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森と林業の本

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2009/04/10

落枝裁判

尾瀬国立公園の木道で、折れたブナの枝の直撃を受け死亡したの遺族が、県と国を訴えた裁判の判決がでた。福島地裁会津若松支部は、「主因は強風であり、行政の管理が不十分だったとはいえない」などとして、請求棄却である。

この裁判で思い出すのは、十和田湖国立公園……だったかな。遊歩道を歩いていて、同じ落枝で半身不随になった女性の裁判。こちらは請求を認めた。よく似た条件で、まったく正反対の判決がでたわけだ。

その際にブログに書いたのだが、私の立場は、なぜ自然物の管理責任があるのだろうか、という点だ。両事件の細かな条件は当然違うだろうが、国立公園は管理する公園なのか。

法律論議はさておき、管理を求める市民が増え裁判が頻発すれば、おそらく役所はどんどん厳しくなり、自然との触れ合いも消えるだろう。

市民の多くは、公園という名に騙されているのではないか。都市公園、児童遊園ではなく、国立公園は自然の保護区域を示す用語だ。

いっそ国立公園、国定公園、さらに森林公園なんて言葉も使わない方がいいのかもしれない。そして自然と触れ合うには、リスクを負うことを伝えるべきではないか。

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コメント

一見、よく似た事例に見えますが、実際は異なる面もあるので、一緒に論じないほうがいいと思います。また、裁判を起こすこと自体を「ケシカラン」というような論調は、いつも冷静な田中さんらしくないなぁ、とも感じます。裁判を起こす権利は、誰にでもあるのですから。これはとても大事な話です。トンデモな内容は裁判所が棄却する、、、それだけの話です。


そもそも裁判があると役所が萎縮するから、、、というのは、以前、冒険論を熱く語っていた田中さんからすると、話が逆立ちしているように見えるのですよ。だって、「事故があるとみんなが迷惑するから行くな」というのと同じ論理ですから。


私は裁判をいくつも傍聴していますが、リスク感覚がないから裁判が起こるわけでもないのです。事故後に対応した関係者が酷い言葉を吐いた、、、とか、そうしたことが原因で、裁判が起こることも多々あります。そして、その辺は、こうしたマスコミ報道にはまず載りません。

私も、両事件そのものを論じるつもりはありません。
ちょっと書き方が悪かったかもしれませんが、根本は「管理責任て、ナンダ?」という疑問です。

おっしゃるとおり、裁判起こされて萎縮する役所が悪いという言い方もできるでしょうが、逆に役人も裁判を起こされないよう、異常な管理強化につながるケースも多い。私の身の回りでも起きて、それを跳ね返すには、尋常じゃない努力がいる。

また、関係者の心ない言葉で裁判に発展するという事例は、私も耳にするのですが、やはりこれは本末転倒ではないかと。裁判は、言葉のマナーではなく、法的な事実関係を裁くわけですから。

 そういえば、奥入瀬渓流の判決を受けて、人が集まる森林の安全管理についての文書が、国から送られてきてました。
 しかし、オーバーユースに悩む森林の管理者にすれば朗報かもしれません。「仕事も無い、食べるにも困る人が多いこのご時世、遊びに来た人の安全管理のために税金を使うことはできません。よって立入禁止とさせて頂きます。」立派な言い訳ができてしまった。公園の遊具で怪我をすれば、遊具を撤去する時代ですからね~。
 管理、管理って裁判するのに文句はないんですけど、結局、自分で自分の首を絞めていくような気がします。スポーツの世界では「怪我と弁当は自分持ち」って名言があります。今の世の中は「怪我も弁当も他人持ち」なのかもしれないですね。

尾瀬や奥入施の事故については、この際切り離しましょう。それぞれの事情や判決要旨を十分検討したわけではないですから。

まず、公園は完全な安全を求めるべき場所か。自然をリスクがないまでに管理を求めるのが公園なら、優れた自然の保全のための土地を「公園」と名付けることに問題を感じます。
同時に事故後の対処法も問題になる。遊具の点検を十分にする方向ではなく、撤去に走る役所は多いのではないでしょうか。

自然界で降りかかるリスクは自己責任というのが私のスタンスです。だから冒険は自己責任でするものであり、裁判に馴染まないと考えます。

人は多様ですから、マナー論や精神論、価値論を述べても、裁判を起こす人はなくならないですし、裁判を起こすこと自体を問題視するのを止めましょうと、と言いたかったのですね。


私は「マジョリティの常識」というのを信じているほうなんですね。

先日、野球観戦中にファールボールに当たって損害賠償の裁判を起こした方のニュースが出ていましたが、おおかたの反応は、観戦者の注意不足でしょう、、、というものでした。野球観戦といったより安全が求められる領域においても、ごく常識的な反応をする人のほうが多い、というのがその例証です。

では、実際、自然公園内での裁判が一体どのぐらいあるのでしょう。数例しかないのではないでしょうか? つまり、木道で転んで骨折したり、捻挫したりしても、木道の整備が悪いと裁判を起こす人はほとんどいない、というのが実際ということです。


裁判を起こされると役所がより保守的になる、、、というのは、よく分かります。でも、裁判というのは、判決までいってナンボですから。裁判が起きただけで、萎縮するというのは、リスク管理というものをわかっていないと言わざるを得ないですよね。裁判が起こること自体もリスクなのですから。

それが役所・役人というものだ、と言われるのかも知れませんが、であるならば、役職に相応しい物事を捉える視点も能力も持っていないのですから、自然公園の管理も、民間に任せたほうがいいのかもしれません。


あと「公園は完全な安全を求める場所か」といったような二分法のテーゼの立て方は、議論を不毛なものにしますし、そもそもリスク管理の視点に立てば、そのような文章はでてきようもありません。

「自然公園には危険なところがあるものだ」がスタートなのではないでしょうか? その中で、どの程度の管理が必要(必要ないという考えもある得る)であり、どのような方法が妥当であり、それをどのように利用者に伝えるのか、、、など具体的な方策が議論されるべきでしょう。実際、今回の裁判でも、そうした具体論が検討され、請求棄却という判決に至ったのですし。

最後に、冒険に裁判は馴染まない、と書かれていますが、そうしたことを言いたかったのではないのです。最初のコメントを再読頂ければ幸いです。

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