森林療法は、里山か原生林か
毎日新聞の「余録」に、今森光彦さんが、第28回「土門拳賞」を受賞したことに触れて、「里山」を紹介している。
今森さんの受賞に関しては、「あれ、まだ取っていなかったの?」と思うほど順当だ。里山をあそこまで美しく表現した功績は素晴らしいものがある。実は、今日書いていたのは里山に関する記事だったもので、余計に考えさせられた。
ほんの少し前まで、美しい森と言えば「原生林」だった。人の手がはいらない世界こそ、美があるという概念が強くあった。だが、本当に人にとって美しく感じる景観、心癒される風景とは何かと考えると、原生林のような世界は少々きつくなる。混沌とした世界は、すぐに人を受け付けないのではないか。あるいは厳しく刺さってくるのではないか。
想像だが、重篤な鬱症状の人は、原生林で森林療法を試みない方がよいのではないか、とも思う。
逆に、里山を歩くと心穏やかになるが、刺激は少ないかもしれない。景色が概して静かだし、格別珍しいものを見ることもない。リフレッシュして、明日からの“戦い”に向かおうと思っているビジネス戦士?には物足りなく感じる人もいるだろう。
これは『森を歩く』執筆の際にも、悩んだところだ。歩いた森林セラピー基地には、原生林を活かしたところもあれば、里山景観のところもある。天然性二次林もある。木がない世界もある。それぞれを、どのように紹介するか、どんな読者がどの森に行きたくなるか、書き方によっては誤った森に誘導することにならないか……。
ちなみに、本書の担当編集者は、同行取材の際に、某基地の現地ガイドに「あなたには森林セラピーは必要なさそうですね」と言われたそうだ。たしかに、パワフルな人だからなあ(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)。よくぞ、森林セラピー本の企画をしたものだ。でも、当人は、「木のない草原の写真が好き」と言っている。案外……なのかも。
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