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2007年9月

2007/09/30

「もてなし」の対価

最近、「もてなし」ブームなような気がする。

とくに接客業では、「もてなしの心」が強調され、ハウツウや精神論、そして「もてなしのプロ」による経験談とか成功談の本が書店の書棚に並んでいる。
またNHKの朝のテレビドラマ「どんと晴」は、盛岡の老舗旅館の話で、この半年間、延々ともてなしを追求し、旅館の危機を救ったのも「もてなしの心」だったりする。最終回は噴飯ものであった、外資の乗っ取り屋まで「もてなし」に屈するのだ(^^;)。

だが、その老舗旅館の宿泊料金はいかほどだろう。最低でも1泊4万円くらいか。上はどこまでいくやら。誰でも泊まれるところではない。ちゃんと「もてなし」には対価が要求されるのである。所詮は、金持ちだけを対象とした「もてなし」か、と悪態をつきたくなる。
当たり前の話だが、もてなすのは、客を喜ばせて次も呼ぶためであり、ビジネスであってボランティアではない。「客の喜ぶ顔を見るのが楽しみ」という部分は、オマケだろう。

そんなことを考えたのは、今度岩手に出かけて、盛岡でも1泊するのだが、そのための安いホテル探しをしたからだろうか。

対価について考えた理由は、もう一つある。拙HPに講演に関するエッセイを載せているが、そこで禁断の講演料について触れている。書いた時は、あまりに馬鹿にした金額が続いたせいもある(大の大人を遠くまで呼んで、丸1日拘束して、実質数千円!)が、最近ここを読んで依頼してくる人が増えてのだ。

いや、冷汗(;^_^A

私の方針は、仕事に見合った対価を、対価に見合った仕事を、である。対価というのは金額だけではないが、「精神」だけでもない。相手の思い入れも要素になるし、私が行きたい地域なら、旅費だけでよい、ということもある。だいたい自ら手がける取材では、自腹を切って訪れるのが普通であって、そこでは取材で得られる情報が対価ということになるだろうか。

『割り箸はもったいない?』を書く際に、かつての割り箸大量生産地域の現在を知りたいと思って北海道取材を考えたが、それにかかる経費と日数、そしてその取材で書く記事の分量(せいぜい1、2頁分)を天秤にかけると、実施できなかった。それよりは吉野に何回も通った方が有益だろうと判断した。
ただ今も北海道の割り箸盛衰物語は取材したいと思っている。その際は、見合う対価をひねり出して、割り箸本の続編を書くか?

ともあれ、充分なもてなしを受けるだけの対価が払えるように私もなりたいものだ。

2007/09/29

明日香の秋

ようやく涼しくなって秋の気配。通年より1カ月遅れだ……ところが、天気予報では、来週はまた温度が上がり30度以上の日々が続くだと。

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一足先に明日香村の秋の空景色を。和んでください。 

                                                     

2007/09/28

田舎の自治力

先日、講演の打ち合わせで、山村への問題提起として何を話すべきか、と担当者と話し合った。先方は、林業の先行き的な話を想定していたようだが、正直言って、そんな話しても山村は動かないのではないか、と思えた。

いくら世界的な林業動向を語り、日本の林業は今がチャンス! と訴えても、そのチャンスを捉えるための改革意欲に乏しいし、改革には痛みもあれば資金・人材なども必要だ。それらを乗り越えるのは、今の山村には至難の業かもしれない。
むしろ、将来のあり得る選択肢を示すことで、どう進むか(痛みを甘んじて改革するか、安楽死?するか)は、当事者が考えてもらう方がよいのではないか……。

私は、時として、やる気のない田舎社会を批判することが多いが、もともと農山村には都会以上の自治能力が備わっていると思う。都会では、道路や公園の掃除も行政の仕事であり、問題があれば解決を行政に迫ることが多い。しかし田舎では、はなから行政に頼る前に自分たちで対策を考えてきた。
公園の掃除等はもちろんだが、隣人トラブルも寄合で結論を出してしまう。それは、たまに村八分のような行き過ぎの私的制裁(リンチ)も起こり得たが、逆に講のように危急の家庭に援助の手をさしのべることもあった。

今も、集落の寄合で決したことが、議会より優位となる地域は少なくない。議員よりも集落の役員の方が力があるのだ。議会は追認するしかない。また災害時には、行政よりも先に自治組織が動くのも当たり前だ。

残念ながら、そうした自治力は、戦後弱まってきた。農山村地域の経済力が落ち、高齢化・過疎化がそれに拍車をかける。また慣習的な活動が改革を阻止する面もあるし、
公的社会の法律との整合性が問われることも起きた。
そして何よりも、行政からの莫大な補助金のバラマキが、自治力を破壊した、と思える。今や、何でも行政に頼る気持ちは、都会より強まったところも多いのではないか。それこそ自分の田んぼの畦道を作るのにも補助金を要求してしまう。痛みに弱い体質になってしまった。

しかしまだ田舎社会は、かつての自治の片鱗は残っている。最初から自治意識がなくて、ゼロから築かなくてはならないニュータウンよりも、よほど有利だ。
今なら選択できる。痛みを乗り越えるか、あるいは痛み止めだけを処方して安楽死を覚悟するか。

……こんな話をしたら、嫌われるかなあ。

2007/09/27

お勧め書籍とHPは?

今年11月発行予定の『日本の論点2008』に執筆したのだが、編集部から、
「読者がより理解を深められるように『筆者が推薦する基本図書』と『筆者が推薦するホームページ』という小さなコーナーをそれぞれ設けました」とのこと。そして本を3冊、HPを2つ紹介してくれという。各論や技術論ではなく、本質を理解するためのもの、というのが条件だ。

用紙を前に考えた。はっきり言って、林業を網羅的に最新事情を網羅した本はほとんどない。そこで本は、やっぱり拙著を入れることにした(^o^)。
選んだのは、『だれが日本の「森」を殺すのか』と『森林からのニッポン再生』である。この組み合わせで、山林だけでなく木材側の事情もわかるはずだ。
もう1冊は何にしようかと考えた末、『木づかい新時代』(遠藤日雄著・日本林業調査会)を入れる。これも木材側の事情を描いているが、『森コロ』以降の動きが詳しい。

HPは悩む。実は5年前にも執筆したことがあって、そこでも紹介したのだが、同じHPでは芸がない。また林野庁のサイトも悪くはないが、面白みがない。
そこでちょっと抵抗はあったが、一つはこのブログを書き込む(笑)。ここを読んで林業がわかるとは思えないけど、林業を論じているサイトも数少なく、ネタ切れなんですよ。『日本の論点』を読んで、このページにたどり着いた人がいたら、こんな事情があったのです(^o^)。

あと一つ。やっぱり真面目に情報収集したい人向きに、「木の情報発信基地」にしておいた。これはポータルサイトである。もし、ほかによいサイトを知っていたら教えてください。

2007/09/26

10年前の予測

仕事逃避のための資料整理。あふれる資料を少しは減らそうと努力するが……。

その過程で、10年前の1997年に林野庁が立てた将来予測に関したものを見つけた。正確に言えば、その前年に作られた「森林資源基本計画及び林産物需給の長期見通し」である。
それによると、2015年の木材自給率は30%あまりになると予測している。ただしこれは、林道整備や機械化によって素材生産コストを下げて、国産材の供給力を増したと仮定したものである。また木材需要も1割以上増えるという予測だ。
一方で、数値を変えて近年の趨勢を取り入れたものもあり、そちらの予測値は、逆に10%落として14%になってしまう。木材需給は微増。

この差は、ようするに努力して改善した場合と、現状のままの場合ということだろう。

まだ予測した時代に達していないが、そのどちらに当てはまるだろうか。自給率は20%と落ちているが、反発傾向で一端落ちたもののもどしつつある。国産材供給も増えている。多少は機械化も進み出した。その意味では、改善した予測値に近づいていると言えなくもない。この調子なら、2015年には30%は無理でも25%くらいまでは行くかもしれない

ただ決定的に予測が外れているのは、どちらも木材需要が伸びていく(1億1000万立米以上)と思っていたのに、今や9000万立米を割り込むほど落ち込んだことだ。そして外材は、中国やインドなどの引き合い増のあおりで輸入量が減った。その結果、国産材の割合が増えたのである。つまり現在は、外部要因と需要の縮小で自給率が高まった。林野庁が夢見たように、積極的に国産材の供給力を増やせたわけではない
林野庁としては、木材需要の減少や外材の輸入量減は想定外だったのだろう。

今から20年後なら、どんな予測を立てるだろうか。日本は林業王国・森林大国になって世界をリードしているような将来像を描いてくれないだろうか。あながち不可能ではないと私は思っている。

2007/09/24

携帯電話

ここ2週間ほど、携帯電話が鳴っていない。
どこからも電話が来ないし、私もかけない。メールも来ない、送らない。

誤解のないよう付け加えれば、自宅の電話は、そこそこ鳴っていて仕事もやっている。メールもパソコンにはじゃんじゃん……というほどではないけど、かなり来る。ただ携帯だけが鳴らない。

ただ、では携帯を使っていないかというと、そうでもなく、スケジュール管理……つまり目覚まし時計のように使ったり、ワンセグを愛用するようになった。

実はこの夏に携帯の機種変更した。懸案のFOMAをいろいろ試して、今や電波の届く範囲はあまりMOVAと変わらないことを確認して交換したのだ。そこにワンセグが付いていた。なんで携帯にテレビなんかが付いているんだ、と多少反発していたのだが、あると結構便利♡。  暇つぶしにも見るし、案外楽しめる。下手すると自宅のテレビより画面がきれいに感じることもある。
それに携帯が鳴らない寂しさを、これで慰めている(^^;)。

携帯メールが欲しくて出会い系に登録してしまう誘惑に負けないでいるのは、ワンセグのおかげだ(~_~)\(-_-メ;)。

最近、携帯依存症が増えているようだが、心の隙間に依存の闇がある。そういう人は、田舎暮らしもできないだろう。社会学者の調査によると、戦前から戦後すぐの時代は、日本人は大変無口で孤独だったそうだ。商店主が1日にしゃべる時間を調査すると、10分もなかったという。家族の集まる夜でも、1時間に8語しか発話しなかったという結果が出た。それも相槌が多い。寡黙な国民性だったのだ。
それがラジオやテレビの影響か、それとも交通網やサービス産業の発達が関係あるのかどうか、今や日本人は饒舌の民となった。
常に誰かと言葉や視覚・触覚で接していないと不安になる、不安だから何らかに依存する、という状況は、現代人の精神的宿痾かもしれない。

私は、わりと一人を楽しむ方だろうが、孤独に強くならないと総理大臣にもなれないよ。

2007/09/23

アイスキャンデー棒

暑い。9月も末なのに、猛暑である。夏は暑くても仕方ないと諦めているが、この季節に暑いと怒りが込み上げてくる。

……で、復活したのがアイスキャンデー。しばらく我が家の冷蔵庫から尽きていたアイスキャンデーを買ってしまった。私は、アイスクリームも嫌いではないが、暑いときは氷菓子の方が好きである。それをがりがりとかじって体温を下げたい。

今夜もかじった。そして手元に残るのが、木の棒

アイスキャンデー、別にアイスクリームでもいいのが、その棒が、何でできているか、どこで考えたことはあるだろうか。実は、シラカバが多く、ほとんど中国だそうである。

割り箸輸入会社も、アイスキャンデー棒を扱っているケースが多い。その需要は馬鹿にならない量になる。しかも代替え品がない。
熱伝導や味覚、製造、冷凍耐久性などの点から、プラスチック製は適していないらしい。木製でもアスペンは少し臭いがあって合わない。

今度、中国製の木製品の大幅値上げが予定されているが、棒も引っかかる。割り箸だけではないのだ。こちらの方もパニックが起きるかも。

いっそマイ棒運動なんぞ始めて、アイスクリームを買いに行ったらどうか。こちらの国産は難しいか。シラカバ材は、北海道にいっぱいあるはずだが

2007/09/22

巨木トラスト・巨木オーナー

以前、末端価格は1000万円はするであろう、巨木の立木価格を聞いて、ひっくり返った。

50万円だというのだ。なぜなら、生えている場所が非常にやっかいな場所で伐るのも搬出するのも難しいからだ。下手すると、伐れない、伐っても太いゆえ重くてヘリで釣り上げるのも難しい、失敗すると折れてしまうか、途中で切断して短くしないといけない。
それらをクリアして出した後、転売に転売を重ねて1000万円くらいになるらしい。

こうした特殊事例は別にしても、巨木が巨木ゆえに伐れない、伐りたくないケースもあるだろう。とはいえ、その木も財産だとすると山主にとって持っていてもよいことはない。

そこで立木トラストを使えないかと思いついた。

立木のまま、権利を売買するのだ。もともと自然を守るナショナル・トラスト運動の中で、土地を買うほどの金がない人むけに、立木を売る発想である。ゴルフ場反対運動などでよく使われた。一本5000円とか1万円で開発予定地内の立木の権利を買うと、開発業者は立木権利所有者全員を口説かないといけないから、物理的に手が出せなくなる。たった一人の所有者を脅しすかして口説くのとわけが違う。

これを伐れない巨木に適用する。都会のお金持ちに、樹齢200年の木を100万円とかで売る。宝石を買うような感覚なら可能ではないか。これが巨木トラストだ。もちろん、複数の人間がお金を出し合って1本の巨木を買ってもよい。あるいは棚田オーナーのように、10年10万円とかで契約して、巨木オーナーになってもらう。

買った本人は、直径1mの巨木を所有しているという気持ちで満足感を得る。たまには巨木のあるところまで行って、抱きついたり写真をとって、「巨木セラピー」を行う。
スギ・ヒノキでなくてもよい。自分の山で広葉樹も含めて巨木があったら、売り出すのだ。さらに管理費を毎年取るという手もある。もちろん伐らないし、伐れないだろう。

山主にも、多少のお金が入るのだから悪くないし、地域を巨木のある森というイメージを広げることにもつながるだろう。その金で森林を整備して、ついでに作業道も敷いて、契約が伐れたら巨木を伐採……これはマズいか(笑)。

2007/09/21

深夜、目覚める

日々の深夜、キッチン・ドリンカーになる。できるだけ暗くして、バーをイメージして。

突然、水槽の金魚が跳ねた。動物は、周囲に何の変化もないのに、急に思わぬ行動を取ることがある。ふと十数年前を思い出した。

それはまだ勤めていたときだが、たしか伊勢の方に取材に行き、宿に泊まった。その夜は、嵐だった。風の音が部屋の中まで響いた。暗くした部屋で寝ころびながら、天井を眺め、風で宿全体が揺れる感覚を味わう。

突然、会社を辞めることを決意した。

考えてみれば、まだバブル景気の最中であり、待遇は悪くない。仕事の内容に不満はあっても、少なくても記者であり、書く仕事という希望を保っている。出社も退社の時間も自由。経費は使い放題だし。それなのに……
辞めて、山に通い、林業を学ぶ。その体験を書きたいと考えた。おそらく夢うつつのその夜の思いつきが、今の私を作ったのだろう。

実際には、それから会社を辞めたのは半年以上先だし、山に通いだしたのはさらに先。とりあえず目先の食える仕事を探すことに必死にならざるを得ない。ちょうどバブルが弾けて、世の中の景気は急激に悪化していた。私が辞めたからバブルが弾けた、と周囲には自慢? していたが、当てできる仕事はなく、何がやりたいのかも明確につかめなかったあの頃。

人生の選択なんて、実はいい加減だ。正解だったか、失敗だったか、誰も判断できない。あの嵐の夜の風の音がなかったら、とふと、考える。

もちろん、今もキッチン・ドリンキングでほろ酔いだよ。

2007/09/20

木材から水素

バイオマスエネルギーと言えば、つい最近まで燃やして熱エネルギーと発電のコジェネレーション、そして今ではエタノール化が注目されている。そこへまた、新たなエネルギーへの転換技術が発明されたようだ。

東北大学が、木材チップを粉砕して加熱することにより、高純度の水素ガスを高効率に生成する方法を開発したのだ。
方法は、セルロースと金属水酸化物の混合試料を特殊な粉砕機にかけてから、アルゴンガス下で加熱すること。これで高純度水素を発生させることができた。添加された金属水酸化物は反応促進剤としての役割を果たすが、生成したガスの組成分析によると、水素が93.5%も含まれる。これはリン酸塩型燃料電池に直接使えるほど高純度だ。

そして水素ガスこそ、究極の環境に優しい燃料とされている。なにしろ燃やしても廃棄物は水だけで、有毒ガスはもちろん二酸化炭素も出さない。そしてエネルギー効率は、ガソリンより高い。だから燃料電池だけでなく、自動車等のエンジンの燃料としても期待されている。ただ簡単で大量に水素を貯蔵したり輸送する方法が、まだ開発されていないことと、肝心の水素の効率的な生産や高純度化が大変なことがネックと聞く。

もちろん今回の発明は実験室段階ではあるが、その原理や技術は意外と簡単だから、実用化が一気に進む可能性もあるのではなかろうか。すると間伐材や廃材から大量の水素を製造できるようになるだろう。 コストや製造エネルギーの収支は、まだ計算されていないらしいから、あまり先走れないが……。

バイオマスのエタノール化は、今のところほとんどが食料にもなる穀物を材料としている。だから発展途上国の食物を奪うと批判もされるし、何より農地生産はコスト高だ。そこで次世代バイオ燃料は、木材(セルロース)になっていくだろう。その一つが水素化だとしたら、木材産業も一枚かめるかもしれないぞ。

2007/09/19

正しいバイオマスのCO2固定法

バイオマスエネルギーについて思考実験してみた。

これが注目されるきっかけは、地球温暖化防止ためのCO2の削減手段である。そこで石炭石油など化石燃料の使用を減らすために、カーボン・ニュートラルのバイオマスをエネルギーに使うことが考えられた。

ここまではいい。しかし、カーボン・ニュートラルとはCO2の削減ではない。理論上はプラスマイナスゼロだということだ。ただ化石燃料の使用量が減ると、CO2放出量も減る。だから「増えない」わけだが、減らすことになるわけではない。

しかもバイオマスエネルギーの大半を占める木質は、石油などと比べて重量当たり熱量は、約半分ではなかったか。すると同じエネルギー量を出すには2倍使わないといけなくなる。エタノール燃料を使用するエンジンも、ガソリン燃料より馬力は出ないだろうから燃費が落ちることになるのだろうか。削減効率はあまりよくないように感じる。

そこで本当にCO2の削減になる方法を考えてみた。
それは、新たに化石燃料を作ることだ(笑)。それを地中に埋める。石炭石油でなくてもよいのだが、空気中のCO2を固定して再び大気中に放出しない手段とはなんだろうか。

思いついたのが、木炭である。バイオマスからほとんど炭素だけを固定して安定した物質が木炭ではないか。何百年でも、変化せず固体のままだ。大気のCO2濃度を上げることはない。だから木炭を作って、地中に埋めることが、CO2固定になる。核廃棄物のように大深度地下への投機で反対されることもなかろう。

もちろん通常の方法で炭焼きをして、それを埋めていたのでは無駄になる。しかし炭焼きでは、原木(バイオマス)を蒸し焼きにしてエネルギーを取り出しつつ、木炭が焼ける。つまり木炭を作りながら熱を得ることは不可能ではない。その熱を利用するシステムがあれば無駄がないだろう。またバイオマスからエタノールを生成すると、化学式を見る限りベンゼン環の炭素が余るように思う。だからエタノール燃料を生成しつつ、バイオマス屑を木炭にする方法はないだろうか。

そして焼けた木炭を、土壌改良材などの用途で、どんどん地中に埋める。漁礁として海中に沈めてもよい。そんなシステムを構築できないものかなあ。

2007/09/18

割り箸パニック

業界先取り情報。
来月以降、牛丼の吉野屋が、割り箸から塗り箸に代えるようだ。現在の割り箸の在庫が尽きるとともに徐々に進める。

それに関して、今のところ吉野屋は何も発表していないが、もし「地球環境のため、森林保護のため」とかきれいごとを言っても信用しないように。

実は、割り箸の価格が急騰し、さらに来年度以降の中国からの入荷が危ぶまれているからである。このままでは客に箸を提供できなくなるという心配から、塗り箸導入を決めたらしい。まだ吉野屋が導入するのが、本当の塗り箸かプラスチック箸か確認が取れていないが、窮余の一策である。

この問題、中国政府が割り箸に限らず木材の輸出入に資源税という税金をかけると決めたことから始まっている。このままでは、木製割り箸の価格は、今の1,5倍になる。
そうなると、外食業界は今のままでは割り箸より塗り箸の方が安上がりとなる。高いコストを受け入れる準備ができていないから、雪崩をうって塗り箸に移行するのではないか。

もちろん割り箸業界も、そのままのたれ死にするつもりはなく、ロシアやベトナムへ割り箸工場を移転する動きがあるが、とても年間200億膳を供給していた中国にとって代わることはできない。また外食関係でも、まだ割り箸対策を考えていないところも多いようだ。

だから、秋から冬にかけて外食業界に割り箸パニックが起きるだろう。

長い目で見れば、塗り箸に変えた業界も、また割り箸にもどってくると思うが、その間に何が起こるか。

割り箸は最大のピンチを迎えると同時に、国産割り箸はチャンスを与えられるわけだが、それをうまくつかめるか。逆に、国産割り箸の壊滅という可能性だってある。あるいは異業種が割り箸業界に乗り出してくるチャンスかもしれない。

2007/09/17

チェンソーアート講習と森コロ

昨日までのチェンソーアート合宿講習会は他の人の報告に任せるとしたが、一つだけ。

夜、受講生と飲んだわけだが、若手の一人に話しかけられた。そして『だれが日本の「森」を殺すのか』を読んで、そこに載っていたチェンソーアートの項目を読んでやる気になったのだという。
たしかに、森コロ第4部では、1章を割いて「チェンソーアートで山村を活性化する」と記している。チェンソーアートというホビーが山村に少なからぬ経済効果を与え、木材に新たな需要を生み出す可能性に触れたものだが、本当にそこを読んで、チェンソーアートに興味を持ってもらえたとなると、大きな喜びだ。

しかも彼は、林業会社に勤めていて、会社から派遣されるような形で、講習会に参加している。仕事の現場でも作っているらしい。ゆくゆくは、彼が講師になって、同じ林業関係者に教えることが考えられている。

望むところだ。いや、まさにチェンソーアートスクールを開講する時から最初から意図したことである。チェンソーアートを全国に広げるには、我々のスクールだけでは足りない。どんどん独立して新たなスクールが誕生することを期待している。奈良県内はこちらの商売敵ができたら困るが、他県なら歓迎する。むしろスクール運営のノウハウを伝えたいと思っている。独占しようなんて、小さなことは考えていない。

いつまでも吉野が、日本唯一のチェンソーアートスクールでは困るのだ。すでに日本初のチェンソーアートスクールなのだから、全国各県に生まれてほしい。それが日本のチェンソーアート人口を増やし、山村への経済効果を広げ、ひいては木材需要も増えることを狙っているのだから。

2007/09/16

田舎のもてなし

15,16日と、吉野チェンソーアートスクールの合宿講習。2日がかりでイーグルを作る、上級?講習だ。

その内容に関しては、倶楽部のホームページや関係者のプログに譲るとして、私は、初日の昼間抜け出して、明日香村に行っていた。

これはまったくの偶然なのだが、某編集者と新企画の打ち合わせをすることになったところ、ちょうど奈良に行くので……ということになった。ところがその日私は吉野。すれ違いになりかけたが、実は編集者の奈良行は、明日香村を歩くイベントの引率であった。会員?とともに、里道を歩くわけである。その場所は、吉野アートスタジアムから見て、山一つ越えた裏側。それなら少し昼間抜け出してお逢いしましょう、ということになった。

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約束の場所に着くと、ちょうど一行が到着する寸前だった。小雨の中、ご苦労さま、という状態であるが、地元の人々が迎えに出ている。実は、地元に昔の明日香村の景観を取り戻そうと活動しているグループがあって、そこが今回のツアーの受入れもやっている。

私も混じって歓待を受けてしまったのだが、京阪神や関東から見えた一行に昼食がふるまわれた。それが、ちょっと豪華なのだ。紫イモの炊き込みご飯に野菜天ぷらに胡麻豆腐に煮物にソーメン……地の産物でもてなそうという趣旨なのだろうが、ここまでやったらアカンやろ、ツアー参加者を甘やかしたらつけあがるぞ、と思ってしまった(^^;)。

なぜなら、無理な歓待を続けているうちに、息切れして活動まで停滞してしまいがちだからだ。おそらく支払われる給金以上の内容でもてなしている。こうしたもてなしは、受ける方は有り難いし喜ぶだろうが,所詮は行きずり。だがもてなす方は毎度同じ人となり、疲れてしまう。

会長の挨拶も、「何もないところへ、よく来てくださった、申し訳ない」と平身する。これも、ちょっと違うような気がする。ハイキングで来てくれることを喜ぶのではなく、地域に何をしてくれるか見定めないとなあ。

都会の人は、田舎の風景を求めていく。それはいい。が、地元の人は、彼らが風景のために何をしてくれるのか、吟味してほしい。
近頃は、「もてなしブーム」で、いかにお客様に喜んでもらえるか、といったハウツウ本がよく売れているようだが、もてなしにも、対価を要求すべきだ。逆に言えば、対価に見合ったもてなしにしないとサービス自体が続かないよ。

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稲穂がおじぎしている。稲刈りまであとわずか。

2007/09/15

田舎の脳ミソ

病院で、「北海道田舎移住日記」(はた万次郎)を読了した。

はた万次郎は漫画家で、「ウッシーとの日々」を購入したついでに手に入れた、これは日記形式のエッセイなのだが、十数年前の本である。東京からいきなり北海道の下川町に移住した話を綴っている。

この人のスタンスは、田舎に楽園を夢見たわけでもなければ、都会派のアウトドア的発想もない。それでいて、都会を冷やかに見ているし、同時に田舎の生の姿を遠慮なく描いている。そこにあったのが、「下川脳ミソ」の話。

ようするに田舎の限られた地域と人で生活していると、地域に密着した話題だけになり、自分の世界が町の中だけになって、町単位でしか物事を考えられなくなる……精神的な鎖国をしてしまうという現象だ。たしかに、こうした「田舎の脳ミソ」は存在する。

ちょうど、別の田舎暮らしを始めた人からのメールで、

>田舎の人が田舎に閉じこもって、
>穴の中からテレビで余所の出来事、世の中の移り変わりを
>「娯楽」として斜めで見ている・・・

という地元の人の様子を描いていた。鎖国と言っても、情報そのものはテレビでも何でも入ってくる、買い物だって都会の物を手に入れることもできる。が、頭の中では、都会は別世界であり、自分の世界ではないのだ。自分の住む地域だけしか興味を示さない田舎の脳ミソになる……。

それが悪いと断じるつもりはない。そうした世界観で過ごすのも羨ましい気がする。だが、現代社会を生き残れない気もする。事実、田舎は衰退していく。

田舎の脳ミソでも、何も苦労しなかった時代が懐かしい。

2007/09/14

森林鉄道

高知県馬路村で、明治時代から魚梁瀬杉の搬出に利用されて、地元住民の交通手段としても利用された「魚梁瀬森林鉄道」を国の重要無形文化財に指定しようという運動が起きているそうだ。

そこで思い出したのが、屋久島の森林鉄道。実は、こちらはまだ現役だ。その点で言えば、こちらの方が価値が高い気がするが……。とくに最近は元祖オタクの鉄ちゃん人気も高まっていて、森林鉄道情報も広がっている。

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これが登山口であり、森林鉄道の起点でもある。こんなトロッコが走っている。もっとも、1カ月に1、2回だそうだが。だから登山客も歩けるのだ。

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これがトロッコ道。つまり森林鉄道の線路。この写真の橋は、まだ両側に柵があるが、通常は何もない。 でも、沿線にはかつての集落跡や小中学校跡、そして営林署跡がある。   

                                                                                                                                                

で、なぜ今もトロッコが走っているのか。実は重要なものを運んでいるのだ。それは、一つには線路や木道の修理用機材。これはわかる。もう一つ重要なものは……糞尿である。

縄文杉登山道には、いくつか決められたトイレしかなく、そこを使うようガイドは指導する。勝手に藪に入って雉うち……なんてことは許されないのだ。もちろん環境のため。あれほど訪問者が多ければ、勝手気ままにふるまえない。
しかし、膨大な訪問者の糞尿は、自然濾過とかバイオトイレなどで処理できるものではない。だから、全部持ち帰る。トロッコ道終点にも大きなトイレが2階にあり、タンクが1階。満タンになると、森林鉄道で運び出すという算段である。

かくして現役の森林鉄道。走っているところが見たかったな。
もし、登山客を乗せるようにしたら、縄文杉までの到達時間は大幅に短縮できるだろうが、訪問者が殺到して環境に悪影響が出るだろう。

こちらの方も、重文にしようと思わないだろうか。

                                             

2007/09/13

国産割り箸と薬剤

安部首相がこの時期に辞任という、政治を破壊する自爆テロ。何やってんだか。

ということに関係なく、前々回の続きを書こう。アエラが取り上げたのは、中国産の竹割り箸である。中国産竹割り箸に、漂白・防かび剤が残留している疑惑を取り上げたのだった。これは見方によっては、中国産の割り箸を排除するきっかけになるかもしれない。

なぜなら、記事にも「木の割り箸では、木自体に抗菌作用があるのでこうした処理は必ずしも必要でない」とあるように、通常は木の割り箸に防かび・漂白処理をしないからだ。
ただ「必ずしも」と書かれてあるのは、はたして記者は知って書いたのかどうか、絶対に処理をしないとは言えないということ。シラカバでも色の悪い材の場合は、漂白する。

そして肝心なのは、国産割り箸にも、同じことが言えるのだ。スギやヒノキは、抗菌作用がある。だから防かび処理は必要ない。が、色はすべてが望むような白さを持つわけではない。なかには黒ずんだ材もあるだろう。また1膳の箸の中に白と赤が混ざった「紅白」と呼ばれる状態は嫌われる。(割り箸だけでなく、建築材としても価格が落ちる。)

そこで、漂白しているのだ。薬剤は何を使っているか知らないが、亜硫酸系か塩素系だろう。そして検品で跳ねられた色悪を白くして出荷している。中国産の「毒」を批判している場合ではない。国産にも跳ね返ってくる大問題である。

これまでの割り箸批判は、森林に対する負荷を問題視することが大きかった。それには幾らでも反論できた。竹割り箸が増えてきた理由の一つは、木よりも竹の方が生長が早いからだ。
が、残留薬剤批判は、国産も目をつぶってはいられない。

もちろん、中国産・国産とも、木の割り箸から残留薬剤は発見されていない。おそらく時間と共に薬剤は蒸散したり分解され、残留しないか極微量なのだろう。だから、科学的な面では人体への悪影響を心配する必要はない。

しかしイメージ情報としては、国産も薬剤処理していることを世間が知れば重大だ。なかには「中国産は薬剤を染み込ませているから危険」と宣伝して国産割り箸の需要拡大を計ろうとする人がいるが、それは天に唾する行為だ。

国産割り箸は、一刻も早く漂白処理を止めるべきだろう。さもないと、割り箸全体のイメージに痛手を負う。

むしろ「紅白」を売り物にしたら高くなるのではないか。「紅白はめでたい箸」と名付けてもいいし、色悪を金かけて漂白するより価格を下げた方が喜ばれると思う。マイ割り箸用に出荷したらどうか。中国産批判をする前に足元を見ないと。

2007/09/12

『割り箸はもったいない?』増刷

割り箸記事と防腐剤問題についての続編を書こうと思っていたが、閑話休題のご報告。

割り箸はもったいない?』、増刷決まりました!  

実は書店にはもう並んでいないことや、注文しても在庫切れで取り寄せられなかったという情報が寄せられていた。ちょっとヤキモキしていたのだが、めでたく増刷されることになりました。
出版社の話としては、今もコンスタントに売れているそうで、こつこつロングセラーになってくれれば幸いです。

幸い、割り箸に関する動きは、今も少なくありません。アエラの記事もそうだけど、以前は週刊ポストの広告だかに、小池(前)防衛大臣の「割り箸は使っちゃダメよ」発言が載っていました。チェックすると、単に防衛省の食堂で割り箸を使うなと言ったとかで、「ここは環境省じゃない!」と怒っている官僚の声があるという話…。環境に関する発言・活動は環境省しかしてはいけないのか、と逆に反発したくなりますが、割り箸が取り上げられるという点では、世の中の関心はまだ引いていないことの証明だと思います。

ちなみに先取り情報。多分11月26日に、東京のどこかで「割り箸シンポジウム」が開催されると思います。そのほか、今秋には、割り箸を巡る様々な動きが起きそうです。もしかしたら割り箸パニックが?

2007/09/11

アエラ記事・中国割り箸から…

今週号(07・9・17)のアエラの広告に、「中国割り箸から白い液」なるタイトルが。

さっそく購入して読んだ。期待外れだった。それも大きく外れ。

タイトルから、中国産割り箸に使われている漂白・防腐剤のことだと想像できた。私も気にしている問題だ。アエラは、何か新手の情報をつかんだのか?

が、問題の「白い液」とは、台湾人女性が何年か前に中華スープに付けた割り箸から白く滲み出るものがあった、という伝聞である。何のウラもとっていないし、真偽をぼやかす言葉さえ添えていない。
そのほか割り箸から検出された化学物質とやらは、03年の検査のものである。さらに十数年前の記録まで引っ張りだしている。何の新味もない。今まで幾度も紹介された話だ。

中国・大連の新聞に掲載された割り箸製造に関するルポも紹介しているが、これは「日経ビジネス」Web版に載った北村豊の「中国・キタムラリポート」のパクリ(孫引き)である。一字一句同じ。これって、引用先を記さなくてもいいのか。少なくても翻訳したのは北村氏であるはずだ。誰か問い合わせてみてくれ。(ちなみにこの記事の執筆者は、加藤勇介・斉藤泰生)

ようするに、既成のデータを寄せ集めて、最近流行りの「中国産の毒商品」批判を割り箸に適用しただけだ。なお、これらのデータは、もっぱら竹割り箸である。

ちなみに私は、中国産の竹割り箸をもっとも危惧してきた。『割り箸はもったいない?』では、割り箸を擁護しているが、それはまず国産であり、また中国産でもシラカバやアスペンには森林破壊につながるほどのスケールはないことを指摘した。が、竹割り箸は別である。竹製には漂白・防腐剤問題が外せないからだ。

屋久島で見つけた薫煙処理による竹割り箸もあるにはあるが、ほとんどの竹製は漂白剤と防腐剤を使っている。一応、輸入時に検査はされていて基準値内であるというデータは持っているが、それをもって完全に安全だと中国産に言う勇気はない。

そして、割り箸を国産と外国産、そして木製と竹製に分けて語る人はほとんどいない。厳密には中国産竹割り箸を批判しているようでも、中国産割り箸全部、そして割り箸をひっくるめて全てを「危険だ!」と騒ぐ人が絶対出るだろう。

国産製箸業者は、すぐに声明を出すべきである。それが「ピンチをチャンスに」する一つのはずだ。ただし、国産の割り箸の中にも…(以下、次号)

2007/09/10

五社峠の牛車道

昨日、五社峠に行ってきた。吉野町と川上村の間にある峠である。

3_2

                                             

峠の切り通し。見た通り、倒木が道を塞いでいる。

かつては茶店もあったというのだが……。                                                      

                                                       

今でこそ峠の下の五社トンネルは数分で通過できるが、かつては峠道こそ交通の要衝だった。そしてこの峠道に、吉野林業に大きな役割を果たしたのではないか、そして土倉庄三郎にとっても象徴的な意味があったはず、と考えていた。
この道は、明治以前は、人が一人通れるだけの踏み分け道のようなものだったらしいが、若き土倉庄三郎が私財を投じて車の通れる道に開いたのだ。これが土倉の名を上げる一つになっただろうし、吉野川源流部の林業地帯に与えた影響は大きい。そして明治の元勲を始め、知事も学者も役人も、みんな峠を越えて土倉翁を訪ねたのだ。翁を訪ねた人の数は10万人を越すというから、そのほとんどが峠を通ったのだろう。

ただ車の通れる道と言っても明治初年だから、牛が引く荷車が主である。だから土倉牛車道と呼ばれる。かつて牛車がつづら折りの道を登ったり下って、川上村に物資を運んだのである。
脱線するが、伐採した木材を運ぶ木馬を大々的に採用したのも土倉翁らしい。今でこそ人力で運ぶなんて……と思いがちだが、当時は画期的なことだった。木のレールを敷くことによって、原木の山を一人で運べるようになったのだから。

どうも、土倉翁は、交通・運輸に対する特別な思いと先見性があったのではないかと思う。五條から伊勢まで結ぶ東紀州街道も開いているし、大台ヶ原への道も作っている。原木を筏にして流すための川の浚渫と岩の掘削にも取り組んだ。さらに筏の上に物資を載せて運ぶ便も多用している。晩年は、五社トンネルの建設も企てていた。
土倉、という名も、倉(蔵)を持つ馬引きを連想させる名だ。流通業や金融業を営む人の姓という説もある。土倉家を、単に林業家として見るだけでは見誤る。今でいう、造林・素材生産から運輸、金融業まで営む林業界のゼネコン?のような存在か。

1

さて以前から、昔の感覚をつかむために五社峠を歩いて越えてみたいと思っていたのだが、何分旧道の入り口さえわからない。役所の人も知らない。困っていたら、なんと川上村に、土倉庄三郎に学ぶ会こと「芳水塾」が結成されて峠道を歩くという。そこで参加を申し込んだのだ。

もっとも話を聞いてみると、吉野町側から五社峠の神社までは車で上がれるらしい。そこから川上村側へ下る道が荒れている。だから歩くというよりは道の探索と通れるように草刈りをするという。そこで私も、麦わら帽に手鎌も用意した。鉈はまだ血糊が付いているかもしれないから(^^;)、止めとく。

だが、現地の様子は想像とは違っていた。開けた道跡に草が密生していて、炎天下それを刈る……というのではなく道は林間、そして下りなのだ。だから日差しもきつくなく快適。ただし、道は草は少なくても、倒木が道を塞ぎ、橋は落ち、雑木が繁っている。それらを伐ったり動かして通れるようにする。必要なのはチェンソーであった。
それでも案外幅はあって、広いところは2mを越えている。しっかりした石垣が築かれていたし、折り返し地点には、牛車を回すための膨らみも設けてある。元は、石畳だったというが、さすがにそこまでは確認できなかった。それでも想像以上にしっかりした道を土倉翁は作っていた。整備すれば、フォワーダとかハーベスタなど林業機械なら通れる。

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崩落していたり、

雑木に埋もれているところもあった。

                                           

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切り捨て間伐らしい倒木がかなり道を塞いでいた。

中には直径80センチ以上の大木も倒れている。

                                             

参加者はさすがに手際よく進んでいく。私も落ち枝や石を片づけていたが、思わず左親指を使ってしまってうなる。包帯が微妙ににじむところを見ると、ちょっと傷口開いたかなあ。

8 広いところは、これくらいある。

でも、橋が落ちていて難儀する沢も少なくなかった。

                                             

4これは、道の真ん中に植林したらしい。

道として維持することを諦めたか。勝手に伐れないところが辛いところ。

ともあれ、2時間ほどで降り立った。もう少し涼しくなったら、全コースを歩いてみよう。

2007/09/08

テンプレート変更

発作的に、テンプレートデザインを変更しました。

ちょっと派手? 内容に合っていないかなあ。ま、慣れるでしょう。

木質ペレットの輸出

久しぶりにバイオマスの話題。

7月に、日本がカナダより木質ペレットを輸入し始めたことを紹介したが、実はその前に、日本が木質ペレットを韓国に輸出していることを知った。

発売元は、岡山県の㈱真庭バイオマスエネルギー。今年4月から韓国の建設関係企業へボイラー燃料用として木質ペレットを輸出しているのだ。価格は、キロ20円だという。えらく安い……というか、これくらいではないと海外に売れないだろう。
おそらく日本が輸出したのは、ここが日本で初めてだろうが、すでに1000トン以上になっているそうだ。まだ注文は、2000トンばかりあるそうだ。
もっとも韓国では、以前から欧州やカナダから燃料用に木質ペレットを輸入している。ただ為替や船運賃高からコスト高になってきたので、日本の製品もターゲットになったのだろう。

ちなみにこの会社、母体は銘建工業だが、そこでは国産材製材も始めているとはいうものの、基本的にはヨーロッパのホワイトウッドを利用した構造用集成材を作っている。その木屑が木質ペレットの材料だから、ペレットもホワイトウッド製ということになる。まさに世界を駆ける木屑だ。
なお銘健は、もともと自社や近隣工場のボイラーでペレットを燃やして発電と熱需要をまかなっているはず。ただ夏は必要量が減るので、余剰分を韓国輸出に回したのだという。年間生産量は、約1万5000トン前後。この稼働率を支えるためだろうが、それでは冬期はどうするのか。安定供給しないと、出荷先も困るはず。今はお互いが試験的な扱いなのだろうが、今後の課題だ。

それにしても、木質ペレットも貿易対象となると、本当に二酸化炭素削減に寄与するのかなあ。

2007/09/07

フリーランス

娘に“インタビュー”された。

学校の「働く人にインタビュー」という宿題を、身近、というか身内で済ませようという姑息な魂胆である(-o-;)。

「どんな職業ですか」
「フリーター」
「どうしてなりましたか」
「なりゆき」
「仕事で嬉しいときは」
「ごっそり儲かったとき」
「仕事でつらいことは」
「編集者と喧嘩したとき」

どの返事も却下された。どれも本気で応えたんだけど。だって、いつ仕事があるのかわからないのだからフリーターではないか。以前は、「フリーの失業者です」と答えていたこともあるのだ。

先月、テレビ出演した際に、キャスターの蟹瀬誠一氏とご一緒したが、最初の挨拶で
「えっ、フリーで書いているの? 書くだけで食べて行ける?」
と聞かれた。それからも、「最近は本も売れない時代だしねえ」「新書は定価が安いから印税も少なくなるよねえ」といった会話が続き、盛り上がった(^^;)。

もちろん蟹瀬氏は、今や明治大学国際日本学部長という肩書があるし、テレビの仕事も手広くやりつつ執筆も多い。六本木の高層ビルに事務所も持っている。それでも、安定した立場ではないのだろう。

若い世間知らず(!)の人は、「フリーランスで執筆活動しています」というと、なんだかカッコイイと思うようだが、一般的には「フリーランス」とは不安定でリスキーな職というイメージの方が広がっている。実際リスキーだし、収入も不安定なんだが、自己責任で自由な立場を楽しんでいる。さもなきゃ、続かないよ。

ちなみに娘の宿題は、結局耳障りのよい応答に書き換えられた(@_@)。で、最後に
「今の仕事に満足していますか」
「やめられまへんなあ~」
「若い人たちに一言」
「勉強しろ。好きなことは命懸けで勉強しろ」

この言葉も却下された。

2007/09/06

殺人スギ花粉?

夏前に、NHKの深夜番組で「怪奇大作戦セカンドファイル」をやっていた。

昔懐かしい(懐かしい、ということは年がわかる。「ウルトラセブン」の後がま番組だもの)円谷プロの番組のリメイクだ。雰囲気は、昔そのままで音楽まで同じじゃないか。
ともあれ3作あったうちの1作が「人食い樹」だった。

簡単に紹介すれば、人が植物になってしまう……という奇怪な事件を追っているうちに、女性の植物学者と殺人スギ花粉に行き着くのだ。しかもそのスギは、人間の遺伝子が融合している。植物になった人間は、また花粉をばらまき、人間をほろぼそうとしていた。

ちょっとチープだけど、なかなかよくできた作品だ。見ていて子供時代の感覚を思い出してゾクゾクした。
昔の作品にも花粉を浴びると死ぬ、という作品があったけど、それを花粉症と引っかけて現代版にしたのだろうか。

それにしても、スギ花粉は嫌われたものだ。そこで気になるのが、林野庁が発表させた「スギを10年で半減させる」という政策である。来年度の予算案に26億4600万円盛り込まれている。これは花粉症対策らしい。

どうもよくわからないのだけど、全国にある450万haと言われるスギの人工林を半減させるという意味なのか、首都、近畿、中部、北九州の都市部に流れ込む花粉の発生源9万5000haを半減させようということなのか。
前者だったら、あまりにも馬鹿げた計画(林業を壊滅させる気か!)だし、後者なら都会の花粉症患者だけのために税金使って木を伐る気? と問いたい。所有者には1ha当たり20万円払うそうだが、これを手切れ金に林業やめなされ、というのだろうか。
なお都会に飛んで行く花粉の発生源であるスギが、森林林業として伐るべき木とは限らない。木材として出荷できなくても伐れ、というのは産業的なモラルハザードだ。
だいたいスギを半減させても、花粉の量は2割減る程度だという。林野庁が花粉症対策のために林業を殺す政策を推進するなんて、いつから厚生労働省の下請けになったのかね。林野庁は、実は林業嫌いということか。

スギの立場からしたら、それこそ殺人花粉を出したくなるのではないか。だいたいスギを伐っても、今度はヒノキ花粉が強くなると思うよ(@_@) 
また伐採跡地には広葉樹を植えるというが、まず無理だろう。もしかしたらヤシャブシが繁茂するかもしれない。ヤシャブシは荒れ地に生えるパイオニアツリーであるが、この花粉はスギの何倍も強烈な花粉症を引き起こす。

どうも樹が人を食うのではなく、林野庁の発想が人を食っているのではないか。

2007/09/05

林業の祖・甲賀杣

昨日、左手の親指を手術。そのため手が包帯でグルグル巻き。しパソコンのキーボードが打ちにくいだろう、明日からの原稿はどうするのだ、と悩んだが、その練習のようなつもりでプログを書き出したら、案外サラサラと書ける。強く打鍵すると響くけど。

というわけで更新しているわけだが、閑話休題。

甲賀杣という集団を知っているだろうか。

甲賀、つまり滋賀県の湖東、忍者で有名な甲賀地域に存在していた山の木の伐採・加工集団だ。これまでは8世紀ごろに誕生したとされていたが、このほどさらに100年遡る7世紀に存在していたらしい遺跡が見つかった。斧で伐採して、加工した巨木が見つかったのだ。

なにしろ直径1m以上のスギを、斧で伐ったのだ。そしてくさびで割って板を作ったらしい。
「甲賀山」「甲賀山作所」とも呼ばれたらしい。彼らがいなければ、奈良の東大寺や石山寺の造営はできなかっただろう。今で言えば、素材生産と製材を担っていたわけだ。

かつて甲賀は、巨木の産地だった。そこで木材の生産に関わる集団が生まれたとなると、日本林業の生誕地は甲賀であり、甲賀杣こそ林業家の祖と言えるだろう。

2007/09/04

キャッシュフローと林業

日付が変わって、昨日は、森林ビジネス塾。今回のテーマは会計である。

講師は、環境会計の大物で、監査法人の公認会計士でもある。森林認証制度にも詳しく、林業には通じた人だ。

そこで会計と財務の考え方の、基礎の基礎を解説してもらったわけだが、なかでも私が面白く感じたのは、「キャッシュフロー計算書」の話。
これまでの会計は、損益計算書と賃借対照表だけだったが、今ではキャッシュフロー計算書が義務づけられている。これは、現金の流れに注目したもので、売り掛けとか手形などの見かけの収入や支出ではなく、実際の金の出し入れである。これが非常に重要になってきたのだという。

そこで現金の種類は、3つある。まず営業活動。売上と、商品の原材料費などのことだ。
次に投資活動。設備投資や融資などである。
そして財務活動。簡単に言えば、借金とか助成金である。親会社や行政が、出してくれるものだ。

では林業は、というと、その金の流れはほとんど財務活動ではないか、と思った。だって補助金づけだもの。売上だって、補助金を除くと8割は減る。投資の返済も補助金頼み。投資する人もいなければ、純粋な営業活動も低調。

しかし財務活動が増えると、最後は破綻するのだそうだ。つまり……。

一度、日本林業全体のキャッシュフローを調べてみると面白いかもしれない。お金は循環せずに、一方向に流れてダダ漏れという実態が浮かび上がるのではなかろうか。

2007/09/02

屋久島の「小杉」

屋久杉とは、樹齢1000年以上のスギを指し、それ以下は小杉という……この定義は、わりと広く知られているだろう。たいてい屋久杉の凄さを表すための解説に登場するのだが、では、小杉は使い道がないのか?

「縄文杉に逢うツアー」の帰り、車が島の周回道路を走っていると、公民館のような施設の入り口に、大きな垂れ幕?があった。正確には覚えていないのだが、

「小杉の将来を考える会」といった言葉だったと思う。
どうやらその晩、シンポジウムか講演会か開かれる様子である。私は、思わず「止めてくれぇ」と言いたくなった。その会に顔を出せないかと考えたのだ。
もちろん現実には身体は疲れているし、団体行動の中で、そんなことが許されるわけもなく、通りすぎたのである。

屋久島では屋久杉の大伐採が行われたが、その跡地にはちゃんと植林が行われている。樹齢はおそらく30~40年程度だろうが、人工林もかなりの面積あるのだ。もちろん質は屋久杉とは全然違うが、将来の木材資源となるのは間違いない。その将来を考えることも大事なことだ。

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 人工林内を延びるトロッコ道                                            

                                             

                                            

九州森林管理局によると、2006年度に行った屋久島の人工林材を島外出荷事業の結果は、赤字だったそうだ。同じく行った対馬からの出荷は黒字である。ただ森林整備の名の元に間伐補助金が出ているから、実質的には収益が確保されたそうである。
補助金込みで売上を誇られても困るのだが、とりあえず出荷努力は進めているようだ。

島の林業という点では、島根の隠岐などは、昔から本土に木材を出荷している。外材が海から来ることを考えても、決して不利とは言えないだろう。ただ屋久島も鹿害が多いようだし、温暖湿潤のため雑木雑草の生長もよいだろう。

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ツリーシェルターに納められたスギ苗
実験的に行っている。                                             

                                            

                                             

屋久杉は、事実上伐採できないのだから、今後の屋久島の資源は小杉である。土埋木など屋久杉の残滓にいつまでも頼るべきではない。

2007/09/01

大台ヶ原の入山制限

9月1日は何の日か。もちろん防災の日など、いろいろあるが、ここでは環境省が画期的な入山制限を始める日であるこを紹介しよう。

奈良県の大台ヶ原は、標高1500mから1700mの台地で、昔から魔の山、精霊の棲む森扱いされていたが、今ではスカイラインもできて訪問者が数多い自然公園である。大きく分けて奇岩と大絶壁、立ち枯れ草原で知られる東大台と、苔むした原生林の残る西大台がある。

今回、西大台に入山制限が設けられた。1日平日30人、土日50人まで(夏や春・秋のシーズンは、多少拡大する)。それも事前申込が必要で、お金(1000円)も取る。入る際もレクチャーを受けなくてはならない。当日受付はしないから、実質的に一般登山者の締め出しとなるだろう。

なぜ、こんな措置を取るかと言えば、オーバーユースが心配だからだ。そもそも現在は笹原が広がる東大台も、以前は苔むした原生林だった。それが台風による倒木や鹿害などで開けてしまった景観なのだ。このままでは西大台も同じことになる、という心配を、NPOと環境省がして、こうした政策を取ることになった。

これまで西大台は、景観としては地味なので、さほどトレッカーが多いとは思えなかったのだが、徐々に増えてきたそうだ。たしかに苔むした深い森は、もののけ姫の舞台になってもおかしくない。わざわざ屋久島までロケハンに行かなくても……と思うほど(ただし、こちらは落葉広葉樹林であり、照葉樹林ではない)。
それにしても、オーバーユースと言えるほどだったろうか? 多少疑問だ。東大台の事情を風害や獣害を無視して、人だけを問題に取り上げるのもどうか。だいたい人を入れずに自然を守るんだ、という発想は、やはり理学生物系の人間を隔離したがる原生環境至上主義だなあ、と感じてしまう。

それでも、環境省の英断だと言ってもいいだろう。これまでは、常に横やりが入りそうな政策は避けていたからだ。前回くさした環境省だが、ここでは褒めておく(^^;)。

この大台ヶ原を明治期に聖地にして大台教会を築いた男がいる。古川嵩だ。彼は、当時はまだ大台にはいたニホンオオカミと語り合い、3カ月間一緒に暮らしたという、もののけおじさんなのである。ここでも、屋久島との共通項がある。実は古川のバックには土倉庄三郎がいて……という話もあるのだが、今回はパス。

ところで屋久島である。屋久島で縄文杉ツアーに参加した際、ガイドが大台のことを尋ねてきた。入山制限のことは知らなかったが、気になる存在のようだ。縄文杉コースも、そのうち入山制限の必要が出るかもしれない。今以上に登山者数が増えたのなら……。すでに登山者が撫で回すのか、傷んだ苔も目についた。

環境と観光。両立の狭間で人は悩み続ける。

Photo_2 

これは大台ヶ原の苔むした森

                                                     18

こちらは屋久島のウィルソン株

                                              

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森と林業と田舎