の参加者がいました。それも鹿児島から十数人、ほか大分、熊本、愛媛……と全国各地。しかも八木木材の視察のはずなのに、兵庫森林管理署の人々がずらりと出てくるわ、兵庫県の関係者もたくさんいるわ、何かと賑やかでした。

内容の報告はまたの機会として、感想の一つは、みんなよくタバコを吸うこと(-.-)。夜の宴会はもちろん、ホテルのロビーも喫煙コーナーは満員でした。止まらないチェンスモーカーもいる。
山の仕事をするのに、体力落とすよ。こんなところも時代の潮流から遅れているかも。

2007/07/26

宍粟の山

兵庫の宍粟(しそう)に来ている。ここで先進的な機械化林業を視察。ここまでできるんだなという思いと、ここまでやると大変だという気持ちと。

2007/07/25

書店で『森ポン』が

会議に出席するため、大阪に出た。

そこで入った食堂で、しっかりマイ割り箸を実施する。もともと外食の機会が少ないし、マイ割り箸を持って行くことを忘れることも多い。持って行った時は国産割り箸が出されて、あえて使う必要がなかったり、つい忘れて備えつけの中国製竹箸を割ってしまったり。
なんだか久しぶりのマイ割り箸となった。ちょっぴり自慢したくなる(^o^)。

さて、会議後、ジュンク堂書店に寄る。さすが巨大書店だけあって、『割り箸はもったいない?』も『森林からのニッポン再生』も、しっかり平積みしてあった。思わず、ヨシ! と心の中で声を上げる。

で、森林・農林業関係の棚を眺めていると、男女二人連れが。棚の某本を手に取って、二人で何だかんだと言っている。どうやら写真に知っている人が写っているらしい。
私はと言うと、ちょっと押され気味で、棚の前を離れがちになる。負けずにもう一度棚の前に、と思って接近するが、その時目に入ったのは、男の脇に挟まれているのは……『森ポン』ではないか!

すでに購入するつもりで持っているのだろう。おおお、拙著を書店で手に取っている人を見るのは、長い執筆生活の中でも初めてではないか。どのような二人の会話の中で買おうとしたのかは見ていないが、思わず後ろで手を合わせました(-人-)。

写真を盗み撮りしようかとも思ったが、さすがにそれは遠慮。その後も長く棚の前で話していたから、レジに行くまで確認していないが、購入したのだろうと思いたい(^o^)。

2007/07/24

森林再生か林業復興か

梅雨も明けて、いきなり暑くなった。それでも原稿書くとき以外はエアコン入れないぞ、と力んでいるが、いつまでもつか……。

さて、暑さの中で考えた。割り箸は使い捨ての安い木工品の代表格だが、それを端材から作っているのだから、と“弁解”している面がある。また反対派は、「1年間で消費される割り箸の木材で家が何軒建ちます」と批判している。

しかし使用木材量と価格から割り箸を見ると、いくらになるか。

1膳の割り箸(国産の、吉野の高級品とする)を作るのに必要な木材量を、長さ25㎝、幅2㎝、厚さ2㎝と想定する。すると1立方メートルの木材からは2万膳生産することができる計算になる。そして割り箸の単価を製造元で5円とすると、10万円である。もし、もっと薄い割り箸なら、20万円も不可能ではない。

今どき1立米10万円で売れる木製品があるか。建築材より高いではないか。つまり、割り箸は隙間商品というよりは、超付加価値商品と言えなくもない。

実は、私は小さな木製品のグッズにはあまり興味がなかった。なぜならグッズがいくら売れても木材量が捌けないから。木材が量で捌けないと、森林整備が進まない。つまり森林再生のためには、木材の需要量を増やす必要があると考えていたからだ。

しかし、これを林業復興の視点から見直すと、何も木材をたくさん消費する必要はない。山村に多くのお金が落ちることが社会に重要なのであって、そのためには木材は高く売れることの方が大切だ。ならば、極端に言えば割り箸など高付加価値商品ばかりを狙うのもシナリオとしてはあり得る。

先に紹介した吉野古木の箸袋なら、もっと高付加価値で使用木材料はもっと少ない。1立方メートルから20万枚くらい作れるうえ、1枚の卸値を500円としても1億円!  もはや宝石並である。

ここまで極端な例を選ばなくても、木材グッズを馬鹿にできない。木を売らずしても林業は復活できる。

2007/07/22

里山マイスター

金沢大学は、『能登里山マイスター』養成プログラムを5カ年計画でスタートさせるそうである。

このプロラグムは、「自然と共生した美しい能登半島の再構築を目指して、就農を志す若い担い手を能登に 呼び込み、地域のリーダーへと養成」するのだという。環境保全型の
自然産業(農業を中心に林業、水産業も含む)の実践のほか、二次、三次加工して市場に出すこと、さらにグリー ンツーリズム型観光の拠点つくりなども指導する人材の養成するらしい。

里山マイスターとは思い切った名前だが、ようするに田舎で起業する人を養成するということなのかなあ。しかし、大学が取り組むとは…。条件を見ると、

1)募集人員: 1期生15人程度(推薦枠含む)
2)受講資格: 環境配慮の農業に関心を持ち、将来、農業への新規参入や業種転換、および農業にかかわる新ビジネスを希望する40歳前後までの男女。
3)受講料: 無 料 
4)受講期間: 平成19年10月5日~平成21年3月31日の毎週金曜日(18時30分~20時00分)と土曜日(9時00分~12時00分)

う~ん、立派だ(笑)。これって新手の田舎暮らし募集になのかもしれない。文科省の補助金事業らしいが、農水省がやるべきでは? いや、経産省かも。

今の時点では情報不足で、この程度の時間でどこまで実学を教えられるの? 受け入れ先は確保できているの? などと思う部分もあるのだが、まずは温かく見守りましょう。

2007/07/21

吉野古木

吉野話の第3弾。

こんな商品を見つけた。P7210020_1 箸ではなく、箸袋。拡大するとP7210023

小さなのは、爪楊枝袋

もちろん、本物の木と和紙を使ったものである。

                                      

                                             

吉野杉、吉野桧を薄くスライスしたものに和紙で裏打ちしたものだ。木目がよく浮かび、友禅の模様が透けて見えるところがよい。まだ製作を始めて間もなく、販売もわずかであるが、吉野で誕生した新商品である。
裏打ちせずに木だけのものや、漆で絵や文字を書いたものなどバラエティはいろいろある。また箸袋・爪楊枝袋に限らず、封筒などの商品展開も考えているそうだ。

つい最近まで割り箸づくりをしていた人が、木工品製作に切り換えるとともに、奥さんとともに考え出したものだ。吉野の割り箸には吉野の箸袋を、というわけだが、ギフトなどに使えるほか、マイ箸、マイ割り箸を持ち歩くのに向いているように思う。箸箱よりコンパクトで、他人に見せびらかせられる(^o^)。

作っているのは、吉野古木。商品のアイテムは、HPを見てほしいが、大阪の百貨店でも扱いだしたそうだ。

もちろん箸袋だけではどれだけ需要があるかわからないし、デザインや加工法にも工夫の余地があるだろう。そしてネーミングや販売方法ももっと考えないといけないと思う。価格も、売り方次第でもっと上がるのではないか。

新たな挑戦をしている人もいることを知っておきたい。

連絡先は、吉野古木制作 奈良県吉野町窪垣内2 FAX0747-53-0125
mail tomoko-m@rouge.plala.or.jp

2007/07/20

チャンスをピンチに

割り箸業界の人との対話。

「これまで作った割り箸は、みんな問屋に渡せば問屋が売ってくれるものだった。ところが時代とともに問屋は輸入割り箸に目が移り、最近では産地問屋まで塗り箸に手を出すようになっています」
「ならば、生産者も自分で売っていく気概を持たないと」
「そう言われても、売り先もわからないし」
「問屋を通さないで求める消費者はいくらでもいますよ」
「先日、ものすごい大口の注文が直に来ました。でも、断りました
……ガタガタ(こける音)
「問屋を通さずに買いたい注文があるなら、なぜ応じないんですか」
「問屋とのつきあいもあるし……」
「でも、問屋の方は、塗り箸も扱って、つきあいを裏切ったのでしょう?」
「…………」

塗り箸メーカーが、箸供養の儀典の場で、割り箸づくりのデモンストレーションをしてくれという依頼が来たそうだ。ともに国産の箸の文化を高めていきましょう、という呼びかけをしようという。
願ってもない機会である。塗り箸関係者に国産割り箸の理解を求めるチャンスだ。
が、「断ろうかと思っている」
「???ハア??(@_@)」
どうやら、何か塗り箸メーカーの陰謀かと疑っているそうだ。案内に、「……箸を無駄遣いせず……」という文があるので、割り箸とは敵対する、と感じたのだという。

吉野杉を中国に輸出して、向こうで割り箸に加工し逆輸入するビジネスモデルがあるが、それも最初は、国内で最新鋭マシンを導入して効率よく割り箸を作る計画だったそうだ。しかし、吉野の業者はみんな断ってしまった。その結果が、中国行きである。

どうやら、せっかくのチャンスをみすみす逃して、ピンチにする名人らしい。

集落の消滅

昨日は、終日吉野に行っていた。数えてみると、7つの用件をこなしたことになる。

収穫は非常に大きかったのだが、ここではそのうちの一つ。

写真は、川上村白屋地区文化財民俗調査報告書。用件とは別にオマケに教育委員会よりいただいたものなのだが、厚さが2・5㎝もある。内容は、白屋という集落を根こそぎ調べた、という印象だ。

P7200016

なぜなら、そこにあるすべての家屋の見取り図が掲載され、住民の生活も聞き取られている。さらに発見された文書類の数々。全人口89人の集落に、これほどの古文書が眠っていたのか! と驚嘆してしまった。これらの解読が進めば、新たな山村像が生まれるかもしれない。

が、悲しむべきは、この白屋の集落は、現在、実質的に消滅したことだ。それも過疎などが原因なら、まだあきらめもつく。そうではなく、外部要因にある。

それは大滝ダムの問題だ。4年前、川上村に誕生したこのダムに試験溜水を行ったところ、ダムの上流部に位置する白屋の集落斜面に亀裂が走り、地滑りの発生が予見されたのだ。おかげで全住民は強制的に撤去された。今は、村の内外に移転することが決まっている。つまり、白屋集落は、その瞬間に消滅したのだ。
ダム湖に沈む話なら、各地にあるが、それは少なくても心の準備のある事象だ。しかし、白屋は何も考える間もなく消滅に追い込まれた。

Photo_8

今回の調査は、集落を根こそぎ破壊するため(移転が決まると、補償金の支払いとともに集落の家屋等は破壊される決まりである)、その前に行われたのだ。そのため、各家に眠っていた文化財や文書が明るみに出たのである。

かつて吉野林業に深い関わりを持ち、1000年を越える歴史を持つムラが、1冊の報告書と引き換えに消えていく。

2007/07/18

「間伐材」割り箸

またまた割り箸の話題(^o^)。

国産材の割り箸は、よく「間伐材から作られています」と説明されている。丸太全体から作られる輸入割り箸と違って、森林に優しいのだ、という主張のためだろう。

拙著でも指摘したことだが、これは間違いだと否定するほどではないが、正しいとも言えない。なぜなら世間で間伐材と言えば、成長期の人工林で抜き切りする細い材(せいぜい20~30年生のもの)をイメージするだろうからだ。

しかし、実際の国産割り箸の大半は、背板、つまり建築材にするため丸太を角材に製材した時に出る端材を使う。つまり対象となる木は、建築材になる太さだから60~80年生くらいだろう。もしかしたら100年以上の木もあるかもしれない。
ただ、主な産地である吉野では、100年生の木でも間伐材であることが多い。主伐までに150年200年かけるケースが少なくないからだ。

だから言葉として間伐材を使っているのは間違いではない(全森連認証の間伐材マークも付けている)が、世間のイメージを裏切る。しかし若木の間伐材を使って割り箸を作るのは難しい。刃物の切れ味の問題もあるが、木質が安定していないからである。作っても、ちゃんと割れてくれない箸になりやすい。
私も取材時に、「間伐材製と言わない方がよいのではないか」と質したことがある。

さて、長々とこんな説明をしたのは、どうやら割り箸業界も「間伐材割り箸」という言い方を止めようという動きが出てきたようだからだ。代わりに「国産材割り箸」という言い方を普及させる方向になってきたと聞いた。詳しくは、また報告する。

考えてみれば、「間伐ならよい」という考え方が広がるのは危険だ。主伐なくして間伐はないわけだし、間伐は保育のためにするのであると思われると、間伐材を収入源にすることに冷やかな目を向けられる可能性もあるからだ。

もっと堂々と、国産材だから環境に優しい、と言おう。それが日本林業への正しい理解の一歩ではないだろうか。

2007/07/17

早明浦ダム

台風に大地震と、さんざんな連休だったが(私には連休なんて関係ないが)、気になっていた四国の早明浦(さめうら)ダムの水位を調べてみた。なんと言っても、渇水のたびに湖底をさらして、全国的に有名になったダムだ。

案の定、昨日の間に満水になっていた。たしか数日前までは貯水率25%を割り込んでいたと思うから、台風の雨で4倍に増えたことになる。四国の人、とくに吉野川流域の香川などは、「恵みの台風」だったことになる。おそらく、しばらくは河川からの水がダムに流れ込み続けるだろう。

もし、次の台風がすぐに来襲したら、今度は洪水の心配をしなくてはならないだろう。すでにダムは、放水を始めているようだ。コンクリートのダムなんて、涸れるのも早いが満水も早い。緑のダム以下だ(笑)。

2007/07/16

助成金申請

先のシンポジウムのつづき。

会場からの声を拾ったところ、実際に街づくり事業を行っている人の声として面白いものがあった。「行政からの何の援助ももらわずやっている。でも金はほしいし必要だ。そこで助成金はないかと探すが、その申請書類を見たらイヤになる」
そして、「申請書を簡単に書ける人は、町おこしなんかしない。役所は書類を書かせることばかり考えないで、口頭で事業の説明を聞いて、現場に足を運んで実際にやっていることを見て、判断してくれ」

思わず会場から拍手と笑い声が起きた。
その通りと思う。分厚い申請書類を書く時間と手間があったら、ほかにやりたい、やるべき仕事が溜まっているのが現場だ。結果的に、申請書を書くのが得意な人材がいる団体ばかりががっぽがっぽと補助金(助成金)をもらって「使い切れない」と笑っている構図があるのだ。

本気で役に立つ助成をしたいと考えているなら、せいぜいペラ1枚の申請用紙で、そこに書くのもマークシート式とか箇条書きで済むようなものにすべきだ。それを元に部署で判断の上で、これはと思うものを選んで現地に足を運び、関係者から聞き取りをし、さらにふるいにかけて本気で取り組む価値があるものを見抜いて、役人自らが正式な申請書類を作る方式に変えられないか。
窓口の役人にとっても、自分で作った申請書が上部で審査を受けて通るかどうかが問われるわけだから、結構必死になるだろう。査定にもなる。通る申請書にするために現場に通い打ち合わせをすることで、一体感が出て、事業にも影響を与えるはずだ。仮に通らなくても、行政との関係は良好になるだろう。

実は、田舎に行くと、補助金の申請は、役場が実質的に代行しているところもある。いや、そもそも助成事業に申し込むのも、役場主導だったりする。やる気のない人を焚きつけて補助金を取らせるものどうかと思うが、地域に金を落とすために努力している。

申請書類という関門をクリアできずに、実のある活動が進まないNPOは多いのではないか。

2007/07/15

シンポ「奈良のむらづくり」

地元・生駒で「奈良のむらづくり」というシンポジウムが開かれた。

案内をくれた人がいたので、台風迫る雨の中出かけた。参加費は1000円。この手のシンポでは有料も珍しいし、値段も高いなあ、と思って会場に入ると、もともと小さなホールの後ろ半分を各地の紹介ブースになっており、席は前の方だけ。それでも100人くらいはいただろうか。各地の出展者も含めてだが。

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始まってすぐ、私は勘違いに気がついた。「奈良のむらづくり」という演目から、山村の活性化がテーマと思っていたら、実は観光振興が目的だった。むらづくりのむら、は、群がるのむら、なのだそうだ。だから町の団体も多い。                                                 

観光の振興も地域活性化には重要な切り口だし、それが地域全体の嵩上げになることもわかる。が、私の考える地域づくりとベクトルが微妙に違うんだな。観光開発じゃない地域づくりだってあるじゃないか、と考えてしまう。むしろ、そちらの方が多いだろう。
それに「もてなしの心」が連呼されると、それもおっくうになる。もてなすのって面倒くさい。もてなされるのは好きだけど(^^;)。

もう一つの勘違いは、このシンポ、参加した各地の観光振興団体・人の交流を目的としていることだ。世間一般相手とはスタンスが違う。

それでも会場には、結構山村系の知り合いが来ていて、来週訪問するところの人もいた。おかげで会場が、打ち合わせの場に変じてしまった。またパネラーにも興味深い人がいたから、それなりに聞いていられた。
ただ、国土交通省近畿運輸局の企画観光部長(女性)は……いかにも政府の役人にありがちな、データばかりを並べて国の政策を無味乾燥に説明するだけ。もっと自分の意見を言えよ、と思ったら、なんと今年7月に赴任したばかりなのだそうだ。それでは、さすがに自分なりの観光に対する意見なんぞまとまっていないだろう。当然、奈良の事情にも詳しくない。あの年で部長なんだから、相当の切れ者だとは思うが、国家公務員の頻繁な配置換えって、人材の壮大な無駄遣いだぜ。

2007/07/14

都会に里山を

少し前に、東京都品川区と山梨県早川町が、「マウントしながわ利用協定」を締結して、品川区の住民が早川町内の「丸山」(京ヶ島地区)と呼ばれる里山(約4万m2)を無償で提供された、というニュースがあった。と言ってもローカルだろうけど。ようするに田舎の里山を都会の住民が、川遊びや自然学習、林業体験などのフィールドに使えるということなのだろう。

田舎では使い道がない里山でも、都会なら喜んでもらえるなら結構なことだ。無償なんていわずに金とって収益事業にしてもよいと思う。

そこで思い出したのが、「都会に里山をつくる」という発想だ。実は、随分昔に、某大学の学生から「都会の中に里山を作るとしたらどうなるか」というテーマで卒論を書きたい、という問い合わせがあった。私なりに幾つかポイントを示した記憶があるが、これを現実化できないか。

都会の人を里山のある田舎に足を運ばせるのではなく、都会に里山そのものを作り上げるのだ。決して不可能ではない。

実は、自然の生態系を復元するのはそんなに難しくない。をどうする、地形をどう設計するといった課題はあるが、それが楽しみでもある。山と言っても高低差はそんなにいらないだろう。ただ最初から高木を持ち込むのか、遷移に任せるのか、そうした基本的なスタンスが必要だ。

最初に持ち込む草木や昆虫類、魚類などをどれを選ぶかも課題だが、やはり都市周辺の環境を参考にするのが一番だろう。外来種は注意深く排除することだ。ただ、人に害を及ぼす虫などは導入してもよいのか課題となる。被害が出てもめるとやっかい。しかし安易に外して、本当の里山になるのか、検討しないといけない。
それでも、自然と侵入する種もあるだろうし、少しずつ落ち着いてくるのではなかろうか。

その上で、農地などをいかに設置するか。水田、畑地、草地はいるのか。本当に栽培するのか。……問題となるのは、誰が持続的に管理するのか、という点だ。
これは単にNPOなどに委託するのでは心配である。ちゃんとした組織的なシステムを作らねばならないだろう。

最大のネックは土地だが、都市公園並の広さなら、わりと都会にも空き地があるのではなかろうか。使われていない埋め立て地や工業団地、河川敷なども考えられる。
土地代が高いというなら、その地で何らかの収益事業を考えればよい。事実、東京には高級住宅地の中に有料の賃貸農園があるそうだし、六本木ヒルズの屋上にも水田、大手町のビルの中に農業ショールーム、などもある。
河川敷だったら、下をトンネルにしてあふれた水を流せるようにした上に人工の丘を作る手もある。単純なのは、オフィスビルの屋上やワンフロアを使うこと。里山そのものも有料会員制度にすることも考えられる。スポーツジムに通う感覚で、里山に通って汗を流す。

……こんな思考実験をやってみるのもよいのではないか。
ある程度、公共事業として行わないと無理だろうが、税金を投入するための理論武装もしてみたらよい。都会から田舎に人を移動させるエネルギーよりも都会に山を作る方が少ない、とかなんとか。
さらに議会工作も考える。どの議員を口説き、賛同者を増やすか。土木工事を行うと言えば、あの利権議員も賛成に回るぞ、とか。バーチャル政策実現だ(笑)。

2007/07/13

プラスチック割り箸

プラスチック割り箸が出回っているらしい。

私は見られなかったが、NHKのニュースでも紹介されたんだと。それによると、木や竹の割り箸より価格は高いが、環境に優しいから使ってほしい、という意見だそうだ。また中国産割り箸が今後価格が上がっていくだろうから、そのうち充分ペイすると見ていると。

そこで調べてみると、
http://store.yahoo.co.jp/genkidou/e-0001.htmlとか、

http://www.sano2968.com/plastichashi.htm とかあった。

ここまでアホがいるとはおもわなんだ。木の割り箸を使い捨てるのが環境に悪く、プラスチック割り箸を使い捨てするのがいいのか? それとも、プラスチックの箸なら使い捨てせずに幾度か使えるというのか。ならば木の割り箸も何度か使え。
使い捨てるプラスチック割り箸は、再資源ゴミ(プラスチック)に分類してください、ともあるが、木製だって古紙に分類してもよいだろう。そもそも再利用しても、燃やしても、ようは石油資源を消費することだということにも気づいていない。

まあ理屈は、中国産割り箸の代わりに、ということで、国産割り箸を相手にしていないようだが、これを開発した会社をよく調べると、なんのことはない、中国産割り箸が取扱品目に入っている。一方で竹割り箸を回収して、炭にするという試みもしている。

ここまで環境に対する意欲と、やっていることがズレているのも珍しい。

『森ポン』書評・産経新聞

今頃知ったのだが、7月8日(日)の産経新聞に、『森林からのニッポン再生』の書評が載っていた。新書コーナーの小さなものだが、感謝。

『割り箸本』と続いて『森ポン』を出版したものだから、どうもダレていたのかチェックを怠っている。ほかにも載った新聞・雑誌があるかもしれない。いけません、身を引き締めましょう。もっとも、同じ著者の本を立て続けに載せることは編集部も抵抗があるだろうから、不利な面はなるなあ。

ただ『森ポン』は、私がいうのもナンだが、地味な本である(笑)。
イメージとしては、森林・林業・山村について勉強している学生のテキストのような扱いを意識している。(本当に学生のテキストにしろというのではないよ。むしろ、あまり森林や林業について知らない一般人向けに話題提供の入門書のつもりで執筆した。)その点は、前著の『日本の森はなぜ危機なのか』と同じだ。だから息長く売れることを願っているので、目先の反響や売行きを気にせず、じっくり行きたい。

かつて新書というのは、教養書であり、シリーズとして書店の棚に長く陳列されることが値打ちだったのだが、今や雑誌並の消耗品になっている。それが辛いのだが、あえて原点に帰ったつもり。

幸い、読者からのメールなどはそこそこ来ている。実は、テレビ出演の依頼も来た。

夏の読書の1冊にいかが。

2007/07/12

質より量

最近、政策でも新商品でもソフト関係は「質より量」ではないか、と思い出している。

一般に日本人は、「量より質」という感覚が強いように思う。商品にはきめ細やかな造りを要求し、ほんのわずかの汚れも嫌がる。作業もどんどんこなす人より丁寧な仕上がりが称賛の対象になりやすい。
また豊かになった結果もあるだろう。たとえば食べ物は「量より美味しさであり健康によいもの」という嗜好が強くなり、そのためには高くても構わない。

もちろん、そうした感覚にも一理あるのだが、ソフトの面からすると、あまり綿密な質を要求するよりも量で勝負してはどうか、と思い出した。

たとえばアイデアを考える場合、よりよいものを、と設定すると、なかなか浮かばない。何か思いついても「やっぱり無理か。くだらないか」と切り捨てる。政策的なものも、どんな条件でも対応できるシステムを作ろうとすると、複雑になり、運用も大変になる。

それより「いい加減なものをたくさん」作ってはどうだろうか。くだらないアイデアでも100出せば、その中には使えるものも隠れている。ただし大雑把だから、そのままでは無理で工夫しなければならない。その工夫が臨機応変の対応を生み出す。
たくさんの中から、どれを選ぶかは当事者に任せ、選んだものを使うまでの手間暇も選んだ者が自分で考える……こんな制度はどうだろう。どうせ、社会の動きは予測的ないことだらけなのだ。質を追求しても計算どおりには動かない。

政策も、思いつきと無責任で立案する(^o^)。ただし一つのテーマに、量は100や200くらい並べる。数を出した人が優秀とする。その方が、お役人も萎縮せず、また発想力が問われて査定しやすいのではないか。

商品も、消費者の思いがけない消費行動に期待する。これが売れる! と思っても、どうせ当たらないのだ。そして朝令暮改、右顧左眄、消費者の声に合わせてどんどん作り直す。そのうち当たるものも出るだろう……。

くだらないと思う中に、斬新なものが眠っている。

2007/07/11

『離島発 生き残るための10の戦略』

NHK出版の生活人新書『離島発 生き残るための10の戦略』を読んだ。

舞台は島根県の隠岐島島前(中ノ島)の海士町。著者はこの海士町の町長・山内道雄氏である。
実は、私は置きに10回近く通っているし、海士町にも幾度となく訪れている。この島の地域づくりに関しても、多少は知っているつもりだった。しかし、ここまでドラスチックな変化が行われているとは不覚にも知らなかった。
やはり自治体合併を拒否して単独の道を選んだことが大きな分かれ目になったようだ。そういえば、合併の嵐後は、海士町を訪れていない。隠岐でも知夫里島は行っていたのだが。ちなみにその取材は、『田舎で起業!』のためであった。

この町長が取り組んだことはいろいろあって、「島をまるごとブランド化」戦略などもある。が、こうした発想そのものはたいしたことない。私でも唱えていた。問題は、実行の部分だ。

エピソードで感動的なのは、町長の給料を30%カットしたところ、課長たちが自主的に自分たちもカットを申し出たという話だ。それは広がり、とうとう一般職員や議員もカットすることになる。結果的に「日本一安い給料で、日本一働く職員」というキャッチフレーズに結実する。皮肉ぽいが、実は後半が自慢でもあるのだろう。知っている自治体で、「わが町もそうなるか」と自問して、うなづける地域はほかにあるだろうか。あれば、その町はよほど田舎です(笑)。

戦略として気に入ったのは、1年間、島に滞在して「宝探し」をする研修生を募集する制度である。その間15万円の給料を支払うというのだ。私も応募したいような話だ。結果的に、新たな商品開発に結びついたり、Iターン増につながっている。

もう一つ、中学校の修学旅行は東京で、一橋大学で隠岐について講義する(受けるのではなく、する側)というのも注目。そして国立市でホームステイ。
ホームステイなんて、異国か田舎でするものというイメージがあるが、都会でさせるのもアイデアではないか。

……とまあ、ベタ褒めするのはナンだが、この本は、何も田舎の生き残りの方法を紹介しているのではない。むしろ田舎の、とくに役人の意識改革を行う手法のヒントを与えてくれると見るべきではないか。山村や森林組合などでも応用が効くように思う。

サイドバーにアップしておく。

私もまた海士町に訪れたくなった。『田舎で起業!』の第2弾になるかな。

2007/07/10

説明不足は悪

某新聞の文化欄に、森林問題に関する記事を書いたが、その導入部に割り箸のことに触れた。割り箸の大半が中国製になってしまったことと、日本の木材需要の8割が外材に依存していることの相似性を論じたのだ。

すると、すぐ読者からメールが来た。

割り箸を使ってはいけない本当の理由、として、割り箸には漂白剤などの毒性化学物質が使われている点を訴えていた。
そこで、すぐ国産は漂白剤をほとんど使っていないこと、中国産も残留量ゼロのこと、ただし竹割り箸は、防カビ剤を使っていること、化学物質=毒性物質とは言えないこと、むしろ衛生的にはマイ箸の方が心配……などを返信に記した。

その返事には、思い込みの危険性がよくわかった、と記されていた。

これは一例にすぎないのだが、説明すればわかることを、誰もしないから怪しげな説が流布する。何も怪しげな金の流れについて説明責任を果たさない国会議員のことではない。
反論することの大切さを知ってほしいのだ。ちゃんと理論武装して、それなりの説明をすれば納得してもらえるものを、口をつぐむことで事態を悪化させる例はたくさんある。

件の国会議員は説明を避けているから、やはり怪しげな金を動かしていたのだろう。そう思われても仕方ない。同じく説明しないと、割り箸は森林破壊の悪役になるだろうし、林業も地球温暖化の原因くらいに思われてしまう。

説明不足は、悪なのだ。

2007/07/08

木質ペレットの輸入

関西電力は、カナダから木質ペレットを輸入するそうだ。

年間約6万トンの木質ペレットを、カナダ西部から京都府の舞鶴にある火力発電所に輸送し、石炭に混ぜて燃焼させるという。
これで発電に伴う二酸化炭素の年間排出量を約9万2000トン削減できるらしい。しかしウッドマイルズ(距離)とウッドマイレージCO2(輸送にかかるCO2排出量)を計算したらどうなるだろうか。なんでも2~3万トン型ばら積船を使い、年間7~8航海で輸送するというが、それに費やすエネルギー量が心配だ。また木質ペレット自体の生産にも、かなりエネルギーを使っているはずだ。

日本にないものなら仕方がないが、木質廃棄物は山ほどあるのに、輸入するということに割り切れなさを感じる。経営的には引き合うとしても、二酸化炭素削減の手段としては、間違っていないか。

販売の始まったバイオエタノールもそうだ。ガソリンに3%添加して販売されているが、あれはフランスからの輸入なのである。ほかにもブラジルからの輸入が模索されている。目先の削減目標に追いかけて、地球全体としては削減にならないことをやっているように感じざるを得ない。

バイオエタノールを国内で生産するための研究は行われているが、海外で実用化しているのに今頃取り組むのも間抜けな話。仮に技術的には追いつけたとしても、規模から言って、海外産とコスト面で太刀打ちできるわけがない。つまり国産が普及する可能性は極めて低く、無駄な研究と感じる。
どうせなら、どこも実用化レベルでは成功していない木質廃棄物からのエタノール生産に研究・実用化に絞った方が起死回生の戦略となるだろう。

それとも、この手の資金を国内の森林に投入して、どんどん国産材を買い上げ、それを炭にして地中に埋める方が、純粋に炭素の固定(CO2の削減)につながるのではないか。

2007/07/07

豪雨で集落孤立

梅雨のようで梅雨でない天気が続いているが、降るときはやたら降る。ここ数日は、九州地方で豪雨が続いており、山間の集落がいくつも孤立したというニュースが伝えられる。

その映像を見て感じたこと。

まず、道路が崩壊して脱出ルートさえない集落の今後だ。もちろん緊急の救出は行われるだろうが、完全に復旧することはあるだろうか、という心配。山間道路の復旧は難しく、コストもかかる。しかも、その奥に住む集落の人々ば高齢化の進んだ10人20人程度のところも多い。その修復に国や自治体は本気で取り組むだろうか。
かつては、それこそ公共工事であり、地場の土木会社の出番だったが、昨今の財政事情からは後回しにされるところも出るだろう。ブルドーザーで仮道路を作って、とりあえず通れるようにするだけとか、あるいは集落の移転を余儀なくされるケースも出てくると思う。仮に修復することが決まっても、完成まで何年もかかるだろう。それまで集落は持つか?
これこそ「消滅集落」への道だ。

豪雨や山崩れなどの自然災害を、地球温暖化による気候変動や森林整備の欠如に理由を求める声がある。ケースバイケースであり、そうした指摘が当たっているところもあるだろうが、本当に「未曽有の災害」なのかどうか。
人の記憶の伝達は、意外と続かない。おそらく一地域で過去の記憶として伝承されるのは、せいぜい祖父母の代まで。年数で言えば60年~80年程度ではないか。だが自然災害は100年以上のサイクルでやってくるものも多い。仮に100年ごとに山崩れが起きていたら、常に「未曽有の災害」になってしまう。
それに、そこに被害者がいるから「災害」なのであって、100年前には集落はなかったかもしれないし、あっても尾根筋の山道だけのアクセスの場合、孤立しにくい。また孤立したとしても外部に知られる情報量はしれているから問題として認識されにくい。住民はもともと自給自足的生活のため、孤立しても自助努力で済ませてしまう……。

ある意味、人間社会は常に変化することを前提に作られており、災害に会わない頑丈な社会基盤を作るよりも、災害時に被害を小さくし、すみやかに復旧できるシステムを設ける方が柔軟に対応できる気がする。

2007/07/06

カーボン・ニュートラル

前回の地球温暖化問題の続編。

私は、かねがね不思議に思っているのだが、二酸化炭素の森林吸収分とはなんだろう。日本では排出量の3,8%まで森林分をカウントすることが認められているわけだが、科学的にはほとんど意味はないように思う。
理由のひとつは、整備された人工林だけ、という枠組が政治的だからだ。荒れていようと原生林であろうと、多少とも生長していれば二酸化炭素は吸収する。それは計算に加えずに、間伐した人工林だけをカウントするというのは、科学的にはおかしい。

そのうえ、バイオマス(生物生産物)によるエネルギーが「カーボン・ニュートラル」という定義も、実は???なのである。バイオマス(たとえば木材)が持っている炭素は、かつて大気中にあった炭素だから、それが二酸化炭素を放出されても元にもどるだけで、新たにバイオマスを生産すれば、プラスマイナスゼロになるという考え方だ。
しかし、それは削減ではない。バイオマスが生み出したエネルギーの分、化石燃料で得ていたエネルギーを減らした場合、初めて減少させたことになる。

しかも、ニュートラルになるまでの時差がある。100年かけて育った木を燃やした場合、その二酸化炭素を再吸収してプラスマイナスゼロに持ち込むには、100年かかる。それまでの間は二酸化炭素を大気中で増やしたことになるのだから、これは先送りである。手形を切ったようなものだ。
逆に考えれば、森林は二酸化炭素を吸収すると言っても、数十年後には寿命が尽きた木が腐るなり燃やされるなりして二酸化炭素を排出する。

議定書では、この100年間(例)の猶予期間中に、なんらかの別の二酸化炭素削減策を考えるとしているようだ。これも先送りの論理だなあ。

……このようなことを考えているうちに、わからなくなってしまうわけである(*_*)

ところで、今年発表されたIPCC第4次評価報告書を受けたのか、サミットでは二酸化炭素排出量を「2050年までに50%削減」という目標が掲げられた。これは、ある意味、京都議定書をすっ飛ばす内容である。
日本は2012年までに6%…なんて次元ではないのである。それほど世界各国で温暖化問題が注目されたのだろう。(その割には、報道は控えめだったが、それは数値の意味がわからなかったのではないか。) 

わからないことだらけだなあ。

2007/07/05

ハチミツの真実

少し前、ハチミツに砂糖を加えて増量している問題がニュースになったことがある。

先日、懇意にしている養蜂家を訪ねて話をしたところ、実態はそんなものじゃないそうである。とくに中国産ハチミツは凄い。加糖なんて当たり前、抗生物質入りとか、精製ハチミツ(ようするに売り物にならないような酷い品質のハチミツを精製したもの)を混ぜる。さらに輸送ではドラム缶を使うが、それが野積み。やら、重さをごまかすためなのかなども混ぜてある。そしてネズミの死骸入りもあったという。そもそもハチミツを使わず、水飴などでハチミツぽいものを作る手口もある。
それを輸入した日本の大手業者は、さらにそれにいろいろ混ぜて、産地をごまかして、花の種類もでたらめで……。

実は告発もされているのだが、業界団体はもちろん、農水省は動かない。仕事増えるのイヤだし、動いたら収拾つかないほど出てくることを知っているのだろう。ミートホープ社の事件と同じである。

2007/07/04

ドラマ「牛に願いを」と農大

昨夜は、娘とチャンネル争い(^^;)。

娘は、「探偵学園Q」を見るというが、私は裏番組の「牛に願いを」が見たい。でも、今回は娘に譲って(;O;)、録画したのを後で見た。「探偵学園Q」も、志田未来チャンが出ているから見てもいいんだけどね。

牛に願いを」は、近頃流行りの田舎を舞台にしたドラマということで、チェックしておかねばならないと思ったのだ。加えて相武紗季が見たいということもあるのだけど(^o^)。
初回は、まあ無難というか、ありがちなステロタイプな農大生と実習先の紹介。田舎社会の実情を浮かび上がらせるのは、まだ先か。でも、一応、農大と知って入った学生が、実習をここまで嫌うか? と思うけどね。

ところで、私は以前女子高生とメルトモだった。と言っても、年に数回近況報告を受ける程度のメール交換だが。その後彼女は、農大に進学する。最初は東南アジアの農業に興味を持っていた彼女は、ひょんなことから私がある牧場を紹介する形で実習に入り、現地でも馴染んでいたようだが、卒業を前に人間そのものに関心を強めたのか、結果的に今年の春より教師になっている。

メールだけとはいえパワフルな様子が伝わり、微笑ましかった。それにしても人間なんて、どこでどんなことに興味が移り、人生の進路の分岐点を越えるのかわからない。

                                                      

蛇足だが、昨日見た映画「君にしか聞こえない」では不思議な聾唖者を演じた小出恵介が、こちらではヒョウキン真面目?な学生を。ちょっと混乱するなあ。

2007/07/03

合法木材

いわゆる木材のグリーン調達が実施されて1年を過ぎた。
政府調達の木質製品(紙、合板等も含む)は、すべて違法に伐採されたものではないことを証明しているものしか購入しないという、アレである。

日本木材輸入協会は、昨年度後半(平成18年10月~19年3月末)の合法性・持続可能性の証明された木材の取扱量を明らかにした。合法性が証明された木材などの輸入量は、原木、製材、合板、集成材ほかの総輸入量の38%に当たる。ただし中身は、合板が81%。丸太は35%と低い。
国産材の割合はわからないが、とりあえず全国の県木連などに認定機関はできたはずだ。しかし、証明する事務手続きは増えたものの、そのコストを吸収するのは大変だ。

おそらく、この制度の裏には、環境のことだけでなく、外材の締め出しを意図していたに違いない。違法伐採が問題となっていたのは、熱帯諸国とかロシアが大きいからだ。ところが、下手すると国産材の証明が遅れて、逆に外材の方が合法証明木材が増える恐れもあるのではないか。

国産材は、これまでも同じことを繰り返してきた。
たとえばかつての外材は、未乾燥だった。乾燥が必要だと言われるようになって、外材は速やかに人工乾燥に移行したのに、国産材はいまだに遅れたまま。
住宅の品質に関する品確法が施行された際にも、強度などの表示が求められたのに、国産材はもたもたして、結果的に外材に席巻されてしまった。

今度の合法木材認定も、同じことにならないよう望む。

2007/07/02

7世紀のノコギリ

奈良県明日香村の石神遺跡で、7世紀後半とみられるノコギリが出土したそうである。長さは44,5センチで、柄も刃も残っている。ほぼ完全な状態だというから珍しい。
柄はヒノキ材で、一部を握りやすく削って細くするなど加工されている。刃は、さすがに曲がって先が欠けているそうだが、刃の目は三角形。やっぱり横挽き用だろう。

これが宮殿など飛鳥時代の建築物を建てるのに使われたのかもしれないと思えば、なかなかの歴史ロマンである。

考えてみれば、ノコギリの登場は、林業の世界で一大革命であったろう。それまでは斧や鉈だった。石製から金属製に変化しても刃は1枚。それが連続した小刃へと変化したのだ。動きも斧なら樹木をたたき伐るが、ノコギリは挽いて伐るようになる。切り口が細く滑らかになる。これは、凄い発想の転換ではないか。
また横挽きから、縦挽きも登場し、伐採だけでなく板への製材にも応用が利く。

ノコギリの次の飛躍は、押し引きではなく回転運動を取り入れたことだろう。つまりチェーン化したことだ。最初は幹に巻き付けて押し引きする使い方をしたそうだが、やがてハンドル式になり、完全な回転運動を取り入れた。
さらに人力から動力利用となる。まず蒸気機関の利用から始まり、電動モーター、さらにエンジン付きノコギリ、つまりチェンソーに発展するのだ。

チェンソーの登場は、木材生産効率を10倍くらい上げたというが、それは産業発展につながったと言えるだろうし、同時に山村の雇用を少なくするきっかけになったかもしれない。一人で10人分の仕事ができるのだから。

ノコギリ産業学なんて、考えてみてもいいかもしれない。

2007/07/01

朝日新聞版『割り箸はもったいない?』

昨日で、6月はブログ皆勤賞。実は以前のブログも名称を変えて時々更新しているから、かなりの多作ブロガーになってしまった。でも、こんな無茶はせずに、今後はのんびりやります。

さて、6月30日の朝日新聞奈良版にドカン、と大きな記事が載った。Photo_7

                                             

                                        

おおお、驚いてしまった。デカイ顔写真まで付いている。同時に、「今頃……」
実は、この取材を受けたのは1ヶ月以上前。このブログにも5月17日版に書いている。忘れたころに記事になった。

奈良版だから読める人は少ないと思うが、マイ箸派にも取材しているから、お薦めである。まだネットにはアップされていないようなので(そのうち出ると思うが)、とりあえず画像で。なんとか字は読めると思う。

少しだけ雑感と反論を。
まず、マイ箸派の本音は、「中国産より国産割り箸を」というのはわかりにくく面倒、ということだ。マイ箸のような○○の一つ覚えを口にする方がなのだ。
次にマイ箸を推進するのは「むしろ国産割り箸を応援するため」というマイ箸運動の持論が登場する。マイ箸が増えて割り箸の需要が落ちれば、中国産が薄利多売できなくなり、大量生産できずコストが上昇する、すると国産割り箸が価格面で対抗できる……なんて理屈を述べている人がいるが、それは真反対である。
仮にマイ箸で割り箸が売れなくなったら(そんなことあり得ないけど)、中国側は値下げするだろう。何がなんでも売るために。むしろ、日本が欲しがっている現在、中国側は強気に値上げを要求してきている。それが経済原則というものだ。
ただ環境問題や、木材産業の優先順位ということで、割り箸の生産量が落ちて値上げすることはあり得る。しかし、価格以前に日本の生産力の衰えが最大の問題である。

ちなみに記者は、国産割り箸をマイ割り箸に持ち歩くそうだ。私も負けないようにしよう。

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森と林業と田舎