小江戸
今日は埼玉の川越を訪れた。霧雨降る中歩いたが、小江戸と言うより、なんだかレトロ昭和ぽい。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
熊崎実ほか編: 森林未来会議―森を活かす仕組みをつくる
現役林業家、研究者、行政万……など10人の著者が、日本林業の問題点を分析しつつ、未来に向けての処方箋を示す。海外事例も含め、希望を語っている。
有坪 民雄: 誰も農業を知らない: プロ農家だからわかる日本農業の未来
消費者はもちろん、学者も官僚も農家自身も、農業について全体像をつかんでいない。だからピンぼけ……。これは林業にピタリと当てはまる!
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
谷 彌兵衞: 近世吉野林業史
吉野林業の誕生から江戸時代までの発展の歴史を緻密に描く目からウロコの著
田中隆文: 「水を育む森」の混迷を解く
森は水源涵養機能がある……と古くから唱えられてきた。しかし、科学的に証明されたわけではない。人々の思想や政策の方が先んじている。その歴史的展開と、野外科学のジレンマに焦点を当てる。
ヨアヒム ラートカウ: 木材と文明
人類と木材、ひいては森との関係を壮大なスケールで描いた大著。ヨーロッパが中心だが、目からウロコの記述がいっぱいである。
清和 研二: 多種共存の森: 1000年続く森と林業の恵み
最新の生態学の知見から林業のあり方、今後の進むべき道を提言する。多様性豊かな森こそ、安定していて収穫も多いことを思い知る。
村尾行一: 間違いだらけの日本林業 ―未来への教訓―
村尾林学の決定版! 眼からウロコが落ちるだけでは済まない。これまでの林業観を否定をして受け入れるか、読まなかったことにするか……。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
太田 猛彦: 森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)
森林水文学の視点で、日本の森林事情の変化が国土にもたらした驚異的な影響を語る。もはや森林だけを論じている暇はない!
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
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今日は埼玉の川越を訪れた。霧雨降る中歩いたが、小江戸と言うより、なんだかレトロ昭和ぽい。
28日の「クローズアップ現代」で、木くずで発電することによって、CO2削減をめざす動きを紹介していた。カーボン・ニュートラルの理論を紹介して、建設廃材による木くずを発電に利用するものだ。
ところが、木くずが足りなくなったので、林地残材に目を向けた。横行する伐り捨て間伐によって無駄にしている木材が2000万トンもあることを指摘しつつ、この未利用材を燃料にしようというわけだ。もっとも伐出コストがかかるため、おいそれと実施できない。
そこで解決策として登場したのが、カーボン・オフセットの考え方だ。
……ここまで紹介して、気がつくのは、このブログで論じてきた「伐り捨て間伐」問題と、「カーボン・オフセット」が見事に登場していること。
なんというタイミングの良さ(笑)。まるでディレクターが、このブログを読んで番組を作ったみたいだ。
え? 私が、NHKの動きを知って先に書いたんじゃないかって? そ、そんな、そんなことないよ。ないない。絶対ない(笑)。
ま、細かな点をつけば問題点もあるのだが、わりとうまく全体の考え方や各所の動きを整理して紹介していたという印象を持った。
さらに発展させて、私がバラ農家で見たカーボンオフセットの考え方を、山村のような小さな自治体が行うことで苦しい自治体の財源にできる可能性も出てくるのではないかと思った。村上げて、木材などバイオマスのコジェネレーションを実行するなどしてCO2の排出を削減し、その量を売るのである。
以前、「森のゼロエミッション構想」(自治体内のエネルギー消費量と、自然エネルギー生産量を均衡させる)という夢物語があったが、金につなげれば実現性が具体化して見えてくる。
でも、CO2削減量を買い取れる企業って、そんなに多くない。買い取る量も限られている。結局、早い者勝ちかな。
このところ、また多くの出版社から「著作許諾申請書」が届く。
それは国語の問題集を作る会社から、拙著の一文を問題集で使いたい、あるいは入試で使われた問題を収録したい、という依頼である。今年は異常に多かった。春に一陣が来て、今は二陣という感じ。
使われる文は、圧倒的に『森林からのニッポン再生』と『割り箸はもったいない?』が多く、引用部分も、かなり似通った箇所が多い。しかし、たまには古い本もまったく意外な箇所を使用している。なかには前書き文とか、最後の提言部分とか、こんなところ、問題になるの? と思わせる箇所があって驚かされる。
さて、以下の問題は『里山再生』からの引用。中2向きの]入試予想問題だ。わりと古い本なのに、よく発掘した。
私は、自分の文章で作られた問題を解くのは恥ずかしいので見ないようにしているが、今回は少し読み返した。で、答は……考えないことにする(笑)。下手に答え合わせするのが怖い。
問題を通してとはものの、こうして拙文を若い人に読んでもらったことが記憶に残るかどうかはわからないが、多少の影響はあるだろう。感謝しなくてはなるまい。
島根県の奥出雲に来ている。写真は、金属製のヤマタノオロチ。たたらの国だ。
先日、NHKの某地方局のディレクターから、電話取材を受けた。声からすると、まだ若手のような女性である。
それによると、森林関係の番組づくりを始めているが、「荒れた森林」とか「森林整備」という言葉が当たり前のように出てくるが、これはどんな状態をいうのか、という質問が出た。
これは林業、あるいは森林問題の根源的質問である(笑)。
たしかに、何をもって「森が荒れた」というのか。
また「森林整備」と言えば、間伐と相場が決まっているが、なぜそれが整備になるのか。
本当に間伐は必要なのか。よい間伐とは何か。
森林が荒れた場合の問題は、土壌流出や土砂崩れなど砂防的な面だけなのか。
そして「よい山」とは何か。
……いずれも、簡単に答えられそうで、結構奥の深い命題である。
私も、こうした根本をつくような問いを投げかけられると、ちょっと焦る((^^;)。かなり慎重に答を考えた。それなりに答えたが、はたして……?
それにしても、こうした点から悩みだすと、番組づくりも難行しそうな気がするなあ。
単に、森が荒れているから大変だ、なんとかするため間伐推進! と煽る番組では、国の思うつぼだ。なんとか乗り越えて、視聴者が、なぜ日本の森は問題を抱えているのか、自ら考えるような番組を作ってほしい。
ところで私の回答はともかく、森林に関心の深い皆さんも、ぜひ回答を考えていただきたい。
生駒山が、バラの産地であることを知っている人は多くあるまい。
奈良側の平群町にはバラの温室栽培を行っている。何も園芸でバラの庭園を作っているのではなく、切り花として出荷しているのだ。年間250万本を出荷する堂々たるバラの産地なのである。
ここでは約100種類ものバラを20棟ばかりの温室で栽培している。加温して年中出荷できるのが強みだ。
ところが、昨年、一昨年からの石油の高騰で、経営が苦しくなった。重油の値段がウナギのぼりになったからだ。温室栽培は、暖房など温度管理が生命線である。
そこで考えたのが、電気によるヒートポンプ式冷暖房に切り替えること。電気代は、重油代よりは安くすむ。そこで1基何百万円もの電気ヒートポンプに替えたのである。
すると、金融危機以後の石油価格の暴落で、また安くなってしまった……。
ところが、そこに神風的アイデアが生れた。それがカーボンオフセットだ。重油を燃やすより、ヒートポンプはCO2の排出が少ない。電気だって重油による火力発電だろうけど、効率が違うし、直接熱を発生させるのではないからだ。
ここにカーボン・オフセットの可能性が出てきた。排出を減らしたCO2を売ることができるのだ。電力会社は、CO2排出削減ノルマがある。自前の削減だけでは限度があるから、他者から買い取ることでカバーしようとしている。そこで減少したCO2量を金銭換算でバックしてくれるわけである。
しかも、電力会社側からすれば、ヒートポンプを導入して電気を新たに買ってもらえるお得意様にもなってもらったわけだから、売上が上がる。一方的に金を払うわけではない。カーボン・オフセットの取引は、たいした出費ではないのだ。
これでバラ農家は、出費増を抑えることができた。なかなかのアイデアである。
こうしたアイデアは、林業界にも応用してほしいものである。
重機をみんな電気自動車にするとか(^o^)。それはさすがに無理か。
だが毎年太る木の蓄積量を測定して公表するくらいの努力は必要だろう。施業も工夫して、無駄な作業を減らす。それは森林認証の取得にもつながるはずだ。伐り捨ての間伐材(腐って、CO2をまき散らす)を減らして、どれほど有効な木材製品にして世間に販売したかという指標があってもいいのではないか。
忘れたころの、土倉庄三郎ネタ。
目先の仕事に追われて遅々として進まない作業だが、またもや庄三郎の子孫の方より連絡があり、また新しい情報を得られそうな予感がする。少しずつでも進めないと。
と思って、庄三郎の講演録を読み返している。
これは、旧仮名遣いの上に漢字カタカナ文で、しかも句読点が一切ない。行替えも極めて少ない代物。おまけに、しゃべった言葉をそのまま起こしたらしく、言葉の繰り返しや詰まった言葉まで記述している。それだけに本人がしゃべったままということで正確さに期待が持てるのだが、極めてよみにくい。
それでも拾い読みしているうちに、重大な発見をした。
「支那ヲ視察シテ何心ナク鴨緑江ヲ流ス材木ヲ見ルト……」という文節が登場したのである。
それまでもアメリカや中国の森林事情を語っていたりしているのだが、それだけなら聞き取りの可能性がある。が、ここにははっきり「視察して」とあるのだから、自ら訪ねたことになるではないか。それも鴨緑江を見たというからには、朝鮮半島から中国領に入ったことを示すだろう。
土倉庄三郎が、海外に渡った記録は、これまでなかった。すると、新発見だ!
庄三郎研究に新たな事実が……と感激してしまった。まあ、土倉庄三郎を研究している人が何人いるのか、この事実を知って感激してくれる人が果たして世間に何人いるのか、定かではないけれど(^^;)。
以前から感じていたことだが、補助金で作られた施設・設備は、無駄に立派だ。
その施設・設備が必要だとするのは一応わかる。だから補助対象にもなったのだろう。が、こんなに立派にする必要があったの? と思える場合が多々ある。
機械類は最新で、使い勝手のよい設備なのかもしれないが、厳密にコスト計算すると、設備ほどには利益率が上がっていないことがままある。
これは経験則でもあるが、他人の金(補助金)を使えるとなると、どうしても財布がゆるむ。限度額いっぱい使おうとする。この際だからと、欲しいものはなんでも手に入れたくなる。現在の事業に必要な設備と、「あったらいいな」の設備は違うのに、区別しなくなってしまうのだ。
これは採択する側の問題でもあって、限度額までなら鷹揚なのだ。こちらが節約する提案をしても、好まれない。出した金は全部使ってくれ、と言わんばかりだ。
以前、大手の製材会社を訪ねて、その工場を見せてもらうと、ビニールハウスがあったので驚いた。その中に機材や製品が並んでいるのだ。つまり、ビニールハウス工場。
それは、単に買収した敷地にあったものを再利用しているのだという。さらに、やたら天井が低い工場もあったが、これは靴工場を買収して、そのまま使っているのだそうだ。製材工場にありがちな、巨大で天井の高い空間はない。
その会社には、規模の割りには事務所も小さく社長室だってなかった。
コンサルタントは、この点を高く評価していた。設備を無駄なく活かして、同時に無意味な設備も作っていないからである。そのコンサルに言わせると、看板とか社長室が必要以上に豪華なところは、事業体として危ないのだそうだ(^^;)。それを経営診断の材料にするという。
バブル崩壊に続いての金融危機である。日本の経営者にとっては、よい勉強の時期が続いている。無駄に気づいて、いかに削れるかが生き残りの鍵だ。オーバースペックを抱えることは、「大は小を兼ねる」とはならず、設備が大きく・多くなれば、維持管理の支出も増えるだろう。それは経営上の重荷となり危険なのである。
ところが、一度ゆるんだ財布は、なかなか締められない。世間は不況でも、自分のビジネス環境はそんなに悪くないと思い込んで緩めたまま支出する。「あったらいいな」の気分のまま、不急の投資をしてしまう。そんなところからは、早めに逃げ出した方がいいよ。
埼玉県飯能で、山林の立木にICタグを付けて、生育状況や品質を管理しつつ、産地証明にも生かそうという試みが始まった。東京大学生産技術研究所のグループと科学技術振興機構(JST)が共同で2年かけて実験するようだ。
具体的には、樹齢90~100年のスギ・ヒノキ500本にICタグを装着し、GPSによって立ち木1本ずつの位置を地図上に示す。そして樹種や直径、品質等級、手入れの履歴などの情報をICに打ち込んで、生育変化も定期的に更新する。
一方で建築業界から注文を受けて、仕様に合った立木を選び出し、製材から工務店納入までスムースに流す。いわゆるトヨタ自動車の“かんばん方式”を取り入れるわけである。
……というニュースが流れた。まあ、この仕掛け人は知っているし、このプログにも以前からコメントを寄せていただいている人なのだが……(^o^)。
私が思うに、このシステムの肝要は、立木を換金しやすい形の“在庫”として管理できることではないだろうか。これまで在庫といえば、原木市場だったり製材所やプレカット工場などが溜め込んでいるものだった。その情報は一元管理されていないから、注文があってもスムースに流れない。しかも保管料的なマージンが発生して製品価格を上げてしまう。
だが、立木のまま山林に生えていれば、在庫管理料はかからないだろう。それでいて、情報を完全につかんでいる。だから担保価値が生れて、融資にも使える。すると山主の資金繰りにも役立つ……というわけだ。(間違っていたら、指摘してね)
これまで山林=立木は、ほとんど資源として管理されて来なかった。どこにどんな木があるかは、山主もしくは山守の記憶に頼っていて、それも大雑把。一山いくら、という売買がされてきたのは、そんな理由もある。
だが、一本一本にちゃんとした情報を付けつつ管理できたら、真っ当な取引の舞台に載れるだろう。実は、これこそ証券化などを可能にする基礎条件だ。言い換えると、情報を持つ立木は、価値を明確化して金融機関も扱えるようになる。たとえば住宅ローンと組み合わせることもできるのではないか?
かつての「山林の価値」とは、実は立木の価値であった。土地はあってなきがごとしである。ところが今では山林とは土地、つまり不動産として扱われてしまう。それが不幸の始まりだったような気がする。土地として見れば、里から遠く、急傾斜の山なんて、価値は低い。
だから立木が不動産ではなく、動産的な扱いを持てるようになれば、生きた山林の価値が再び生れるかもしれない。
地方銀行よ、これを前提に金融商品を作ってくれ(笑)。
もちろん現段階では、ICタグを付ける立木は、銘木と言われるような個別の木に限るようだが……。全山の立木にICタグを付けて、山の価値を弾き出せるようにするのは、まだ難しいだろうか。
自民党が「木材利用推進法案」が議員立法として国会に提出したらしい。
地球温暖化防止や地域活性化を目的としているようだが、「国全体で木材利用を積極的に推進する体制を構築」するために基本理念や施策を定めるものだという。
項目を並べてみると、
(1)国と地方公共団体による木材の耐久性などの研究と国民への周知、利用に関する技術開発の支援
(2)利用促進のために建築基準法の見直しや緩和
(3)木材を利用した住宅や学校、ガードレールなどへの支援
(4)木質バイオマスへの利用やエネルギー利用への支援
ふ~ん、といった気分。わかったような、わからない内容だ。正直言って、いずれも今更……と思ってしまう。というのも、すでに各自治体では行われている内容ではないか。
たとえば(3)は、すでに各地で行われている。
これは、高知県で見かけた木のガードレール。これは四万十条例によって作られたという。ほかにも、鳥取県も進んでいたし、各地にある。ただ、ガードレールにもいろいろな規制があって、なかなか広がらない。
これを国道に設置することができるようになる? でも、そうした具体的な法律ではなさそうだ。
また木の学校は、秋田県能代市で進んでいるそうだし、先進事例は数多い。
私は法律論についてよくわからないが、基本理念というものは、法律で定めるものなのだろうか。考えてみれば憲法もそうだが、その憲法は解釈次第で180度違う行為が可能になる。だったら、木材利用推進も、解釈次第で……と思ってしまう。
具体的な施策を推進するためには、何よりも規制緩和だろう。現状では、いくらアイデアが出てきても、それを実行するまでにがんじがらめの規制に苦しめられ力尽きてしまうことが多い。
ところで今度は、自民党に「電力・森林連携事業促進議員連盟」(太田誠一会長)がこのほど、発足したとか。
未利用森林資源の回収、搬出コストの課題に対して、電力エネルギー代替需要を創出する制度化へ取り組むことでなんとかして、資源の有効利用とともに国際的なバイオマス戦略につなげようという考えのようだ。
自民党も、林業関係の議連を作ったり法案を作ったりと、少しは森に目を向けだしたようであるが、素人の思いつきに終わらせぬように。
今日は、ただ会議に出席のためだけに福知山まで往復。約5時間を列車の中で過ごした。
結構疲れてしまう。でも、列車に揺られながら本が読めた。
農協の大罪 「農政トライアングル」が招く日本の食糧不安 山下一仁著 宝島社新書
元農林官僚が執筆した、農協、農林続(政治家)、農林官僚の作り出した日本の農政をえぐった作品である。
林政を考える際に、やはり大枠の農政のことも知っておくかな、という気持ちで手に取った。そこに描かれているのは、強烈なトライアングルのカラクリだ。
日本の農業がダメになったのは、何より農協が「脱農業」を推進したから。それに乗っかった政治家と官僚組織のていたらく。農業を立て直し、国の財政の負担も減らし、農家のやる気と手取りを増やす施策はあるのに、それは常に実行されない。なぜなら、その施策では農協が儲からないから。
……ここに書かれてあるのは、私にとって全く知らなかった事実ではない。大雑把に把握していたし、さもありなん、でもある。それでも現場からの告発だけに読みごたえは十分。
ま、文章は官僚臭さが残るし、戦前・戦後の官僚を讃えるのもどうかと思うが、読ませる迫力はある。
私は、この構造は林政にもそのまま当てはまると感じた。いわば小型版。
ただ救いを感じたのは、林業界に農協に匹敵するような巨大組織がなく、森林組合は弱小、林業族議員もほとんどいず力もさしてなく、何より林野庁が弱体なことだ。(^^ゞ
トライアングルにがんじがらめの農業界では改革を進めるのは至難の業だろうが、林業界は、ある程度の突破力があれば、改革は可能だろう。日本の農業は滅んでも、林業は立て直せるかもしれないぞ!
ちなみに著者は、農水省退官後は、ちゃんと天下りしているようだ(-_-)。東京財団。そう、中国資本が日本の水資源を狙っている、とのレボートを出したシンクタンクである。
※サイドバーに掲載しました。読みたい方は、クリックを。
あんまり知られていない……というより、ほとんど知られていない(^^;)のだが、この4月から「日本の森を守る地方銀行有志の会」が活動を開始した。
文字通り、地方銀行の有志が、日本の森を守るために立ち上がった、らしい。
発足は、昨年7月。8つの地方銀行が行っている森づくり活動の情報をネットワークすることによって、日本の森を守る活動を支援していくのだそうだ。現時点では、地方銀行64行中56行まで参加銀行は増加している。
せっかくだから、名前を羅列しよう。50音順である。
青森、秋田、足利、阿波、伊予、岩手、大分、大垣共立、沖縄、鹿児島、関東つくば、紀陽、
京都、近畿大阪、群馬、佐賀、山陰合同、四国、七十七、清水、十八、十六、荘内、常陽、
親和、泉州、但馬、第四、千葉、千葉興業、中国、東京都民、東邦、東北、南都、西日本シティ、八十二、肥後、百五、百十四、広島、福井、福岡、北越、北都、北陸、北海道、三重、みちのく、宮崎、武蔵野、山形、山口、山梨中央、横浜、琉球(太字が、創設行)
肝心の具体的な活動なんだが、それがよくわからない。ようするに、一般企業のCSR、つまり企業の森とか、森林ボランティアとか、まー、よくある活動に関して情報交換や事例発表を中心に行うらしい。先駆的な銀行が、後から参加した銀行に活動を指導したりすることもあるようだが、よくわからない(^^;)。
ただ、最後に申し訳程度に、「環境金融商品・環境金融ビジネスの研究」が入っている。
私に言わせれば、銀行が森づくりに関与したければ、これしかないだろう、と思う。銀行員が山に入って下刈りをしたり植林したりせんでよい。そんなの無駄、足手まとい……とまでは言わんが、まあ自己満足だろう。
一方で林業と森林所有事情を考えるに、現在の金融はかなり乖離している。それを埋める仕組みづくりを研究するのが、一番の貢献ではないか。
もともと林業には、先物的要素や、証券化の要素がいっぱい詰まっている。また森林所有者の悩みには相続税対策が、かなり大きい。林業自体も現在機械化や後継者問題がクローズアップされている。森林金融ビジネスの出番ではないか。
地方銀行有志の会じゃなく、融資の会にしてほしい(^o^)。そして、バンカーの雄姿を見せてほしい(^o^)(^o^)。
さて、今回の「中国資本が……」の報道を読むとわかるのは、報道側も、登場するバイヤー、つまり中国資本の意を受けて買収できる山林を探している人々も、基本的に山林や林業について素人っぽいことだ。
林業の現状については勉強した後が伺えるものもあるが、どうも山林土地を平地の通常の不動産と同じように考えている様子がある。
だが、現実の山林土地事情を俯瞰すると、買収しようにも境界線の確定さえできていないところが多いし、所有者の名義も100年前に亡くなった爺さんのまま、しかも小規模多人数の所有者が入り組んでいて、さらに地元の権利関係もややこしくて……と、まったくうんざりするような手続きが後に控えている。
そして売買価格を算定しようにも、立木の価値を読むのは、かなり難しい。森林を伐採するにも、誰が手がけるのか、搬出はどうしてするのか、コストを考えると頭が痛くなる。
もし水資源を狙うなら、どれほどの埋蔵量? があるのか、水質はどうか……というのはその筋のプロでないと無理だろう。
そして林業にしろ、水掘削にしろ、資源量や輸送法などを検討すると、とてもコストが引き合わないことはすぐわかる。
中国資本の正体も、不明だ。中国政府の息のかかった団体なのか、純然たる民営企業(そんなのが共産・中国にあるのか?)なのか。
中国人のビジネスでよく指摘されるのは、彼らは短期的な利潤を追求することだ。何年か先に利益を生み出すまで育てようとせず、今が大事。すぐ転売して儲けるとか、今ある資産をすぐに金に替えることを狙う。
その点からすると、日本の育成林業も、水ビジネスも、あまり中国人に向いていないだろう。
もしかして、中国資本は日本のバイヤーに騙されているんじゃないの? と思わないでもない。
これまで日本の様々な企業やビジネスマンが中国に騙されて痛い目にあってきたが、今回は意趣返しを企て、彼らに「日本の山林は美味しいよ」という餌をまいて、一杯食わせようとしている……いう仮説を立ててみた。
たしかに中国は木材や水を欲しがっている。しかも、金融危機の前までは泡銭や持っていた。そこに「木材も水もたっぷり眠っている日本の森林は底値で買い時」という話をちらつかせて、だまし取ろうとしているのではないか?
そこまで壮大な国際的陰謀(^^;)を築けるバイヤーが日本にいるかどうか……これこそ妄想だろうか。
そこまで行かずとも、「日本の山林を買って大儲け」を思い付いた中国資本の手先となって、自分もまったく山林事情を知らない業者が、手当たり次第に山間部に出かけて声をかけている可能性はあるのではないか。
もしかしたら、幾重にもバイヤーが間に入っていて、首尾よく山林の売り手を見つけて、中国資本の手に渡した業者もいるかもしれない。たとえば競売にかかった土地などは、わりと簡単に手に入る。
が、結局は持て余して、何ら利潤をあげることもできず、転売も難しく、中国人の不在地主が多数大面積生れるかもしれない。これこそ、最大の危機である。
もし林野庁なり国土交通省なりが、今回の事象を問題とするなら、中国資本のどうのと小さいこといわず、山林の不在地主対策に取り組むべきだろう。国内でも、まったく森林整備や経営に興味を見せず、土地を眠らせている所有者は多い。彼らこそ、日本の山を荒らす大きな要因だ。
中国資本だからと沸き立つのではなく、広く森林所有の権利と義務を問い直すような構想はできないか。
たとえば、ちゃんと経営したり保全に務める所有者には助成金をたっぷり渡して利得を保証する。逆に荒れたまま放置しているような所有者には、環境破壊者の烙印を押して森林保有税をかける。イヤなら売却するか公的機関に委託させることで、森林の集約化を押し進める。
中国資本の山林買収を逆手にとって、そんな国際的陰謀を仕掛けられないだろうか。
近頃、新聞や雑誌によく持ち出されるのが、「中国資本が日本の山林を狙っている!」という話題だ。とうとう林野庁も調査に乗り出したそうだ。
私は、3年前からこの事象について耳にしていた。ターゲットになった大台町では、この動きを警戒して何やら右翼やら政界、官界、財界を巻き込んだ動きもあった。だから、今頃になって記事にするなよ、林野庁も動くの遅すぎ! と思ってしまう。
実は、私のところにも意見を求める打診が来ている。
これまで山林の所有などに全然興味を示さなかった人たちも、今回は色めき立っているというのが印象だ。やはり中国が、日本国土を所有することが驚きを持って感じられたらしい。
中国筋の意向で、山林を探すバイヤーが各地を物色しているのは事実らしい。
実は春先に、東京財団がこの問題を調査して報告書を発表している。日本の林業の動を分析して、森が荒れていることも、山林価格が暴落していることも指摘していた。そして、中国資本が日本の山を買収しようとする理由は、木材ではわりに合わぬ、きっと水資源を狙っているのだ、と推測を立てている。
なるほど、話はかみ合う。
世界的には水不足が激しくなり、各地で水源の確保が問題になっている。各国の大手資本が水源地の買い占めに動いたという事実もある。中国も、黄河は枯れ、長江も汚染が進み、飲み水が逼迫してきた。一方で、降雨量が多く、水不足は局地的にはともかく、国民のほとんどが気にかけない日本。しかも林業は落ち目で山林価格も底のまま。買収するにはもってこいの状況だ。日本人が潜在的な山林の価値に気づかないうちに買い占めるべく、赤い資本主義国家が手を延ばし出した……というわけだ。
とくに最初に狙われた三重県大台町は、日本有数の多雨地帯で水に溢れているから真実味も増すというものだ。
なかなか、よくできた話だ。
が、少し冷静になって考えると、どうもおかしい。東京財団の報告書も読んだが、最初の部分は、よく林業を勉強したなあ、と思わせたものの、後半の水資源の話になると、飛躍が目立ち、しかも推測に推測を重ねたもの。とても議論に耐えられない。
だいたい、本気で水資源を狙うのなら、最初に地下水脈を調べないで、いきなり山林買収とは無理がありすぎる。しかもいきなり掴み金渡すように山林を買収するなんて目茶苦茶だ。
何より、安いといっても日本の物価は、世界有数。あえて水源地を買収しなくても、水そのものを買い取る手段はいくらでもある。木材についても同様だ。
加えて、いきなりマスコミに色めき立つのも深慮がない。その下にナショナリズムの香りとともに、反中意識や警戒感が透けて見える。
この論考、続く。
「フロンティア・エイジ」に、『森を歩く 森林セラピーへのいざない』の紹介記事が載った。
もっとも、「フロンティア・エイジ」を知っている人は少ないだろう。それもそのはず、関西圏で発行されているフリーペーパーである。それも新聞折り込みだ。京阪神に奈良北部などが配布エリアかな。
対象は、フロンティアな年代、つまり世界に例のない高齢化社会に漕ぎだした人々……ようするにシニアだ(^o^)。
記事には旅ものが多く、ほかにも人物インタビューやらスポーツやらグルメやら。発行者の趣味が滲み出ている。
だが、驚くべきは、その発行部数。なんと98万8000部に達するのだ。それも宅配なのだから、その情報発信力は馬鹿にならない。
しかも、今回は本のプレゼント付き。これは出版側の企画だけどね。
環境省が、平成19年度の温室効果ガス排出量を算定した結果を発表している。
それによると、総排出量は二酸化炭素換算で約13億7,400万トン。これは、平成18年度よりも約3200万トン多い。率にして約2,4%の増加だという。
京都議定書の規定による基準年(主にCO2で1990年)の総排出量(約12億6100万トン)を約9,0%上回る。基準年より6%削減をめざしているのに、逆に増えているのだから大変だ。大雑把にいって15%削減しなければならない計算になる。ほとんど不可能だろう。
ここ何年も、二酸化炭素削減を叫び続けて、何かと手を尽くした結果がこの有り様だ。おそらく景気対策の名の元にばらまいた政策は、いっそう二酸化炭素の排出を増やすだろう。高速道路料金の土日1000円などは典型だ。
ちなみに19年度に森林や緑化地帯が吸収した二酸化炭素は、約4070万トンに当たるそうだ。これは基準年総排出量の約3,2%に相当する。こちらは頑張り次第で3,8%に届きそうな錯覚に陥る(笑)。
いずれにしても、今後また森林吸収量の確保のため、間伐促進が叫ばれるだろうな。
しかし、森林が二酸化炭素を吸収してくれる、それも間伐を施した「管理された森林」だけがカウントできる、という欺瞞を打ち破る時期が来たのではないか。森林に、そんな過大な期待を持つことは、結果的に何も生み出さない。森林をどんなに整備しても、炭素固定にはならない。木が育っても、一方で木は枯れ、腐り、燃やされているのだから。
…もう諦めたらどうだ、と思う。二酸化炭素削減は、不可能なのだ。仮に京都議定書の数値を世界中が達成しても、何も変わらないだろう。
読売新聞の西部版(九州地域)に、「森守る割り箸」という記事が載ったようだ。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/life/905/li_090511.htm
記事によると、上天草市の松島木材センターは、1964年創業のスギの製材所だが、3年前から端材を使った割りばしづくりを始めたとある。
同センターの出荷量は1か月約50万膳。というから、年間約600万膳。まずまずの規模だ。大阪、熊本、福岡、東京などの問屋や飲食店に出荷している。箸袋には「九州の元気な森林づくりを応援しています」のメッセージがある。
後半は、全国の割り箸事情の紹介。
●北海道洞爺湖サミットに割り箸10万膳を提供したこと。
●全国大学生活協同組合連合会(大学生協連)で使われているNPO法人樹恩ネットワークの割り箸のこと。
●コンビニエンスストアのミニストップの国産割りばしの販売。
●広告入りの箸袋アドバシの紹介と、ハートツリーによる「ナチュラルローソン」82店で、使われていること。
●奈良県の吉野杉箸商工業協同組合の動き。
●山口大生協の使用済み国産割り箸のリサイクル運動。
そして、最後に林野庁のまとめとして、「08年の国内割りばし消費量は227億膳」と紹介する。また「輸入ものが約97%を占め、そのほとんどが中国産という。国産は6億膳」ともある。これは、私が調べたときと少し数値が違う。
2年前までは、250億膳、国産は5億膳と言われた。(だから輸入ものが98%。)
それが国産割り箸が3%になった。全体の消費量が減ったのは、景気の悪化や飲食店の樹脂箸への転換などが影響しているのだろう。一方で、国産割り箸の生産はわずかに上向いたことになる。この3年間の変化は、割り箸の将来に何を示しているのだろうか。
ざっと、割り箸事情を俯瞰するにはよい記事だね。
平凡社新書が、創刊10周年を祈念してリニューアルされた。
これまでの赤い角張ったデザイン(サイドバーを参照)ではなく、青い楕円形のデザインに。おとなしくなった印象だが、むしろ平凡社の出版物には向いているかも。
キャッチフレーズは、「知の〈十字路〉から〈広場〉へ」である。いかにも、平凡社的だ(笑)。
で、拙著の『日本の森はなぜ危機なのか』(略称・『森・危機』)も、増刷は新デザインとなった。
この『森・危機』は、平凡社新書から出した第1号であり、私にとっては思い出深い作品である。ロングセラー的に着実に売れ続け絶版扱いになった。
だが、今もこの本が欲しいという声が私のところに届く。たまに流通在庫が見つかることもあるが、基本的に底をついているのだから、どうにもならない。私の手元にも、保存版のほかは1、2冊あるだけである。
で、この本の進化版として『森林からのニッポン再生』(略称・『森ポン』)を執筆したのだが、いざ出来上がると、やはり別の本になってしまった。だから、『森・危機』を求める声が今もあった。
だから、今回の増刷りはやはり嬉しい。表紙が変わったので別の本みたいになったが、中身は一緒です(笑)。こちらが十字路、広場は『森ポン』です。
中身は、多少古びたところもあるが、それは事例であって、テーマは同じで結論も同じ。そこのところはいじっていない。
もし、まだお読みでない方は、この機会に、ぜひ。サイドバーにあります。
昨日の朝日新聞夕刊に、「母の日の花 日本に100年」という記事が載った。
このプログにも書いた「カーネーション栽培100年」を紹介している。そこには、当然のことながら「カーネーションの父・土倉龍治郎」が登場していた。台湾で電気事業や林業をしていたことにもサラリと触れられていた。
龍治郎の四男である正雄氏もコメントを寄せている。「親族の経営失敗のあおりで、父は自分の事業を手放さねばならず」と、ここでもサラリと触れている。だが失意と人間不信の合間を、舶来から渡ってきた花が埋め、やがて魅せられていくのだ。
この裏に、吉野の土倉家、とりわけ土倉庄三郎の物語が隠されているとは、記者も知らないだろうなあ……と妙な感慨に耽った(^^;)。
ちなみに、私はこの記事で、明日が「母の日」であることに、ようやく気づいた(>_<)。
でも、私はこれから京都の北の方に旅立つのである。明日は舞鶴当たりを彷徨しているだろう。だから母の日のプレゼントはなし。何か日本海のお土産でも、買って帰るか。
昨日、下呂まで行きながら日帰りした理由の一つは、今日の午後に取材が入っていたから。私が取材するのではない、某新聞社の人が私を取材しに来るのである。
で、テーマは「伐り捨て間伐」。
私は、このテーマを聞いて興味を持った。これまで環境問題を扱う中で、森林から林業に興味を移し、さらに間伐に注目する記者も現れている。が、たいていは間伐推進!なのである。
だが、現実の間伐は、伐り捨て間伐が横行している。いや、伐り捨てこそ間伐のこと、という認識さえ広がっているかのようだ。私は、それに異議を唱えてきたつもりだが、あまり影響はなさそうだ。だから「伐り捨て間伐」について聞きたいといわれたら、協力しないわけにはいきません(笑)。
で、今まで話していた。どうやら伐り捨て間伐の現場も見てきたようだ。あれを見て、間伐推進をいう気力は減退しただろう。
話は、林業の根本と現状から説明したが、何より林野庁や森林組合の説明に騙されないように、というのが主眼である(笑)。その点、伝わっただろうか。
間伐は、木材生産と林地の生態を考えた上での技術なのであって、国際的な取引による二酸化炭素吸収源を増やすために行うものではない。ましてや、林地に死屍累々と伐られた丸太を捨てておいて、これが環境をよくする仕事です、なんて言ってもらいたくない。その木々は、腐って二酸化炭素の発生源になっているだろう。そして先祖が多くの汗と莫大な経費を負担しつつ夢を描いて植えた木を無為にしているのだ。
そんなことに国民の血税を補助金としてジャブジャブつぎ込んで、それで目先の数値目標を達成したと喜ぶ次元の低さを改めてもらいたい。
今回の取材は、すぐに記事にするというのではなくて、大きな特集の中の勉強という位置づけのようだ。記者も、森林組合のやる気のなさは感じたようだし(^^;)、今後の進歩に期待したい。
終日、雨。
岐阜県の下呂温泉に向かう。山あいのしっとりした温泉町もいいが、目的は「龍の瞳」の取材なのだ。
…これだけで何のことかわかったら凄い(笑)。
ちなみに今回は日帰り。帰る前、温泉だけは慌ただしく入った。
ラジオ出演の際にも聞かれたのだが、「森林ジャーナリストって、何?」
相変わらず私は、「日本でこの肩書を持っているのは、おそらく私一人です」と自慢? しておいた(笑)。だから日本一や! とまでは、さすがに言わなかったけど。
まあ、森林ジャーナリズムというのがあるのかどうかもさておき、こんな分野を扱う人が少ないのは間違いない。おかげさまで敵なしなのである(笑)。
実は先日、酒の席で話になったのだが、ニッチな分野を扱うと不況に強いのではないか、と言われた。その時の話題は、田舎の仕事だったが、狭い世界を相手にすると、大きく儲かることはない代わりに、いきなり仕事がなくなることも少ない。
ほかに取って代わる人がいないし、微妙な裏ノウハウがあって、それをマスターしないと新規参入はしづらい。そもそも小さな業界が変化する時は、人脈も密だからたいてい事前に察知できる。
そしてそれは、農業や林業といった分野もニッチ(隙間)産業ではないか、と気がついた。
自動車だ土木建築だ、といった巨大な工業系の産業の合間には、木材という素材が薄くはさまれている。一見何も見えないけれど、木材がなければその製品は成り立たないのだ。
あるいは外食産業も、農業なしに成り立たない。どんなに輸入しても、国産農産物は絶対に必要なのだ。
だから田舎業界は、意外と不況でも生き残れるのではないか? そして、林業も強いのではないか? これまで世間が好景気に沸いているときだって、田舎も農林業も不景気感が強かったのだから、今更金融危機だ、不況になったと騒いでも慣れっこ(^^;)。バブルの部分がないから、バブルが弾けてオタオタすることがない。
今も、不況や不況や、と叫んでいる林業関係者は多いが、実はこれは口癖にすぎず、補助金を取ってくるための作戦である(^o^)。また下手に新規参入が増えたら、ニッチがニッチでなくなるから、むしろ妨害しなければならない。
むしろ心配なのは、林業をニッチな世界と思わずにやっている人々だ。黙っていても政府は間伐促進の補助金を出すと思っている人とか、目先の木材の値段に右往左往する人。こういう人は、本当の林業ではなく、林業の表面に沸いたバブルなのである。
ちなみに私は、ニッチな林業や森林、山村といった業界?の、さらにニッチに食い込んでいることになる。隙間が狭すぎて、バブルも発生しようがない。これなら将来、安泰だ!
連休中は、なぜか朝早く出かけることが続いているが、明日はもっとも早い。
午前5時半には家を出なければならぬ。
というのは、7時半にはラジオ関西(558ヘルツ)のスタジオ入りする予定だからである。番組「三上公也の情報アサイチ」に生出演となる。ようするにゲストとして呼ばれたのだ。
ここでの私の使命は、『森を歩く 森林セラピーへのいざない』について語ること。つまり拙著の宣伝になればという下心(^^ゞである。
とくに事前に打ち合わせることもなく、多少の質問項目を聞いただけで、あとはぶっつけ本番である。私の出演する時間は、だいたい8時10分くらいから……と聞いているが、これだけは生だからわからない。とりあえず7時45分までに来てくださいと言われた。ギリギリなら8時でもいいという。おいおい出演10分前でいいのか(@_@)。
まあ、私もなるようになる、その場の成り行きで話すつもりだ。
ラジオ関西の放送エリアは兵庫県下だから、聞ける人は少ないだろうが、もし機会があったら聞いてくれ。『森を歩く』を購入して読んだ人は必要ない(⌒ー⌒)。
連休のど真ん中に、このブログを読んでいるのは誰だ(笑)。
というわけで、あまり小難しいこと書くのは止めよう。
写真は、見てのとおりの薪の山。これだけなら、どおってことのない風景なのだが、場所が問題だ。
この写真を撮ったのは、生駒のマンション街なのである。
巨大マンションが立ち並ぶ一角に、エアポケットのように畑が残され、その脇にあったのが、この薪の山。
畑は、まだわかる。開発を拒否して残ったのか、マンションの緑地代わりなのか、とりあえず残されたのだろう。
しかし、この薪は、どこから運んできて、何に使うのだ?
かなりの量である。まさか薪ストーブではあるまい。マンションに薪ストーブは設置できないだろうし、薪の調達先にも困る。おそらく旧住民(昔ながらの生駒住民。移り住んできた人々は新住民)だろうが、わざわざ山から伐りだして?薪をつくり、わざわざマンションの立ち並ぶ一角に積み上げて乾燥させているのか?
なんとなく、風情を感じるのであった(笑)。
本日よりゴールデンウィーク本番、いや、後半戦入りか。
少なくても5連休、なかには10日までの9連休の人もいるだろう。あるいは25日からの16連休で後半入りの人も? 仕事をさずに済むのは、やっぱり嬉しいはず。
新型インフルエンザ対策に追われている人は休みどころではないだろうが、政府のバラマキ政策もあって、浮かれている人が目立つ。
こんなときに、拙ブログを読む人はどんな人か、少し興味がある(笑)。
その中で関西の大きなイベントが、09食博覧会・大阪。食べ物のイベントになると元気になるのが、大阪人である(笑)。
そこで展示されているのが、これ。
わかるかな。ギネス認定を受けた世界最大の塗り箸。福井県小浜市の箸組合の出展である。
素材はマツで集成材。長さ8,4メートル。重さ約1トン。
これが箸なのか、世界一なのか、と思わぬでもないが、ともかく目立つから人だかりしている。記念撮影もしている。そしてお土産の若狭塗り箸も売っている。
やっぱり、うまい。塗り箸の宣伝効果抜群である。
割り箸の出展はないかなあ、と思って探したが、案の定、ない。ここで国産割り箸を配るなどして、大いにアピールしてほしかったのに。
会場でも割り箸は使われていたが、ほぼ中国製である。しかし、全体としてプラスチック製のフォークやスプーンが使われていた。奈良県も、無理に名物料理つくって出展するより、割り箸を宣伝してほしかった。
ちなみに私は、連休中は全部埋まっている。もちろん仕事。あまり自宅にもいない。
仕事がなくて困っている人も多いのに、有り難いことである……と、自分を慰めている(^^;)。
昨日に続いて、また山に行く。
森遊び研究所の周りにテープを張りめぐらせるためである。
本当はこんなこと、景観的に好きではないのだが、この季節は勝手に森に侵入する輩が増えるから、多少とも心理的バリアーにしようという作戦だ。もちろんテープなんて、簡単に乗り越えることができるのだが、ここに所有者がいて縄張りをすることで、侵入するのを躊躇させようという父の命でもある(^^;)。
自分の土地で焚火をするのを封じられた代わりに、他者の侵入を止めるのも意趣返しになるかもしれない。
そこで、昨日のテーマ「里山管理の陥穽」の続きになる。
日本の雑木林でもっとも多い樹種は、おそらくコナラだろう。かつてはアカマツだったと思われるが、マツクイムシにやられて激減している。その代わりに伸びたのがコナラだ。
コナラ自体は、二次林の代表的な樹種だ。生長は早く、乾燥したところや寒冷地でも育つ。しかもドングリも付けるし落葉樹として土地を肥えさせるし、薪に木炭にシイタケ栽培にと使える便利な木である。景観的にも美しい。とくに今は新緑が抜群によい。
このコナラの将来が危ぶまれている、と書けば、疑問を持つ人も多いだろう。私もそうだった。
が、その危険を指摘する研究が森林総研にあったのだ。
その理由は、コナラが太くなりすぎたこと。コナラは、伐採しても萌芽が生えるから、減少することがないとされた。ところが、太くなると萌芽しなくなるのだ。
実は、私も感じていた。毎年、シイタケ原木用にコナラを1、2本伐採しているが、当然伐採後に出ると思った萌芽が出ない切り株が少なくないのだ。どうやら樹齢40年を越えると、萌芽の出る能力が減退して、50年を越えると期待できなくなるらしい。そして、雑木林の放置が進んで、そろそろ40年を越すと思われる。
もちろん、ドングリも付けるから種子更新も可能なはずだ。
ところが、ドングリは、あっという間に虫や鳥獣に食われてしまう。私もドングリを採取して一晩置くと、ドングリから虫が這い出てきて驚いたことがある。地表に落ちたドングリには、すぐに虫が入り込むのだ。
しかも芽が出ても、上に大きな樹冠が被さっていたら、暗くて新芽は伸びない。種子更新が成功する確率は低いという調査結果が出ていた。
となると、今後、現在生えているコナラの寿命が尽きたとき、次に続くコナラはなくなるのではないか? 絶滅危惧種になるのだろうか?
そんな極端でなくても、現在興隆している種が、ある時にガクンと勢力を減退させる可能性はある。そもそもアカマツ自体がそうだった。ほんの30~40年前までは、日本の里山の大部分はマツに覆われていたのだから。
次はコナラか。その際に新たに現れる樹種は何か。いや、そんな木があるだろうか。
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