森林療法と童話
いよいよ明日から連休後半戦。私は、むしろ忙しいけどね(-_-)。
爽やかな森林に触れ合うことを願っている人も多いだろう。そこで、一足先に経験してきた森林療法の話。訪れたのは、長野県信濃町。黒姫高原だ。
この町の取り組みは、システマティックだ。この仕組みについては、改めて考察したいが、今日は私も体験した「童話と森林」の話。
※ちなみに、イマドキは「森林セラピー」と表現することが多いが、実はこれ、林野庁が言い出した呼称。その前は「森林療法」だったし、私も取材して記事にするときは「森林療法」を使っている。何より、信濃町の事業は「森林療法」となっているから、こちらを使う。セラピーと言い換えた途端、なんだか安っぽく感じる……。それに林野庁の事業は、何かうさん臭く思えるんだよね。
信濃町は、カラマツ林とシラカバ林が広がり、なだらかな山容も合わせて、何か日本離れした景色だ。カナダか北欧を思わせる。軽井沢を敬遠した外国人が多く保養に来る理由がわかる気がする。
そして、ここには「黒姫童話館」がある。てっきり、バブル期に多い意味不明の町おこし施設かと思いきや、実はこの町は児童文学と縁が深いのであった。まず松谷みよ子が長く住んでいた上に、いわさきちひろ、坪田譲治らが別荘を持っていた。さらにミヒャエル・エンデの遺品が多く寄贈されているのだ。
また、グリム童話などヨーロッパの童話の多くが森を舞台にしているが、その森は黒姫の森とよく似ている。
そこで、童話と森林を組み合わせた森林療法を行えないかと実験的な取組が行われていた。私は、町民相手に行われたその行事に参加させていただいた。
まずは、童話館を案内していただき、童話の舞台となっている森が説明される。白雪姫も、ヘンゼルとグレーテルも、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」も、関係あったのか。
そういえば、かつて私は、童話作家に憧れたことがあったことを思い出す。いや、一瞬だけどね(^^;)。森は、未知の世界の代名詞だった。たしかに子供心にそそるものがある。
ただ、もう少し、日本の森とヨーロッパの森の違いは詳しく説明した方がよいような。それに今の日本人には、「森は怖いもの」というイメージはあまりない。邪悪な存在のいる場所としてのかつての森を理解しないと、童話世界の森がわかりにくい気がする。
その後、森を歩く。小雨まじりの天気が残念だったが、春の息吹がそこここに現れている。とくに各種の花やフキノトウなどが芽生えている。私もだが、みんな、山菜を取るのに夢中になってしまう(^^;)。それに植物の名前を聞くなど、自然観察が行われた。
実は、これは森林療法としてはよくないそうだ。気持ちが高ぶるので、リラックスとは反対の効果が出るからだ。たしかにフキノトウを必死で摘んだ私は、ワクワクしたが、リラックスしていないなあ。
それでも、森の中を歩くのは気持ちよいものだ。
こんな小道具? 木工作品も癒されるね。
もちろん、こんな景色も癒される。咲いているのは、リュウキンカだったかな?
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