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本の紹介

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2008/07/26

書籍は著者のもの

以前より、昨年の割り箸シンポジウムを元にした本を作らないかという声がかかっていた。

もちろん割り箸に関する本が一冊でも多く世に出るのは望むところだが、シンポを元にまとめるとなると、出席者がそれぞれの立場で執筆することになる。それぞれ違うスタンスをどうするのか、という点が引っかかっていた。
産業としての割り箸なのか、シンボルとして割り箸を取り上げるのか、時として正反対のスタンスになりかねない。あるいは、仕方なしに割り箸を容認するという立場の人もいる。

昨夜、それが事実上流れた旨の連絡があった。

それでよいと思う。本は著者のもの、というのが私の考え方だ。
実はその裏には「雑誌は編集長のもの」「新聞は会社のもの」といった思いがある。雑誌・新聞という様々な記事が載る媒体の場合は、どれを採用するか捨取選択する立場の人の色が強く出る。会社レベルの立場か、編集担当個人かは別として、その枠内で著者は執筆する。

だが、書籍は著者のものだ。著者が、自分の思いを一字一句託して執筆するものだ。今の本づくりでは、タイトルやデザインなどを分業することが多いが、それでも文章部分は譲れない。共同執筆する場合は、まとめる編集者がいることになるが、それでも著者の色合いが濃い。それが一冊の本の中でバラバラでは困る。少なくても訴求力がなくなる。

一冊の本に複数の執筆者がいる場合、意見が違っているのは構わないと思うが、向かうベクトルが違っていてはつまらない本になる。割り箸シンポでは、割り箸以外のことばかり話している出席者もいたからなあ(^^;)。

さて、実は別のところから割り箸のことを書いてくれという依頼がある。こちらも共同執筆の本にする話だ。割り箸の本ではなくて、環境の本。この場合のベクトルも見極めないといけない。

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コメント

>割り箸シンポでは、割り箸以外のことばかり話している出席者もいたからなあ(^^;)。

完全なる主催者の選択ミスです。
だって割り箸やその周辺のこと知らずに話しているのだから、必然的にそれ以外のことになってしまう。
聴衆者としても面白くなかった。
今度の本の企画もそうならないように、深謀遠慮?で(^^

選者ミスはもちろんですが、依頼内容を無視した話する演者もどうかと思いますねえ。ニーズに応えないとプロとして失格。

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