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森と林業と動物の本

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2008年5月

2008/05/31

九州国立博物館

せっかく福岡に行ったのだから、と翌日訪れたのが、オープンしてまだ日の浅い九州国立博物館。

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とにかくデカイ。なんだ、この形は、というデザインである。高さ36メートルだが、長さが160mだという。

東京、京都、奈良、に続く国立博物館だというが、大阪には国立の民族学博物館があるし、たしか千葉には歴史博物館があったのではなかったっけ……。まあ、そんなことはどうでもよいが。

で、その中の1階エントランスの吹き抜け天井を見上げると

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わかるだろうか。丸太が張りめぐらせてあるのだ。太さは、ちょっとわかりにくいが、20㎝くらいだろうか。

おお、木を使ってあると喜びかけたが、よく見ると何の役割を果たしているのかわからない(^^;)。建物の構造自体は、鉄骨軸にSRCである。

6 こちらは壁だ。同じく丸太が並ぶ。

                                                   

ようするに装飾だろうか。でも、かなり多くの丸太を使ってくれた。当然、九州産だと思いたい。こんな使い方なら、どこでも使えるはず。強度も関係ないし、加工もいらない。国立ゆえの使い方か(笑)。

ちなみに5 下はエントランスから見た4階部分。大規模集成材のようだ。

                                                 

                                                

そして、8 こちらは発掘された太宰府の柱材。針葉樹、とだけ記されている。ちゃんと樹種を特定してほしいな。

2008/05/30

山村再生セミナー

福岡で開かれた山村再生セミナーに出席。

これは、まちむら交流機構が窓口になっていた「森業・山業」や「山村力」の助成事業を今年度から統一して行う山村再生事業の募集のもの。私は事例発表として、吉野チェンソーアートスクールについて紹介した。

あんまり派手にするとクレームが来るかもしれないので(^^;)、抑え気味に、淡々とこなした。チラシも配らず、名刺もまかず、ひっそりとやってます(^^;)という感じ。

001 「ひっそり感」、伝わります?

                                                

                                                  

それでも、わざわざ大分県日田市の中津江チェンソーアートクラブの面々がわざわざ訪ねてきてくれた。このグループは、九州でもっとも活発にチェンソーアートを行っている。大会も3回開いたそうだ。スクールというビジネスモデルを活かしてくれたら幸いだ。
ほかに会場でも「面白いなあ」という声が聞こえたし、事務局にもチェンソーアートに関する問い合わせはよく来るという。関西本面の方には吉野を紹介してくれているそうだ。

ところで、今年からの山村再生総合対策事業。
これは、昨年我々が七転八倒した自治体等の助成、民間からの助成の項目がなくなったのだそうだ。自治体の同意書さえ取り付けたらOK。さらに今年採択されても実施は来年度でもよくなったとか。昨年の「森業」採択で我々が苦しんだ2大要点が除かれたことになる。どうせなら、今年応募すればよかった……。
まあ、我々が「使いにくい!」と言い続けた声が届いて改革されたと解釈しますか。

でも、補助金は癖になるから、もう当分はお預け。自助努力しましょう(^o^)。

ただ参加者は、行政関係者が多い印象がある。やはり山村再生に必要なのは民間活力だろう。

2008/05/28

書評「未来への卵」 終

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書評と書きながら、1冊の本で何日も引っ張りすぎなので、今回で終わりにする。

                                           

 かみえちご山里ファン倶楽部                                          

すでに内容については、断片的ながら紹介したが、ではこの本はどうなのか。

実は、そんなに読みやすい本ではない。決して難しい書き方をしているわけではないが、一つの組織の歩みを追うには複雑だ。おそらく現実はもっと複雑な過程を経ており、それを精一杯整理してはしょって、このような形にしたのだろうが、それでも、活動内容が多岐に渡りすぎて複雑だし、書き手の思いがいっぱい詰まっていて重くなっている。

だから、読む際には行間を読み取る覚悟がいる。そして断片的な出来事から何を学んだのか反芻する必要がある。

それでも、読む価値はある。これほどのNPO活動のノウハウ情報が書かれた文献はほかに知らない。もし、地域づくりに興味があって、本気に取り組んでいる人、あるいは取り組もうと思っている人。またNPOなどの組織運営に悩んでいる人。田舎社会に暮らしてみたい人。この本はヒントの山である。

本当に読んでほしいのは、中央の人々だ。首都にふんぞりかえっていては見えない世界がここにはある。永田町や霞が関の人々こそ、目を通すべきだ。

実は、私にとってもネタ本になりそうだ。だからここで紹介すると、今後の執筆活動に不利になると思ってしまう(笑)。ほとんど自費出版だから、部数も少ないし、一般の人が手にすることは少ないことを願っている。オイオイ

2008/05/27

書評「未来への卵」・クニの形編

Photo                                                

だんだん連載になってきた(^o^)。

                                                

今回は、本文ではなく最後についている「論考」と「補稿」について。実は、ここだけで3分の1はある。ちょっと長すぎ? しかし、かみえちご山里ファン倶楽部の具体的歩みではなく、理論面の解説として貴重だ。

まず日本型のNPOとして、使命より共同体に帰属意識を持つという点を指摘して、コミュニティ全体を対象とする地域型NPOという分類を提起している。面のNPOとも呼んでいるが、地域の活動ならなんでも扱う主体である。

その上で、NPOが新たなクニを作る可能性に言及している。

かみえちごNPOの活動フィールドとなる桑取谷には、17の集落がある。ところが、時代とともに関係が薄れてきて、かつてはお互いのお祭りや行事にあった行き来も途絶えていた。
それを復活させつつあるのだ。集落と集落を結び、情報を橋渡しして、再び交流を行わせしめる触媒としてのNPO。本来なら小さな自治体「村」が担ってきたことかもしれないが、今ではNPO以外に可能な組織は少なくなった。

そこで提唱するのが、集落と集落を結ぶ役割を担うNPOの存在だ。そして、この新たな枠組を「クニ」と表現している。国家の国ではなく、地方自治体でもなく、共同体としてのクニ。新しいクニづくりをめざしているのだ。

私も、戦後の日本の政治が行ってきたことは、一貫して共同体の破壊だったと感じている。その総仕上げが、市町村合併だ。どんどん行政単位を大きくすることで、国家構造を単純化する。それまで重層構造だった日本の社会をすっきりさせてしまう。

理想形は、国-自治体-個人 という簡略構造だろう。それこそが統治しやすいからだ。自治体も合併で巨大化すれば、集落単位の面倒は見ない。かといって、集落同士の結びつきも推進しない。それは行政単位の否定だからだ。

しかし、現実には行政の力も衰えてしまった。そこで、自立を叫びだした。個々人が自立して、自己責任で生きるべきだ。……なんとなくいい言葉だ。カッコいい。実態は体のいい切り捨てなのだが。結果的に格差社会を到来させてしまった。これこそ共同体の破壊の最たるものものである。

そこに分化させられた集落を結ぶ仕組みとして、NPOが広がりつつある。地域NPOであり、NPOの行政化、行政のNPO化である。

この先は、また読んで考える。

2008/05/26

書評「未来への卵」・人材編

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NPO法人かみえちご山里ファン倶楽部

「未来への卵」、読み終わっていません(^^;)。それでもまた書く。
今日はこのNPOに参加した人々について。

このNPOは、9人(現在は8人)のスタッフがいる。常勤の専従だ。つまり雇用しているわけである。しかも、ほとんどがヨソモノ。なぜ、知らない土地でこんな仕事に就こうと思ったのか。決して高い給料ではない……というか、低い(^^;)のに。

市の職員から「こんな給料じゃ、カツ丼も食えないだろう」という言葉を浴びせられ、悔しくてすぐにカツ丼を食べに行ったが不味かったという逸話が載せられている。

さらにショックだった言葉として、
「大学まで出してもらってまで、こんなところにいて、親不孝者」
「何の役にも立っていない」
「あんたらみたいに外から来てがんばってくれるのはいいけれど、私は息子たちに同じことは勧められない」
「全くのよそもんが来るのはできればいやだ」

ふんだりけったりである(^^;)。
それでも、この地に根付こうとしたのはなんなんだろうか。

いわゆるロストジェネレーション世代で卒業後も就職口が見つけにくい面もあったのだろうが、すでに勤めていた人が退社してまで参加しているのだから、「仕方なし」の就職口とは言えない。やはりお金よりやりたいこと、を求めたのに違いない。環境関連の仕事、田舎暮らしができる、ゼロから作り上げることの魅力……などだろうか。

もちろん、全員がこの地で骨を埋める覚悟をしているわけではない。結婚で去るものもいれば、この地で覚えたことを他の土地で試すために去るものもいるだろう。一方で結婚して婿を呼び寄せた人もいるし、地元女性と結婚して市議会議員になっちゃった人もいる。

NPOは、基本的に横の組織である。縦組織ではない。だから自由がきき、思ったことができる反面、統率が取りにくい。無理に枠にはめようとすると、すぐに分裂したり辞める。縛りがないからだ。
ところが、かみえちご山里ファン倶楽部は、ほとんど途中で辞めるものがいなかった。辞めた人には、前向きの理由があったようだ。これは奇跡のように感じる。

この秘密をつかめたら、地域づくりは成功したも同然かもしれない。

2008/05/25

書評「未来への卵」序説

Photo 「未来への卵~新しいクニのかたち~」かみえちご山里ファン倶楽部の軌跡

今手元にある本である。

出版元は、「かみえちご地域資源機構株式会社」

ほとんど自費出版である。(3000円+税+送料)

この本の書評を書こうかと思った。だが、まだ読み切っていない(^^;)。それでも書きたいと思ったのは、読む過程で多くのことを考えさせられたからだ。そこで、この本から連想して思い至ったことを書く。だから序説としておく。読み終えた時点で、、ちゃんとこの本の紹介をしようと思う。

とはいえ、まずこの本の成り立ちは説明しておこう。

新潟県上越市にあるNPO法人かみえちご山里ファン倶楽部の6年間の活動を記録したものだ。私も、倶楽部設立初期に取材に訪れている。そして先月、久しぶりにまた訪れた。それだけに、私自身も彼らの足跡を追う気持ちにさせられた。

ある地域(山里)の活性化を外部の人間が企て、いかに取り組み、いかに悩み、何を達成したか、が記されている。取材時にも驚いたのだが、ここに参加した9人の若者のほとんどは、この地域と縁がない。そして大学・大学院卒、海外留学経験、専門職勤務……といった、一見華々しい?学歴・経歴を持っている人も多い。それが、なぜ、このNPOに飛び込んだのか、そして悪戦苦闘してきたのか、結構赤裸々に描かれている。

倶楽部が抱えていた経営的な苦しさや、地元の人々との意識の齟齬も描かれている。それでも愚直に活動を続けた。そして生み出したもの、得たものがある。帯文にある「拒否・受容・批判・包容・協力・叱責・挫折・希望」そのままだ。
おそらく、この過程を最後まで行かないまま、留まっている組織も多いのではないか。批判でくじけることもあるし、挫折のまま終われば、最後の希望にたどり着けない。

ちょっと聖書の言葉を思い出した。「ローマ人への手紙」の一節である。

艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。そして希望は失望に終わることはない」

ところで、この過程は外部的な要因……事業自体がどのように発展するか、地域の人々に受け入れられるか、組織の財政を経済的に成り立たせられるか……であるが、それに加えて組織の内部(メンバー間)変化も重要だ。

地域づくりに取り組む、そして組織を立ち上げて運営する。それがいかに大変なことか、それが伝わる組織の変遷を描いた言葉がある。

目標を掲げた組織を立ち上げる。1年目はみんな熱心に取り組む。

2年目も頑張り、事業もそれなりに順調に進む。ただ内部に意識や技術の差が生れる。

3年目に入ると、揉め事が起きる。グループ内で派閥?意見の相違が出てきて、主導権争いになることもある。

4年目。仲間割れが起きる。

5年目。少しずつ落ち着き、6年、7年目で、ようやく形が定まってくる。

8年目でお互いの状況を冷静に見ることができるようになり、10年を過ぎる頃から「大人のつきあい」の見極めができる……。

以上は、山村クラフト運動に尽力しているアトリエときデザイン研究所の時松辰夫氏の言葉に私なりのアレンジを加えたものである。

おそらく山里ファン倶楽部もいろいろ葛藤はあったのではないかと想像する。

これまで地域づくりの事例は、たいてい成功例であり、その成功の軌跡ばかりを追っていた。しかし必要なのは(知りたいのは)、失敗例であり、つまずき・あがき・危機の心理ではなかろうか。

2008/05/24

講義「吉野林業と割り箸」

奈良大学で、「奈良文化論」を行ってきた。受講者は約200人。学生は90人程度で、あとは一般人のようだ。

テーマは「吉野林業と割り箸」。しっかり拙著の宣伝も含めて(^^;)、話してきたが、終わると学生はその場でレポートを書く。その論題は「割り箸はもったいない、か?」にした(笑)。

今、手元にあるレポートを順番に読んでいる。みんな短時間にわりとたくさん書き込んでいて、結構学生の本音が伝わる。たとえば多くの学生が、「林業は環境破壊だと思っていました」から始まるのを読むと、想像以上にそうした発想が世間に広がっていたことを知って暗然とする。
それでも的確にこちらが講義したことを聞き取っているのもあれば、???のトンチンカンなもの、さらに講義内容は理解しているが、「それでも割り箸はもったいない!」と記しているものまであり、面白い。

また絶妙な育林法と利用法を生み出した吉野に対する驚きが目立つ。奈良の大学に学んでいるのだから、吉野への誇りを芽生えさせたことはよかったと思うが、私も、ちょっと吉野林業を美化しすぎたかな? と反省している。たしかに昔は徹底的に木を利用し尽くす林業であったけど、残念ながら現在はそうでもないからだ。
そのほか、様々な思いやアイデアも書かれている。何度も使える割り箸をとか、使用済み割り箸を薄く削って新たな割り箸にしてみては(^^;)とか。「使い捨てにも文化的意味がある」と指摘するものもあった。
このレポートは、私には非常に貴重な資料になるだろう。そして割り箸を通して環境問題に複眼思考を持ってもらえたのなら大成功である。

ところで、最後に質問を受け付けたら、「吉野町出身」という学生が手を挙げた。割り箸を含めて吉野は今後どうなるのか、何をすればよいのか、と問われる。
こーゆー質問が一番むずかしい。現地はきわめて厳しい立場にあるわけだが、それを乗り越える智恵が要求されるだろう。

さらに、今後広島で割り箸づくりを企てている広島の夫婦も来ていたし、林野庁の人も顔を出していた。そして一様にいうのが「ブログ読んでいます」。

そんなこと言われると、書きにくくなるではないか(^^;)。○○○のことも書いていましたね、なんて言われる。あ、あの件はちょっと批判的に書いたからなあ……。

よし、次からは遠慮してよい面を探して書こう……ということには私は絶対にならないから覚悟してね(^^;)。

2008/05/23

何の骨?

病院通いが続いて、十分に竹の子堀りができなかったが、昨日、久しぶりに森遊び研究所に行った。

案の定、アチコチの雑木の間から竹が伸びている。まだ筍皮がついたまま、高いものは4mを越えているだろう。
それをナタでたたき折っていく。このままだと竹林が変わってしまうからだ。何十本にもなっただろうか。なかにはほとんどタケノコと言える程度(10㎝くらい)しか顔を出していないものもあるが、それも堀り折った。

ちなみに、タケになってしまったように見えても、それらの若竹の穂先は食べられる。20~30㎝程度切り取って10本ほど持ち帰った。皮をむいて茹でたら、ちょっと形はタケっぽいが、しっかりタケノコしている。これを今春最後の味としよう。

さて、だいたい折り取ったところで帰ろうとしたら、足元に妙なものを見つけた。

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何か、わかるだろうか。……明らかに頭蓋骨だぁ! 

もちろん人間ではない。どうもシカらしい。さすがに生駒山にはシカは生息していないはずなのだが。ここで朽ちて骨だけになったのでなく、外から持ち込まれたものだろう。
しかし、誰がシカの頭の骨を持っていて、それを生駒山の森の中に捨てに来るのだろうか。ちょっと謎だ。

ちなみに私も、吉野で拾ったシカの下顎骨を持っているけどね。

2008/05/22

屋上緑化とペット

大阪・なんばパークスに行った。

ここは、東京の六本木ヒルズと並ぶ? 大々的な屋上緑化をしてあることで知られる巨大施設。形状が階段状になっていて、各階の上が緑化されているので、棚田のような雰囲気で緑に包まれているように見える。その合間に広場があり、カフェがあり……と、なかなか凝っている。今の季節だと、いちばんのどかに野外でお茶できるだろう。

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オープン当初に行った際は、まだ木々が小さかったため、なんだか人工色が強かったが、今や大きく育って枝葉をかなり伸ばしている。それなりに自然を感じられるようになってきた。むしろ水やりや剪定などの世話が大変だろうと思わせる。花もよく入れ換えているようだ。

驚いたのは、その一角が市民農園「アーバンファーム」になっていたこと。会費を払って土地を借りると、自分の好きなように使えるようだ。畑にしているところもあれば、木の苗を植えているところも覗き見えた。土地代を考えると、贅沢である(^o^)。

「自然」を動物に例えた表現がある。

大自然、原生自然を「野生獣」とし、公園などの人間が制御している自然を「家畜」とするものだ。家畜の中でも、食べたり利用(生産したり)せず、愛玩するのが目的の場合は、「ペット」と呼ぶが、自然の中にもペットはある。その自然は、飼い主の世話がないと生きていけないことが多い。
屋上緑化は、あきらかにペット化した自然だろう。緑を愛でてもらうことが目的で、そこで得られる対価は施設や店のイメージアップである。市民農園では野菜を作るかもしれないが、それも楽しみの一環だ。農作物として出荷することはあるまい。

このペット化自然については、そのうち、もっと深く考えてみたい。ここで重要なのは、緑は何かを生産するよりも消費対象になっていることだ。

……と思っていたら、本当にペット?の犬をつれて歩いている人がいたよ。いいのか?

2008/05/21

ブロッコリー

ブロッコリーは好きだろうか。どこを食べるだろうか。

ブロッコリーで一般に食べる緑のモコモコした部分は、花蕾である。まさに花が開く前のつぼみである。全体のごく一部でしかない。ブロッコリーは、その見かけに比して、体積的には軸部分が太くて、花蕾は少しである。
花蕾だけを食べるのは、いわばマグロの大トロだけを食べるようなものだろう。

私は、実は軸部分も好きだ。薄くスライスして炒めたり煮てもよい。今度発見したのだが、軸を糠漬けにすると、非常に美味い漬け物になることがわかった。いまや花蕾よりも好きになっている。
中国には、ブロッコリーの軸ばかりを集めた缶詰が売っていると聞いた。通は、軸を食べる(笑)。

ブロッコリーは花蕾を食べるもの、というのは思い込みではないか。

森から得られるものが木材というのも思い込みかもしれない。木材の中では太くてまっすぐな部分がよいというのも思い込み。森林が酸素を出すというのも思い込みなら、ゴルフ場が森林破壊というのも思い込みかもしれない。

2008/05/20

吉野高校林業博物館

久しぶりに土倉庄三郎のことに触れる。

先日、吉野高校にある林業博物館を見学した。実はこの高校の森林科学科は、かつての林業学校で、庄三郎が設立に関わっている。

博物館は、古ぼけているが、なかなかどうして、資料は一級品が揃っている。奈良県の林業関係の見本や資料としては、一番貴重なものがあるかもしれない。013                                                                                          

これは春日山原始林の春日杉。台風で倒れたものだが、もっとも太い根元の輪切りだ。そのほか何百という樹種の見本や木材関係の本物の資料が並ぶ。

それに割り箸関係、吉野川の古い写真。そして、土倉庄三郎と妻の肖像画。

001                                                                                                   

                                                                                                                        

実は、これまでため込んだ土倉関係の資料を改めて整理している最中。数にして140を超えており、とても読みきれない。

庄三郎の事績を並べると、紀州藩がかける税金撤廃運動から始まり、自由民権運動のスポンサーになり、同志社大学や日本女子大の設立に尽力し、吉野山のサクラを救い、吉野川を大改修し、五條から三重まで抜ける東熊野街道を開設し、大台ヶ原と大杉谷を開発し、奈良公園の改良計画を手がけ……

ほとんど家業に関係ないことに金を費やしている。そのため、「父が築いた土倉家の財産を散じた」と表現されたりもする。

ところが、ちゃんと元を取っているのである。吉野林業と関係ないことをしているようでいて、結果的にそれが吉野の名を上げ、木材の流通をよくし、吉野材価格を高騰させ、ちゃんと儲けている。社会貢献は他人のためならず、だと感じる。
この学校もその一つかもしれない。

2008/05/19

山林の転売

吉野林業の歴史を調べていると、過去(江戸時代)、吉野では山林の転売が盛んに行われていたことを知った。

もともと農家が、焼き畑で農作物を作るより木の苗植えて木材育てた方が儲かると始まったのが、吉野の林業である。つまり木材とそれを育てる山林の商品化が進んでいた。
そこで畑に木の苗を植える。その後も下刈りなどして育てる。しかし、これらの「投資」が回収できるのは何十年も先ではたまらない。

そこで転売したのだ。たとえば10年~20年で、とりあえず木は高く伸び、育林の手間はずっと減る。それを山林ごと売る。買う方は、あとは太くなるのを待って伐採すれば金になる。自分で世話する手間が省けるから買う。売る方は、苗から育てた労賃を受け取って儲ける。

もしかしたら、ある程度間伐してその材を売った持主は、また転売したかもしれない。買った方は、またしばらく寝かせて80年100年たって大径木に育ててから、伐採して儲けることを狙う。あるいは、山林面積を増やすことが、山仕事のスケールメリットにつながったのかもしれない。
こうして持主が変わることは、結果的に資金回収のリスクと期間を減らせる。

これって、いいじゃないか、と思った。林業は育ててから収穫するまでの期間が長すぎることが産業の近代化を遅らせたと言われる。たしかに60年も待っていては経済情勢も変化してしまう。この「木の時間」こそが、最大の問題点だと。しかし、転売して、折々のメリットを取りつつリスク分散する手があるのではないか。

今ならどうだろう。森林の証券化がそれに当たるかもしれない。証券として森林の権利を転売していく。折々のメリットは買手が探し出すだろう。細い小丸太による商品開発に成功した企業とか、自然観察を目的としたり森林療法行う団体とかが一定期間森林を保有する。

もちろん山の生態や林業施業に熟知した人が実際の管理を行わないといけない。彼らを山守と呼ぶ(笑)。吉野林業でもかつて成立した役職だ。

温故知新ではないが、古い制度にも大きなヒントがある。古風な制度を今風に変えることで、林業に新風を吹き込めないだろうか。

2008/05/18

ゴルフ場のCO2吸収力

たまたま某誌の編集長から質問された。

芝生は、意外とCO2の吸収力が強いと聞くが、それならゴルフ場もCO2吸収源となるのか、と。

たしかに、私も聞いたことがある。芝生というより、草本類は、基本的に生長量が大きい。樹木よりも1年間に育つ(有機物生産量=炭素固定量)は多いのである。

ただ、草は伸びても樹木より短時間に枯れるわけで、それが分解されたらまたCO2として空気中に放されることになる。だから、草を刈り取って、それを腐ったり燃やしたりせずに保管しておけばよいのではないか。……そんなことを答えた。

それが完璧に正解かどうかちょっと自信はないが、たしかに草本のバイオマスはバカにできない。保管しなくても、燃料として化石燃料の代わりに使うことで、カーボンニュートラルを利用した実質的なCO2輩出削減が可能かもしれない。

ただ芝や牧草を燃料にするには輸送コストとエネルギーとかも考えないといけない。
それなら刈り取りコストは折り込み済のゴルフ場で、刈った芝を燃料にしたバイオマスストーブとか、ボイラーを普及させられないだろうか。エコ・ゴルフ場として宣伝材料にもできるのではないか。

次のCOP13では、ゴルフ場もCO2吸収源に含める交渉をしてみたらどうだ?

2008/05/17

講座「奈良県の木材産業」

奈良大学の「奈良文化論」の講座を聞きに言ってきた。

今回は、「奈良の木材産業」である。来週が私の番なので下見にもなるし、何より奈良の木材産業について研究者はどんな分析をしているか、私も勉強したいという気持ちがあったからである。

訪ねてみると、300人は入る大教室。う~ん、こんな場で「講義」するのか……。来週の自分の身になって考えてしまう。

講義は70分。残念ながら私の想像とは違って、現在の木材産業を分析するような内容ではなかった。もともと担当された教員は、マーケティング論が専門で、奈良の林業や木材産業に関してはそんなに詳しくない。だから私がすでに知っている数字を紹介した入門的なものであった。
むしろ後半の「地域ブランド」に関するところが面白かった。吉野の地域ブランドがどのように立ち上がるか、またその動きを紹介したからだ。今後、吉野のような林業地は、いかにあるべきか考えるきっかけを得ることができた。これ、別のところで使おう(^o^)。

なお、奈良文化論の講座は、基本的に奈良大学の学生向きである。ただ一般公開もしていて、誰でも入って受講できるのだが、会場を見回したところ、どうも一般の人の方が多いように見える(^^;)。それもお年寄りが多いんだなあ。

奈良の人は勉強熱心だ。

来週の準備、しっかりしなくっちゃ。

2008/05/16

木屑からバイオディーゼル

ドイツで、木屑からバイオディーゼルを製造する本格的な製油所が稼働し始めたそうだ。

これまでバイオエネルギーの増産が叫ばれながらも、材料が穀物や糖類だったことで、世界的な食料危機を引き起こしかけ問題になっている。その中で切り札となるのが木質からの燃料生産だが、この技術は日本が一番進んでいるかと思っていた。堺市には廃材よりバイオエタノールを生産するプラントもある。
だが、結局、生産性やコストが合わないなど問題を抱え、とても実用的とは思えなかった。ちなみに生産量は、年間140万リットル。

ところが、ドイツの製油所は、年間1800万リットルのディーゼル燃料を生産できるという。詳しい数字は知らないが、これなら本当に実用レベルと言えるのかもしれない。方法は、木屑を高温でガスにして、そこから合成するもの。この方法なら、醗酵に頼るより大量生産がしやすそうだ。

少ない情報から私が推測するに、このポイントは、生成させるのがディーゼル燃料だということではないか。日本などが研究しているのは、エタノール、これはガソリンの代替燃料をめざしている。当然、精製度が問題となる。だがディーゼルなら、経由レベルということで、ハードルが低くて済む。

ヨーロッパは、ディーゼル機関こそ、環境に優しいと普及が進められている。熱効率がよく二酸化炭素排出量が少ないからだそうだが、ディーゼルを目の敵にする日本と、この点が決定的に違うのだろう。材料も、木屑,、廃材、藁、なんでもよいそうだ。

日本は、あまりにも高純度・高性能の製品を狙いすぎなのかもしれない。ディーゼル燃料の需要もバカにならない。これをバイオ化するだけでも、結構な価値となる。そういえば、天ぷら油を灯油レベルにするのは難しいが、経由レベルなら簡単と聞いたことがある。

無理にハードルを上げずに、簡単に作れるものから普及させるのもいいのではないか。

2008/05/14

桶風呂

友人のカメラマンが作ったビデオ「桶風呂をつくる」DVDを送ってきてくれた。

これは滋賀県の湖東地方に分布する桶風呂を再現する文化財の記録映像である。

桶風呂というと、単に大きな木の桶の風呂……風呂桶のことと思うだろうが、ちょっと違う。この風呂は、水は数十センチ、せいぜい座った腰くらいまでしか溜めない。そして人が入ると竹で編んだ傘のような蓋をしてしまう。仕組みは五右衛門風呂のようなもので、これで蒸気によって温まるのだ。

いわばサウナである。なぜこんな風呂が発達したのかというと、燃料が少なくて済むからだという。お湯はわずかだから藁束が一つで沸いたらしい。

江戸時代の燃料は薪や藁だが、どちらも不足気味だったということだ。当時の山は禿山だらけで、木材は素材としても燃料としても貴重品だった。桶も、その材は何度も修繕しながら使い、古い材は一回り小さな桶に作り替えることもした。大変な仕事だったろうが、当時は樽や桶職人は食いっぱぐれのない職業だったのだろう。

今や世界的規模で石油価格の高騰やマテリアルの奪い合いが始まっているが、不足は新たな工夫と職業を生み出すのではないか。そして資源の節約と使用効率のアップにつながり環境負荷も弱まるのではないか。
そんなことを考えて、なにやら資源不足に期待してしまった。

ちなみにDVDは非売品?なのかなあ。

2008/05/13

看板

すっかり報告を忘れていた、「吉野チェンソーアートスクール」の看板。

Photo                                                 

                                            

連休前に完成しておりました。

当初の構想より、よほど立派。立派すぎ。こんなに贅沢に吉野材を使い、書家に描いてもらった文字を彫り込んでいる。立てるのも基礎を打った。高さは3メートルを越す。

当然経費もかなりかかった。これに見合うだけの受講生が来てほしいが、幸い、連休中は見学客も多かったように思う。

場所は、桜井市より県道37号線を南下、新鹿路トンネルを抜けて200mほどのところ。もし機会があれば、見てほしい。ちなみにオープン日は月に2~3回。主に週末だ。

2008/05/12

奈良大学で講義

なんだかいくつもの病院掛け持ちで回る日々。

その間に手をつけた仕事が、来週24日に奈良大学で行う私の講義。

「奈良文化論」の前期、大和“木”ものがたり の6回目に、私が「吉野林業と割り箸」というテーマで話すことになった。
さすが奈良大学、ラインナップを見ると、“木”と言っても、大半は歴史に関わる木材である。学外講師も私だけかな。ちょっと異色の内容になるかも。

ともあれその準備に取りかかり、資料の写真も用意するが、整理の悪さで、悪戦苦闘。
加えて、割り箸にも端材から作るものと丸太から作るものがあり、さらに海外産がある。そして林業地も、吉野林業の歴史をまともに振り返ると複雑すぎ。これらを整理して学生相手に話さなくてはならない。

それはともかく、改めて割り箸と吉野林業を整理すると、我ながら見事な(^^;)整合性があるのだが、ではほかの林業地はどうなのか、という疑問が沸いてきた。いくつか吉野に近いビジネス・システム化した地域もあるが、大半は真っ当な産業になっていない。

さて、この講座。学生主体とはいうものの、一般人も聴講可能である。手続きもいらないので、もし奈良まで足を運べる方はどうぞ。詳しくは、上記のHPを見てください。

2008/05/10

えち鉄とソーシャルキャピタル

昨日の書評で書いた「ソーシャルキャピタル」について考えていた。

この言葉、いろいろ学者で論考されているし、定義もあるのだろうが、私なりに考えてみる。ソーシャルキャピタルを具体的に言えば、町内会や婦人会、あるいはNPOのようなつながりだ。そこには暗黙のルールがあるが、縦の規範ではなく、横の規範だ。社則とか主従関係ではなく、横に結びついたものだ。
なぜ、えちぜん鉄道には、ソーシャルキャピタルがあると思えたのか。そして、それがあるとなぜ組織は甦るのか。

半官半民の第3セクターは、ともすれば無責任になりがちだ。しかし、うまく行くこともある。いや、完全な民間企業でも、大企業病になったり、中小企業でもまともにシステムが機能しないで崩れていく組織はある。同じことは100%公務員の行政組織でも、トンデモナイ活躍をするケースがある。

すくなくても越前鉄道は、風通しのよい会社らしい。現場の声をすぐ受けとめてくれるようだし、現場の判断で動ける範囲も多そうだ。言い換えると、権限委譲が進んでいる。

以前、ある飲食関係の会社を取材した際に、仕入れ担当の女性(30歳前後)のところに、雹にやられ割れ傷ついたキャベツが山と持ち込まれていた。その数4000個。収穫直前に1日にして全滅したという。売り物にならないから、畑にすきこむしかない。これを買い取ってくれないかという相談だった。それを担当者は、即決で買い取った。しかも言い値である。その後、いくつかのレストランや製造部門に連絡してキャベツメニューを作らせ消化させるよう手配した。さらに割れたキャベツの説明を書いて店頭で販売もする。「最後は社員に販売してでも、全部使い切ります!」

この会社の活力は、この連携の力である。連携は、命令ではなく、横の関係であり信頼関係だ。買い取りを決定する権限委譲と、買い取ってもみんなで処理してくれるという信頼がないと動けない。これは、企業という縦社会に、横断型のネットワークを築いたとも言えるだろう。いや、社内だけでなく、傷物を即決で引き取ってくれた企業には、地域も協力する。会社の枠を超えた連携を生み出す。……えち鉄と同じだ。

権限委譲は、やる気を生み出し、労働満足度を高める。そして公的意識を生み出し、結果的に社会貢献度も高まる。

同じ構造になっているのが、ある種のNPOだ。儲からないのに、熱中する。与えられた役割以上の仕事をする。仕事をすることが存在意義の確認となり、それが目的となる。だから公的事業を担うことが多くなる。社会起業となっていく。

えち鉄は、まさに社会起業になっている。本の中には「地域共生型サービス企業」という表現になっているが、この仕組みを解明して、実行するノウハウを築けたら、私は超経営&地域づくりコンサルタントになれるかもしれない。

そして「行政のNPO化」という、もう一つの考察へとつながるのだが、それはまた別の話。

2008/05/09

書評「ローカル線ガールズ」

昨日、Amazonで届いた本は、

清原なつの「家族八景」(上)(下)
嶋田郁美「ローカル線ガールズ」

清原なつのは30年来のファン。もっとも男のファンの多い少女漫画家として知られるが、これは筒井康隆原作である。こちらも語りたいところだが、今回は「ローカル線ガールズ」だ。昨日は娘の学校に病院見舞いにと忙しかったはずだが、一気に読んでしまった。いかに仕事をしなかったかわかる。

でも、感動した。最後は目がうるうるした(笑)。

この本は、福井・えちぜん鉄道のアテンダントの物語である。アテンダントとは、1~2両の車両に乗って切符販売や観光案内をする女性乗務員。この鉄道会社の独特のシステムだ。彼女らの話ではあるが、同時に地域づくりの教本にもなるだろうし、「もてなし」の本質を考えることもできる。そして…萌えることもできる(笑)。

この鉄道の前身は、京福電鉄。しかし2000年から01年にかけて半年に2度も大事故を起こし、営業停止になった。そのため京福は路線を廃業にする。しかし市民の声に押されて03年に第3セクターとして復活させた。

……これだけなら、極めて危険なパターンだ。民間が失敗した事業を行政が引き継いで多額の税金を投入、しかしますます赤字は膨れ上がり……という負のスパイラルが頭に浮かぶ。

新生えちぜん鉄道が行ったのは、料金値下げとアテンダントの採用だ。アテンダントは無人駅対策でもあったようだが、当然人件費がかかる。いよいよ危険なパターン。

が、乗客の伸びは驚異的だ。03年下半期で138万人が、翌年242万人、次が279,5万人。292万人。そして昨年は300万人を越えた。沿線にニュータウンができたわけでも、強力な集客施設が生れたわけでもない。しかし、今や鉄道を使わなかった沿線住民も使い、全国からファンが押しかける。鉄オタだけではない。いや、鉄オタも多いだろうけど(~_~;)。

その秘密は、この本を読んでいただくとして、稀に見る地域づくりの成功例かと思った。

話は変わるが、私はイマドキの「もてなし」ブームにうさん臭さを感じていた。よりよいもてなしをしようとすれば、対価がかかる。さもなければ、ボランティアになり、しわ寄せは労働者に行く。結局、お金持ちだけが享受できるサービスになりかねない。

しかし、この本に登場するアテンダントの「もてなし」は、そのどちらでもない。自ら仕事を作って乗客に満足してもらう精神が満ちている。ありとあらゆる質問に応え、乗降のお手伝いをし、観光案内、店紹介まで行う。なぜ、それが可能なのか。

それを私は、「ソーシャルキャピタル」ではないか、と感じた。これは直訳すれば「社会的資本」だが、むしろ「表に見えない組織の底力」「横につながる規範意識」と訳した方がよいと思う。ハードではなくソフトだ。「一体感」と一言で言ってもいいか…。
これがあるとないとで地域の活力が全然違う。マイナスからスタートした鉄道会社が、いかにして巨大なソーシャルキャピタルを築いたのかは、この本にも登場しないが、きっとキーパースンがいるのだろう。アテンダントも、その中に生れた。

彼女らは、最初は派遣社員だった。下手すると使い捨てだったかもしれない。しかし、どこかで変わった。「顧客満足度」を高めることで、「労働満足度」という対価を得たのではないか。自らの存在意義を示すために。これこそが「もてなし」の新たな切り口になるかもしれないなあ。

ところで、この本は、半分は写真集でもある。アテンダントの写真を眺めていると、本当に萌えるよ(^o^)。
この冬、実はえちぜん鉄道に乗って勝山の恐竜博物館に行くことを考えた。結局、車で送ってくれることになったので乗ることはなかったのだけど、この本を読んでいたら無理しても乗ったかもなあ。生アテンダントが見たい(笑)。

2008/05/08

紫の杉

先日、吉野に行った際に見かけた木。

Photo_2                                                 

                                              

スギのはずなのに、なんかヘン。よく見ると、紫……いや藤色に染まっている。

なんのことはない、スギにフジがはびこり、花を咲かせているのであった。そのためフジの花のうすむらさきと、黄緑の新葉の色が際立っていたのである。

本来なら、世話をしていない証拠のけしからん現象なのだが、今では「これも景色かな」と思ってしまう。

そういえば、スギの新緑というのはないのだろうか。暗緑色ばかりではなく、もえぎの色も目立てば、杉山の景観を楽しくすると思うのだが。

2008/05/07

病と緑

身内が入院したので、終日、病院にいた。

比較的新しい病院で、内装も立派ならサービスもよい。看護師も若い(笑)。
その中で気に入ったのは、病室から生駒山が見えること。それもベッドから絶好の角度で新緑に覆われた山体が目に入る。(私がベッドに寝たわけじゃないけど)今日は青空だったから、とくに美しかった。

実は数年前、別の身内が駅前の病院に入院したことがあるが、その際は窓がほとんどなく、あっても外は別のビルの壁しか見えなかった。内装も薄汚れたノッペラボウの白壁。
これは精神衛生上よくなかった。花を添えたりポスター張って誤魔化していた。

こうした目に入る景色の影響は、病状にも影響があるのではないか。森林療法ではないが、病後の回復に影響するような気がする。こうした研究はしていないかな。

2008/05/06

割り箸の輸入状況

世間では、ゴールデンウィークなるものが終わるらしい。

そこで一足先に仕事モードに入って、少し仕入れた情報を。

4月になって、中国からの割り箸の輸入状況はどうなっているのだろうか。昨年輸出税が30%も加算されて、割り箸工場もどんどん廃業して、春には安い在庫も尽きて価格もどんどん上がり、輸入量が激減する……と噂されていた。
そのためにマルシェとかワタミなど外食産業グループが、「マイ箸」という名のプラスチック箸を使いだしたのだ。

(正直言って、『割り箸はもったいない?』で中国からの輸入は止まらない、という推測を披露した身としては、予想が外れたことになると恥ずかしい、と心配していたのだ。)

だが、今のところ輸入は一向に減っていないそうだ。価格も、30%の税分は加算されているものの、価格は1膳1円数十銭程度。予想された2円超えにはほど遠い。しかも、数十銭の値上げ分は、国内の流通内で吸収されているらしく、末端価格は変わらないとか。

なんのことはない、何も変わらなかったということか。まさに泰山鳴動して鼠一匹、である。

外食店のマイ箸運動も、足踏み状態らしい。ワタミに続くグループは出てきたと聞かない。そもそもワタミだって、割り箸を止めるつもりはなくて、自分たちで割り箸を模索していたのが真相らしい。それができないからプラスチック箸にして、それを使い捨てではないから環境に優しいと喧伝していたのである。

もちろん今後もそのまま推移するという保証はなく、さらに値上げするかもしれないが、それでも結局日本は輸入し続けるだろう。仮に高くなっても安定供給さえされれば、外食店は割り箸を使うことを選択するのである。怖いのは価格ではなくて、供給の安定性であった。

これを逆に考えると、国産割り箸も安定供給することが最重要課題である。価格勝負ではないと言える。もちろん、吉野の高級箸のように1膳5~10円もするのでは困るが、2~3円くらいなら中国製と競争も可能なのかもしれない。

国産割り箸復興のシナリオを、改めて書き直してみたくなった。

2008/05/05

宮滝にて

昨日・今日と吉野に行ってきた。

そこで見たこと聞いたこと話したことはいっぱいあるけど、とりあえず写真は、宮滝。Photo

                                               

                                               

壬申の乱など古代史の舞台であり、万葉集に詠まれ、吉野離宮があった奇岩の並ぶ景勝地である。が、この連休中は、水遊びの若者に占拠されていた。

それは、まあ、いい。ただ不思議なのは、彼らは大音響で音楽を流していたこと。それも黒人ミュージックとでもいうのだろうか、よくわからないが、自然の中では絶対に似合わない音(笑)。

なぜ流す必要があるのかわからない。別にその音楽が嫌いとは言わないが、どう見ても、薄暗くて密室のクラブなどで聞いている方が似合うと思う。

もしかして、自然と向き合うのが怖くて、「都会的な」音楽で武装しているのか?

それで思い出した。随分昔になるが、ボルネオのイバン族のロングハウス(村一つが一つの家になっている高床式伝統的家屋)に泊り込んだ際のことだ。

夜は打楽器を持ち出して、イバンの伝統的ミュージックで踊りが披露された。結構盛り上がってきたのだが、なんの瞬間だったか、急に電子音に切り替わり、ディスコ・ミュージックが流れたのだ。そして若者たちがディスコ風に躍り狂った(笑)。

参加者である我々には大ウケであった。だが、ほどなく長老たちに怒られて止められた。

でも、若者らは外来の音楽に憧れていたんだよなあ。

宮滝で音楽流していた連中は、地元の人間ではない。都会からレジャーできたのだろう。早くも川に飛び込み泳いだりバーベキューしたりと大騒ぎだったが、彼らは新たな刺激に憧れたのではなく、都会の音の鎧を着ないと怖かったのだろう。まったくイバン族の若者とは反対だ。

2008/05/03

森林療法と地域づくり

今日は全国的に青空が広がり、森林療法びよりだろう。

さて、林野庁は全国に森林セラピー基地とセラピーロードを選定した。この春の11カ所を合わせると35カ所になるのではなかろうか。

これはどんな意図で展開されているのか。一つには「国民の健康」という理由があるだろうが、それは建前だ。縦割り組織の林野庁が唱えても嘘くさい(笑)。そんなこと、厚生労働省のお仕事である。もっとも瑣末で本音のところでは、認定料を稼ぎ、実施主体の国土緑化推進機構を維持する、という意図もあるかもしれない。
しかし基本は、森林地域の活性化、いわゆる地域づくりである。

では、認定された地域のうち、地域づくりに結びつくところはいくつあるだろうか。もちろんこれから、という面はあるが、私は一桁……いや複数あるかどうか怪しいと思う。多くの地域は財政的に持ち出しであり、垂れ流しの公共事業にしかならない。

ここで、森林療法≒森林セラピーの科学性や効能については触れない。数値的には効果は認められているが、理論面が確立していない。ただ、地域づくりに役立つかという点で見ると、ほとんどの地域が失格だ。

希有な例外が、信濃町だろう。だから私は取材先に選んだのだが。

そう感じたのは、まず計画が住民有志の動きから始まり、それを行政が受け入れて動いていること。国の構想に乗っかったのでもなければ、行政の先走りでもない。また当初から森林療法のマニュアルづくりに取組み、「癒しの宿」と「森林メディカルトレーナー」の養成を行っていることも大きい。そして住民に還元する仕組みがある。
システマティックなのだ。明確な理念があるし、具体的な運営ノウハウも蓄積している。

聞けば視察は多いという。だが、信濃町が築いたシステムを真似て実行している地域はあるのだろうか。少なくても私が調べたかぎりは見つからなかった。
先行事例を視察しても、誰も自分のところでは実行しないというのは、日吉町森林組合のケースと同じかもしれない。

少なくても国主導では、無理だ。

森林の中を歩きながら、そんなことを考えていた私は不純かもしれない。癒しになっていない? いや、私にとっては、こうした考察をすることが癒しなんだよ。イヤな性格(~_~;)。

2008/05/02

森林療法と童話

いよいよ明日から連休後半戦。私は、むしろ忙しいけどね(-_-)。

爽やかな森林に触れ合うことを願っている人も多いだろう。そこで、一足先に経験してきた森林療法の話。訪れたのは、長野県信濃町。黒姫高原だ。
この町の取り組みは、システマティックだ。この仕組みについては、改めて考察したいが、今日は私も体験した「童話と森林」の話。

※ちなみに、イマドキは「森林セラピー」と表現することが多いが、実はこれ、林野庁が言い出した呼称。その前は「森林療法」だったし、私も取材して記事にするときは「森林療法」を使っている。何より、信濃町の事業は「森林療法」となっているから、こちらを使う。セラピーと言い換えた途端、なんだか安っぽく感じる……。それに林野庁の事業は、何かうさん臭く思えるんだよね。

6信濃町は、カラマツ林とシラカバ林が広がり、なだらかな山容も合わせて、何か日本離れした景色だ。カナダか北欧を思わせる。軽井沢を敬遠した外国人が多く保養に来る理由がわかる気がする。                                         

そして、ここには「黒姫童話館」がある。てっきり、バブル期に多い意味不明の町おこし施設かと思いきや、実はこの町は児童文学と縁が深いのであった。まず松谷みよ子が長く住んでいた上に、いわさきちひろ、坪田譲治らが別荘を持っていた。さらにミヒャエル・エンデの遺品が多く寄贈されているのだ。
また、グリム童話などヨーロッパの童話の多くが森を舞台にしているが、その森は黒姫の森とよく似ている。

そこで、童話と森林を組み合わせた森林療法を行えないかと実験的な取組が行われていた。私は、町民相手に行われたその行事に参加させていただいた。  5

                                            

                                           

まずは、童話館を案内していただき、童話の舞台となっている森が説明される。白雪姫も、ヘンゼルとグレーテルも、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」も、関係あったのか。

そういえば、かつて私は、童話作家に憧れたことがあったことを思い出す。いや、一瞬だけどね(^^;)。森は、未知の世界の代名詞だった。たしかに子供心にそそるものがある。

ただ、もう少し、日本の森とヨーロッパの森の違いは詳しく説明した方がよいような。それに今の日本人には、「森は怖いもの」というイメージはあまりない。邪悪な存在のいる場所としてのかつての森を理解しないと、童話世界の森がわかりにくい気がする。

その後、森を歩く。小雨まじりの天気が残念だったが、春の息吹がそこここに現れている。とくに各種の花やフキノトウなどが芽生えている。私もだが、みんな、山菜を取るのに夢中になってしまう(^^;)。それに植物の名前を聞くなど、自然観察が行われた。
実は、これは森林療法としてはよくないそうだ。気持ちが高ぶるので、リラックスとは反対の効果が出るからだ。たしかにフキノトウを必死で摘んだ私は、ワクワクしたが、リラックスしていないなあ。

それでも、森の中を歩くのは気持ちよいものだ。

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こんな小道具? 木工作品も癒されるね。

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もちろん、こんな景色も癒される。咲いているのは、リュウキンカだったかな?

2008/05/01

「ふるさと納税」可決!

衆議院でのガソリン税の暫定税率復活の可決が話題になっている。明日からガソリンの価格は30円近く上がる……と騒いでいるが、その陰でもう一つ再可決した法律がある。

住民税の一部を出身地の自治体などに寄付することができる「ふるさと納税」に関する地方税法改正案だ。どうやら今年度より、ふるさと納税がスタートする模様だ。形の上では、寄付となり、その分住民税の一部(1割以下)が控除扱いするというややこしい仕組み。

ほかに地方税である法人事業税も一部を国税にして都道府県に分配する法律も可決した。また地方交付税法も改正して、地方再生対策費を盛り込んだとか。

ようするに、国税そのものは手放さないで、地方税の再配分ばかりを進めるわけである。これで地方間の収入格差を是正できるのか。
「ふるさと納税」構想は、少し前に話題になったのに、今回は静かなものだ。それに本当に機能するのだろうか。多少の郷土愛、あるいは贔屓の地方への納税希望者が現れるとしても、その事務手続き費用がどれほどかさむか。すでに自治体の中には、東京や大阪に受付窓口を設けたり、担当職員を増員するなどしているらしい。

なんだか沖縄とか北海道とか、好きな自治体ばかりに集中しそうな気がする。もし東京がその気になれば、東京への憧れを利用して、東京へ「ふるさと納税」させて地方から吸収することだって可能かも(笑)。

なんなら国際的に広げて、好きな国に納税するシステムも作ってくれないかな。

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