偽の一年と「うちの新聞…」
大晦日である。わりとのんびり過ごしているが、せっかくだから一年の締めくくり(^o^)みたいなことを書こう。
「今年の漢字」は、偽だったとマスコミは騒いでいる。たしかに数々の食品偽装が続いて世間を騒がせた。ただ、今年が例年になく偽装が多かったわけではない。問題となった店や企業は、何年、何十年も前から偽装を続けてきたのであって、今年はそれがバレた年だというにすぎない。そして、なぜ世間に知られてしまったかというと、大半が告発、それも内部告発だったらしい。
私は、非常によい傾向だと思っている。日本人は、内部告発を嫌う空気が強い。裏切り者という烙印さえ押される。言い換えれば、同じ組織の一員が組織の事情を告発するのは仲間に対する裏切りだと感じるのだろう。正義よりも組織の論理優先である。
私が勤め人だった頃、その会社が発行している冊子や書籍、そして新聞を他人に示すときに、つい「うちの新聞…」という言い方をしてしまうことがあった。
私は、口にしてから「いや、違う。これはオレの新聞じゃねえ!」と心の中で繰り返していた。「うちの…」という表現は、自分と会社組織を一体として認識しているから出るのだろう。しかし、会社を「うちの…」と表現できるのは、経営陣、少なくても取締役以上だけだ。一介の社員が「うちの…」と口にするのは社畜か奴隷に成り下がった証拠だと思っていた。私は、あくまで労働者として、賃金と引き換えの労働によって新聞(冊子、書籍)を製作することに関与しただけである。契約関係としてのマナーや義務はあるが、自分の一部のように表現するのは、自分自身に対して許せなかった。
だから、自分が所属している会社(組織)に、何か法的不祥事が起きたら、真っ先に告発してやろうと虎視眈々と狙っていた(笑)。自分の行動において一つの組織をぶっ潰せたら、面白いではないか……。
まっ、私が知り得た会社の秘密とは、上司の不倫を巡る騒動くらいのものであったので、結局何もなさぬまま退職した。今は、どこにも属していないから、そうした楽しみはない。仮に告発したって内部から行うより破壊力が落ちるだろう。その分だけ、むしろ慎重になって一発必中を狙っている。オイオイ…。
残念ながら? 今だ日本の社会は、何かにつけ「うちの…」と口にする人は多い。普段は自分の属する組織の悪口を言っていても、外部から悪く言われると、途端に弁護し反発する。そんな小心なことは、経営陣クラスになってからにしなさい。
自分が属していようといまいと、自分の価値基準をしっかり持っていれば、悪いことは悪いと断言でき、心を揺らさずににいられるのだ。内輪の意識を持っていると、つい弁護側の論理を展開するが、視点を外部に置いて眺めれば、それが許されることなのかどうか一目瞭然でわかる。そして告発できる。組織を裏切る? そんなことは小さなことだ。
もちろん、告発することで自分自身に被害を及ぶことは避けたいが、かといって自分の利害のために口をつぐむことのカッコ悪さの方を私は避けたい。そんなの関係ねえ! という言葉はこういう時に使ってもらいたい。
新年も、告発は続くだろう。ようやく日本人の意識が変わりつつあることを感じる。
ちなみに林業・木材業界も、実は偽だらけだ。産地偽装やら材質偽装はざらにある。さらには樹種偽装もある。とくに外材の樹種表示はデタラメもここに極まれり。また杉と大きく書かれた外材商品がホームセンターには並んでいる。口にするものではないから消費者も甘いのか。業界の方々、油断なさらぬよう。そのうち告発する人が出ますよ。
以上、えらく重い年末の辞でありました。
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