このプログで幾度も紹介している日吉町森林組合の湯浅勲参事が、NHKの番組「プロフェッショナル」で、取り上げられた。
森林プランの作成や機械化林業などで仕事を創出し、コストダウンで利益を出してきた立役者である。森林組合の業務のあり方を大きく変えて、森林再生に尽力している。
おかげで森林組合は視察が絶えず、こ林野庁もこのケースをモデルに全国で森林施業プランナーの養成まで行っている。
番組を見て感じたのは、彼の孤軍奮闘ぶり(^o^)。たしかに日吉町森林組合は全国トップレベルの内容を誇るが、そこに近づける森林組合は極めて少ないことを感じさせる。
彼は「全体の1割の森林組合が変われば、一気に変わりますよ」と言っていた(この言葉、別のところで聞いたな)が、その1割に達するのがいつになるやら。
まあ、「プロジェクトX」の後がま番組だけに、なかなか感動的に盛り上げる。ただ、私なりに引っかかった点もあった。
紹介された改革の具体的な点は、「森林組合の現場・作業班の待遇を常雇いにして、職員と一体化すること」であった。これが劇的な効果をもたらしたことを語りつつも、ほかの森林組合にはなかなか取り入れられない点を映し出していた。
日吉町森林組合が、作業班全員を常雇いにできたのには訳がある。組織的にも危機感があったが、何よりも資金的余裕があったことが大きい。当時、ダム工事に付随して大きな公共事業を請け負ったからだ。そのことを抜きに、ほかの組合も常雇いにしろ、と言っても厳しいだろう。つまり、特殊ケースを無理に普遍化させようしている。先に記した「成功事例は失敗の種」になってしまいかねない。
実は、数年前、私も某政党の勉強会で、「林業を建て直すなら、森林組合の労務体制の改革から」と主張した。システムをいじる前に、人の持ちベージョンが高くならないと機能しない。残念ながら聴者(議員)はあまりピンと来なかったようだ。
しかし、今や派遣や請負業務の問題点が指摘されているのだから、いっそ法律で完全出来高払い制とか日給雇用を禁止したらどうだ? 職員との待遇差別にもっと切り込んだ方がよい。
閑話休題。
もう一つ気になったのは、日吉町内の森林の7割は整備が終えたと語られたことだ。残り3割に尽力しているそうだが、早晩終わるだろう。とすると、その後どうする? 日吉町外に出て行くだろうな。周辺組合とバトルか始まるかも。 また2度目の間伐と、主伐も始まるだろう。
番組では森を守るために間伐をする、という論調一辺倒だが、そもそも林業は木材を得るために木を伐る産業であることを忘れている。その点を一般の人は誤解されそうだ。
またナレーションで、切り捨て間伐は天然の森を復元するため……という意味の説明をしていたが、とんでもない間違いだろう。だいたい針葉樹は萌芽更新しないよ。
ただ番組では、そんなに制度や林業技術の問題を取り上げていたわけではない。むしろ道づくりとか間伐に関する湯浅氏の智恵にクローズアップしている。つまり、湯浅氏を描くのが番組の趣旨であり、森林・林業問題は二次的だ。だから、湯浅氏は、プロというより日本の森を甦らせるカリスマ・リーダーとして扱われていた。
たとえば番組では、湯浅さんが、間伐の選木や道の設計などを指導している光景が描かれていた。これがヤラセでなければ、こうした指導はよいのか。現場の実務は、作業班レベルの長がするべきであって、参事が口出していいのかなあ、と感じた。改革は「現場に責任持たせること」と言っていたセリフとズレを生じる。命令系統を飛び越えて口を出すと、後継者(次世代リーダー)も育たないでしょ。
小さな組織では、経営の長と現場作業の長が重なることはままあるが、今や「森林組合のモデル」の長である。ましてやテレビでその姿を映せば、影響力が出る。
そもそも、組織の長がカリスマになってよいのだろうか。
カリスマなんて、私のような仲間のいない一個人がなればよいのであって(~_~)\(-_-メ;)コラコラ 組織を率いる人間がなると、何かと副作用が出る。とくに部下は、カリスマには逆らえず、やがて組織が硬直する。
時折思うのだが、戦国武将の中で一番人気が織田信長。カリスマ性を備え、当時の常識を覆して改革を断行したことが理由だろう。しかし、信長の下で働きたいと思うだろうか。私はイヤです(笑)。いつもビクビクしなくてはならず疲れそうだもの。下手に反論したり使命を失敗したら、首切られる。
もちろん、湯浅さんは優しそうです(笑)。反対しても失敗しても首にはならないでしょう。
ただ、多様な形での日本の森の再生手法を許容される雰囲気がないと、またも画一的な森林再生モデルが、全国に喧伝されるだけだろう。
なお、近畿地方では、明後日6日のNHK番組・かんさい特集で「林道づくりの神様・大橋慶三郎」の番組があります。見られる人はお楽しみに。
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