田舎のもてなし
15,16日と、吉野チェンソーアートスクールの合宿講習。2日がかりでイーグルを作る、上級?講習だ。
その内容に関しては、倶楽部のホームページや関係者のプログに譲るとして、私は、初日の昼間抜け出して、明日香村に行っていた。
これはまったくの偶然なのだが、某編集者と新企画の打ち合わせをすることになったところ、ちょうど奈良に行くので……ということになった。ところがその日私は吉野。すれ違いになりかけたが、実は編集者の奈良行は、明日香村を歩くイベントの引率であった。会員?とともに、里道を歩くわけである。その場所は、吉野アートスタジアムから見て、山一つ越えた裏側。それなら少し昼間抜け出してお逢いしましょう、ということになった。
約束の場所に着くと、ちょうど一行が到着する寸前だった。小雨の中、ご苦労さま、という状態であるが、地元の人々が迎えに出ている。実は、地元に昔の明日香村の景観を取り戻そうと活動しているグループがあって、そこが今回のツアーの受入れもやっている。
私も混じって歓待を受けてしまったのだが、京阪神や関東から見えた一行に昼食がふるまわれた。それが、ちょっと豪華なのだ。紫イモの炊き込みご飯に野菜天ぷらに胡麻豆腐に煮物にソーメン……地の産物でもてなそうという趣旨なのだろうが、ここまでやったらアカンやろ、ツアー参加者を甘やかしたらつけあがるぞ、と思ってしまった(^^;)。
なぜなら、無理な歓待を続けているうちに、息切れして活動まで停滞してしまいがちだからだ。おそらく支払われる給金以上の内容でもてなしている。こうしたもてなしは、受ける方は有り難いし喜ぶだろうが,所詮は行きずり。だがもてなす方は毎度同じ人となり、疲れてしまう。
会長の挨拶も、「何もないところへ、よく来てくださった、申し訳ない」と平身する。これも、ちょっと違うような気がする。ハイキングで来てくれることを喜ぶのではなく、地域に何をしてくれるか見定めないとなあ。
都会の人は、田舎の風景を求めていく。それはいい。が、地元の人は、彼らが風景のために何をしてくれるのか、吟味してほしい。
近頃は、「もてなしブーム」で、いかにお客様に喜んでもらえるか、といったハウツウ本がよく売れているようだが、もてなしにも、対価を要求すべきだ。逆に言えば、対価に見合ったもてなしにしないとサービス自体が続かないよ。
稲穂がおじぎしている。稲刈りまであとわずか。
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