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森と林業の本

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2007/10/09

森の“聞き書き甲子園"と総合学習

今年も、森の“聞き書き甲子園"が始まっている。

森の生活の技術で卓越した人「森の名手・名人」を100人選び、そこに高校生が話を聞きに行く……という趣向。毎年100人なら600人もの名手・名人が選ばれたことになる。第6回ともなると、名人探しが大変だろう……と思ってしまう。ただ今年は、新たに選定した88人とこれまでに選定されている12人と合わせての100人らしい。もともと名人の顕彰というよりは、聞き書きする高校生の教育効果に重きを置いているのである。

ま、そんなことに難癖つけるつもりはないが、今春の森の“聞き書き甲子園"フォーラムで、第5回の選評を述べた塩野米松さんは、「今回はとくに優秀な作品が多かった」と言っている。その理由を考えたところ、「ゆとり教育の成果かもしれない」。

ゆとり教育。今や風前の灯火というか、むしろ否定されている。政府の方針は、再び学力強化に大きく揺れているからだ。しかし私は、塩野さんの言いたいことがなんとなくわかる。インタビュー(聞き書き)力とは、付け刃の知識では身につかない。自ら考え世間全体を見る力が必要だ。自分で調べるという経験を積み重ねないと、他人に話を聞けない。そしてゆとり教育の目玉が自ら調べる「総合学習」だった。

小中学校で総合学習の時間を通過した生徒が、ちょうど今高校生である。総合学習のために一般科目の勉強時間が減った、と一部の保護者や教育関係者に目の敵にされたが、それが森の“聞き書き甲子園"の優秀さを支えているとしたら……。

こんなことを考えたのは、たまたま娘に現在の総合学習について聞いたら、復習の時間に刷り変わっていたからだ。自主学習を過去の勉強を振り返る時間にするとしたら、まさに「ゆとり」は無くなっている。
私が常々娘に言っているのは、「勉強しすぎたらアホになる」であるが、ゆとりをなくしたら考える力は落ちる。

塩野理論が正しければ、数年後の森の“聞き書き甲子園"は、レベルが落ちていくかもしれない。

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