日曜市のからくり
今日訪れた某山村では、日曜市を開いていて、農産物などが安いとかで評判だ。
ところが、そのからくりを聞いてしまった。
もともと農業は自給用だったこの地域、市を開くために出荷を促したが、あまり出ない。そこで農協が高く買い取ることにしたのだ。たとえばハクサイの卸値は通常100~200円なのに、300円で引き取る。ほとんど末端価格である。そして売値は100円!
その差額はどうするか。なんと、農業振興局、つまり県の出先機関が補助金として拠出していた。つまり税金だ。
ようするに、日曜市を成功させるという目先の目的のために、金で繕っていたわけだ。昨日記した「金で政策を実現する」という姑息な手段である。これでは日曜市が流行っても、地域に何の変化も起きず、補助金の切れ目が日曜市の切れ目となるだろう。持続的な地域づくりにはならない。表面的に賑やかさを作りいかにも活性化しているかのように見せるため、補助金で糊塗しているのだ。
金(税金)で政策を実行させることは、地域のために全くなっていない。みかけの賑やかさの演出で担当者は出世できるのかもしれないが、地域はむしろ衰退するだろう。
そこに、ある学生(当時)が入って、その野菜を観光地の飲食店向きに販売することを思い付いた。その野菜のレベルが高くて、売れると思ったからだ。彼は会社を設立し、地域に入って提案した。とはいえ、買値はハクサイ300円なんて不可能だ。
そこで彼は、説得した。そして通常の卸値で買い取ることを了承させた。その代わり、定期的に出荷し、また売れる野菜を企画して栽培させることにも成功した。その輪は徐々に広がり、ビジネスとして育ちつつある。地域もやる気を見せている。年寄りが野菜栽培に力を入れ出し、その出来や調整作業(出荷用の手入れ)を気にし出している。
これこそ、地域づくりである。そして、「金を出さずに、口を出す」行政仕事のお手本ではないだろうか。行政と農協は、彼のやり方を真似なければならない。金も出さずに口を出しても誰も従ってくれないよ、という言い訳が通用しないことの証明である。
林業の村に、意外な資源(高原野菜)があることを発掘するのも、地域づくりの出発点となる。
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