書評「森の力」
実は、「森の力」というタイトルの本はほかにも幾冊かある。ここでは、新刊の 森の力 -育む、癒す、地域をつくる
浜田久美子著 岩波新書
である。ます目次を引用しよう。
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はじめに
1 育つ
森の幼稚園は五感のゆりかご—感情を深くためるからだに
高校生、森の名人に出会う—「森の“聞き書き甲子園”」というチャンス
2 つながる
わが町で豊かに暮らし続けたい—森林セラピーで地域づくり
みんなで「森の健康診断」—人工林と森林ボランティア
3 生み出す
森の恵みを生かすビジネスを—森林バイオマスの可能性
森のプロを育てたい—「林業トレーナー」の挑戦
4 引き継ぐ
街と山をつなぐ大工たち—地域の材を使いたい
種をまく人たち—木を知る建築士を育てる
おわりに -森と暮らしの変遷、私的概観
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著者の本は、私も幾冊か読んでいる。いずれも林業に関連した本ではあるが、今回は林業そのものではなく、もう少し周辺部にある新しい動きを人を中心にルポしたもの、とくくるべきだろうか。
私の知っている人々も登場するが、知らない情報も結構あって、丁寧に取材を行った記事が積み重ねられていると感じた。
書かれている内容に大きな間違いもなければ、私が反論するようなところもない。むしろ、共感する部分の方がたくさんある。著者は林業界の動きにも詳しいし、きっと、望んでいる方向、描いている理想は同じなんだろう。
ただ、なあ。なんだか隔靴掻痒の気分。読んでいてイライラする部分があるのだ。それは、おそらく私と彼女の観点が違うからだろうが、知りたい肝心の点をわざと避けているような印象がある。
たとえば、「森林セラピー」の項では、森林療法と森林セラピーの違いをサラリと触れているだけだが、そこに横たわるうさん臭い部分には触れようとしていない。
「森林バイオマス」も、それほど期待するものではない。それが自己満足的なものであることに気がついているはずだ。とくに木質ペレットは、エネルギー収支的に意味がない。それでも希望的観測を記す。
ウッズマン・ワークショップの「林業トレーナー」も、林業技術の伝承や底上げという点では素晴らしいのだが、現場で求められているのは、「山の匠」の技ではなくて、たとえば重機の動かし方ではないだろうか。あるいは組織幹部の頭を柔らかくする方法(笑)。いくら一介の従業員が技術を身につけても、森林組合を始めとする組織が変わらないと何もできない。
地域材の家も一時期流行ったが、現実に建つのは住宅着工件数のコンマ以下だ。そもそも大半の施主のニーズに合っていない。
また最後の章で紹介された佐賀の「佐藤木材」は、伐採後の造林・育林まで無料で引き受けているという。これは長期伐採権制度につながる凄い試みなのだが、最大のネックであるコストをどのように吸収しているのか書かれていない。材価だけで造林もできるカラクリはなんだ? 単に自腹を切っただけ? それでは倒産するだろう。
さらに言えば、「森の幼稚園」で描かれる子供たちも、今保育や教育の現場で抱えている深刻な状況に直面したことのある私からは……。
全体として、森林の周辺部分を理想的な世界のようにクローズアップした感じがするのだ。私も理想的なモデルを求めて取材することがあるが、現場を訪ねて実際の姿に打ちのめされるケースがままある。
多少大げさだが、医者である中村哲さんが、アフガニスタンで井戸を掘るのは「治療よりも、まず水を、食料を!」と考えた気持ちになってしまう。
著者は、林業界の現実をよく知っているようだ。しかし、あえて本書では大状況には触れない、とくに重大な問題点には突っ込まないようにしている印象がある。小さく、頑張っている人々を取り上げる。希望を語る。きっと優しすぎるのだろう。私のように意地悪な性格ではないのだろう。でも、なあ。
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