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2009/02/27

カーネーションの父

2009年は、日本でカーネーションの生産が始まって100周年である。そして「カーネーションの父」と呼ばれているのが、土倉龍治郎である。

そう、名前から想像がつくとおり、土倉庄三郎翁の息子(次男)である。

今日は少し趣を変えて、カーネーション創世時代のご紹介。

1909年、アメリカ・シアトル在住の澤田氏が帰国の際にカーネーションを持ち帰り、東京に温室を建てて栽培し始めた。だが、栽培方法がわからず、生産も軌道に乗らないまま病没する。その後を引き継いだのが、土倉龍治郎だった。

彼は、台湾に渡り1万町歩の土地で林業を進め、また台湾で初めての水力発電所を建設するなど活躍するが、本家の傾きにより、すべての事業を三井家に譲渡して金を本家に差し出す。そして帰国後は東京に居を構えて、目黒に温室を建設、カーネーション栽培に乗り出すのである。

種子は、あらためてニューヨークの会社から取り寄せるほか、シアトルにいた弟・四郎から送ってもらったり、駐米大使の夫人となっていた妹・政子の手で輸入したりしたようだ。

その後、苦労して栽培方法を確立し、その技術を秘匿することなくオープンにした。それがカーネーション栽培の拡大につながるのである。また品種改良にも取り組んでいる。大規模な温室を経営してカーネーション生産を事業として成功させる。龍治郎の後半生は、こうして花卉産業に活路を見出し、それなりの成果を上げたのだ。

その後目黒の土地も、川上村の土倉本家に差し出す形となり川崎に移るが、1931年には大日本カーネーション協会を設立する。また「カーネーションの研究」という名著も記した。林業でくじかれた壮途を、可憐な花で取り返した、不思議な人生を歩んだのだ。
そして1938年に亡くなるが、その際には「カーネーション葬」でおくられたという。

ちなみに台湾では、「水力発電の父」として業績に光が当てられているし、帰国後もカルピス誕生にも手を貸すなど多方面に活躍するが、これまでカーネーション界では、謎の人物だったらしい。

実は、カーネーション生産100周年の記念誌を作るために尽力されていた方が、土倉龍治郎を調べている過程で、拙ブログに行き着いたそうだ。そして山林王・土倉庄三郎の次男であることがわかり、さらに存命の龍治郎の子孫とも出会うこととなった。末子の正雄氏は、記念式典に出席し、感謝状を受け取り挨拶したと聞く。正雄氏は、庄三郎翁よりも、父・龍治郎への思いが強かっただけに、感無量であっただろう。

そして私の手元にも、丹精した立派な記念誌が届いた。多少とも、龍治郎の名が世に残ることになったのは喜ばしい。

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土倉庄三郎」カテゴリの記事

コメント

こんばんは
以前土倉龍治郎のことを書いておられましたね。
「カーネーションの父」のこともその時おうかがいしました。
その時少し私なりにも調べてみましたが、すぐ壁にぶち当たりました。やはりご専門の方にお任せしようと、田中さんのご研究をお待ちしていました。happy01
今日のように時々お名前が登場するとうれしくなります。
どうぞ頑張ってください。
楽しみにしております。heart02

本当は、龍治郎の人生を追うだけでも一冊の本になると思っています。おそらく彼は、庄三郎の気宇壮大さと実直さの両面を継いだ人物です。

庄三郎の功績は、あまり知られていないと言っても、そこそこ記述はあります。ところが龍治郎に関しては、ほとんとと言ってもよいほど表に出ていません。今回の記念誌は、その中で一石を投じてほしいと思います。

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