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2008/06/20

地域づくりのネック

地域づくりの運動で最大のネックは何だと思われるだろうか。

まず、地元のやる気のなさ(笑)。

たしかに最大の問題点ではある。でも、これは、ほとんど折り込み済。たいていの地域では、すでにやる気が失せている。ただ、全員かというとそうではない。なかには熱心な人、好意的な人もいる。外部のアドバイザーがいかに地元の人々のやる気を出させるかは、腕の見せ所かもしれない。

私が、もっともやっかいだと感じるのは、自己利益と地域利益の相剋ではないか、と感じる。もう少し簡単に言うと、「総論賛成、各論反対」である。地域づくりといいつつ、それが自身の損益に関わったときの振る舞い方が事業のネックとなりがちだ。

誰でも自らの生活を抱えているから、地域づくりの事業を本業にする場合は、そうした判断が入ってくるのは仕方ないのかもしれない。しかし、副業でも、いや趣味に近くても、案外、関係者は自らの利益には敏感だ。
そのため地域づくりには賛成だが、自分が少しでも損をするのはイヤ、という声が出てくる。なお損というのは、何も金銭的な面だけではなく、労力、プライド、主導権も含めた様々な点がある。
ともあれ地域づくりのために始めたにも関わらず、ノウハウや顧客などを囲い込み、外に出さないようになることがある。あるいはライバルを増やさないことに腐心する。

本当は、ライバルが生れることは損ではなくて、市場を広げ、自らのスキルアップのチャンスなのだが、どうも素直に喜べないケースがあるようだ。

たとえばチェンソーアートを例にとると、これを本業にすると、チェンソーアートの技を他人に教えるべきか、という悩みが出てくる。ショー出演や作品販売を生活の糧にすると、技術そのものが財産だ。そこで“サーカスの技”“マジックのネタ”のように秘匿した方がよいのではないか。同じ技を持つ者が増えたら、自分の仕事に跳ね返って来ないか……。それに趣味でやる人が増えると、危険な行為も行われるかもしれない。

このように初期のチェンソーアーティストは考えることもあったという。

しかし、秘匿してもチェンソーアートは徐々に広がるだろうし、我流で試みて事故でも起こされたら、一気に 市場を失いかねない。それよりも積極的に安全普及して底上げを図り、そして地域づくりに貢献した方が自分もみんなもハッピーになれる、と考え直した。そもそも日本にチェンソーアートを導入したのは、地域づくりのためであったのだから。(そうでしたよね、城所さん 笑)

現実に、技を他人に教えることでチェンソーアート人口が増えたら、必ず自分にも返ってくるものだ。世間の認知が進むことで、ショーも作品購入者も増える。もちろん、そのために技術を常に磨いて、他者の追随を許さないよう努力するのは言うまでもないが。

ほかにも事例はたくさんある。多くのところで、「総論賛成、各論反対」にぶつかっている。
しかし、私が取材した地域づくりに成功した地域は、どこもオープンだった。なんでもノウハウは教えますよ、という対応をしているところが多い。徳島・上勝町の葉っぱビジネスも、高知・馬路村のユズ戦略も、長野・信濃町の森林療法も、和歌山・すさみ町の協同組合式ダイビング会社も、日吉町森林組合も、開けっ広げに教えてくれる。
いくら教えても、簡単に真似できないよ、それにこちらは常に先を行くから。そんな自信がみなぎっていた。

本当は視察に行ったら、そんなオープンな心構えこそ、学ぶべきなんだけど。
このネックを克服しないと、周辺の応援者は引いてしまう。地域づくりには協力する覚悟が強くても、個人の利益獲得に協力する気になれないのはいうまでもない。結果的に結束が乱れ、事業そのものも、伸び悩み衰退する。各論反対の破壊力は強いのだ……。
でも、それはヨソモノが口を出せない範疇である。地元の、地域づくりを主導する人が自ら決めねばならないことだろう。

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地域・田舎暮らし」カテゴリの記事

コメント

そうですか。やはり皆同じですね。

おいでおいでの策に乗った移住者ではないので、(移住歴25年)
地域づくりの音頭をとるのに、これでもかの「総論・・・」に、挫かれ阻まれてきました。

都会育ち、会社勤めを経てきたので、言語道断と思ってしまうことが、地方都市とか、まして限界集落などではあたりまえなんですね。

試しに、自分が無償で行った作業を時間で換算して経費と投資を足してみたら1000万円以上になりびっくりしました。

それが、地元からは補助金でいい思いをしているだろう、と言われる。

そう言う根拠は自分たちが出費したくないから。

活動は続けてほしいけれど、出費や労働はしたくない。
まして外部から応援に来てくれている人たちにお礼なんか言いたくない。

そして、ここよりずっと地域力のあるところが、苦労して作ったプランをさらっていく。

それでも尚、固執しているかのように活動を続ける自分が分からなくなりますね。(笑)

yamanogakkouさんが取り組んでいる事業がどんなものか知りませんが、1000万円以上ですか……。それでも活動続けているんですね(笑)。
地域づくりする充実感とか達成感があればいいんだけど、「そんなことやっても儲からない」「自己満足」となじられたりするんだなあ。

レスありがとうございます。
ここには、田中さんにおいで戴いたことがありますよ。(笑)
また、そのうちお会いすることがあると思います。

え? 一体誰? どこ? ……(笑)

「地域づくり」と大きな言葉使わなくても、ようするに視野を広く持てるか、身の回りしか見ていないか、の差なんだと思いますけどね。

まったく、まったくそのとおりだとおもいますね。

たまたま行き詰まっていたときに掲題のブログだったので、ついくどくどコメントしてしまって。すみませんでした。
楽しみに読ませていただいています。

田中さんには、昨年の3月、東北のある村に講演に来ていただきました。(わたし♀が所属するnpoの主催)
その時わたしの住む集落にもおいでいただいたのです。お友達とご一緒に。

あ、わかった(笑)。その節は……。
あの「山の学校」、このプログに写真をアップしたことがあったのではないかなぁ。

私も、いろいろ経験しましたから、くどくど書きたくなる(^^;)。

久々にコメントをさせていただきます。
他を排除する気質(なぜか共通)とか、同類を敵視する傾向とか、地方都市の衰退の原因の1つかもしれません。○○銀座とかラーメン博物館とか、ラーメン通りとか、牛丼屋は近くに複数あるとか、そういった手法をなかなか理解できないみたいです。温泉も旅館やホテルが1店舗程度で流行っているところは珍しいのにもかかわらず・・・。他に食われる分以上の集客や注文がでてくるという可能性よりも現状維持が心配なのでしょうか?
 「地域づくり」とか「まちづくり」とかの冠をつけないで、産業再生とか振興とかを頭にして、専門にやった結果が地域のまちづくりそのものだった、なんて夢なんでしょうか・・・。元気にやっているところはそんなもののような気がするのですが・・・。その裏で、ひそかにグランドデザインを書いている「裏方」が何の褒章も期待せずに動いているとか・・・。そんな感じはどうでしょう。

たしかに「地域づくり」という言葉自体が勘違いを生み出しているのかもしれません。本当は、地域経済の振興なんですけどね。ただ行政的には、地域づくりという方がうけがよい(^^;)。

しかけた人への報償は、「この地域の活性化に自分も役立っている」という満足感のようなもので、実益ではないですね。ところが、えてして満足感をぶち壊すのが、「各論反対的ないちゃもん」なんですが。すると、やる気が失せて手を引きかねない。

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