里山整備の陥穽
タケノコ堀りをしながら考えた。
生駒山の森遊び研究所も少し荒れてきた。かつて築いた階段が崩れたり、枯れ木が増えている。笹や草も野放図に繁っている。もともと冬の間に森を整備していたが、焚火事件のために、この森に通う意欲が減退したこともあり、今年の冬は何もしていない。
だが、このままだと荒れる一方だ。夏はきついので、今のうちに多少は手を入れなくてはなるまい。
ところで、里山の整備とは何か。
最近は里山ボランティアが流行っている。私も生駒市の里山ボランティア講座に協力していて、今年7月にも開くことになっているのだが、肝心の整備の仕方に根本的な問題を抱えていることに気がついた。
たいていのボランティア的里山整備では、下草を刈り取り、幼樹やら低木を間伐する。大木は残す。そして見通しのよい、見た目もすっきりした雑木林を作る。
なるほど、大木が点在して、その林間や林床がすっきりすれば、景観的には美しくなる。荒れた山を美しくした達成感も大きいだろう。
しかし、そうした林相は、あえて言えば人工林そっくりだ。スギやヒノキの大木を残して、ほかの木を無くした状態とよく似ている。だが、それが里山生態系にとってプラスだろうか。
本来の里山は、常に薪や木炭、あるいは用材として利用するために太くなった木から伐られた。おかげで森を覆っていた樹冠がなくなり、太陽の光は林床までよく射し込む。
すると草が生え、明るいところを好む幼樹が生え、それらを狙って昆虫類が増え、虫を餌とする鳥獣もやってくる。そこに生物多様性を増やす要因があった。また老齢になる前の木は、切り株から萌芽が出やすいので更新も進む。常に若々しい森林を維持できたのだ。
だが、今多くの地域で行われている里山整備の手法は、大木を残すから林床まで十分な光が入らない。逆に下草とともに低木を刈り取るということは、次世代の木を育てないということだ。大木となった老齢樹が枯れた後に、大きく伸びて取って代わる中層の木々をなくしてしまうのだ。生物多様性は十分に回復しないだろう。
これでは、本来の里山生態系を復元できない。むしろいびつな里山を作ってしまっている。もし、この状態で大木が枯れたら禿山になりかねない。かと言って大木を伐採した直後は、光がさんさんと照るため草ぼうぼうになり、景観的にはよろしくなさそうだ。
人は往々にして景観を重んじて生態系まで目を向けない。達成感も感じたい。その思いが、正しい里山復元活動を行えなくしている。そのうえ素人が大木を伐るのは危険であるから、簡単に大木を伐りなさいと言えないところにも問題がある。
さて、森遊び研究所はどうするかなあ。直径60センチくらいのコナラがたくさんあるんだよ……。
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