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本の紹介

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2008年11月

2008/11/30

中野美術館

日曜日の昼下がり。仕事場に閉じこもるのに嫌気が差して、ドライブ&散歩に出る。

自宅から散歩に出たら、歩くコースが決まりきってくるので、車で出てどこかポイントを決めてそこから周囲を歩くことにしたのである。

どこに行くか決めていないから、車でグルグル回った後に、ふと目についたのが中野美術館。日本画で有名な大和文華館は通りすぎたのに、こちらには惹かれるものがあり、車を止めて覗いてみる。所蔵の日本の洋画と日本画の展覧会を開いていた。

こちらは小ぶりながら、結構贅沢な造りの美術館であった。スリッパに履き替えて中に入る。広い池に面しており、そこから大和文華館が見えた。作品は、いずれも明治・大正・昭和初期の古いものが多い。大家の名前もあるが、展示の絵画や掛け軸は、残念ながら私の好みに合わなかった。だた気になるものがあった。

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直径1,2mくらいはあるだろうか。展示室の椅子代わりに置かれている。

                                                 

                                               

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展示室の一角に茶室もある。ところが、その茶室に使われている木がただ物ではない。柱も框も天井もすべてスギであるが、一点の節も見当たらないのだ。四方無地・三方無地ばかり。

あきらかに吉野杉。それも赤杉である。

この美術館は、中野皖司氏の寄付による収集品という。パンフレットを見ると林業家だとある。それで、ピンと来た。

なるほど、中野皖司とは吉野五大林家の一角を占める中野林業の当主だったか。今、吉野では中野林業の事業はほとんど聞くことはないが、数千haの山を持っていることに違いはないだろう。林業で成した財を美術につぎ込んだか。現代の林業家には望むべくもない。
林業は斜陽になっても、こうした文化財に金をつぎ込むと、形に残る。今となっては吉野の山より価値があるかもしれない。

美術館を出ると、隣接している緑地を歩いた。周りは住宅地だが、意外と静かな雑木林が残されていた。

さて、明日より旅に出る。それも北の端から南の端まで縦断するような宮崎大旅行(^o^)。これが今年最後の取材旅行になるだろうか。
実は風邪気味なのだが、気合を入れていこう。宮崎地鶏食べられるかな?

2008/11/29

葉の造形

Photo 家の前に飛んできた落葉。

桜の葉だが、この虫食いの穴に魅せられて、思わず拾ってしまった。ちょっぴり自然の造形を楽しめる。

                                                   

                                                

                                               

1 こちらの葉は、高野山で見かけたミズヒキの葉だ。すべてに黒い斑が入っているわけではないが、なぜか左右対称。そのため、お坊さんが、この葉で筆を拭いたからとさえ「フデフキソウ」という異名もある。

ちなみにフデフキソウは、ミズヒキだけでなく、同じような斑入りの葉を持つ草ならどれでもそう呼ぶ。

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散歩に出て迷い込んだ路地の奥に、思いがけずカエデの巨木を発見。その赤は薄汚れた路地を華やかに彩っていた。

                                                 

そろそろ玄関先や庭の鉢植えを、寒風から守るため室内に移さないといけない。

2008/11/28

なぜ列状間伐を嫌うのか

(列状間伐という技術がある。

間伐は生長の悪い木、あるいは売り物になる木を選んで伐るもの、という常識がある林業界で、木は選ばず不良木も優良木も考えず列状に伐ってしまう方法である。

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当然、批判が強い。列状に空間ができるので、そこに風が抜けて風倒木が増えるとか、光が入って幹の片方ばかりに枝が出たり徒長するとか……。
毛嫌いする林業関係者が多いのだ。

ところが間伐を研究した人によると、実は列状間伐したら風倒木が増えるなど生育に影響があるという厳密なデータはないそうだ。研究不足と言えるのかもしれないが、頭で思うほど悪影響はないらしい。

むしろ選木の手間が要らず、一列に空間がてきるのだから伐採した木の搬出も楽になる。間伐遅れの人工林が増える中、推進されているのだ。
さらに木を選んで伐っても、肝心の使い道が合板だったり集成材、無垢の製材であっても上からクロスを張るような使用法なら、木の質を選ぶなんて無意味と言える。

それなのに、なぜ嫌う人が多いのだろうか。

思うに、林業家がすでに林業をビジネスと思っていないからではないか。ビジネスなら、コストダウンも含めて、冷徹に山の木の価値を計算しなければならないが、樹木を愛でる、つまりペット感覚になってしまい、不良木だけを除いて美しい森にしたい、生きている木を何も考えずに一律に伐りたくない、たいてい2残1伐にするから間伐率が33%にもなり森がスカスカになったように見える、など森を擬人化しているのではないか……。
(※ 実は、間伐率は30%以上にしないと効果が出ないという調査結果が出ている。)

もちろん、そうではない、列状間伐を嫌う明確な理由があるという人がいらっしゃったら、ぜひご意見を聞かせてください。

2008/11/27

愚痴・焚火事件

さつまいもをもらったので、久しぶりに野外で焼き芋にすることを思い付いた。

そこで、生駒山の「森遊び研究所」に出かけ、焚火をする。うまく灰ができた頃を見計らって、アルミホイルに包んだ芋を放り込む。

よい加減だ。うっすら上がる煙と炎を楽しみつつ、焼き上がりを待っていた。

ところが、そこに男が乱入してきた。火を消せ! と怒鳴る。地元の町内会のものだという。山火事になるではないか、というのだ。

たしかに森の中だが、私も無防備に焚火をしているわけではない。周りはそこそこ伐り開いているし、バケツにいっぱいの水を用意している。何より地面に穴を掘り、さらに三方を石で壁(高さ30㎝~50㎝)にしたコンロを作っている。万全を期しているつもりだ。着火時は白い煙が上がったが、その後は炎の大きさにも気をつけていた。

しかし、ものすごい剣幕で怒鳴るので消すことにした。その前に芋を取り出そうとすると、「火の粉が上がった!」とまた怒鳴る。バケツの水をかけたら、「もう一杯かけろ」と無理をいう。あげくに尋問するような言いぐさなので黙りこんだら、警察を呼ぶ! と言って、本当に電話しやがった。

途中で警官と電話を代わったが、
「自分の土地で焚火をしても罪にはなりませんが、気をつけてくださいね。水を用意して、周りの落葉も払って……」

いや、そうしているんだって。

だが、その警官の言葉を伝えると、さらに相手は激昂するのは目に見えている。少し考えて、ひたすら謝ることにした。

山火事が怖いのはわかる。しかし他人の土地なのだから、その旨伝えて「焚火は遠慮してくれ」と頼むのが筋だろう。それなら、私も対処のしようがあるし、十分気をつけていることの説明もできる。いきなり怒鳴りつけて、すべて自分の言うことを聞かねばならないと許せんという態度をされては、たまらない。だいたい他人の土地へ断りなく入り込んで来たのだから不法侵入だ。

言い返す言葉はいっぱい浮かんだが、ぐっとこらえて止めた。

法的に問題なくても、地元の者に逆らったって、埒があかない。まさに田舎の論理が優先するのだ。私も田舎論の中で書いてきたことであり、どう論理的に抵抗しても地元と対立して言い分が通ることはない。突っぱねても、今後楽しく森遊びはできないだろう。

我が身を持って、田舎の論理に触れてしまった(>_<)。

林業関係者と山に入ると、森の中でも焚火するのはごく普通だ。水さえ用意しないので私も驚くほどだが、ちゃんと安全な焚火のやり方があるのだという。私もそれを習った。
しかし、そんな理屈や事情を説明しても無理だろうなあ。棚田などでは、よく地元の人が野焼きをしているが、ようするにヨソモノの焚火だから心配だ、というのではなかろうか。

あああ。これまで癒しの場だった森も、今後は(焚火抜きでも)イヤな気分を思い出すだけになる。それでは、癒しにならない。最近では焚火をするのは年に一、二回にすぎなかったのだけど、焚火ができないと思うだけで魅力半減だ。森の中にガスコンロ持ち込んで料理しても楽しくないよ。

生焼けの芋は、自宅でオーブンで焼き直したが、美味しくなかった……。

2008/11/26

年輪の偏り

昔、冒険手帳とか冒険ブックといった読み物が多くあった。少年向きのマンガ?週刊誌にも特集が組まれていて、サバイバル技術を紹介していた。

その中によくあったのが、「もし森の中で方向がわからなくなったら、切り株を見ろ。たいてい年輪の中心は真ん中からズレている。また年輪の幅を見て、大きく広がっている方が南である。なぜなら南から日が照るため、生長がよいのだ」的なことが書いてあった。

森の中で道に迷った時に、運良く切り株が見つかるかどうかわからないが、私はそれを信じていた。ところがある日、たまたま方位磁石を持っているときに切り株を多数発見(ようするに伐採跡地に出たのだろう)したので、年輪が指す方向を計ってみた。

見事に、違っていた(笑)。幅が広い方が南であることはほとんどなかった。それ以来、この手のサバイバル技術を安易に信じないようになった。

そんなことを思い出したのは、先日の鹿児島大の講座で講師から「間伐後に日が射すようになったら、その方向に木の年輪は開くか」という質問が出たからだ。

受講生(林業のプロたち)の多くが、イエスと返事をした。もちろん、間違い。年輪幅の偏差は、光の射す方向ではなく、斜面の方向に従っている。それも針葉樹は下に、広葉樹は上に広がるのだ。

年輪の偏りは、斜面に垂直に幹を立てるためにできるアテである。重心が幹の中心に落ちないために年輪はズレるのだ。光がどこから射そうと、葉っぱで光合成して作り出した養分は幹に満遍なく行き渡る。年輪幅を変えることはない。

しかし、造林地が斜面なら、そこに生える木はみんな中心が偏るわけで、真円の年輪を持つ木を育てることは不可能になる。講師も、そう言った。

ところが、吉野の木はいずれも真円であることが多いのである。急傾斜ばかりなのに。その点を質問すると、講師のセンセイは、しばらく考えて、

「おそらく枝打ちを工夫して、木の重心を調整することで、斜面に生えた木でも重心を幹の真ん中に持ってきているのだろう」

だとしたら、吉野の先人の技術は凄いとしか言いようがない。

2008/11/25

熊野古道と天神崎

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写真は、熊野古道の一角。急坂だが、ここを登り古道をたどる人は少なくない。いや、現在の観光客ではなく、歴史的な話である。まさに「蟻の熊野詣で」と言われたほど、行列ができたそうだ。歴代天皇が通った時期もある。

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                                                 こちらは、天神崎。日本最初のナショナルトラストの地として知られている。 引き潮で姿を現した磯には、多くの釣り人と散策者が見られた。

今日は、朝から夕刻まで、文字通り、山と海を駆けめぐった一日であった。

疲れた……(x_x)                                                 

2008/11/24

田辺市

田辺市
和歌山県の田辺市に来ている。写真は、田辺駅前にあるチェーンソーアートの童子像。
商店街には、他にも木のアート?がいくつもあり、地方都市としてはあか抜けた印象がある。

雨も上がり、明日の取材がうまく行けばいいのだけど。

2008/11/22

間伐遅れと林業技術

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写真は、鹿児島大学の演習林。

                                               

かなり過密なスギ林を間伐した直後である。拡大して見てもらえばわかるが、緑の樹冠がほとんど上部にしかなく、下部は枯れている。過密で光がほとんど林内に入らなかったことがわかる。幹も細い。葉が少ないから、生長速度も遅くなったに違いない。
間伐が遅れると、このようになるといういい見本かもしれない。

その代わり樹幹は、きわめて真っ直ぐに伸びている。おそらく完満の差も少なく、枝も枯れ落ちているので節が少ないかもしれない。幹の細さは、年輪が密であることを想像させる。このまま生長すれば、よい材が取れる?

でも、風には弱いだろうから、ポキリと折れたらそれまでだ。

あえて過密状態にして(昔の意味での)良材を生産する技術と、単なる間伐遅れとは、紙一重の差なのかもしれない。ポキリと折れないよう太く育てて収穫したら、見事な林業技術だが、折れたら金にもならない、怠惰な林家扱いされてしまうだろう。

2008/11/21

ロシア材の輸出税

ロシアの丸太輸出税が、来年より80%に上げるとロシア政府が発表していたが、それが急遽延期になったようだ。プーチン首相がフィンランドのバンハネン首相との会談後に開いた記者会見で、「延期の可能性がある」と発言したことによる。

政府発表でなく、誰も正式には言わないのだが、もはや既定事実化した感がある。その点が独裁国家ロシアらしい。私のも、翌日には耳に届いていたのだから、この情報はあっという間に世界を巡ってしまった。

なったって輸出税80%(現在は、25%)というのは、事実上輸出ストップに近いから、各国が撤回の申し入れをしていた。そして、なんとなく延期か撤回の可能性が以前から臭っていた。それでもロシアは、中国じゃないんだから(^^;)、一度口にしたらやっぱり上げるだろうなと想像していたが、ギリギリの段階で延ばしたようである。

もちろん、大きな理由は、金融危機だろう。ロシア経済もかなり傷ついたし、オマケに力の源泉だった石油が値を下げている。木材輸出なんぞしなくても金はあるんだ、とは言っていられなくなったわけだ。

これで喜んでいるのは、まず中国だろう。ロシア材を大量に輸入しているからだ。残念がっているのは、その後がまに木材を中国に売り込もうとしていたカナダやアメリカか。

問題は日本だ。日本の木材輸入量の45%がロシア材なんだから、税金分値上げすれば大変なことになる。だから喜んでいる……とも言えるが、実はかなり前からポスト・ロシア材として国産材にシフトを進めている。それがどうなるか。

すでに国産材仕様の合板工場などを建ててしまってるのだから、今更ロシア材にもどれないよ、という声もある。しかし、すべてスギで賄えるわけではないから、やはり負担は減るはず。しかも円高で輸入金額自体が安くなる可能性がある。再びロシア材にシフトするかもしれない。これを期に国産材の需要拡大を目論んでいた人々には「残念」であろう。

ただ、朝令暮改式のロシアの政策決定に煮え湯を飲まされるのはイヤだから、保険の意味も込めて、国産材から足を洗うことはないと思う。現在でも、合板・集成材業界は、200万トン近く国産材を使っているのだから。

それともう一つ。驚いたのは、先進国中で最高の森林率を誇るフィンランドが、ロシア材を大量に輸入していた事実だ。おそらく製材加工してから輸出に回されるのだろうが、意外なところで木材産地と商品化の実態を感じることになった。

2008/11/20

視察産業

日吉町森林組合のことを、「視察林業」と呼んだことがある。

なにしろ年間1000人~1500人の視察者がいて、それぞれ視察料を徴収しているからだ。内容にもよるが、たしか1~2万円だったので、まともに全部取れれば、それだけで1000万円以上の収益になる。
もちろん、視察者を案内したり、ときに研修として教えたりするわけで、そのコストがいくらかかるか知らないが、それなりの収入源となっているはず。

同じことを「やねだん」でも感じた。

「やねだん」とは、鹿児島県鹿屋市の柳谷集落のこと。やなぎだに、が、なまってやねだんになっている。正確には集落名でもなく、住所は鹿屋市串良町上小原だ。

ここが、行政に頼らない地域づくりをしている。とくに凄いのは、自主財源を自ら稼ぎだしていることだ。一つは土着菌と呼ぶボカシ肥料であり、カライモを栽培してそれで作った焼酎「やねだん」販売もある。食堂まで作った。そのほか山芋加工品や、芸術家の作品販売手数料、などもあるが、何より大きいのは視察なのだ。

補助金を使わず、自ら稼ぎ、その金でまた事業を行う。集落人にボーナスまで出している。「定額給付金」をすでに何年も前からやっているのだ。そうした活動が知られて、視察や研修が引きも切らない。年間3500人もやってくる。

そして視察が来ると、1団体ごとに視察料を取る。昼食を出す。ねやだん製品をお土産に飼ってもらう。こうして地元にお金が落ちるのだ。まさに視察者が、お金を運んでくる仕組み。これこそ視察産業だ。

他人が知りたく思い、視察に行こうと思わせることをすれば、それは事業となるのだ。しかも視察が視察を呼ぶ。一度行った人が、「あそこは凄い」と宣伝してくれて、次の視察者を呼び込んでくれる。まさに正のスパイラル。

みんな感動したり感心して視察し、競ってお土産も買う。仕掛け人の公民館長の話を伺う。でも、それを自らの地域に持ち帰って実践し「自分たちの地域も視察者が来るようになった」なんてケースはないけどね。

ちなみに今週発売中の「女性自身」に、ねやだんの記事が7ページも載っているよ。

2008/11/19

学び直し

鹿児島から帰って来た。

朝から晩まで2日間、鹿児島大学でみっちり勉強してきた。もちろん林業学である。実は、
高度林業生産システムを実現する「林業生産専門技術者」養成プログラム
というのを受講してきたのである。この事業を知っている人は、林業界でもそんなに多くないのではないか。昨年からやっているのだが、現在林業で働いているプロの人々に対して、改めて林業・林学を教えているのである。しかも受講料は無料。ただし、鹿児島まで行かないといけないけれどね。それでも九州一円から十数人が集まっていた。
本当は7回14日間なのだが、とても私は全部参加できない。つまみ食いのような体験であったが、面白かった。

プロに対して、何を教えるか。

間伐とは何か? 補助金の仕組みは? 技術者倫理とは?

なんか、凄い普遍的テーマだ。一方でバックホーで、作業道を開設する方法まで実習する。

参加者には、素材生産業者や森林組合、大学演習林、そして森林管理署の人まで。おそらく、林業のプロと言っても、昨今の早い変化に付いていけない林業関係者も多いだろう。そこに学び直しの効果はある。林業不振を嘆いている人には、とくに向いていると思う。

私としては、知っているつもりでいて系統立てて学ぶと、胸をストンと(理解が)落ちるような気分になれる。知識としての事実関係は以前から知っていても、あえて振り返り咀嚼することで、新たな考察ができる。学び直しの効果は大きい。まあ、机について連続して何時間も講義を聞くのは、辛くもあったが……。

また林業関係の近年の動きに関して意見交換もできた。身近に林業界について議論できる人はあまりいないから、貴重な時間であった。最新情報も仕入れたしね。

2008/11/17

やねだん

やねだん
やねだん、てなんだ?
赤い番傘はなんだ?
一升瓶はなんだ?

謎解きは次の機会に。知ってる人は書き込んで。

2008/11/16

里山ボランティア講座

昨日は、生駒で里山ボランティア講座の講師。

地元だし、人数は20人以下だというし、ネタも生駒山だし、ギャラも安いし(^^;)、気軽にやるか、と思っていたのだが、だんだん人数が増えて40人くらいになり、なぜかパワーポイントも使うことになってデータづくりをし、訪れてみると会場は完全な研修室だし、新聞記者が取材に来ているし、市会議員や国会議員まで来るし……真面目にやりましたV(^0^)。

ま、話は生駒山を素材に里山の構造や現状などだが、実はこの講座は、何回かの実習を行った上でボランティア団体を結成することになっているそうだ。そして取り組むのが、市街地の緑地の整備だという。

これは、意外と盲点かもしれない。里山にしろ林業にしろ、いわゆる森林ボランティアと言われるケースが舞台にするのは、まさに山手である。森でも棚田でもまとまった中山間地にある。ところが、生駒市内では、住宅地の中にわりと緑地が残っているのだ。開発計画からもれたような形で点在する。

そこは、面積は小さくても、結構自然の重要な拠点である。その土地に格別希少種が存在する……とかいうのではなく、鳥や昆虫、草花などのネットワークをつなげる役割があるからだ。山間部と市街地が隔絶した環境を持つのではなく、山からじんわりと市街地に動植物を拡散させるには、こうした残留緑地は重要な役割を果たすだろう。

でも、実際の活動は大変だろうな。思わず「3年後、今日集まった皆さんのうち、何人残っているか……」と口走ってしまったのだけど(^o^)。

2008/11/15

吉野材が秋田材に

林材フォーラムの続き。

ここで私とともに話題提供したのは、長年奈良で木材の研究をした後に、秋田へ赴任していた人なのだが、吉野材と秋田材、そのほかの材(スギ)との違いを説明してくれた。

それが凄いのだ。たとえば曲げ強度、圧縮強度、曲げヤング係数、比重の出現率、年輪の出現率……等々、いずれも吉野材がずば抜けている。単に強いだけでなく、まんべんなく存在して安定している。これはどういうことかというと、当たり外れがないということだ。吉野材と言われて買ったけど、なかには弱いものが混ざっていたとか、年輪幅も材の場所でばらついているとか、そうしたことが少ない。

つまり、吉野材は非常に安定した木材素材だったのだ。いくつかの項目で吉野材と同等か少しよい数値が出たのは埼玉の西川材なのだが、ここもまた吉野式の造林方法をとった林業地であった。残念ながら秋田杉は、天然生でも吉野杉に劣る。造林杉は問題外といえるほど差が出ていた。(秋田杉と呼ぶのは天然杉のみだけど。)

ところで、仰天する話を二次会で聞いた。吉野の木材市場で、ときどき200年もののスギが出荷されるのだが、そこに買いつけに来るのが秋田の業者なのである。

この意味、わかる? ようするに吉野杉が秋田に運ばれて秋田杉に化けているらしい。

秋田の天然杉は枯渇している。だから、各地から仕入れているらしい。しかし、なんと吉野杉とは……。かつて吉野が秋田杉など全国各地の優良木を仕入れて吉野杉として出荷していた話は聞いたことがあるが(今だってやってるかも)、その反対の現象が起きている。なんだか、せっかくの吉野杉の性能がもったいなくなった。

明示する情報には、本当の産地も書かなくては、ね。

2008/11/14

林材フォーラム

昨夜は、奈良県の林材フォーラムにお呼ばれした。夜7時から始まり、二次会も含めて深夜までいろいろ話した。

フォーラムと言っても、20人弱が口の字形に座って語り合う、いわば座談会のようなもの。私と、もう一人木材の専門家が話題提供する。

私は、「実は林業は活性化している。九州や東北の一部では、非常に元気だ。どうも伝統的林業地ほど落ち込み、新興地ほど新しい取組をして元気である」というようなことを話してから座談に移る。

しょっぱなの声が補助金のことであったのは、お約束というか相変わらずというか(^^;)。ほかにも列状間伐批判や機械化の困難さ、人工乾燥機の問題などを訴える意見が並ぶ。

私は、別に吉野で列状間伐をしろと言っていない。むしろ、ほかの林業地が「いかに安く伐出を行うか」に傾いている中、吉野ならではの道があるのではないか、と提案したつもりであった。伝統的林業地が新興林業地の真似をする必要はない。真似ても負けるだけだ。だから、ほかの林業地がやっていることはできないという意見が出るのは歓迎である。だから、後ろ向き発言の次に期待しているのだ。

そして、実は凄いヒントがいっぱい浮かんだ。こんな商品もできる、あんな売り方もできる……。問題は、それに当の本人たちが気づいていないらしいことだ(>_<)。愚痴となる意見の中に、新たなチャンスが眠っているのだ。

たとえば含水率20%までしか乾燥させられない乾燥機。世間では15%までしろ、というけれど、あえて20%で止めることの価値を商品のコンセプトにできないか。
機械化せずに出した木の売り方だって、いろいろアイデアはある。一度、建築家や工務店が求めている材を調べてみるとよい。

新商品とは、何も設備に金をかけないとできないものではない。むしろ、小さな製材所ほど、小回りが利いて新しい試みができる。全自動ではないから、工夫ができる。そして手作りの技術があることが重要だ。奈良県の小さな製材所にもってこいではないか。あとはアイデアを出して実行する人が出てくるかどうかだけである。

何より、圧倒的に有利なのは、吉野ブランドを使えるところだ。完全乾燥していない木材なんて、無名の林業地だと相手にされなくても、吉野の木だというと、何か意味ありげになる(^o^)。

ところで気づいたのは、比較的話すのは、吉野ではない地域の人である。奈良県の林材業と一括りに言っても、いわゆる吉野林業地と、厳密にはそこに属さない周辺林業地に分かれる。ところが、発言は周辺林業地の人の方が多かったのだ。古くからの林業地ほど口数が少なくなる理由が何かあるように思えた。

これって、日本の林業自体の縮図かもしれない。

2008/11/13

材価は上がりますか?

各地の林業地、あるいは林業関係者を回ると、よく聞かれる質問がある。

「木材価格は上がりますか?」

もちろん私は経済評論家ではないし、木材相場を予想する情報を持っているわけでもない。それでも、この質問が出る。講演会の質疑応答にも出る。

実は、執筆・講演でも繰り返し言っているのは、「木材は国際商品である」こと。だから価格は国際的な値動きで決まる。国産材だけが上がるような状況が来るとは思えない。上がるときは、外材も一緒に上がるだろうし、外材が下がるときは国産材も引きずられるだろう……と説明している。

それでも、聞かれるのだ。

「木材価格は上がりませんかねえ」

最近は、面倒だからスバリと応えることにした。

「上がりません!」

下がることがあっても、上がることはあまり期待できない。円高などで外材が安くなれば、木材産業はそちらに流れて国産材の需要が減るから、価格は下がる。
木材不足などに陥って外材、国産材とも多少値上がりすることもあるかもしれない。しかし、その際は木材需要の多くを握る建築業界が、木材そのものを敬遠する。家を建てる素材は、ねかにいくらでもあるのだ。すると需要が落ちる。だからすぐに頭打ちになる。

結局、世界経済そのものが活性化して、景気がよくならないと木材価格が上がることはないだろう。で、いうのは

「材価は上がりません! 必要なのは、伐出コストを下げて、安い材価でも利益の出る体質にすることです」

すると質問者は、たいてい残念そうにする。「伐出コストを下げ」ることに挑戦しようという思いには至らないらしい。やっぱり、今までどおりの作業を続けて、それで利益が上がることを期待しているようだ。
作業内容をどのように変えるか考えるのは面倒だし、実行するのも大変だ。やっても失敗するかもしれない、いや失敗する確率が高い……。

こんな発想が頭の中を駆けめぐっているんだろうなあ。

2008/11/12

書評「森の力」

 

実は、「森の力」というタイトルの本はほかにも幾冊かある。ここでは、新刊の

森の力 -育む、癒す、地域をつくる

 浜田久美子著 岩波新書

である。ます目次を引用しよう。
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はじめに

1 育つ
森の幼稚園は五感のゆりかご—感情を深くためるからだに
高校生、森の名人に出会う—「森の“聞き書き甲子園”」というチャンス

2 つながる
わが町で豊かに暮らし続けたい—森林セラピーで地域づくり
みんなで「森の健康診断」—人工林と森林ボランティア

3 生み出す
森の恵みを生かすビジネスを—森林バイオマスの可能性
森のプロを育てたい—「林業トレーナー」の挑戦

4 引き継ぐ
街と山をつなぐ大工たち—地域の材を使いたい
種をまく人たち—木を知る建築士を育てる

おわりに -森と暮らしの変遷、私的概観
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著者の本は、私も幾冊か読んでいる。いずれも林業に関連した本ではあるが、今回は林業そのものではなく、もう少し周辺部にある新しい動きを人を中心にルポしたもの、とくくるべきだろうか。
私の知っている人々も登場するが、知らない情報も結構あって、丁寧に取材を行った記事が積み重ねられていると感じた。

書かれている内容に大きな間違いもなければ、私が反論するようなところもない。むしろ、共感する部分の方がたくさんある。著者は林業界の動きにも詳しいし、きっと、望んでいる方向、描いている理想は同じなんだろう。

ただ、なあ。なんだか隔靴掻痒の気分。読んでいてイライラする部分があるのだ。それは、おそらく私と彼女の観点が違うからだろうが、知りたい肝心の点をわざと避けているような印象がある。

たとえば、「森林セラピー」の項では、森林療法と森林セラピーの違いをサラリと触れているだけだが、そこに横たわるうさん臭い部分には触れようとしていない。
「森林バイオマス」も、それほど期待するものではない。それが自己満足的なものであることに気がついているはずだ。とくに木質ペレットは、エネルギー収支的に意味がない。それでも希望的観測を記す。

ウッズマン・ワークショップの「林業トレーナー」も、林業技術の伝承や底上げという点では素晴らしいのだが、現場で求められているのは、「山の匠」の技ではなくて、たとえば重機の動かし方ではないだろうか。あるいは組織幹部の頭を柔らかくする方法(笑)。いくら一介の従業員が技術を身につけても、森林組合を始めとする組織が変わらないと何もできない。

地域材の家も一時期流行ったが、現実に建つのは住宅着工件数のコンマ以下だ。そもそも大半の施主のニーズに合っていない。
また最後の章で紹介された佐賀の「佐藤木材」は、伐採後の造林・育林まで無料で引き受けているという。これは長期伐採権制度につながる凄い試みなのだが、最大のネックであるコストをどのように吸収しているのか書かれていない。材価だけで造林もできるカラクリはなんだ? 単に自腹を切っただけ? それでは倒産するだろう。

さらに言えば、「森の幼稚園」で描かれる子供たちも、今保育や教育の現場で抱えている深刻な状況に直面したことのある私からは……。

全体として、森林の周辺部分を理想的な世界のようにクローズアップした感じがするのだ。私も理想的なモデルを求めて取材することがあるが、現場を訪ねて実際の姿に打ちのめされるケースがままある。

多少大げさだが、医者である中村哲さんが、アフガニスタンで井戸を掘るのは「治療よりも、まず水を、食料を!」と考えた気持ちになってしまう。

著者は、林業界の現実をよく知っているようだ。しかし、あえて本書では大状況には触れない、とくに重大な問題点には突っ込まないようにしている印象がある。小さく、頑張っている人々を取り上げる。希望を語る。きっと優しすぎるのだろう。私のように意地悪な性格ではないのだろう。でも、なあ。

2008/11/11

施主ニーズ

林業家から森林組合、製材所、木材店、工務店、そして森林管理署の所長まで、妙なことをいう。

「家は木がいい。艶のある木、それも無垢の木がいい」
「国産材がいい。地域材がいい。地域の風土で育った木が、一番その地域にあった家になる」
「それなのに国産材を使おうとしない消費者はおかしい。もっと教育しなければ」

アホかいな。本当にそんなこと思っているから、国産材は売れないのだ。強度など機能面では、無垢の木より集成材の方が上なのは常識だ。風土とそこで育った木の特質なんて、どこが違うのか証明した論文はあるのか。だいたい消費者を教育しようなんて、傲慢だ。(家を売るという)ビジネスの世界では、消費者は神様である。消費者が欲しがるものこそが、良いものであり、教育されるべきは生産者である。

そもそも本当の家を建てる人、つまり施主の気持ちを考えたことがあるのか。

自分が家を建てることを想像したらよい。最寄りの駅とか敷地面積、周囲の環境などはおいといて、あくまで欲しい家だけをモデルハウスや新聞チラシなどから探すことを考えてみる。

簡単である。気になるのは、まず「間取り」。そして外観デザイン。そして内装デザイン
強度や耐震構造、健康も考えるか。でも素材がなんであるか、なんて最後の最後だ。そして木という素材は、ほかにもある金属やクロスやガラス、樹脂……などのマテリアルの一つにすぎない。その中から選べと言われれば木製を選ぶことはあっても、欲しい部材が木製でなければダメという施主はどれくらいいる?

今、よく売れる木の家があったとしよう。それは木で作ったから売れるのではない。木を使って素敵なデザインに仕上げたから売れるのである。
逆に、売れない木の家もある。それはデザインが悪いからだ。間取りが気に食わなかったからだ。そのうえ、木をあまり使いすぎると嫌われるという心理実験結果もある。木を使ったことは二次的三次的要素にすぎないのだ。

木の家が欲しいという施主でも、鉄骨ハウスを買う。なぜなら内装が木であれば、見えない構造材などは気にしないからだ。逆に木はたくさん使っていても、大壁工法などで表面に木が見えない家もある。それは木の家を求める施主の好みではないだろう。
もちろん、木製の家はイヤという施主の場合は、反対になる。明治時代には、木製なのに外観はレンガなどを使った擬洋風建築というのもあった。

そして、決定的なのは、建築部材の中で、木製のアイテムは極めて少ないことだ。柱と梁は別にしても、細かな内装に使える部材はクロスや金属物と比べてあまりに種類がない。少ない種類の部材の中で、デザインの良いものはもっと少ない。それでは、木を使おうと考えている稀少な施主も、引いてしまうだろう。

木の色艶・木目も関係ない。それがあることで引き立つ部分なら色艶や木目もあってほしいが、上から塗料を塗る部材なら色艶はない方が良い(艶があるものは油分が多いので、塗料に塗りにくい)。見えない部分なら、どうでもよい。ない方が安いのなら、そちらを選ぶ。木目もあることで、部屋の雰囲気を壊す場合がある。

もっと消費者ニーズを把握せよ。施主ニーズをつかめ

本当に国産材を住宅用に使ってほしいなら、素材にすぎない木の特徴を自慢をしないことだ。人気のある建築家、優秀な設計士に国産材を使うようお願いするのが近道である。

2008/11/10

林業で食える方策

沖縄ボケ払拭のために、ガチガチ硬いテーマを。

林業で食えないと言われて久しい。何が問題かと分析するのは簡単だが、現実には意味がない。どうして食うか、が求められている。

食えない理由は、単純に言えば木材価格が安いからである。そして安いのは、木材が国際商品だからだ。外材価格と連動してしまうため、為替変動の影響をもろに受ける。1ドル100円未満になれば、外材の輸入価格は安くなり、国産材もそれに引きずられて下がる。林業でかつて食えたのは、1ドル360円だったからだ。

だから円安こそ林業振興に必要とか、輸入規制とか外材に重関税をかけろとか言い出すのは、頭の古い業界人か、縦割り分野しか考えない官僚か業界利益しか眼中にない族議員的政治家の方々だろう。

外材は規制できないし、国産材の価格は上がらない。これが基本だ。いつかまた材価が高騰する夢は持たない。もし上がることがあったら、それは儲け物のボーナスという覚悟で考えないといけない。

一つの方法は、コスト削減により、安価な木材でも純益を増やすこと。しかし、限度があるだろう。もう一つは、加工によって高付加価値商品にすること。ただし、外材にはできない加工であること。そして最後に、国産材ならではの情報の付加価値を付けること。

その方法を考えるのは、またの機会にする。

そこで逆算方式をとれないか。
思いっきり単純化して考える。林家で食うための単位を120haとして、それを60年で伐るとすると、一年で2haを伐る。法正林的考えるのだ。林齢60年の林地2haから出せる木材はどほどか、樹種は、A材B材C材の割合は……と考えるとやっかいなので、必要な利益から考えるのだ。

この2haで1年間家族が食べていくためには、最低年収300万円必要とする。ワーキングプアにならないための金額だ。ただ山村の暮らしは概して安上がりだろうから、そんなに酷い金額ではない。もちろん副業もありえる。

毎年持続的に300万円の収入を得るために必要な、伐出経費や再造林経費、育林経費を単純に同額とすると、売上額600万円となる。(ここのところの経費計算はよくわからない。誰かご意見を。)

ようは売上600万円、純益300万円になる経営をするのだ。造林経費は今は1ha200万円以上かかることになっているが、これはコストダウンが至上課題だ。同時に木材価格を上げる加工にも頭を絞る。

……そして、どうしても足りない部分は、所得保障も考えなくてはならない。一見バラマキ的補助金だが、林業にはバカほど補助金があるのだから、それを整理すれば(ようするに撤廃ね)金額的には現在の補助金拠出額より減るような気がする。

もっとも所得保障があるからと、上記のコストダウンと販売努力を鈍らせては何の意味もない。かなり厳しい審査基準を設けないとマズいかなあ。ここんところは、悩ましい。

少しは南洋ボケは晴れたか? ちなみに沖縄でも、森林組合に顔を出してきたよ。

2008/11/09

奇跡のシュノーケリング

ここ数日、日本列島は寒気に覆われ、雪が降ったところもあるらしい……。

が、沖縄は猛暑(^o^)。もっとも大雨と快晴が交互に来る不思議な天候だった。
森に入ると、大雨で全身ぐっしょりになるかと思えば、ギラギラ日が照りつけてサウナ気分を味わった。その合間?に海に入る。なんと、この時間帯だけは晴れたのだ。

591t                                                 

まさに、奇跡のシュノーケリングとなった。 やはり沖縄は、森より海が似合っているぜ! 

そして、今日本土に帰ってくると、やはり寒いなあ~。

2008/11/08

蝉の声

蝉の声
クワンクワン、と朝からかまびすしい。シーサーが鳴いているのではなく、セミだ。11月の今、セミがうるさく鳴く。
気温は連日30度を越える。今日は泳ぐぞ!

2008/11/07

ドラコンフルーツ

ドラコンフルーツ
沖縄に来ている。昨日はどしゃ降りでひどい目にあったが、今朝は快晴。
ドラコンフルーツ見ながら(食べてない)頑張ります。

2008/11/06

金融危機と日本木材事情

アメリカ大統領にオバマ氏が選出された。

だからというわけではないが、今後の世界情勢を左右しかねない金融危機に関して、林業からの考察を。実は、前から書きたかったんだけど、あまりに為替と株価の乱高下が続くので、しばらく様子見をしていた。最近は少しは落ち着いたようだ。

で、世界的な金融危機の中で、相対的に日本は強いと判断されたらしく、円高が進行している。一時は90円を割り込んだのだから、たまらない。

円高は、輸入価格を押し下げる。当然、外材も価格を下げるだろう。すると、木材不足と中国・インドなど新興国の参入で材価が上がり、日本は買い負けしていた状況が変わる可能性がある。またもや日本は木材輸入大国になれるわけだ。その価格は、国産材よりも安くなる可能性も高い。

一方で、アメリカやヨーロッパでは不況が深刻化し、とくに建築不況となるから、木材需要が縮む。すると輸出指向が強くなるだろう。また中国やインドも、不景気になれば木材の輸入を減らす。
市場でだぶついた木材は、日本へと向かうのではないか。

もちろん、日本も不景気になりつつある。住宅建築も減少する。そうすると国産材の材価は下がるだろう。安値の外材にひきづられる要素もある。すると伐出しても赤字になるから、国産材の生産は減る方向に向かうことが想像できる。
それは安定供給を脅かす。国産材は、やっぱり信用ならん、という声が噴き出る。

その隙間に外材が流れ込むのである。新流通加工システムや新生産システムの合板、集成材工場も、再び外材に傾斜する。かくして木材自給率は急降下……。

う~ん。こんな悪い予測しかできない。日本林業は壊滅か?

2008/11/05

「道の駅」とどんぐりクッキー

岩手では、岩泉町を訪れたが、そこで寄ったのが「道の駅いわいずみ」。

かなりの賑わいである。やはり農産物直売コーナーがあり、レストランがあり、土産物コーナーがある。道の駅としては中級の規模だが、それに比例した土産物が並んでいた。

しかし覗いて驚いたのが、その品揃えだ。何も量や種類がたくさんあったわけではない。規模相応というところである。だが、アイテムが違う。非常にオリジナル商品が多いのだ。

Photo                                                    

写真は、どんぐりクッキーと言って、本当にドングリの粉が混ぜられたものだが、岩泉町オリジナル商品。どんぐり商品はこれだけでなく、どんぐりパン、どんぐりドーナツ、どんぐりパイ、どんぐりラーメンにどんぐり冷麺! 

さらに岩泉の観光の目玉である龍河洞の水も売るが、それを利用したや龍泉洞珈琲に龍泉洞烏龍茶、龍泉洞の緑茶。ほかにも全部確認できなかったが、山菜やら豆腐やら、オリジナル商品が数多いのだ。また水産物も結構あったが、岩泉から三陸は近いことを考えるとそんなに違和感はない。

やはり、これは強い。私も思わず買ってしまった(^o^)。お土産には、地域特産でなければ意味がない。「道の駅いわいずみ」の強みはこれだ。

私は、全国各地の「道の駅」をかなり訪ねているが、最近は面白くなくなっている。画一的なのだ。そもそも、当初の意図であった地域の情報発信は少なくなり、ひたすら土産物売り場と化しているのだが、それにしてもどこで生産したのかわからないようなものばかり。山村でモンゴルの塩を売っていたり、原材料を見ると中国産だったり。

道の駅の経営は、必ずしも地元がやっているとは限らず、都会の商店に任せている所が多い。そして各地から集めたお土産らしきものを一斉に配送して並べさせている。かつて地域づくりの拠点として期待された「道の駅」も、全国一律化、グローパリズムが幅を利かせるようになってしまった。

先日紹介した、野菜販売を始めた学生企業の某君は、道の駅の経営をやりたいと言っていた。地元にある隠れた産物や企画品をどんどん並べたいそうだ。私も賛成である。地元の品を売って初めて意味がある。

でも、道の駅も利権となりつつあるからなあ。指定管理者になるのは至難の業だ。いっそ、赤字で経営者が撤退すればチャンスは回ってくるかもしれない。

2008/11/04

バイオマス・エネルギーのからくり

木質バイオマス・エネルギーの先進地・岩手から帰って来た。

いろいろ見せていただいたが、為になった。

ただ、私はバイオマス・エネルギーには否定的なのだ。いや、否定するというよりは、たいして効果がないだろう……という点で懐疑的。木質バイオマスのエネルギー利用が林業や地域経済、ましてや地球環境に与える影響を考えたら、ほとんど意味をなさないだろうと考えている。岩手が、木質バイオマスの事業化で軌道に乗っているのは、奇跡ではないかとさえ思っている。

その点を向こうでもしゃべったのだが、それなりに先進地に配慮して(^^;)、おそるおそるであった。ところが、夜の懇親会で教わったことは……

木質バイオマスの理論的問題点はすでに議論がなされていて、私の指摘した内容は関係者の間では常識らしい。それでも進められるのは……とくにペレット関係がとにもかくにも事業化できているのには、からくりがあったのである。

その内容を、ここで詳しく書くことはできない(企業秘密^o^)が、簡単に言えば、ペレットをエネルギー利用として燃焼させるだけの商品としていないということであった。

うなってしまいました(^o^)。恐るべし、岩手。

木質バイオマスをエネルギー利用するのではなければ、ようするに木質商品である。集成材や合板、パーティクルボードにファイバーボード、紙、おが屑の敷き藁代用、木のトレイ……と同じ線上に並ぶ商品と見るべきだろう。
この点を無視して、地球温暖化防止のためにバイオマス・エネルギーを推進しよう! と宣伝しているのは、お馬鹿なキャペーンだ。

2008/11/02

初冬、秋、夏?

初冬、秋、夏?
岩手の山間部は、昼間でも摂氏6度だった。夜は氷点下になることもあるという。もう初冬だ。
空を飛んで帰り着いた大阪は17度。なんだ、やはり秋じゃないか。厚着したので汗ばむ。
そういや来週は沖縄だ。泳げるかな?

2008/11/01

岩手のペレット& 薪ストーブ

岩手のペレット&<br />
 薪ストーブ
岩手に来ている。
ここで見かけたのが、ペレットだけでなく、薪も使えるストーブ。しかも湯を沸かしたりオーブンとして調理もできるのだ。
岩手のバイオマス事情は進化しているなあ。

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森と林業と田舎