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2008年1月

2008/01/31

「間伐材の新商品」報道

昨日、これは関西でしか放送していないだろうが、「ムーブ!」という昼番組で、日本の森林を救うための「間伐材からの新商品」というコーナーがあった。

やはり一応チェックしてしまう。まあ、それなりの内容で、間伐材を使うことで森林を復活させると伝えている。大きく間違っているところはない(でも、国産材が売れなくなったのは、『安い外材』のせいにしたり、『伝統的和風建築が減った』ことにしている。まさに林業界の言い訳に騙されていた)のだが、そこで最近登場している新商品・新技術

まずバイオマス。ペレットに木材発電。そして木片入りコンクリートレンガ、マイクロ波による木材変形「四角い丸太」……。

正直、ぱっとしなかった。いずれも最近発明されたものじゃない。とくに技術の面から言えば、かなり古い。取材者は騙されたのではないか。本当は、その技術を活かしていかに現代的な売れる商品を生み出すか、というのが課題なのだが。
バイオマスは、山から伐りだした間伐材を使っては引き合わないのは当たり前で、端材・廃材を前提にしなくてはならない。四角い丸太も、20年くらい前から研究されてきたが、イマイチ売れる商品ができない。

私も、この手の情報を報道してきた一人なので偉そうなことは言えないのだが、技術開発と商品開発は違うのだ。焦点を当てるのなら、技術ではなく「商品が売れた」ことにしないと、間伐材を使って森林を救う、にはならないだろう。

番組の中で私が気になったのは、「和室のない家の場合、建築費のうち木材の価格が占める割合は5~7%です」と業者に言わせたこと。ハウスメーカーのこの言葉は、木材が高いという思い込みを破ったという点で面白かった。ただ和室と関係ないはず。和室だと言っても数寄屋造りで銘木を使わなくてもよいのだから。

2008/01/30

菜の花

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研修旅行で訪れた徳島県牟岐では、菜の花が咲き乱れていました。

やっぱり春は近いです。

まさか、流行りのバイオディーゼルづくりのために栽培しているのではないだろうけど。

よく菜の花は、見てよし、その後食べてよし、油取ってよし、と言われますが、残念ながら油取る品種の菜の花は、食べられないそうです。花の様子も違うのかな。あまり欲張らずに、鑑賞用と食用、採油用は分けて考えた方がよさそう。                                  

2008/01/29

講演の条件

ふと、以前に呼ばれたシンポジウムで聞いた話を思い出した。
と言っても、話したのは出席したもう一人の演者で、それも終了後にお酒が入ってから出た話題である。

その人、東北の某町の元町長なのだが、沖縄に講演に呼ばれた。ところが、そのギャラがなんと4万5000円だったのだそうだ(交通費別)。しかも3泊4日で3回の講演を行ってほしいというものだった。1回1万5000円である。さらに驚くのは、宿泊費は払えませんというのである。ちょっと信じられない条件である。それでも、お役に立てるならと引き受けたそうである。内容は、おそらく地域づくりについてのことだろうが、人間ができてるなあ、と感心する(笑)。私ならご遠慮申し上げる。

ところが、着いて案内されたのが、豪華なリゾートホテル。おお、と思ったが、そこで聞いたのが宿泊費。1泊2万円! 3泊して6万円なり。しかも食事などの経費もかかる。これらを自腹で払うのだ。完璧に赤字である。

おいおい自腹を切らすのなら安い民宿でも紹介すべきだろう。だが「センセイだから豪華なホテル」と考えたようだ。そこんところが、ずれた感覚の持ち主が田舎には時々いる。お金がないけど、講演会開きたい、という意気はわかるが、やっぱり基本的に人の心もお金の計算の仕方もわかっていない。それで地域づくりもできないだろう。

「あきれたけど、文句いう気にもなれずに黙って払ってさっさと帰ったよ」

笑ったけど、笑い事じゃないなあ。

ちなみにこの週末、また旅に出るが、これは交通費だけもらって行う取材。原稿料はもちろん、宿泊代も出ない。それでも取材しておけば、何か役に立つかな、と思って引き受けた。目先の金でなく、情報で支払ってもらう。これはギブ&テイクである。

2008/01/28

研修旅行

研修旅行
チェンソーアートスクールの研修旅行に徳島に。写真は、阿波おどりの研修風景(*^^*)

2008/01/27

年輪にドラマを

久しぶりに土倉庄三郎関係。

昨日は庄三郎の孫のところにお邪魔した。そこでお土産に持っていったのが、吉野杉の木口の薄切りだ。先日、チェンソーアート関連で吉野に行った際に、樹齢100年を越える丸太の端を薄く(5㎝程度)切らせていただいたものである。

なぜ、こんなものを、と思われるかもしれないが、土倉庄三郎が亡くなったのは1917年。つまり昨年が没後90年だったわけだが、樹齢100年を越えていたら、少なくてもその木は庄三郎が存命時に植えられたことになる。
そこで積まれた丸太の年輪を数え、100年以上のものを選んだのである。

この木を森の名人に見立ててもらうと、近年の世話はあまりよくないが、若いころは丁寧に育林された形跡があるという。事実、若いころから年輪が詰まっている。
伐採地は、川上村でも奥地に当たる入之波の三之公付近だという。土倉家の山は、川上村でも吉野寄りの大滝周辺が多いのだが、この当たりは庄三郎が三重に抜ける東熊野街道を建設するために苦労したところ。もしかしたら土倉家の植林した可能性は捨てきれない……。
と、そんな夢を見ると、単なる丸太の輪切りも、違ったものに見えてくるのではないか。この中心部の年輪が育つ頃には、まだ庄三郎は元気で、各地の植林を指導していた。年輪に時代を重ねると、一気に単なる生長環が情感を持った歴史の証人となる。

先日の森林認証制度の講演の際にも言ったことだが、木材は情報商品だ。とくに感性情報の有る無しで価値は決まる。年輪のつくる木目に育った時代を語らせると、えも言われぬ魅力がほとばしる。

ところで、こちらのお宅では、台湾でつくられたドキュメンタリーのDVDを借りた。お孫さんの父、つまり庄三郎の次男である龍次郎は、台湾で2万町歩の植林をするとともに、台湾初の水力発電所を建設している。その軌跡を追ったものだ。
もちろん台湾目線でつくられているのだが、ざっと目を通しただけでも、結構感動した。語られている言葉も何もわからないのだが、台湾近代化の一歩を刻んだ発電所建設にかけた人々の思いと、今は廃墟となったその跡地の映像にはドラマがある。そして日本人が、そこに関わっていたことも少し嬉しくもある。

廃墟の映像も、その裏にあるドラマが美しく魅力的にする。このドキュメンタリーを、日本人向けに作り直したくなった。誰か興味のある放送人いませんか。

2008/01/26

森林認証制度の昨今

昨日は、神戸で講演会。

テーマは、「森林認証制度とトレーサビリティ」。私のほか、2人の現場からの報告である。

実は、私は森林認証制度の最新事情をよく知らない。というか、変遷が激しくて、充分に把握できないのだ。認証森林面積でさえ、なかなか正確にはつかめない。一応、調べてはおいたが、年末に王子製紙の社有林がSGECを取得した…などのニュースも入ってきて、また面積が変わってしまった。一方、FSCはこの1年間、新たな認証を耳にしない。

私は、現場から2人も発表するのだから、制度の紹介や実際は、彼らが話すだろう、だから私はバッティングしないように、別の部分に目を向けよう…と思って、理念的な面に目を向けた。なぜ木材に認証が必要なのか、木材にとっての感性情報はどんな意味を持っているのか、といった点だ。

ところが事前打ち合わせでわかったのは、2人も制度について話すつもりはしていなかったということ(^^;)。「そんなの話しても眠くなるでしょう」。
たしかに。実は、誰も森林認証制度についての説明はしたくなかったのだ。まあ、制度そのものなら行政関係者の方が詳しいかもしれない。むしろ川上側では、こんな面倒な制度、どうせならやりたくない、と思っている人の方が大半だろう。川下側、つまり消費者の要求にしぶしぶ応えようとしているのではないか。

私は、森林認証制度は、日本で広がらないのではないか、とこの件から感じた(^^;)。

それでも、無難に講演会は終わった。私も多少の制度説明を加えた。

ただ無難でなかったのは、会場で販売した拙著。
終わってから確認したら、売れた冊数と残った冊数が一致しない。1冊少ない。代金払わないで持ち帰った人がいる……(;_;)。

昨秋の割り箸シンポジウムの際と同じことが起きた。会場は、関係者しか入れないはずなのに……。なんだかなあ(-_-)。

2008/01/24

食器のすすぎ(安全と環境2)

1月4日に記した「安全と環境」の続きではないが、同じテーマでこんな話題はどうだろう。

1月21日の朝日新聞に、読者投稿に応える形で食器を洗うときに水ですすがない国があることを取り上げていた。上がっているのはニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、イギリス、オランダ…などは、シンクに洗剤液を溜めて、そこに汚れた食器をつけて擦るとオシマイ。あとはふきんで拭くだけなのが主流のようだ。(もちろん国のなかでもいろいろあるだろうが)

日本人からすれば、洗剤が残るではないか、と思うのだが、逆に水ですすぐのは「水がもったいない」と言われるという。そして「洗剤がついていても大丈夫」「皿は食べない」。

水が貴重品だった時代や風土・気候などが作り上げた文化・感覚かもしれない。

安全と環境の二律背反性が浮かび上がる。ただ、ここで問題になるのは「安全」というより「安心」ではないか。なぜなら、たしかにすすがなくても残留する洗剤の量は、微少で人体に影響があるように思えないからだ。それに「皿は食べない」(笑)。
それは客観的な「安全」ではなく、主観的な「安心」がないからである。あまりに神経質すぎるかもしれない。それに水道から水を出しっぱなしですすぐのも、決して褒められたことではない。水も大切な環境だ。

でも、やっぱり気色悪い。洗剤の毒性以前に、異物が皿についていて平気な欧米の神経ががさつだと感じる(笑)。

実は、日本でも確実に洗剤をすすいでいるのは思えない。私が学生の頃、ある食堂でアルバイトしていた女友達が、「洗いかけの食器をそのまま乾燥させて、次の客に出している」実態を教えてくれたことがあった。おそらく、真っ当な洗浄をしているかどうか疑わしい店が少なくない割合で存在する。

自宅ではしっかりすすぐ人も、他人に供する外食では手間を惜しむことはあり得る。とくに皿洗い係がアルバイト店員の場合。だから割り箸を塗り箸に代える外食産業も私は信用しないよ。それこそ「安全」の前に「安心」がないから。
そのうち、食べ滓がついた塗り箸が出てきて問題になる事件が発生するかもね。

2008/01/23

割り箸講演会前後

今日は、神戸で割り箸の話をしに行ってきた。

食料安全セミナー」の一環というから、さぞかしマイ箸派の人が多いだろう、と敵陣に乗り込む気概で乗り込んだ(笑)のだが…意外や、皆さん割り箸に理解があるのだ。
それに質問では、割り箸のことより林業に関することが出たりと予想外の展開に。

終わってから少し残った参加者と話したのだが、その際に出たテレビの話題が出た。

明石家さんまが出ているバラエティで、割り箸が取り上げられてコメンテーターの大学教授らは、みんな割り箸に否定的だったのに、さんまは納得しなかった」というものだ。これは興味ある。どの番組か、誰か知らないだろうか。そして、さんまはエライ。おそらく割り箸の実態についての知識は持っていないだろうが、直感的に割り箸否定にうさん臭さを感じたのに違いない。見ていたら、拙著を贈呈しますよ(笑)。

一方、昨日来たメールには、「中島美嘉のコンサートがテレビでやっていて、そこで割り箸の使用をいさめてマイ箸を勧めていた」とあった。芸能人のこの手の発言も、チェック対象にした方がよいかな。

神戸から帰って、メールチェックしてみると、届いていた情報は、

http://www.banrai.biz/topic/2007/08/post_15.html

に、国産ヒノキのマイ箸が紹介されているというものだった。ヒノキのマイ箸? それが塗り箸ならおかしくないが、普通ヒノキを塗り箸にしないよな。とはいっても素の木箸では長持ちせず、マイ箸には向いていないはず。マイ割り箸?だったりして。…ちょっと正体がわからない。

そして宅急便が届く。それは、某出版社からの書状で、『割り箸はもったいない?』の一部を某学生向きの某テスト問題に使いたい、というものだった。対象とかテストの種類、引用部分などは口外できないが、ありがたい話である。

さらに、夜には、吉野の割り箸工場を見学したいというメール。大歓迎である。

以上、割り箸づくしの日常であった。

2008/01/22

コンビニの弁当と割り箸

昨年末の日経MJの記事だが、割り箸に関する消費者の意識調査がされている。

コンビニで割り箸を辞退する人の割合は、なんと68%だという。そんなに多くの人が割り箸を無駄に受け取っていないのだ。ちょっと信じられないような気もしたが、おそらく客の多くは、コンビニ弁当を買って、自宅に持ち帰る人なのだろう。だから自分の箸が使える。外で食べる弁当類なら、箸だけを用意している人がそんなにいるわけない。

これは、よいことである。私は何もドンドン割り箸消費を増やせとは思っていない。まず無駄を減らすのは当たり前だ。コンビニ弁当の箸は、まず中国製だろうから、消費を減らした方がよい。そして消費量が減ったら、批判も多少はかわせるし、中国の値上げ圧力も減るはずだ。また、国産の高級割り箸に出番が来るかもしれない。

割り箸が有料だとしたら、いくらから辞退するかというアンケート項目では、5円が16%、10~15円未満で30%。これも意味深の数字。5円以上の割り箸代金を取ると、ざっと半分以上が買わないということになる。
逆に考えると、5円までなら許容範囲になるかもしれない。ただ割り箸を別料金にするのか、弁当全体の価格を上げるのか、微妙ではある。

私自身は、そろそろ割り箸の有料化も視野に入れるべきと思っている。いや、実はすでに有料なのだ。コンビニ会社が購入しているのだから、単に弁当代金(もしくはコンビニ全体の経費)に含ませて「見えなくしている」だけである。言い換えると、今後の割り箸の有料化は、弁当代金の値上げになる可能性が高い。割り箸を受け取らない人がこんなに増えているのなら、割り箸代金を別に徴収するべきだろう。が、支払い時の手間が増えることを考えると全体値上げの方が有利だ。

いっそ割り箸業界がコンビニに働きかけて、国産割り箸とセットにした弁当の開発を提案してはどうだろうか。弁当の内容に合わせた割り箸の寸法や形状を考えたり、食べ方マナーを添付する、などの展開を行うのだ。洋風弁当向きに、割って使う使い捨ての木製フォークを開発するなんてことも考えられる。割った面に「合格」と印字した御神籤割り箸を入れた、受験用弁当もいいなあ。
これも異業種コラボレーションである。これは話題を呼ぶぞ。

2008/01/21

捨てるシステム

先日のシンポジウムの続き。

国産割り箸問題に関連して、M氏は、なかなか興味深いことを言っていた。

それは「捨てる」ことだ。捨てないと世の中の循環が保たれない。それなのに「捨てること」を悪いことにしてしまったことが、木材業界の失敗だった、という見立てである。割り箸なんぞは、その象徴だろう。ちゃんと使って捨てているのに、まるで捨てるからいけない、使い捨てはいけない、という象徴にされてしまった。しかし捨てないと、次の商品を買えずに社会的な循環が保てない。また割り箸の木材自体の循環も止まってしまう。

例に出されたのが、ペットボトル。石油製品であるペットボトルは、捨てても腐って分解されることもなく、燃やせばCO2排出につながるわけだから、決してよいものではない。ところが、業界上げて「捨てるシステム」を作り上げた。ゴミの分別項目にも入った。回収されたペットボトルは、中国などに送られて別の製品に化けたりする。
そのため、「使って捨ててもリサイクルされるからいいんだ」という意識を市民に植え付けた。おかげでペットボトルの生産は下がることはない。しかし、実はペットボトルによって石油資源が浪費され、最終的にはCO2排出につながることは何も変わらない。

木材にも「捨てるシステム」をつくるべきである。そうすれば、ペットボトルよりももっと環境に優しい使い捨てが実行できるのだ。すると心理的抵抗もなくなるだろう。

……なかなか意味深である。
私は話を聞きながら、江戸時代の「改革」を思い出した。享保の改革、寛政の改革、天保の改革……いずれも幕府の財政難に対応するため打ち出した改革だが、内容は節約と禁欲ばかりであった。経済の循環をストップさせる方向に働いたのだ。結果的に社会・経済を沈滞させて、さらなる財政難と社会不安に陥り失敗に終わる。

何も割り箸の回収システムをつくれというのではない。そんな小さなレベルではなくて、建築廃材も含めた大きな木材回収システムが必要だというのはよくわかる。それをチップ化して紙にするもよし、木粉から新たな製品を開発するもよし。捨てるから廃棄物が出て、廃棄物から新製品を生み出す発想を持たねばならないのではなかろうか。
「捨てる」だけではダメ、「捨てない」だけでもダメ。「捨てて利用する」システムを作り出したい。

2008/01/20

薪割りと割裂性

今日は、吉野チェンソーアートスクール開講日。

私もお手伝いに行くが、仕事は受付のほか……薪割り。使い物にならないスギの丸太を伐って、割って薪にする。

と言っても、実は斧で割るのではなく、薪割り機があるのだ。油圧でバシッと割っていく。随分楽になったものである。

これが面白い。単に割るという行為だけでなく、スギは実に割裂性のよいことが実感できる。そして割れ方を観察すると、木目の繊維がよくわかる。節があると、その節の周りに曲線を描いて割れる。赤身と白身の間が削げる時もときもある。これで「樽丸」を作ったり、ヘギ板を生み出した先人の知恵を感じる。

そして何より美しい。切ったのではなく、割った表面は繊維のデコボコがあるが、それが光を乱反射して、えも言われぬ陰影をつくる。微妙に不規則な木目は、幾何学模様とは違った安心感がある。これが「自然らしさ」なのだろう。

日本は縦挽きのノコギリがなかなか誕生しなかった。たしか室町時代までは横挽きしかなかったのだ。縦挽きできないと板を作りにくく、建築も発達が遅れる。それでも済んでいたのは、スギに代表される割裂性のよい木材が豊富だったからだろう。同時に、昔からスギは板材として使われたことも感じる。
割ることで板をつくることは、効率は悪い。下手すると1本の丸太から1枚の板しか取れなかったりする。しかも表面はまっ平らとはいかない。その後ヤリガンナで削って成型するとしても、微妙なずれが出るに違いない。それでも、室町時代以前の日本人は、これでいいかぁ、と思っていたのかもしれない。こうした板の表面が気に入っていたのかもしれない。そして、こうした板の様子が日本文化に影響を与えたのかもしれない……。

……とまあ、薪割りをしつつ、こんな大袈裟なことを考えていた。薪割り機のおかげで疲れないから考えられたのかも。斧を振るっていると、頭は真っ白だからね。

割った薪を積み上げた。

013 これも不規則の美である。

2008/01/19

国産割り箸の売り方

京都の木づかいに関するシンポジウムに出かけた。

正直言って、パネラーの話はイマイチで眠かったのだが、最後の一人は面白かった。元百貨店の営業担当で、環境貢献部門にもいたM氏である。実は、彼は知り合いで、丹波で開いた森林ビジネス塾の講師にもなってもらっている。彼が出るから覗いてみようと思ったのである。

で、何に注目したかというと、割り箸についてかなり言及したことだ。
コンビニで買える木材商品と言えば、割り箸と爪楊枝くらいであることから始まった。

そして国産割り箸20膳198円、中国割り箸も同じく20膳98円。(おそらくエゾマツ製の天削だろう。) 見た目は形も同じで中国製の方が白くて美しくさえある。しかもパッケージまでほとんど同じ。わずかに裏を返してみると、小さく「国産」と「made in China」とあるのが違いと言えば違い。

これで国産割り箸を買ってもらおうとしても無理、というのだ。差別化を計らず、値段だけ倍では買えるわけない。

これに「森を守る割り箸」だとか書込み、国産であることもよくわかるようにする。どうせなら企業とタイアップして、箸袋に企業名をのせて、お金を出してもらえば価格も下げられる。
あまりにも国産木製品は、売り方が下手くそすぎて、消費者の側に立っていない。

……我が意を得たり、である。すでに本プログで主張してきたことばかり。

この一点で私は満足したのである(笑)。

が、まだ注目すべき主張があった。これについてはまた。

国産材が供給過剰になる日

昨日逢った人との話で驚いた点。

「国産材の供給が過剰になるかもしれない」

えっ、と驚いた。いまだ国産材の供給量が足りないから、外材の牙城が切り崩せないと思っていたからだ。
しかし、資源量はたっぷりある。供給が足りないのは、価格が折り合わないからだ。今の価格では、まだ多くの林業地では伐出コストで赤字になってしまう。再造林もできない。しかし、ジリジリと価格は上がっている。それが一定の水準に達した時に、山主は一斉に木を伐りだすだろう。それがどっと木材市場に流れ込んだら、価格はまた暴落する……。

さて、この推測はいかがだろうか。言われてみれば、多くの山主は基本的に木を伐りたがっている。ようは満足いく価格になるかどうか、である。また、その分岐点となる価格は幾らだろうか。

もちろん、供給過剰になって価格が落ちれば、また伐採が止まるという市場メカニズムがうまく働けばよいのだが、おそらくタイムラグはかなり出るだろう。その時に木を伐ったが儲からなかったので再造林は中止とか、山主や素材生産業者が倒産……という可能性もあり得る。また、いったん供給シフトを引いた工場では、価格がいくらであろうと工場を動かすために伐り続けなくてはならないかもしれない。結果的に山は荒れる

何より、山主は、本気で持続的な経営を考えているのか。
一方で、その際に外材はどんな動きに出るかも予測しにくい。

日本全体の森林資源量を見極めながら、持続的に、安定して、伐出させるシステムは作れないものか。ただし、間違ってもお上の指導、なんて形はダメだよ。そんな指導力はないだろうが、強制すること自体が市場を混乱させる。

2008/01/18

1月17日

1月17日。この日が過ぎた。関西では、13年前のこの日は原点となっている。

数日前、おそらく関西版だけだろうが、朝日新聞夕刊に「被災地の謎の張り紙」のことが書かれていた。
13年前、被災地の避難所にはおびただしい張り紙がされていたが、その中でひときわ目立つ赤い縁取りがされた紙があった。人探しと自分の滞在先を記入する用紙である。

ちゃんと印刷されているから、その場で作ったものではない。とはいっても行政が用意したものでもない。誰が作って配布したのだ? この紙は、色とデザインからよく目立ち、現場では重宝されていたのだ。

記事は、その謎が13年ぶりに解けたというものだった。広告代理店にいた人が現場を歩いて思いつき、すぐに印刷して各避難所に配ったのだという。これまで作った人の名前も明かさなれなかったが、関係者が告白して特定できたそうだ。

その人の言葉として「我々はコミュニケーションのプロ。自分ができることをやった」というものだった。

私は常々、マスコミは虚業だと思っている。広告なんかとくにそう(笑)。 報道だって、形のないあやふやなものを扱っているにすぎない。報道そのものは重要だとしても、被災者個人にいかほどの役に立つか。だから被災現場でできることなんぞしれている、と思っていた。しかし、「プロ」ならでは、その場でできることを見つけるべきかもしれない。

2008/01/17

中国の森林率

中華人民共和国の新聞に、次のようなニュースが載った。短いので、リンクを張るよりコピーを載せよう。

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中国、森林資源の増加が世界一

全国林業庁局長会議で14日、中国は森林資源の増加が世界で最も著しい国となり、中国全土の森林被覆率は2010年には20%に達することが明らかになった。

国連の世界森林資源評価(GFRA)によると、世界の森林面積は年間で平均約670万ヘクタールずつ減少している中で、中国の森林面積は年間で平均400万ヘクタールの増加を続けているという。また、人工林面積の年間平均増加率は世界の53.2%を占める。

中国は現代林業の全面的な建設を通じて、2010年までに全国の森林被覆率が20%、森林蓄積量が132億立方メートルに達することで、森林の質的効果の大幅な改善を図り、林業の生態・経済・社会の三大機能を強化していく。(編集KA)

「人民網日本語版」 2008年01月15日

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ようするに中国の緑化はとてつもないスピードで進んでいるらしい。年間400万haって、日本の人工林面積が、たった2年半で植えてしまうことである。

ただし、やはり問題は「中国の統計は信じられるの?」である。いや、政府発表が信じられるのかと言うべきか。

拙著『森林からのニッポン再生』でも中国の緑化の進展については触れたが、実は半信半疑でまるごと信じていない。植えても枯れる分があるのはもちろん、役人が姿を消したら引き抜いて転売したり、薪にするケースも多いのではないか。

以前、この公式植林面積のうち本当に森林化するのは何割か、と考えて、中国通の人に6割ぐらいですかねえ、と尋ねた。すると、いやいや、せいぜい4割だよ、という答。
すると400万の4割で160万haか。まあ、それでもすごい数字ではあるけれど。

緑のシルクロードが完成する日は来るのだろうか。

 
 

2008/01/16

日本製紙の再生紙

先日、古紙の配合率をごまかした年賀状葉書をつくった日本製紙。少し同情的な書き方をしたが、どうやら根本的な会社の精神が腐っていたようだ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080116i302.htm?from=main3

一般の再生コピー紙も、大幅に古紙配合率をごまかしていたらしい。とくに公的機関は、グリーン購入法で100%再生紙を使用しなくてはならないから、このごまかしは、結果的にグリーン法違反を引き起こしたことになる重大な偽装である。

なぜ偽装したのかまでは記事には書いていないが、考えられるのは

①技術力がなくて、古紙を使うとまともな紙を作れない

②古紙の方が価格が高くて、利益率を上げるために配合量を減らした

③古紙の供給が安定せずに納品する在庫が足りなかった

……いずれにしろ、経営的に大問題であろう。新聞記事としては大きくないから、あまり世間は関心ないのかもしれないが、食品だけが問題なのではない。いかなる表示も信頼感がないと無意味になる。

実は来週、神戸で森林認証制度やトレーサビリティについて話す機会があり、その内容に呻吟八苦しているのだが、実はいかなる認証も内容が正しいか証明するのは難しいのだ。第三者の審査だと言っても、その多くは書類審査であり、誤魔化す方法はいくらでもある。だからFSCの認証だって審査をパスしても、本当に環境に優しいと言い切れるのか怪しいと思っている。またトレーサビリティも、本当に信用できると誰が判断する? この点についてはお手上げだ。

皮肉な言い方をすれば、正しいと信じることでロマンを買うようなものである。

ま、今回の偽装発覚で日本製紙が営業停止に追い込まれでもしたら、一罰百戒になるだろうけど、まず無理だろうな。

≪追記≫ なんと古紙配合率の偽装は、日本製紙だけでないことが判明。少なくても大手5社はみんなやっていたようだ。なぜ偽装していたのかとは点では、どうやら①に近いようである。日本製紙の社長も引責辞任。

2008/01/15

ボルネオの限界集落化

先にボルネオをテーマにした会を開いたと記した。

そこで気になったのは、ボルネオは代々貨幣経済が発達した地域であったということ。意外や秘境どころか、交易のメッカであったのだ。だから比較的裕福だった。
交易の品は、森林産物(ゴム、ラタン、香料…)だったり、木材だったり、石油だったりと時代とともに変化してきたが、今ではバイオマス・エネルギーが主流となりつつある。パームオイルやアカシアの植林も大々的に行われている。

しかし、これらは装置産業であって、みんな出稼ぎに出るようになってきた。

そこで広がっているのは、各地の集落の過疎・高齢化の劇的な進行であり、限界集落化である。若者は、みんな町に出て働き、ジャングルの村にはもどって来ないのだ。

実は私も体験している。それこそ丸1日、ひどい林道をトラックの荷台に乗ってたどり着いた村には、老人しかいなかった。巨大なロングハウスも、空き部屋が目立ち、賑わいがないのだ。

私は、日本の山村で進行していることが、ボルネオでは猛スピードで先を進んでいると感じた。ほんの10数年前まで、こんなことはなかった。日本が戦後50年かけて進行させた過疎・高齢化を、ボルネオはその何分の1かの時間で進ませてしまった。

ボルネオのジャングルは、先住民の世界である。そこが限界集落から消滅集落となると、それは少数民族の文化が消滅することを意味する。日本の村から祭りが消えることを嘆くどころか、下手すると言語が消える。風俗慣習が消える。血も絶えるかもしれない。

ただ。ここで件の先生は、言った。「それでも、ボルネオは最低ラインの生活はできます。米は作れるし、村の周辺を歩いたら、何か食べられる草が生えている。だから飢え死にすることはない」

この先生、1年半ほど、実際に部落で生活していて、米と草しか食べない生活を送っていたそうだ。貧しいが、死ぬほどではない、というのは、ボルネオといを熱帯の世界の豊穣性を表すと同時に、抜本的な改革が行われるきっかけをつかめないことを意味する。

私は、日本の山村でも「無理な改革をしないという選択肢」を示したことがあるが、ボルネオでは無言で進行中だ。

ボルネオのジャングルで進行していることは、日本の山村のモデルになるかもしれない。

2008/01/14

ファイヤーサイコロジー

昨夜、若草山の山焼きが行われた。

山に火を放ち、草を焼き払う。春からの草萌えをよくすると言われるが、樹木が育つ素地は奪う。

全国各地で山焼きは行われている。阿蘇に秋吉台に曽爾……。かなりの数になるだろう。目的はいろいろ言われているが、火を放つ行為は、結果的に樹木を排除することになるようだ。

最近は、この火が自然生態系にもたらす影響を前向きに捉えるようになって、ファイヤーエコロジー(火の生態学)と呼ばれている。実際私も凝った時期があって、各地の焼き畑を追いかけることもした。
大地を焼く行為は、破壊だけではない。焼けることによって自然界の循環をよく進め、生物多様性にとってもプラスに働く。それに適応した植物も多い。焼けないと芽吹かない、育たない植物も数多いのだ。
動物だって、山焼きの跡地に育つ草がないと餌場を失うケースがある。奈良の鹿もその一つかもしれない。

私が、「自然は変化する」というテーゼを身をもって感じたのは、焼き畑と接したことが大きかったかもしれない。

しかし、昔の人は゛そんな効用ばかりを考えて火をつけたわけではなかろう。単純に人には、山に火をつけたい欲求があるのではないか……。枯れ草があると火をつけたくなる。意味もなく燃やしたくなる。だから火を放つ。理屈は後からついてくる。まさにプロメテウスの火であって、火は、自然を再生し、文明を進めもすれば、破壊も生み出す。
これをファイヤーサイコロジー(火の心理学)と呼べないか。この心理こそ、地球の生態系を変えてきた……こんな仮説を立てて人類史を描く挑戦をしてみたい。

2008/01/13

割り箸とファッション

以下のような記事を見つけた。

http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2007b/146g.html

このところ、少しずつ割り箸を巡る世間の目が、動きを変えたように思う。いや、何も割り箸礼賛に変わったわけではないが、昨年前半のマイ箸礼賛や、割り箸攻撃の論調よりも、国産割り箸に目を向ける声が登場してきた。
ある種の揺り戻しだろう。マスコミの特性として、ブームの後には反ブームが来る。とはいえ、動きとしては、小さなものだけど。

私も、昨秋より、そうした記事を書いたり取材を受けることが増えてきた。そんな原稿に目を通していると、割り箸そのものよりも「ファッション」に興味を持ちだした。私は、マイ箸運動をファッションと見るからだ。なぜ、このファッションが流行ったのか。

そもそもファッションとはなんだろうか。英語で「流儀」や「流行」を意味する"fashion"が語源だそうだが、通常は服装を中心とした装いを指す。女性誌の一大テーマであり、また女性自身も最大の関心事でもあるのだろう。男だって、こだわる人は増えている。

しかし服にしても、着心地の良さや、機能性、あるいは値段というのが、本来の役割のはず。デザインを中心としたファッションは、副次的なものだった。それなのにファッションを重要視して購入する人が多くなったのはなぜか。デザインは、基本的な服装の要素を満たさない。それなのに、ここまで夢中にさせるのは、人間の脳のどこが刺激されるからだろうか。しかもファッションは時間とともに変化するのだから悩ましい。
動物行動学的には、装いで異性の注目を集めることができたら、生殖活動に有利だから…と分析できるかもしれない。が、それなら装いの何が異性を招けるのか、という点が難しい。先取の気性は、生存率を高めるとか、他者との差別化に意味があるのかもしれない。

しかし、一つのファッションがブームとなるのは、他者との差別化どころか、同一性の誇示のようでもある。こうしたファッションへのこだわりを解明したら、人々の嗜好を読み取るのも不可能ではなく、意図的にブームを起こすこともできる…と考えてしまう。
たまたま今日は、スラックスを購入した。選んだのは…やはりサイズ以外では色や風合い感かな。こたつの中であったまりながら、そんな夢を見た。

2008/01/11

年賀状と木材チップ

古紙配合率40%を謳っていた再生紙の年賀状が、実は1~4%しか古紙を使っていなかったことがニュースになっている。今年最初の偽装発覚(^^;)か。

でも、あえて造り手の日本製紙側の立場になって考えると、40%も古紙入れて、色も艶もコシもない年賀状だとマズいだろ、という判断があったのだろう。実際、インクジェット式の印刷はうまくできるか、とまで考えると、そんな年賀状がどれほど売れるか疑問だ。古紙はあってもコシのない年賀状では、自動選別機械も通らなかったかもしれない。

ところで、製紙の元になる木質チップについて調べてみた。
日本の木材需要は8831万2000立方m。そのうちチップ用は3697万7000立方m。つまり4割以上を占める。そして国内のチップ用木材は、449万6000立方m。国内木材生産量は1761万7000立方mだから4分の1だ。

それだけではない。国産材の製材端材からもチップが作られるので、それが300万を越していると思われ、だいたい国産チップの生産量は700万~800万立方mくらいになる。もっと詳しい数字を知っていたら教えてほしいが、ようするに日本の木材消費の4割がチップなのだ。そしてそれは、8割がた製紙用に回る。

なんだか、こうした数字を知らずして、林業再生のために国産材を使おう、というのも虚しくなる。年賀状に使ったどうかはともかく、再生紙だって大半が外国からのチップで作られた紙のなれの果てだろう。

しかも国産チップは、輸入チップの6割7割くらいの価格にしかならない。これは品質の問題ではなく、安定供給できるかどうかが要因だ。

もっと国産チップを使おう、という運動の方が意味があるかもしれない。その方が山に還元できるよ。

2008/01/10

コナラの伐採

シイタケ原木にする目的で、コナラの伐採に山へ行った。

前から目をつけていたのは、道路際の木である。枝振りから、伐採すれば道路側に倒れて道を封鎖してしまうが、通行量は少ないから、さささと玉切りして移動させれば大丈夫だろう、全部終えるのに30分もあれば、という目算である。

が、異変は伐採直後に起きた。見事コナラは倒したのだが、なんとチェンソーのチェンが外れたのだ。しかも運の悪いことに、そこへ車が。
道路いっぱいにコナラの幹と枝が広がっている。さすがに人力では移動させられない。チェンを張り直すには時間がかかる。結局、車はバックして迂回してもらったが、まず自分の車まで走り、ナタとノコギリを持ち出して、倒したコナラをギコギコ切る。ナタをバンバン振るう。腕が痛い。それでも必死だ。

幸い2台目の車が来る前に、コナラの幹をいくつかに分断できたので、引っ張って移動し、とりあえず道路を通れるようにした。
ホッとして、チェンソーのチェン張りを始める。チェンが外れること自体はままあることなので、そんなに心配していない。ちゃんと張れたらすぐにシイタケ原木によい長さに玉切りにして、積み込んで帰るはずだった。

が、おかしい。張り直したチェンソーがうまく動かないのだ。しかもすぐに外れる。またやり直しだ。何度か繰り返すが、どうにもチェンが回らない。バーとチェンのかみ合わせが悪くなったようである。このチェンソー、ものすごく整備がしづらい構造なのに、何度もチェンをいじっていると絶望的になる。

さずがにマズいので、チェンソーをいったん諦めてまたもやナタとノコギリで幹をギコギコ切る。腕が張ってきた。ともかく枝を払って、いくつかに分けて道沿いに積んだ。とてもシイタケ原木用にまでは切れない。道路を掃除して、ギブアップ。

思えば安物のチェンソーの上、すでに10年以上前から使っている。もう買い換えようかなあ。もっと扱いやすくて、軽くて、どうせならチェンソーアート用を買おうかなあ。チェンソーアートスクールを運営しながら、まともなチェンソー持っていないのもおかしいしなあ。

と、考えながら、トボトボと帰り路に付いたのであった。冷汗も含めて、よく汗をかいた。

2008/01/09

堀木エリ子展

昨日、大阪に出た際に心斎橋で「堀木エリ子展」に顔を出してきた。

堀木エリ子は、和紙作家である。以前取材したことがあって、それで招待状をいただいていた。先に横浜そごうで開いた時もいただいたが、さすがに行けなかったら、今度は心斎橋そごうで開催され、こちらの案内も送って来ていただけたのである。

いや、予想以上によかった。和紙の可能性に目が見はる。彼女は1300年の和紙の歴史の中で、初めて「立体和紙」に成功しているのだが(立体のまま紙漉きを行う)、それを活かした作品群が会場を覆う。なにしろ最大の作品は長さ30mを越える。それを継ぎ目なしで作っているのである。

ちょうど見ていると、堀木本人が現れた。私は簡単な挨拶をしただけだが、デザイン系の学生たちが見学に来ており、彼らに解説をするためらしい。おかげで私も一緒に聞かせていただく。これはラッキーだ。

彼女は話し方もうまい。見習わなくては。和紙の魅力、製作意図を紹介する。同時に商品としての可能性にも触れた。

実際、光を活かしたインテリアとしての和紙商品は魅力的だ。オブジェにもなる。
売り物として見ると、単なる和紙の1000倍くらいの値段になるだろう。

私は、「アートによる地域づくり」には懐疑的である。というと誤解を招くが、個人的な趣味はともかく、個人の作品性が強く、基本的に手作りで作り手も一人であるアートは、量産できない。経済効果は小さいからだ。個人の技にこだわっているだけでは、地域への波及効果は少ない。裾野を広げないと「個人の成功」に終わってしまう。

しかし、彼女は新しい技法を編み出し、それを使うことで量産も可能にした。これは地域づくりに活かせるのではないか。事実、彼女は、某山村にその技法を提案して、特産物づくりに貢献している。(ただし、その地域が合併してから、どうなっているか…)
またアートの魅力の持つ集客力も馬鹿にならないことを改めて感じた。

アートは、作品そのものに意味があるのではなく、企画力・発想力だ、と気がついた。そして地域の産物にするにしても、まずアート性があって、それを工芸品として量産するプロデュース力があると、地域貢献にも役立つと思いついた。
たとえば割り箸だって、木工アートにしてしまってはダメである。チェンソーアートもしかり。しかし、裏返すと木っ端で作る割り箸というアイデア、チェンソーアートの作品の魅力を世に問うのは、「アーティスト」の仕事だ。

和紙の原料は、コウゾ・ミツマタといった森林資源である。残念ながら、現在はほとんど輸入物であるが…
しかし木材は国産が充分にある。国産材を優れた企画力と新しい技術で、価値を驚異的に引き揚げた商品を量産することも可能ではないか。林業再生・山村振興を考えるなら、まずは商品開発のための優れたアーティスト&プロデューサーを見つけることから始めてほしい。

Photo                                              

展示の写真は撮れないから、その入り口と、吹き抜けにある堀木の作品をご紹介。

2008/01/08

ボルネオは地球温暖化を救う?

今日は、久しぶりにマレーシア関連の会を開いた。

テーマは、ボルネオは地球温暖化を救う?
      激動するサラワクの今と、その将来

ボルネオ島を熱帯雨林の島だとか、南洋材のふるさと、そして伐採反対運動などのイメージで見ていてはもう古い。「地球温暖化を救う?」と題したのも、一見熱帯の植物が二酸化炭素を吸収してくれることのように想像するかもしれないが、それも外れ。

一体、何が起きているのか。マレーシア政府、サラワク州政府の思惑は?

まったくマスコミには登場しない事態が進行中なのだ。

……という話を、講師を招いて行った。ここでは講師の名は伏せておく。

私も数年前まで毎年のようにボルネオ、そしてサラワクに通っていたのだが、ここ数年はご無沙汰している。その間に劇的な変化が起きていることを知らなかった。今回は、非常にためになった。皆さん、地球温暖化を巡る国際情勢を舐めていては大変なことになるかもよ。どんなところで足をすくわれるか。

ところで、新旧のマレーシア・ファンが多く参加してくれて、こちらの交流も楽しめた。いいなあ。一度は休止していたこの会、再び活動を始めるか。

2008/01/07

割り箸の卒論

昨年末、女子大生が割り箸のことを調べに来たことに触れた。

彼女から、完成した卒論原稿が届いた。ほかほかの湯気の立ってそうな原稿(^o^)。

まだ熟読していないが、力作である。その気になれば粗削りだとか、考察の展開とか、職業柄気になる文章表現とか、チェックを入れられる点はあるが、何よりよく調べている。参考文献の量も馬鹿にならないし、現地取材したことも生きている。

逢ったときも勧めたのだが、こうして調べたことを眠らせるのは惜しい。卒論は、だいたい指導教官やゼミなどの教室に眠ってしまうのがオチだが、今ならホームページなどで世間に問うとよい。もちろん自信がある内容でないと、どんなリアクションがあるかわからないが、世間に問うことで書く行為にも真剣さが伴うだろうし、書き上げたらオシマイではなく新たな展開も期待できる。

実は拙HPに載せている「ゴルフ場は自然がいっぱい」という記事は、昔出版のために書いたのだが、その際に「ゴルフ場の自然」について調べた研究・文献の少なさに泣かされた。それがひょんなことから知り合ったのが、某大学院生である。彼が修士論文のために調査したのがゴルフ場の自然についてのデータであった。
これは、当時も今もほかに類を見ない研究だと思う。ゴルフ場にどんな動植物がいて、植生の変遷がどのようになっているか、なんて、どんな本にもない。ゴルフ場内に、絶滅危惧種の草が生えていたとかも、公式データには載っていないだろう。とはいえ、論文としては埋もれているもので、私はたまたま知り合ったので読むことができたが、通常なら手にすることは難しいだろう。

同じことが、この卒論にも言えるかもれない。もし公開されたら、また誰かが割り箸に興味をもってくれるかもしれないよ。読んでる? ミホさん(^o^)。

2008/01/06

柳箸から考える

正月も明けて……と、柳箸を終了させることにした。今晩から、またマイ割り箸である。

自宅でも国産割り箸を使っているとはいえ、正月は本柳(ミズキ)の箸を使う。ご存じの通り両細の丸い箸だ。正直言って、あまりつかみ心地はよくないので好きではないが、正月はこれだという伝統なのだから仕方ない。ちなみに柳箸も、大半が中国製のようだ。

とはいえ、自宅の割り箸は一~二週間使うのに対して、柳箸は数日だから、どちらかというと柳箸の方が使い捨て度は高いことになる。マイ箸派の人は、正月はどうしているのでしょう(^o^)。

なぜ正月がこの箸なのか起源はよく知らないが、柳には霊性があるとされるから、その関連かもしれない。また両方でものをつかめるが、本当は片方を神様が使う方という意味があるらしい。だから両方を使ってはいけない。私は、反対側を取り箸代わりに使ってしまうが……。

割り箸も柳箸も、どちらも使い捨て。それには日本人特有の神様とのつきあい方があるようだ。その点も割り箸論を展開する際に考えておかねばならないだろう。

他方、他の民族には自分の食具を決める例を知らない。ナイフやフォーク、スプーン(匙)にしろ、皿やお碗、カップの類まで、自分のものと他人(家族)のものを分けることはない。洗えば次に使うのが誰かわからない。
その点からすると、マイ箸、マイカップ、そしてボトルキープに至るまで日本人特有の所有意識があるとも考えられる。

割り箸は日本独自のものという言い方をするが、実はマイ箸こそ日本特有のものかもね。

2008/01/05

カピバラ

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UFOキャッチャーの中にあったぬいぐるみ。何かと思えば、カピバラだそうだ。

アマゾンなどで生息する齧歯類の一種…つまりネズミの仲間だ。姿も大きさもイノシシと似ているから、世界最大のネズミとも言われる。肉は美味しいらしい。だから食用に飼育したりもする。

今年はネズミ年だから、こんなぬいぐるみも登場するのだろうか。それとも以前から人気のキャラクター?

2008/01/04

安全と環境

今度、「食料環境セミナー」で講演を頼まれている。テーマは、「割り箸はもったいない?」である。

参加者は、食べ物の安全問題に興味のある人が中心とか。こういう人たちは、環境問題にも関心が高いようだが、そこで割り箸となると、おそらくマイ箸派が多いのではないかと推測する。その点は東京の割り箸シンポの際と違って、“敵陣”に乗り込むような気持ちになる(^^;)。

昨今の食品偽装問題でもわかるとおり、食べ物の安全というと、賞味期限とか原材料の産地・成分、そして添加物などが取り上げられることが多い。しかし、これらの点を厳密に追求すると、環境問題とは相反することになりかねない。

なぜなら、賞味期限を厳しくすると、食べる前に捨てることになりやすいし、美味しいところ、本物の材料にこだわることで、その周辺を切り捨ててしまう。また保存料などの添加物がないと、まず食品は傷みやすくて破棄する分が増えるだろう。また味を添加物で誤魔化さないと不味くて食えないものも大量に出る。廃棄物を大量に出すということは、環境的に問題があることになる。

ミートホープの偽装も、一面では使い道のない屑肉を食えるようにした、という見方もできた。赤福の売れ残り利用も「もったいない」精神の発露だった。製造現場からすると、「まだ食べられるものを捨てる」ことへの拒否感が偽装を引き起こしたとも言えるのだ。

世の中の「本物志向」は、無駄を生み出し、環境的にはマイナスが多いのではないかと疑っている。うまく騙されることも大切かもしれない。

実は、木材に関しても同じ思いを昔から持っていた。
日本人にある無垢信仰は、合板や集成材を嫌うことになり、大径木をありがたがる。しかし林業的には、育てた木質部を利用し尽くすために合板・集成材はもちろん、パーティクルボードやファイバーボードなどは貴重な製品だ。木質を使い尽くすことで、伐る木の本数も減らせるだろう。それは環境に貢献する。
合板に使われる接着剤の問題をどうのという人もいるが、その考え方は、食品の安全と環境の対立と似ている。

ただ木材で有利なのは、おそらく口にすることはないことだ。安全と言っても、食べ物ほど神経質にならずに済む。ただ割り箸は、口に付けるという点で、その端境にいる。敵陣で私は、どんな話をしようか。

さて、環境と安全、どちらを優先しますか?

2008/01/03

年賀状

年末年始、堅いことを書いてしまった。が、時流に棹さすスタンスとしては、悪くなかったかもしれない。世間がめでたい、めでたいと言っている時は、要注意。

で、謹賀新年である(^o^)。

そこそこの枚数の年賀状が来た。私がすでに出したものと、出していないところから来たものを区別する。そして、こちらからも追加で出すべきかどかを考える。

ところが、一枚、どうしても誰なのかわからない人がいるんですよ(-_-)。名前を見ても思い出せない。住所を見て、内容から考えて、ストックされた名刺を確認するが見つからない。こちらの住所を知っているのだから、おそらく名刺交換したはずなのだが…。昨年は、かなり多くの名刺交換したのだが、こういう人もいたかなあ。私は、名刺交換した人なら、ほとんど覚えている(人物の顔などは忘れていても、どういう状況か、は把握している)つもりだったのに。向こうは名刺を出さなかったのだろうか。

困ったなあ。誰かわからないまま、こちらから出すべきかなあ。

悩んでいます。

2008/01/02

大局的判断

正月は、しばらく休もう……と思っていたが。

フジテレビの「かくし芸」番組を録画で見た。全部見てチェックするのがうっとおしいので、ビデオに録画して、早送りでチェンソー芸のシーンを見つけて、そこだけを確認したのである。

内容は、がっかりである。たしかに「頭の上のリンゴ」シーンはカットされていたが、「手で持ったキュウリの皮むき」や、「口にくわえた鉛筆の切断」シーンは完全に放映されていた。まったく無防備である。

私は、頭の上のリンゴにしても、たとえば鉄製の帽子をかぶるなど、見えないように防護しているのではないか、と想像していたが、キュウリや鉛筆を見る限り、そうした配慮はまったくない。素手のキュウリに、素顔の鉛筆である。鉛筆をくわえた出演者は、飛び散るオイルを顔に被ったのではないか。ほんの数センチ、バーがぶれるだけで観衆の面前で惨劇が起きたのではないか。

見た人は、ぜひ、抗議を続けてほしい。

それにしても、結果的に番組を止めなかった、というより止められなかった……テレビ局の判断は、いわば止められない公共事業と同じである。大局的判断ができない。
差し替えるネタもないし、番組の盛り上がりを考えると止めると内部的に自分が責任を追わねばならなくなる。外部の反響より自分の身分の保全が優先されたのだ。仮に放映後に批判されても、じっと嵐を過ぎ去るのを待つという選択を選ぶ。

昨年の偽装発覚もそうだが、ほかの会社が摘発されても、我が身に置き換えて偽装を止める会社が少なかったことに驚いた。それも大局的判断の停止である。

バブルを弾けてからの10年間、それなりの地位の人には、本来取るべき政策はわかっていたと思う。不良債権の処理である。しかし、自分がそれを手がけることで火の粉を被るのがイヤで、「失われた10年」になってしまった。結果的に小泉政権が手がけて、それなりに成功したが、傷口が大きすぎて格差社会を生み出した。

この格差社会の処理の方法も、わかっているけど、やりたくないのだろうな。
取ってつけたようだが、林業・木材産業でも、やるべき改革方法はわかっているけど、現在の経営者は、なかなか手をつけたがらない。フジテレビしかり。みんな同じ構造だ。

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森と林業と田舎