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2008年2月

2008/02/28

樹林墓地と樹木墓地

東京都が、都立霊園内に「樹林墓地」と「樹木墓地」をつくる構想を発表している。来年度から調査に入るそうだ。

樹木を墓標に見立てた樹木墓地、樹林内に埋葬施設を作る樹林墓地。どちらも遺骨などを自然に帰す意図があり、骨は土に触れさせる。永代供養といった形で一家族が土地を占有するものではないようだ。つまり木が大きく育ち、骨も消えた?ら、そこにまた別の人を弔うこともあり得るという考え方である。

せっかくだから、人が死んで焼かれることでCO2が放出されるが、樹木を育ててCO2を回収する、とアピールしたらウケるかもしれない。
いっそ悪のりして、骨が溶け込んだカルシウム満点の土を売り物にするとか。(▼▼)

まあ、そうした形態の弔いを望む人が多いのなら結構だが、ちょっと疑問に思うのは、そんな土地が東京にどれだけあるの?ということ。木が育つことを考えると、一人の墓には10m四方くらい、つまり1aくらいの面積が必要になるのではないか。都立霊園の広さは知らないが、需要に追いつかないだろう。いっそ、日比谷公園も代々木公園も新宿御苑も、ついでに皇居も…(~_~)\(-_-メ;)樹林・樹木墓地にしてしまうか。

ところで随分前に、旧ブログでも紹介した三重県大台町の佛國寺で進められている「生命の森」計画と良く似ていると感じた。こちらも墓標の代わりに木を植える。そして森を作るという発想だ。一方は大都会で、片や過疎地で生れるとは不思議な符号だが、何と言っても山里だから400ha以上の森林を用意していた。しかも、育てた森で林業をやる。

この構想、佛國寺の勝ち(^o^)。

2008/02/27

国語の問題文の基準

昨日とは一転しての自慢モード。(読む人は気をつけてください。)

今日も、拙著の文章を元にした問題を収録した問題集を発行する許諾願が届いた。

そこに、どのような基準で国語の問題文を選んでいるかの記述があった。

・中学生の自己形成にプラスとなるもの
・内容・表現等の質が高く、生徒に感動を与え得るもの
・中学生の関心や問題意識を喚起し、論理的な思考力を養い得るもの

えへん( ̄^ ̄)。拙文は、それに合致するというわけだ。
悪い気はしないなあ。
いよいよ「てにはを」の使い方に気をつけよう…。

私は、この仕事に就いた最初の頃、文学的かどうかはともかく、徹底的に「読みやすい文章」「理解しやすい文章」「読者を引きつける構成」にこだわって研究し、修業した。自分で自分用の文章注意ポイントを作成したりもした。多少は報われたのかも。

今日も、娘の作文を目にして、内容よりも出だしのつかみの書き方を説教しちまったよ。

2008/02/26

個性化競争

たしか養老孟司の「バカの壁」だったかに、教育で子供の個性個性というが、それはおかしいということが書いてあった。

人だけでなくすべての生物は、一個体ごとにみんな遺伝子レベルから違いがある。最初から個性があるのであって、むしろ重要なのは「それでも人」であるという共通部分があることである、だから教育で教えるべきは、まずみんな同じところがあるんだよ、人はみんな同じということではないか……うろ覚えなので間違っていたらごめんなさいだが、そんなことを書いてあった(と思う)。結構、目からウロコであった。

最近は、どんな業界でも他者との差をいかに生み出すかということが至上課題になっている。ほかにはない商品を作れ、ほかにはないサービスを生み出せ、というプレッシャーが生れている。そして産地間競争を行い、工夫を凝らさないと生き残れない。
それは熾烈であり、ある種の自由主義経済にどっぷりはまることを意味する。

実は私もそれを田舎や林業に対して主張している一人であって(^^;)、ほんと、厳しい競争を煽っていることになる。

でも、ねえ。本当にすべての地域が地域の産物使って、個性あふれる商品やサービスを生み出せるだろうか。新商品開発にしのぎを削って、乏しい予算と人材をすべて費やしたあげくに失敗、ということはないだろうか。もてなし競争やって、結果的にもてなす側が疲れ果ててしまったり、十分な対価を受け取られずに破綻することだってあるのだ。そうなると、もはや立ち直れない地域も出てくるだろう。

仮に完成した新商品だって、あまりに親切すぎて必要ない機能を付けただけだったり、デザインやネーミングを一新しただけかもしれず、それって環境を無駄に消費したことになるかもしれない。
もてなしだって、かゆいところに手が届くようなことせず、自分でかけよ、と思ってはいけないか。そんな過剰サービスが、下手するとモンスターコンシューマーを生み出すのかもしれないよ。

それは貪欲なグローバル化の尖兵になる危惧だってある。反グローバル化の立場から地域の個性を売り物にした競争を展開することが、結果的に勝ち組負け組の色分けを推進する、それって自由主義社会に則している……皮肉な運命ではないか。

今本当に求められているのは、そんな競争ではないはずだ。大多数の「負け組」(競争しない組)に合わせた社会づくりが求められている気がする。それは福祉的に救ってあげるのではなく、「勝ち組」(競争大好き組)から切り離した社会を展開すること……。もしかして人生の選択としては競争しない方が勝ち、となるかもしれない。

※コンピュータを使って競争社会と共存社会のシュミレーションを行うと、結果的に栄えるのはお互いが助け合う共存社会となった実験があったっけ。相手を出し抜き合う社会では、一時期の繁栄の後に滅ぶのだ。

どちらの社会に入るのか、その選択権も個人にゆだねてほしい。……こんな思考をしているのは、私が疲れている証拠か?

2008/02/25

若い人の田舎暮らし

昨日は、奈良町で学生が活躍している例を紹介したが、今日はまた別の若い人。

森林の仕事ガイダンス」(奈良)では、意外なことに若い人の姿をたくさん見た。東京では少なかったように思うのだが。中には大学生もいるらしい。
実は、先の京都の田舎暮らしセミナーでも、数人の若者がいた。聞けば学生だという人が何人かいた。

田舎暮らしとか、それに関連して「緑の雇用」で山仕事を考えるのは中高年が多いというのに、それとは別に若者の希望者もたしかにいる。

でも、その中身と言えば……奈良のガイダンスを担当した某によると、「使いものにならない」ような人が多いという。山の仕事の中身も知らず、理念先行型である。林業は地球環境を守る仕事! と思い込んだタイプか。
京都でもそうだった。なんでその年で田舎暮らしを考えているの? と私が聞きたくなるのだが、それでもしっかり田舎社会を見据えているならともかく、どちらかといえば田舎の暮らしのイメージ先行型だろう。

私の見てきたところでは、山や森林はたいして興味のない、むしろ職場の一つと考えている暴走族上がり?のようなタイプの方が長持ちしている。

今後、田舎暮らし≒山仕事希望者は、リタイヤ期周辺の中高年と、学生上がりに二極化するかもしれない。本当にほしい体力と知恵を持って田舎を救えるような人材は少ない。

ちなみに私も、某氏に「私も山仕事できるでしょうか……」と言ってみると、「年齢が高すぎます」と断られた(笑)。仕事内容も怖いしきついし怒鳴られると聞いてヤメトコ、となった小心者です。

若い人の田舎暮らし

昨日は、奈良町で学生が活躍している例を紹介したが、今日はまた別の若い人。

森林の仕事ガイダンス」(奈良)では、意外なことに若い人の姿をたくさん見た。東京では少なかったように思うのだが。中には大学生もいるらしい。
実は、先の京都の田舎暮らしセミナーでも、数人の若者がいた。聞けば学生だという人が何人かいた。

田舎暮らしとか、それに関連して「緑の雇用」で山仕事を考えるのは中高年が多いというのに、それとは別に若者の希望者もたしかにいる。

でも、その中身と言えば……奈良のガイダンスを担当した某によると、「使いものにならない」ような人が多いという。山の仕事の中身も知らず、理念先行型である。林業は地球環境を守る仕事! と思い込んだタイプか。
京都でもそうだった。なんでその年で田舎暮らしを考えているの? と私が聞きたくなるのだが、それでもしっかり田舎社会を見据えているならともかく、どちらかといえば田舎の暮らしのイメージ先行型だろう。

私の見てきたところでは、山や森林はたいして興味のない、むしろ職場の一つと考えている暴走族上がり?のようなタイプの方が長持ちしている。

今後、田舎暮らし≒山仕事希望者は、リタイヤ期周辺の中高年と、学生上がりに二極化するかもしれない。本当にほしい体力と知恵を持って田舎を救えるような人材は少ない。

ちなみに私も、某氏に「私も山仕事できるでしょうか……」と言ってみると、「年齢が高すぎます」と断られた(笑)。仕事内容も怖いしきついし怒鳴られると聞いてヤメトコ、となった小心者です。

2008/02/24

ならまち散策

久しぶりにならまちを散策した。
雪が舞う天候だったが、日差しもあって、あまり寒さも感じない。

ならまち。奈良町。奈良でもっとも古い街並みを残す奈良市の一角。古い町家が多く残り、そこに、ちょっとオシャレな店が誕生している。駅から徒歩15分くらいかかるので、今までディープな観光客しか来なかったが、最近はかなり人気が高まっている。神社仏閣の奈良観光は下降気味だが、奈良町は本当の奈良ファンが増えてきた。とくに今日は日曜日なので、かなり人通りが多い。これまで冬は閑散としていたのだけど。

京都の町家も人気だが、そちらとは少し雰囲気が違う。ちょっと庶民の町っぽい。

この中に私の知り合いが開いているエスニック・グッズの店に寄って、店主と話し込んだ。そして、その奈良町が登場する「鹿男あをによし」のロケの話で盛り上がった(^o^)。

「昨日は、あそこの角とあの店の前でロケしていて、玉木宏と綾瀬はるかがここで休憩していたのよ」
「デートのシーンのあの店は、外観はあそこで撮って、中の様子はあちらの店で…」
「玉木宏にカメラ向けると、すぐに付き人が止めに入って…」

なんて聞くと、思わず私も行きたくなる。ミーハーだわ。

014                                                 

街角のポスター。ほかにも鹿に関するポスターが増えたような気がする。                                             

奈良で一番古い町とされるが、実は奈良でもっとも新しい町になっている。私も数年ぶりの訪問だったが、新しいお店がたくさんオープンしていて、活気が滲み出ていた。と言っても、新しいビルが建っているのではない、昔ながらの町家を改造しているのだ。なかには町家のフランス料理、町家のバー、町家のFMラジオ局…と見て来て味わって楽しめる。不思議なアート、布、綿などの店も多くなってきた。
ただ、男一人で歩いているのは、あんまりいない。誰か一緒に歩く人はおらんか。

ところで、奈良町の一角に面白い会社があった。「奈良町情報館」に居を構える、株式会社地域活性局である。経営するのは、奈良大学・奈良県立大学の学生。サークル活動が前身らしいが、今や独立した法人で、大学はまったく関与していないらしい。
事業内容は、吉野の村々の野菜などの物販。野菜は路上販売のほか、お店にも卸している。覗いたときにはハチミツや割り箸(ヒノキ製)なども並んでいた。さらに客寄せとして、伊勢型紙(着物の染色に使う柿渋紙)展も開いていた。

実はオープンスペース奈良町物語館では、大学の地域活性化に関する発表会が行われていた。ほかにもFMラジオにも大学生が取り組む番組があったり、とわりと大学と地域の提携が目立つ。奈良町だけではなく、奈良では大学と町の距離が短い気がする。生駒でも商店街に奈良女子大のゼミが入っているし、近畿大農学部は棚田再生に取り組んでいる。

今日は、ならまちセンターで奈良県の「森林の仕事ガイダンス」もやっていたのだが、それはまた別の話。

2008/02/23

マイ割り箸の主流は組立式?

たまたま東急ハンズを覗くチャンスがあったので、迷わず箸売り場(^o^)。

ちゃんと最近はマイ箸コーナーができている。 最近の主流は、折り畳み?  伸び縮み?  いや上下分解可能で、短くして持ち歩くタイプである。食べるときに組み立てる。                                                         

1                                           

はい、マイ箸のお持ち歩きセット。ちょっぴりオシャレ?レトロ?な布袋。そして左横には木製のケース。
ある意味、もっともオーソドックスかもしれない。「マイ箸クラブ」というブランド?にもなっている。その分、値段も高め。

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こちらは「かくれん棒」という商品名でウケ狙い。隠れるというのは、箸がポケットや小さなバックに入れられるという意味か。これは箸がむき出しだが、衛生的にはどうなっているのだろう。別の袋に入れるか、それとも箸先は、縮めて中に収納する構造なのか。

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その名も「つなぎ箸」。見た通り、分解タイプだ。ネジ式である。こちらは明らかに箸だけなので、持ち歩き容器は別に必要だ。

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というわけで、箸キャップ。箸全体ではなく、先だけを保護するタイプ。中も洗えるようだ。旅行用の歯ブラシにもよく似たキャップがあるが、こうなると実用一点張りね。

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これは、マイ箸携帯セット。分解式のように見えるが、注目すべきは、先が四角いことを売り物にしていること。これって、割り箸の特徴だ。私が割り箸が好きなのも、先が太めで四角くてものをつかみやすいのだ。マイ箸も形状で差別化するようになったか。

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  これも「組立式」と書かれた通り、分解して持ち歩くマイ箸だが、よく見ると、ウェットティッシュが入っている。これで食べた後は拭いなさいよ、というセットらしい。ティッシュは1回分だけのようだから、毎度補給しなければならないだろうが。でも、ティッシュで拭くだけで次の日も使うなよ。カビが生えるか細菌繁殖しているぞ。

というわけで、マイ箸特集でした。私がマイ箸を紹介するのもヘン?
でも、あえて割り箸とともに考えてみるのもよいと思う。ただし、ここに登場願った箸のほとんどはプラスチック製であることは留意したい。木製だと、分解したり組み立てる構造にするのがむずかしいからね。マイ箸は、塗り箸振興には結びつかない。

それと、割り箸にも組立式はある。組立というより差し込み式か。毎回、先の部分だけを交換するという業務用割り箸である。こちらは先の部分は使い捨てだから、洗う手間は省ける。そして気持ちだけ木材の使う量を減らすものだ。

2008/02/22

水産資源のからくり

水産流通に関わっている人の話を聞く機会があった。

驚いたことに、日本の水産資源は減っていないのだという。巷では、乱獲による減少が問題となり、漁獲制限や禁漁する漁協まで現れたというのに。いや、学問的にも水産資源の激減が話題になっているのだが。

問題は、これまで獲っていた魚種の減少と、漁場の変化なのだそうだ。それは世界的規模で起きる魚種転換や、地球温暖化の影響も考えられる漁場の移動が引き起こしている。だから、これまでと同じ魚種を狙って同じ漁場・漁法で挑んでも獲れない
また、これまで消費されている魚種ばかりを求めることに問題がある。

この資源量に関しては、まだ議論の余地もあるが、確実に言えるのは、日本の漁師は、本来の水産資源の半分以下しか利用していないことである。たとえば潜在的に水揚げした魚も、売り物になるのは少量で、売れない(本当に売れないのではなく、流通に乗らないだけ)魚は、せいぜい地元で消費するか捨てている。また売れないから出漁もしなくなって、目の前にいる魚を獲っていない。

結果的に、漁師の収入は減って、食えないから廃業する…すると、また水揚げが減って、安定供給できなくなり、いよいよ流通に乗らなくなる。その穴埋めに輸入魚が増える。

そこで考えなければならないのは、売り物にならない資源を売れるようにすることだ、というのだ。ここでいう「売り物にならない」のは、何も不味いということではなく、安定供給できない、サイズが揃わない、消費地に知られず引き取られない、あるいは生産地が価値を知らない…などの点から来る。漁師には脂がのっていずに不味いとされる魚も、調理の仕方で美味しくなったり、淡白さを求める客がいることを知らないこともあるそうだ。
それらの要因によって価格が安く、引き合わないという問題もある。

……こんな話題を、「林業・林産業」のカテゴリーで書くのは、もちろん林業と構造がよく似ていると感じたからだ。

林業でも、国産材は資源としては十分にある。木材自給を可能にするほどだ。
ところが、流通がなっていず、売れない。価格も安い。消費者も国産材を知らないし、生産者も国産材商品を作らない。

上記の業者は、水産界の流通システムの改革に乗り出している。すでに省庁上げてのバックアップも行われている。農水省・水産庁だけでなく、国土交通省も経産省も総務省も動いているそうだ。なぜなら水産資源は離島の維持と安全保障にも結びつくから。

なぜ林業は、そうした動きが起こらない、起こせないのかなあ。

2008/02/21

住居のない田舎暮らし

先日の田舎暮らしセミナーに出席した人からメールが来た。

そこでセミナーの感想が書かれているのだが、ちょっとあきれたというか、驚いたのは、誘致する側が、「うちの田舎には、住宅や土地を売ったり貸してくれる人はいない」と言われたと記してあったことだ。

私も講演で、田舎で住居を得る難しさを説明したし、その点をクリアしないとIターン希望者を迎え入れられませんよ、と訴えたのだが、その後の交流会?で、そんな発言が出たのでは困ってしまう。

少なくても会場に来ているのは、誘致しようと思っている人々のはずなのだが、「住居を得られない」といった時点で、もうオシマイではないか。少なくても、「私がなんとか努力する」くらいは言わないと。
それとも、もともと誘致する気はなくて、行政とのおつきあい出席だったのか。

田舎暮らしの最低条件は、住居、次に収入源である。実はみんなが心配する近所づきあいは、その後に来る小さな悩みにすぎない。

そういえば別の場で、すでにIターンで田舎に来ている人から、不在化している地主の土地や農地を、税金などの面から半ば圧力掛けて手放させる方法はないか、という提案をしつこくしている人がいた。それは法的には難しいだろう、と応えざるを得なかったが、しかし、そう思ってしまう状況があるんだろうなあ。

2008/02/20

国宝の木造建造物

韓国の国宝・崇礼門南大門)が焼け落ちた。

はたして崇礼門は復元できるのか? ということが話題になっているが、実は復元では意味がない。というのも、新たに作り直したら、それはレプリカであり国宝ではなくなるからだ。日本でも金閣寺が戦後放火で燃え落ちて、その後復元されたが、すでに国宝の指定を外されているはずだ。

一方で法隆寺の金堂も、同じく戦後すぐに火事にあっている。そして壁画などが燃え落ちたが、現在も国宝だ。

その差は、法隆寺の場合は「修復」だったかららしい。実は燃えたのは壁画だけでなく、かなり堂そのものも焼けたのだが、かろうじて構造材となる木材は燃え残っていた。だからそれを元に「修復」したことになるらしい。金閣寺は完全に焼け落ちて、それができなかったのである。

とはいえ、現在の金堂のかなりの部分が戦後に作り直された木材であることは間違いない。それでも創建当初の技法が残っていたらよいのか?

実は、法隆寺の五重塔自体も、最初の創建後に火事で焼けているらしい。本当に火事にあっているのか論争もあるが、当時の焼けた壁土まで出土したのだから、おそらく間違いないだろう。とはいえ、100年程度若くなっても世界最古の木造建造物であるらしいので、そんなに気にしないかもしれない。

が、さらにさらに、その塔の構造には、が入っている。柱を貫で補強する構法は、後世のものだ。おそらく鎌倉時代以降だろう。何度も修理をするたびに、部材を入れ換え、構造まで変えてきたのだ。今の五重塔のうち、白鳳の時代の木材は、全体のどれだけか一度調べてみたらよいのではないか。

同じく国宝の東大寺大仏殿や南大門にも、イギリス製の鉄骨が入っていることは、拙著『だれが日本の「森」を殺すのか』に記した。正倉院も、明治の修復で西洋のトラス構造が作られている。

このように考えると、「修復」と言っても部材や構造まで変えているのなら、創建時のままだという国宝の根拠が覆る。

木造建造物の価値は、実は古さにあるのではなく、その歴史性・継続したストーリーではないか。そして国宝に値するデザインと国民の支持があることで連綿と「修復」されてきた。残したくなる価値があるからだ。それさえ保てば、いかなる手の入れ方でも「復元」ではなく「修復」になる。

韓国の崇礼門も、写真で見れば、まだ立った柱が残っている。安心して「修復」し、再び国宝になればよい。

2008/02/19

入試問題と「てにはを」

昨日は、立て続けに郵便やメールで、拙文を「入試問題」に使ったという連絡が入った。

あんまり詳しく紹介するとマズいかもしれないが、一つは同社大学の某学部の国語の入試問題に『割り箸はもったいない?』の中の一文を使ったというもの。それに目を通すと、結構な長文である。たしか先に某問題集に引用したいという連絡も受けているが、そこの部分と微妙に重なっている。予想問題としては、いい線をいっていたことになる。やはり、問題にしやすい箇所というのがあるのだろうか。
それにしても、これだけの長文を時間内に読むのは大変。かなり速読と素早い読解力の技術がいるだろう。

それと某私立中学の入試には、『森林からのニッポン再生』からの一文が使われたようだ。どちらも昨年の出版。案外、出版してすぐに引用されるものなのだなあ。それにしても、中学入試ということは、現小学生が読むということだ。

国語の問題に引用されることを意識すると、今以上に気をつけなくてはならないのは、一般にてにはを、と呼ばれる助詞(特に格助詞)を文法的に正しく使い、明確な文章を書くことだろう。実は、私の古い文章に目を通していても、結構助詞の使い方にズレを発見することがある。するすると読めてしまうので気がつきにくいのだが、厳密には使い方を誤っている、あるいは意味をぼやしかた使い方をしている時がある。
実は、これこそが「わかりにくい文章」の元凶なのだ。一見優しい言葉を使っていても、てにはをを誤ると文意が正確につかめなくなる。そのうちに、読みたくなくなる。逆に、小難しいことを論じていても、語順や助詞をうまく使い、主語述語を明確につなげると、理解しやすくなる。……以上、文章講座でした(^o^)。

入試に引用しているところは、そうした間違いが少ないところを選んでいるのだろうか。

受験生諸君、受験勉強にもつながるから、拙著を購入するように(^o^)。

ちなみに、娘の学年の問題集にも拙文は入っているのだが、娘は見向きもしないよ。だから、国語がダメなんだ(-_-メ)

2008/02/18

田舎の盛り場

高知では、シンポジウム後に分科会があり、みっちりと話し合った後に、さらに懇親会。

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まずは地元の食堂。ここに座敷があったの? と地元の人も知らなかったお店(^^;)。ここではお寿司におでんにチャーハン。それにお鍋。

                                              

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そして二次会に選ばれたのが…名前忘れた(^_^メ)…cocona? とか言ったっけ。それが、なんと田んぼの中に建っているようなパブなのだ。建築現場の鉄パイプを元に透明なアクリル波板という斬新さで、カウンターにテーブルに座敷?もある不思議な造りで、波の音が聞こえる。きっと窓の外には椰子の木があるのだろう。。。ちょっぴりトロピカルな、でも並んでいるボトルは焼酎が多い。そして、お習字の紙が所狭しと吊るしてある。

あまり田舎では見かけない店だけに、若い者のたまり場になっていた。たしかに、こうした店は、息抜きになるのだ。私も生駒の住宅街の中に隠れバーを確保しているが、そうした店に行くと、居酒屋とは違った気分になれる。それは、とくに田舎の若者には必要な場所ではないだろうか。

同時に、田舎暮らし先での仕事場として、田舎にはない飲み屋というのは意外と当たるかも、と思った。さっそく、京都でも報告しました。
ちなみに、この店のオーナーは、写真の真ん中に映っているが、実は町会議員でもあるのだった。

その後、三次会は、昨夏も訪れた根付き巨木を活かしたカウンターがある「なんてん」(本ブログ2007年8月8日)であったが、私は明日が早いので未練たらたら別れて宿舎に。

2008/02/17

2日連続の田舎暮らしセミナー

土日と、高知-京都を渡り歩いた。

その間のドタバタは、またの機会に(ホームページが裏ブログに書くかもしれない)するが、どちらも仕事は、田舎暮らしのセミナー

ただし、高知の嶺北では、田舎暮らし希望者を迎える側。そして京都は田舎暮らしを希望する側。まさに裏表の関係各者が対象であった。
その意味でどちらにも応用が聞いて面白かった。高知で関係者と話した内容を、即京都に伝えることができたからだ。また京都では、高知で田舎暮らしする手もあるでぇ、とお勧めしておいた(^^;)。

その具体的なこともおいおい報告できればと思うが、ちょっと意外な出会いもあった。

まず高知で会った一人は、昨年冬の宝塚で開かれた田舎暮らしセミナーで出会った人であった。彼は、すでに高知に移住して活躍中なのである。

そして京都の会場では、フリーペーパーの記者として、かつて朝日新聞で記者をしていた人に声を掛けられた。彼は私と初対面と思っていたようだが、実は以前会っている。
それは、拙著『チモール知られざる虐殺の島』の取材でであった。この記者は京都大学探検部出身であって、当時ポルトガル植民地だった東チモールに訪れている。そして『忘れられた南の島』を出版していた。私は、その本を読んで著者に会いに行ったのである。

今は、定年退職後にフリーペーパーを発行して、自分で取材して回っているようだ。思わず東チモール情勢の話題になったよ。当時は、私も国際派のルポライターだったのである。

2008/02/15

水車の力

これは、私の地元・生駒山の水車である。

007                                              棚田地帯を流れる小川に作られた。
水が流れず水車が回転していないのは、雪が降って水がついたまま凍るとやっかいだから。

この水車計画は、この棚田地帯に永く通っているNPOのアイデアである。それを市議会議長が推進していたが、昨年逮捕されてしまった。

そこで計画も水に流れたかと思われたが、なんと地元が立ち上がって援助なしで作ってしまった。みんなから寄付を集め、NPOのメンバーが設計し、材料を調達し、それをまた地元の大工が仕上げた。そして設置。軸受けはコンクリートだし、結構大きな工事だったようである。
今後は発電機も作って備えようと計画されている。2mの落差で水力発電し、その電気でイノシシ避けの電気柵を設置しよう、水車を見学する遊歩道を棚田の中に敷こう、というところまで話は進んでいるようだ。そうなれば、生駒山のハイキングコースも大きく変わるだろう。

なかなかの進展ではないか。これまでよそ者のNPOが主導しているイメージがあったが、いよいよ地元の動きだした。こうなれば、相乗効果でより大きなこともできる。下手に行政が関わらなかったことがよかったのかもしれない。こうした例は、実は少ない。

「水車の力」とは、水の力ではなく、水車を作ろうとする力、その魅力のことである。

2008/02/14

森林リサーチ科

ストップ温暖化大作戦~CO2削減「一村一品プロジェクト」~の全国大会で、京都府北桑田高校森林リサーチ科が、『地元の木を使って「ウッドマイレージ」を減らそう!』が全国1070件の提案の中からランプリを獲得したそうだ。

ようするに地元の木で家を建てるというものだが、私が目を留めたのは、高校に「森林リサーチ科」というのがあることだ。昔の林業科から名を変えたのではないかと想像するが、う~ん、何をリサーチするんだ?

ちょっとホームページを覗いたところ伐採のような施業のほか林産加工を得意とする学科のようだ。

大学から林学科が消えて行って久しい。ほとんどの林学科が森林なんとか学科に名を変えた。その流れが高校にも向かったのだろうか。

ところで大学では、かつて林学科と言えば男の巣窟だったのが、森林○○学科になったとたん、女子学生が増えたそうだ。我が母校など、女子学生の方が人数が多いと聞く。林学よりも、森林学の方が、女性を呼び寄せる力があるらしい。結構なことではあるが、その実習内容を考えると女性が過半で大丈夫? とも思う。もっとも教官によると、女子の方が男子より頑張る…とのことだったが。

名前を変えるだけで、学生募集が有利になることを身をもって示したのだから、林業もそろそろ考えなくてはならないかもしれないなあ。

2008/02/13

風邪?でダウン

朝から身体がだるい…くしゃみも咳も出ないけど、やはり風邪のよう。

今週中に片づけようと思っていた原稿があるのだが。それに週末は、高知県の土佐町に行って、翌日は京都、とかなり強行スケジュールなのに、身体が持つかなあ。ちゃんと、夜の宴会も用意しています、と言われちゃったけど(^^;)。

と、そこへ電話で仕事依頼。目茶苦茶急な仕事なのに、受けてしまう。朦朧としたまま、書き出すが、明日読み返して送れる出来だろうか…。ブログじゃないんだから。

というわけで、今日はこれだけ。

2008/02/12

消えたコナラ

大雪から一転、快晴が続いた昨日、生駒山に行った。

目的は、以前切り倒してからチェンソーが壊れて放置したコナラを取りにいくことである。
まだ新しいチェンソーは手にしていないが、父親がシイタケ原木を早くほしいというので、手ノコできることにしたのである。すでに伐採してあるその木は、幹は太いが枝分かれが多くて、時間をかければ手ノコでもホダ木づくりはできる。

ところが……現場に行くと、コナラがない。いや、細い粗朶は残っているが、幹部分がない。盗まれた……?!

倒してあるコナラを見て、これ幸いと持ち帰った人がいるらしい。何に使うのか。まさか炭焼きとは思えないから、やはりシイタケのホダ木か。それとも薪ストーブ用か。

盗まれたことというより、まだコナラやクヌギの木を求める人がいることに驚いた。そういえば、少し山手に行くと、写真のようなものを見かけた。

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やっぱり薪か!

大きなビジネスにはなりにくくても、案外コナラやクヌギの木材は需要があるのかもしれない。そういえば、木工用にもなる。小金稼ぎの出荷は考えられるかも。あるいはコナラ伐採体験を売り物に、環境教育するとか。

さて、肝心のホダ木を作らないといけないので、残された切り株を切ろうとした。だが直径20㎝を越す。チェンソーならなんともなくても、手ノコではとてつもなく、きつい。コナラは材質も非常に硬いし、だいたい刃渡りが直径に届かない。周りから刃を入れていかないといけない。しかも、よく切れるノコを、と普段の山用ではなく自宅の木工用を持ち出したのだが、切れ味はともかくひ弱く、壊れてしまったよ(;_;)。

それでも悪戦苦闘して、なんとか切り落とす。が、それ1本ではなあ。

そこで別に細いコナラを探して、ノコで伐採し、ホダ木に仕上げた。汗まみれ。
しかも休日だから、やたらハイカー?がよく通る。見られるのがイヤで手を休めたり、隠れる(^^;)。すると、目の前でバイクが転倒した……。乗り手は誰も見られていないと信じているようなので、あえて助けに出なかったよ。

なんとかかんとか、ホダ木を10本近く用意して、両親のところへ運んだ。菌打ちは、私が手伝ってもいいのだが、父の仕事である。

2008/02/11

ブックオフで自著を

昨日、ふらりと寄ったブックオフで、『日本の森はなぜ危機なのか』を発見した。
『森・危機』は、もう絶版になっていて、私の手元にも数冊残すのみだ。

私の本は、あまり古本屋で見かけない。これには二つの解釈が成り立つ。

1、そもそも本があまり売れていないから、古本屋に回る分も少ない。
2、私の本を買った読者は、なかなか手放そうとしない。

さて、どちらだ? 
発行部数がたいしたことないのは自覚しているが、買った人は読んだ後も手元に残したいと思うだろうか。それとも、目を通したら用なしとしてブックオフなどに売り飛ばすか。それは、自著に対する愛着・あるいは保存すべき内容かどうかにも関わる。さらりと読んで、その後開くこともないのなら、売った方がマシだろう。

それに自分の本が古本屋に並んでいることに対する思いも微妙である。

1、古本が売れても、私に印税が入らない。新刊を買ってほしい。
2、増刷されず新刊書店にないのだから、古本の形でも読む人が増えてほしい。

さて、どちらだ?
ま、どちらでもあるんだけどねcoldsweats01

だいたい私自身が古本屋を愛用しているのだから、自著が古本屋に並ぶことをいやがる資格はないだろう。そういえば、自著を古本屋で買ったことがある。
やはり絶版の『伐って燃やせば「森は守れる」』である。懇意にしている人が、この本を欲しがっていたのだが、私の手元にも保存用の1冊しかない。そんなときに古本屋で見かけて、つい購入してしまった。そして次に会った時にプレゼントした。

ところでブックオフは、なぜあれほどけたたましいのだろう。常に音楽(それも静かなBGMにはほど遠い、パチンコ屋のような音量)と宣伝、そしてバカの一つ覚えのような全店員による心のこもっていない挨拶。あれは、客の心をかき乱し、本を選ぶ思考を停止させ、衝動買いさせるための陰謀ではないかと思っているが……。

2008/02/10

割り箸工場の数

今日は3連休の中日なので、休もうかと思っていたのだけど…

日本の割りばし生産工場の数が林野庁より発表された。それによると2006年に101だそうだ。この数字は、調査を始めた1993年以来の過去最少だという。その大半は吉野にあるので、そのほかの地域はわずかだろう。

林野庁や貿易統計によると、06年に日本で輸入された割りばしは245億膳で、1993年比で26%増。これに対し国内生産は同89%減の5億膳だった。輸入割り箸が占める割合は98%で、そのうち99%が中国産である。
それにしても2006年というと、中国が割り箸輸出を停止するかも、というニュースが流れた年。その分、国産ものに期待がかけられた時期ではあるのだが、実際は国産も減少の一途をたどっていたわけだ。

だが、現在はもっと悪化している。昨年(2007年)には、吉野だけでも3つほど廃業したと聞く。職人の高齢化と後継者がいないなどの理由のようだ。つまり、現状は100を切っているのではないか。
ただ愛媛などに大型工場ができたとかいうニュースもある。ちょっと実数はわかりにくい。

林野庁は「割高でも、国産材を使えば森林保全もできる」と国産割りばしの普及に力を入れる考え……とコメントしているが、実態はどんなものか。

2008/02/09

経済音痴の間伐促進

政府は、というより事務次官会議が、「森林間伐等実施促進特別措置法案」を内定させ閣議決定したそうだ。なぜ政治家ではなく役人が法案をつくるのか前から不満があるが、それはさておき、そのうち国会を通るのだろう。
いわずとしれた京都議定書に基づくCO2森林吸収源対策推進のためである。2012年度までに追加的間伐などを行う計画を市町村が作成し、国は市町村に法定交付金で助成するものだ。地方債の特例措置も講じるらしい。

補助金で間伐することの危険性をどのように考えているのだろう。別のところのトニーさんのコメントにもあったが、国産材を売ろうとする林家の努力を無にする危険性がある。また先に、『間伐材の新商品」報道』の項目でも論じたが、間伐すること、あるいは間伐材を出せばよいのではなく、その間伐材からどんな商品を作り、どのように売るかを考えていない。

売れないのに、補助金で間伐すれば、木材はだぶつき材価は下がる。それは、すでに努力してきた業者を圧迫する。廃業すれば、いよいよ真っ当に間伐材を買う人、使う人は減る。結果的に切り捨てにするか、大手企業が安く買い取って、合板にするかチップにするか…。安く買えたと高笑いする業者は出ても、林家は補助金漬けになるだけだ。そして国家は、またもや財政を悪化させる。
おそらく、目の前の国際公約の達成(CO2排出削減)しか興味がないのだろう。経済を考えない役人らしい。林家を見ず、外国の目を気にしている。そして天下国家の大計を論じず、自分の任期を気にしている。

百歩譲って国際公約だけでなく森林整備のために間伐促進するにしても、間伐材商品が売れるようにすることで誘導すべきだ。適正な間伐から出た木材を優先的に買い上げる、あるいは適正な間伐材を利用した商品を買うと何か特典が付いて儲かるようになれば(これも痛しかゆしだが)、自然と間伐材需要が増え、間伐が進むだろう。

経済は、流れである。資源-生産-加工-販売-消費-廃棄-資源…。この流れをよくして循環させることを考えないで、資源(間伐材)ばかりを補助金で生産現場に押し込んでも、市場にだぶつき、加工もままならず、売れず、糞詰まりになる。
やるべきは、消費を刺激することで販売、加工、生産…と遡らせる方策ではないか。

2008/02/08

明日香村の古墳戦略

昨日から、奈良県明日香村の真弓鑵子(まゆみかんす)塚古墳には、日本最大級の規模であることがわかったニュースが全国を飛び交った。

石舞台古墳を超える巨大な玄室があるだけでなく、石でドーム状の構造を築いた技術といい、玄室とは別に奥室を持つ例のない構造といい、非常に興味深い。またもや、飛鳥ブームが来るか?

ちょうど昨夜の「鹿男あをによし」でも、明日香村が登場して、なかなか魅力を伝えていた。石舞台やら高松塚やら各地の古墳を巡り、出土物を紹介してくれた。邪馬台国の可能性まで語る。(余談だが、私はこのドラマの登場人物では、歴史の教師…というよりは歴史マニアの藤原道子が好きheart。こんなに滔々と歴史を語る女性がいたら憧れるな)
そして、明日香村の古墳戦略というものを感じるのだ。

今から20年近く?前に、明日香村の村おこしを取材したことがある。
その時に言われたのは、今は高松塚古墳で賑わっているが、本当はもっとすごい古墳や遺跡がいくつもある。それを順々に発掘して公開していく、それで観光客を引きつける、という戦略だ。すでに壁画のあるキトラ古墳の存在はその時わかっていたが、それが正式に発掘して公開されブームとなったのは、それから10年以上もたってからだ。
そして、亀型遺構が見つかり、蘇我馬子の邸宅跡が発掘され…今度は、日本最大の古墳だ。

やるなあ。何もすべてが意図的だとは言わないが、がっちり、全国の古代史ファンの心をつかんでいるぞ。

明日香村は、市町村合併をしない道を選んだ。それは結構厳しい選択だが、古代史の舞台であり、古都である強みを活かしてほしい。古墳の発掘が全部終わるまでは大丈夫かな。

2008/02/07

花粉症とダム

大阪に出たら、マスクをしている人をよく見かけた。

どうやら花粉症対策らしい。今年は、かなりスギ花粉の量が多いと推測されている。関西圏も、すでに放出が始まっているようだ。これからしばらく、また騒がれるに違いない。

早く花粉症が修まるような治療法が見つかるか、あるいはスギやヒノキの花粉を抑えられるようになるか願っている人もいるだろう。

しかし、今や花粉症は産業になっている。医療費はもちろんマスクなどの器具類も売上は大きい。また花粉症対策の商品も多く出回っている。
和歌山県北山村特産の柑橘類じゃばらの果汁は、花粉症に効くということで引っ張りだこだそうだ。それを飲むとウソのように鼻がスキッとするのだそうだ。実は柑橘類の果汁には、抗ヒスタミン効果があるのだが、とくにじゃばらは強いようである。おかげで、北山村は、じゃばらを中心とした村おこしを進め、かなりの恩恵を受けている。もし花粉症がなくなると、じゃばらが売れずに困るかもしれない……。

そこで不謹慎かもしれないが、花粉症とダムの相似性に気がついた。

ダムも、環境派からは嫌われている。そしてダムの撤去を求めているところもある。
たしかに無駄なダムはあるし、ダムによって渓流の生態系は破壊されたことは間違いない。しかし、ダムができて数十年もたったところでは、すでにダム生態系が完成されている。そこにしか棲めない動植物が広がっているかもしれない。もちろん、ダムによる洪水調節や利水などの役割もあるだろう。
だから、ダムを撤去すると、ダム生態系を破壊することになる。それでいいのか?

まあ、乱暴な比較だが、花粉症にも、そんな要素があるかもね。

2008/02/06

群馬県庁が国産割り箸を

割り箸の話題が続いているので、またもや。

群馬県庁の生協の食堂(3カ所)が、先月より県産木材による割り箸を導入したそうだ。それまではプラスチック箸だった。更新時に合わせて、割り箸に変えたという。

この割り箸は、県内の授産施設で作っているもの。間伐材と謳っているが、実は端材、つまり背板だ。上毛新聞の記事には、しつこく間伐材と書いてあるが…。これは、記者の思い込みではないかな?

ちょっと気になるのは、材料を製材所から無償で入手していること。それで値段が下がるのなら悪くない。製材所も処理する費用が浮くのかもしれない。しかし、本当はちゃんと商取引してお金を落として欲しかったが…。なお、使用済割り箸は回収されて、同工場の乾燥用燃料に使われるそうである。

使われる量は、1ヶ月に2万膳。

ともあれ、プラスチック箸を割り箸に転向するケースも出てきたということだ。今後は県内だけでなく岩手県の大学生協にも卸すという。当然、樹恩ネットワークとも連携しているらしい。そして月産7万膳を見込んでいる。

生産すれば、(そして価格がそこそこ安ければ)使いたいという施設は結構たくさんあるのだよ。これまで、国産割り箸がないから、中国産を使っていた、あるいはプラスチック箸を使っていたというところもあるような気がする。そんな潜在的な消費者が表に出て来てほしい。

2008/02/05

割り箸新事情

昨日に続いて、割り箸を巡る新事情。

このところ、私のところに国産割り箸参入に関する情報がいくつも届く。

まず北海道に進出する予定だった箸袋メーカーが、宮崎にも目をつけた。韓国輸出用に製材した際に出る背板を利用したいそうだ。
一方で、宮崎でも某地域の教育委員会関係が割り箸づくりに興味を示しているという。昨秋、私が宮崎に行ったときも、授産施設で割り箸を作れないかという声を耳にしていたから、それらと連動しているのかもしれない。

また福島で始めたいという人もいる。

一方で中国に吉野杉を輸出して、それを割り箸に加工して輸入していたシースワローが中国を撤退。愛媛に別会社として稼働させ始めたと聞く。

私としては、このような動きは大歓迎だ。これで国産割り箸の生産が増えたら、それを販売する方法はいろいろあるはずだ。昨日も書いた通り、すでに価格差は縮んでいるし、アドバシの発想も広がりつつある。国産回帰の動きも後押しをする。安定供給体制を作らないと、そうした販売努力がしにくいのだ。

ただ、ねえ。気になるのは、吉野。新しい動きは,やはり割り箸の故郷・吉野を視察に行くが、どうも警戒心を持っているようだ。ライバルが現れることに対するものか。吉野の割り箸受注が減ることを心配しているのか。

しかし、それは狭い了見だろう。何より底辺の普及が大切だ。中国産に席巻されている割り箸を少しでも国産に変えることで、割り箸好きが増えたら、結果的に高級割り箸も売れるだろう。そして吉野は高級割り箸としての地位を守ればよいのであって、量産計画に対してまで敵愾心を燃やす必要はない。

どんな業界でもあるのだが、新しいことを始めたら、まず普及させることが重要だ。自分のところだけで囲い込もうとすると市場自体が小さくなる。すると、独占しているつもりの自分のところまでパイが縮小してしまう。最初は、心を広くもって普及し、その後に技術や差別化で競争するのが真っ当な戦略ではなかろうか。

2008/02/04

オリンピックに割り箸を

東京で仕入れた割り箸情報。

まず写真を。062                                                  

                                                      

これは北京オリンピックの日本人選手団用の国産割り箸だ。日本のトレーニングセンターはもちろん、北京の選手村にも持ち込んで使う予定だ。割り箸生産国に日本から持ち込むのだから、ある意味、挑戦的でもある。

これを企画したのは、東京・箸勝本店と長井紙業。これらの割り箸は寄贈だそうだ。約10万膳が提供される。それでも国産割り箸を広めるための作戦である。本当なら何億円も払わなくてはならないオリンピックマークが、おかげで無料となった。

ちなみに箸袋の裏には「このお箸は、奈良県吉野桧の間伐材、端材を利用作られた安全で衛生的な、日本のお箸です。間伐材、端材を利用することにより、日本の森林資源の育成に役立っています」と書かれてある。
オリンピック選手の方々よ。この国産割り箸を中国の人々にも大きくかざして食事してもらいたいものである。

見た通り、元禄箸で、価格的には1膳2円50~60銭だという。今や中国産の割り箸も2円を越しているから、価格差はかなり縮まったことがわかる。しかも、農薬入り冷凍餃子事件で、またもや中国の食品安全に疑問符が付いたこの時期だ。(この事件そのものの真相はまだわからないが、中国の衛生事情が容易ならざる状況であることに、日本はもっと気を使うべきである。)

国産割り箸の反転攻勢の一歩になってほしい。

割り箸の新事情については、ほかにもいろいろあるので、少しずつ紹介していきたい。

2008/02/03

森林の仕事ガイダンス・東京

本当なら、出来杉計画ブログで報告されるべきなんだろうけど、肝心の出来杉くんが東京の上、プログがお休み中なので、私から報告しておこう。

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実は東京で少し覗いたのが、秋葉原で開かれた「森林の仕事ガイダンス」。緑の雇用事業の募集である。
私は2月1日の始まり直前に顔を出しただけなので全体の雰囲気はわからないが、オープン前から行列ができていた。やっぱり東京は人が多いな、と思った(^o^)。でも、始まる前に会場内に入ってしまったので、みんなが一斉に入場するところを内側から眺めるようになった。やはり高齢者が多いが、そこそこ若者・壮年層もいる。一人若い女性がいた。

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でも、以前大阪のガイダンスを覗いた時に比べると、なんだかこじんまりしている気もする。各森林組合のブースが少ない? 
その点は判断がつかないが、そろそろ「緑の雇用事業」もオシマイに近づいてきた気がする。景気が一応は回復基調であるほか、そろそろ新鮮味が薄れてきたのである。就職も流行だからね。

ところで出来杉クンのチェンソーアート実演は、こんなところでやっていた。                             7

                                                

ガラスケース…じゃない、ガラスの部屋が野外に作られているのだ。これまで室内でやるには消防法だかで、エンジンつきチェンソーが使えず、電動チェンソーだったが、それでは馬力不足。それに音や排気ガスもこもる。

そこで野外でやるようにしたのだろう。私はスタート直後に去ってしまったので、どんな作品を作ったかは知らないけど、たくさん見本が並んでいた。

いっそ、チェンソーアート就職コーナーを作ってみたらどうかな? 技能研修を助成して、山村にはアーティストとして居住受入れ窓口を作る。そして山村でしかできないアートをやるように要請する。そして山村の仕事ガイダンスをやってほしい(^o^)。

2008/02/02

修善寺温泉

修善寺温泉
今日の仕事は修善寺温泉に浸かることでした(*^^*)。この温泉町を歩いて考えたことはいろいろあるが、それはまたいずれ。

2008/02/01

田舎は「儲からない」

前から感じていたことだが…そのうちじっくり考えようと思っていたのだが…
研修旅行に行って、もっとも大きな収穫は、その考えに確信を持ったことかもしれない。そして、昨日はまた取材に行って同じことを考えた。それは、

田舎は、儲からない

ということだ。これまで『田舎で起業!』なんぞという本を書いて、田舎こそ起業のチャンスがいっぱいある、と煽ってきたのに、と怒られる方もいるかもしれないが、これは確実なのである。

田舎には、起業のチャンスはいっぱいある。有利な点もいっぱいある。それは今も信じている。だが、田舎の仕事の特徴は、大きな利益を得られないことではないか。だから新規参入も少ないのかもしれない。
もちろん例外はあるが、田舎の資源は分散的で、とくに自然など田舎の特徴を活かしたビジネスを立ち上げても大きくなりにくい。成功はするが、莫大な利益は生み出さない。

たとえば豊かな自然を利用してエコツアー的なものを実施しても、儲けるために多人数を募集すると、エコではなくなる。結果的に客に逃げられる。木材が馬鹿高く売れる商品を作っても、大量生産してしまうと価値がなくなり売れないし、生産も持続的でなくなる。それを無視して拡大展開すると、田舎ではないビジネスとなるだろう。

田舎を舞台にすることは、やり甲斐もあるだろう。自然相手は楽しいかもしれない。地域づくりに結びつけば万々歳。しかし、儲からないとしたら、やはり参入できない人も少なくないはず。

では、どうするべきか。一つの考え方としては、大きく儲けなくてもよい、と割り切る。自分が生きるだけの利益で満足する。そんなライフスタイル、ポリシーを持って取り組む。これは立派だ。でも、すべての人に押しつけられない。とくに若い人には…。でっかくなれない宿命を持った職業を若くして選択すること自体、人間が小さくなりそうだ。

そこでもう一つの手だてを。それは百姓だ。ただし、今でいう農業者としての百姓ではない。100の姓(かばね)というのは、多くの仕事を持つことだ。もともと田舎の百姓は、一人でいくつもの仕事をしてきたのだ。何も農業だけ、それも決まった作物だけを栽培していたわけではない。そんなモノカルチャーな農業は、一時の利益を得ても、長続きせずリスキーだ。多品種少量生産こそが、本来の百姓の仕事である。
これを現代流に、多様性ビジネスとでも名付けられないだろうか。スモールビジネスを多く手がけて、全体として多くの利益を生み出す。しかも、一つ一つの仕事はみんなつながっていて、同時展開する。一つの労力で3つの仕事をこなす。そんな考え方で取り組めないだろうか。いろいろ関連し合って展開するのだから、生態系ビジネスなんて名前も使えるかもしれないな。

そのうちに、このベクトルで論考をまとめてみたい。

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森と林業と田舎