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2008年8月

2008/08/31

釧路湿原

釧路湿原
北海道・釧路に来ている。釧路湿原は、やっぱり広い!
また明日も歩くよ。

長男なのに庄三郎

昨夜は、某歴史学者とお酒を飲んだ。

そこで、江戸時代のイメージを覆すようなさまざまな話を聞いたのだが、そこで思い出したことを聞いてみた。

土倉庄三郎の名前である。彼は長男なのに、庄三郎。土倉家は、代々「庄右衛門」という名を付け継いでいる。父は3代目庄右衛門だった。彼も4代目庄右衛門になるはずだったのに、幼名「丈之助」から庄三郎になってしまった。
そして次男は平三郎、三男が喜三郎である。なぜ男3人を三郎と名付けたのか。

なんでも幕末に、右衛門、左衛門などの名前は禁止になったという噂が流れたことがあり、そのためみんな改名したという説があった。その真偽は?

なんと、本当だというのだ。噂ではなく、本当に右衛門とか左衛門、兵衛門などは禁止するお触れが出たというのだ。それは公家の出す位階に通じるから、下々の者が使うことはまかりならん、と官軍側が出したという。

となると、これで土倉家の名前の秘密が説明がつくぞ。

それにしても、幕末にはヘンなことがいっぱい起こっている。川上村も天誅組との関係をもっと洗い直した方がよい。

2008/08/30

予言と昨今割り箸事情

拙著『割り箸はもったいない?』では、割り箸の将来に関する“予言”をいくつかしている。

まず中国産割り箸の輸入は続くこと。これは木炭を例に挙げて、いくら輸出禁止にするなんて言っても、止まらないだろうと指摘した。
次に、値上げは進むとした。輸出は止まらなくても値段は上げてくると感じた。
そして、これは予言とは違うが、国産割り箸の復興が話題になると感じていた。マイ箸運動などはファッションだから、すぐに飽きて消える。必ず揺り返しが起こり、割り箸使用運動が起きる。また起こすつもりだった。

さて、出版後1年たって、どんなものだろうか。先日、割り箸問屋の方と会って話をする機会があった。そこで仕入れた話を中心に、割り箸の近況と予言の“的中率”を。

まず、中国産割り箸の輸入は、一向に止まっていない。量も減っていない。まったくの空騒ぎで終わった。中国から撤退を決めた割り箸メーカーさえ、そのまま残っている。日本から背板を送り中国で加工させるルートを開いた会社は、愛媛にその拠点を移したが、そちらの稼働とともに中国の工場もそのまま動いている。

値段は、上がった。もっとも商品価格的には上下しており、上がったのは輸出税がかかるようになったからだ。それでも、ダンピング合戦があるから安値のままである。卸価格で80銭なんてのもあるらしい。日本に輸出して2倍になったとして、国産割り箸よりまだ安い。
一方、国産材は値上げ傾向にあるから、価格差はあまり縮まっていない。

そして、国産割り箸に世間の目が向き始めたの間違いない。
マスコミもその手の記事が載り出したが、世間には応援団もたくさん生れた。
先日の川上村のシンポでも、大学生に国産割り箸づくりを体験させる事業をしている人や、女子高生にアドバシ普及の運動させている人々が現れた。風は吹き始めた。

肝心の割り箸メーカーだが、こんな記事があるように、静岡では一度は廃止した製箸工場が引き継ぐ人が現れたことで再開したというニュースもある。
また北海道庁も国産割り箸を使いだした。道産だけでは足りないので、吉野からも仕入れているとか。
さらに、吉野割り箸を企業のノベルティに使う動きも始まっている。割り箸に刻印を押して、記念品とするのだ。

まだ国産割り箸の供給量がさほど増えていないから、全面的に国産割り箸の復興にはつながらないが、少しずつ意識の変化が始まったことを感じる。マイ箸運動は小休止中というところか。そのうち消えていくだろう。

なかなかの予言的中率ではないかな(^o^)。

2008/08/28

「水源地の村からの提言」

昨日は、奈良県川上村主催のシンポジウム「水源地の村からの提言」に招かれて、講演と森林放談を行った。

私は20年前に初めて川上村を訪れている。この村は吉野林業の中心地であるが、その時の訪問理由はホテルオープンだった。思えば、林業から観光へと舵を取った時期だったのだろう。

ただ私には、これが直に林業と触れるきっかけとなった(大学の林学科なんて、机上の学問だからね……)わけで、私が森林ジャーナリストを名乗って仕事をする原点がこの村にある。その後、私は川上村に通い続け、林業を実地に体験しつつ学び、山村の暮らしに触れた。さらにダムの建設の進展を観察し、洞窟を探して潜り、村へIターンで移住した人を何人も取材したりする。そして土倉翁に迫ることにもなる。

「放談」では、その頃の思い出を語った。壇上から当時の懐かしい顔も見えた。
もっとも、その後話が吉野の林業の現状になるや思わず「やる気がない!」と罵倒し、さらには「ソフトのない箱ものは、一度見たら飽きる」と口走った(^^;)。

ただ、今回のシンポの運営の主力となっていたのは、村の施設に「就職」した村外から来た人々ではないかと感じた。さらに会場周りの案内や設営など準備に汗を流していたのも、ボランティアで来ている村外のNPOの人々である。
箱もの観光施設にソフトを生み出し付けているのも彼らだし、そのソフトによって村のファンとなり村の応援団を引き受けている人々も村外者である。

「村からの提言」も、私が口走ったのがその一つなら、村外からの意見ということになる。こうした村外者のパワーをどこまで活かせるか。

あと、一歩、である。

2008/08/26

「女性を意識して」

今執筆中の仕事で、「30~40代の女性を意識して欲しい」と言われてしまった。

読者層は、その当たりを狙っているらしい。

はい、頑張ります! と返事した(^o^)。

で、何を頑張り、何に気をつけたら「30~40代の女性を意識」したことになるねん。

正確に言えば、「都会の」30~40代の女性であり、それも仕事を持ってストレス溜めているような人をターゲットにしているようなのだが、彼女らの好みはなんだ、何に興味を持ち、どんなライフスタイルを求めているのだ?
「女性に不器用」で、「女心のわからない」私には、いよいよもってわからん。

ただ、表面的な女性の喜びそうなネタを散らばらせた記事を書いたら、絶対に見破られるだろうな、ということはわかる。この年代、手ごわいのだ。旅だグルメだオシャレなグッズだというのは、その手の雑誌や本を読めばよいのであって、私の書くものにそんなものを求めてはいないだろう。
言葉を優しくしたり、難しい理屈こねないで簡単に説明する……なんてのも、女性をバカにしてんじゃないの? いや、男性をバカにしているのかもしれない。

別に30~40代でなくても、その上でも下でもよいが、アドバイスを(^∧^)

2008/08/25

ガシファイヤー国産化

このブログだったか、過去のブログ(裏ブログ)だったか、バイオマス・エネルギーの一つの形として、ドイツ製のガシファイヤーというボイラーを紹介したことがあった。覚えている人はいるだろうか……?

このガシファイヤーの国産化に乗り出すメーカーが現れた。栃木県の山形屋である。旅館のような施設や農業用ビニールハウスの需要を見込んでいる。高騰した灯油を使うボイラーと比べると、ランニングコストは5分の1から25分の1になるという。暖房用の燃料費の抑制するために需要があると睨んだようだ。それに廃材など身の回りで燃料を調達できる。今年度末の商品化を目指すとか。

このボイラー、ようするに木材でも草でも食品残滓でも、有機物ならなんでも放り込んで燃やし、ガス化して熱エネルギーを温水の形で取り出すもの。燃料不足の旧・東ドイツで開発されて、今ではドイツ各地の山間地に広がっているらしい。

私は、木質物をペレットやチップなど燃料に加工しなくてもよい点が気に入った。加工はエネルギーのロスである。下手すると木質のもつ熱量を半分以上食いつぶす。その点、ガシファイヤーは、奥行き1mほどの炉に入る用にするだけで、薪ストーブ以上の手軽さで放り込める。

また、小型分散型に使える点も買っている。大型の木材発電所のような施設は、燃料が大量に必要となるため広範囲から集める必要がある。そのため莫大な輸送コストとエネルギーを費やしている。それが馬鹿らしいし、実用的でないと感じていた。しかしガシファイヤーは、効率はそこそこだが、とにかく小規模でも必要なところにエネルギー供給ができるのだ。1カ所で大きなエネルギー生産するより、小さく分散することの方がバイオマス・エネルギーに向いている。

ちなみに日本では、ガシファイヤーを輸入していたのが新潟のアーク社。私も見学に行って、それを導入した大阪のNPO里山倶楽部と実験をした。今も、この装置は、大阪の万博記念公園に設置されていて、剪定木を燃料に、「足湯」の湯を供給しているよ。

なお、里山倶楽部としての実験は、これにスターリングエンジンを設置して、熱エネルギーをそのまま発電するというもの。NEDOの助成を受けて日夜頑張っている。……ただ、現在のスターリングエンジンの性能がかなり低く、困っているらしい。

ともあれ、暖房や温水供給なら問題なく、国産化は一つの普及のきっかけになればいい。ファミリーマートも、これで暖房しなさい(笑)。

P7060003 追加・写真は万博公園のガシファイヤー

2008/08/24

オリンピック選手

吉野から帰ると、オリンピックの閉会式をやっていた。

ようやく終わる、と個人的にはホッとしているのだが……。

終盤、男子400mリレーが銅メダルをとり、陸上トラック競技で初めてのメダル、と騒がれていたので思い出した。

過去、1932年の第10回ロサンゼルスオリンピックで女子400mリレーが5位で入賞したことがある。その4人の選手のうちの一人が、土倉麻。

そう、土倉庄三郎の孫である。長男の末っ子ではなかったかな。その後、同じオリンピック選手と結婚して田島姓になったはず。

いや、それだけ(^^;)。なんの関係もないけど、思い出したから。

2008/08/23

国産材の潜在市場はどこか

また、政策論を一つ。

いくら森林管理をしても、生産した木材の出口がなければ産業として成り立たない。それが日本の林業の最大の問題点でもある。

昨今、国産材の合板や集成材が製造され始めて、ようやく売れないB材が動きだした。これは外材の独壇場だった合板・集成材市場に割り込んだことになる。その背景には、外材そのものの価格高騰と資源ナショナリズム、そして環境問題の絡みがあるわけだが、もちろん国産材からすれば歓迎ずへきことだ。

しかし、本来の国産材の市場だった製材、つまり無垢の建築材としての需要は今後どうなるだろうか。人口減少時代に一戸建て住宅の建築数が増えるとは思えない。基本的に縮小傾向にあると思う。

それなら、ここで新たな国産材商品の開発を行わないと、いかに努力してもロットとして取引が増えるとは考えにくい。ただでさえ、建築工法は広がって、木造以外の住宅も増えている。さらに木造も、集成材の柱と合板の壁が増えているのだ。

その市場を見つけて、そこに開発資金と流通網の確立をしないと、結果的に小さくなるパイを海外製品や木材以外の建材に市場を奪い合う構造になってしまう。

私が考えているのは、内装材である。それも木造住宅だけでなく、マンションやオフィスビルも含めた建築物すべての内装に木製素材を増やしてほしい。
私は、何もビルディング全体を木造化する必要はないと思う。技術的には面白いが、無理せず鉄骨やコンクリートで作ればよい。ただし、内装・外装を木質化することは切に望む。それだけでも莫大な木材需要を生み出す。またメンテナンス素材にも必要となる。また木質内装は、建物の中で滞在する人にとってもよい環境を提供することになるだろう。

しかし、そこで壁となるのが建築基準法である。とにかく、これまでの建築基準法は、木材を駆逐する方向に進んできた。近年、少しゆるんだものの、いまだに内装に木材を使うには多くの規制がある。
たとえば例のコンビニのファミリーマートも、街の中の密集地にある店舗を木造化するのは難しいはずだ。消防法にもひっかかるのではないか。

これらの法律をいかに木材の使用を可能にするよう改正するかという点も課題となるのではないだろうか。行き過ぎた木造規制を緩めると同時に、難燃化木材などの研究開発も進めなくてはならない。

この問題、政治的にはどうなるのかな。

2008/08/22

新山主層

昨夜は、某不動産関係者と顔合わせで大阪で飲む。で、肝心の相手は生駒在住だというので、生駒まで帰ってまた飲む。

深酒すぎて、今日は身体がだるい(-.-)。

だからプログはお休みにしようかと思っていたが、少しだけ。

実は、この不動産業者、各地で山林をどんどん買いまくっているのだ。その面積、なんと1万ヘクタール! 多くはリゾート崩れだというが、3~4割が人工林だとかで、その森林経営を本気で考えている。そのための会社まで設立した。未上場会社だし、山林購入はオーナーの個人資産で行ったらしいから、すぐに利益を上げなくてもいいというが、かと言って寝かせておくのももったいないから、いよいよ森林経営を始めるわけだ。

おそらく、このような山主は人知れず増えているのではないか。もしかしたら、新たな山林地主層が生れ始めたのかもしれない。

私は、歓迎する。歴史的に見ても、林業はほかの業界(農業、商工業資本など)が、稼いだ金をつぎ込むのが通常パターンである。それが戦後は山林の流動性が止まっていた。しかしバブル崩壊後に、ようやく山林土地が動きだしたのではないか。

もちろん今後の森林経営をどうするかという課題はあるが、既成の地主が放棄しているのだから、どう転んでも今より悪くはならない。それどころか門外漢の参入が、新たな林業を切り開く可能性もあるだろう。

ちょっと注目。

2008/08/21

ファミマが木造店舗

あまり議題を増やすと混乱するので、今日は情報を1本。

コンビニ・チェーンのファミリーマートが、今後木造店舗を出店していくことにしたらしい。

http://www.family.co.jp/company/news_releases/2008/080818_1.html

木造だからCO2排出が少ない……というお決まりの理由かと思いきや、それだけではなく木造の方が値上げ著しい鉄骨よりも安くできる、工期も大幅に短縮できる、光熱費も抑制できる……とさまざまな利点があって、経営上も有利と睨んだのである。

それを可能にしたのは「木造FP工法」という、よくわからないが(^^;)、おそらくパネル工法の一種だろう。

木造建築を、環境など持ち出さずに採用させたという意味で、私は注目している。今後、木造は、純粋に機能やコストを念頭に増やしていくのが理想だ。環境のために、なんて言葉、聞き飽きたよ。

2008/08/20

民間林業経営者

それなりの森林所有規模があり、また林業経営の意志がある、すでに経営している山主に対しては、どんな政策が必要だろうか。森林組合とは別の枠組を設けなければならない。

なお、現在の森林所有者の73%が5ヘクタール以下で、その総面積は森林面積の19%である。ところが50ヘクタール以上の所有者は2%で面積比43%の森林を占める。つまり、彼らを無視して森林政策は成り立たない。

まず大規模と言っても、今では50ヘクタールでは林業経営にならない。100ヘクタール、200ヘクタールでも無理がある。おそらく専業で林業をやるには1000ヘクタールくらいを単位にしなければならないのだろう。その集約化も課題となる。

ただし比較的小面積(50ヘクタール以上)でも、自力で経営するという所有者の場合にも、不利にならない制度が必要である。

それは補助金の問題となるが、間伐・造林など各作業ごとの助成では経営者の判断能力を奪う。だから森づくり全体への補助金に変える。後払いか先払いか難しいが、よい森をつくれば補助金が出るとなれば、意欲を増すのではないだろうか。それこそ100年の森づくりにふさわしい助成制度を考えてほしい。

また大規模所有ながら、林業経営を行わない社有林もかなりある。林業会社、製紙会社以外は、ほとんど財産として持っているだけだろう。彼らも巻き込まなくてはならない。たとえば森林整備を行わないと、税金を上げるとか。

そして相続税問題も考えないといけないだろう。山林所有は、個人の場合が多いが、それを相続すると莫大な相続税を払わなくてはならなくなり、そのため山を売ったり立木を大量処分する例は多い。そのため家業としての林業経営は崩壊する。

森林の相続税を特別に下げることは難しいだろうが、公的機能を全面に出せば、一種の私権制限と組み合わせて考えられないか。
また法人所有に転換すればいいとは言っても、その前段階で譲渡所得税がたんまりかかり、それでストックはなくなる。これらを時限立法でもよいから撤廃・縮小して、法人所有森林への転換を楽に行えるようにすべきではないだろうか。

2008/08/19

森林管理の主体はどこか

中村哲治参議院議員の林業政策案を受けて、すでに展開されている議論を整理し直すことにした。(本当は、当人が帰国する27日までにスタートすればいいや、とのんびりしていたのだけど。^^;)

まず最初に選んだ命題は、「森林管理の主体はどこか」あるいは「どこが担うべきか」。

現状を私なりに簡単に整理すると、国政レベルでは林野庁が日本の森林政策を発信している。その下に都道府県、市町村と続いて上意下達式に遂行させようとしている。
一方で、林野庁は国有林を管理運営する主体でもある。特別会計によって直接森林経営をになっているのだ。(ただし、来年度より国有林の独立行政法人化と一般財源化が施行される。)

一方、現場レベルから見ると、森林組合が行政の末端をになう形で“君臨”している。森林簿のような情報を一手に握りっているため、地域の施業計画を作るだけでなく、補助金の窓口となって森林の仕事をほとんど独占できる立場だからだ。また作業班によって施業そのものを遂行している。
もちろん大規模林家の林業会社や素材生産業者、造林業者など民間業者もいるのだが、現実問題として森林組合は、自ら森林経営力のない小規模林家を束ねていることと、行政と結びつき補助金と情報を握ることで圧倒的な力を持つ。だから民業圧迫にもなっている。

ここで感じるのは、林野庁と森林組合の構造が似ていること。
林野庁が全国の森林管理を管轄する司令塔であると同時に、国有林の経営を行っていることは、森林組合が地域の森林計画を立てる立場ながら作業班という施業実行部隊も持っていることと相似形だ。

自分で森林政策を作りながら実行もするというのは、唯我独尊になりがちだ。たとえば国土交通省が自前の建設部隊を持って道路や橋を作っていたら問題になるはずだ。それでは癒着や談合どころではない関係が発生する。

やはり両者は、分離すべきだろう。

私は、国有林は独法であろうが株式会社であろうが国の別官庁でも構わないから、林野庁ではない別の組織が運営すべきであると考える。ただ技術研究や実験するための国有林は保持しておきたい。いわば官庁の演習林・研究林として。
そして林野庁そのものは、政策提言官庁になってもらいたい。シンプルな方向性を定めることで、実際の森林管理は都道府県レベルで作成した方が全国同一の基準よりも地に足つけた管理になるのではないか。

同じく森林組合も、管理部門と作業班を分けて、作業班は民営化すべきと考える。森林施業会社として、既存の民間林業会社と仕事を取り合うことで腕を磨く。
身軽になった管理部門はフォレスターとして広く地域の森林施業計画を立てる。もちろん国有林も含めて行って構わない。またエリアも消して、森林組合同士の競争を起こして切磋琢磨すべきだ。
ただ環境的なアプローチは、利益重視に走らないよう歯止めがほしい。だから森林計画を立てる部門は、公的機関になるべきと感じている。また森林計画を立てるような仕事は、現実には金をとれないから公的資金でやらねばならないだろう。

これが私のたたき台だが、いかがだろうか。

2008/08/18

全日本丸太切り選手権大会

今日は、ちょっと考えることに疲れた(^^;)ので、軽いネタ。

新潟県長岡市で丸太早切り大会が開かれたというニュース。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080818-00000105-mailo-l15

http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/niigata/080817/ngt0808170301001-n1.htm

それによると、長岡市の旧三島町ででは、毎年「8月16日に、全日本丸太早切り選手権大会が開かれており、今年で17回目にもなるのだそうだ。今年は、県内外から参加した老若男女計128組256人が力と技を競ったとある。もともと地元がノコギリの産地だったことから開催されたらしいが、この大会も長さ2mのノコを使うのだそうだ……。

気になったのは、「奈良県から来た元航空自衛隊技官、荻田勝さん(68)は連続15回目の出場。故郷の丸太切り大会途中にノコギリの歯が折れたため、質の良い道具を探していて三島の全国大会を知ったという」というところだ。

地元・奈良県の丸太切り大会って? もしかして、3年前まで川上村でやっていた「杣人選手権大会」のこと?  ここでも丸太切りはメーンイベントだったのだが、大会がなくなって、こちらに流れたのかなあ……。

決勝戦は、樹齢80年、直径75センチの丸太で争ったという。川上村は何センチだったっけ。

2008/08/17

供花・ヒバの秘密

8月13日付けの「供花の産地」のコメントで、になみさんが記した「宝山寺のヒノキ?の供花」について調べてみた。
で、実際に見に行くと、ヒノキには似ているが、微妙に違うことに気がついた。裏に白いY字が入っていない。しかも刺々しいものもある。

P8160013                                                  

                                               

そして「これはヒバと呼んでいる」という証言に出会う。葉だけを活ける場合と、花と合わせる場合があるそうだ。しかし、ここで活けられている葉は、ヒバ、つまりアスナロ(ヒノキ科アスナロ属)とは少し違うのだ。一体これは何なのか?

そもそもヒバという木について調べると、植物学・林業の世界ではアスナロ、あるいはヒノキアスナロ(青森ヒバ)を指すものの、世間ではヒノキそのものをヒバと呼ぶケースも珍しくないらしい。そもそもヒバとは檜葉と記すように、ヒノキの葉を示しているのである。さらにコウヤマキも、ヒバと呼ぶことがあるという。またコノテガシワをコノテヒバと呼ぶこともある。
こうなると、ヒバはヒノキ科全体の異名扱いか。

しかし、現実に宝山寺で供えられてある木葉の正体は何なのか。

その葉を見つめて連想したのが、カイヅカイブキである。これは垣根などによく使われる園芸品種だが、きれいな鱗葉とは別に、スギ葉のような刺々しい葉も出る。それに近いような気がしたのだ。そこでイブキを調べると、ヒノキ科ビャクシン属。やっぱり近い。しかし、写真で見る限り違う。

イブキの園芸品種で思い出した。コニファーに似ていないか。

コニファーは、欧米の針葉樹から作った園芸種。実態は、さまざまな品種があるので一概には言えないが、ヒノキ様ながら刺のある葉形は、謎の供花にもっとも似ている。カイヅカイブキもコノテガシワも、コニファーと総称することもある。

そこで園芸店を回った。本当は供花そのものを売っていないかと探したのだが、もうお盆も終わりだし、日曜日で店が閉まっているところも多い。残念ながら見つからなかった。

しかしコニファーは、いくつか見かけた。そして、供花とまったく同じではないが、極めて似ていることを確認した。ヒノキ科の葉は、栽培環境によって外形を変えることがあるから、余計に種の同定が難しくなる。

結果的に、まだ答は出せない。ただ、供花の条件である強い匂いもあるし、コウヤマキの代用品として「ヒバ」の名で出回っている木葉があることは間違いない。そして、それは野生種を採取するのではなく栽培しているのだろう。となると、コニファーに近い園芸種になってもおかしくはないかもしれない。

う~ん、奥が深いぞ。

2008/08/16

林地残材のオイル化?

下野新聞に、こんなニュースがあった。

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/politics/news/20080812/36601

県森連が、林地残材を小型プラントでバイオオイル化(液化)するシステムを考案したというのだ。

林野庁の委託事業「森林資源活用型ニュービジネス創造対策事業」にも採用されたそうだけど、木材の液化とは何を指すんだろうな。

システムは、「森林整備の現場近くに設置した小型プラントに林地残材を入れてマイクロ波で粉砕、オイル化する。マイクロ波の時間の長さで木質成分が変化するため、化石代替燃料や化学製品など幅広い製品化が可能」なんだそうだ。

技術的には、まだ完成していず、5年後の実用化をめざすそうだが、新日鐵化学と独立行政法人産業技術総合研究所に委託というから、自前ではないのだろう。

これまで、幾度も「画期的技術」に踊らされてきた経緯があるから、ちょっと心配だなあ。

2008/08/15

民主党議員の林業政策

民主党参議院議員の中村哲治氏よりメール。

以下のような林業政策を掲げてみたとのこと。
http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20080805

中でも注目は、後半の「森林評価の会計基準を策定」して、それに合わせて税額を変える発想。さらに管理をしていない森林所有者より林地を「林地共同所有株式会社を設立」して、強制現物(森林)出資させる。これにより、森林の所有と経営を分離する案。

さて、いかがだろうか。なかなか斬新であるが、穴もあるだろう。

ご意見を伺いたい。

2008/08/14

田舎論談義

世の中、お盆である。果たして、こんなブログ読んでいる人いるのだろうか……と思いつつ、更新。

昨夜は、某氏、某女と某所で密談。テーマは田舎である。具体的には、ある田舎ビジネスを展開している人を題材に本を作れないかという相談を受けての談義であったが、午後6時から居酒屋の閉まる11時まで話し込んでしまった。

だいたい某氏は、某大学で田舎活性化に取り組む准教授だし、某女は一応ライターを名乗っているが、前歴はNPOのほかJICAや外務省の委託を受けてアフリカのガーナや中米ドミニカ、南米ペルーの貧民層と格闘してきた国際派。

それにしても海外の田舎を渡り歩いてきた某女にとっても、日本の田舎は刺激的だったらしい。今になって、日本の田舎通いを始めて驚いている。

ここで話題になったのは、田舎人の職業、田舎の魅力資源、田舎ワーキングプア論、都会人の田舎視線……。田舎ビジネスの展開方法でも侃々諤々。
ちなみに田舎暮らし本は売れない。田舎社会論も売れない。ましてや田舎の人の半生記なんか売れるわけない。それを売れる本(いや、その前に出版できる内容)にするにはどうするか、という出版事情と企画手法にも話は広がった。いっそのこと、この飲み屋を舞台に広がった田舎論談義をまとめて本にした方が面白いかもしれない(笑)。

実は私も、最近意識の中では林業から田舎にシフトしている。林業というのは、突き詰めれば山村住民の生きる術でありツールである。林業が栄えても地元の山村が衰退しては意味がない。現在の林業再生論には、その点が抜け落ちている気がしてならない。

今の林業政策は、山村をすっ飛ばして、都会が直接林業に手を延ばしている……そんな構図が頭の中に浮かぶ。たしかにそうすると、都会人は目的の木材を手に入れやすくなり、林業活性化によって森林の健全化が進むかもしれない。だが、その足元は死屍累々。そうならないよう、もっとしっかり田舎論と林業論をリンクしなければならない。

2008/08/13

供花の産地

街に出ると、各店で花が目立つ。花と言っても、供花。スーパーマーケットでさえ、花と供え物になる菓子などが山積みになっている。レジに並んでいると、前の人がシキミをいっぱい買い込んでいて、その包装で長引いてイライラしたよ(^^;)。

お盆の供花は、花と言ってもサカキやシキミなどの葉もの中心である。関西では、コウヤマキも多い。いずれにしても帰ってくる霊を迎える目印的な意味があって、常緑の枝でなくてはならなかった。臭いが強いことも、意味があるのかもしれない。サカキは神事、シキミ、コウヤマキは仏事と分けることもある。

サカキ・ヒサカキ、シキミも、そしてコウヤマキも、林業の副業的産物である。もともと山にあるものだし、スギやヒノキの合間でも育つ。臭いのおかげで、獣害にも合わない。今では、本業のスギを売るより収益性が高いほどだ。

だが、今や日本で出回っているサカキの大半が、中国産であることをご存じだろうか。輸入されているのである。おそらくシキミも輸入されているだろう。コウヤマキは日本特産だから無理かな。

サカキ(榊)、神の木まで! と驚いたが、実は輸入花卉としては、本物の花より早く始まっている。花は保管が難しいが、葉は比較的楽だからだろう。専門家にいわせれば、需要の9割以上が輸入物とか。価格的もあるが、そんなに安いわけではない。輸入に手間取る。やっぱり供給力の差なんだろうな~。日本は高齢化も進んでいるし。

最近のお盆は、胡蝶蘭など華やかな供花もあるらしい。それなら、日本ではならの、新しい供花を開発できないか。スギやヒノキの穂や梢をうまくアレンジして、依代としてのウンチクを付けたら、人気呼ばないだろうか。もともと神の依代は若いマツだったし、スギもそうだ。オシャレで和的なデザイン考えるとウケルのではないかなあ。

余談だが、「土倉翁造林頌徳記念」碑の掃除の際には、岸壁に張りついていたランやイワマツ(イワヒバ)などを採集していた。高く売れるからである。こんな林産物も大切にしたい。

Photo

磨崖碑に付いていたランとイワマツ。

2008/08/12

森林環境教育

今日は、月末に奈良で行う講演の準備をしていた。

テーマは、森林環境教育なのだけど。

意外と、この手のテーマは難しい。林業とか割り箸とか田舎暮らしとか地域づくりとか……ある程度決まったものは、事例もたくさんあるし、結論(持論)も固まっている。
ところが環境教育となると、結構しぶい。実態があるようでない。実例も、ケースバイケースすぎる。相手に環境、とくに森林について興味を持ってもらう、知識を伝える、という作業は一筋縄ではいかない。

やっぱり森林インストラクターは必要だ(笑)。

実は、私は奈良県の森林環境教育指導員の資格を持っている。研修では、題材の探し方や見せ方、指導の仕方も習っている。別に目立った自然がなくても、コンクリートばかりのところでも環境教育はできることを学んだ。
では、私にも環境教育を施せるかというと、まったく自信はないのだが……。

ただ、この研修中に、おそるべき報告書を目にした。

某中学校は、木材の町にあるので、比較的生徒も林業に対して理解がある。だからアンケートによると「人間が木材を得るために木を伐ることは必要だ」といった意見が多く出ている。
ところが、その中学校で環境教育の授業をやってから、再びアンケートを取ると、「人間の都合で森林を破壊してはいけない」的な意見が多数派になっていたのだ。

これって、環境教育の成果か? もしかしたら報告書のデータは、誤って教育前、教育後を入れ代えて掲載してしまったのではないか、と疑ったほどだ。

あるいは環境教育を担当した指導者の個人的意見が強く反映したのかもしれない。責任は重大である。

環境教育は、受講生を洗脳することにあるのではない。環境に、森林に、興味を持ってもらって、自分で考えるきっかけを作ることだ。
しかし、「木は生きているんだよ」なんて、きれいごとの知識と感覚だけを教えることで、結果的に林業を否定する意見を生み出すかもしれない。本当の環境教育とは、世の中の経済・社会の仕組みについても考えさせる、そして人間が生きていくことに必要なことを教えるべきではないか。

今は亡き(笑)、義務教育に設けられた「総合教育」科目のテーマ、「生きる力」を身につけることこそ、環境教育ではなかろうか……。

こんなことを考えているうちに、講演の内容が煮詰まってきた。

2008/08/11

卒論は割り箸ブーム?

吉野の割り箸の組合事務所に顔を出したときのこと。

電話が鳴って、何やら応対しているのを聞いていると、大学生が割り箸のことを研究していて、今度吉野を訪れたいとのこと。たしか三重県の大学ではなかったか。

後で聞いてみると、最近この手の連絡が非常に多いそうだ。全国の学生やら大学研究室から割り箸のことを調べているので協力を求めてくるという。どうやら卒論で割り箸を取り上げるのが、ブームらしい(笑)。ちゃんと、参考文献に拙著を上げておいてくれよ。

そういえば今春卒業した静岡の某女子大学生の卒論で割り箸が取り上げたことを、このプログでも紹介した。これが先駆けかもしれない。彼女、どうしてるだろうな(遠い目)……。

またマスコミでも、割り箸を取り上げる取材が確実に増えている。そういえば、私のところにも問い合わせがよく来る。実は昨日も、某テレビ局制作会社から、割り箸の語源やら発祥の地について、質問してきた。
割り箸について詳しい専門家を教えてくれ、というが、それはオレだって(笑)。日本唯一の割り箸評論家だぞ。(まさか、本気にしないでくれ。)

マイ箸ブームも、少しは陰りが出てきたのか、最近は国産割り箸へ目が向きつつあると感じている。実は、価格差も、中国産が値上げされて差が縮まりつつある。中国産を国産へとシフトする気運は高まっているのではないか。
ただ、量産が進まない限り、せっかく国産品が注目されても供給できないだろう。

もっとも、著名な木工家が、マイ箸を推進して、「使用される割り箸を集めると何軒の家が建つ……」なんて記事を書いているのを読むと、脱力するが……。アンタの作っている広葉樹材のバカ高い家具の方が、森林破壊してんだよー、と絡みたくなるね(苦笑)。

2008/08/10

田舎はコンビニエンス?

吉野では一泊したのだけど、その際に泊めてもらうところにお土産を持っていこうと思った。

と言っても、菓子折りではなく、その晩のオカズになるアマゴを仕入れていく約束をした。

ところが、そのためにめざした川上村の中井渓谷、ここにアマゴ養殖場(兼釣り場)があるのだが、夕方に行ってみると、もう人気がない。平日は午後4時に閉めてしまうそうだ。

困った。たまたま近くにいる人に声をかけた。「アマゴ、手に入らないですかねえ」。

「とうしても欲しい?」
「は、はい」
「じゃあ、あそこに見える2階建ての家に行ってみなさい。この養殖場の組合長だから」

経営者のところに無理やり押しかけるのかあ。ちょっとヤバいかも、と思いつつ、押しかけた(^o^)。そしてアマゴが欲しいと伝えると、一家団欒中?に主人が出てきてくれた。

「アマゴ、どれくらいいるの?」
「4、5人で食べるので4、5匹でしょうか」
「うちはキロ単位でしか売っていないんだけどねえ。だいたい14,5匹かな」
「それは……多すぎるので半分にできませんか」
「う~ん」

と言いつつも、車を出して養殖場に。
そして養殖場からアマゴをすくってくれる。重さを計るが、私が500グラムのところでOKと言っているのに、どんどんすくって入れてくれる。「おまけだ」

結果的に12,3匹入ったのではないか(^^;)。そして値段は、半額のまま。

皆さん、中井渓谷で、アマゴを釣ろう(^o^)!

それはともかく、田舎は店の閉まる時間が早い、という文句がある。たしかに早い。24時間営業のコンビニになれた都会者としては辛い面もある。しかし、逆に言えば早く閉まっても本当に用事があれば開けてくれるのである。顔なじみなら確実だが、そうでなくても出方次第ではOK。そんな融通は、都会の店ではきくまい。しかも量なども無理言えることが多い。その点、田舎の店は、コンビニエンス(便利)だ。
しかも店主の気持ち次第でおまけもつくよ。

そのためにはコミュニケーションが欠かせない。事情をよく話すこと。自分が何者か、なぜ欲しいのかも聞かれないでも話す。向こうの状況を質問するのもよい。もちろん御礼も丁寧にすること。これも都会の店では消えてしまったものだろう。

田舎の不便さの裏には、別の価値が隠れている。

2008/08/09

森林セラピストの資格

吉野の山の師匠と話していたこと。

師匠は、かつて森林インストラクターの資格を取ろうと勉強したことがあって、1次試験は通って2次に向かった。すると主宰する旧知の森林レクリエーション協会?の会長に出会う。それで会長の言ったことは、
「なんであなたが、こんな資格取るの?」

師匠は、山仕事何十年のベテランである。誰よりも森林や林業、山のことに詳しい。
そして森林インストラクターの資格は、建前として山村の人がこの資格で都会の人が森林と触れ合う指導をして、山村振興に役立てる……ことのはず。

でも、会長もわかっているんだな、建前であることが(^^;)。だって受験者はほとんど都会の人で、ペーパーテストを受けて合格する。本当の山や森林のことを知らない森林インストラクターばかりである。そこに本物の森林のプロが、あえて資格とってどうするの?

結果的に、師匠は試験に落ちて、資格はとれなかったんだけど、その後、森林インストラクターの資格を取った都会の人を現地で教える仕事をしていたよ(^o^)。

こんなことを今更書くのは、今年9月から森林セラピーの専門職「森林セラピスト」「森林セラピーガイド」の資格検定制度がスタートするからだ。

主催は「NPO法人森林セラピーソサエティ」だが、ようするに林野庁の外郭団体だろう。

すでに森林療法、森林セラピーはそれなりに広がりを持っていて、各地で森林メディカルトレーナー(信濃町)とか「森の案内人」(飯山市)とか、さまざまな資格をそれぞれの自治体や、あるいは民間団体でも作っている。それを国家資格みたいに全国統一するつもりなのだろうが、いかにも怪しい。

この「森林セラピスト」の資格が公式となれば、これまで独自に養成されてきたガイドはどうなるのだ。改めて取り直せというのか。だいたい、試験の内容は、誰が決めるのか。各地の森林状況は、みんな違うよ。森林療法のシステムも違うよ。

ようするに、認定料を稼ぐつもりなんじゃないか、と疑いたくなる。団体職員の給料になるだけではないか。

おそらく、この資格を取ろうとする人は、何も森林地域と結びつかず、個人で「森林セラピー」の営業することをめざす人、あるいは本人が癒されたい人ではあるまいか。でも、森林セラピー自体が、登録商標になっているので、勝手に使えないよ……。

2008/08/08

土倉翁造林頌徳記念碑

久しぶりに土倉庄三郎ネタ。

奈良県の川上村を訪れた人なら知っているが、巨大な岸壁に「土倉翁造林頌徳記念」碑が、彫られている。高さ50mに届こうという高さの磨崖碑だ。これは庄三郎没後の大正10年に、林学博士本多静六の発案で作られたもの。

028_2                                             

                                                

ところが、さすがに近年は岸壁にコケや雑木が茂り、また白く塗られた文字も色が薄れてきた。とくに過半部は、ほとんど読めなくなっていた。そこで、地元で結成されたNPO法人「芳水塾」で、再生事業を企てたのである。

上記の写真を見たら「土倉翁」の文字のところに人がいるのが見えるか?

真下から見上げて拡大すると、078 こんな具合。

                                             

                                                     

                                     

               

村の事業として行うと、川の中に櫓を組んで大変な事業になるところで、財源不足から難しいところを、NPOだけにロッククライマーを動員して、ボランティアで清掃を行うことになったのである。

そのリーダー格なのが、土倉大明さん。その名からわかる通り、庄三郎の曾孫に当たる。彼自身がロッククライマーなのだが、仲間に声をかけて、この事業を行っているのである。

2008/08/07

ほこら

ほこら
吉野の山奥で見つけた祠? 空洞の杉の丸太を利用している。オシャレ(*^^*)

2008/08/06

環境雑誌

環境雑誌「オルタナ」を知っているだろうか。

正確に言えば、~環境と社会貢献と「志」のビジネス雑誌~ というキャッチが付いている。隔月刊だ。昨年創刊されたが、直販中心だったのが今年春から書店売りも始めた。ただし、かなり大規模書店でなければ見当たらないだろう。でも、来年から月刊にすると言っている。詳しくは、以下をどうぞ。

http://alterna.shop-pro.jp/?pid=8945481

なぜ、この雑誌を紹介するというと、私が記事を書いているからだ(^o^)。このブログで先に紹介してしまった吉野山の桜の危機の記事である。

私も、これまで環境雑誌、自然雑誌、科学雑誌などの仕事はわりとやっていたほうだ。
だが、ことごとく休刊になった……(-_-)。どうも環境系は雑誌界では鬼門のようである。

ただ、休刊になった雑誌を振り返ると、少しよく似た特徴というか、独特の臭いがある。

それは、どこか浮世離れしていることだ。生活臭がしない。なかには編集者までが浮世離れしているケースもある。環境は大事だよ。自然は素晴らしいよ。でも、正直言って世間は環境問題にわざわざ金を払って読もうとしない。ほかの記事と抱き合わせの環境記事なら読むが、環境問題だけでは引いてしまうのである。

幸い、「オルタナ」は、その点がない。そもそもビジネス雑誌なのである。CSR中心だが、企業活動や経済活動を軸に環境を紹介し論じている。環境雑誌も、ようやく世間を見るようになったような気がする。

2008/08/05

木曾林業と吉野林業

この度、木曾林業の一端に触れてきたのだが、そこで思わず吉野林業と比べてしまった。

どちらも日本の林業を代表する存在で、その歴史の古さは群を抜いている。今でも木曽こそ林業の始まりという人もいる。そして、どちらも銘木の産地で、ヒノキとスギの違いはあれど、密な年輪と美しい材質を売り物にしている。

だが、当然違いも目立つ。
いうまでもなく木曾林業は基本的に天然木を対象としている。もちろん現在では人工林も増えて、そちらの出荷が多いのだが、誰もが木曾と言えば木曾檜であり、木曾檜とは天然ヒノキを指す。そして林業の古さと技術を持ち出すと、その多くは伐採であり出材の技術だ。

6                                                

                                              

木曾檜の森。いずれも300年~350年ものだ。350年を越える木がないことから、その前に全部伐採されて一度禿山になったと想像される。

                                             

一方で吉野は、基本的に人工林であり育成林業発祥の地であることを自慢している。木曽と同じ樹齢300年以上という木も、人が植えたものであることが自慢だ。誇る技術も、その多くが造林・育林にある。あるいは加工(商品化)に他の地域との差を示す。

Photo                                               

吉野杉の森。約400年前に植栽された記録が残る、「歴史の証人」。
木曾檜もそうだが、意外と太くない。樹齢の割には細い(年輪が密)のだ。

                                           

そして共通項もあった。それは、現在非常に林業が不振であることだ(苦笑)。

伝統ゆえに縛られて、新しい試みができない。特に木曾は、伊勢神宮の木を出しているという誇りがあって、なかなか身動きがとれないようだ。
そして国有林の存在が足を引っ張っている。なにしろ国有林は補助金使って伐って出しているので、採算度外視だ。並材までヘリ集材されたら、民間はたまったもんじゃないだろう。そして保存をいう割には、どんどん伐っている。一方で、まだまだ木曾檜はある、という声もあった。

昨日紹介した「自称・日本一のチェンソー目立て名人」も、「現在失業中!」と自慢していた。
伝統的林業地ゆえの共通点なんていらないよ。

2008/08/04

チェンソー導入の地

木曽の赤沢美林を訪れて驚いたのは、ここに「チェンソー導入の地」という標識があったことだ。

それによると、昭和15年に試験的にチェンソーが持ち込まれたらしい。米国マッカラン社製という。

Photo_3 正確には「チエンソー」「マツカラー社」だけど。

二人がかりで持ち、設置するものだった。

その後、昭和24年にも導入されたがダメで、27年に再三持ち込まれたチェンソーで、ようやく日の目を見たわけだ。

実はチェンソーの歴史を追いかけると、最初にソーチェーンが登場するのは、1856年のアメリカだ。ただし手動。ハンドルを回して刃付きのチェーンを回したらしい。

そして1917年に蒸気機関のノコギリ(チェーンではなかったらしい)、1926年に電気駆動のチェンソーが登場する。エンジン式は1927年だ。昭和15年は1940年だから、しばらくして日本にも伝来したというわけか。

一人で持ち運べるチェンソー(重さ19㎏)が登場するのは、1950年だから、それより前に入ってきた木曽のチェンソーは、やはりまだ重くて大きかったのだろう。

一般にチェンソーが普及するのは、1954年の洞爺丸台風の風倒木を処理するためだとされるが、その前に当時の営林署が試していたんだねえ。

ただ面白いのは、木曽ヒノキとなれば、伊勢神宮などの神木で、今でも儀式としてはチェンソーで伐採するのは忌避されていることだ。その地にもっとも早くチェンソーを持ち込むとは、罰当たり……いや、やはり木曽が林業の最先端地域であり、また国有林だったからだろう。

ちなみに下の写真は、資料館にあった古いチェンソー。いつ頃のものかは書いていなかったが、すでに小型化が進んでいる。

Photo_4

                                                  

                                                 

                                                 

余談だが、伊勢神宮の遷宮に使用される木曽檜を伐採する人が、「自称・日本一のチェンソー目立て名人」だった。案外、みんなチェンソー好き(^^;)。
こういう人は多い(笑)。一つ、チェンソー目立て選手権を開いてみたらどうだろう。超マイナーな大会となるだろうが、チェンソー愛好家の間では盛り上がるのではないかなあ。

2008/08/03

祭のあと

昨日は、地元の祭だった。娘も友達と行くし、私は用なしではあるが、かつての学童保育保護者のメンバーが店を出すというので、挨拶がてらに覗きに行った。

すると、ほんの数人が大鍋3つでフライドポテトを揚げ販売している。あまりに人手不足なので、私も思わず飛び込み手伝い。油の前に立ってせっせとポテトをフライする。そのまま数時間(^^;)。あいさつだけでサヨナラとは行かなかった。

かつて学童の店は、延長保育事業の資金稼ぎに始めたものだ。市やそのほか様々な反対をはね除けて始めたものの膨らむ赤字を一掃する最大の作戦であった。それだけに目を吊り上げて、なんとしても稼がねば、と必死だった。仕入れ、仕込み、製造、販売、そして売上と純益を弾き出す。在庫ロスとチャンスロスを秤にかけて、客の流れを読む。私もこの場で商売のなんたるかを学んだ気がする(^^;)。
だが今や有志の楽しみの店となった。店の運営も保護者OBばかりで現役がいない。
すでに延長保育などは市が実施している。その先鞭をつけて市を動かしたという自負はあるが、逆に公に飲み込まれるように自主運営的雰囲気はなくなった。

合間に当時のことを語り合う。まるで戦友会(^o^)である。
「やっぱり市と対立してチャンチャンバラバラやっている時の方が、連帯感があったなあ」とは、OBの言葉。当時は、保護者が何十人もかけつけて手伝ってくれた。最後は涙ぐみ万歳三唱する(~_~;)ほどであった。たしかに危機感が団結と自立心を育てる

そう考えると、公的機関の至れり尽くせりは、当事者をダメにするとも言える。不景気なときほど組織の真価が問われる。地方崩壊が叫ばれる今こそ、本当の地方自治建て直しの好機かもしれない。もしかして、今のニッポンでもっとも自立心のある住民を抱える自治体は、夕張市かもしれない……なんて不遜なことを考えた。

祭も佳境に入ると、それなりに応援に駆けつける人が増えてきた。今回もなんだかんだと多くのOBがやってきて手伝い、子供たちの販売部隊も活躍してくれた。親が働くと子供たちも自然と手伝うものだ。最後に残るのは、みんな知った顔ばかり。

さて、祭で大切なのは、実は前の準備と後の片づけである。

私は準備は何もしなかったので、翌日の今日は朝から片づけに参加した。

油まみれの鍋などを洗って乾かして、倉庫に片づける。祭のあとの静かな達成感? 私は、もともと後方支援の方が似合っている。

2008/08/01

森林鉄道

210                                                      

木曽の赤沢美林で森林鉄道に乗った。にわか鉄ちゃんである(^o^)。

                                                  

                                                        

ここを最後に、信州を去る。思えば酷暑の奈良を発って、実に爽やかな日々であった。なんたって信州の高原地帯は涼しい。寒く感じる日もあったほど。まさに避暑であった。

まだ梅雨空けぬ6月末に沖縄に行って、「もう今年の夏は思い残すことはない」と感じた(^o^)のだが、こうして7月末から信州を巡ると、「今年の夏は楽しかったな」と、過去形で振り返ってしまう。となると、やはり今年の夏の締めは北海道でしょ\(^o^)/

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森と林業と田舎