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2008/12/18

感動経営と不機嫌経営

ミゾウユウの大不況が広がりつつある。このままでは「バルブ崩壊」時の不況なんて、可愛いものだった……と言われるかもしれない。

モノが売れない時代になる。
そこで、最近耳にするのが「感動経営」だ。顧客を感動させることで、モノを、サービスを売るという発想なのか。

たとえばスーパーマーケットやファミレス・居酒屋などが、テーマパークのように飾りつけたり魅せる、笑える、驚かせるイ商品展示にする。ときにパフォーマンスもある。
宿屋・ホテルが、手書きのメッセージやら、グッズ類で心憎い演出をする。
手取り足取り、かゆいところに届くようなもてなしとサービスを行う……。
さらに、商品の完成までのドラマをつけ、製造者の顔を見せたり、開発秘話を語る。ついでにトレーサビリティまで保証する。

私も、顧客の立場からすると、そうしたもてなしを受ければ嬉しい。喜んで、また買おう、また行こうと思うかもしれない。

だが、疑問を持っていた。そうしたもてなしやサービスの対価はどうなっているのだ?
過剰なインテリアなどを設置すれば、コストに跳ね返る。手間暇かけたサービスを従業員がすれば、その分の人件費は誰が払う? モノやサービスの価格を上げているのではないか。もし払わずに従業員にただ要求しているだけなら、それは労働強化であり、雇用主の傲慢ではないか。

これが非日常の旅先や宴会だったら、多少高くなっても喜びの方が大きくてもいいかもしれないが、日々の食品を買うスーパーだったら、「そんな演出いらないから、価格下げてください」と言いたくなるだろう。過剰包装したって、家に持ち帰ると破って捨てるだけなのである。

今や、全国どこでも同じメーカーの商品が手に入り、マニュアル化した同じサービスが受けられる時代だ。系列店では、価格まで差がつけにくい。「感動経営」とは、そうした一律の商品を並べた店が、他店と差別化を図るために行うことではないだろうか。いわば消費が飽和した時代に生れた販売方法に思う。

それが、この不況時代、環境問題を抱えた時代に必要なのか。過剰投資・過剰もてなしでが必要なのか。消費飽和状態はいつまで続くのか。

そう、思っていた。

ところが、ちょっと考えが揺らいできた。「感動経営」の主体を勘違いしていたかもしれない、と思い出したのである。感動するのは、消費者ではなく、事業側のスタッフではないか?

「感動経営」を売り物にする事業体は、従業員を感動させようとしていた。何もちやほやしているのではない。むしろ仕事はきつくなるけど、達成感とか、人の喜ぶ顔を見たいとか、仲間と楽しく仕事ができる、といった要素で感動させている。

思えば「ローカル線ガールズ」の書評で紹介したえちぜん鉄道のアテンダントは、その萌えるサービスで十分な対価を受け取っているわけではなかった。客の要望に応えることに生きがいを感じていた。
店をテーマパークのようにしたスーパーやレストランの人も、楽しそうに仕事をしている。みんな仲がよい。給与や待遇で対価を受け取っていなくても満足していた。

私が訪ねた元気な組織---企業やNPOから役所、学校まで---は、みんなそうだった。仕事・仕事場が楽しいから、対価をもらわないサービスをスタッフは行える、いや客や仲間の喜ぶ顔が対価になっている。また責任を負う立場になって、やりがいも出る。

※ 以前、雹でやられたキャベツ1600個を持ち込まれたレストランに居合わせたことがある。店の買い付け担当者は、まだ若い女性だったが、即決で全部購入した。そして捌くことに奔走した。その度胸と、売りさばく自信。その決断を支持して捌くのに協力する同僚。それが彼女のやりがいになっていた。

その雰囲気を言葉を変えて説明すると、「感動経営」になるのではないか。感動するのは、仕事をした従業員。これは、モノスゴイ経営資源だ。

すべてはお客様のために、ではなく、すべては従業員の満足のために(笑)

そう気がついた。

もちろん、そのための仕掛けはあって、そうした団体には内部に表彰制度を作っていたり、社内の風通しがよくして、権限が十分に移譲されている。
リーダーの資質も必要だ。先日訪れたNPOの代表は、多くの学生たちにいじられて笑われながらも、実はちゃんとみんなを指揮していた。スタッフの気持ちをうまく誘導しているのである。和を作る名人だと感じた。

逆に、一人でも和を乱すスタッフがいる組織は、空気が悪くなっている。それも、単に身勝手とか、空気が読めないなど個人の資質だけならともかく、始末に悪いのは、外づらはいいのに、内づらの悪い人。自分の意見・立場を通すために同僚に攻撃的となり、ねじ伏せることに満足を感じる輩だ。そうした人の存在によって、場の雰囲気はガラリと変わる。途端にほかのメンバーのやる気は失せる。

感動は消え、もはや、どんなよいアイデアも、提案も、システム改善計画も、機能しない。スタッフの気持ちがバラバラになったら、おしまいだ。

こういうのを「不機嫌経営」と呼ぼう。

そんな組織内雰囲気になったら、遠からず事業は沈滞するか、内容が変質する。
これが営利の縛りのないNPOなどの運営体なら、組織は分裂し、崩壊は近い。

……近頃、経営コンサルティング的な依頼もあるもんだから、こんなことも考えるようになりました(^o^)  でも未曽有の不況に突入したのだから、経営は真剣にね。

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コメント

なんか経営まではよみましたがw

山に入る資本がないので経営っていってもね。
山林を売買する市場がないのはびっくりします。
逆バリする経営者もいますから。
”対価をもらわないサービス”ときいて
サビ残を連想してしまいました。

もし森林経営、それも儲かる森林経営を考えるなら、ある規模以上でなければ無理である。
林業経営者は総じて、規模にかかわらず儲からないことを嘆き、ある場合、と言うよりは殆ど責任を他所に転嫁している。
山の持つ資源生産性を最大にするようなビジネスモデルも描かず、それ以前に最大の資源生産性すら客観的に評価しようとはしない。
立木の10~15%の建築用材で勝負するのではなく、それ以外の、つまり90~85%もいかにして利用していくのか。そのためにはどのような商品開発をするか、そして如何に効率の良い流通を構築するか、自ら動く必要があると思う。
またその資源生産性も持続的に収益を上げるにはどのタイミングで、どの材をどのように出していくか、冷徹な経営者の思想と同時に、森林をどのように育てていくかのグランドデザインを描くロマンが必要だ。

それが実現できない規模の森林所有者は、他業種との融合が現実的であろう。農業や酪農との融合はもともと当たり前に過去において行われてきた。

世論も含め、林業経営と言うと林業のみを対象にした0か1のデジタル的発想に陥っているように思う。

山への資本投下を希望している金融機関は多々ある。しかし林産の国内総生産が年間2000億円ちょっと。それに対してメガバンクの希望する投資規模は最低100億円。このようなミスマッチが起こっているのも、上記の現実に対する理解不足ではないだろうか?

……ええと、私の脳裏にあるのは、何も森林経営だけではありません。もちろん林業事業体にも通じるけど、どちらかというと、地域づくり的な団体かな。  念のため。

なぜか、徒弟制度とか丁稚を連想してしまいました。資本主義の時代にあってもいまだに機能しています。森林組合の作業班が会社として独立された方がいましたが、経営権がどうなってるのか興味あります。会社は起こしたけれど、ひょっとして組合の下請けなのかもしれません。経営権も支配されているのかもです。すくなくとも、いいアイデアがあってそれを実現するための自由な投資があってもいいかもです。
親方が弟子に仕事を教え、弟子は無給で働く。それもいいかもですが、それはちょっと。
ちなみに真剣じゃない経営者は沢山いますよ。真剣なのは銀行さんじゃないですかね。

いえ、徒弟制度だったり、無給で働いてはダメですよ。あくまで基本的な対価は支払われないと。

その上に、仕事上のプラスアルファを行うのが前提です。その分の対価が「感動」です。
またビジネスが成功することで、将来的に組織が成長して給与が上がるとか、勉強になるとか自己実現が果たせるとか仕事上のストレスがないとか、広い意味での対価は得られるでしょうね。
それがないと、「不機嫌経営」になってしまう。

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