幻の土倉屋敷
吉野に行ってやりたかったことは、先に書いた「吉野林業全書」のことがある。
これが、川上村大滝の図。
見た通り、大きく吉野川が蛇行するところに大滝集落があるのだが、この曲がり鼻のところで、上流から流されてきた原木を集めて筏に組み直して下流へと下る。
その筏を組む様子の図版もあるのだが、こちらの図版には、曲がり鼻の所に屋敷が描かれている。これこそ、土倉屋敷だろう。
土倉屋敷は豪邸だったと伝えられているが、具体的にどんな間取りだったとか家屋は何軒あったとかはわからない。すでに記憶の彼方だ。
しかし、この図を見ると、きちんと屋敷や蔵などが何棟あるか読み取れる。
ただ、そんなに敷地が広いわけではない。やはり急峻な山肌と川に面した場所に、そんなに平坦地を確保できないからだろう。敷地いっぱいに家屋が立ち、庭らしきものはほとんどなかったようだ。ただ家の前にマツの木が植わっていた。
実際、伊勢湾台風で崩壊した家屋の写真を見ると、マツの木が写っている。かなり画質は悪いが、貴重な土倉屋敷の全容だ。
現在は、手前に高い建物ができたせいもあって、この曲がり鼻をうまく見ることはできない。ただ道が拡張されて、屋敷跡の敷地はかなり削られたようだ。加えて、郵便局と駐在所を建てるために土地を提供したから、残っている敷地はわずかだ。
一部に銅像が建てられたが、ここには礎石があるだけ。
後ろに土塀がボロボロになりつつも残されていたが(以前、前ブログで紹介)、それも今回見たところ撤去されていた。いよいよ、当時を忍ぶものはなくなっていく。
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こんにちは
この川上村大滝の図を拝見して、土倉邸が土石流に流された事に合点がいきました。
でもなぜここに屋敷を?との疑問も残りました。
地形の不安を払拭するような、高さやその他の要因があったのでしょうか?
確かに仕事場にはいい立地なのでしょうが。。。
当時を忍ぶ物がなくなるのは寂しいですね。
以前ご紹介されていました「うがやゲストハウス」、求人もされているようです。
近頃は、しばらく働かせて頂きながらお世話になろうかな?なんて考えています。
投稿: 花姥 | 2009/06/17 11:19
土倉屋敷は、築100年以上だったようですから、洪水に合う確率は、そんなに高くなかったのかもしれませんね。人間の感覚ですが。壊れたら建て直せばいい、という発想もあったかも? 恒久の建築物なんて考えない。材料の木は山ほど、山にはあるし(笑)。
うがやゲストハウスで働く! いいなあ(笑)。私も、家を飛び出して現実逃避する場所に使おうかと本気で思っています。
投稿: 田中淳夫 | 2009/06/17 13:48
祖母(土倉かのえ 庄三郎の弟?の孫)は”山津波”をとてもおそれていました。火事や地震といった自然災害に加えて山津波の怖さをよくきかされました。大滝での幼児体験があるのだと思います。
土倉の家(祖母の家である分家は祖母が嫁にきてまもなくつぶれました)がなくなったのは株の失敗だ、といって祖母は正月の花札もいやがりました。
植林といっても 山の木の売り買いがあるので ”相場”で経済事情が大きくかわるのでしょう、いいときは醤油もたるで運び込ませて 母は美しく着飾ってくらしていたが 悪いときは 食費にも困った。浮き沈みの激しい家であった。和泉に嫁にきたときは 農家なので 地味な暮らしの田舎がいやであったが 生活の安定はあるだろう、と考えた、と話してくれました。
分家の祖母たちも小さいころから母屋にいって 母屋の孫たちと一緒に長火鉢の前にすわらされて 庄三郎翁が長キセルを片手に漢文を教えられた、と小さなころお思いでを語っていました。教育熱心な庄三郎翁は男女の別や分家の孫 ということも関係なく みなをあつめて訓導していたようなかんじです。
かのえ祖母の末弟の妻が土倉祥子です(奈良新聞のコラムをかいていました。奈良女子大の同窓会に関わっていたようです)
かのえは12人兄弟で庄三郎の関係もあってか、妹が一人東京女子大で長くはたらいていて 独身で過ごした人もいます。私の父(32歳で病死しています)をかわいがってくれたおばさんとしてきいています。
とりとめない話ですみません。
かのえ祖母がなつかしく 昔話のところどころをかきました
土倉屋敷の風景とかさねて少し雰囲気 うかぶかなあ、とおもいながらかいてみました
失礼します
投稿: 井上朱実 | 2009/06/22 19:56
ありがとうございます。
ものすごく貴重な話です。分家も逼塞していく理由は知りませんでした。そして、子供たち孫たちの話も。
ぜひ、また聞かせてください。
投稿: 田中淳夫 | 2009/06/23 10:18