「もてなし」の対価
最近、「もてなし」ブームなような気がする。
とくに接客業では、「もてなしの心」が強調され、ハウツウや精神論、そして「もてなしのプロ」による経験談とか成功談の本が書店の書棚に並んでいる。
またNHKの朝のテレビドラマ「どんと晴」は、盛岡の老舗旅館の話で、この半年間、延々ともてなしを追求し、旅館の危機を救ったのも「もてなしの心」だったりする。最終回は噴飯ものであった、外資の乗っ取り屋まで「もてなし」に屈するのだ(^^;)。
だが、その老舗旅館の宿泊料金はいかほどだろう。最低でも1泊4万円くらいか。上はどこまでいくやら。誰でも泊まれるところではない。ちゃんと「もてなし」には対価が要求されるのである。所詮は、金持ちだけを対象とした「もてなし」か、と悪態をつきたくなる。
当たり前の話だが、もてなすのは、客を喜ばせて次も呼ぶためであり、ビジネスであってボランティアではない。「客の喜ぶ顔を見るのが楽しみ」という部分は、オマケだろう。
そんなことを考えたのは、今度岩手に出かけて、盛岡でも1泊するのだが、そのための安いホテル探しをしたからだろうか。
対価について考えた理由は、もう一つある。拙HPに講演に関するエッセイを載せているが、そこで禁断の講演料について触れている。書いた時は、あまりに馬鹿にした金額が続いたせいもある(大の大人を遠くまで呼んで、丸1日拘束して、実質数千円!)が、最近ここを読んで依頼してくる人が増えてのだ。
いや、冷汗(;^_^A
私の方針は、仕事に見合った対価を、対価に見合った仕事を、である。対価というのは金額だけではないが、「精神」だけでもない。相手の思い入れも要素になるし、私が行きたい地域なら、旅費だけでよい、ということもある。だいたい自ら手がける取材では、自腹を切って訪れるのが普通であって、そこでは取材で得られる情報が対価ということになるだろうか。
『割り箸はもったいない?』を書く際に、かつての割り箸大量生産地域の現在を知りたいと思って北海道取材を考えたが、それにかかる経費と日数、そしてその取材で書く記事の分量(せいぜい1、2頁分)を天秤にかけると、実施できなかった。それよりは吉野に何回も通った方が有益だろうと判断した。
ただ今も北海道の割り箸盛衰物語は取材したいと思っている。その際は、見合う対価をひねり出して、割り箸本の続編を書くか?
ともあれ、充分なもてなしを受けるだけの対価が払えるように私もなりたいものだ。
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