無料ブログはココログ

本の紹介

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009/06/30

ペレットに希望を託す理由

森田稲子のブログ」で、私の木質ペレット批判に対して反論が行われている。

さっそく私も再反論……という展開になってるが、ここで考えてみたいのは、なぜ木質ペレットにそんなに入れ込むのか、という点である。

もともと前世紀の末頃から(といってもたかだか10年ほど前だが)、バイオマス・エネルギーという考え方が登場した。これはヨーロッパで進んでいた木材発電・熱供給(コジェネレーション)などの動きが輸入されたと言えるだろう。

実際、私も『伐って燃やせば「森は守れる」』で、木質のエネルギー利用について紹介している。その後、カーボン・オフセットなどで理論武装も進み、国も「バイオマス・ニッポン」構想も打ち出し、広がっていく。私も、それらに反対ではない。私が批判しているのも、木質ペレット全体ではなく、林地残材によるペレットと言ってよい。

が、そのバイオマス・エネルギーのアイテムとして、木質ペレットが紹介されるや否や、多くの市民が「熱狂」してしまうのである。数々のNPOが木質ペレットに取り組み、シンポジウムが開催されたり、普及活動を自主的に行った。
森林組合などもペレット工場を建設した。ペレットストーブも輸入したり、国産開発が行われて、さらにペレットの配送や通信販売を行う会社も登場した。それが運動か、ビジネスかはさておき、実に多くの民間が木質ペレットに未来を描いたのである。
山元も、木質ペレットそのものに対してどう思っているのかはっきりしないが、少なくても木が売れない! と悩んでいるところにバイオマス燃料としての木材の用途が示されたことで、林業復興の一縷の希望を抱いたのだろう。

木質ペレットそのものだって欧米から輸入された発想なのだが、これまで木質バイオマスと言えば、薪か木炭くらいしか思い付かなかったところに、ペレット化というのは、かなり斬新に思えたのだろうか。輸送や貯蔵に便利、自動供給も可能などの利点に飛びついたように感じる。政府が、バイオマスに注目した流れからペレットに目をつけるのなら理解できるが、なぜ一般市民までが木質ペレットに入れ込むのだろうか。

その理由の一つに、扱いやすさがある。また巨大産業ではなく、身の丈にあった活動が可能という点もあるようだ。

たしかに、薪や木炭といった古典的?木質バイオマスは、火付けも大変だし、維持管理もちょっと技術がいる。一酸化炭素の発生の心配もしなければならない。これを趣味のレベル以上に普及させるのは大変だろう。
一方で、それまで木材発電と言えば、製材工場の端材・廃材をそのまま燃やすボイラーか、製紙工場の黒液(木材よりパルプを作る際に出るリグニンなどベンゼン系の液状物質。よく燃える)による燃焼が中心だった。こちらには巨大プラントが欠かせず、市民団体には手が出ない。

だが、ペレットなら、簡単な機械があれば作れる! 製造や販売、宣伝の役目を担える。
そして自分も、地球温暖化防止の一角に参加できる。林業復興の一助ができる。林地に残る伐り捨て間伐の残骸を救う手だてになる。

そんな思いが、今も木質ペレットを推進する原動力になっているのではなかろうか。

ただ、バイオマス・エネルギー、そして木質ペレットに入れ込んで勉強を始めた多くの人は、徐々に暗くなる。どうやったってコストが引き合わない。そして気候や人口配置から考えても日本では売れないことに気づいたからだ。
さらに欧米に視察に行って、あちらでは林地残材を搬出するのに、ほとんどコストもかからず(作業道網が整備済み)、端材・廃材を使った木質バイオマスが作られている現実に向き合う。林地残材は無料で、ましてや林業と違った次元で考えられていることを知って、いよいよ意気消沈する。バイオマスは林業ではなく、資源エネルギー問題なのである。

近年、国のバイオマス・エネルギーの趨勢は、バイオ・エタノールの方に向かっている。エタノールという液体燃料にしたら、ガソリン供給などで形成された既存のインフラがほとんどそのまま利用できる。自動車もスタンドも、わずかな改造で済む。木質のエタノール化はまだ未完の技術だが、将来的には木質ペレットより期待できるだろう。

が、市民団体は、あまり入れ込まないのである。なぜなら、エタノール化には、それなりの規模のプラントが必要で、弱小の市民団体には手が出ないからだ。せいぜい天ぷら油のバイオ・ディーゼル化くらいに留まる。

そろそろ名誉ある撤退を考えたらどうだろう。もともと木材のエネルギー利用とは、薪利用のように地域内で小規模に行うか、巨大プラントによる端材・廃材処理で行うものだ。あるいは国家規模で研究してエタノール化を実現するか。ペレットも、廃物を活かすつもりで利用法を考えれば、十分に価値がある。

だが、決して木質ペレットは林業の救世主にはならないのだ

林地残材を、「ペレットくらいしか加工できない」なんて頭を硬くせず、それこそ女子大生の協力も得て、高付加価値でどんどん消費される木材商品を生み出す方が、よほど市民が取り組む林業復興になると思うが、いかがだろうか。

2009/06/29

女子大生と木材新商品づくり

コメント欄で展開していては、読まない人もいるだろうから、改めて独立させる。

「マスコミ業界が瓦解する理由」のコメント欄で、「女子大生と木材の新商品を開発しよう」というネタで盛り上がっている。

しゃべり杉爺さんより、京都の女子大生が参加する意向が示され、それに吉野の製材所が応じた。行政職員からも賛同の意を寄せられている。

そこで関西を舞台にした現場の会議(なま女子大生と囲む会議)と、ネットによる意見交換の場づくりが考えられている。もう少し仕組みづくりを詰めないといけないが、女性の斬新な視点と、現場の声を活かしたブレーンストーミングを行えれば面白くなるだろう。

そして、これはと思うアイデアが出たら、試作品を作って世に問いたい

そこで、基本となる商品開発の要諦を考えてみた。

1、木材を売れる商品にすることで、木材の需要を高め、山里に利益を還元して森林再生を図る。

2、身の回りに木材による製品があることで、木材への愛着を深め、ひいては森林、山村への理解を持ってもらう。

3、そのために必要な木材商品とは、なるべく付加価値の高いものである。さもないと山里への還元が進まず、継続したやる気も持てない。

4、しかし、少量しか消費しないものでは困る。森林への影響が少ないからだ。たくさん売れるもの、あるいは繰り返し購入したくなるものを狙うべきである。

5、大木とか無節など、珍奇な素材を使って作る品では意味がない。どこにでも溢れている木材、あるいは現在商品化が行われていず無駄に廃棄されているような素材を使うこと。

6、特殊な技術を有する職人しか作れないような商品もダメ。それはアートとか作家性の高い商品であって、木材消費量の増加につながらない。売れるとわかれば増産が可能な品であるべき。

……このようなルールを考えてみた。

たとえば割り箸は、いずれにも該当する。端材を使って作り、消費材であり、一定の機械があれば誰でも作れる。そして木材量から考えると極めて価格が高い。仮に1膳2円としても、1立米の木材から3万膳作れるとしたら、6万円だ。それは、かなりの高級木材商品である。

一方、燃料用木質ペレットは、4、5、6には該当するが、3には合わない。燃料はあまりに安くて引き合わないからだ。しかし、木質ペレットでも燃料以外の用途を提案して、価格を引き揚げることも可能だ。たとえば「室内にも設置できる清潔・高級砂場の素材」としてペレットを売り込み、1キロ150円で注文がとれるなら、十分採算に合う。

どうだろう? どしどし参加者、そしてアイデアを募集する。とくに女子大生、いや女性歓迎(^o^)。

2009/06/28

播州清水寺

兵庫県の播州・御獄山清水寺を訪れた。

このお寺は、とてつもなくすごいのである。まず西国二十五番札所である。

創建は1800年以上前の推古天皇の時代。なんと、日本に仏教が伝来するより前なのだ。

そして聖武天皇勅願で、行基が大講堂を建立している。

また坂野上田村麻呂が刀剣を奉納して残っているし、菅原道真の直筆が展示されている。

平清盛の文書もあれば、弁慶が使った囲碁盤もあり、そこには碁石がめり込んでいる。

ほかにもいろいろな歴史上の有名人が登場する。これほど古今の宝物が揃う古刹も珍しいのではないか。ただ、国宝や重文に指定されていないのが不思議だが……(^^;)。

021 根本中堂

もう一つ注目すべきは、寺領の山林が900町歩近くあることだ。以前は940町歩あったそうだ。もともとスギやヒノキの大木が林立していたそうだが、明治時代の写真を見せていただいたところ、ほとんど禿山状態だった。

いろいろ騒動があって立木を伐って売ったのだが、その際に間に入って事件を納め、伐採する代わりにちゃんと植林するからと、吉野の川上村から職人まで送り込んで森を再生したのが、土倉庄三郎なのである。その御礼として支払われた2万円(おそらく現代の2億円相当)を使って、寺までの道づくりも行っている。

庄三郎最晩年の仕事であった。

043

「垂不朽の碑」。土倉庄三郎の事績が刻まれている。

2009/06/27

豆腐の行商

テレビで「たそがれ清兵衛」を見て気づいたのだが、頻繁に物売りが現れる。いや、買い物の多くは物売りによる。豆腐にザルに……。

思えば店舗の並ぶ商店街的な町が生れたのは、江戸時代の後半で、それも江戸や大坂、京都など都会だけである。地方ではそんなに店舗販売は盛んではなく、行商が主流だったという。それは江戸でも同じだ。一新太助は、魚の行商人ではなかったか。

これは今日のことだが、たまたま生駒山中腹の棚田レストランでお茶していたら、車による豆腐の移動販売がやってきた。ここ1ヶ月前ほどから現れたという。私は買う機会を逃したが、物珍しさもあって、少し高めの豆腐がよく売れるそうだ。ほかにスイーツとしての豆腐などもある。

今後、再び客の元へ売主が足を運ぶ移動販売が広がるのではないか。思えば町は郊外へと広がりニュータウンも増えたが、高齢化が進むと、なかなか町の中心街、ショッピングタウンには通いづらくなる。車を運転できなくなれば余計そうだ。宅配だけでは間に合わない。
一方で過疎化が進んで、店舗経営が成り立たなくなる地域が増えている。それが限界集落も生み出す。頼みの綱は、車の移動販売である。ほとんど命綱になった地域もある。

また移動販売・行商の場合は、売り手と買い手の間にコミュニケーションが生れる。その点でも新たな展開が期待できる。東京には、ゆっくり裏路地まで回る豆腐の行商が、新たな商売として流行りつつなるとも聞く。

ところで先日、某田舎の豆腐屋を取材に行った。片道7時間かけて(^^;)。

だが、その豆腐屋は、雨の降る朝から行列ができていた。県外ナンバーも多かった。かなり高めの豆腐だが、みんな大量に買い、また宅配便で配送するほどの人気だ。私もいただいたが、やはり美味い。

その主人は、元は酪農をしていた。が、大借金を抱えて、とうとう廃業。その時思い付いたのが、豆腐屋だったそうだ。とはいえ、まったく修業もせず、大豆と機械を仕入れた問屋に扱い方を教わっただけで豆腐を作ったという。無茶苦茶(^^;)。

だが、勝算はあった。それは豆腐の行商である。その村の全世帯に直接届けに行くのである。結果的に、村の半分の世帯が、豆腐を毎週買ってくれるようになった。

「思えば、その頃作っていた豆腐は不味くて酷かった。それでも、村の人たちは私が牧場を閉じて苦しいことを知っていて、みんな買ってくれた」

こうしたところに田舎の人間関係の強さと奥深さを感じる。一種のセーフティネットにもなるのだろう。
その後、すべて国産大豆に換えて価格も2倍近くなったことで固定客は減るが、その分は観光客などが押し寄せるようになる。もはや村人に支えられる必要はなくなった。だが、今も宅配は続けている。

売り手が出かけるビジネスを広げることは、地域社会に強さをもたらすのではなかろうか……。

2009/06/26

土地境界でもめないセミナー

今、家の前の道路拡張問題で我が家が揺れている。

道路拡張は、町内の長年の課題であり、昨年来より動きだした。

道路を4m幅にするためには、現在の道路の両側にそれぞれ70㎝程度広げねばならない。当然、その土地の持主は供出することが前提となる。多少の補償はあるが、何も喜んで出す人はいないだろう。私は、借地借家人なので一見関係ないのだが、それでも駐車場にしている部分がかなり削られる。が、それは大家さんが承諾したことであり、私も文句はない。

問題はここからだ。我が家の正面の家が、拒否したのだ。その家にとって70㎝というのは、土地を削られるというほどではなく、塀の下の石組を外す程度のものである。庭さえ削られない。が、「美観を損ねる」と拒否した。

すると市は、その分をこちら(私の住む側)を多く削ることで拡幅を確保したいと言い出した。それでは、駐車スペースが狭くなるどころか駐車自体に支障が出るうえ、これまで一角を提供していたゴミ置き場もなくなる。さらに庭にも食い込んで木も伐られる。
一方で、譲らなかった方は、そのまま道路になるべき土地を合法的に確保できる。敷地を広げられるのだ。

おいおい、それはないだろう。なんで前の家がごねた分だけこちらが被らないといけないんだ。……と大家さんと一緒に怒っているが、それで件の家に直談判しにいくと、大家さんが喧嘩腰で決裂した(*_*)。なんと、私が止め役になるなんて。

いまや泥沼の町内事情である(-_-)。実はほかにも多くの人間関係が絡んでいて、本来なら仲裁に入るべき自治会も機能していないし、事態は複雑になるばかり。そもそも、この土地の占有は違法であるとか、長年の経緯と人間関係が土地の問題にも波及している。

ま、今夕にも市と交渉を行うつもりだが、かくも土地を巡るトラブルはやっかいなのである。

                                                      

で、山林の土地なのだが(唐突か)、ご存じの人も多いが、今や危機的なのは林業とか森林生態系だけではない。土地境界線が消えかかっているのだ。記憶している人がどんどんいなくなり、かといって明確な印をつけていたり地図を作っている山林図も少ない。いまどき測量を頼むと、莫大な金がかかる。

それをなんとかしようというセミナーが企画された。誰でもGPSを使って個人で、簡単で安く境界線を確定させる技術を教えようというものだ。

とりあえず奈良森守プロジェクトと名付けた。

以前あった吉野まるごとプロジェクトより範囲を広くして、いろいろ森を守る方策を提案していこうという試みだ。今回は、その提案の第一弾。
で、リンクしているページを見ていただければわかるとおり、私が前座の講演をすることになった。本命の話の前のにぎやかし、露払いである(^o^)。

ともかく、山林境界線の問題は重大だ。仮に自分の土地が莫大な価値を生み出すことがわかっても、境界線がわからないと一文にもならない。何より人間関係を壊す。興味のある方は、どうぞ。

■主催 奈良森守プロジェクト
 後援 奈良県林業研究グループ連絡協議会・吉野町林業研究グループ連絡協議会
     奈良県木材共同組合連合会
■日時 平成21年7月26日(日) PM1:30~4:00 
■定員 30名(7月24日までにお申し込み下さい。)
■参加費 無料(但し、資料代200円)
■場所 奈良県社会福祉総合センター 5F 研修室A   周辺地図はこちら
     近鉄畝傍御陵前駅 東出口から北東へ徒歩3分 
     奈良県橿原市大久保町320番地11  TEL 0744-29-0111
■お問合せ TEL 0744-46-4233 (今西まで)
        FAX 0744-49-6670
  

2009/06/25

ペレットは木材の有効利用か

セブンイレブンの売れ残り弁当(食材)を、安売りするか廃棄するかで公正取引委員会から独占禁止法に基づく排除措置命令を受け、ようやく加盟店の安売りをさせまいとした本部にストップがかかった。

この問題で腹が立つのは、「店のブランドイメージを守りたい」と言って、売れ残りは廃棄させようという発想である。一方で、販売機会の喪失(チャンス・ロス)にならないように、常に多めに仕入れさせようとしている。つまり、食材を一定割合で食べずに廃棄させることをビジネスに折り込んでいることだ。

自社のみの利益を得るために、地球環境を持ち出すまでもなく、もったいない精神のかけらもないことを露呈したと思う。

そこで持ち出される言い訳が、「リサイクル」だ。食材は何も全部捨てているわけではない、すでに半分近くを堆肥にして農地に返しています、という。そして、この比率をもっと高める努力をします……。

が、食材を堆肥にしたら、それは有効利用なのか。加工する際に出る野菜クズなどなら、まあそう言えなくもないだろう。野菜クズはほかに用途が浮かばない。が、ちゃんと人様が食べられる料理としての弁当なりおにぎりを堆肥にすることが正しいのか。そもそも堆肥の価格は食材に比べて極めて安く、それだけでは赤字だろう。処理費の代わりとして、それでも赤字の分は、売れた弁当などの価格に上乗せさせているのは間違いない。

食材は、畑なり牧場、あるいは漁で獲ったものを、ちゃんと食べることが基本である。その食べ残しや加工屑の再利用として堆肥などがあるべきだ。

こんなことをグダグダ書いているのは、木材でも同じことが行われているからだ。まず林地に伐り捨てしていることがある。が、それだけではない。林地残材を木質ペレットにするというのも、これに当たる。
まったく利用していない木材を、コスト(エネルギー)をかけて山から出し、木材として使う前に燃料として燃やすのは、リサイクルではなくて、直に最終廃棄につなげている。それも価格が高くて経営的に引き合うならともかく、大赤字で補助金(税金)を投入して帳尻合わせているだけだ。

必要なのは、木材を加工する際に出る端材・おが屑などをペレットにすることだ。あるいは建築廃材を利用することだ(ただし、建築廃材をペレット材料にすることを日本燃焼機器検査協会は認めていないらしい)。これならリサイクルにもなるし、廃棄物の有効利用である。そうすることによって、一本の木をあますことなく利用したことになる。また製造コストも安く済むから、経営的に引き合う。

どうしても最初からペレットにしかならないような木だというのなら、その木質ペレットを別の用途に使うことを考えてほしい。猫砂でも何でもいい。そして、猫のおしっこがしみこんだペレット廃棄物を燃料にしていただきたい(^o^)。燃えないかなあ。ペレットも崩れてぐずぐずになっているだろうが。

木質ペレットだけの問題ではないが、カスケード利用とかリサイクルの本来の意味を忘れて、コストも考えずに単に利用するだけでは「もったいない」。

2009/06/24

書評「田舎ごこち」

1冊の本が送られてきた。 

「田舎ごこち」。ソウダ、田舎デ暮ラソウ。 鄙びと著 
出版は、ワン・ライン 出雲市の出版社である。

田舎暮らしを行っている人を紹介する、島根の本。有体に言えば、島根に暮らす人を増やすための本(笑)。正確には、本というよりムックだろうか。
送り主は、島根県の人で、このブログの読者である。感謝。

内容は、島根にIターン、Uターン、嫁ターン(^^;)などして、外から移ってきた人。そして、現在農業、酪農、林業、漁業などに就いている10組取り上げている。ほか、周辺情報もある。その点は、出版社のサイトを見ていただきたい。

一読、素直に伸びやかに、それぞれの人が描かれていると思った。デザインも、少しパンフレット的だが、スマートに仕上がっている。
東京のマスコミ人は、地方マスコミを見下すケースが多いが、実は、編集者からライター、カメラマン、デザイナー、音楽家まで、個別には非常に優秀な人がいる。そもそも、そんな人材もUIターンしているのだ。それがシステム的に機能しにくいのが残念だが、私は、レベルの低い東京マスコミともたくさん出会っており、人口比でどちらが上かわからない。

一人一人読んでいると、ああ、島根の暮らしって、楽しそう……と騙されそうになる(笑)。農林漁業も悪くない、俺にもできるんじゃないかって、信じたくなる(笑)。

それは裏を返すと、パンチ力がなく、本を売るという点では弱いかもしれない。
だが都会の出版社が、今の田舎暮らしブームに便乗しようと作っているムック類との違いを感じる。そうしたドギツイ本の裏には、執筆している人の都会臭さがプンプンし、しかも本人たちは田舎に興味も理解もないことが透けて見える。田舎は商売のタネであり、自分が住むところとは思っていないからだろう。
それがこの本にはない。むしろ、それが魅力になっている。あくまで書き手も田舎(島根人)の視点なのだ。執筆者の寄って立つ位置は、人物を描く際の重要な要素だ。記事から書き手の人生まで透けてくる。

ただ本書の書き手は複数だ。その点は、気をつけて読まないと混乱する(^^;)。

私も、田舎暮らしをしている人(主にIターン)を3桁以上取材して、それを記事にしてきた。その際に心がけているのは、この人物は、何を田舎に求めてやってきたのか、何が都会を捨てさせたのか、という点を聞き出すことだ。
もちろん、本音を聞き出すのは簡単ではないし、聞き出せてもそのまま記事にするわけではない。周辺事情から推察するだけに留めることも多い。だが、田舎暮らしをする人物の心の背景を察するということは、記事の根幹に関わるのだ。
それを抜け落とした人物の田舎暮らし事例は、深みがない。

ちなみに、本書に登場する隠岐の海士町でイワガキを養殖する人が登場する。彼は、もともと隠岐に初めてのダイビングショップを経営することを目的に移住した。この人を、私は以前に取材している。またその後も幾度かお会いしている。一緒に海も潜った。(正確にいうと、奥さんに手を引っ張られて、海の底に連れて行ってもらった、というべきか。)
ところが、そのダイビングショップを手放したという話を知り、あれ、都会にもどったのかと思ってしまった。なんの、ダイビングからイワガキ養殖へと転換したのであった。

写真を見ると、かつての風貌とかなりの変化。たくましい……おっさんになっているわ(笑)。

一方で、同じ隠岐でも隣の知夫里島でイワガキ養殖をしていたIターン者も取材している。彼は、最初から漁師。イワガキが隠岐で広がるまでの話を聞いた。その際に、私は一晩でイワガキ10個食ったことは、自慢だ(^^;)。

だから、それなりに裏事情を知っている(~_~;)。

この本には、田舎暮らしの厳しい点や、農林漁業の難しさには触れられていない。移住後の苦労話も少ない。だが、必要ないんだろうな。どこぞのテレビ番組のように、田舎暮らしの失敗談を探して、その人を嘲うつもりはないだから。この本は、島根に移住を誘うように見せかけて、実は、こんな人生もあるよと、オルタナティブな生き方を見せているのだから。

2009/06/23

マスコミ業界が瓦解する理由

今日は、我が職場であるマスコミ業界の話である。

今や、日本のマスコミ業界は非常な危機にある。新聞は次々と部数を落とし、雑誌は休刊が相次ぎ、書籍も売れずに発行部数を落とすばかり。ごく一部のメガヒットを除いて、業界全体としては奈落の底に落ちるがごとく、なのである。10年近く前の『だれが「本」を殺すのか』なんて本でも、その状況が描かれているが、今だ何も変わっていない。いや、さらに酷くなっていると言えるだろう。

その理由としては、不景気に加えてデジタルメディアの増加とか、マスコミ不振とか、前近代的な流通とか、いろいろ言われているが、実は欧米では出版業がそんなに落ち込んでいない(微増)ところを見ると、それらは後付けの理由だろう。

ただ確実なのは、読みたい本や雑誌が減っているから買わないということだ。読みたければ、デジタルメディア(インターネットなど)に頼らず、ちゃんと買う。たまにメガヒットが生れるのは、そこを打ち破ったからではないか。

では、なぜ読みたくなるものが作れないのか。

ここで出版業界の流れを振り返ると、編集部が企画して、それを制作して、本屋まで流通させて、一般読者に届ける。だが、それぞれの分野は全部別会社で、意思疎通が必ずしもよいわけてはない。同じ会社内でも、編集部と営業部、販売部の連携は弱い。だから読者(消費者)の声をフィールドバックする仕組みがない。せいぜい折り込みハガキで感想を送ってもらう程度。つまり情報が一方通行なのである。循環して次の商品開発に活かすシステムがないのだ。

編集者、あるいは著者が頭を絞って企画を考えるが、流通までは考えない、考えても手を出せない。結果的に、売れずに返本となり、今や返本率は、40%を越えているという。しかも再販制度により、返本の値下げさえできない。安く売って在庫処理することが禁じられている。
だから多くの返本・雑誌は、再び出荷されるよりも裁断されて破棄される。壮大な無駄だ。もちろん破棄にもコストもかかる。
売れないから、出版点数を増やして目先の売上を増やす手に出る。しかし、それもまた返本されることが多いから、出版の会社としての体力を奪っていく。

……と、ここまで説明して、気がつかないだろうか。

一方通行の情報とコストばかりかけている壮大な無駄。生産者の勝手な思いで出荷される商品。これって、林業-木材業界に似てない?

林業家は、自分の都合(生産者の都合)で木を伐採する。近頃は行政も介入して、間伐促進とか花粉症対策の名目で木を伐り、ある程度出荷する。市場に需要以上の木材を出されれば、価格を暴落させやすい。
製材業や流通業も、コスト削減努力は低く、小売店(工務店)の声をフィードバックする仕組みがない。ニーズをつかんでいないのだ。出版社と本屋がつながっていない、情報のやり取りがないことに似ている。

だから、売れる商品開発があまり進まない。いまだに無垢の柱材だとか、木目で価格が決まり、求められていない木質ペレットが作られる(笑)。本は返本できるけど、木材はできない。

……こうして書いていて、改めて出版業の問題点と林業界の問題点が似ていることに気がついた(^^;)。

で、直せるかというと、著者である私も、読者ニーズより自分の書きたい内容を選ぶ傾向があり、全然懲りていないことがわかる(*_*)。読者ニーズ? ま、このブログで吸い上げる程度だo(^_-)O。

とはいえ、業界再編の動きはある。大日本印刷は、近頃、主婦の友社などの出版社や図書館流通センターなど取次ぎ会社、そして丸善、ジュンク堂書店など小売り書店を相次ぎ買収して傘下に収めた。さらに「ブックオフ」まで出資している。これは、一種の出版コングロマリットの形成になり、よいことかどうかわかりにくいが、同一グループになることで情報の流れをよくする効果はあるだろう。
出版社の体力を補強するとともに、読者ニーズを吸い上げて編集現場に届け、流通を改善し売れ残り(返本)をギリギリまで減らす印刷方法が模索されるだろう。

さて、林業-木材業界も連携の動きを強める必要がある。いっそ木造建築に進出するゼネコンとか住宅会社が、山林所有から造林・素材生産業、製材業、運搬業までグループ化することがあってもよいのではないか。するとスムースな情報をやり取りできるシステムに近づく。
これも「顔の見える家づくり」になるかもしれない。そしてロスを出さず利益率の高い森づくりを行うのである。

2009/06/22

内装・外装商品の企画募集

先週末から続いたトビムシ・セミナーやその後連日となった飲み会で話題になったのは、やはり木材の商品開発であり、それをいかに売り出すかという営業戦略であった。

いかに不景気であろうと、売れる商品はある。儲かっている会社はある。不況のせいにして補助金に泣きつくことが、ビジネス体力を奪っている。

それぞれのセミナー、飲み会では、それらのヒントになる話がいっぱいあった。事実、儲けている人もいた。「ここだけの話……」利益率が馬鹿高く、手間もかからず濡れ手に泡、のような話もあった。立米50万円くらいで木材を売るのだ。

ま、それらのネタはこのブログでは披露しないが(^^;)、頭を使えば可能なのである。

そこで、こんな募集を紹介しよう。

住宅分野への地域材供給シェア拡大総合対策事業
地域材を生かした新製品企画の募集について

(財)日本住宅・木材技術センターと、(社)日本木材保存協会が、林野庁の助成を受けて、スギ、ヒノキ等の地域材を利用したマンションの内装材、もしくは住宅の外構材の新製品の企画を募集しているのである。

審査に合格すると、新製品開発のために必要な経費への支援(内装材及び外構材とも、400万円まで)と、製品開発に当たって専門家等からの指導、助言及び開発された製品の普及に対する支援が行われる。

悪くない話だ。箱ものではなく商品開発に公的機関が支援することは喜ばしい。

そして、内装材、外装材というのも、私の思いとぴったりだ。

私は常々、木材を構造材にしていては、いきづまる、と言ってきた。はっきり言って、木材は金属やコンクリートなどの構造材マテリアルにかなわない。いろいろ理由を付けて木材の優位性が語られるが、それは虚構だ。
強度なら鉄骨や鉄筋コンクリートの方が木材より強いに決まっている。耐震でも耐火でも、木材は劣るのだ。もちろん、それぞれ素材のメリットデメリットはあるが、木材がほかの構造素材を蹴散らすほどの優位は存在しないのだ。

唯一、木材が絶対的優位を保てるのは、感性に訴えることである。人の目、手触り肌触り、香り、温かみ……そして、何よりも天然物という心に訴えるもの。これだけは木材がほかのマテリアルと違いを主張できるのだ。
そして、感性素材としての木材が活かされるのは、内装材と外装材しかない。しかも、装飾用木材は通常薄く板にして使うから、難物の乾燥でも有利になる。単価は高く、一点当たりの使用素材量は少ない。
逆に、いくら構造材に立派な木材を使っても、上から新建材で覆われたら感性効果は何もなくなるだろう。

だから、木材の、内装材と外装材新商品を開発しろ。いろいろな機会を捉えて私はそう発信してきたつもりだが、あまり賛同が得られなかったようだ。

しかし、今回の企画募集は、ドンピシャ、その路線である。まあ、応募条件は法人格を持つことで応募期間も一ヶ月を切るなど、多少制限はあるが、厳しくはない。

我と思わん業者は、応募してはいかが。

2009/06/21

世界一太い?木

日曜日は、読む人も頭を使うのもナンなので、こんな話題。

コスタリカの国立生物多様性研究所が選定する今年の「並はずれた木」に、サンホセの北方約150キロのカブラ デ コバノにある樹齢100年のイゲロンという木を選んだというニュース。高さ40メートルで、直径は21.5メートルにも及ぶとか。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2612780/4277367

「並はずれた木」という選定が何を意味するのかわからないが、ともかくこの直径の数字はとてつもない。

世界一の木とされているアメリカのセコイヤ国立公園のシャーマン将軍の木は、直径11・1メートル。高さ84メートル。これは体積が世界一ということらしい。

世界一太いとされるのは、メキシコのオアハカ州のサンタ・マリア・デル・トゥーレにあるメキシコラクウショウは、直径11・6メートル、高さは約35メートル。ちなみに周囲が36・2メートル。

21・5メートルの直径とは、それらの2倍くらいになる。

ただ写真を見ると、丸ごと幹ではなく、ガジュマルみたいに気根が癒着しているようだ。ま、新発見の木というわけではないようだが、目の保養に(^o^)。

2009/06/20

関西の林業界

昨日は、㈱トビムシの林材関係のマーケティング・セミナーに参加した。

トビムシに関して、あるいはセミナー内容に関しては、改めて書きたいと思うが、ようするに林業-木材産業に関する勉強会である。

まあ、私はマーケティングに興味があるとともに、トビムシという会社にも興味があったのだが……もう一つの目的とは、林業界でセミナーに参加して自らの事業を見直そうという人は、どんな人かという点でも注目していた。

で、会場に着くなり、見知った顔が続々と……(笑)。

なんだ、林業界は狭い(^o^)。やる気のある人は少ないだけに、セミナーに参加意欲のある人は限られてしまうのかもしれない。しかも、山主は少なく製材関係者、自治体の林業部署の人が多い。

とはいえ、初めての人、久しぶりの人と情報交換ができた。今、林業界の動きはIT産業並に早い(ホンマか?)。オタオタしていると、すぐ情報が古くなる。

さて、今日も出かける。セミナーじゃなくて、飲み会かも(^^;)だが、こちらでも情報交換して、世の中の動きに遅れないようにするべ。

2009/06/19

「余暇」と「田舎暮らし」

某テレビ番組を製作するプロダクションからメールで相談を持ちかけられた。

「余暇」をテーマに扱いたいので、「余暇」の一つである「田舎暮らし」について、様々な事例を教えてほしい……。

よくある依頼だ(笑)。

これに応えるかどうかは、まだわからないが、根本的に???と思ったのは、田舎暮らしを「余暇」と捉えていることだ。暮らしなのだから、生活全般であり、余暇活動とは一線を画すはずなのだが、それはどうした意識から生じるのだろうか。

どうも、ここで頭に浮かべている田舎暮らしとは、リタイヤ後に都会から離れて過ごす場と時間という設定らしい。

田舎自体に生活の基盤を移すとは思っていない。いわば別荘暮らし、あるいは農村リゾートへの滞在だ。クラインガルテンも含まれるのかもしれない。しかし、別荘暮らしは田舎暮らしと決定的に違う。そこで家庭菜園をやろうと、薪ストーブを使用しようと、田舎ではない。そもそも別荘に暮らす人は、自分自身が田舎で暮らしているとは思っていないだろう。

ここで、プロダクションやテレビ番組の企画に対して論じるつもりはない。
私が驚いたのは、都会の人にとっての田舎とは、生産活動をする場だと感じていないことに、改めて気づかされたことである。もちろん地元の人と一緒に地域を作るという意識もなさそうだ。

都会からすると、田舎に生産活動(経済活動)を期待していないのではないか。せいぜい余暇の場であり、地元の人は余暇(レジャーや観光)に伴うサービスを提供する要員という位置づけなのかもしれない。それが産業であり、経済活動だと言ってしまえば、生産活動をしていると言えなくもないが……。

一方、多くの田舎では、田舎こそ生産活動の場(とくに第1次産業)であり、さらに労働力という形での人材供給の場であった、と感じている。だから都会で働いている人も、田舎に恩返し(税金の投入?)すべきだと主張する。
この主張は、つい最近までは一定の説得力があったのだが、今では第1次産業の生産物は海の向こうから輸入されるし、人材供給も都会で自足する、あるいは海外からの労働移民の可能性もあることから通じなくなってきたのだが。

ここで「だから都会人の発想は……」と批判するのは簡単だが、それでは何ら事態を帰ることにはならない。むしろ改めて考え直してみてはどうだろうか。

果たして、現在の田舎は生産活動をしているのかだろうか……と。

案外、田舎の役割は、生産ではなく余暇だという結論になるかもしれないよ。

2009/06/18

NHK「ふるさと一番!」に割り箸

またNHKネタだが、昼のニュースの後にある「ふるさと一番!」では、昨日と今日が奈良県だった。そして、今日は下市町の割り箸づくりがテーマ。

実は、昨日からチェック済だったのだが、いざ時間になると忘れていた。すると電話が。

有り難いことに知らせてくれる人がいたのである(笑)。

あわててチャンネルを合わす。おお、やってるやってる。

登場するのは、鍵本さんといって、下市町の製箸組合の長である。組合長と行言っても、特別な事務所ではなく、ごく普通の製箸所で、私も取材に訪れている。ただ場所がわかりにくくてたどり着くのに苦労した記憶がある。

こちらではスギの天削を製造しているが、吉野の割り箸は端材の背板から作ることを説明していた。そして、丁寧な、というか、大変な手間のかかる工程が紹介された。「もったいないから、割り箸にする」。この言葉が通じればいいのだが。

終わった……と思ったら、今度は携帯メール。なんと、この番組のことをお知らせする内容であった(笑)。有り難いことである。

さて、この際だから抱き合わせでお知らせ。

『森を歩く 森林セラピーへのいざない』の書評が載った。

森林文化協会の発行する「グリーンパワー」7月号。

Img044                                                

実は、この雑誌には別に「『森を歩く』という連載記事もある。こちらは森林療法とは何の関係もなく、各地の森を紹介するページ。この号では、富士山の北麓のツガの森を取り上げていた。ほとんど青木ヶ原だ。昔、私もよく歩いた。

ツガは、全国どこでもある普通の木だと思っていたが、今となっては結構貴重である。

ちなみにちなみに、この雑誌には、私は連載を持っている。この号に掲載されたのが、日本一の米「龍の瞳」だ。

2009/06/17

東洋経済の林業記事

森林公有化論を掲載した日経ビジネス・オンラインに対抗して、ということではあるまいが、今度は

「東洋経済」オンラインに
豊富な森林資源を生かす林業政策を、自立を促すインフラ整備が重要

という林業記事が掲載された。

「週刊東洋経済」本誌では、以前に農業のことを取り上げていて、あまりにつまらなかったので立ち読みで終えた(^^;)という経験があるのだが、今度は……。

執筆者は、週刊東洋経済の小長洋子記者。どんな専門分野を扱っているのかはわからないが、林業に造詣が深い、ということではなさそうだ。

が、なかなか読ませるのである。前半は、まあ、林業の現況のおさらい。ヨーロッパとの比較や歴史的な流れを押さえている。とくにパルプの視点が入っているのは珍しいかもしれない。実は、日本の木材自給率を語る際に、製紙用パルプは結構大きなシェアなのだが、一般には忘れられがち。だからその点に触れるのは重要だ。
加えて、零細問題にも触れ、公有化論や利用権分離論にも一言付け加えている。

「零細な所有者については、エリアごとに自治体などが借り上げる、あるいは利用権を株式化して収益が上がれば配当する、というアイデアを持つ関係者もいるが、なかなか実現に結びつかないという。」

そして、いよいよ今後の方策という点では、林道問題と流通問題を大きく指摘している。

「流通網の未整備も大きな問題だ。大口需要家と直接契約しないかぎり、販売するには地元の原木市場を通すが、どこにどんな木材があるのか、といった情報は外部から取ることができない。ネットワークがないからだ。野ざらしのまま劣化してしまえば低質材として燃料などにするしかない。」

「林道の敷設も、何も最初からふもとから山頂まで一気通貫する必要はない。利用しやすく資源量も豊富な緩斜面エリアから、必要に応じて延伸していけばいい。」
「ただし林道の整備には、生活道や観光道路などへの転用を制限し、純粋に林業の発展に資する、という厳しい条件も必要だろう。」

結論としては、

補助金の一部でもインフラ投資に振り向け、育成林の20%を活性化するだけで、国産材の利用率は倍増する。

しかし、

「近代的な経営手法を取り入れた仕組み作りは、市町村単位の手に負える話ではない。国家行政の仕事だろう。インフラが整い収益化の可能性が見えてくれば、民間資本の参入も期待できる。」

概して、納得のいける論説だ。素人は、すぐに公有化論などに飛びつきがちなのだが、国家のできる範囲とやるべき分野をしっかり押さえている。
おそらくこれは、小長記者が林業に詳しいというより、よい取材相手を見つけたということではないだろうか。もちろん、そうした解説者を見つける勘も記者の能力のうちなので、大いに能力を買う。何らかの嗅覚が働いたのだろうか。

2009/06/16

「ご近所の底力」で、棚田は守れるか?

なんでか6月14日の昼間に放送されたNHKの「ご近所の底力 ふるさとの棚田よよみがえれ」という番組。わざわざ録画して見た。

ようするに、ほとんど限界集落(この言葉、使っていいのだろうか)になった、宮崎県日南市の酒元集落の棚田をいかに守るか、というのがテーマだ。ここの棚田は日本の棚田百選にも選ばれた美しい石垣の棚田が広がるそうだ。ちなみに、この集落は、すでに棚田オーナー制度なども展開しているが、それさえも維持するのが難しくなっている。

内容は、探したらNHKのホームページに詳しく載っていたので、参考にしてください。
http://www.nhk.or.jp/gokinjo/backnumber/090614.html

提案された棚田を守る手法は、2つ。

一つ目は、農業に興味のある学生にボランティアとして来てもらうこと。これで日常の農作業をこなす。学生にとっては、教室では学べない現場の農業や地域の勉強になるから、希望者は少なくない。この事例は、鳥取県の人材学生バンクが行っている。

2つ目は、ヨソモノではなく、集落の子弟を呼び返すためのイベントを行い、年に何回か帰省を促すこと。Uターンまで結びつくかもしれない方法だ。この事例は、熊本県水俣市の久木野集落の愛林館が行っている。具体的には、「家庭料理大集合!」とか「シシ鍋マラソン」「棚田の灯り祭り」など。都会で暮らしつつも、故郷に帰る機会を作るのだ。

なるほど。……とは思ったが、実は、この2つの事例は、私はすでに取材済だ(^o^)。

だから、こうした手法の可能性は感じつつも、運営の大変さも知っている。やはり、キーマンがいないとできない。

学生人材パンクのボランティア登録は800人を越えるそうだが、それだけの学生を集めるのはあまくない。農学部のある大学が地元にあることも重要だ。
愛林館は、その筋では有名(笑)。こちらも頑張っておられる。そもそも、一つの集落の地域づくりのために愛林館なる組織を作らせたことが出色なのだが、立ち上げた人材の能力にかかっている。

個人的な人材に頼らず、自治体などが取り組まねばならない面も多いだろう。

また、目先の維持は何とかしても、棚田地域の経済力を高めて若者が生活を送れるようにしないと、Uターンしたくてもできない。住民がいなくなれば、ボランティアも呼びようがない。だから、こうした手法を第一段階として、次のステップを考えておく覚悟がいる。

Uターンや、あるいはIターンが可能になる仕組みや、彼らの知識・ネットワークを活かしてほしい。

重い課題だ。

2009/06/15

幻の土倉屋敷

吉野に行ってやりたかったことは、先に書いた「吉野林業全書」のことがある。

これが、川上村大滝の図。

                                                         Img037                                                 

                                               

見た通り、大きく吉野川が蛇行するところに大滝集落があるのだが、この曲がり鼻のところで、上流から流されてきた原木を集めて筏に組み直して下流へと下る。

その筏を組む様子の図版もあるのだが、こちらの図版には、曲がり鼻の所に屋敷が描かれている。これこそ、土倉屋敷だろう。

土倉屋敷は豪邸だったと伝えられているが、具体的にどんな間取りだったとか家屋は何軒あったとかはわからない。すでに記憶の彼方だ。

しかし、この図を見ると、きちんと屋敷や蔵などが何棟あるか読み取れる。

ただ、そんなに敷地が広いわけではない。やはり急峻な山肌と川に面した場所に、そんなに平坦地を確保できないからだろう。敷地いっぱいに家屋が立ち、庭らしきものはほとんどなかったようだ。ただ家の前にマツの木が植わっていた。

P7100054_2                                               

実際、伊勢湾台風で崩壊した家屋の写真を見ると、マツの木が写っている。かなり画質は悪いが、貴重な土倉屋敷の全容だ。

現在は、手前に高い建物ができたせいもあって、この曲がり鼻をうまく見ることはできない。ただ道が拡張されて、屋敷跡の敷地はかなり削られたようだ。加えて、郵便局と駐在所を建てるために土地を提供したから、残っている敷地はわずかだ。

6                                                

一部に銅像が建てられたが、ここには礎石があるだけ。

後ろに土塀がボロボロになりつつも残されていたが(以前、前ブログで紹介)、それも今回見たところ撤去されていた。いよいよ、当時を忍ぶものはなくなっていく。

2009/06/14

職人の矜持? 見栄?

吉野から帰って来た。

久しぶりに訪ねた割り箸の現場。いろいろ新しい情報に接して、割り箸業界も動いていることを実感。改めて注視したい。

ところで、訪ねた製箸所の最後の検品過程を見学した。

だいたい10種類に分類する。合格というか、一級品が8割。残りは問題ありだが、多少表面をカンナ掛けすれば売り物になるもの、白地の木地に少しだけ赤身が混じったもの、木目が目粗、箸先が開いている……という風に分けられる。これらは、値段を下げて出荷される。

で、欠陥品として外されるものも、数%出る。それは、燃やしてしまうそうだ。

その山を手に取ると、たしかに木地が欠けていたり、折れているもの、節、黒点が入ったものなどだが、なかにはどこが悪いんだか、わからないものもあった。

手に取ってまじまじと見るが、わからない。検品していたお母さんに聞くと、「………」。

あれえ? すぐにわからないらしい(^^;)。

どうやら、寸法足らずとか、赤身が多すぎて色がダンダラのもの、木目が流れていてきれいに割れないであろうもの、などらしいが、それだって使える。

どう見ても、食べる道具として、さして問題があるように思えない。

「これはどうするんですか?」

「燃やします」 きっぱりと言った。

「燃やすなんて! じゃあ、私がもらっていきます!」

「ダメです、ダメ」

押し問答を繰り返した。

「それなら、こちらの箸を持って行ってください」と示したのは、商品になるものではないか。そんなもの、もらえない。精根かけて作った品は、ちゃんと現金化してもらわないと。

いや、私は、商品にならない箸になった木材がもったいなく感じるから、せめて私が使いたいという思いなのに、欠陥品をお土産に持たせることに抵抗するのだ。
とうとう、押し切られて、商品をもらってしまった……。でも、手にしていた欠陥品も数膳こっそりと持ち帰る。窃盗だ(^^ゞ。

その写真を載せて、どこが欠陥なんだ? と示そうかと思ったが、失敗作を世に出したくないという思いを裏切ることになるから、止めておこう。

見栄えの点から欠陥扱いするが、使用に問題ない割り箸を外に出したくないというのは、割り箸職人の矜持なのか。それとも見栄なのか。

2009/06/13

右肩上がり割り箸

右肩上がり割り箸
新しい割り箸。
割ると、長さが違う。

2009/06/12

吉野林業全書、入手!

土倉庄三郎が出版に関わった、「吉野林業全書」。

著者は、森庄一郎となっているが、事実上、土倉が執筆したんだ、ということになっている。

さて、真偽は……。

ということもあるのだが、この本、戦後に復刻されている。私は、それを図書館で重要箇所をコピーを取って手元に置いていたが、この本について調べようと思うと、やはり全編欲しくなった。

そこで、ネットで調べると、意外や簡単に復刻版なら手に入るようだ。価格も、そんなに高くない。もちろん原本は馬鹿高いが、復刻版の方が現代語訳もついているし、関係者の序文なども添えられていて、都合がよい。

そこで注文したのが、ついに届いた\(^o^)/。

Img036                                                 

                                                

写真は、原本の方の表紙。重々しい(^^;)。

挿絵が豊富なんだが、なかには吉野・大滝の筏場の風景もある。そこに描かれているのは、おそらく土倉家の家屋だ。

焼失した土倉家の往時の姿を推測するには、この図版は貴重だ。

というわけで、明日は吉野に行っていま~す(^o^)。

2009/06/11

公有化で森を守れるか

日経ビジネス・オンラインに、

しのびよる外資、林業ブームの死角
日本の森林を守るなら、今すぐ公有化せよ

という記事が出ている。執筆者は、平野秀樹氏。元林野庁で現・森林総研の理事だ。ちなみに、これまで「森の巨人百選」とか「森の聞き書き甲子園」とか「森林セラピー」などを仕掛けた人でもある。

ここに記されているのは、タイトルのような外資問題はほとんどなく、今の林業のダメさ加減である。また補助金がジャブジャブつぎ込まれるが、こんなことはいつまでも続けられないよ、ということだ。一部の「林業ブーム」にも警笛を鳴らす。そして森林所有者に対し、人工林経営を補助事業で勧めることの限界を訴える。

農業政策については、いろいろと論争があるが、こと森林政策については、異論は聞こえてこない。

これは、大いに同意。少なくても減反政策を始めとして農業政策については、かしましいほどに論争が行われている。どれが正しい政策なのかわかりにくいが、ともあれ関係者も世間も関心を示しているのである。ところが、森林政策になると、ほとんど異論はなく、間伐推進と言えば誰も反対せず補助金は出るし、森林環境税を作ろう(増税する)と言っても、反対は少なく議会を通過する。不思議だ。

ところが、その対策として提案するのが、森林公有化なのである。

林業が産業として危ぶまれ、植林放棄が相次ぐ今、どのようにして森林を維持していけばいいのか。上記で述べた問題を踏まえると、考えられるのは森林の「公有林化」しかないだろう。

 「公有林化」――それは、所有権そのものを公的セクターに寄せてしまうことだ。水源林など公益性の高い私有林を公的機関が公有林として買い上げてしまう。これによって植林放棄を減らせる。それと同時に、農業経営が大型化を志向するように、林業もパッチワーク状の所有形態を大型化する策を探るべきだろう。

なんで、こうなるの?

本気でできると思っているのか? 財源問題はさておき、森林所有者は国や自治体なら森林を買い上げてもらおうと考えると思っているのか? 長期的な森林管理を公的機関ならできると思っているのか? よほど、お上の実力を信じているのか?
地方によっては、「荒れている山を見たら、国有林と思え」と言われているのを知らないのだろうか?

林業における土地集約化と所有形態の大型化は、農業以上に進めるべきだと思うが、それをできるのは誰なのか。

儲からない私有林は林家にとっても国家としても今、ドラ息子状態だ。自立できず、親にカネの無心ばかりをする。そろそろ、放任型の下宿生活をやめさせ、管理型の安上がり寮生活を勧める時だ。

ここにも、民間はどら息子放任型で、公的機関は安上がりな管理型と思い込んでいるらしい。私は、国こそ「高くつく放任型」と思えてならないのだが(笑)。

森林経営の最大の難点は、長期スパンで考えないといけないことだ。最低でも50年、できれば100年単位で考えないと森林の育成や更新は行えない。
たしかに、これだけ未来のことを考えるのは、一見公的な役割と感じてしまう。国家百年の大計を考えるのは、政治家の役目であろう。が、これまでの実績を見ると、もっとも目先のことしか見ないのが官僚であり、政治家ではないか。ほとんど数年しか見ていない。

その理由は簡単。任期が短いからだ。政治家は選挙があり、官僚も同じポストに2、3年しか留まらない。あれよあれよ、と変わってしまう。林野庁長官なんて、ほとんと1年交代だよ。だから自分の任期の間以上のことは考えても仕方がない。どんな100年の大計を立てても、次のポストに着く人が引っくり返す(笑)。この点は同情するが、自分が立てた施策が実現しなくても責任も問われないというのはどうだ?
まあ、地方自治体では、長く同じ部署に留まる人もいることはいるが……。

拡大造林期に植えた人工林がいよいよ伐採適期を迎え始めたからだ。今、伐採して植林するという2巡目の新しい動きに入るタイミングにある。選択の時だ。また、環境的視点のウエートが森林には高まってきていることも見逃せない。さらにもう1つ。林地と立木の価格が下がり続け、現在、底値近くになっていると見込まれるからだ。

これは同意。今は、新しい体制に持ち込むチャンスだ。
でも、そこに公的機関が出しゃばるんじゃなくて、できれば林業に興味を持つ財産家などが参入してほしい。せいぜい10億円で数百ヘクタール、いやうまくすると1000ヘクタール以上の山主になれるのだから、それくらいの金を動かすのはなんともない人は少なくないはずだ。

公的機関には、森林の売買を促進するような側面援助に徹するべきではなかろうか。荒れた森の所得税・相続税は高くするとか(^o^)。大面積ほど所得税を安くするとか。そうすれば、手放しやすくなり、買いやすくなる。そんな売り手と買い手を発掘する。

買い手は「緑のオーナー」だ。ただし、一口1億円で、売買面積も100ヘクタール単位(^o^)。そんなマッチングできたら、面白いだろうなあ。

なんにせよ、あまり時間がない。早く新体制づくりの議論を行ってほしい。

2009/06/10

200年住宅よりも、20年住宅!?

政府が、長期優良住宅促進法という法律を施行した。

いわゆる「200年住宅」制度というもので、長く強度を保てたりシロアリ対策をしている、間取りを変更しやすいなどの構造を取った家は、住宅ローンや税金などが優遇されるらしい。こうした家づくりを進めたら業界の信頼感が高まるから、住宅市場の起爆剤になる……と期待しているらしい。

でも、なあ。日本の住宅の寿命が短いのは、構造の問題だけだろうか。
やはり時代とともに求めるデザインや機能性が変化することが大きいと思う。さらに日本人の感性として「禊ぎ」の精神から、世代が変わったら一新したがるからではなかろうか。伊勢神宮に始まる発想だ。実際、私も今両親が住んでいる家は、私には使い勝手がよくないもの(^^;)。

それに、素朴な疑問として「味長持ちのガム」のコマーシャルじゃないけど、住宅も長持ちさせたら買う人が減る、住宅市場は伸びるどころか縮小するんじゃないの?

折しも、今年4月の新設住宅着工戸数の発表があったが、前年比32,4%減の6万6198戸である。5ヶ月連続の減少となった。とくに6万戸台は2ヶ月連続で、過去最低水準だそうだ。このままだと年率換算値は77万9000戸

減少傾向にある住宅着工戸数だが、それでも毎年100万戸を切ることはなかったはず。たしか昨年度も110万戸ぐらいはあったと記憶している。それが78万戸前後になれば、約3割減? か。 このうち木造建築が何軒になるかわからないが、林業界にとっても、需要の激減が予想される。

木材需要の点から考えると、いかなる住宅政策の方向性が考えられるか。

いっそ、20年住宅を開発する。20年ごとに建て替えることが前提の住宅で、ローンも20年以下になる超低価格住宅。どうせ地震国の日本だから、潰れるのが前提でもいいんではないかい? ただし強度だけは確実にする。家が壊れない強度ではなく、中の人や財産を傷つけない強度だ。実は、これに木造は向いている。
こうなると、「飽きたらから建て替えよう」という人も現れて、よく木材が売れる(笑)。

リノベーション住宅というのはどうだ。間取りも窓の位置も内装デザインも簡単に換えられる住宅。日曜大工感覚で、壁の板を外しては、新しい板や窓枠にできる。玄関の戸とか部屋の戸も交換できる。その度に部材を買わせる。

もう少しマジメに考えると、住宅着工件数が減るのは、仕方がない。人口が減少しているのだから。しかし、今や住宅は木造の割合が減っている。だから住宅の木造比率を上げることをめざすべきだ。
だから、法律で鉄骨住宅を禁止する(^^;)。新建材も使わせない(*_*)。……は、無理だろうが、木材使用比率によって税制を優遇するような考え方は不可能ではないはず。減価償却期限の見直しとか、住宅所得税の変更で対応できないか。いっそのこと、国産材を使うことでウッドマイレージCO2の削減を計り、その分をカーボン・オフセットの理屈で売買できれば、国産材住宅の方が実質安くなるのではなかろうか。

しかし、何よりも使いたくなるような木質建築材を開発することが先だろうな。

2009/06/09

米粉と間伐材

先日取材した米の新品種「龍の瞳」だが、大粒で食味の良さが自慢で、高価格で売れる。

ところが、取材先で目にしたのは、「龍の瞳」で作った製麺であった。

なぜ、わざわざ大粒の米粒を粉にしてしまうのか?

その疑問に対する答は、「どんな米も、出荷過程で欠けた不良品が出る。それを有効利用するために米粉に加工することを考えている」だった。

なるほど、いくら丁寧に作ってもすべてが一級米にはならないのだ。かといって、胴割れした米粒を捨てるのはもったいないし、売上を落としてしまう。そこで米粉→麺という使い道を模索するわけだ。

それで連想したのが、間伐材。山主は大径木のA材生産を目論んでいるのだろうが、すべての植えた木が大径木に育てられるわけではない。その過程で細い間伐材が出る。BC材が出る。端材も出る。それを、どのように商品とするかが、問われることになる。

そこで少し米作のお勉強。現在、全国の水田面積は255万ヘクタール。しかし生産しているのは154万ヘクタールだから、全体の約40%が減反対象となっている計算だ。おそるべき数字である。それほど米あまりが進んでいるのか?

ところが、その中で需要を拡大している米商品があった。その象徴的な商品が、米粉だ。これまで米粉というのは、和菓子の材料程度の用途しかなかったが、急速に広まっているのが米粉パンだという。

かつても米粉パンはあったが、玄米パンの蒸しパンのように特別なパンだった。
しかし、米粉でパンを作ることに努力した人がいて、現在は美味しく焼けるパン製造法が編み出された。見た目は普通のパンだが、むしろパリッとして美味しいと喜ばれるようになった。なかには100%米粉パンまで登場した。

ただし、コストがまだ高くて、2007年度で消費量は6000トンと、少量。しかし小麦粉は値上げが続いているうえ、パンの消費量は巨大だから、今後大きく伸びる可能性を秘めている。そのうち炊飯米と並ぶようになるかもしれない。

米粉パン用の米の品種の開発まで進んでいる。品質がパン向きであることも重要だが、コストをかけずに作れることも大切だ。

少し脱線すると、飼料用の米やバイオ・エタノール用の米の研究も進んでいる。ようするに手間暇かけずに収穫量が多いことが重要だ。これまでの品種改良は、食味を良くすることに精力が注がれていたが、方向が変わりつつある。

再び間伐材にもどると、米粉なみの注目を集めることはないし、努力も成されていない。同じ補助金漬けの不況業種と思っていた農業は、商品開発からの変革を始めたようだ。ところが、林業にはそうした兆しも感じられない。

米粉パンに匹敵する商品を作り出すことはできないだろうか。

2009/06/08

森林セラピー資格試験

森林セラピーガイド、森林セラピストの資格認定試験が、昨日7日に行われたようだ。

内容は50問4択だとういが、私にはまったくどんなものなのかわからない。一般教養的なものから、医学的なものまであるのだろうか。もし受験者がいたら教えてほしいものである。
また初めてだけに、合格率も、合格ラインもわからないのだろう。結果発表は6月30日

ところで森林セラピー基地も、この春から新認定されたところも出ている。たしか昨年よりも4つばかり増えたのではなかったっけ? さらに昨年までに認定を受けたところが、受入れ準備を終えて、次々とオープンし始めたようだ。

いよいよ森林セラピーは新段階を迎えたと言える。これは、すべての政策において言えることだが、賛成反対、毀誉褒貶、いろいろあっても、いざスタートした限りは、うまく稼働してもらいたいものだ。反対運動の果にダムを造って、でもそのダムに欠陥があって水も溜められません……なんてことになっては、何もかもが無駄で虚しい。

このブログでも、問題点などは指摘したつもりだが、森林療法自体の価値は私は認めている。また基地に選ばれた森林は、いずれも十分魅力的だ。この認定は、魅力ある森林の認定でもある、と思っている。
それだけに森林セラピー基地も森林セラピーガイドもうまく成功させてほしい。そして、願わくば『森を歩く 森林セラピーへのいざない』も売れてくれないと(^o^)。

一方で、創始者である上原巖先生が、この春NPO法人日本森林療法協会の理事長を退任された。どうした事情か知るよしもないが、その点からも新しいステージに移った感がある。

おそらく、今後は個人の思いや林野庁の意図をすっ飛ばして、事態は進行するだろう。不特定多数の人が絡んで作ったムーブメントは、常に想定外の方向へと進むのだ。その点は、チェンソーアート事情と似ているかもしれない……。

私は、資格を取るつもりは毛頭ないが、いっそ資格を作る側に回るか。
森林ウォーカーズ認定試験なんてのはどうだろう。森を歩く際の足の運び方手の動かし方を微に入り際に入り規定する(^^;)。3級から1級、特級まであり、さらにアドバンスコースとか、マスターコースも設ける。最上級になると、道なき森の中を音を立てずに秒速20メートルで進める……とか。

漢字検定のようには行かないかねえ。

2009/06/07

「東大阪ではたらく中小企業社長の告白」

昨日は、先年亡くなった叔父の納骨式。親戚が集まった。

そこで従兄弟と話した。彼は、次男ながら親父(亡くなった叔父の兄)の起こした会社を継いでいる。

そこで話題になったのが、会社経営で起きる様々な日常

たとえば先週、岡山支店で行方不明になった社員のこと。
無断欠勤が続くのでいろいろ当たったが、見つからない。ただ社内の机には、借金の証書や督促状の山……。親族とも連絡がつかない。どうしたらいいのやら。

毎日朝5時起きして出社し、会社で飼っている番犬の散歩。
それから社内の掃除。社長自らがすることで、従業員も従ってくれるのだ。
土日も、何かしら出社。もちろん社長だけだ。仕事先から電話がないから、事務仕事を行える。

先代の経理担当者の使い込みの手口。社長の生命保険を勝手に解約して、すぐ、また新たに入れ直す。そして返却金をくすねるのだそうだ。ほかにも、自分の飲み食いは全部経費で落とす。領収書に通すのは自分なのだから、いともたやすい操作だ。

3日で止める新入社員もいる。
一方、上海大学を卒業した才媛なのに日本では勤め先が見つからず、転がり込んできた中国人。彼女が電話でたどたどしく日本語をしゃべったことが、営業につながる機微。でも彼女の両親の作った料理はものすごく美味いのと、食えないのがあった話。

平気で自分の会社を倒産させる取引先。自分の財産は、しっかり名義を変えて残しておくのだ。おかげで、負債は全部、取引先に被せる。

先代社長の時代、経営が苦しい時期があった。そんなときにやったのは、新幹線のキセル。九州に出張した帰り、博多駅を入場券で入り、検札をパスする。新大阪駅には、彼が2枚の入場券で入って、駅内で渡して、ハサミで切り込みを入れて出てくるのだ……。

一方で親父から教わったこと。「用事が無くても、新地のキャバレーに年に4回は行っておけ」と言われたそうだ。4回行けば、常連さん扱いしてもらえる。すると接待でクライアントをその店に連れて行くと、扱いが違う。

そんなエピソードが並び、「なんだっけ。渋谷のIT企業の社長のなんとかいう本が売れたというけど、中小企業の社長の話も本にならんか」

渋谷ではたらく社長の告白」 だ。サイバーエージェントの藤田晋社長の本である。起業からネットバブルの喧騒、その崩壊と、当時のライブドア社長堀江貴文との交流……などで話題を呼んだ。

だが、そんな有名どころの社長ではなく、中小企業の社長が、どんな日常生活と経営を送っているのか。そんな奮闘を書いた本はないかもしれない。

しかも、聞けばいろいろ面白いエピソードも抱えている。泣き笑いのドラマがある。おそらく世の中小企業経営者なら、みんな共感するのではないだろうか。とくに町工場や小さな会社の多い東大阪なら。

東大阪ではたらく中小企業社長の告白」。

これは、イケルかもしれんぞ(^o^)。執筆するなら協力するぜ。ちゃんとロイヤリティ取るけど。そう私は応じた。思わず私も、「生駒ではたらくフリーランスの告白」を書きたくなる。

返事もそこそこに、従兄弟……いや中小企業経営者は、これから会社にもどると言って、単車にまたがった。

2009/06/06

ブログタイトルを変更

突然ですが、ブログのタイトルを変更しました。

見てのとおり、森林ジャーナリストの「思いつき」ブログ です。

これまでのサブタイトルを昇格させました。もっとも、メインの『だれが日本の「森と木と田舎」を殺すのか』を今度はサブに入れています。つまり、ほとんどメインとサブを入れ換えただけなのです。

この変更は、今年に入ってすぐに考えていましたが、変更のタイミングを伺っていました。

このブログの前身である当時『だれが日本の「森」を殺すのか』(通称、裏ブログ)がスタートしたのは、2005年6月3日です。そこで4周年である6月3日にしようと思っていたのですが、当日は忘れていました(^^;)。4日は終日出かけていて、5日にするはずがテレビを見ていたら午前零時を回ってしまい、とうとう6日になってしまったわけです(-_-)。

もともと前ブログをスタートしたのは、拙著『だれが日本の「森」を殺すのか』を出版する際に、巷で流行りだしたブログなるものを経験してみよう、本の宣伝にもなるだろうか、と試みる感覚でした。だから期間限定を予定していたのです。
ところが、書き始めると癖になるもので、延々と続き、新たな本が出る度に新著のタイトルを付け加えるという目茶苦茶、もといフレキシブルな展開となり、これではいかんなあ、と思っていたところ、使い勝手からブログを引っ越しすることにしました。そこで同時にタイトルを変更することにしたのですが、前ブログとの連続性を感じるタイトルということで『だれが日本の「森と木と田舎」を殺すのか』にしました。(そして、前ブログのタイトルは『森林からのニッポン再生』にしてしまった^^;)

しかし、もう少しシンプルにしたいと思うのと、その後も新著の発行とは関係なく続けていることから、一新することにしました。森林ジャーナリストという肩書は、最近では通用するようになったので、そのまま使うことにしました。

「思いつき」という言葉を使うのは、私はブログは思いつきで書くもの、瞬発力が大切で、そんなに慎重に書くものではない、という信念?からです。その方が、頭を自由に働かせることができます。
情報の裏を取り、各者に配慮して、熟慮に熟慮を重ね推敲を繰り返して書く……という作業は、ビジネスとして新聞・雑誌など媒体の記事、あるいは書籍として出版する場合に行います。ギャランティを受け取る限りは真剣に文章を書きます。しかし、ブログ記事でそんな真似はしません。
情報も、肝心な点は載せないようにしています。わざと伏せています。情報を無料で提供するわけにはいきませんから。(もちろん、情報に間違いがあれば、訂正するか、加筆します。それができるのもブログの特徴と考えています。)だから、あまりマジに読まないでください(^^;)。

残念ながら? 最近はマジメに当ブログから情報を得ようとする方が増えてきました。個人的にそれを要望する人も出てきていますが、それはできかねます。ただ、こちらにもメリットのある場合はその限りではありません。その人に詳しい情報まで提供するかどうかは、ケースバイケースで対応しています。

これはインターネット情報全般にも通じると思いますが、ブログの内容(情報、意見)は、話半分のつもりで読むべきです。書くときには考えていたことも、後に意見が変わることはよくあります。私も、あえて極端な意見を思いつきでアップして頭の体操につなげたり、他者の反応をうかがったりと、自問自答の場にすることも多いです。
その結果、固まってきた意見や情報は、記事や書籍に活かしています。

ということです。タイトルに加えてデザインまで変えると、まったく別のブログに見えかねないので、テンプレートはこれまで通りにしています。

なお、ブログの姿勢に関しては、プロフィール欄に記しておきました。

では、今後ともよろしく。

2009/06/05

可愛いカイコ?

カイコを可愛いと言ってくれる人がいて、嬉しいです\(^o^)/。

そこで本日は特別サービス。

2                                                  

                                                

                                               

も一つ、アップで。

15                                                

                                               

                                                 

養蚕農家は、当然、カイコが大好きみたいです。可愛がってるもの。でも、一般の人は気持ち悪がるかなあ。
私も、最初はともかく、よく見ていると可愛くなってきた(^o^)。触ると、ポニョポニョしてま~す。

でも、少し口直しに。桑の実の写真も見てください。

4

アド米袋

昨年、秋田のJAうごがあきたこまちのパッケージを、萌え美少女キャラクターのイラストにしたところ、爆発的な注文が殺到して、一時出荷をストップしたニュースがあった。

みんな萌え人気に注目したものだが、私は別の感想を持っていた。それは「米袋」というパッケージが媒体になることだ。これまで、ほとんど誰も注目しなかった米袋のデザインが売行きを左右する、そして米袋をしっかり見る消費者がいることに気づいたのである。

そして先日取材した、岐阜の(資)龍の瞳では、米袋に広告を載せられないかと提案していた。

龍の瞳とは、新たに誕生した米の品種で、コシヒカリよりはるかに大粒で食味も日本一の折り紙付き。その販売会社として設立されたのが(資)龍の瞳なのだが、もう一つ、NPO法人龍の瞳倶楽部も設立している。こちらは米づくりや森づくりを行うボランティア・交流団体をめざしているが、その資金源として米袋に目をつけたわけだ。米袋に載せた広告料をNPOに回そうという構想である。

まだこれからなので、実物はお見せできないが、米袋を媒体として利用しようと思い付いたことに私は萌え米袋と同じ発想を感じた。

これって、すごいことではないか。

割り箸の箸袋を広告媒体として利用する「アド箸」を私は紹介してきたが、米袋もその路線に乗るかもしれない。

これまで広告媒体は、マスへと動いてきた。チラシから新聞、雑誌、ラジオにテレビ。ところが、今はインターネットが勢いが増している。インターネット広告は、サイトを見る人という括りで消費者を選別できる。その方が広告効果は高いのである。だが、それでもマスには変わりない。

だが、箸袋や米袋は、もっと広告を目にする人を選別できる。箸を手にする人は、これから食事をするのだろう。だったら飲料の広告を載せると効果的だ。同じく、米袋を手にする人……とくに龍の瞳のような食味が良く高価な米を買う人に、適切な商品広告を載せれば効果はぐんと高まるのではなかろうか。

今後は、消費者をぐっと絞り込んだ広告が注目されるかもしれない。商品パッケージが持つメッセージ性を利用すると、その商品の売行きだけでなく、周辺商品にも波及させることができる。

ちなみにJAうごは、その後「羽後牛ビーフカレー」のパッケージにも、同じイラストレーターによる萌えキャラクターを採用したそうである。

農協の中でも、頑張っているところはある(笑)。ビジネスなんだから、自分であの手この手を考えなければ。
林業界もオチオチしていたら、アカン。他人に補助金ばかりか、立て直す具体策まで求めているようでは、何も始まらないのである。

2009/06/04

繭づくり

今日は終日、福知山。

そこで眺めてきたのは、カイコの繭作りである。

ああ、疲れた……。

036

2009/06/03

農林界の三大愚策・ペレット

近頃、農林界の三大愚策として、「減反」と「伐り捨て間伐」を指摘しているが、よく考えたら(考えなくても)2つしかない。あと一つは何にしよう……と考えてみた。

で、木質ペレット

バイオマス・エネルギー自体もあやふやだが、まだ理屈は通る。そのためか、一部では救世主的に取り上げられている木質ペレットだが、実態は惨憺たる有り様だ。全国の製造工場では、在庫を抱えて頭を抱えている。

それなのに、まだ参入しようとする人が多い。また国も次々と計画をでっち上げて、金ばかりか夢までばらまいている。NPOまでペレット大好きな人が多い。

現状はうまく行っていないことを知っている人も、もっと性能のよいペレットストーブやボイラーを開発しようとか、ペレットの規格を決めたらよいとか、流通を整えれば需要が増える、なんて期待する声が絶えない。

そんな次元じゃないだろ。
もっと原理的に木質ペレット燃料は無意味なのだ。

まず肝心なことを押さえれば、木質ペレットの熱量は、石油系の約半分。
そして製造にかかるエネルギーは、木質ペレットの持つエネルギー量の3割~4割を食いつぶす。それに原材料の輸送エネルギー、製品の輸送エネルギーも計算に入れれば、さらに減退する。ほとんど半分以下。

同じ熱量を必要とする場合、確実に重量で灯油の2倍以上のペレットを使わねばならず、それとほぼ同じ量を製造で消費している。当然、コストは膨らみCO2排出削減効果は縮小するだろう。
一見、コストはトントンだという例も、実は廃棄物処理の補助金とか、直にバイオマス・エネルギー系の補助金を加えてのことだ。

原材料に、廃材や端材を使うのならよい。が、今話題になっているのは、林地残材を使おうという発想が元になっている。これは、カスケード利用の理念に反する。木材を木材として利用せず、いきなり燃料にするのは、もったいない。熱は、エントロピーの墓場である。って、関係ないか?

そして、もっとも肝心なことは、消費者はペレットストーブなんて求めていないこと。
なぜ、このことに気づかないんだろうな。薪ストープ愛好家はいても、ペレットストーブを愛好する人はいないよ。薪ストープは極めて情緒的なもので、燃える炎を楽しめる。が、ペレット燃やして何が楽しいの? 
扱いに便利なのは、石油やガス、電気ストーブだ。ペレットストーブは、どんなに自動投入できると言っても、やはり不便。しかも灰の処分や、こびりついた脂などの掃除が欠かせない。妙な頭の中の理屈だけでペレットストーブを購入した人も、コストがとてつもなくかかるだけでなく、扱いに不満を持っていることを知っている。

つまりペレット自体が、消費者不在の生産者サイドの発想にすぎない。

かろうじて事業系のボイラーならなんとかなるかもしれない。ただし、それは原料に近い所、山村地域だけだ。だが、事業系の大型ボイラーならわざわざペレットにするために輸送して、工場で加工させて、また輸送するなんてことをせず、薪のまま、せいぜいチップにして燃料にすればよいことだ。

どうしても、木質ペレットを作りたいのなら、新たな使い道を考えるべきだろう。たとえば、木質ペレットで家を建ててみたらどうだ? あるいは治山・砂防材料に使う。道の舗装なんかはどうだろう? いっそ農地に漉き込んで土壌改良材(笑)。

需要で引っ張りだこになってから、推進してほしい。

2009/06/02

田舎暮らしの本7月号

たまには、私の執筆した雑誌記事のご紹介。

田舎暮らしの本7月号に、林業特集があり、主に私が執筆した。具体的には「緑の雇用」を中心としたもので、林業の現状やQ&A、そしてケーススタディ(このブログにも登場していただいた広島の彼女も登場する。)、そして私自身の語るコメントページもある。

Img035                                                  

ざっと読み返すと、間違いや表現に誤解を生みやすいところを発見。
う~ん、残念。許してくれm(__)m。                                                      

基本的には、林業雇用の現状を知ってもらうことが目的だが、私が一人称で語るページは、責任重大。Q&Aと合わせてよく読めば、いかに林業界が過酷な職場なのかわかってもらえる(笑)。ほとんど林業界には就職しない方がいいよ、と言っているみたいだ(~_~)\(-_-メ;)。

でも、現実にはかなりの数の人が新規に入ってきて、半分以上が辞めていくのだが、逆に言えば半分は留まっている。彼らを大切にしてほしいものだ。

最大の胆は、「元気な林業事業体や森林組合は、どうしたら見つけられるでしょうか?」という質問に対する答だと思っている。実は、ほとんどが……なのだけど。

先日の埼玉-東京では、林野庁の人にも会ったのだが、今度の補正予算では莫大な金額が林業界にも投入される話を聞いた。しょせん裏付けのない金をばらまく官製バブルだから、数年後に弾けて痛い目に合うだろうが、みんな鵜の目鷹の目で狙っている……この補助金をどのように考えているか聞いたら、その事業体のレベルがわかるんじゃないかなぁ。

2009/06/01

『森を歩く』書評・環境ビジネスと「アロマ リサーチ」

昨日は、朝から群馬県の片品村へ。ここでも霧雨。東京-埼玉-群馬と関東に滞在した3日間は、ずっと雨である。自宅に帰り着くのに7時間かかった。

さて、東京では『森を歩く 森林セラピーへのいざない』が載った雑誌書評を受け取った。

一つは、「環境ビジネス」という雑誌。この雑誌には、私も森林や割り箸の記事を書いたこともある。

このコーテーは伊勢丹総務部の環境担当女性社員が勧める一冊として取り上げてくれている。

面白いのは、書評の前半は本書とは関係なく(^^;)、森のことを触れているのだが、

「……なぜ森が大切なのかを深く考えてみたことはあるでしょうか。「なんとなくいい気がする」のではなく、具体的に森のどこがどんなふうにいいのか説明しようとすると難しいのではないでしょうか。

森に携わる人たちとの交流が少なく、森の実態をきちんと把握できていないことが原因かもしれません。

期せずして、先の「NHKからの根源的質問」と同じ視点からの問いかけを行っている。その点は、本書でもっとも気をつけたことなので、その点に言及してくれたことは有り難い。

なお、もう一つ。「アロマ・リサーチ」という雑誌? にも書評が載った。

こちらは書評以前に雑誌そのものが面白い。ほとんど論文誌だが、「香りの機能性[生理・心理的作用]と昂揚の学際的専門誌」というサブタイトルがつく。中も、ヒノキの香りに関する論文などが見られ、フィトンチッド系にも強そうだ。アロマと言っても、セラピー系だけでなく、食品の香料なども含む世界らしい。

森林療法は、やはりフィトンチッド……香りから入る人が多いのかもしれない。

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

森と林業と田舎