田舎の自治力
先日、講演の打ち合わせで、山村への問題提起として何を話すべきか、と担当者と話し合った。先方は、林業の先行き的な話を想定していたようだが、正直言って、そんな話しても山村は動かないのではないか、と思えた。
いくら世界的な林業動向を語り、日本の林業は今がチャンス! と訴えても、そのチャンスを捉えるための改革意欲に乏しいし、改革には痛みもあれば資金・人材なども必要だ。それらを乗り越えるのは、今の山村には至難の業かもしれない。
むしろ、将来のあり得る選択肢を示すことで、どう進むか(痛みを甘んじて改革するか、安楽死?するか)は、当事者が考えてもらう方がよいのではないか……。
私は、時として、やる気のない田舎社会を批判することが多いが、もともと農山村には都会以上の自治能力が備わっていると思う。都会では、道路や公園の掃除も行政の仕事であり、問題があれば解決を行政に迫ることが多い。しかし田舎では、はなから行政に頼る前に自分たちで対策を考えてきた。
公園の掃除等はもちろんだが、隣人トラブルも寄合で結論を出してしまう。それは、たまに村八分のような行き過ぎの私的制裁(リンチ)も起こり得たが、逆に講のように危急の家庭に援助の手をさしのべることもあった。
今も、集落の寄合で決したことが、議会より優位となる地域は少なくない。議員よりも集落の役員の方が力があるのだ。議会は追認するしかない。また災害時には、行政よりも先に自治組織が動くのも当たり前だ。
残念ながら、そうした自治力は、戦後弱まってきた。農山村地域の経済力が落ち、高齢化・過疎化がそれに拍車をかける。また慣習的な活動が改革を阻止する面もあるし、
公的社会の法律との整合性が問われることも起きた。
そして何よりも、行政からの莫大な補助金のバラマキが、自治力を破壊した、と思える。今や、何でも行政に頼る気持ちは、都会より強まったところも多いのではないか。それこそ自分の田んぼの畦道を作るのにも補助金を要求してしまう。痛みに弱い体質になってしまった。
しかしまだ田舎社会は、かつての自治の片鱗は残っている。最初から自治意識がなくて、ゼロから築かなくてはならないニュータウンよりも、よほど有利だ。
今なら選択できる。痛みを乗り越えるか、あるいは痛み止めだけを処方して安楽死を覚悟するか。
……こんな話をしたら、嫌われるかなあ。
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田中様
痛いほどわかるんです。
でもそれを言っても嫌われるだけですね。
田舎が元気な時代だったらそれができたんですが、あまりにも若者の流出が激しすぎました。
山には都会に行った若者が帰ってきません。少子高齢化も大きな問題ですが、都会に行った若者をどれだけ、田舎にもどせるかそこが問題です。
私はふるさと納税みたいなことより、ふるさとにある一定期間もどれば、所得税免除の方がいいと考えています。
都会に出た若者の技術が活かせる環境を整備することが受け入れる行政の仕事になるんです。
投稿: 海杉 | 2007/09/28 10:20
やっぱり嫌われる「だけ」ですかね。
嫌われてもいいのだけど、そっぽを向かれては意味がない。穏やかに縮小させていく安楽死と、活性化に汗を流すこと、そして自分たちではできないのなら、ヨソモノに入ってもらって活性化してもらう……こんな選択肢を示すのはどうでしょう。
投稿: 田中淳夫 | 2007/09/28 11:55
はじめまして。いつも拝見させていただいています。
「ヨソモノに入ってもらって・・」の場合、地域文化を尊重してとか、いろいろ手法に苦労して、地域住民の反発をなるべく買わないようにとか工夫が必要だと思いますが、
地域住民を自然環境とみなして、森林施業に求められている「生態系の保全」と考えることはできないでしょうか?
地域文化やその地域の暮らしは、その地域に住んでいる人たちの暮らしそのものですから、ヒトもいきものですから、自然界の生態系であるといえる。そんなイメージで取り組めば、地域住民とのいさかいも少なくなったり、急激な変化で地域住民が受け入れないなどということは減少するのではないでしょうか?
投稿: トニー | 2007/09/28 12:52
力、まだまだ残っていると感じます。
ただ、「役場はあてにならんで。とりあえずそっちでがんばり~」ってゆうのではなく、
たとえば、「ここの地区から早死者をださないぞ」、とかの目的と、「そのために検診受けて、活用を」とかの方法をはっきりすることが大事なのでは、と。
不勉強でなに言うか、てかんじですけど、これからとても大事な力だと思ってます。
ただ、その力が大事にされるのは、生き残るという選択のために、が前提だと思うのです。
投稿: とんばらじん。 | 2007/09/28 13:49
トニーさんも、とんばらじん。さんも、言わんとすることは、同じかもしれません。
ヨソモノを入れるにしても、地域のサバイバル力を引き出すにしても、それなりの理論武装?も必要だし、気持ちよく参加する仕掛けがいる。そのためのコーディネートこそが、これからの役所の仕事ではないですかね。
地域の自治力、ヨソモノの突破力、そして行政の調整機能がうまく働かせられれば、田舎の将来も捨てたものじゃない。下手なニュータウンより明るいかもしれない。
……こうしてコメントをいただきながら思考実験を重ねていくと、講演内容が固まっていく気がするなあ(笑)。
投稿: 田中淳夫 | 2007/09/29 00:26
田中様
講演といえば、また宮崎に来ていただける噂を聞きました。楽しみにしています。
大切な友人を亡くした私に別の友人は、こう語ってくれました。彼は、いなくなり彼の姿は見えないけれど、彼の意思を継ぎ、私が動くことで皆の心の中に彼を見つけることができる。
風は見えないけれど、木々がざわめくことで人は風の存在を知る。
見えないものを見せようとするには、何か媒体が必要です。
理解されなく焦り始めるとどうしても一か八かとなってしまう自分がいます。少しずつ小さな積み重ねが大切だとわかっていてもです。
考えればまだまだ良い方法が見つかるはずです。
投稿: 海杉 | 2007/09/29 14:50