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2008/01/04

安全と環境

今度、「食料環境セミナー」で講演を頼まれている。テーマは、「割り箸はもったいない?」である。

参加者は、食べ物の安全問題に興味のある人が中心とか。こういう人たちは、環境問題にも関心が高いようだが、そこで割り箸となると、おそらくマイ箸派が多いのではないかと推測する。その点は東京の割り箸シンポの際と違って、“敵陣”に乗り込むような気持ちになる(^^;)。

昨今の食品偽装問題でもわかるとおり、食べ物の安全というと、賞味期限とか原材料の産地・成分、そして添加物などが取り上げられることが多い。しかし、これらの点を厳密に追求すると、環境問題とは相反することになりかねない。

なぜなら、賞味期限を厳しくすると、食べる前に捨てることになりやすいし、美味しいところ、本物の材料にこだわることで、その周辺を切り捨ててしまう。また保存料などの添加物がないと、まず食品は傷みやすくて破棄する分が増えるだろう。また味を添加物で誤魔化さないと不味くて食えないものも大量に出る。廃棄物を大量に出すということは、環境的に問題があることになる。

ミートホープの偽装も、一面では使い道のない屑肉を食えるようにした、という見方もできた。赤福の売れ残り利用も「もったいない」精神の発露だった。製造現場からすると、「まだ食べられるものを捨てる」ことへの拒否感が偽装を引き起こしたとも言えるのだ。

世の中の「本物志向」は、無駄を生み出し、環境的にはマイナスが多いのではないかと疑っている。うまく騙されることも大切かもしれない。

実は、木材に関しても同じ思いを昔から持っていた。
日本人にある無垢信仰は、合板や集成材を嫌うことになり、大径木をありがたがる。しかし林業的には、育てた木質部を利用し尽くすために合板・集成材はもちろん、パーティクルボードやファイバーボードなどは貴重な製品だ。木質を使い尽くすことで、伐る木の本数も減らせるだろう。それは環境に貢献する。
合板に使われる接着剤の問題をどうのという人もいるが、その考え方は、食品の安全と環境の対立と似ている。

ただ木材で有利なのは、おそらく口にすることはないことだ。安全と言っても、食べ物ほど神経質にならずに済む。ただ割り箸は、口に付けるという点で、その端境にいる。敵陣で私は、どんな話をしようか。

さて、環境と安全、どちらを優先しますか?

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

あけましておめでとうございます。 フジTV騒動ではお疲れさまでした(^^)
 注意してみていると、知性のカケラもないTV番組でも最近は割り箸有用論に時間を割くようになってきたみたいです。
 もしかするとこのブログの影響もあるんでしょうか(^^?

 御著書にあったかどうか、よく覚えてはいないのですが、「無垢材信仰」ってのは節の多い材での仕事を嫌う下手な大工や仏師などのその道のプロが、加工し易い無垢材の価値を高めエンドユーザーに無闇に有り難がらせるように仕向けた結果なんぢゃないか? という見方もありましたね。
 その点、チェンソーアートってのは(笑)
 今年もますますのご活躍、力強い記事更新を楽しみに拝読させていただきます。 

無垢材信仰は、日本人特有のものかもしれません。できる限り加工度の低いもの(素材そのもの)をありがたがる発想ですね。とくに数寄屋づくりの進展とともに進みました。

でも、加工の手間を嫌うという点では「作り手」の都合であり、消費者の希望ではないですね。

チェンソーアートも、集成材でやる時代が来るかな?

割り箸ばかりでなく、以前にも当ブログで話題になった経木舟皿も是非話題にして欲しいと思います。
食料として小分け販売は戻りようのない状況でしょうし、惣菜品の販売も生活様式から拡大するものと想像します。
買い手側の購買意欲と見た目の価値を上げるためのツールとしての有用性と環境配慮の両面待ちで、なんとか発泡スチロールトレイからの転換ができないものでしょうか。
あの時は、たこ焼きの舟の話だったと思いますが、たこ焼きの舟皿、惣菜類や魚を販売するときに経木を使うとか、食料品の販売、流通においても、必要かと・・・。
あと、蕎麦やうどん、ラーメンなどの麺の入れ物(名称が分からない)もプラスチックからの転換を求めたいです。
出前の岡持ちも木製のほうが冷め難いのでは・・・。
そんなことを思いました。

舟皿そのものの大規模な復活は難しいかもしれませんが、それに代わるものとして、「木のトレイ」があります。

以前、このブログでも紹介したと思うけど、新方式の作り方なら形は自在だし、価格も発泡スチロール製と対抗できるはずだから、可能性はあると睨んでいます。

田中さん
>ミートホープの偽装も、一面では使い道のない屑肉を食えるようにした、という見方もできた。赤福の売れ残り利用も「もったいない」精神の発露だった。製造現場からすると、「まだ食べられるものを捨てる」ことへの拒否感が偽装を引き起こしたとも言えるのだ。

こういう見方もできます。「ミートホープの偽装は、くず肉を良い肉と偽り、不当な利益を得た。赤福の売れ残り利用も、『どうせ分かるまい』、という消費者を馬鹿にした考えだった。」
『正直に商売するより適当にごまかした方が儲かる』、という法律を無視した浅はかな倫理感覚が、偽装を引き起こしたとも言えます。
消費者側の私は、説明と違うものを買わされた場合、相手を詐欺師だと考えます。

そうですよ。TAKAさんの「見方」が一般的ですね。というより、昨年この問題に関して飛び交った報道は、こちらの「見方」から捉えたものが圧倒的(いや、すべて?)でした。何も珍しくはない。

だから、私は別の「見方」を紹介したのです。別に、偽装した彼らを擁護するつもりはないし、そもそも犯罪行為なのです。

ここで私が取り上げたのは偽装問題ではなく、安全性を求める発想と環境を求める声は、必ずしも一致しないのではないか、という「見方」、そして日本人の安全を追求する心は、無垢材を求める心と、底辺で結びついているのではないか、という「見方」です。

田中さん
>だから、私は別の「見方」を紹介したのです。別に、偽装した彼らを擁護するつもりはないし、そもそも犯罪行為なのです。

この言葉を聞きたかったのでした。これで田中さんの立場が明確になり、初めて訪れる読者の方が戸惑う事が無くなるからです。田中さんのここの記事の内容は、偽装についての見方が業者側からの物が強調されている様に見えるため、誤解する人が出てくるのではないかと私は考え、あの様な先の私の書き込みとなりました。

食べ物の「安全性と利便性のバランスの問題」については、私も以前から気にしています。安全性や環境を重視するならば、「添加物使用による長期保存」などの利便性は、ある程度犠牲にしなければならないと考えています。ただしその時、消費者が「天然素材」という言葉に幻想を持ちすぎると、詐欺師の思うつぼとなります。私は、業者の心理そして消費者の心理を双方が知る事で、安全性と利便性のバランスに対する理解がより深まると考えます。

私のこの観点から見れば、田中さんの仰る「無垢信仰」についても、もしも読者に「一方的な見方」と捉えられた場合、「ただ単に識者が無知な消費者を批判してるだけ」「木材不振を消費者だけのせいにしている」、と誤解されてしまう可能性が出てきます。そうなれば、田中さんの記事を読まなくなる人も出てきます。私はそうなってしまう事がとても残念に思います。田中さんがこうやって仲介者の立場で情報発信をする事は、消費者と業者の意識の差を埋めるためにも、重要な事だと私は考えています。

いろいろ気を使ってくださいまして…(笑)。

ちょうど本項目のセミナーも昨日終わったわけですが、意外と食の安全に興味を持っている人は、割り箸に理解があるのだなあ、と感じました。今回の参加者だけなのかどうかはわかりませんが。
両者は、絶対的に対立して理解し合えない、なんてことはないと言えるでしょう。

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