吉野高校林業博物館
久しぶりに土倉庄三郎のことに触れる。
先日、吉野高校にある林業博物館を見学した。実はこの高校の森林科学科は、かつての林業学校で、庄三郎が設立に関わっている。
博物館は、古ぼけているが、なかなかどうして、資料は一級品が揃っている。奈良県の林業関係の見本や資料としては、一番貴重なものがあるかもしれない。
これは春日山原始林の春日杉。台風で倒れたものだが、もっとも太い根元の輪切りだ。そのほか何百という樹種の見本や木材関係の本物の資料が並ぶ。
それに割り箸関係、吉野川の古い写真。そして、土倉庄三郎と妻の肖像画。
実は、これまでため込んだ土倉関係の資料を改めて整理している最中。数にして140を超えており、とても読みきれない。
庄三郎の事績を並べると、紀州藩がかける税金撤廃運動から始まり、自由民権運動のスポンサーになり、同志社大学や日本女子大の設立に尽力し、吉野山のサクラを救い、吉野川を大改修し、五條から三重まで抜ける東熊野街道を開設し、大台ヶ原と大杉谷を開発し、奈良公園の改良計画を手がけ……
ほとんど家業に関係ないことに金を費やしている。そのため、「父が築いた土倉家の財産を散じた」と表現されたりもする。
ところが、ちゃんと元を取っているのである。吉野林業と関係ないことをしているようでいて、結果的にそれが吉野の名を上げ、木材の流通をよくし、吉野材価格を高騰させ、ちゃんと儲けている。社会貢献は他人のためならず、だと感じる。
この学校もその一つかもしれない。
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