書評「桶屋の挑戦」
昨夜、「桶屋の挑戦」(加藤薫・著 中公新書ラクレ)を読み終えた。
深夜、お酒をチビチビ飲みながら(最初は焼酎だったが、やはり桶の話だから、途中から日本酒に切り替える)…読み終えるまでにぐいのみ4杯空けてしまい、かなり回った。朝方だったかもしれない。
さて、この本で描かれているのは、人物である。桶、ではなく、桶屋だ。
最初は、若くして桶づくりに取り組み始めた人。その師匠、そして知り合った大桶づくりの人々、木桶で酒を醸そうと大馬力で動いたアメリカ人女性…登場する人々は数多いが、みんなつながっている。そして、それぞれのドラマを通して木桶の世界を描いている。
その点が、私と違うところだ。私が桶の世界を描こうと思えば、『割り箸はもったいない?』のように桶の歴史や製造から入り、文化性や機能性へと踏み込むだろう。そして木桶を巡る社会を描き、やがて木と森林世界へとつなげていく。人物は、その端々に折り込む。
ところが、この著者は、あくまで人物なのである。桶職人、桶製造所の営業担当者、桶で酒を仕込む杜氏、その会社経営者、そして味噌や醤油の職人…。もちろん、合間に桶づくりの工程や歴史なども紹介されているのだが、人物の魅力で全体を引っ張る。そして木桶の復興を感じさせる。それは人のストーリーであり、生き方のドラマだ。
一見バラバラの活動に見えた人々が、桶をキーワードにつながる。それは桶世界の狭さとともに、木を通じた人のつながりの広さも浮かび上げる。
そして、割り箸と同じく、一見林業の周辺産業・周辺商品に思わせる樽桶こそが、実は林業の王道であることも感じさせる。桶を作るために100年の育林をする世界を忘れては、林業の再生は厳しい。
ただ読後感として、やはり木桶は絶滅危惧種なのだろう、と感じた。
たしかに一部では復活の動きはある。ゼロだった木桶仕込みの酒蔵が、現在は30ばかりになったそうだ。さらに味噌、醤油など食べ物業界、そしてインテリアまで広がりつつある。しかし、その扱いの大変さと経済的な不利さ・そしてリスクを考えれば、今後も十分に増える要素はない。再び樽丸林業が活性化する可能性は、ゼロに等しい。
また、今の吉野林業は、過去の遺産で食っていることも感じさせた。たしかに吉野の材は樽や桶にぴったりの材質だ。だが、それは100年も前からの育林の成果で、今育てている山から、そんな木が取れるのか心配になる。
そして酒は、味ではなく、ドラマで飲ませるものだとも感じた。美味しい…という不確かな感性は、思い入れで変わる。木桶で仕込んだというドラマが、味を変化させる。
私は、時折バーで「口が曲がりそうなフレーバーのスコッチをくれ」とバーテンダーに頼むことがある。それにどんな酒を出してくるか楽しむのだが、一口含んでグエッとなる味も、それを作った人々の顔と、その工程を想像するとうまくなる。スコッチは木樽仕込みだが、木樽の歴史を感じるのだ。
木桶、あるいは木樽は、果たして郷愁の対象なのだろうか。それとも、新たな役割を与えられるだろうか。
木を巡る職人、そして産業に興味のある方は、ご一読をお勧めする(サイドバーに掲載)。
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