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2007年12月

2007/12/31

偽の一年と「うちの新聞…」

大晦日である。わりとのんびり過ごしているが、せっかくだから一年の締めくくり(^o^)みたいなことを書こう。

「今年の漢字」は、だったとマスコミは騒いでいる。たしかに数々の食品偽装が続いて世間を騒がせた。ただ、今年が例年になく偽装が多かったわけではない。問題となった店や企業は、何年、何十年も前から偽装を続けてきたのであって、今年はそれがバレた年だというにすぎない。そして、なぜ世間に知られてしまったかというと、大半が告発、それも内部告発だったらしい。

私は、非常によい傾向だと思っている。日本人は、内部告発を嫌う空気が強い。裏切り者という烙印さえ押される。言い換えれば、同じ組織の一員が組織の事情を告発するのは仲間に対する裏切りだと感じるのだろう。正義よりも組織の論理優先である。

私が勤め人だった頃、その会社が発行している冊子や書籍、そして新聞を他人に示すときに、つい「うちの新聞…」という言い方をしてしまうことがあった。
私は、口にしてから「いや、違う。これはオレの新聞じゃねえ!」と心の中で繰り返していた。「うちの…」という表現は、自分と会社組織を一体として認識しているから出るのだろう。しかし、会社を「うちの…」と表現できるのは、経営陣、少なくても取締役以上だけだ。一介の社員が「うちの…」と口にするのは社畜か奴隷に成り下がった証拠だと思っていた。私は、あくまで労働者として、賃金と引き換えの労働によって新聞(冊子、書籍)を製作することに関与しただけである。契約関係としてのマナーや義務はあるが、自分の一部のように表現するのは、自分自身に対して許せなかった。

だから、自分が所属している会社(組織)に、何か法的不祥事が起きたら、真っ先に告発してやろうと虎視眈々と狙っていた(笑)。自分の行動において一つの組織をぶっ潰せたら、面白いではないか……。

まっ、私が知り得た会社の秘密とは、上司の不倫を巡る騒動くらいのものであったので、結局何もなさぬまま退職した。今は、どこにも属していないから、そうした楽しみはない。仮に告発したって内部から行うより破壊力が落ちるだろう。その分だけ、むしろ慎重になって一発必中を狙っている。オイオイ…。

残念ながら? 今だ日本の社会は、何かにつけ「うちの…」と口にする人は多い。普段は自分の属する組織の悪口を言っていても、外部から悪く言われると、途端に弁護し反発する。そんな小心なことは、経営陣クラスになってからにしなさい。

自分が属していようといまいと、自分の価値基準をしっかり持っていれば、悪いことは悪いと断言でき、心を揺らさずににいられるのだ。内輪の意識を持っていると、つい弁護側の論理を展開するが、視点を外部に置いて眺めれば、それが許されることなのかどうか一目瞭然でわかる。そして告発できる。組織を裏切る? そんなことは小さなことだ。
もちろん、告発することで自分自身に被害を及ぶことは避けたいが、かといって自分の利害のために口をつぐむことのカッコ悪さの方を私は避けたい。そんなの関係ねえ! という言葉はこういう時に使ってもらいたい。

新年も、告発は続くだろう。ようやく日本人の意識が変わりつつあることを感じる。

ちなみに林業・木材業界も、実は偽だらけだ。産地偽装やら材質偽装はざらにある。さらには樹種偽装もある。とくに外材の樹種表示はデタラメもここに極まれり。また杉と大きく書かれた外材商品がホームセンターには並んでいる。口にするものではないから消費者も甘いのか。業界の方々、油断なさらぬよう。そのうち告発する人が出ますよ。

以上、えらく重い年末の辞でありました。

2007/12/30

温故知新

今日は、仕事始め(*^^*)。とは言え、昨日の片付けも続いている。とくに本は溢れているのだが、今年は山村関係が多かったようだ。まだ読んでいないものもすくなくない。
つい、読んでしまう。なかには木地師の誕生と発展に関したものもあった。

発祥の地とされる近江は、かつて奈良の都や京の町を建設に使われた木材の産地であり、加工を業とした。いわば林業と木材産業が展開された土地である。

そうかんがえると、林業から木地、つまり木道具づくりまでが繋がっていることを如実に感じる。

当たり前? そう、当たり前である。しかし、いまの日本ではうまく結びついていないのではないか。
木の生えている山と加工地が離れ、さらに建築材と家具や道具も分かれ、時に材料の産地も違い、外材も混ざり、人の意識までバラバラになっていはしまいか。
ちょうどこの一年、森林から木材へ、木材から建築材、そして木から作られる小物(とくに割り箸)へ目を向けたが、やっぱりすべてをつなぐところから考えるべきだろう。

2007/12/29

仕事納め・仕事始め

ここ数日、どうせどの仕事も締め切りは年明けだ、とのんびり過ごし、今日は仕事場の掃除というか、片づけ。積み上げていた資料類を整理していた。仕事納めである。

その間から、忘れていた仕事の依頼書が見つかった(@_@)。

仕事始めは明日にしよう…。ちょっとやばいぞ。まあ、ほかの約束していた原稿を飛ばすという手もあるが、マジメに仕事しないとね。

ダラダラすることは、時間を無駄にしたということかもしれない。
だが、無駄の効用と言えなくもない。きっと順調に書いた時と、切羽詰まって書いた原稿とは内容や出来が違っているはずだ。そして、どちらがよいとも言えない。

よし、大晦日から新年までは仕事をしよう。一年の計は元旦にあり、というのだから、仕事師ながら新年を迎えるのもおしゃれ? さて、守れるかな。

2007/12/28

環境の“古書市”

地元のデパートで開かれた古書市を覗いてきた。

稀に見る不作で、買いたくなる本がない。それでも幾冊か無理して買ってしまったのが性だが…。もっとも日を代えて覗くと、とたんに買いたくなったりする。前回発見できなかった、あるいはその後新たに入荷した場合もあるが、こちらの気持ちの変化もあるだろう。半年前に興味を持って集めていた情報も、今では必要なくなった・関心がなくなった場合もあるし、その逆も考えられる。中には本の中の書込・署名に価値を見出す人もいるだろう。古い時代の情報(現在はどれほど変化しているか)だから必要なこともある。

古書は、一度買われて読まれてからも、「もったいない」という点から流通している。その対象は紙ではなく、そこに詰まった情報である。それは幾度繰り返しても受け手によって価値を生み出す。

昨年末から年初、そしてこの一年は割り箸とずっと関わり続けてきた。そこで常にテーマとしてあったのが書名にもなった「もったいない?」だった。

日本語の意味としては、「価値を十分に生かせず無駄にしている」ということだが、2005年に日本を訪れたワンガリ・マータイ女史(ノーベル平和賞受賞者)が、この言葉を覚えて世界に広めた経緯がある。おかげで拙著のタイトルを決めるときに、果たして流行りすたりがある言葉か迷った面もあるのだが、幸い今年中は「もった」ようだ。

そして、割り箸に限らず「もったいない」か否かが、環境問題のキーワードになっている。物の価値を活かしているかどうかが、重要である。

日本の森林は、使われることなく消えていく木材があふれている。それは生態系にも影響を与え、二酸化炭素の排出にも関わっている。木材として使うことで、炭素の在庫を増やしたり、生物多様性を保つ一助にしたり、人間社会の経済活動を高めるという考え方もできる。今は価値を見つけ出せないものも、角度を変えて見たり、アイデアを出すことで新たな価値が見つかるかもしれない。環境対策を経済発展につなげる道である。

一度、環境の“古書市”を開いてみたらどうだろうか。今、無駄にしている「もったいない」ものを一堂に介して、それを別の業界で利用できないか検討してもらう。出店するのは、マテリアルとしての資源だけでなく技術も含む。休眠特許とか忘れ去られつつある技術も再利用の場を与える。そこには、古書マニアのようなコーディネーターやインタープリターも必要だろう。遅まきながら、私もその役割を負っていると自認している。

2007/12/27

林野庁選定?

昨日、ついに「森業・山業」の申請書類を事務局に送付した。

おかげで昨日は申請書類づくりの最後の仕上げに追われたが、なんとか年内送付に間に合った。

これで、晴れて来年には吉野チェンソーアートスクールは「林野庁の森業・山業創出支援総合対策事業に選定されました!」という看板を掲げよう(^o^)。正確には、窓口となっている「財団法人都市農山漁村交流活性化機構」の選定と書くべきかもしれないが、まあ、実態は林野庁の事業である。

私が、これを申請しようと思ったのは、スクールが「チェンソーアートという趣味のアクティビティを教えるところ」と矮小化されないよう、という意図がある。これは公的な意味合いのある事業であり、地域づくりの一環なのだ、ということを宣言している。そして、このビジネスモデルは、どこの山村地域でも通用するということを示して、全国に広げる一里塚にしたい。
林野庁選定という看板に、どれほどの威力があるか疑わしくもあるが、少なくても国の機関の認定を受けたというイメージは大きい。

この過程では、県も窓口の機構も、みんな親切にしてくださって、また多くの人の支援も得て、ようやくこぎ着けたと言える。ただ今になって感じるのは、「こんな申請はもう二度とごめんだ!」ということかしらん(笑)。
この手の書類には、妙な癖があって、そうしたツボを押さえないといけない。それは慣れたら誰でもできる(公務員なら得意なのだろう)が、私は慣れないなあ。言葉遣いも、会計的な感覚も。最後まで、送るのは原本かコピーか、どちらがいいのか迷ったもの。

そこで気づいたのは、民間は「益・不益」の原理で動くが、役所の進行は「手続き」で成り立つということ。益がなくても(減っても)、手続きが正当に進むことを求める。(もっとも何が正当かは怪しくて、憲法九条を例に引くまでもなく180度反対の解釈も可能な代物だけど。)

申請は終わっても事業は、これからだ。3月まで、また書類に悩まされそうだなあ。

2007/12/25

エリアと田舎

今日も取材を受けた。お相手は、またしても妙齢の女性。ウフフフ。

が、話しだしてわかったのは、彼女は結婚していること、それも新婚であった(-_-)。もともと横浜出身で結婚して関西に来たという。そして新たな勤め先として、現在の大阪支社に入った。つまりライターとしても新人ということになる。

テーマはエリア・マーケティング。事前に東京の編集部とメールで打ち合わせていたのだが、拙著『田舎で起業!』を読んでの依頼である。だから、ここでいうエリアとは田舎地域を指すのだと理解していた。

が、どうやら彼女にとっては、大阪もエリアらしい。でも東京はエリアではないらしい。

しかも地産地消を取り上げる。ご当地で生産したものをご当地内で消費するものだ。しかし田舎論的に私の意見を言えば、地産地消は隙間産業にすぎない。消費量が小さな地域で地産地消を持ち出しても大きな展開を望めないものだからだ。かといって大阪レベルの都市を含むと、ご当地の意味がないように感じる。

結局のところ田舎というエリアに絞らないと、エリアマーケティングを唱えても、少なくても私の出番はないだろう。

彼女自身は田舎社会を知らないし、興味もないのではないか。それに記事の全体像もつかんでいるようではなかった。こまっちゃいますね。

2007/12/24

メリークリスマス!

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ユニバーサルスタジオジャパンの巨大クリスマスツリーでした。

お馬鹿番組に抗議を

フジテレビの新春隠し芸大会で、お馬鹿な番組をやるようだ。

新春かくし芸「チェーンソーショー~切れ味のいい女たち
http://wwwz.fujitv.co.jp/ichioshi07/080101kaku/west_05.html

見ていただいたらわかるとおり、タレントにチェンソーを使った危険な芸に挑戦させるもの。人の頭の上にリンゴを乗せてチェンソーで切るとか、口に加えた鉛筆を切るとか、極めて下劣な番組だ。素直にチェンソーアートでもさせたのなら、素晴らしかったのに、なぜ危険な方向に持っていこうとするのか。

チェンソーアートでは、いかに安全にチェンソーを取り扱うかと腐心している。そのために安全意識の普及や安全マニュアルづくりを急いでいるというのに、テレビがチェンソーをオモチャにして見せてはたまらない。真似するお馬鹿が現れる可能性だって捨てきれない。そして事故がおきれば、チェンソーアート全体まで批判されるだろう。

ことはチェンソーアートだけではない。チェンソーを日常から仕事で扱う林業関係者にとっても、仕事道具の危険さを弄ぶような番組が公開されるのは、由々しき事態だと思う。

即効で抗議のメールを送った。もし同じ問題意識を持たれた方がいたら、どんどん抗議メールを送ってほしい。幸い?テレビ局のホームページでは、いたるところからメールを送れるようになっている。「放送倫理・番組向上機構(BPO、放送倫理機構)」というところもある。

http://wwwz.fujitv.co.jp/ichioshi07/080101kaku/index2.html

http://www.fujitv.co.jp/index.html

http://www.fujitv.co.jp/index.html

http://www.bpo.gr.jp/

全国のチェソー所有者の皆さん、大いに声を上げよう。放送日は近い。

2007/12/23

富士山と割り箸

日は、静岡から女子大生が来生駒。割り箸を卒論のテーマにしたということで、昨日から下市町を訪れ割り箸の現場の声を聞いて回り、今日は私からの聞き取り。

昨日に続いての被取材である。しかも女子大生(^o^)。残念ながら雨なので、駅前の百貨店の喫茶店に入ったが、約3時間粘る。

彼女は、中国の箸文化との比較という観点から捉えており、なかなかよく調べている。学生らしい気負い?も感じられるが、文献ばかりでなく現場を歩くことで目覚めた面もあるようだ。もともと原付バイクで旅したり、中国に通ったりと、なかなかの行動派である。

まだ書き上げてない卒論だが、おそらく割り箸についてまとめたものととしては、貴重な記録になるだろう。だいたい割り箸に焦点を絞った書籍は、拙著『割り箸はもったいない?』しかないわけで、割り箸に関する研究論文だって、ほかにはほぼ存在しないのだ。

ちなみに静岡は私の過ごした町でもあるので、こちらの話でも盛り上がる。富士山はやっぱり見ほれるねえ~今が一番きれいに見えるねえ~、三保から見た富士山は最高だよ、と富士山談義に脱線。
(それに影響されたわけではない…はずだが、本ブログのテンプレートも富士山に変えました。)

話が終わってから遅い昼食がてらに、お寿司を食べに行く。別れる前に、二人で記念撮影。ウフフフ。

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2007/12/22

運動とジャーナリズム

昨日は、東京から私を取材に妙齢?の女性編集者が見えた。

割り箸本にある「エコロジー幻想」の深層についての話。

昼過ぎから、生駒山中のスリランカ料理店で食事しながら話す。雑談から、いつ取材に移るのかな…と思いつつも、いつしか話は核心に。エコロジーといいつつも、そこで問題となるのは世相からマスコミ報道となり、編集の悩みとなり…(笑)。なんだか私も、久しぶりにジャーナリズム論を熱く語っちまったよ。

考えてみれば、エコロジー絡みの運動というのは、ほとんどがマスコミあってのもので、身の回りの地道な取組は少ない。そして、常に拡散膨張を志向する性格を持つ。そのためジャーナリズムとの二人三脚が展開されやすいのだ。

夕方になって、いったん別れたけれど、大阪で再合流した。なぜか「道頓堀極楽商店街」というビルの中に昭和30年代の街角を再現したテーマパークに入り、きたない鉄板焼き屋で飲む。帰りは、ほとんど終電になった。ウフフフ。

2_2                                                   

                             「三丁目の夕日」気分。

2007/12/20

日払いの議員報酬

昨日の話題と続いているように思うのが、今朝の朝日新聞に報道された、福島県矢祭町

議員報酬を、議会に出席した日数ごとに支払う日当制に変えることにしたというものだ。これで人件費は3分の1にできる。
矢祭町は、「合併しない宣言」で有名となったが、行政改革が著しい。職員の大幅削減など合併しないために進む苦しい財政を補いながら、住民サービスを高める施策を次々に打ち出している。そして、いよいよ議員にまで食い込んだようだ。

私は、議員報酬の日当制に大賛成である。以前から主張していたことだ。だいたい議会は毎日開いていないのに、毎月報酬を払うことにギモンを感じていた。ちゃんとした給料をもらわないと生活できないなんて、たっぷりの給料もらっている都市部議員の戯言である。山村に行くと、議員報酬が月15万円程度も珍しくないし、10万円以下のところもある。もともと議員報酬だけでは生活できないのである。当然、別の仕事を持っている。その合間に議員活動をしているわけだ。その延長線上に、矢祭町の決断がある。

都市部の議員だって、会社員やりながら議員すればいい。首長もサラリーマンを兼ねることも可能かもしれない。議会は土日か夜開くのだ。その方が住民の傍聴だってしやすくなる。残業命じられても、断る勇気なくして議員はできない。ただし、調査費は、払うべきだろう。ちゃんと領収書と報告書を提出義務を課して。さもないと審議能力が落ちる。

矢祭町では、従来の議員報酬は月20万8000円、年間で347万円だったそうだが、これだって裕福とは言い難い金額だ。それが年間90万円程度になるらしい。

今後、町村議会と都市部の議会の格差も問題になってくるのではないか。そして低報酬の町村ほど、NPO化が進むだろう。まさに奉仕の精神で議員活動を行うことになる。それは誇るべきことだと思う。

2007/12/19

幻の果実の村

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写真は、幻の果実…とも言われる、ある柑橘類。これを巡って起きている小さな村の壮大な挑戦を取材しに行っていたのだが、そこで驚いたのは、計画に費やした金額だ。

昨年の11月に企画され、1月に補正予算で2000万円組み、その後4月には追加2000万円。合計4000万円を投入したのだ。
そして驚くのは、この村の人口は520人ほどで、財政規模は9億円に届かないということだ。国や県の助成金も入っていないそうだ。よく、議会を通せましたね、と聞くと、「それが小さな村のいいところ」。

よくも悪くも村長、議員、役場職員、みんなツーカーなのだ。計画の内容をどこまで理解しているか怪しい(おそらく時代の先端を行く情報を知らないと理解できない)が、とにかく人を信じてやってみようと納得してくれたわけである。

普通なら危険信号を灯したいところだが、私は、かなり脈のある計画だと感じた。それゆえ、村長のゴーサインで行政としては奇跡的なほどのスピードで動けたことに驚いた。なにしろ3月にソフトオープン、6月に完全オープンしている。予算がついてたった3ヶ月で実質的に稼働させたわけなのだから。それは、行政というよりNPO的である。

詳しいことはまだ紹介しないが、私の持論である、小さな自治体が面白い、自治体がNPO化するという持論を証明するケーススタディだった。

2007/12/18

山里のラーメン

山里のラーメン
また山村に来ている。珍しくラーメン屋を発見して、昼飯にするつもりで入る。あまり期待していなかったが、意外といけるではないか。最近、山里で美味しいラーメンやチャンポンの店に出くわすことが増えた気がする。

山里もそばだけではなくなったのだ。ラーメン人気は広がっているぞ。もちろん都会に出店して行列ができるほどとまでは言わないが、レベルは上がっているのではないか。

今に超人気ラーメン屋が過疎の山里にできて、訪れる人が増える時代が来ないかな。

2007/12/17

たこ焼きのフネ

娘と、大阪の「たこ焼きミュージアム」に行って、店を梯子した。そして、どのたこ焼きがお気に入りか評論し合った。元祖の何も付けないたこ焼きやラジオ焼きもあれば、ソースに凝ったもの、そして塩味などの新感覚たこ焼きもあった。

ま、それはよいとして、たこ焼きと言えば、その入れ物はやはりフネと呼ぶ経木を折った容器である。正確には舟皿と呼ぶらしい。すでに発泡スチロールも増えているが、いまだに経木の使い道としてフネは欠かせない。

なぜ、高くもないたこ焼きに高めのフネを使うのか。割高ではないか。しかし、フネに入っていないたこ焼きは、どこか美味しそうに見えないし、また格下の扱いになる。やっぱりたこ焼きそのものがフネと一体の商品なのだ。

ここに、割高の木製品を売る秘訣があるような気がした。この商品は、木製でなけれはいけない、というイメージをいかに植え付けるか。

もし、その方法が見つかったら、これまで次々とプラスチックや紙などに置き換わってきた商品が再び木製に復権できるもしれない。
そして、さらに木製は木製でも、国産材でなければ、というイメージをいかに作るか、といをことも次の課題である。

2007/12/15

問い合わせ

ここ数日、お仕事のメール・電話がたくさん入る。

いやあ、有り難い……と一口に言えないのは、何も原稿(講演)依頼だけではなく、逆に取材したいというものが増えてきたからだ。取材される側に回るというのも有り難い面もあるのだが、例外を除いて、収入にはつながらないのである(^^;)。
まあ、それでも拙著などの宣伝の効果はあるし、コチラの主張を伝えられること自体は感謝しなければならない。

ただ、ここでも問題となるのは、私が奈良在住であるということ。とくにメールだと、勝手に在京だと思い込んでいるケースがままある。本当に奈良までインタビューに来るの? と疑ってしまう。もちろん承知の上で来るという奇特な方(^o^)もいるので大歓迎だが、時にあわてて引いて、「メールか電話で……」と応えるのである。もっとも距離だけの問題ではないかもしれない。現に、奈良の記者や大阪のライターからも、締め切りの関係とか、著書を読んだのでその引用で済ませたい、ということで電話とメール・FAXだけで終わることがままある。(って、今ちょうど、そのFAXが流れてきたぞ。)

私としては、古いようでも相手の顔を見て話したいし、また顔を見ることで相手の理解力も含めて確認し、事実関係も間違わないよう念押しもできることにこだわる。とはいえ、同業ゆえに、相手の立場もわかり、無理は言いにくい。なかには学生もいるし。

ライター稼業は距離を選ばない職業の一つとして、今やIT系と同じく田舎暮らしに向いているかのように言われる(事実、田舎暮らしライターはかなりいる)が、実はさほど簡単ではない。
肝心の出版元が都会、とくに東京に集中している現状では、顔を見せずにいると、どうしても人間関係が希薄になる。何よりも対人関係が重要な仕事だからだ。ITのように能力だけで判断するのではなく、編集者との相性や求められる感性を確認することが重要だからだ。
そして、もう一つは、世の中の頭が東京中心になっていることがある。仮に講演依頼でも、東京から足を運ぶという前提であり、奈良からとなると、向こうは驚く。何も交通費がそんなに上がるほどではないはずだが、マスコミ関係者は東京在住という思い込みがあるのだろう。それは知らず知らずに、価値判断まで東京基準になっている可能性があり、ちょっと心配である。(地方人まで、東京という視点から物事を眺めてしまう。)

とはいえ、私は東京に営業なんか、滅多に行かない(^^;)。別件で行ったついでにしか寄らないなあ。じり貧にならないよう、やっぱりインタビューには熱く応じておこうか。

2007/12/14

海のエコラベル

ちょっと山から海へ。

漁業の世界でも、エコラベルが広がりつつあることをご存じだろうか。林業界には、森林認証制度として、環境に配慮した施業を行う林業に対しての認証が進んでいるが、同じく「環境に優しい漁業」が求められている。

なかでも海洋管理協議会MSCによる海洋認証制度は、森林認証制度FSCの海洋版。すでに欧米ではかなり広がっており、日本にも入ってきている。京都府の舞鶴漁協が認証取得に挑戦中だ。また流通認証を取る卸し店も登場している。

ところが、それに対抗?して、今度は大日本水産会が中心になって、マリン・エコラベル・ジャパンMELという組織を旗揚げするそうだ。来春には動きだすという。

内容の差は、今後動きだしてから検討したいが、ようするにFSCに対するSGEC(「緑の循環」認証会議)と同じく、政府系の団体が国際的な組織に主導され縛られるがイヤだと、日本独自の組織・認証を始めようということだろう。

ま、どこの世でも、主導権争いはつきものなのだろうが、こうした認証組織に、政府の息がかかった団体が仕切るというのは、あまり好ましくないように感じる。事実、SGECも、MELジャパンも、FSCやMSCよりも認定料が安くて基準も緩くなりそうだ。

日本の森林認証は、今やFSCよりもSGECが面積を広げている。意図も基準も違うのだから比べるべきではないのだろうが、こうした争いが、認証制度の信頼度を下げて、結果的に本来の目的からズレていくことになりかねない。ちょっと底が見えているのである。

さて、海の認証の底は見えるだろうか。

2007/12/13

割り箸シンポその後

割り箸問題を論じた記事を発見した。http://jp.ibtimes.com/article/biznews/071211/14974.html

読み進めると、林業からライフスタイル関係まで包含させてよくまとめているな、と思って最後まで行き着くと私の名が出た(^^;)。執筆者を見ると、なんだ、この前の割り箸シンポを主催した人じゃないか。道理で。

というわけで、ご一読を。

実は、割り箸シンポジウム後、ポツポツと反響が出ている。先に割り箸製造に参入を考えている人が現れたことをコメント欄で触れたが、その後さらに以前割り箸を製造していた人が、改めて参入できないか考えているということで問い合わせがあった。コチラは、やるなら大規模に新式機械の導入を考えているが、いかほどの資金がいるか……という状態である。
ほかにもテレビ局が、国産割り箸を取り上げたいという問い合わせがあったり、シンポの内容を元にした出版計画も浮上している。それなりに刺激を与えることに成功したようだ。

もっとも全体状況としては、芳しくない。マイ箸の広がりはあまり気にしていないが、中国産の割り箸供給の変化が読めず、外食業界も動揺しているようだ。それが一気にプラスチック箸に流れないかが心配である。

2007/12/12

オセアニア大航海展

大阪の国立民族学博物館では、12月11日まで「オセアニア大航海展」をやっていた。

私は、開会当時から行きたい行きたいと思いつつ、機会を取れずにいたのだが、最終日となって無理やり時間を割いて駆けつけた。雨の日のためか渋滞に入り込み、イライラしつつたどり着く。

そこには、かつて私が訪れ、苦くも甘い思い出のある景色が広がっていた。

オセアニアの大航海というのは、ミクロネシア・ポリネシアへの人類の拡散を意味している。太平洋の諸島は、人類最後のフロンティアであった。なぜなら大陸周辺に拡散するのには時間をかけなかった人類も、大洋の向こうの芥子粒のような島々にたどり着くには、まず遠洋航海のできる船(アウトリガー付きカヌーやダブルカヌー)が必要であり、同時に航海術を身につけないといけなかったからだ。動力なし・コンパスなし、何より地図もない世界に出かけるには、莫大な経験と炯眼なくして不可能だったのだ。

そうした展示を見つつ感じたのは、巨大なカヌーを建造するためには木材がある土地でないといけないということだ。そしてたどり着いた島には、珊瑚礁のため真っ当な植物も土壌もない。そこで、それらも運ぶ必要があった。椰子の木もみんな移植したものだ。

しかし、それらの島で暮らすにも、カヌーは必要だ。交易するには遠洋航海しなくてはならない。結局、木材の取れる土地から離れると、身動きとれなくなるという事実に気がついた。またイースター島のように戦乱と乱開発で森を失い、かつての文化を忘れてしまった島もある。舟が作れず、交易できなくなったことが致命的だったのだ。

今、それらの島々は、地球温暖化による海面膨張によって波に削られ沈みつつある。これも森を失った結果だろうか。

2007/12/11

家の中の大樹

昨夜は、忘年会。その内容は裏ブログにでも記すが、その会場に向かう間に不思議な家を発見した。

会場は大阪の空堀商店街にあるのだが、そこまで私は地下鉄の最寄りの駅まで行かず、手前から歩いた。時間があるからだが、谷町の裏通りを覗いてみたかったからである。

とはいえ、時刻は夕暮れを通りすぎてもはや暗がり。それでも裏路地などを縫って進んでいると、なんとも妙な大木が見えた。人家の屋根にかぶさるように枝葉の樹冠を広げているのだ。とはいえ、庭からではない。暗くてわかりにくいが、棟と棟の間の屋根を抜いて伸びている。

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写真は可能なかぎり、明るくしてみた状態だが、どうやら先に樹ありきで、住宅を建築したらしい。おそらくクスノキだろう。

いいなあ。ベランダから飛び移ったら木に登れるなあ。夏は涼しいだろう。鳥や虫も寄ってくるかな。実は、家の前にもイチョウ?らしき大木があった。狭い路地の長屋のような家なのに、大樹があるなんて羨ましい。

2007/12/10

道の駅

生駒の隣に平群町があるが、そこには道の駅がある。「くまがいステーション」という名だ。

10年ほど前にできた際は、不思議だった。観光地でもなければ、通行量が格別多い道に面しているわけでもない。走るのは地元の車が圧倒的に多いだろう。こんなところに道の駅が成立するのか? さては、補助金があるから無理やり作ったな……。

その推測が当たっているのかどうかはさておき、今やこの道の駅、奈良県内の道の駅では一番の売上を誇っている。見事に成立している、いや、大成功したのだ。昨日も、満員状態で車が停められないほどである。

実は、店の内部も変容している。最初はレストランとわずかな売店だけだった。それでも近隣に喫茶店やレストランがないため、そこそこ客は入っていた。その頃は、地元の人のたまり場として機能していたのではないか。なるほど、外部の客を当てにするのではなく、地元民を呼び込んだのか。

そのうち農産物の直売を始めた。これがヒットした。回りは田畑が広がるものの、ニュータウンもできている。そのため地元野菜を求める人が急増したのだ。
それがドンドン拡張されて、今や直売所の方が広いような状況である。農作物だけでなく、花卉類も豊富になってきた。もともと平群は花卉栽培が盛んなところなのである。さらに加工品も増えてきた。漬け物だけでなく、豆腐や日本酒まである。平群だけでなく、生駒全域、さらに奈良全域に広がりつつある。野菜の中には、地元産ではないものもあるが、ちゃんと表示はされているようだ。

おかげで、今や何億円もの売上を誇っている。その勢いで、遠くからの客も来始めているまでになった。

観光客ではなく、地元の潜在的な購買力を掘り起こしたのだ。もちろん好条件もあったろうが、常に「交流人口」だ、観光開発だ、というのではなく、地元に人気となれば、自然と遠くからの客も集めるし、それが地元の産品開発にもつながるという循環が起きている。

平群町は、財政再建団体になる? という噂になるほど財政は悪化しているが、こちらでは活性化に成功していることにホッとする。

2007/12/09

薪ストーブ

薪ストーブ
昨夜は薪ストーブのあるログハウスに泊まった。シンシンと冷え込む中、炎を眺めるのは至福である。

帰宅後の追伸・ 自宅に帰ると、ブレザーに着替えて大阪のシンポジウムへ。何やってんだかわからない1日だった。

2007/12/08

植村直己冒険館

昨日の昼は、皿そばと、あたたかいそばを両方いただきました。そばの香りがよかったぁ。もっとも夕食は残飯だったけどね…。

閑話休題。時間があったので、植村直己冒険館に行く。やっぱり忘れちゃならない人ですよ、安楽椅子探検家としては。その様子や感想はHPに譲るとして、展示の一角に探検・冒険関係の図書が置かれた棚があった。

そこで……発見! 我が処女作が陳列しているではないか。

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どの本か、探してね。

やっぱり、ここにあることが嬉しいな。

2007/12/07

カニと木材

昨夜はかにすき。今朝はかにめし。かにを堪能したが、お土産に買って帰ろうかな。

とは言っても、ちゃんと仕事もしている。
ただ昨日出会った森林組合長は面白い?不思議だった。とにかく地元の木材は低品質だと強調するのだ。黒芯が多い、目が荒い、太くない…。私や周りが、そんなことないと言うのだが、納得しない。これでは、いかなる新提案も受け入れられないなあ。

カニは自慢でも木材は卑下するんだなあ。

2007/12/05

上野公園の木製舗装

またもや上野公園ネタ。

上野公園には、木のブロックによって舗装された区域がある。

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その説明をしている標識があった。500平米の舗装に多摩材を使ったとあり、ほかにもガードレールやベンチに使っているそうだ。

ただ私が興味を惹かれたのは、木製舗装そのものではない。その説明に「木材を使用した舗装は、その特性としてやがて腐り取り替えが必要となります」とあり、そして「が、そのことにより間伐材の消費が促進され、多摩の森を守ることにつながります」と書かれてあったことだ。

ここで腐ることは欠点ではなく、循環につながるのだ、と説明していることに好感を持ったのだ。

腐るから長持ちしない、という理屈は、木材の使用を妨げてきた。腐ること=悪いことだから、腐らない、長持ちする金属製やプラスチック製、陶器製など別の素材に転換されてしまう方向に進むからである。あるいは「腐らない木」を作ることを考える。

だが、そもそも腐ることが生態系で果たしている役割がある。自然は、太古の昔から変わらないものではなく、常に変化してきた。腐る以外にも、壊れる、燃える、枯れる…みんな大切なことなのであり、生態系は止まらず動き続ける(循環し続ける)ことで動的平衡を保ってきた。

ま、東京都がそこまで深く考えて案内板に記したかどうかは知らないが、腐ることが間伐の促進になり、森を健全にすると踏み込んだことはホッとした。

割り箸も、使って循環させるのだよ(^o^)。

2007/12/04

メタボのペット食

先日、宮崎に行った際に視察したのは、チップ工場だった。

と言っても、チップそのものを見たかったのではない。ここでは、スギの間伐材を利用した家畜の餌を製造しているからである。間伐材をチップ化してから磨り潰したものである。これをワラの代わりにウシなどの反芻動物に食べさせる。

この餌の利点はいろいろあるのだが、実は栄養価はあまりない。あくまで反芻させるための刺激食であり、ビタミンなどを添加する程度。栄養は配合飼料で採ればよいわけだ。しかし、この栄養価が少ない点を活かせないか…と思いついた。

実は割り箸シンポの後に飲んで話していた時に、竹を磨り潰した餌の話が出た。これをペット食にするのだそうだ。こちらも栄養がないが、それがよい。なぜなら最近のペットは、イヌもネコもメタボリック・シンドロームに陥っているからだ。

ペットをダイエットさせようと思っても、なかなか進まないそうだ。餌を与え、食べる様子が可愛いという心理があるため、つい与えてしまう。これが飼い主なのである。だから栄養価の少ない餌を用意する必要がある。
そういえば鹿肉もペットフードになるが、そこでもカロリーが低いことが売り文句だった。

それなら、スギの間伐材からメタボ・ペット飼料を開発できないか。繊維を固めて、肉風味などを付けておけば食べるだろう。それで太る心配がなければ、飼い主も喜んで与えられる。おそらく健康にもよいはずだ。

おお、これは売れるぞ。ペット飼料会社を作ろう……と盛り上がったのである。さて、いかが。

2007/12/03

サンデープロジェクト

花姥さんのご要望に応えて……。

昨日、テレビ朝日のサンディープロジェクトで「限界集落」「国土崩壊」という特集が組まれていた。とりあえずチェックしたが、まあ、だいたい想像どおりの内容であった。

基本的には、政府のスギ植林指導に応えた山村は、今や限界集落・限界自治体化して(高知県大豊町など)、それに応えなかった村は、今も子供たちの多い元気な自治体(高知県・旧十和村-現四万十町)という対比で描いていた。

田畑までスギを植えたために、毎年の収入源がなくなり村が崩壊した……という論法である。ちょっと乱暴な論理である。そのまま棚田を残しても、過疎は防げなかっただろう。またスギ植林を推進して、ほかの産業育成を怠った責任は、誰にあるのか? 国なのか、村なのか。

私は、どちらの地域も訪れている。十和村は、もともとシイタケ原木の産地として広葉樹林を残したのは事実だし、今も比較的元気なのは間違いない。しかし、それと林業を短絡させるのはねえ。もっと根本的な地域の経営の問題だ。
それに大豊町に比べたらマシかもしれないが、やはり過疎地域だよ。人口は半減している。やたら映像に映っていたように子供たちがあふれているわけではないし。

なお、限界集落は農業崩壊にも進行し食糧自給ができなくなる、廃村が都市を包囲する……という視点は、やっぱり都会人の作った番組だなあ、と感じた。

ちょっと気になったのは、「雨が降っていないのに山崩れがおきる」現象を紹介していた点だ。それをスギ植林と結びつけていたが、これが曲者。これまで放置人工林は下草が生えないから雨が降ると崩れると非難されてきたのに、急に乾燥したから崩れると説明しているのだ。

誰か地質・水文学的に解説してほしい。

2007/12/02

頭脳ゲーム

この1週間、ほとんど生駒に留まらず、毎日出歩き講演、会議、研修、飲み会、絵画鑑賞…をしてきたが、ようやく一休み。今週後半からまたドタバタと忙しくなるが、その合間に原稿と事務仕事を済ませなくてはならぬ。

ところで昨日は、橿原神宮の鎮守の森の中で、ネイチャーゲームをしていた。というと楽しんでいるようだが、結構くたびれる。今日は朝から身体がだるかった。
改めて思ったのだが、ネイチャーゲームとは、自然と遊ぶことではなく、自然の中で何を見つめるか考えるかが重要となっている。その点は、頭脳ゲームなのだ。それに意味づけとか安全管理など他人にも目を配るポイントもある。とくに私が参加したのは、ある意味仕事なので、余計感じたのかもしれない。意外と癒しを得るより、身体を動かすだけのアクティビティより疲労がたまりやすい気がした。

とはいえ、なかなか楽しめた。講演などで聴衆の心のつかみ方とか、つかみの勉強にもなる。一連の出張が終わってから学んだのでは手遅れだが。

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ところで写真は、上野公園の一コマ。樹木の剪定をしているのだが、地下足袋で木に登り、チェンソー片手で枝を切り落としている。危なっかしいなあ。安全管理に気をつけてね。

2007/12/01

月刊「環境ビジネス」1月号

環境ビジネス(日本ビジネス出版)という雑誌があるが、そこで連載されている「環境のギモン研究所」の1月号に、「割り箸=環境破壊」論を見極める、という記事が載った。

実は私がインタビューされて(というか、拙著に少しメールと電話の情報をまとめて、というべきか)の記事である。この雑誌そのものは企業向きなのだが、どちらかというと消費者をターゲットにした記事だろう。まあ、通り一遍の記事ではあるが、いわゆる割り箸に対する誤解を解く一助になればと思っている。同時に、産業界が目を割り箸に向ける契機になれば幸いである。

正直言って、環境的な視点からの議論は横に置いておいて、すでにビジネスチャンスとして捉えるべきではないかと思っている。割り箸需要はたっぷりある、しかし中国の供給力は衰えている(意識的に抑えている)、それに代わる外国の工場が立ち上がるまではまだ時間がかかる……ならば国産割り箸の増産は理の当然であり、チャンスなのだ。

そして素材の潜在的な供給力や効率のよい生産技術的な問題はほぼクリアされていて、あとはコストと資金と労力の調達というマネージメントの問題だ。これは産業界が頭を絞る番だろう。しかも山村に雇用を生み出すことと、環境に寄与するという錦の御旗も可能な条件である。

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森と林業と田舎