奈良の魅力
昨日に引き続いて、今日も奈良の街。
この連休3日間は、完全に快晴が続きそうで、しかも紅葉真っ盛り。観光客・行楽客は、かなり多い。外国人の姿も目立つ。
奈良の魅力を自然の面から考えると、やはり県庁所在地の都心部に野生の鹿が走り回り、広い芝地と豊かな緑が覆っていることだろう。県庁の目の前に世界遺産に指定されている原始林があるのだ。こんな都市は、日本でもほかにないし、世界でも珍しい。
たまたま知り合った若い女性は、「一人旅で奈良を訪れて、気に入ったので住みついた」と言っていた。これは、すごいことである。いや、一人旅でなく二人旅でも、目的が観光でなくコチラにいる彼氏に逢うためでも何でもよいのだが、訪問者から滞在者へ乗り越えさせた都市の魅力は誇るべきだと思う。
実は私は、近頃総務省だったか国交省だったかが提示している「交流人口」をあまり信じていない。完全に移り住むのではなく、観光などで、その地に通う人を増やすことで地域の活性化を目指すという考え方だ。
正確に言えば、通う人を増やすのは賛成なのだが、それが観光的な訪問だと、経済面だけならともかく、地域活性化にはほとんど効果がないように感じるのだ。それは一方的な関係だからである。金を落とすだけでなく、地域で稼ぐビジネス関係まで行って、ようやく本当に活性化とか分かり合えるのではないか……と思う。
だから移り住んで、コチラの会社に勤めている彼女は、奈良の本当の魅力を知っているのだろう。
今日は夕日が美しかった。そして満月は夜の森を賑やかにしていた。
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コメント
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交流人口について。
うちの町もそういう流れなんですけど、
たぶん、これがあまり良い印象でないのは、
「待ってる」からではないかと思います。
「待って」いると、そのうちその人に合わせるようになる。どうしたら、来てくれるかな?って。
それはそれで大事なんですけど。
ちょっと前、町のえらい人が、
「こどもたちが誇りをもてるような町にしなければならない」みたいなことことを、言っとられましたが、それは言うたらあかんやろ、って思いました。
なんで、今この状態を誇らないのか、ってこと。
外からのひとをあてにするから、こういう発想になるような気がします。
やっぱり、ここに住んでる人がなんとかしないと。
定住に関しても同じことを思います。
ひねくれてます。
投稿: とんばらじん。 | 2007/11/25 10:36
「待ってる」。なるほど、どうしても受け身になりますね。
たまに来訪者を必死にもてなしすぎる田舎がありますが、結果的に訪れる人にヨソモノ意識を植え付ける気がする。もっと自然体の方が喜ばれるのに。
ヨソモノ意識のままだから、無責任になる面もあるような気がする。
投稿: 田中淳夫 | 2007/11/25 13:14
奈良とか京都とかの魅力は伝統や文化が継承されているところだと思います。それは、住民たちが保存するために行っているものではなくて、自分のライフスタイルや経済活動(商売そのもの)の中で行われているのだと思います。古都奈良の修景は、至る所に木が使われています。それに対して京都は金属やコンクリートを木の代わりに使っていたりしてちょっと違和感を感じることがあります。修景を大切に考えれば、木材を使うのが当たり前で、木材の維持管理に掛かる経費など、交流人口の消費でペイできるのではないかと思います。
宮崎の海杉さんのブログにも投稿させていただきましたが、国産木材を高い見識と見地とセンスを持った方々がこれまでの伝統文化と現在の要素を組み合わせた使い方をしていただければ、日本国の伝統文化が素直に発展していくでしょうし、外国人に対しても、アピール性が高まることと思います。
奈良に行って、何か安心するのは奈良が古来から育んできた伝統文化そのものだと思いました。
なんか、理屈っぽくなってしまいました。本当は、冒頭にも書いたように、生活そのものであって理屈ではないのでしょうけれど・・・。
当然、京都の人も奈良の人も自信と誇りを持っているような気がしました。(観光地の人ですけど)
投稿: トニー | 2007/11/26 18:23
トニーさんは、京都の人なんですか。京都も奈良も、歴史・文化の蓄積は他の追随を許さないと思いますよ。
一方で自然景観は、奈良の方が優れていると感じます。その代わりに経済的には立ち遅れましたが…。
もちろんそれは、何も意図したのではなく、奈良人にとっては悩みの種なのです。それが魅力になっていることを「ヨソモノ」が、もっと伝えてほしいですね。
投稿: 田中淳夫 | 2007/11/27 23:26
すいません。私は静岡の人です。お茶の産地ですから、静岡のような生産地一辺倒と宇治などを始めとする商業消費地である京都をどうしても比較してしまいます。たしか奈良県の橿原市には大変変わったお茶の生産と喫茶の方法が継承されていると記憶していますので、一度訪問してみたいと思っています。
それにしても、奈良とか京都とかは、その地域がかもし出している雰囲気に安心感やドキドキ感を同時に味わうことができたりします。きっと、それが「地域の力」そのものなのだと思います。
今、木材の業界でも県産材とか地産地消とかいってますけど、消費量は生産地には少ない。消費量が多くなる可能性があるのは、都市部なのですから、都市の修景とか家屋とか、家具とか、消耗品とか消費の奪回が必要だと思っています。地域消費にあまりにもこだわるのではなく、「国内産の木材程度の括り」で考えていけないものでしょうか。
サザンの桑田とかユーミンとか清志郎とか国産割り箸を使わないかな。雑誌取材のときとかブログとかで宣伝してくれないかな。ヨン様とかでも・・・。
投稿: トニー | 2007/11/28 08:23
静岡と奈良は、意外と関係が深いですね。
お茶の生産は、奈良で始まり、今は静岡が大産地になりました。林業も、天龍林業は吉野林業を取り入れている。それに私が静大出身だし(笑)。
地産地消も、小規模なうちはいいですが、あまり大声になると矛盾が噴き出ます。
投稿: 田中淳夫 | 2007/11/28 10:23