書評「自然はそんなにヤワじゃない」
家には、買ったものの読めない本が山になっている。が、それでもまた買ってしまう。それが古書など今買わないと次に見つからないかもしれない本ならともかく、新刊でも手に取ってしまう本もある。
今回の本もその一つ。やはりタイトルに惹かれたということになるだろうか。というのも、このタイトルの言葉は、私が常に考えていたことだからだ。自然を保護? そんなに自然はヤワでもなければ保護されるほどおとなしくもないだろう、と。
新潮選書
自然はそんなにヤワじゃない 誤解だらけの生態系
花里孝幸・著 新潮社
著者は、現在信州大学山岳科学総合研究所の教授。主に湖沼の動物プランクトン(ミジンコなど)を研究している。
構成は、4章に分かれる。
第1章の「生物を差別する人間」は、「邪魔者扱いされる雑草」「虫けらはバカものか」「クジラだけがなぜ贔屓される」「嫌われ者のユスリカが人を助ける」「微生物は環境浄化の万能選手ではない」……など。生態系を見る人の視線を問題視している。
私もよく「ホタルの群舞は赤潮と同じ」とかやっていたが、まさに生態系を人間の好みや美醜の感覚で捉えることのおかしさを指摘している。ただ、ここはちょっと飛ばしすぎか?
第2章の「生物多様性への誤解」。ここは専門のプランクトンを例に、生物多様性の根幹をつく。「汚れた湖の方が生物多様性が多い」「洪水が架線の生物多様性を上げる」など、私がこれまで書いてきたことを、ちゃんと具体例や理論面から説明し直した感があり、私も気持ちよい(^o^)。この例は、私も使えるな。
生態系ピラミッドの上位生物を駆除した方が多様性が増したり、存在量も増えるのだ。そして自然界には、中小規模の攪乱(破壊)が必要なのである。
第3章の「人間によってつくられる生態系」。ここでは生物の生存戦略として、繁殖力が高く新しい環境にすぐに適応するr-戦略と、少なく生んで大切に育てるK-戦略が紹介される。前者は昆虫や小魚などで、後者は人間に代表される大型生物。そして「温暖化で増える生物もいる」「人間の攪乱を喜ぶ生物」「人間が生態系を変えた後」など。
まさにプランクトン学者が生命体の生態系を語った真骨頂だ。私が以前から考察してきたことを、きれいにまとめてくれたような気がしてうれしかった(^o^) 我田引水か?
第4章は「生態系は誰のためにあるのか」として、人間が作った生態系で成り立っている現在社会を描く。水田はあきらかに人が作ったものだが、そこに棲む動植物を保全しようという動きがある。が、一方で人が関与することへの忌避感も拭いがたくある。まさに「水田の我田引水」なのである。そして「里山は人間と自然のせめぎあい」「生態系は人類のために」と、強引に引っ張っていく。
内容は概ね同意だが、ここはちょっと飛ばしすぎ。もっとじっくり書けば説得力が増したのに。まあ、私もよくやってしまうけどね(^^;)。
自分の研究している専門分野では圧倒的な説得力があるのに、それを大きな分野に広げると、「そういう書き方すると反発買うのに」というところが出てしまうなあ。まあ、私なんぞは、すべて自分で研究した分野じゃないので、いつでもやってしまうけどね(^^;)。
ともあれ、里山の存在する生態的な位置づけや、人間が自然に対して持つべき視点をよく指摘している。satoyamaの生物多様性社会と持続的開発の意義を世界に広げようとしているなら、まずここにあるような理論武装はすべきだろう。
そして里山だけでなく、林業や農業など自然への関与度の高い産業のあるべき姿までつなげることのできる1冊である。
サイドバーに掲載。
最近のコメント