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2008/01/24

食器のすすぎ(安全と環境2)

1月4日に記した「安全と環境」の続きではないが、同じテーマでこんな話題はどうだろう。

1月21日の朝日新聞に、読者投稿に応える形で食器を洗うときに水ですすがない国があることを取り上げていた。上がっているのはニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、イギリス、オランダ…などは、シンクに洗剤液を溜めて、そこに汚れた食器をつけて擦るとオシマイ。あとはふきんで拭くだけなのが主流のようだ。(もちろん国のなかでもいろいろあるだろうが)

日本人からすれば、洗剤が残るではないか、と思うのだが、逆に水ですすぐのは「水がもったいない」と言われるという。そして「洗剤がついていても大丈夫」「皿は食べない」。

水が貴重品だった時代や風土・気候などが作り上げた文化・感覚かもしれない。

安全と環境の二律背反性が浮かび上がる。ただ、ここで問題になるのは「安全」というより「安心」ではないか。なぜなら、たしかにすすがなくても残留する洗剤の量は、微少で人体に影響があるように思えないからだ。それに「皿は食べない」(笑)。
それは客観的な「安全」ではなく、主観的な「安心」がないからである。あまりに神経質すぎるかもしれない。それに水道から水を出しっぱなしですすぐのも、決して褒められたことではない。水も大切な環境だ。

でも、やっぱり気色悪い。洗剤の毒性以前に、異物が皿についていて平気な欧米の神経ががさつだと感じる(笑)。

実は、日本でも確実に洗剤をすすいでいるのは思えない。私が学生の頃、ある食堂でアルバイトしていた女友達が、「洗いかけの食器をそのまま乾燥させて、次の客に出している」実態を教えてくれたことがあった。おそらく、真っ当な洗浄をしているかどうか疑わしい店が少なくない割合で存在する。

自宅ではしっかりすすぐ人も、他人に供する外食では手間を惜しむことはあり得る。とくに皿洗い係がアルバイト店員の場合。だから割り箸を塗り箸に代える外食産業も私は信用しないよ。それこそ「安全」の前に「安心」がないから。
そのうち、食べ滓がついた塗り箸が出てきて問題になる事件が発生するかもね。

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

ふと、思い出したんですが。

自分が住んでるところ、昔からある古い家なんかには「箱膳」というのが残ってます。

家族ひとりにひとつの膳があって、台・食器セットになって1箱に収まるようにできてます。

で、これは木製で洗いません。

最後にお茶をもらって、ゆすぐ。箱にしまう。おわり。

ええええええ?って最初聞いたとき思いましたけど。たぶん、なんかの理にかなってたんだと思います。

昔のことはおおむね、なんらかの理にかなっている。それはなにか!?ってことを考えたら、自分の生活を振り返るヒントになることあがります。

すみません。わけわからんですね。

鍋や釜を洗わずに、次の調理に使う家庭も少なくないようですよ。
日本は水が豊富と思っていますが、実は水道が普及するまでは汲む労力が馬鹿にならず、きれいな水は貴重品だったようです。

昨年まで、水道の建設と管理に携わっていました。今の光栄の水道は沢水か井戸水を水源にしています。最近、水量が減少している沢が増えているみたいです。水源上流の人工林の間伐の遅れが原因ではないかと特にデータもなしに非科学的に推測しています。春先に降雨が少ないと、水道の管理をしている人は相当ビビります。
 中山間地の水道は大体簡易水道か、又は給水人口が100人以下の飲料水供給施設又は営農雑飲水又は簡易給水施設です。100人以下の水道は概ね農林水産業系の補助事業又は県の補助事業で建設されます。
給水人口101人以上の簡易水道は上水道と同じ基準で管理をしなければなりません。水源がきれいにも関わらず、水質検査も同じように行う必要があります。
このような状況下で、簡易水道の浄水方法を上水道レベルに上げようとしてきました。しかし、コストがかかり、管理経費も掛かります。給水人口が少ないですから、料金負担が大変で、上水道よりも料金が高い市町村も多くあります。水源がきれいで山の中に住んでいて、都市部の水源を守っている地域にもかかわらず・・・。不思議な話ですよね。

沢の水量が減っているという話は、よく聞きますね。
上流の森林が繁って水をよく吸い上げるからかもしれないし、水源が荒れて沢に土砂が堆積して水は伏流になったのかもしれないし、原因はいろいろあるでしょう。

でも、山村に行くと、簡易水道の水の方が水道より美味しいことがあるな(^o^)。

水もビールとかと同じで嗜好性が高いですね。

日本も少し前まで水は、貴重品でした。私の地元でも水をめぐる争いは、村中を巻き込んで殺し合いをしたと文献には出ています。
水利権は、今でも生きていますし、お年よりは、そのことを盛んに話しています。

海杉のところは、骨董屋も営んでいるのですが、明治初期の水瓶は、とても大きく立派なものです。実際に焼酎工場が熟成させるためにこの頃の水瓶を集めて卸しています。大きさは同じでも最近の中国製の瓶と熟成度がまたく違うそうです。
そう、考えると昔の人は、谷川の水を汲んで水瓶に入れ、相当おいしい水を飲んでいたことになります。

日本は水が豊富だという概念は、そろそろ見直すべきかもしれません。
人が使う水と考えると、昔から水不足は深刻だったのだから。農民の水争いから、上水道の普及問題、そして偏在。
今後は、世界的な水不足が問題になりそうです。

それにしても、海杉さんは骨董屋までやっていたとは…!

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