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本の紹介

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2009年3月

2009/03/31

追加景気対策でスギ伐採?

自民党が、次の追加景気対策案を発表した。

その中に、「スギ花粉対策で東京近郊でスギを年間100万本伐採」なるものが紛れ込んでいた。3年間で300万本伐るのだそうだ。これで5000人の雇用創出になる……らしい。

よくわからん。

財源はどうする? といった一般的な疑問はさておき、なんでスギ伐採なのか?

しかも300万本というのは何か? なぜ本数で表現するのか?
300万本て、何ヘクタール分なんだろうか。間伐なら間伐率にもよるだろうが、なぜ面積で表現しなかったのか。

さらに言えば、なぜ東京近郊なのか。花粉症対策は首都だけのものなのか。
もっとスギの多い地域はあるじゃないか。スギにこだわるとヒノキ花粉症の人はどうする?

誰が伐採するのか。まったく素人に伐採できない。ようするに新規雇用ではなく、現在の林業従事者用に仕事を作って上げたのか。

そして伐採した木は搬出するの? 切り捨て? 出して売却するなら、またもや木材相場を狂わせるだろう。

と、まあ、わからないことだらけである。

ようするに自民党は、思いつきの事業を経済政策にしてしまったということか。

2009/03/30

森林セラピー基地の閉鎖

突如、北海道唯一の森林セラピー基地「山﨑山林」の閉鎖が伝わってきた。

拙著『森を歩く 森林セラピーへのいざない』でも、紹介しているのだが、ここはセラピー基地唯一の民間事業体。道東鶴居村の258ヘクタールに及ぶ森林を利用した基地なのだが、ここを所有・経営するのは株式会社北都である。

1日1組しか受け入れないという方針で、広い森林を独り占めできる感が魅力だった。加えてアイヌの遺跡や釧路湿原に面する立地、エゾジカどころかタンチョウヅルも出る環境だ。

閉鎖と言っても、森林セラピー基地の認定が取り上げられるわけではない。ようするに人を入れて案内する事業として行うのが難しくなったということだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/yamazakisanrin

これまで一人で切り盛りしてきたマネージャーは、今後山﨑山林の周辺部で個人の資格で森林セラピー事業を続けるという。無念だろうが、

なぜ、閉鎖なのか。実は、本業が厳しくなったからだ。

北都は、林業会社である。主にカラマツなどを道内の合板会社に納入していたようだが、それが金融危機で立ち行かなくなったのが原因だ。森林セラピー事業を支える余裕がなくなってしまった。不景気のあおりが、こんなところまで押し寄せるとは。

森林セラピーは、収益事業として維持するのは、非常に難しい。私か感じていた懸念は、まさに的中した。どう見ても、今のところは持ち出しだからだ。それは民間だけでなく、むしろ自治体の方が赤字額は大きいだろう。

これで民間には無理と判断されるのは悔しいが、私は、むしろ個人事業の方がまだ可能だと思っている。一人のガイドの食い扶持くらいならなんとかなるかもしれない。むしろ自治体主導の場合の方が財政的に大変になるのではないだろうか。

2009/03/29

フラメンコ

昨日は、神戸巡り。

近鉄奈良線と阪神電車がつながって、相互乗り入れし始めた。

奈良と神戸が乗り継ぎなしで結ばれたのだ。で、奈良人は大挙して神戸に行くが、神戸人は大阪難波で降り、奈良まで来ない……という現象が(笑)。そのうち奈良の人口は神戸に吸い取られて減るんじゃないか。

私も久しぶりの神戸を歩いた。友人のやっている日本最古のスペイン料理店でフラメンコダンスを見る。写真はリハーサル中だが、色っぽいよ(^^;)。008

                                                        

                                                      

そして夜も、飲み会に参加。

各所で『森を歩く 森林セラピーへのいざない』を宣伝しつつ、本を売った。行商である。

自己紹介の時間でも、本を紹介して「森を歩きすぎて、疲れたからタイ式マッサージに行く」話をしたら、すかさず「森で癒されていないじゃないか!」と突っ込んでくれて、美味しい。

でも、ラジオ局のパーソナリティが興味を示すなど、広告活動としては一定の成果を上げたかな。

2009/03/28

図書館に「林業新知識」

昨日、ちょっと地元の図書館に寄ったのだが、用事を済ませてロビーに出ると、そこに書棚があるのに気づいた。

ふと覗くと、なんと「林業新知識」があるではないか。

数少ない林業雑誌の一つで、全国林業改良普及協会(全林協)の発行だ。私は、ここの「現代林業」は取っているが、こちらは講読していない。たまに読む必要に迫られるのだが、一般書店にはなく、図書館だって滅多に置いていない。以前レファランスで検索したら、石川県の図書館にあります、という返事でがっくりきた。(現在は、奈良県立図書情報館にある。)

ところが灯台もと暗しで、地元の図書館にあるとは。

聞いてみると、寄贈雑誌だという。だからバックナンバーは保管してなくて、次号が届くと捨てているという……。思わず、「ください」と言ってしまった(笑)。それで切り替え時の4月1日にもらえることになった。

何も毎号ほしいというより、必要なときにバックナンバーを閲覧できる方が助かるのだが、贅沢は言うまい。
ちなみに、ほかにも多くの寄贈雑誌があった。行政関係の広報誌が多いものの、宗教?とか何らかの業界?関係誌もある。これって、図書館の表に出ない情報源だ。一般マスコミでは扱わない話題が頻出するので、面白いし仕事に使えることもある。

林業関係の情報は、非常に得づらい。全林協の雑誌以外では、論文誌とか林政ニュース誌がある程度だ。いずれも定期購読などしなくてはならない。最近はネットで探すことも増えているが、それだけでは得られない情報があるから、悩む。

最近は、メールで情報を寄せてくれる読者の方もおられて重宝している。これこそ一次情報なので、有り難い。

このブログを読まれている林業関係および森林関係の皆さん。知られざる情報を寄せてくださいね(笑)。

2009/03/27

『森を歩く』書評・奈良版

この3日間に奈良の新聞で『森を歩く』の書評が出揃った。

25日に奈良日日新聞。

26日に奈良新聞。

27日に朝日新聞奈良県版に記事。

感謝m(__)m\(^o^)/

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2009/03/25

田舎で働き隊!の広告

今日の朝日新聞に、「関東ツーリズム大学」と「日本アグリビジネスセンター」の広告が載っていた。

どちらも3分の1面を使い、カラー版。おそらく、ほかの全国紙でも載せられているだろう。全国区の広告だから、掲載料は何千万円かになるのではないか。

関東ツーリズム大学というのは、NPOなどの集まりで、事務局はNPO法人「えがわつなげて」が行っている。このNPOの代表理事は会ったことがあるが、なかなか愉快な人である。が、お金持ちというわけではない。またアグリビジネスセンターは社団法人。

この広告の内容は、ようするに農村体験や田舎への移住、農林業の人材養成の募集である。これは、農水省が始めた「田舎で働き隊!」の募集・宣伝なのだ。

おわかりだろう。こうした広告費は、全部補助金……委託事業費である。

田舎で働き隊!事業でついた予算何十億円かのかなりの部分は、こうした広告宣伝費に消える。本当の移住者や新規事業のために使われるのではないのである。関係者はウハウハだろう。
それにしても、この広告づくりは、どこに発注しているのだろうか。もしかしたら、随意契約という名の「お友達」会社かもしれないよ。

2009/03/24

紅白のスギ内装材

日本住宅・木材技術センターが、昨年3月に東京・新木場で国産材利用技術に関する発表会を開いたレポートというのが、ネットで見つかった。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/kenzai/20080421/518671/?ST=building

この記事のタイトルにもなっているが、私は、今後の木材の生きる道は、内装材しかないと思っている。量的には構造材が多く、今も国産材と言えば、そちらに生産が傾斜されているが、将来的に構造材需要が減ることはあっても増える要素はないと見ているからだ。

そして、木材の特質を活かすのは、直接木部を見て触れる使い方をしなくてはならない。構造材に必要な機能のほとんどは、別の素材で代替できる。なかには木材より優秀なものもたくさんある。

さて、そのつもりで記事を見ると、しょっぱなに載っている中西木材の「デザインウッド」に目が行った。写真を見てほしい。

スギ材で作った集成材なのだが、紅白(芯材と辺材)を交互に張り合わせて模様にしている。これまで紅白が混じった材は、嫌われてきたのだが、あえてデザイン化したのだ。そして、実際に素敵に見える。
国産材を使うと「和風になる」と嫌う施主が多いなかで、これは洋風にもマッチしそうだ。

こうした商品開発は、あちこちで提案されているのだが、なかなか普及しない。その理由は、施主が嫌がるからではなく、業者が嫌がるようだ。昔ながらの「紅白の材は低質」の概念が抜けないため、作りたがらない、使いたがらないのだ。
この壁を打ち破り、広くこの手の商品が出回ると、きっと木材需要が増えるだろう。

この記事の筆者は、そうは思わないようなのが救いだが、それでもひっかかる点がある。この商品の心配な点として、

「もう一点は価格。原料がスギなのに広葉樹並みの立派な値段が付いている。製造段階で人件費がかかるのであれば、赤い部分をチークなどの広葉樹にする選択肢もあればより良いと思った。 」

なんで、材料がスギだったら、広葉樹並の値段を付けたらいけないのだ? ましてや「赤い部分をチークなどの広葉樹にする」なんて、本末転倒じゃないか。売れるのなら高く付けたらよい。売れないならチークであっても安くすべきだ。

木材は、感性の素材だ。だから構造材よりも内装材であり、価格は消費者が決めるべきなのだ。

2009/03/23

森林療法は、里山か原生林か

毎日新聞の「余録」に、今森光彦さんが、第28回「土門拳賞」を受賞したことに触れて、「里山」を紹介している。

今森さんの受賞に関しては、「あれ、まだ取っていなかったの?」と思うほど順当だ。里山をあそこまで美しく表現した功績は素晴らしいものがある。実は、今日書いていたのは里山に関する記事だったもので、余計に考えさせられた。

ほんの少し前まで、美しい森と言えば「原生林」だった。人の手がはいらない世界こそ、美があるという概念が強くあった。だが、本当に人にとって美しく感じる景観、心癒される風景とは何かと考えると、原生林のような世界は少々きつくなる。混沌とした世界は、すぐに人を受け付けないのではないか。あるいは厳しく刺さってくるのではないか。
想像だが、重篤な鬱症状の人は、原生林で森林療法を試みない方がよいのではないか、とも思う。

逆に、里山を歩くと心穏やかになるが、刺激は少ないかもしれない。景色が概して静かだし、格別珍しいものを見ることもない。リフレッシュして、明日からの“戦い”に向かおうと思っているビジネス戦士?には物足りなく感じる人もいるだろう。

これは『森を歩く』執筆の際にも、悩んだところだ。歩いた森林セラピー基地には、原生林を活かしたところもあれば、里山景観のところもある。天然性二次林もある。木がない世界もある。それぞれを、どのように紹介するか、どんな読者がどの森に行きたくなるか、書き方によっては誤った森に誘導することにならないか……。

ちなみに、本書の担当編集者は、同行取材の際に、某基地の現地ガイドに「あなたには森林セラピーは必要なさそうですね」と言われたそうだ。たしかに、パワフルな人だからなあ(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)。よくぞ、森林セラピー本の企画をしたものだ。でも、当人は、「木のない草原の写真が好き」と言っている。案外……なのかも。

2009/03/22

吉野屋に木造店舗

牛丼の吉野屋。ここで展開する新店舗が、木造が登場しているそうだ。

平成20年度は、新規出店約80店舗のうち約90%を木造で建設したという。今年度も同規模の木造店舗(約80店)を建設する予定だ。ただ、それがどんな経営戦略なのか、詳しいことはわからない。

それにしても、吉野屋と言えば、この3月16日に「リターナル箸」という名の樹脂箸を全国に展開すると発表したばかり。ようするに割り箸を廃止するというわけだ。それにより原木換算で14000本を使わなくて済む…二酸化炭素を6345トン削減すると、自慢している。

その代わり石油(樹脂)を使うんだけどね。こちらの二酸化炭素排出量は示していない。

その一方で、木造店舗を増やしていることを、どのように説明するのだろう。こちらは、「森林の健全な育成のために」なんて言うのだろうか。割り箸廃止の言い分と矛盾するじゃないか。

まあ、私が「吉野屋」で牛丼を食うことはないだろう。

2009/03/21

生駒山半周

世間は3連休の中日。

私は丸ごと休んでいるわけではないが、午後は出かけることにした。

と言っても、車で出てから行き先を考えたのだが、生駒山を一周できないか、と思い付いた。まずは北に向かって、磐船街道を越えて大阪側(交野市)へ。そして星田の妙見宮へ。

地図もないから当てずっぽうに走ってたどりつくという荒技?だったが、ここの御神体は、巨石である。しかも祀っているのが北斗七星だという。ついでに流れている川は、天の川。なんだかデキタ話ではないか。事実、交野市では「星のまち」を売り物にしている。

その後、大阪側を南下するのだが、一気に渋滞に入ってしまった。信号は多いし、道は狭いし。時間的にも一周は無理と判断して、308号線で山を登り、暗峠を越えて帰り着く。ちょうど生駒山系の北半分を回ったことになる。南半分は次の機会にしよう。

……と、なんだか中途半端なドライブであったが、実はまったくの遊びではない。

ここだけの話(~_~;)だが、生駒山の本をつくろう、という動きがあるのだ。

みんなが生駒山に行きたくなる、歴史と文化を語る本。その執筆者として名乗りを上げるための下調べ……というより、イメージ力を高めるためのドライブであった。

まあ、詳しいことは今後になるが、生駒山の本なんて、関西でしか売れないだろうな。
でも、考えてみれば古事記・日本書紀から生駒山は登場する(それどころか、後の神武天皇を打ち破る)し、万葉集にも6首ほど読まれている。そして大阪の難波宮と奈良の飛鳥宮、そして平城宮にはさまれて、古代より歴史の舞台になっている山なのだ。もちろん中世、近世、そして近代・現代と話題に事欠かない。有名人も数多く関わっている。
また自然の面からすると、私が「日本最古の里山」と名付けた特異な自然が広がっている。しかも火山があったり、幻の河内湖があったりと、実に面白い。

……ここまで書いたら、全然「ここだけの話」じゃないな。

これを面白おかしく紹介できるか? 今回のドライブは、そのロケハンとイメージトレーニングになっただろうか。

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御神体の岩。

2009/03/20

もう一つの森林療法

今、森林療法という言葉が少しずつ市民権を持ちつつある。

その内容は、森林を散策したり森林内で何か軽い運動をすることで療養や教育、福祉に役立てるものだ。

しかし、この定義とは違う、もう一つの森林療法があるらしい。実はこのことを『森を歩く』執筆中に気づいたのだが、話が混乱するので触れるのは止めた。その話をここで記そう。

まず、森林療法という言葉を最初に使ったのは誰か。そして、どんな意味だったのか。

一般的には、現・東京農大の上原巌氏が使いだしたものである。

まず森林療法の原型としてのクナイプ療法がある。これはドイツで広がっている自然療法の一つで、クナイプという人か創始したからこの名が冠しているが、その中の運動療法は森の中を歩く。それを森林療法と呼んだのではないか……と考える見方がある。つまり、上原氏を名付け親とするわけだ。研究を始めたのが1993年だという。

これは、そんなに的外れではない。園芸療法や音楽療法など、さまざまな「療法」が世間に登場する中で、森林の保養機能の研究をしていれば、森林+療法という言葉を思い付くのは自然なことだ。

ところが、1983年発行の「森の不思議」(神山恵三著)の中に,森林療法という言葉が登場していた。この本は、上原さん自身が研究にも大きな影響を与えた本である。

そこには「ドイツのバート・ノイエナールで森林療法の名の元に」行われている療法があることを記してある。

ただし、その内容は、現在の森林散策的なものと少し違う。

森の中のバンガローに体を横たえて休み、たっぷりと森林の空気を吸い込んでくる、というものなのだ。

運動をするわけではない。むしろ神山氏の専門である大気療法に近い。

こちらの森林療法の説明は少なく、実態はよくわからない。しかし、まったく新しい造語ではなく、しかもやることも違った療法がもう一つあったことを覚えておいても、トリビアになるよ。

2009/03/19

森林療法は途上の学問

これまで幾度か記してきたが、森林療法・セラピーは、まだ途上の学問である。

まず、森林療法の効果は、それなりに認められている。その裏付けとなるデータも集まりつつある。血圧や心拍数、自律神経活動、ストレスホルモン(唾液中コレチゾール)活性、副交感神経活動。また免疫機能に関わるナチュラルキラー細胞の活性……。

いずれも有意差が認められる結果となっている。だから、科学者集団であるはずの森林セラピー研究会のメンバーも発表したのだろう。

ただ、よくよくデータを見ると、ちょっと心配だ。何百人も調べたとあるが、実は同じ時期に実験したのではなく、それところか森も違う。当然、被験者の条件も違う。森の種類も北海道から沖縄まで全然違う……。こういうのを一緒くたにして数字に変換してはいけないなんて、科学実験のイロハだろう。
かといって、一カ所の実験では12人の被験者しかいず、これまた統計的に耐えられない。

もともと条件のバラツキが多すぎる森林と人間は、実験データを取るのに無理がある。

だからといって効果がないというつもりはない。数字ではなくても、全体の傾向を読み取ることはできる。概ね、森林を歩くことによってリラックス効果と心身の活性化に役立っていると見て大きく間違っていないはずだ。

そこで、考えてしまうのは、やはり「なぜ効くのか」という原因だ。実は私も、その点にこだわった。

少なくても、「人類の歴史500万年のうち99%を森で過ごしたから」という理由で説明したくない。なんとなく納得する人もいるだろうが、疑似科学の世界だ。それこそ獲得形質は遺伝するのか? なんて議論に成りかねない。

そこで私も悩んで、そもそも「疲れとはなんぞや」という点から勉強するはめになった。
そして「脳疲労」という言葉に行き着いた。

それを本書には仮説として提示したわけだが、一つの考え方として受け取ってほしい。もしかしたら新たな説明がそのうち登場するかもしれない。

テンプレート変更(^o^)

見てのとおり、テンプレートを変更しました。

たまたま、このテンプレートを見つけて、なんじゃあ、こりゃ、と思ったら手が勝手にクリックしてしまった(笑)。

ま、春ですから。衣替えもよいでょしう。

2009/03/18

森林療法は、地域づくりの手段になるか

これは『森を歩く』の裏話にもなるのだが、最初の企画時に読者層を考えた。

私が設定したのは、「森林療法・セラピーで癒されたいと思っている人レスを溜めている人、何かに行き詰まり打開策を探っている人……」が読む本だ。内容も、森を歩くことで心身をよくするためのハウツウを含めた。

当たり前だと思われるだろう。森林療法をやりたい人向けに出版するなんて。ところが、そうでもない。これがなかなかの難物なのである。というのは、現実に取材するのは「森林セラピーを地域づくりの手段にしたい人々」が大半であり、話もそうした視点になりがちだからだ。彼らは、森林セラピーはビジネスとして成り立たせなくてはならないと思っている。
だが、その視点はセラピーを体験したい側と、まったく違うのである。

被体験者にとって、森林セラピーが地域づくりに役立つかどうかなんて、どうでもよいことなのだ。むしろ、そんなことを微に入り際に入り内幕を記せば、興ざめだろう。どうせ森林セラピー基地の人らは、おれらの懐を狙っている……なんて思ったら癒されるわけない。
だから、私も本書では、ほとんど触れなかった。

だが、取材先では経営手法について意見を求められることもあった。実際、全国各地の森林セラピー基地はもとより森林療法地を歩いて来たので、ミョーに評論家的・アドバイザー的になる(笑)。

でも、結論としては、森林療法・セラピーは、経済的な地域づくりにはならないのですよ。
みもふたもないことを書いてしまったが、原理的に無理。

だって、森林療法で受け入れられる人数は、限度がある。たくさん受け入れたら癒されない。一人のガイドにつき、せいぜい5人。たまにイベント的に10人以上受け入れているところもあったが、それでは本来の森林療法になっていないだろう。しかし、5人以下ではガイドに人数からも経済的効果は小さい。ガイドの日当がせいぜいで、それも本業をほったらかしにした代償になるか心もとない。

現在行っているところも、行政などの補助をつぎ込んだり、持ち出しが多い。もちろん経済ではなく、地域住民の意識を高める、ソーシャルキャピタルを高めることを目的とするなら悪くない。しかし、それも経営の裏付けがなければ、長続きさせるのは難しくなる。

結局、利益を上げて地域を経済的に潤すためには、森林療法・セラピーに付随して宿泊を増やす、グッズを販売する……などの手段がいる。地域のイメージブランド化も必要となる。しかし、そのためには客を迎える宿泊施設などのインフラが必要だ。グッズだって、そんなに売れるものはあるだろうか。

私は、各地を見て、いろいろ地域ごとにいろいろなアイデアは浮かぶのだが、簡単に紹介できない。いっそ、それを提供する森林セラピー基地経営診断士を旗揚げしようかと思ってしまうなあ(^o^)。

Shikanotuno

                                            

森に眠る鹿の頭骨

2009/03/17

ようやく書店で発見

これまで『森を歩く 森林セラピーへのいざない』を、書店で見たことがなかった。

生駒はもちろん、折に触れて書店が目に入れば、店内を一巡して探すのだが、全然見当たらない。角川SSC新書のコーナーはあるのに並ばないというのは、カラー版だから別のコーナーなのか……? と不思議。

で、今日は奈良市内の書店でようやく発見。

200903171635000                                                

平積みなのだが、残り2冊。それが周りの10冊以上積み上げられた塔の合間にあって、ほとんど目立たない。

そこで、一番端に移した。これで多少は目につくか。本当は先頭の列に移したかったのだが、そこはほかの出版社の列なので、遠慮した(^^ゞ。

残り2冊というのは、よく売れていると見るべきか、補充されていないと見るべきか。

ともあれ、店頭営業は続く。

2009/03/16

司馬遼太郎記念館

昨日、散歩に出て、なぜか東大阪の街をぶらついた。

駅前から菜の花がいっぱい並べられている。街角にも、プランターで菜の花がいっぱい。ちょうど黄色い花を満開にしており、すすけた下町が鮮やかな色に彩られていた。

そして寄ったのが、司馬遼太郎記念館。

私は熱烈な司馬ファンではない。読んだ本もさほど多くない。しかし、やはり興味のある人物だし、記念館には一度は来たかった。

それはフツーの住宅街の中に忽然とあった。だが、なかには菜の花がいっぱい。

Photo

そうか。「菜の花忌」だ。司馬遼太郎の命日(2月12日)は、菜の花忌と呼ばれているのだ。ただ2月では、まだ花は咲いていまい。暖冬の今年は、今が花盛りであった。

住まいの書斎が外から眺められるようになっているほか、隣に記念館がある。写真では平屋のようだが、実は地下式だ。

入ると、高さ11mの書庫がある。見下ろす形になる。

内部の写真撮影は禁止なので、パンフレットを掲載しよう。

Img017

これが見たかった。圧倒される本の壁だ。ここに2万冊あるというが、「イメージ展示」という言葉を使っているから、全部本物ではないのかもしれない。ただ、目の前の本は本物で、私が持っているものや読みたいものがあったので、思わず手に取ってしまいたくなった。図書館ではないんだ、と、気がつく。

実際は、自宅の書庫に6万冊あるのだそうだ。我が家にも書庫が欲しいと思っているだけに、羨ましいを通り越している。

案内のボランティアもいっぱいいるのだが、そのおばちゃんは、「本当にみんな集めたんでしょうかね」とつぶやく。「それを言っちゃあ、オシマイでしょ」と思わず突っ込んでしまった。

あと、天井のコンクリートに浮き出た染みを教わった。その輪郭は、ある人物そっくり。

問われた人の10人中10人が、「竜馬だ!」

2009/03/15

北欧バイオマスエネルギーの裏側

川崎汽船が、ノルウェーの木材ペレット供給会社バイオウッドノルウェイASと、ペレットの原料となる木材チップ輸送の長期契約を結んだというニュースを見つけた。
2010年12月から川崎汽船の木材チップ輸送船2隻で、北米や南米、アフリカなどからチップをノルウェーまで輸送するビジネスだ。年100万トン程度の輸送を見込んでいるという。それで木材ペレットを年間45万トン程度生産し、国内外の電力供給会社に販売する計画を持っているらしい。

ノルウェイを始めとする北欧の国は、バイオマス・エネルギー先進国とされている。とくに木材ペレットによる発電や熱供給が主力だ。林業が盛んで、大量に出る端材をエネルギーに変えるモデルケースになってきた。日本から視察にたくさん行っているはずだ。

だが、上記のニュースは何を意味しているか。

いまやノルウェイは、エネルギー用の木材を自給できなくなっているということだ。

ドイツに作られた巨大な木質バイオディーゼル工場でも、原料を集めるために広くヨーロッパ全域、ロシアからも木材を輸入していると聞いた。輸送距離が延びれば、輸送エネルギーも増え、おそらくCO2排出量も増えるだろう。

このことは、以前から指摘されていた。木質廃棄物を利用する手段としてのバイオマス・エネルギーとしてスタートしたはずなのだが、エネルギーがビジネスとして回転し始めると、もはや増減が難しくなる。安定供給するための材料が必要となるのだ。
そして、チップを輸入する必要が出てくる。同時に国内の林業でも、量産が課題となる。おかげで、いくら「持続的な森林経営」を看板に掲げても、過剰伐採が進んでいる。目先のエネルギー不足の解消のためには、背に腹は替えられない。

また金融危機などで木材需要そのものが細っても、製材等を止められない。製材量を減らすと端材も少なくなり、エネルギー供給が不安定になるからだ。
結果的に、製材や集成材も大量に作られるが、売り先に困ることになる。それらは、極端にダンピングして輸出される。とくに日本に……。かくして国産材の売行き不振は、いよいよ加速する。

さあ、どうする、ニッポン?

2009/03/14

『森を歩く』裏話3

『森を歩く』は、森の写真が豊富に掲載されている。

ところが、編集中に困ったことに気がついた。

写真選びの際に、デザイナーが選んだものの中に、微妙なものが混じっていたのだ。

紹介する写真は、基本的に各地の森林セラピー基地の森であるべきだが、基地の範囲が怪しいのだ。たしかに、その森は行った。私も歩いた。しかし、この写真の風景、本当に指定された基地の行政区? という疑問がいくつか出たのである。

たとえば、長野県信濃町の冒頭のシラカバ林。ヨーロッパ的で、しかもみんな一方向に根曲がりしている様子が不可思議感があって面白いのだが、どうもこの場所、信濃町じゃなかったはず……。さらにドイツトウヒの森も、たしか尾根伝いに走って……新潟県に越境したんではなかったっけ。

基地としてセラピーに使っている森なのは間違いない。だが、新潟県の妙高高原だった気がする。同じことは長野県飯山市でもあって、同じ森の中でも、どこかに県境があって、気がついたら新潟県側に越境している可能性があった。

森に線を引く必要はない、とは思うが、自治体主体のセラピー基地の場合は、ちょっと悩む(^^;)。

しかも、新潟県妙高市は、この写真とは別の場所で、森林セラピー基地に指定されているのだ。この県境一帯は、森林セラピー基地銀座……じゃないけど、結構密集地なのである。

そのほか、沖縄の項で使っているマングロープ林の写真は、国頭村内ではあるが、セラピー基地指定の場所ではない。これは、わかった上で掲載したものだ。同じく海の写真もそう。

海と森の連続を表現するのにマングローブを出したかったから、あえて撮影して使っている。それでも同じ国頭村内だから、許してもらおう。

本の写真を繰りながら、この写真はどこ? なんて調べてみると面白いかもよ\(^o^)/。

2009/03/13

「世界遺産の森林を守ろう基金」から考える

200903121422000                                                   

訪れたスーパーマーケットで見かけたポスター。「世界遺産を守ろう基金」

この場合の世界遺産とは、紀伊半島の熊野古道と参詣道のことだ。その一部は奈良県なのだが、和歌山県が熱を入れている。

このスーパーが和歌山の資本系列だからかもしれないが、和歌山県が仕掛けた寄付金募集だ。スーパーの一部の商品が、この基金に協賛している。それらを購入すると、いくらかが基金に寄付されるのだろう。

世界遺産と引っかけたところが特徴だろうが、最近は何かと「基金」というのが目に止まる。しかし、寄付と基金は、どう違うのか?なんて考えてしまう。

先のスーパーマーケットと基金の場合、消費者は、どうせスーパーでは何か買うのだから、その時に協賛マークを付いた商品を選ぶのはおかしくない。値段はほとんど一緒。多少割高だとしても、許容範囲に抑えるのがポイントだ。店は、それによって売り上げ増を狙うとともに、店が環境問題に理解のあることを示せば、イメージがよくなり、客の入りがよくなることを期待する。

三方(客・店・森)一両得というわけだろう。

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かつては行政が金を出せ、という声が強かった。それが財政難から絞られてくると、新税が登場する。もっともわかりやすいのが、森林環境税だ。地方税に上乗せして、金を取る。これって、正直言ってイヤらしいと思う。単なる増税だ。森林だけに使う、なんて、誰が信じられますか(-.-)。その分だけ、従来の自然関係予算を削るに決まっている。

次に寄付金を求める声が強まってきた気がする。趣旨に賛同して、とはいうが、本当に自分に何の関係もない人が寄付するだろうか。会社なら、背任行為だ。
たしかに世の中の不況とは別に金を持て余している人もいるようだが、それにしても熊野古道に関心がない人が出すとは思えない。結局、奉加帳を回すことにならないか。

しかし、それも限界だろう。出した後は、どのように使われても口出ししない、なんて美しい? 寄付の時代は終わった。そこで「基金」が登場する。

お金を支払う側としては、やっぱりメリットデメリットを考える。金を出すことによって、自分にとって何が得られるのか。

そこで考えたのだが、社会事業の資金調達法として、ちゃんとした出資を求める仕組みはできないか。

今回のような漠然としたものではなく、環境、福祉、地域づくりなど何かの事業を行うNPOなどの団体に、事業説明をさせて、その趣旨に賛同するとともに成功の暁には、何らかのバックを保証させるのである。

いわば株式投資と同じである。株主としての出資であり、金を渡したら後は礼状以外何もない寄付とは一線を画す。もちろん補助金のように報告書づくりばかり忙しく、内実何もないつかみ金とも違う。
ただ株式ではないのは、出資者への還元は、配当金や株の値上がりではない。

もちろん事業で儲けて、出資金より多く現金でバックすることも大切だろう。しかし別の還元の仕方を取る。そこがミソだ。
株式投資と違うのは、配当を「出資者の満足」で行うことだ。金を出せば、後は忘れる寄付とは違う。満足の中身は、詳しく具体的な契約書を作成する。

ちゃんと現金で返すのが難しい場合でも、何らかの効果を提示する。
たとえば広告的効果でもよいし、名誉を与えるという手もある。(名誉会長位なんてのを出すのも一つ)。出資額に合わせて経営者に意見を言う権利を付けてもよい。森を確実に美しくすることとか、原野を何年後に森にする、村への年間観光客を1万人増やす……なども考えられる。福祉なら、何人の人に喜んでもらったか、何人の雇用を生み出したか、といった「満足」配当を行うことも可能だ。

契約を守り満足させれば、出資金返還を放棄するというのもあり得るかも。

また出資者は、権利とともに義務も追う。事業に、いかに協力するかがポイントだ。成功したら、自分も儲かるし、失敗したら自分の目利きが悪かったことになる。そして投資先への強制調査権も持つ。

そうなると事業主体も、経営に邁進しなくてはならなくなる。おのずと真剣になるだろう。事業に失敗したら、夜逃げしてもらう(^^;)。個人財産で保証しろとは言わないが、なんらペナルティがないのはおかしい。

……こんな基金のシステムを、もう少し煮詰めてみたい。

2009/03/12

「意外と」売れている(^^;)

『森を歩く 森林セラピーへのいざない』の編集者と電話で話す。

「出足、好調です。意外と売れていますよ!」

おいおい、なんで「意外と」が付くのだ(笑)。

まあ、本音かも。実は私も、この手の本は、いきなり火がついて売れる本とは思っていない。森林の本全般がそうだし、今回はガイド本的要素もあるし、徐々に評判になればいいかな、と思っていた。ところが「意外と」出足好調だそうだ。

主に30代以上の男女に売れているという。男の方が、多めとか。

やっぱりストレスで疲れているのかな。この不景気で閉塞状態の社会では、ストレスもたまる。都会を捨てて、森の夢を見る人も増えているのだろう。

急ぎ、ホームページを作り直した。『森を歩く』のコーナーも作る。

いつも一章分の記事を掲載するのだが、今回は迷った末に「はじめに」と「あとがき」の二つを載せる。本文は、連続性が強い第一部と第三部は引用しづらいし、第二部は各地のルポだから、一地域を取り上げるのは控えた。

急ごしらえだがら、少しずつ修正していこう。

今週中には、全国の書店に並ぶはずだから、勢い付けばいいんだけど。

※追伸・今日(12日)の新聞(朝日ほか)に、広告が載りました。角川SSC新書の新刊広告です。
うち、カラー新書は2冊。その一方です。

2009/03/11

漫画のセリフで「木を燃やすとCO2」

たまたま立ち読みしたマンガ誌「ビッグコミック・オリジナル」。

その中に「黄昏流星群」という、中年から初老の男女を主人公にしたシリーズがある。私も、これに当てはまるかな……と身につまされているのだが、

今回の登場人物は、訳ありの旅館の女将。「薪で焚く風呂」を売り物に客足を伸ばしたという設定だが、そこでつぶやく言葉がある。

うろ覚えだが、「地球温暖化防止のためにCO2を削減しなくしゃならないのに、CO2を吸収してくれる木を燃やすようなことはいつまでもやってはいけない……」

う~ん。あくまで物語の中の小さな言葉なのだから、めくじら立てることではないかもしれないが、こういう考え方は、今も根強いのかしらん、と考えてしまった。原作者も、そう考えているのか。それとも作中の人物のセリフとして、後に何か訂正させるエピソードが入るのか。
おそらく、このセリフは、女将の学歴の高さ・頭のよさを説明するつもりで挿入したのだと想像するが、ちょっと的外れ。

たしかに、木は生長時にCO2を吸収するだろう。木を燃やすと、それらが発散するだろう。しかし、カーボン・ニュートラルという考え方もある。何より、薪を使わず風呂を沸かすとなると、やはり重油、あるいはガスなど化石燃料系を使うことになるだろう。そちらだってCO2を出すし、しかも、再び固定されることはない。

それとも、てんぷら廃油を使います、とか言うのかな(^^ゞ。

とにかく、木はCO2を吸収する
      ↓ 
木を伐って燃やすのは、CO2の吸収源を失う

という発想は、結局のところ、

木材を使うものはみんなダメ 
      ↓ 
林業は自然破壊産業

につながるのではないか。憂慮すべきか。

2009/03/10

Amazonの『森を歩く』にリンク

『森を歩く』、本日、10冊の注文が来たのでお届けしましたm(__)m
消費税抜きで、しかも別の本を1冊オマケに付けました。(今回だけのサービスです。いつもはできません。^^ゞ)
もし複数冊ご所望の方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。私の方から対処します。3冊以上になりましたら、送料も無料にします。

Amazonにも、掲載されましたので、このブログのサイドバーにリンクしました。もし、これから購入しようかと思われる方は、ご利用ください。たいていのネット書店でもOKになったようですね。

なお、『日本の森はなぜ危機なのか』のリンクも一緒に張りました。これまで絶版状態だったのでリンクしなかったのですが、このほど再版になったので注文可能になりました。合わせてご利用ください。

あと、自分のホームページにも、『森を歩く』のページを作らないといけないのだけど、こちらはなかなか進まない。ブログばかりやっていると、ホームページの作り方わすれちゃうよ。こちらも早急にします。

ただ、私自身は、まだ書店で見つけていないんだなあ。

2009/03/09

林業は儲かっている!?

今日は、大阪に出て、某県の人と長談義。

帰宅してからは、某林業関係者?からの長電話。

今日1日口にした言葉の90%以上が、林業関係のことではないか、と思う。

そこで話したのは、まず前提として「今の林業は元気がない」というところからスタートするのだが、その理由を不況のせいにできるかというと、ちょっと疑問だ。というのは、林業の仕事面では、むしろ忙しくなっているからだ。そして補助金はジャブジャブとつぎ込まれている。

実際、林業関係の補助金は、現場の人が使い切れないからいらない、と言っているのに押しつける状態だそうだ。たいていは間伐補助なのだが、ようするに国や自治体からは森林の間伐をしないと、二酸化炭素3・8%削減にカウントできないからである。

それにしても、いらないと言っているのに押しつけるとは、豪気な話である。

ただ不思議なのは、補助金でも何でも、これだけ山につぎ込んでいるのだから、それで山村の経済は多少潤っているはずなのに、そうした声は全然出て来ないことだ。少なくても仕事はたくさんある。ならば森林組合であろうと素材生産業者であろうと、森林所有者、あるいは「田舎で働き隊!」のような研修請負団体だろうと、お金は回っているはず。

お金が現場で働く人のところに分配されていたら、もう少しは林業に景気のよい話が出てきてもよいはずだ。そして山村の経済も多少は上向くだろう。

ところが、そうした声がないのは、山村の現場にはお金が落ちず、途中で抜かれているのか。抜かれるとしたら誰がどの段階で抜くのか。実は都会の企画会社? いや不在地主?  それとも山村のボス? 林業諸団体やその外郭団体に横流しされているのかもしれんなあ。

それとも、実はみんな儲かっているのに、そのことを隠しているのか。山村の鎮守の森の祠の下には、金の延べ棒が埋められている……なんて(^^;)。

2009/03/08

森林セラピー関係の資格づくり

書店で見つけたのが、この本。

004

                                                  

                                                

NPO法人森林セラピーソサエティが実施する「森林セラピスト」と「森林セラピーガイド」の資格検定制度のテキストである。

6月に試験があるそうだが、この資格にどんな意味があるのだろうか。
資格試験に合格しても、勝手にガイドとかセラピストとしての活動ができるわけではないようだ。まず森林セラピーソサエティへの入会、森林セラピー基地・ロード認定地への登録が必要となのである。登録認定地でしか森林セラピー活動はできないとある。それだけではない。登録してしても、認定地が設定している登録条件がバラバラなのだ。いや、肝心の登録条件を決定しているところが少ないと聞いた。

なおセラピーガイドとセラピストの違いも、よくわからない(^o^)。某氏からの情報によると、検定試験の内容は、森林セラピーガイドは全て4択。高校生レベルで、50%以上の合格率を想定しているという。森林セラピストは記述問題があり、レベルも高くなり、講習会では論文・実技試験・面接もあるそうだ。

これは私の予想だが、この資格を活用できるのは森林セラピー基地関連の人だけに限られるので、実際の受験者は活用というよりは資格マニアぽくなるのではないか? 自分を癒すために勉強する、自分に森林療法を施すために試験を受ける。

世には、全然仕事と結びつかない資格を持っている人が、結構いる。たとえばボイラー技師とか宅建とか危険物取扱……森林インストラクターも、それに近い。

ちなみに私は、『森を歩く』を書くために、取材だけでなく、実際に自分に施すための森林散策を相当回数行った。そして、何をしたら気持ちよいか、癒されるか(あるいは癒されないか、ストレスを与えてしまうか)確かめてみた。その中で体感したことを記したが、もう気分は森林セラピストである\(^o^)/。いっぱしの指導ができるつもり。

さらに森林セラピー基地経営診断士とか、森林セラピーメニュー・アドバイザーの資格も持っている。なお認定機関は森林ジャーナリスト協会(会員一人だけど)だ。

もし、取得したい人がいたら、申し込んでほしい。厳正な審査と試験の上で認定する。もちろん有料である。

2009/03/07

森林セラピーとパワースポット

今日は、生駒市で開かれた第5回「生駒山系歴史・文化フォーラム」に参加してきた。

このフォーラムは、生駒山系歴史文化研究会の主催で、私もその委員。ただし、母体が大阪府みどり公社だから、これまでの4回は大阪で開かれてきた。今回、初めて奈良側なのである。

とはいっても、今回私の出番はない。あくまで観客のつもり。内容的には、歴史的な講演のほか、生駒山で活動する団体の発表があったのだが、その中に

「心と体を元気にしてくれる生駒のパワースポット」というものがあった。

で、聞いていたらいきなり出てきたのが、森林セラピーなのである。生駒山を森林セラピーの場所として捉えようという提案・活動内容の紹介だ。森林セラピーという言葉は、商標登録されていることもあり勝手に使わない方がよいのだが、それはおいておく。内容的には、森林を歩くと、これこれの効果があるよ、ということを語る。ちょうど私の本に書いていることだから、妙な気分(^o^)。

が、ちょっと困ってしまったのは、同時に「パワースポット」という言葉を盛んに使うことだ。いわゆる風水の「気」の概念で使うのである。さらに波動エネルギーとか、「チャクラ」なんて言葉まで飛び出す。そして山や峰があったり、巨石がある、聖人にゆかりがある……ところにパワースポットがある、なんてこと言い出したのである(^^;)。

いやあ、困った。森林セラピーは、森林浴を科学的に証明することを目的に研究されているのに、ここでオカルト?と結びつけられてしまった。

私は、何も「気」を信じないとか排斥するつもりはないのだが、少なくてもそれを持ち出したら科学にはならないだろう。

でも、世間的には一緒なのかもしれない。そもそも森林セラピーの研究者だって、バイオリズムとか人類500万年の記憶などを持ち出して説明しようとしたり、「ここには聖なるエネルギーを感じる」なんて言い出す人もいる。私自身も沖縄の集落を歩いて巨木に出会った時は、ビンビン感じたもの。

案外、似たものなのかもしれんなあ。胡散臭さも含めて(^^;)オイオイ

2009/03/06

『森を歩く』刷り直し!

速報!

なんと、『森を歩く~森林セラピーへのいざない』を全冊、刷り直したという。

先に刷って、いよいよ書店への配送かと思っていたのだが、刷りの濃淡がずれたページのあることが判明。検討した結果、刷り直しが決まったという。もちろん、これは印刷所のミスなのだが、直前に振り直しとはすごい!

幸い、もう刷り終えた(早い!)ので、配本は間に合うという。

カラー版だから、やはり色や刷りの出来にはこだわりたいね。

ネットで検索してみたら、オンライン書店bk1に、もう載っていた(^o^)。

http://www.bk1.jp/product/03092617

なんと、角川SSCのサイトより早い!(まだありませんでした。)

私のホームページでも、早く『森を歩く』コーナーを作らないと。

2009/03/05

田舎で働き隊? 農林業だけやり隊?

相も変わらず、「農林業に向かう失業者や若者……」という記事が多いので、またこの話題で書こうかと思った矢先、ココログニュースに「農林漁業で働きたい人が急増中!」という記事タイトルが流れた。ココログというのは、このブログのポータルであり、NIFTYのブログのことだが、そこにあるニュース欄である。

で、書く前に参考にしようと、開いてみた。すると……
ブロガーたちの反応として取り上げられているのが、「出来杉計画」と「『だれが日本の「森と木と田舎」を殺すのか』であった……。つまり、拙ブログもネタ元だったのね。ちなみに「出来杉計画」は、拙ブログからもリンク張っているけど、林業やってるチェンソーアーティストの梶谷さんのブログ。

さて、気を取り直して。
実は先日、某農業組合法人を訪れた。そこでは、集落営農を請け負っていて、約21ヘクタールの田んぼを耕作している。ここの雇用は2人。そして大工(工務店)と一緒になって研修生の受入れを始めた。こちらには現在3人を入れている。住居を提供したうえ手当ても払いつつ、農業を教えているのだ。

そこで言うのは、「農業だけでは食べていけない」ことだ。

そこで建築も教える。春から秋は農業をして、冬場は建築を行う。家も建てられる農家、農業もできる大工、を養成しようという試みだ。どちらもものづくりであり、基本的な技術を身につければ応用が利く。もともと農家は、農業だけで食べているのではなく、副業を行いながら生活していた、という持論を実践していく場を作ったのだ。

副業は、建築だけでなく林業も土木も加工品づくりも販売も勤めも、なんでもあり。自然教室のインストラクターとかグリーンツーリズムも含めるという。

まさに百姓だ。百姓というのは、100の姓、つまり多くの仕事を持つ人のことを指していた。農業には100の仕事があるんだ、という解釈する人もいるが、本当は農業以外の仕事も多いのだ。

折しも、今日の参議院予算委員会では、民主党の主濱了議員が農政問題の質問をしていて、石破農水大臣と論戦を展開していた。
久しぶりに聞き応えがあったが、そこで奇しくも大臣が答弁していたのは、「農村は、常に副業で維持されてきた」という言葉だ。農業以外に土建や林業やあるいは村にできた工場に働きに出るなどして、総体としての収入を支えてきたことを語っていた。

そうなのだ。農業、あるいは林業、漁業だけで食べていく生活を描いては、おそらく大半は破綻する。

しかし、現在進められている政策は、大規模化など専業農家を優遇しようとしている。しかし専業でやっていくには、大規模化する資金とノウハウがなければ無理なので、個人の就農希望者には手が届かない。
そして「田舎で働き隊!」事業でも、その点を忘れているのではないか。農業の研修をいくらしても、それだけで食えないことは、地元の人が一番よく知っているはず。それを肝心の研修では、語られているだろうか。美しいきれいごとだけ見せるのでは、本当の研修ではないだろう。
農林漁業に新たに人を送り込みたいのなら、ちゃんと副業施策を付随させないと、棄民政策になりかねない。そして、就農したいと思う人も、農閑期には土木作業やってでも続けるぐらいの覚悟はあるのだろうか。移住先で、それを勧められたものの、嫌って都会に帰って来てしまった人もいたが……。

2009/03/04

『森を歩く』見本、届く

本日、『森を歩く~森林セラピーへのいざない』が届いた。1冊だけだ。

Photo                                                

角川SSC新書だと紹介したから、定型のデザイン表紙だと想像された方もいるかもしれないが、実はカラー版。この新書シリーズでは初めてだという。

実は、中もカラー写真がふんだんにある。写真のあるページは、全体の3分の1近くになるだろう。いずれも美しい森の写真が使われている(一部は、森ではないが。森林セラピーは森だけで行うものではないのだ。)から、写真集感覚で楽しんでいただきたい。

その代わり、価格は1050円になった。新書としてはちと高い(^^;)。

ついでに裏表紙も。

Photo_2 ISBN978-4-8275-5

まだ書店には並んでいない。東京の早いところで9日。一般で10日。全国に行き渡るのは、やはり20日くらいになるのではないか。
そういえば、奥付けの発行日は、3月25日になっている。

書店で見かけたら、ご連絡ください。
もし、9日より早く見つけたら、何かプレゼント! とか(笑)。

2009/03/03

『森・危機』増刷決定

平凡社新書の『日本の森はなぜ危機なのか』(略称・『森・危機』)の重版が決まった。

『森・危機』の出版は、2002年3月20日。なかなか好評だったのだが、数年後に在庫が底をつき、増刷されることはなかった。私の元に注文が寄せられる場合も、幾度かあったのだが、手元にだって数冊しかない。版元にせっついたものの、ゴーサインが出なかった。そのため長く絶版状態だった。

私の本は、『森・危機』に限らないが、爆発的に売れるのではなくて、だらだら売れる(^^;)タイプである。毎年、コンスタントに出て行くが、すぐには捌けない。版元は、まとめて出ないと増刷しても在庫をしばらく抱えることになるので嫌がるのだ。これは出版社の構造的問題であり、とくに近年強まっているのだが、私にとっては辛い傾向だ。

そこで私は、『森・危機』の続編を意識して執筆したのが、何を隠そう、『森林からのニッポン再生』(略称・『森ポン』)である。ただし書いているうちにテーマが広がり、さらにずれ、あまり続編らしくない内容になったのたが(^^;)。

それが、今頃増刷、というより重版となったのは、平凡社新書が今年10周年を迎え、既刊書の売れ行き良好書のセットを作ることになったから。実は、セットには『森・危機』以外に、『森ポン』、それに『田舎で起業!』も入っている。(こちらはすでに増刷されている。)

新書の装丁も変えるそうだ。私も内容をチェックして、多少手を加えた。

さて、どんなデザインで登場するか。楽しみにしておく。

2009/03/02

『森を歩く』裏話2

実は、「森林療法」をテーマに本を書かないか、という提案は今回が初めてではなかった。

そもそも私が森林療法なるものを知ったのは、2001年くらいだったと思うし、02年には雑誌の記事にして、03年に出版した『里山再生』にも一章を割いて紹介している。その数年後だと思うから04年?05年?に、この部分を膨らませて本を作らないか、という提案があったのである。

実際、私も少し動いた。現状を確認して、企画書づくりもやってみた。

……で、やる気をなくした(笑)。

理由はいくつかある。まず。森林療法は、現・東京農大の上原巌准教授が研究をしていたものが唯一無二の状態だが、その研究内容を紹介するだけなら、私の出番はない。彼自身が書くのがもっとも適している(事実、その後彼はものすごい勢いで何冊もの本を出版し始めた)。
一方で、林野庁が森林療法に目をつけて動きだした頃だったのだが、それがイマイチ怪しげだった(^^;)。森林セラピーと名を変えて研究会が作られていたが、何をしているのか、したいのか、現在進行形ゆえつかめなかった。
かといって、森林療法以外に「クナイプ療法」やら「森の幼稚園」とか「園芸療法」まで絡めて動きをルポしたって、読者は面白がるように思えない。絵空事の提灯記事も書きたくない。
また未完成のものを紹介するのもどうかと思う。実践しているところが、全国にほぼない状態だからである。

そんなわけで、投げ出してしまい、幻の企画になったのである。

そうした下地があった上で、角川SSコミュニケーションズを訪れて、新たに企画を提案されたわけだ。今回は、ある程度企画を固まっていて、その執筆者として私に白羽の矢?を立ててくれた形になる。

これまで出版された類似書のほとんどは、一般出版社というより林業関係団体やその周辺組織から出されていて、書き手も内部、つまり上原さんを始めとる森林療法研究をしている人そのものであるが、今回は外部の目で書くこと。
ようやく森林セラピー研究会のやっていることが固まってきて、実施している森林セラピー基地なども全国に誕生し、目に見えるようになってきたこと。
内容的には、森林療法・森林セラピー解説書ではなく、かといってルポでもなく、読者目線の一種のガイド本を意識しているとのこと。
テーマは、森歩きの森林セラピーに絞る。そして全国各地の実施地をルポすること。

そして、だいたい、こうした理由から受けることを決めたのである。その代わり、企画構成は任せてもらうことになった。

それが昨年の6月だったかな。

それから全国10カ所を取材することになったのだが、恐ろしいのは、出版日程が3月と決まっていたことである(笑)。

2009/03/01

『森を歩く』裏話1

とうとう3月だ。

3月10日には、『森を歩く ~森林セラピーへのいざない~』(角川SSC新書)が出版される。そこで出版記念に? 少しずつ、この本を執筆するに際しての裏話を書いていこう。また森林療法についても本に書き切れなかったことに触れたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず初回は、執筆のきっかけから。

珍しいのは、この本の執筆は依頼から始まっていることである。私の場合、書籍に関しては多くが私自身の企画によるものが多い。たまに大雑把なテーマで依頼されても、その後私の意見と編集部が摺り合わせて企画を作り上げる。

ところが今回は、いきなり大命題としての「森林セラピーの本を書きませんか」という依頼からスタートした。

この依頼があったとき、実は私は東京にいた。前日に全国町村会で講演を行い、その晩はホテルに泊まった。そして翌朝、チェックアウトする前に、ロビーのパソコンでメールチェックした。すると、いくつか雑報的なメールの中に、角川SSコミュニケーションズからの依頼が混じっていたのである。

私のその日の予定は、ホテル隣の国会議事堂見学(^^;)だけ。そして午後には帰る予定だった。そこで、その場で出版社に電話を入れた。幸い編集者はすぐにつかまり、その日の午後には顔合わせすることになったのである。

場所は神田。編集者は女性である。担当編集者が女性なのも、私には初めての経験だった。

もっとも、これですんなり決まったわけではない。実は私なりに森林療法、森林セラピーに関しては考えるところがあり、まだ承諾したわけではなかったからである。

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