ペレットに希望を託す理由
「森田稲子のブログ」で、私の木質ペレット批判に対して反論が行われている。
さっそく私も再反論……という展開になってるが、ここで考えてみたいのは、なぜ木質ペレットにそんなに入れ込むのか、という点である。
もともと前世紀の末頃から(といってもたかだか10年ほど前だが)、バイオマス・エネルギーという考え方が登場した。これはヨーロッパで進んでいた木材発電・熱供給(コジェネレーション)などの動きが輸入されたと言えるだろう。
実際、私も『伐って燃やせば「森は守れる」』で、木質のエネルギー利用について紹介している。その後、カーボン・オフセットなどで理論武装も進み、国も「バイオマス・ニッポン」構想も打ち出し、広がっていく。私も、それらに反対ではない。私が批判しているのも、木質ペレット全体ではなく、林地残材によるペレットと言ってよい。
が、そのバイオマス・エネルギーのアイテムとして、木質ペレットが紹介されるや否や、多くの市民が「熱狂」してしまうのである。数々のNPOが木質ペレットに取り組み、シンポジウムが開催されたり、普及活動を自主的に行った。
森林組合などもペレット工場を建設した。ペレットストーブも輸入したり、国産開発が行われて、さらにペレットの配送や通信販売を行う会社も登場した。それが運動か、ビジネスかはさておき、実に多くの民間が木質ペレットに未来を描いたのである。
山元も、木質ペレットそのものに対してどう思っているのかはっきりしないが、少なくても木が売れない! と悩んでいるところにバイオマス燃料としての木材の用途が示されたことで、林業復興の一縷の希望を抱いたのだろう。
木質ペレットそのものだって欧米から輸入された発想なのだが、これまで木質バイオマスと言えば、薪か木炭くらいしか思い付かなかったところに、ペレット化というのは、かなり斬新に思えたのだろうか。輸送や貯蔵に便利、自動供給も可能などの利点に飛びついたように感じる。政府が、バイオマスに注目した流れからペレットに目をつけるのなら理解できるが、なぜ一般市民までが木質ペレットに入れ込むのだろうか。
その理由の一つに、扱いやすさがある。また巨大産業ではなく、身の丈にあった活動が可能という点もあるようだ。
たしかに、薪や木炭といった古典的?木質バイオマスは、火付けも大変だし、維持管理もちょっと技術がいる。一酸化炭素の発生の心配もしなければならない。これを趣味のレベル以上に普及させるのは大変だろう。
一方で、それまで木材発電と言えば、製材工場の端材・廃材をそのまま燃やすボイラーか、製紙工場の黒液(木材よりパルプを作る際に出るリグニンなどベンゼン系の液状物質。よく燃える)による燃焼が中心だった。こちらには巨大プラントが欠かせず、市民団体には手が出ない。
だが、ペレットなら、簡単な機械があれば作れる! 製造や販売、宣伝の役目を担える。
そして自分も、地球温暖化防止の一角に参加できる。林業復興の一助ができる。林地に残る伐り捨て間伐の残骸を救う手だてになる。
そんな思いが、今も木質ペレットを推進する原動力になっているのではなかろうか。
ただ、バイオマス・エネルギー、そして木質ペレットに入れ込んで勉強を始めた多くの人は、徐々に暗くなる。どうやったってコストが引き合わない。そして気候や人口配置から考えても日本では売れないことに気づいたからだ。
さらに欧米に視察に行って、あちらでは林地残材を搬出するのに、ほとんどコストもかからず(作業道網が整備済み)、端材・廃材を使った木質バイオマスが作られている現実に向き合う。林地残材は無料で、ましてや林業と違った次元で考えられていることを知って、いよいよ意気消沈する。バイオマスは林業ではなく、資源エネルギー問題なのである。
近年、国のバイオマス・エネルギーの趨勢は、バイオ・エタノールの方に向かっている。エタノールという液体燃料にしたら、ガソリン供給などで形成された既存のインフラがほとんどそのまま利用できる。自動車もスタンドも、わずかな改造で済む。木質のエタノール化はまだ未完の技術だが、将来的には木質ペレットより期待できるだろう。
が、市民団体は、あまり入れ込まないのである。なぜなら、エタノール化には、それなりの規模のプラントが必要で、弱小の市民団体には手が出ないからだ。せいぜい天ぷら油のバイオ・ディーゼル化くらいに留まる。
そろそろ名誉ある撤退を考えたらどうだろう。もともと木材のエネルギー利用とは、薪利用のように地域内で小規模に行うか、巨大プラントによる端材・廃材処理で行うものだ。あるいは国家規模で研究してエタノール化を実現するか。ペレットも、廃物を活かすつもりで利用法を考えれば、十分に価値がある。
だが、決して木質ペレットは林業の救世主にはならないのだ。
林地残材を、「ペレットくらいしか加工できない」なんて頭を硬くせず、それこそ女子大生の協力も得て、高付加価値でどんどん消費される木材商品を生み出す方が、よほど市民が取り組む林業復興になると思うが、いかがだろうか。
最近のコメント