消えた黄葉風景
この写真を覚えているだろうか。
昨年の11月に、旧ブログ(現・裏ブログ^^;)に掲載した景色である。
ある奈良の袋小路のような谷間の集落に入ってみると、そこには美しい“日本の秋”が広がっていた。とくに気に入ったのが、このイチョウ。思わず、うっとりした。
この景色を今年も見たくて、また車を走らせた。
? ない。見落としたかな? 車を反転させてもう一度。やはり見つからない。
おや、この家屋は覚えがある……が、イチョウがない!
あわてて車を降りて、近づく。
切り株があった……。
伐られてしまった。なんでだろ。別に家屋(庫裏のよう)側に倒れそうな様子もなかったが。あるいは台風にやられたか。まさか木材として高値で売れたから…とは思いにくい。
あの景色が失われたのは残念だなあ。そのように感じるのはヨソモノゆえか。でも資源としての景観が失われたわけで、地元の人も望んで伐ったわけではないだろう。
この地区は、実は最奥部にトンネルが掘られている。来年には開通するが、そうなると袋小路ではなくなるわけだ。何処も変化する。
惜別の気持ちをこめて、昨年の写真を、今再びパソコンの壁紙にしよう。
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コメント
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うっとりするようないい風景。
子供の頃は、こんな景色に囲まれていたように思います。
通学の電車の窓から、田舎に遊びに行く列車の窓から。
下の写真には、かなりショックを受けました。
切り株に至っては、・・・
いちょうの悲しさが伝わる思いです。
当地でも、深大寺近くの神代植物公園のはずれに、4本の柳の大木がありました。
5差路の交差点に面しているため、伐られることになったのですが、住民有志の方々のお陰で残されることになり、安堵した過去があります。
今では交差点の1部の景色として、立派に共生しています。
伐る必要は何もなかったように。
見渡してみれば、無造作に不必要な伐採にあっている桜や欅などの街路樹など、無惨な切り株にされているものが、あちこちに見受けられます。
行政は、壊してしまえば数年間元に戻らないことをよく踏まえて、ことにあたって欲しいと痛切に思います。
深大寺の参道は、昔、藁葺き屋根の家が並んでいたそうです。
現在、上の柳の延命運動の中心になった方のご実家のみ残されているのですが、今になって、藁葺き屋根の家が珍重され出し、住民の方々は後悔されているそうです。
何事も、広く永い目で物事を考えなくてはと、つくづく思います。
いちょうの件の事情はわかりませんが、思いついたことを並べ立てました。
投稿: 高木 幸子 | 2007/11/07 17:03
私の行ったイチョウ跡地は、街路ではないし、近くにイチョウの大木があったら困るような施設もなく民有地ぽいですから、行政が関わって伐採したのではないと思いますが…。
やはり倒れかかったか枯れたんですかねえ。
ちょうど稲刈りが終わり、稲干しが行われていたんですが、昔ながらの干し架ではなく、ガードレールに稲穂を干しているケースを多く見ました。たしかに、その方が楽(^o^)。でも、景観としては味気なくなりました。
景観を維持するのは、何かと手間のかかることです。
投稿: 田中淳夫 | 2007/11/07 23:24