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森と林業と動物の本

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2008年3月

2008/03/31

ゴルフブーム?

今は、ゴルフブームなのだろうか?

女子ゴルフに若いスタープレイヤーが次々と現れ、今度は男子にも若干16歳の新星が登場し、盛り上がっている。
娘をトップ・プロゴルファーに仕立てた横峰某氏は、今や国会議員。彼はゴルフがうまいわけでも好きなわけでもなかったらしいのだが、女子が社会でのし上がるにはゴルフが最適と考えて特訓したという。つまり、ゴルフはブルジュアジーのスポーツだという考え方自体が消えている。

で、何を書きたいのかというと、拙HPの「ゴルフ場は自然がいっぱい」を読んでくれた人からメールが来たからだ。

かつてゴルフ場建設は自然破壊という声が高い中、その真偽を検証するというスタンスで臨んだこの作品、残念ながら出版に至らなかった。すでにバブル崩壊後はゴルフブームが去り、同時に反ゴルフブームも消えたからだ。

ところが実は、このコーナー、結構ヒット数が多く、続きが読みたいという声がたくさん来る。途中までしかアップしていないからだ。今回は、ゴルフ関係者からである。またゴルフ場のグリーンギーパーの研修に、このHPの内容が使われたという話も伝えられた。

そこで改めて読み返したのだが、ちょっと趣が違う。世相と合わなくなっている。世の中、ゴルフ批判を検証する前に、今や世間にはゴルフ批判なんかあったの? と言わんばかりなのだ。
「大衆を味方に付ける」べき反ゴルフ運動家も、今は困っているだろう。世の中、環境問題が何かと取り上げられているのに、ゴルフは流行るんだから。

ゴルフ業界側も、ゴルフ場によって自然を守り、CO2を吸収することができると訴えたらどうだろう。批判に応えるという受け身ではなく、積極的にゴルフ場の価値を表に出すのだ。そこに新しい読者が待っていてくれないだろうか。

そこで青少年のゴルフ愛好家のための、ゴルフ場環境読本という形なら出版できないかなあ。ゴルフ場の自然とその歴史についても学ぶことができるではないか。

2008/03/30

ジオラマのレストラン

奈良公園に新名所ができた。

東大寺の大仏殿入り口近くにできた、「ふれあい回廊 夢しるべ風しるべ」と呼ばれるいろいろ店舗が集まった一画である。

食べ物、お土産関係の店が多いが、その中の新名所が、「シルクロード終着駅」というレストランカフェである。ここには巨大な鉄道ジオラマが作られているのだ。西日本最大規模だろう。描かれているのは昭和30~40年代の奈良。そこに列車を自分で走らせることができる。Nゲージ、HO  ゲージ……なんて言葉使ってわかるかな?

Diogallery_01                                                      

Diogallery_02まさに鉄ちゃん・鉄子御用達のお店というわけ。昨日覗きに行ったが、子供が多かった(笑)。 

この店造りをしたのは、実は社員の鉄ちゃんらしい。何も最初からコンセプトを作って計画したのではなく、マニアの社員の声が通ったのだ。元祖オタクの力を使ったことになるだろうか。

こんなコーナーに興味ある人います? このプログにもいたかな。

2008/03/28

西川峰子とAMAワゴン

西川峰子が離婚するそうだ。

……こう見えても、ワイドショーをよく見ているから、芸能界にも詳しいのです(笑)。

西川峰子と言えば、隠岐の海士町の観光協会の人と結婚して、隠岐に移住したことで知られている。その後夫は、町会議員になったが、昨年任期満了で辞任。再選を望まず、どうしたことか隠岐を出て東京に移り住んだ。たしかバーの経営を始めたのかな。

そんな話を島根に行った際にしていたので、今回の離婚騒動に少し驚き。

私も海士町に行った際に西川峰子にすれ違ったことがある。彼女は、東京と隠岐を通う2地域居住を実践していたが、それが昨年破れ、さらに結婚にも破れ……。

理由は定かではないが、2地域居住が難しいことを証明した形になる。ただ東京に一緒に住んでから別れた理由は知らない(^^;)よ。

実は、この海士町では、今ものすごいことが起きている。
IUターンが140人を越しているそうだ。人口が2500人ほどの島に。それも若者が多い。なぜだ! と思う方は、サイドバーにある「離島発 生き残るための10の戦略」をお読みになったらよいと思うが、直接若者が海士町に渡りだしたきっかけは、東京の学生が、バスを仕立てて隠岐を訪ねるツアー「AMAワゴン」を始めたからだ。
このツアー後、改めて島を訪ねたり、移り住んだり、さらに口コミで人を呼び込んだりした成果が、新しい定住者たちなのだ。そして彼らは,次々と起業している。

実は、私が島根で会ってきたのは、このAMAワゴンを主催している学生。学生ベンチャーである。彼は、若者による2地域居住を提案していた。

なるほど、若者による、というところが気に入った。リタイヤ組の2地域居住は、いろいろ問題があるのだが、若者ならちょっと面白い。

一生、そこに住むとは言えない。しかし、過疎地にもっとも欠けている世代(20~30代)がやってきて、何かを始める効果はあるかもしれない。定住しなくても、若い姿を地域に見せるだけでも効果的だ。いずれ去っていくとしても、それはまた次の人を呼び込むきっかけにもなる。播いた種は何か育つだろう。

また、訪ねてみようかな。イワガキ、食べたいしな。

2008/03/27

「移動学」序説

国会で議論の的になっている道路問題。ガソリンの暫定税率問題と言ってもよい。

道路の必要性と、ガソリン価格ばかりが話題になるが、そもそも道路の存在理由から考えてみた。

前々から考えていることなのだが、道路は一見ハードであるが、実はその役割は目に見えにくい。なぜなら「ものの移動」を担うものだからだ。そして、道路の大切さとは、移動の大切さではないか。

かつて人は、自分の足だけでしか移動できなかった。それも原野だ。時速に直すと、どんなに急いでも20㎞に達しなかっただろう。そこに歩きやすい走りやすい道を作る発想があり、瞬間なら30㎞くらいは出るようになったかもしれない。

そこに馬などの乗用動物が登場して、飛躍的にスピードアップが行われた。運べる量も増えたはずだ。
また丸木舟のような舟の登場も、水の流れと浮力による移動を可能にした。

しかしもっと大きな変化をもたらせたのは、車輪の発明だろう。飛躍的に移動速度と物量が増えた。ただしそれには道路がいる。そして動力機関がついて鉄道・自動車などによる移動が可能になる。これは、200㎞くらいは可能になったと考えられる。

その後は、航空機が開発され、ロケットが開発され……現在、人工の乗り物でもっとも早いのは人工衛星だろう。なかには2時間で地球を一周するものもある。時速は10万kmを越えるかもしれない。

一方で、物量を迅速に移動させる手段を得た現代は、社会が急激に変化している。モノの生産より流通の方が重要なのだ。たとえばペットボトルの価格は、ほとんど流通費と言ってよい。中のジュースやボトルの単価は1割以下だ。木材も、かさばるゆえの流通コストが問題となっている。

そして、在庫と販売の分離もできるようになった。通販やネット販売がそれを如実に証明する。

……というようなことを整理して、移動学を作り上げられないかと考えているのだけど、今のところは序説である(笑)。

2008/03/26

中国へのチップ輸出

昨日は、ココログのメンテで休止。

さて、気になるニュース。宮崎県の県森連が、中国へチップを試験輸出したというもの。紙需要が爆発的に増えている中国のために古紙だけでなく、国産チップも売ろうというのである。使うのは製材残材、つまり背板類だ。

だが、どうも解せない。実は、ちょっと前に王子製紙がアメリカからの輸入チップの価格を約11%値上げしたというニュースがあったからだ。それも一度決めた価格を改定する形で妥結した。ようするにアメリカでチップ不足が進行して、当初の契約を反故にしてまで値上げしたのである。
どうやらうちではサブプライムローンが絡んでいるようで、アメリカの建設業界の不景気は、製材量を減らしてチップ生産を減らすらしい。

そんな状況なのに、なぜ国産チップを輸出する? おそらく中国向けのチップに高値はつけられないだろう。なんだか見通し悪い構想だなあ。まあ、試験出荷なのだからいいか。

ただ、中国への原木輸出がうまく行かないからチップ、ではちょっと危なっかしい。
私は、短期的な取引では、中国ビジネスの怖さから国産材の原木輸出がうまくいかないこともあるだろうが、長期的には結構悪くない市場だと思っている。しかし、チップはどうかなあ。もともと単価安すぎるし。日本でも必要だし。背板は、もっと高価格商品に加工してほしいし。

ただ宮崎は、何かにつけて元気というか新しいことにチャレンジする点は立派。

2008/03/24

中国の食器

地方巡りをして、いろいろ書きたいことはあれど、読んで笑ったのは……

谷崎光ブログ 中国てなもんや日記」である。

実は、谷崎さんの作品はよく読んでいるのだが、いつのまにやら北京在住になってしまい、こんなブログを書いていた。数ある中国論より、これがピタリと私の感性にはまる。立派な中国情勢分析よりも、彼女の感覚の方が、実相を捉えているような気がする。
が、今回はそのことではなく、そこに書かれた記事の一つ

「中国レストラン、使うと金取られる食器」

今や中国の食堂では、食堂自ら洗浄した(はずの)食器は、汚くて怖いから、パッキングされた食器を別料金を払って使う事態らしい。中国人自身が信用していないのだ。オリンピックも迫っている。外国人にどんな食器を使わせる気だ。

で、これほど衛生面が問題になっているのに、中国が割り箸を廃止できるだろうか?
形の上では、中国は割り箸を廃止して、日本輸出にも高額の輸出税をかけて縮小しようとしている。事実、日本でも輸入割り箸の価格は上がっている。が、私は、この「消毒食器」を見て、おそらく中国も割り箸から離れられないだろう、と確信した。

そして日本への輸出も、多少の減少はともかく完全に止まることはないと感じた。

島根でも少し話題にしたのだが、あちらでは「二度焼木炭」が開発された。二度焼することで備長炭並の機能を持たせる木炭で、中国製木炭が輸出禁止になったから売れるだろうと思っていた。ところが、売れない……というか、中国製木炭の輸入が全然止まらない

それでは価格で負ける。せっかくの新木炭が苦しい立場なのである。
同じことが割り箸でも起きないか。中国製割り箸が入って来ないという前提でいたら、足をすくわれるかもしれない。

2008/03/23

地方の大学

島根から帰って来た。

1日9時間車を運転したので、ヘトヘト。あまり頭が働かないが、なかなか面白かった。

なかでも、ちょっとしたハプニングから、島根大学の学生が主催したトークバトルに参加することに。学生たちが取り組んでいる地域づくりの事例が当人から紹介されながら、島根を元気にする方法を議論するという趣向。
私は前半だけしか顔を出さなかったが、面白い事例がたくさん出てきた。各地で静かに、そしてとてつもない動きが起きている。しなやかに学生が動いていることを感じた。しかも、その舞台は私が長年何回も通ってきた地域が多い。島根の岩見地方、隠岐、高知の嶺北……。そして鳥取。しかも、しかも、そのいくつかを主導しているのは、私と面識のある人だったことにも驚き。

さらに驚いたのは、そのトークバトルに島根県の溝口善兵衛知事が参加していたことだ。昨年就任したばかりの知事ではあるが、なかなか腰は軽そうだ。ほかにも議員も何人かいた模様。なんでも、第2部の議論にも参加したらしい。

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溝口島根県知事も語る

                                         

そういえば、先週の鹿児島行も、実は鹿児島大学で開かれたセミナーが目的だった。ほかにも地方の大学が主体となって地域づくりに取り組む事例は増えている。地方大学の生き残り策でもあると同時に、地域こそ研究の宝の山であることに気づいたかのようだ。ようやく地に足をつけた教育機関になろうとしている。

これから面白いことしたければ、地方の大学だ!……かな?

2008/03/22

食い物でリピーター

せっかくだから、福井の夜の話。

列車に遅れ、しかも満員だから途中まで立ちっぱなし。着いた福井も、なんだか火曜日は定休日が多いらしく商店街もシャッターが下りている…。

印象よくないまま夜に入り、飯と酒でも…と出ると、キャバクラの客引きに捕まった。ちょっとだけ立話をして、「いや実は腹減っているんで居酒屋探しているんだよ」というと、客引きは真剣に考えて美味しい店を教えてくれた。「あそこは、店主が寿司職人だったからいいよ」

というわけで、そのお店へ。なかなか一見さんでは入りづらい造りだったが、中はカウンターもある正真正銘の居酒屋。和洋のフードが150も並ぶ。
まあ、一人でチビチビやるにはこんな店の方が気楽である。と、いくつか注文する。

それが、なかなか逸品揃いなのだ。刺身一つとっても隠し包丁が入っていたり下味がついてあったりと小技が効いている。揚げ物も蒸し物も本格的。お酒も純米吟醸を中心に置いていて、満足満足。すっかり機嫌が直ったよ。もちろん、その後はキャバクラ…には行かずに、ホテルに帰ったけどね。

翌日は、越前蕎麦をすする。やっぱりいいなあ。

昔、泊まった旅館が古びていて、こりゃ外れかな、と思っていたら、オシャレで豪華な食事を出されてすっかり気に入ったことがあった。美食は七難隠すのである。

今後の観光を考えても、食は大きなテーマになるのではないか。やたら金かけて大規模な観光施設を建てるより、うまい料理を用意した方が客は来る。名所・施設は一度見たらもういいが、美味い料理は何度も食べたくなるからリピーターになりやすいのだ。

というと、よく「名物料理を作れ」と行政お抱えの料理コンテストなどが開かれることになるのたが、食材はともかく名物の一品二品を生み出しても弱い。料理全般の質を向上させることが重要である。そのための料理教室を開く方がよいのではないか。ラーメン、餃子、焼きそばなどで成功した地域もあるが、一点ものではキワモノになる。

福井はカニに蕎麦、なかなかよいかもね。

ちなみに22日は早朝より島根県に向かう。さて、何が食べられるか。

2008/03/21

田畑地籍の森林

福井では、林業改良普及指導員の皆さんと交流があったのだけど(恐竜ばかりじゃなくて、ちゃんと仕事もしてきたよ^o^)、そこで、ちょっと気になる発表があった。

それは「田畑地籍の森林」のケース。

かつて造林ブームの時に、山間地で「農業はもうダメ」と思った人が、棚田などにも造林を進めた。なかには集落を出る際に家の庭や周辺(ときには取り壊した家の敷地まで)にせっせとスギやヒノキを植えた。

それらが、そろそろ伐期・間伐期に入っているのだが、地籍は農地のままのケースがほとんど。森林簿には載らないわけである。すると間伐補助金などでは対応できなくなっているというのだ。
おそらく、こうした書類では確認できない森林が相当面積あるのではないか。それを加えたら、また日本の森林率は上がる…かとうかは知らないが、放置が進むのは結構やっかいな問題である。

そのため手つかずになっているが、これをなんとかできないかと森林簿への編入手続きや法的な解釈を探っているところ…というものであった。もちろん書類上の手続きだけでなく地権者への説明やら集約化など、課題は相当あるが、これこそ行政の仕事だ。

間伐促進がさかんにお上から叫ばれているが、自治体が動くのが当たり前で、対象も森林組合だけしか眼中にないケースが多い。しかし、民有林の間伐などは民間がやるべき仕事のはず。本来の行政の仕事とは、こんな「手続き」の問題ではないのか。

私は森業・山業の補助金申請の際に、お役所仕事とは手続きにあり、と気づいたのだが、こうした法律の隙間に落ち込んだ森林の救済手続きこそ、重要課題にしてほしい。

2008/03/20

恐竜博物館

福井から帰って来ました。

福井では、なんたって、勝山市の恐竜博物館に行っていました。ちゃんと恐竜にも逢えたし、満足満足。

013                                                   

                                             

ユルバーサル・スタジオ・ジャパンの「ジュラシックパーク」より楽しめたな(^o^)。恐竜の化石やレプリカだけでなく、古生代の大森林や、第3紀の巨大哺乳類、そして数々の鉱物(宝石含む)まで展示してあったので、私の趣味に合いました。

ところが帰りの列車、今度は「強風のため湖西線が通行できません」だと。
結局、米原経由で東海道本線に出て京都・大阪へ走るルートになってしまいました。

行きもトラブル、帰りもトラブル。どうやら今年はJRと相性がよくないようですなあ。

2008/03/18

ついてない

今日は福井に行く。で、家を出たものの京都でストップ。人身事故のため、列車に大幅な遅れが発生したのだ。
2月の高知行きの時もJRに大幅な遅れで、講演時間に遅れてしまった。もともと飛行機だと遅れる恐れがあるからと、列車にしたのに。
今回は、最初明日朝6時に家を出たら間に合うと言われたのだが、高知の教訓から前泊させてくれ、と頼んで今日にした。それなのに…。

早めに着いて、福井の町を歩くことも考えていたが、無理そう。
いつ、列車は来るのだろうか。

2008/03/17

限界集落」という言葉

今や、すっかり有名になった「限界集落」という言葉。

この言葉は、現・長野大学の大野教授が高知県の大豊町を調査した際に、地元の人が「もう限界だ」と何度も口にしたことから生れた言葉らしい。
もっとも、その大豊町の人々は、自分たちが住んでいるところが限界集落なら、我々は限界人か、と反発していた(^^;)。

実際、田舎に住む人には、限界集落という言葉を嫌う人は多い。ある種の差別語になっている。京都府綾部市では「水源の里」と呼んで、支援する条例を作った。
もちろん、限界と言われて喜ぶ人は少ないだろうから、その気持ちはわかる。外部の人が勝手に定義づけないでくれ、と思うのは当然だ。

ただ、そうした山間部に住む人が言っていたのだが、
「限界集落って、もう維持が限界で、消滅する手前という意味でしょ。もう維持できないとはっきりしたところが限界集落なのに、そこに税金つぎ込んでどうするのよ。必要なのは、限界になる手前で、少し手助けすれば、まだ救われるかもしれない集落。准限界集落こそが問題ではないのか」

たしかに言葉の意味を考えれば、限界集落の問題というのは、少しおかしい。限界まで行ったら、むしろ軟着陸を狙って穏やかに消滅への道を歩ませるのも選択肢の一つだ。

その代わり、まだ限界に達していず、しかしきわめて厳しい状況にある集落に力を注ぐ方が理に適っている。

さらに消滅集落の地権者や境界線の問題も重大だ。人はいないのに土地の権利などが分散してしまうと、今後重大な禍根に発展する可能性がある。

准限界集落と消滅集落に目を向けた施策が焦眉の急だろう。

2008/03/16

花粉症ツアー

昨日は吉野に行っていたのだが、そこで出会った家族連れ。

夫婦と4歳3歳の子供の4人で大阪北部在住なのだが、毎週、吉野に通っているという。2日連続通うこともあるというから筋金入りだ。
目的は自然と戯れること。はっきり目的地があるわけでなく、アチコチ森や川など求めて車を走らせているという。家には木っ端だらけとか。なんと子供たちは、木の匂いでスギとヒノキの区別がつくというから、たいした実践教育だ。

子供はともかく夫婦揃って、ここまで自然好きというのは珍しい。見ていると奥さんの方が熱心でもある。田舎暮らしもしたいが仕事の問題があるので、休みは必ず通うのだ。
……羨ましい。嫉妬するほど(^^;)。

ところで、ご主人は、花粉症なのだそうだ。それなのにスギだらけの吉野に? と言いたいところだが、実は大阪では酷い症状が出るのに、吉野に来るとピタリと止まるという。だから春に吉野に通うのは、花粉症からの脱出でもあるのだ。

不思議だが、この手の症状は、結構ある。実際に花粉症とディーゼル微粒子の関係を指摘する研究もあるし、花粉症患者が山村よりも都会に多いという厳然たる事実もある。

そこで、「花粉症の人は吉野へ」キャンペーンを張ってはどうだろう(^o^)。
もしかしたらスギ産地に来た方が花粉症に苦しまなくても済む人は、少なくないかも。そして避難するつもりで田舎で過ごす。北海道や沖縄に避難するツアーはあるが、ここはあえてスギだらけ地方で催すのだ。
減感療法のように、あえて花粉に触れることで免疫をつけさせる治療法もあるのだから、ちゃんと試してみるのも手かもよ。花粉症は、かなりメンタルな要素が多いから、自然の中でリラックスすることで症状が治まる可能性はある。

そしてスギに掛かった濡れ衣を晴らすのはどう? 鹿児島であった林野庁の人、花粉症担当でもあると言っていたが、挑戦しない? 責任はとらないけど(~_~)

2008/03/15

韓国南大門の再建

先の鹿児島では、韓国への住宅輸出の話も聞いてきた。
宮崎県を嚆矢とする中国への国産材輸出とは別に、鹿児島県では鹿児島県産材による木造住宅を輸出しているのだが、それで思い出したのが、焼け落ちた韓国国宝の南大門(崇礼門)再建話である。

以前にも書いたが、放火で焼けた南大門を2013年に向けて再建計画が進んでいる。

でも、その材料はどうするのだろう? 

もともと韓国は木材のない国だ。まともな森林造成がスタートしたのは戦後であり、木材自給率も日本以上に低い。いや、木造住宅自体がほとんどない。そこに600年以上前に建設された壮麗・巨大な門を再建しようとしたら、膨大な量と、そして巨木が求められる。とても自前で木材を準備できないだろう

南大門の材料がどんな樹種の木材で作られていたか知らないが、それと同じ木で太さ・量とも調達するのは至難の業だろう。外材だって、どこの木を使う? 多分アカマツを多用していると想像するが、ヨーロッパアカマツでもいいのか。

近くでも中国だってロシアだって、大変だ。それとも台湾? おそらく日本も適合するかどうかわからないが、一つの候補になりえる。今からマツの巨木を探しておけば、高く売れるかもしれない(笑)。
もう一つ思いついたのは、真新しい木材よりも、古材の方が再建には向いているのではないか、ということだ。なんでも南大門の1階部分は8割がた残っているそうだ。ならば、それに合わせるのは古材の方が似合う。そして古材なら、木造建築物が多く残る日本である。しかも、近年取り壊しが多くて、古材の潜在的供給はかなりある。

古代朝鮮半島の扶余の国には、日本からコウヤマキを輸出したと思われる痕跡が韓国の古墳から見つかっている。時を経て再び日本の木材を輸出する可能性だってあるのではないかなあ。。(もっとも日本の木材なんか使えるか! という国民感情はあるかもしれないが…)

それと木造技術も心配だ。韓国にも宮大工はいるが、木造建設技術はかなり衰退しているらしい。戦後、ほとんど木造住宅を作って来なかったのだから。年間70万戸の住宅着工件数のうち、韓国在来工法の木造住宅は、もしかしたら1000戸を割り込むかもしれない。韓国で木造住宅と言えば、ツーバイフォーかログハウスなんだから。

こちらでも日本の技術を活かせるかもしれない。もちろん建築物の防災技術も。

2008/03/14

200年住宅

福田首相が、「200年住宅」を推進している。
まあ、それは首相になる前から知っていたんだけど、今度法案が国会に提出された。

私は何を持って200年住宅? と思っていたのだが、どうやら基準は
「腐食や磨耗の防止、耐震性、バリアフリー、省エネ」などの要件と、「構造の変更や維持保全の手当てが容易」であることも条件のようだ。そして、こうした住宅には税負担を押さえたり、ローンの返済条件を優遇するらしい。

なんだかわかったような、わからないような…。

たしかに欧米では100年以上住宅は使われるのが普通なのに日本では平均30年弱というのは短すぎる。しかし、日本人の気性として、古い家に世代を越えて住み続ける可能性はそんなに高くないように感じるのだ。

穢れの思想を持ち出すほどではないが、新しさに価値を見出すことの多い日本人。
もちろん、住宅自体の強度や年齢による違いなど長く幅広く持つことは大切だが、家族構成も変わるし、好みも用途も移る。たとえば今から100年前の設計士に、現在のIT化なんて予想できるわけがない。そして昔の農家などに憧れる人はいても、実際に住むのがどんなに大変か。
また同じ家系の人が同じところで生活するとも限らない。

必要なのは、住みたくなる家であることだ。住みたければ、維持管理も熱心にやる。リフォームもする。その点、日本の軸組工法は、基本的に間取りも内装も外装もいくらでも変えられる。

長持ちする家と住みたい家は、別である。

そして住みたい家は、時代とともに移り変わるから最初の設計段階で決め手はないだろう。結局、納得できるのは、構造の変更や維持保全の容易さぐらいである。

まずは簡単で希望の通る改装技術の開発と、転売とリフォームをしやすくなる社会的なシステムが必要ではないかな。

2008/03/13

離島の森林危機

鹿児島の夜は、一人天文館街をぶらつき、ふらりと入った居酒屋「屋久島」。

そこでカウンターに座ると、もう一人が隅に座っている。ほどなく語り合うことになったのだが、彼は三島村黒島出身だった。鹿児島の沖合、屋久島の当方の孤島だ。硫黄島と竹島とともに三島村を形作っているが、村議会は鹿児島市で開く。

そこで話題となったのは、島の森林危機である。黒島は、真ん中に620mほどの山がそびえる、ある意味屋久島のミニチュア版のような地形をしているが、その山の西側の森林が枯れつつあるのだ。
その理由は、中国から来る汚れた大気。酸性雨だけでなく、さまざまな汚染物質を含んでいて、それが島の自然を痛めつける。

実は、同じ話が屋久島にもあった。今や南の島だから空気がきれい、と言えなくなっているのだ。しかも国外だけに取り締まることもできず、まったく手の打ちようがない。それを怒って侃々諤々。

加えて辺境の島を切り捨てにする政府に怒り、国境線を守っている誇りを語る。
彼は、島の写真を撮り続けていて、それを使った島のパンフレットを作っていた。また祭りなども豊富にあるが、その写真が、ナショナルジオグラフィック誌に掲載されたという。

来年には、奄美群島から十島村・三島村にかけて皆既日食が起きる。人々が殺到するだろうが、キャパシティが小さいのでなかなか島に渡れないだろうな。でも、行きたい。

この話は、裏ブログにも書いたから、お楽しみに。

2008/03/12

自分の山の木で家を建てる

鹿児島で取材した中で興味深かった一つ。

それは、山主に自分の山の木で家を建てませんか、という呼びかけをしている工務店があったことだ。

家を建てたいと思っている施主の中で山(やはりスギ・ヒノキ林だろう)を持っている割合を考えると、そんな需要があるのか? と思うのだが、意外やヒットしているらしい。

鹿児島には小さな山主はそこそこいて、木もそれなりに生えている、住宅建材を全部賄えなくても、多少の木は取れるケースは少なくないのだそうだ。

なにしろ昨年24軒の建築を受注したうち、半分の12軒がこのケースに該当したのだ。
もちろん大変である。林業やっている山主はほとんどいず、伐採から搬出、そして製材まで全部面倒みなくてはならない。かといって価格を高くしては引いてしまうだろう。

幸い、この工務店は実は山主でもあり製材業務もやっている。つまり自前で何でもできる体制がある。そして伐った木は無駄にせず、端材も全部家具にするなど使い回す。だから価格はそんなに上がらない。

伐採前には山の解説もして、山主のロマンをかきたてる。

これは重要なことではないか。いまや山里に住んでいる人でも、家は外材使ったハウスメーカーの家に住むケースが少なくない。その意識から変えなくてはならないのではないか。

たしかに今どきは100ha200haないと林業として維持できない。10ha、いや1ha山を持っていても意味ないし面倒なだけ…そう思っている山主に、少なくても自分の家くらいは自分の山の木を使おうと呼びかける価値はあるのではないか。

林業全体に対するインパクトは小さくても、森林所有者の覚醒をうながす運動にはなるように感じた。

小規模山主は、全国にも多くいるだろう。彼らが自分の家を建てる時に自分の山を思い出して多少とも利用すれば、山に対する関心が生まれ、森林整備も進むかもしれない。本数は少なくても木を出すために作業道は引くから、間伐もできるようになる。

これは「自分の山の木で家をつくる運動」として広げたいな。

2008/03/11

上野原遺跡

上野原遺跡
鹿児島に来ています。上野原縄文の森で日本最古最大級の縄文遺跡を見学。
ちょうど竪穴式住居の復元工事に出くわしました。

材料は、茅のほかクヌギです。現在は照葉樹林帯の南九州でクヌギなのがミソ。

2008/03/09

緑の提灯

今、「緑の提灯(ちょうちん)」の店が増えているらしい。

Photo                                               

赤提灯ではなく、緑。ようするに国産食材を使った料理を出す居酒屋だ。
緑提灯は、国産食材の提供量が50%を超えるお店にだけ飾ることができる。2005年に北海道で第一号店ができてから、今手は全国に460店舗まで広がった。3月に入って全都道府県にできたという。

なおパーセンテージは、カロリーベースで地場・国産食材使用割合。50%以上で星を一つ付けることができ、10%上がるごとにさらに一つづつ増え、90%以上で5つ星となる。ただし星の数は、店側の自主申告に任せている。

これがもてはやされるのは、中国の毒餃子事件が起きて、消費者の意識の中で食材の見直しが進みだしたからだろう。たしかにタイミングとしてはよい。ただ、やはり値段は高くなるという。

農家を応援する戦略としてはうまい。何より提灯の色でアピールするところが。
実は、本当に国産食材だと安全なのか、味がいいのか、私は疑問に思っている。こうした感覚は、科学的というより心情的な要素が強いのだ。だから、緑の提灯を掲げた時点で、すでに食材は安全になり、美味しくなっている(笑)。
食べる人も、多少高いと言っても毎日のことではないし、お酒も入れば気が大きくなって気にしなくなるかもしれない。

ぜひ国産材商品でも、そんな応援団がほしいところだが、理屈こねて国産材の良さを説明するより、まず国産材を使っているということだけをアピールしたらどうだろう。それ以外は何も言わない。言ったら、ボロがでるかもしれない。だいたい科学的なことを言い出すと鼻につく面がある。

ホントに国産材が環境に優しいの? 本当に安全なの? 本当に色つやがいいの? 
そう突っ込まれないよう、単に国産材を使っていますよ、というだけで判断は消費者に任せるのはどうだろう。この運動は、あくまで林家を応援するためであって、それ以上のウンチクを付け加えないのだ。

2008/03/07

書評「近世吉野林業史」

「近世吉野林業史」(谷彌兵衛著・思文閣出版)を読んだ。

吉野林業の誕生と発展の過程を検証した力作だが、読んだら、おそらく世間が持っている吉野林業の常識を、次々と覆すだろう。

たとえば大山林主が生れたのは最近のことで、出発点は小農だった。1反1畝の面積で山林を所有していた。しかも短伐期。20年程度で伐採していた。現在の大山林主で長伐期・銘木生産の林業地……というイメージとは違う。

ほかにもいろいろあるが、私が感想を一言でまとめれば、「吉野林業を常にリードしてきたのは需要サイド」ということだ。言い換えると、需要が吉野林業を作ってきた。

吉野に植林が進んだのも、木を商品化したのも、みんな消費する側が主導してきた。そして江戸時代初期から川を浚渫し、岩を穿って、筏を流せるように苦労してきた。今でも大変な奥山と感じさせる源流部も、実は300年以上前から筏を流せるように川を改造してきたのだ。

これまで多くの人は、漠然と「森づくり」があって、その森で育った木をいかに伐るか、それを運び出すにはどうするか、そして出した木をどうして売るか……という視点で林業を見てきたのではなかろうか。
しかし本当は、木がほしい町の人々がいて、どこに木があるか、その山の木を伐るか、その木をどうして町まで運ぶか。さらに山に木がなくなると、そこで山に木を植えて育てる、奥山から木を出すために道を作る、あるいは川を利用する・利用できるようにする……という順序で発展したのだった。

考えてみれば当たり前なのだが、意外と学者、そして経済関係者や行政関係者、政治家までもが、そのことを忘れていることが多い。だから林業政策も、所有者サイド・供給サイドからばかり考える。環境を守るための森林政策とか、今ある木をいかに伐るか売るか、という地域振興的考えで政策を作る。
そろそろ、これが間違っていることを自覚すべきだ

いっそ人類は(とりわけ日本人は)、本当に木材が必要なのかどうか、というところから考え直してみてはどうだろう。案外、木材がなくてもかまわないという結論が出たりして。

……そんなことを考えさせる1冊である。ちょっと高いけど、そしてちょっと難しいけど、真面目に林業のことを考えている人にはお勧め。(サイドバーにも載せました。)

2008/03/06

木の城たいせつ倒産

北海道の大手住宅メーカー「木の城たいせつ」が倒産した模様だ。

ローカルなニュースではあるが、私はこの会社をユニークな名前のため覚えていた。

「たいせつ」は実は耐雪であるらしいのだが、北海道の木だけを使って北海道にしか家を造らないと標榜していたことも記憶に残った理由である。いわゆる地産地消の建築版、地材地建を行っていたのだ。ほかにも、結構変わった工法を採用するなどして、北海道では有名な存だったらしい。
ただ北海道の友人に評判を聞くと、あまり高くはなかった。かなり雑な工事を行うので、問題になったこともあるらしい。

今回の倒産の理由は何か、詳しいことは知らない。昨今、急激に住宅着工が落ち込んだことはたしかだが。

実は、先日建築業界の人に取材したのだが、そこで広告効果のことを聞いた。彼が昔いたのは、設計士が立ち上げた会社で斬新な設計が売り物だった。そして新聞に年に2、3回の広告を関東圏で打つと60軒ほどの注文が取れたそうである。
ところが次に立ち上げた会社では、工務店の協同組合に属して広告を定期契約で10回以上打っていたが、30軒以下しか取れなかった。しかも組合各者で分け合うため、1社に1軒分の仕事しかなかったという。

その差は、広告に使う住宅デザインにある。設計士主体の会社だと見栄えのよい写真を使う。ところが工務店主体の広告は、「木の素晴らしさ」を謳うのだ。そして大工の腕を誇る。紹介する家は、たいてい伝統的な和風建築。

結果は如実だ。施主は、木そのものの機能なんかに興味は持っていない。完成した商品である住宅の見栄えに注目するのだ。木材は、ほしい商品(住宅)の素材にすぎず、大半の顧客にとってどうでもよいことなのだ。

だから広告のメインにはなり得ない。このことを意識すべきだ。

2008/03/05

ちりとてちんとエイジング加工

NHK大阪放送局のロビーには、現在「ちりとてちん」のセットが展示されている。

それがなかなかの盛況で、スゴイ行列までできていた。
みんな好きなんだなあ~。私も行列に並んだ一人だけど(^o^)。

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なかなかよくできていて、昭和時代の住宅をうまく再現している。落語的な小道具も凝っている。わざわざそのために存在しない本を作って本棚に並べる凝りよう。
徒然亭の紋がセミなのは、徒然草に「日暮らし硯に向かいて……」とあるので、日暮らしイコールヒグラシ、なのだそう。さらに徒然亭草々の部屋にある「三国志」の本は、草々イコール曹操、つまり三国志の英雄にちなんだものだとは知らなかった……。
さらに若狭塗り箸の販売コーナーまで作ってあり、なかなか商魂たくましい。このドラマは、塗り箸の宣伝に大きな貢献をしただろう。

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とまあ、そんな感慨はともかく、セットだから最近作ったわけだが、その木材類は見事に古くさく加工されていた。それをエイジング加工というのだそうだ。

どのように加工するのか説明しているコーナーがBKプラザにあった。

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それによると、まず真新しい板を火で焼く。まっ黒こげにしてからブラシで磨く。その上に下塗りをして色をつけてから、また落とし……と繰り返して、年季の入った木材に仕上げるのである。

この手の技術は、映像メディアだからこそ必要とされて生み出されたのだろう。別に古くさくすればよいわけではないが、この技術を使うことで新たな木材商品を生み出せるのではないか、と感じた。木材の風合い感がまったく変わるからだ。
木材は、古くなればなったで味が出る。これが他の素材との差でもある。もっと活かし方を考えないか。

2008/03/04

MSC商品発見!

今日の買い物で発見したもの。

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見ての通りの、アラスカ産の潮紅鮭。いわゆるアトランティックサーモン、かな? そのハラスである。一番脂の乗ったトロの部分。

で、よくラベルを見てほしい。Photo_2

そう、海洋認証協議会の認証マークだ。FSCの水産版と言われるMSC が付いていたのだ。これが付いているのは、環境に配慮した漁業をしているというお墨付きである。

残念ながら、まだ日本では取った漁協はない(舞鶴漁協が審査中)が、一足先に商品は輸入物の中に混じっていた。着々と広がっているのだ。

さっそく衝動買いをした。今晩のオカズにしよう(^o^)。別に味に関係はないが、意識してMSC商品を食べることに意義がある。

ちなみに買ったのは、ジャスコ。イオングループは比較的熱心で、イオン独自のトレーサビリティも、ネットで追跡できるらしい。

水産物は日々の値動きが激しくて、この認証を取るために価格が上がったとしても、ほとんど目に見えないように吸収できる。その点が木材と違うところだが、森林認証よりも早く普及するかもしれないな。

このハラスは、3本入って358円。高いか安いか。

2008/03/03

黄砂とヘイズと木粉

黄砂が日本列島を襲ったそうだ。とくに西日本は酷かったというが、奈良は雨のおかげか、あまり目立たなかった。それでも、車のフロントガラスに汚れが目立つ。

黄砂はアルカリ性の微細砂粒なので、酸性雨を中和しているという。ところが、最近の黄砂は中国沿岸の酷い大気汚染物質を吸着しているため、黄砂そのものが汚染物質化が進んでいる。

一方で、東南アジアではヘイズが相変わらず発生している。森林火災による煙害だ。こちらも微粒子が大気中を漂い、健康被害が深刻化している。ヘイズは、南アメリカやアフリカでも発生している。

それで思い出したのだが、木材の微細な粉末は身体にどんな影響を与えるだろうか。実は昨日のチェンソーアート場で、チェンソーの切り屑をもろに顔に浴びてしまった。おそらく少し吸い込んだだろう。1日くらいなら心配いらないだろうが、もし職業的に木質粒子を吸い込み続けたら、身体に悪くはないか。
アスベストだって、昔は身体に悪いとは思われなかった。水に溶けないので体内に吸収されないと考えたからだ。ところが取り返しのない健康被害を引き起こすことが、今になってわかりオタオタしている。

それにスギの木粉は、スギの花粉症患者に何も影響を与えないだろうか。 
木は自然物だから人体には無害だ、と決めつけないで、ちゃんと調べた方がよいと思うよ。さもないと何かあってから後手に回る。そもそも自然物の中にも猛毒はあるし、プラスチック以上に分解しないで半永久的に残る物質も作る。(たとえば花粉もその一つ。) 天然素材は何でもよいと思い込まない方がよい。 

それに、もしかしたら健康によいというデータが出るかもしれない。それならそれで、もうけもの。そういえば、スギの香りは花粉症に効くともいうなあ。

2008/03/02

大人のための「森の幼稚園」

朝から、吉野チェンソーアートスクールへ。今日は自由練習日なのだが、ちょっと倶楽部運営の会議なども兼ねて集まる。同時に、「チェンソーアートによる環境教育」をやった…ことになっている。

こんな言い回しをするのは、ちょっと事情があるのだが、何しろ私とメンバーの一人は奈良県の森林環境教育指導員なのだ。ある意味、実験的?なこともやっているのだよ。
もっとも、実際の作業としてはブッシュを切り開いたり、巨大丸太の縦切り…など、それなりにハードな作業も含んだ。今後は、近くの沢から水道を引いたり、トイレづくりもすることになっている。

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森の名人は、チェンソーで製材もやってしまう。                                           

                                           

夜、家で「世界うるるん体験記」では、ドイツの「森の幼稚園」を舞台にしていた。
森の幼稚園については、私も少し紹介したことがあるのだが、ようするに園舎はなくて、常に森の中で子供たちを遊ばせる幼稚園だ。そこに大人は極力関与しない。遊具も持ち込まない。ドイツやデンマークではさかんで、ちゃんと認可された幼稚園である。
私も資料でそれなりに内容は知っていたが、ちゃんと映像で描かれると、よく雰囲気が伝わってくる。

日本の森林は、傾斜や植生から、なかなか正式な「森の幼稚園」適地は少なく、また親もこうした教育方針は、容認しにくいだろう。実際、日本に設立する計画はあるが、簡単に進んでいない。通常の幼稚園・保育園の一部のメニューに取り入れているか、無認可の形で真似ているところが少しある程度である。

いっそ、大人のための「森の研修施設」を作るのもよいかもしれない。フィールドアスレチックなどではなく、まったくそのままの森で大人がルールを決めて遊ぶ施設だ。ルールというのは、自分で道具を持ち込まないとか、目標を決めないとか、勝手に森から出ない…など「森の幼稚園」の大人版。
研修施設とするのは、単に遊べと言っても、日本の大人には無理だから、強制的に仕事をさせないで自己を解放させるため。鬱病や適応障害・ストレス症候群など、ようするに疲れているビジネスマン(ウーマン)を放り込む。人生取り戻すための治療の場であり、森林セラピーでもある。

チェンソーアートスクールの会場である吉野アートスタジアムも、そんな場として使えるかもしれない。

2008/03/01

取材の仕方

ある会員雑誌の取材を、その編集者の前でやったことがある。
そして先日発行されて私の手元に届いたのだが、その編集後記に、私の取材のスタイルについて触れられていた。

「2、3時間の取材にテープレコーダーを使わず、それでいて夢中になってメモを取るわけでもなく、ノートに何やら走り書きをしている様に見える。」

はい、私、録音苦手なんです(^^;)。だって、後で聞き直さなくてはならないんだもの。面倒だ。2時間録音したら、また2時間、何度か聞き直したらその数倍時間がかかる。同じことを繰り返すのって、人生の無駄遣いじゃないか、というのが私の意見である。

メモをあまり取らないのも、単に書く速度が遅いから(^^;)。以前、私が取材を受ける立場になって、その記者のメモの速度に驚嘆した。ほとんどしゃべった内容をそのまま文章化していているのだ。そして録音まで(イマドキはICレコーダーだけど)していた。
残念ながら、ワープロを使いだしてからペンを持った指の動きは遅くなる一方。文章を早書きできなくなってしまったのである。

だから私は、キーワードだけをメモする。また数字や固有名詞などをメモする。後で読み返して、そのキーワードから話の筋を思い出せばいいか、というスタンスである。
その文字も、思いつきだから、全然キーでないこともあるのだが、とりあえず取材時の雰囲気を記憶できればよいか、という程度である。たまに、取材後書き出すまで何日も時間を空けると、何のことやらわからなくなってしまうのだが……。いや、そもそも悪筆で、なんと書いたか読めなくなることも……(^^;)。

ただ弁解すると、メモすることに神経を削ぐより、目の前の会話を大切にしたい。単に質問してしゃべらせるだけでなく、自分の意見をぶつけることで別の反応を引き出せるし、その結果、記憶に残りやすくなる。何より相手と丁々発止とやり合うことで話を聞きだすことの方が面白いではないか。そして相手の主張の全体を理解できたら、途中のやり取りなんぞ、想像で書ける。 (~_~)\(-_-メ;)オイオイ

そのうち年取って記憶力が劣ると、レコーダーも使って、残り少ない人生をさらに無駄遣いしながら執筆するようになるかもしれんなあ。

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