豆腐の行商
テレビで「たそがれ清兵衛」を見て気づいたのだが、頻繁に物売りが現れる。いや、買い物の多くは物売りによる。豆腐にザルに……。
思えば店舗の並ぶ商店街的な町が生れたのは、江戸時代の後半で、それも江戸や大坂、京都など都会だけである。地方ではそんなに店舗販売は盛んではなく、行商が主流だったという。それは江戸でも同じだ。一新太助は、魚の行商人ではなかったか。
これは今日のことだが、たまたま生駒山中腹の棚田レストランでお茶していたら、車による豆腐の移動販売がやってきた。ここ1ヶ月前ほどから現れたという。私は買う機会を逃したが、物珍しさもあって、少し高めの豆腐がよく売れるそうだ。ほかにスイーツとしての豆腐などもある。
今後、再び客の元へ売主が足を運ぶ移動販売が広がるのではないか。思えば町は郊外へと広がりニュータウンも増えたが、高齢化が進むと、なかなか町の中心街、ショッピングタウンには通いづらくなる。車を運転できなくなれば余計そうだ。宅配だけでは間に合わない。
一方で過疎化が進んで、店舗経営が成り立たなくなる地域が増えている。それが限界集落も生み出す。頼みの綱は、車の移動販売である。ほとんど命綱になった地域もある。
また移動販売・行商の場合は、売り手と買い手の間にコミュニケーションが生れる。その点でも新たな展開が期待できる。東京には、ゆっくり裏路地まで回る豆腐の行商が、新たな商売として流行りつつなるとも聞く。
ところで先日、某田舎の豆腐屋を取材に行った。片道7時間かけて(^^;)。
だが、その豆腐屋は、雨の降る朝から行列ができていた。県外ナンバーも多かった。かなり高めの豆腐だが、みんな大量に買い、また宅配便で配送するほどの人気だ。私もいただいたが、やはり美味い。
その主人は、元は酪農をしていた。が、大借金を抱えて、とうとう廃業。その時思い付いたのが、豆腐屋だったそうだ。とはいえ、まったく修業もせず、大豆と機械を仕入れた問屋に扱い方を教わっただけで豆腐を作ったという。無茶苦茶(^^;)。
だが、勝算はあった。それは豆腐の行商である。その村の全世帯に直接届けに行くのである。結果的に、村の半分の世帯が、豆腐を毎週買ってくれるようになった。
「思えば、その頃作っていた豆腐は不味くて酷かった。それでも、村の人たちは私が牧場を閉じて苦しいことを知っていて、みんな買ってくれた」
こうしたところに田舎の人間関係の強さと奥深さを感じる。一種のセーフティネットにもなるのだろう。
その後、すべて国産大豆に換えて価格も2倍近くなったことで固定客は減るが、その分は観光客などが押し寄せるようになる。もはや村人に支えられる必要はなくなった。だが、今も宅配は続けている。
売り手が出かけるビジネスを広げることは、地域社会に強さをもたらすのではなかろうか……。
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私の知っている田舎の床屋さんは、足のないお客さんを家まで迎えにいきます。
「そろそろ、切り頃ですよね~。」って電話して声かけて。
お店でお客さんを待って暇してるより、いいんですって。
床屋に来たお客さんも、周りで買い物してまた送ってってもらえるし・・・。
投稿: 熊(♀) | 2009/06/28 09:50
おお、お迎え付きの床屋もいいですねえ。先の豆腐屋だって、豆腐以外の品を売ることもできる。意外と、出向くことで商売が成り立つ職業はたくさんあるかもしれない。
そして、これらもセーフティネットとして機能する可能性がある。
同時に、都会も限界集落と同じ問題を抱えていることに気づくでしょう。
投稿: 田中淳夫 | 2009/06/28 22:42