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森と林業の本

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2008/05/05

宮滝にて

昨日・今日と吉野に行ってきた。

そこで見たこと聞いたこと話したことはいっぱいあるけど、とりあえず写真は、宮滝。Photo

                                               

                                               

壬申の乱など古代史の舞台であり、万葉集に詠まれ、吉野離宮があった奇岩の並ぶ景勝地である。が、この連休中は、水遊びの若者に占拠されていた。

それは、まあ、いい。ただ不思議なのは、彼らは大音響で音楽を流していたこと。それも黒人ミュージックとでもいうのだろうか、よくわからないが、自然の中では絶対に似合わない音(笑)。

なぜ流す必要があるのかわからない。別にその音楽が嫌いとは言わないが、どう見ても、薄暗くて密室のクラブなどで聞いている方が似合うと思う。

もしかして、自然と向き合うのが怖くて、「都会的な」音楽で武装しているのか?

それで思い出した。随分昔になるが、ボルネオのイバン族のロングハウス(村一つが一つの家になっている高床式伝統的家屋)に泊り込んだ際のことだ。

夜は打楽器を持ち出して、イバンの伝統的ミュージックで踊りが披露された。結構盛り上がってきたのだが、なんの瞬間だったか、急に電子音に切り替わり、ディスコ・ミュージックが流れたのだ。そして若者たちがディスコ風に躍り狂った(笑)。

参加者である我々には大ウケであった。だが、ほどなく長老たちに怒られて止められた。

でも、若者らは外来の音楽に憧れていたんだよなあ。

宮滝で音楽流していた連中は、地元の人間ではない。都会からレジャーできたのだろう。早くも川に飛び込み泳いだりバーベキューしたりと大騒ぎだったが、彼らは新たな刺激に憧れたのではなく、都会の音の鎧を着ないと怖かったのだろう。まったくイバン族の若者とは反対だ。

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コメント

ボートを漕ぎながら

太鼓の音を聴きながら

遠くで花火がうち上がっている。

そして夜、男と女。

記事のテーマとは異なる世界ですが、
何かが予想されませんか?

勇気がない人たちの属性は「群れる」に要約されるのです。^^

夜、男と女……と来れば、そりゃ(笑)。でも、群れることじゃないなあ。

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