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2009年8月

2009/08/31

青森の宣伝力

昨夜、青森より奈良にもどる飛行機の中で、選挙速報を聞いた。

午後8時2分。民主党300議席をうかがう勢い……。最近は、飛行中でもラジオ? が聞けることに驚いたが、選挙結果は予想通りだ。開票が始まって瞬時に勝敗は決すると睨んでいた。それにしても開票2分後か(笑)。議席も予想通り。

さて、民主党の覚悟と腕っぷしをお見せいただこう。私は、1~2年間は楽観しているが、ともあれ、大多数の新人議員には、新人ゆえのたくましさを発揮してほしい。

で、青森の土産店で見かけたポップ。

Photo                                                   

読めるだろうか? 青森ヒバのエッセンシャルオイル商品なんだけど、その売り方は、いかに貴重か、若い木が樹齢150年あることをさりげなく紹介して、そして人気で品薄かをやんわりと示す。そして、その価格の高さを納得させる……なかなか高騰戦術のコピーだと感じた(笑)。

正直言って、価格は高い。20㏄で1050円。わずかなオイルが何千円もするのだ、それも基本的に生活必需品ではない。その独特の匂いは魅力的だが、これも好き嫌いがあるだろう。それでも、「ほしい? 買うなら今のうちだよ、貴重品だから……」と呼びかけている。

やるなあ、と思ってしまった。

もう一つ、気になったのは、泊まったホテルの部屋に置かれていた漫画「美味しんぼ」。

200908300830000 たしか100巻だったが、この巻は全部、「青森の食」がテーマなのだ。これに目を通すと、なんとか青森の郷土食が食べたくなる仕掛けである。

何も、このホテルで郷土料理が出るわけではない。しかし、青森全体の宣伝効果を狙っているのだろう。

この漫画によれば、青森の食文化は原日本人の文化を表しているのだそうだ。ウソかマコトか、それはどうでもよいが、こうした手の込んだ青森愛? には感心した。

2009/08/29

青森の収穫2

青森の収穫2
青森と言えばリンゴ。
今日はリンゴ、3つか4つ食べたかな、それにリンゴジュース、何杯飲んだか。

2009/08/28

青森の収穫

青森の収穫
青森に来ているのだが、いきなり雨である。さらに猛烈な風、そしてガス。
何も見えない、どころか車から降りることさえ難儀。

ようやく泊まったホテルで出た夕食に出たのが、アワビの陶板焼きだ。
今日一番の収穫である。

2009/08/27

またもやテンプレート変更!

交換したばかりのテンプレート・デザインだが、実は少し読みにくい上に使い勝手が悪かった。

どうも直らないので、いっそ別のデザインに変えることに。今度のが使い勝手いいかどうかは少しチェックしなければならないが、とりあえず見やすくなったのでないか。

もし、まだ悪かったら、また変えるね(^o^)。

女子高生の感性

実は昨日のシンポジウムでは、上原さんの講演だけでなく、事例発表もあった。

その一つが泉谷繁樹氏なんだけど、紹介したのが神戸松陰高校のエコ活動。ご存じの人も少なくないと思うが、3年生の女子高生が、さまざまなエコ活動に行動を起こすのだ。有名になったのは、何と言っても割り箸だろう。国産割り箸振興を訴えて、アドバシを10万膳も配ったこと。ほかにも商店の暖房を下げさせるウォーム・ビズ運動など実践だからスゴイ。

彼女らを見ていて、女子大生もいいけど、女子高生もいいなあ~と、萌えていた、わけではないよ。いや、少しは感じたけど(~_~;)。

実は、彼女らは毎年3年生の3学期、早めに進路の決まった生徒が取り組むのだが、最初に川上村を訪れて林業の現場を見てくるらしい。そこで体感したことが彼女らの行動力の原点なわけである。

そして発表の中で興味深かったのは、伐り捨て間伐の現場を見たときの感想だ。
大人、とくに多少林業をかじった人は、間伐が行われて光が入るようになった森を見て、ホッとする。無間伐で林床が真っ暗な人工林を見て、嘆息する。

だが、彼女らは、累々と伐り捨てられた間伐材を見てショックを受けるのだ。何か禍々しさを感じるらしい。それが、間伐材利用の商品づくりにも向くらしい。

女子高生の感性は、間伐地で残した木々が育つことを喜ぶよりも、伐り捨てられた木に「良くないもの」を感じるのである。
先に「良い森、悪い森」で見た目の感覚が森の健康にも重要ではないかと論じたが、女子高生は伐り捨て間伐地に悪い森を見たことになる。この点をもっと重視すべきではないか。林床に転がる伐り捨てられた木々に目をつぶって、光の射し込む林冠ばかりを見ているのは片手落ちだろう。

ちなみに私が伐り捨て間伐を批判するのも、その汚らしさが原点だ。つまり、私の感性は女子高生並ということになる(^o^)。

2009/08/26

上原巖氏の講演

Photo今日は、奈良県川上村の「森と水の源流館」主催のシンポジウムに出かけてきた。

                                                  

昨年度は私が講演・対談を行ったのだが、今年は森林療法創始者の上原巖氏が講演を行う。これは聞き逃せません。

始まる前に挨拶したのだが、その際に「森林療法と森林セラピーの違いは話しますか」と聞いてみた。返事は「ええ、少しは」だった。

言いたいことは山ほどあれど、さすが人柄、オブラートに包んだように話すんだろうな、というのが私の想像だった。

さて、講演が始まると、なんと初っぱなから「森林療法の経緯」を話しだした。どのように森林療法がスタートして、どんな風に進展していったか。そして森林セラピーが突如として?登場したこと。
それまでは、細々ながら医療・福祉の見地から研究を進めてきたのが、セラピーと名を変えると村おこし、地域活性化策が主体となってきたこと。そして活性化策となると、お金が動めくこと……。

う~ん、すごい。私なんかよりズバリと本質をつくではないか。

そして森林セラピー基地でも、うまく行っているところとうまく機能していないところの差もスバリ指摘した。しかも、「会場には、森林セラピーで村おこしを考えている方も多いでしょうね」と釘をさす。いやはや、強烈である。
こうした話が、全体の3分の1に及び、それから本題? の森林療法に入るのである。

なお、これは内輪で聞いたことでもあるが、彼は森林療法と森林セラピーを分けているだけではない。森林療法の中でも分裂が起きているのだ。まさに森林療法を医療として取り組む側と、生業としたがる人の側に。

しかし、よかった。私は久しぶりに観客側に回ってのシンポジウムだったが、感動した(^o^)。

上原氏の話し方は独特である。その抑揚は、個人の癖なのか、あるいは。カウンセリングの技術として身につけたのか、催眠効果があるように引き込まれる。 よくいるプレゼン名人のような流暢なしゃべりではなく早口でもあるのだが、ストンと理解が胸に落ちる。
さらに質疑応答では、かれは壇上から下りて会場を歩いて質問者の側まで近づくのだ。大勢の会場で手を挙げにくい人への配慮だろうか。これはたまりません。私もやってみようかな(~_~;)。

ここんところ原始クナイプ療法だ、フラワー療法だと、アブナイ系を紹介してきたが、ようやく王道であり本物に触れることかできた気分。

実は、東京の某テレビ局から割り箸に関する番組を作るから出演してくれないか、という依頼があり、その収録日が今日だった。しかし、「先約があります」と断っての参加である。でも、こちらを優先してよかったかな。

2009/08/25

良い森、悪い森

以前、里山に関するセミナーの講師を務めたときに、会場から質問が出た。

森にも、荒れた森と立派な森があることはわかったが、それを素人が見分ける方法はあるのか

これは、結構イタイ質問である。
たしかに講演では、人の手が入って間伐や草刈りをすると、生物多様性が高くて生態系として優秀になること、逆に緑に覆われていても、森林内はまっくらで立ち枯れしている木も多くて劣化した生態系があることを話した。
また留保付き意見ながら、一般的には生物多様性が高いほどレベルが高いとも定義づけた。

もし森林ボランティア的に、これから里山に関わりたい、自然を守りたいと思っている人からすると、「では、どの山に何をすればよいのか」という活動原点が求められる。
これが禿山と木々が豊かな山で区別するなら簡単だ。木のない土地に植林をすればよい。あるいは種子を散布するか、宮脇氏のように土壌をまくというのも方法としてある。

が、素人目には緑に覆われている山を、これは手を入れるべき、これは(放置ではなくて)人の手を排除して原生状態を保つべき、という区別はどうしてするのか。下手に手を加えて、貴重な自然を破壊してしまうことはないのか。

もちろん、厳密なことを言えば、生物環境調査が必要だろう。動植物だけでなく水質・土質、微生物まで含めた調査を行い、近隣の同様の調査結果と比べて、多様性度が高い、低い、を判断すれば大きな誤りは犯さない。それこそ、エビデンス(科学的根拠)が揃う。

が、一市民にそんな能力も手間も時間もない。もちろんコストもかけられないだろう。それでも「里山を守りたい」という思いを無にせず活かす方法はないのか。

そこで私は、こう応えた。

見た目で判断しましょう。美しい森は、だいたいにおいて『良い森』です。ざっと見て、なんだか気分が悪くなり汚く感じたら、多分『悪い森』です

私は、こう見えても人の感覚を信じている。いや、人の感覚というのは、人にとって益不益で生まれるものだと考えているので、人間にとって害悪を与える環境はイヤな感情が発生すると思っている。逆に心地よい環境は、おそらく人間にとって益のある生物多様性の高い環境としてよいのではないか。

もちろん汚水の方が微生物多様性が高いとか、誰もが美しい森と認めても生物的には飢餓状態……なんてケースはあるから、エビデンス(笑)はあまりない。しかし、清流の水なら飲んでも腹をこわさないし、美しい森は木材生産量は高いという点で、人間には有為ではなかろうか。

だから森林療法でも、森を歩いて心地よいのなら健康にもよいし、森自体の環境度は高いと言えるのではないか。逆に森を歩いて不安に陥ったり苛立つことがあるとすれば、その森の環境度は劣化しているのかもしれない。

あくまで大雑把な話ですよ。しかし、その程度には「環境センサーとしての人の感情」は現状把握を外していないと考えたい。

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2009/08/24

スクミリンゴガイ

まずは、この写真。1

 

稲の茎に、赤い塊がいくつか付いているのが見えるだろうか。

では、それをアップ。

Photo                                               

このとおり。鮮やかな赤い塊は、赤い粒々であった。卵塊であることはわかるだろう。

これは、生駒の南隣り、平群町の水田で見つけたもの。

スクミリンゴガイの卵だとすぐ気がついた。
単純に言えば、カタツムリの仲間。ただし、外来種である。かなり巨大に成長する。日本名はジャンボタニシではなかったか。

日本には食用?で持ち込まれたといわれるが、もちろん食べるものはなく、あっという間に野生化して大繁殖をしている。草を食べるので、害虫である。それを目の前に確認して、やはりドッキリ。

「この田んぼは、タニシがたくさんいるなあ」と思ってみていただけに、ちょっとショックである。もちろん、私は田んぼに下りて、見つけた卵を全部つぶしてやったけどね。

2009/08/23

フラワー療法

今日はお休みのつもりだったのだけど、クナイプ療法で盛り上がった? ので、やっぱり書こう(^o^)。で、取り上げるのが、フラワー療法だい!

ご存じか? フラワー・レメディーとか、フラワー・エッセンスともいう。考案者のエドワード・バッチ博士の名をとって、バッチ・フラワー療法なんて言い方もするらしい。今から約80年前に誕生した。

ごく単純な紹介の仕方をすると、花から取り出したエキスを利用して、人間の感情や体調を整えるヒーリング・システムだ。
花のエキスと言っても、アロマではない。取り出し方には、サン・メソッド(太陽法)とボイル・メソッド(煮沸法)がある。花の摘み方や時間も重要なのだが、ようするにミネラル・ウォーターに花のエキスを転写させる。そのエキスって何かというと、花に含まれる成分ではない。花が持っている波動エネルギーなのだ!!!!

このようにして作ったフラワー・エッセンスを水で薄めたり、スポイトなどで服用する。花によって様々な効用があるという。この後は私にはついていけない世界なのだが、バッチ博士は、38種類のフラワー・レメディーを開発している。だいたいにおいて、マイナス感情を振り払う機能があるそうだ。カウンセリングもあって、自分に合う花を見つけることが大切だとか。

なお、このエッセンスの成分を調べたところ、何ら意味のある物質は含まれていなかったという。あくまで波動エネルギーなのですよ(笑)。

なんで、私がこんなことを知っているか。

実は、『森を歩く 森林セラピーへのいざない』を出版してから、このフラワー・レメディを日本で広めるために頑張っている女性が接触してきたのでした。彼女は、大いに森林療法に関心を持っていて、本当は施療する予定だった。当日が雨だったのでやらなかったが。やっていたら、私も森林セラピストとしてデビューしていたかもしれない(笑)。

まあ、その前に、私が森林療法に波動とかスピリチュアルなものを持ち込むことを断固否定したから、興ざめしたのかもしれないけれど(⌒ー⌒)。

ほかにもスピリチュアルなことに興味のある人が、森林療法に関心を示す例は多い。それが自己啓発セミナーへとつながるのかもしれないが……。どこか両者に親和性があるんだな。

だから私は、最近は森林セラピーはもちろん、森林療法という言葉も不用意に使わないようにしている。あまりに効果を重視しすぎて、森歩きの楽しさから遊離してしまいそうだからだ。かといって、森林浴では、ちょっと古い感じ。

で、今度、好日山荘の発行する雑誌?冊子?新聞? 「グッディ」で連載することになったのだが、そこでは「森林ウォーカーズ」という言葉を使うことにした。 森林療法ほど重くなく、森林セラピーほどいかがわしくないでしょ。東京ウォーカーと同じノリ。

ん? これを「森林を歩く人々」と訳さないでくださいよ。「『森を歩く』を読んだ人」という意味ですからね(~_~)\(-_-メ;)。

2009/08/22

原始クナイプ療法

先日の山村視察の一団に、クナイプ療法の専門家がいた。

クナイプ療法を、森林療法の原型のように思っている人がいるが、基本的に、というか全く別物である。上原巖氏が後に森林療法と名付ける森林散策の研究をするために、たまたま訪れたドイツのバート・ヴェリィスホーフェンがクナイプ療法発祥の地であり、たまたま森林散策がクナイプ療法の運動療法の一部として取り込まれていたから、勘違いが起きた。
本当のクナイプ療法は、主に水療法。そして運動は、ゴルフでもテニスでもいいのだよ。森林散策は、クナイプ療法というより、近代を迎えた中欧に広がったワンダーフォーゲルや、ワンデルン・シューレの流れを汲んでいると、私は思う。(詳しくは、拙著『森を歩く 森林セラピーへのいざない』を参考

なお公的機関が主催した「森林療法の本場を訪ねる旅」というヨーロッパツアーでは、「金返せ!」という声が出たという(笑)。ま、森林療法をマジメに考えていない機関が森林療法の窓口になったゆえの企画だからだろう。

ところで、視察した某山村でクナイプ療法に絡んだツアーはできるか、という問いかけには、設備がないから無理とのことだった。ただし、クナイプ神父が試みた当初の療法は、川辺などで行う原始的なものだったらしい。そこで「原始クナイプ療法を体験してみませんか」というツアーなら可能かも、という話になった。

その話に興味を持って、クナイプ療法事始めを少し調べてみた。すると、なかなか凄まじい代物だった。

                                                           

今から約150年前に、カソリック神父(の学生)だったカプラン・セバスチャン・クナイプは、アルゴイ地方で、自分で考えた妙な療法を地元の人々に施していた。彼自身が患った結核を治すために考案し、治療に成功した方法である。
だがクナイプは、現地の医師、薬剤師、そしてカソリックの信者たちから「エセ医療」を行っていると訴えられた。教会本部は、幾度も注意したが止めないため、彼をバート・ヴェリィスホーフェン村の修道院へ異動させた。まあ、左遷ですな。

そこでは農業を研究するように命じられたのだが、彼はそこでも民間療法を実施した。

その中身はスゴイ。病気が結核であろうがコレラであろうが、基本は冷水を体に浴びせることだ。また小川の冷水に足や手をつけさせる。冷水で痺れてくると外に出て、温水を浴び、さらに冷水……。ホースやバケツで体のアチコチに水を浴びせることもする。いずれも症状に合わせた処方を行って行うものだ。
そのほか冷水や温水で濡らしたタオル、あるいは蒸しタオルを患部に巻きつけることもする。真冬のドナウ川に飛び込ませたり、体が動かなくなった老人に薪割りをさせたり、農地を耕すよう命じることもあった。さらに修道院では薬草を栽培させ、ハーブティーを作って飲ませることも行った。

ようするに水と薬草、そして運動を組み合わせた代替治療法なのである。

                                                         

どうしてこんな療法を思い付いたのか? どうやら根本は、神学校で読んだ神学書の一文「新鮮な水の治癒力」を信じた信仰の実践だったらしい。
宗教的行為が治療法の源流となれば、今ならカルト教団の怪しげな療法として指弾されるだろう。ライフスペースの成田ミイラ事件も、治療の一環として行われた結果だし、オウム真理教も温熱療法と称した独自の治療行為を行っていた。

ただ相手としたのは、医師にかかれない貧しい人々や、不治の病の患者だったことが、現代の宗教や金目当ての民間療法と一味違う。中南米で、貧民に安い東洋の鍼灸治療が広がっている事実と似ているかもしれない。

村には全国から時に1日に300人もの患者が訪れたというが、クナイプはそれぞれの症状に合わせて異なる処方を指示して治療に成功したらしい。おかげで村では、老若男女とも、足を濡らして裸足で歩いていた……と伝えられる。

結果的にクナイプは有名になり、今やドイツではクナイプ療法は認められている。そして科学的な研究も行われた。だから現代のクナイプ療法は、無茶はさせない。

ちなみに、某山村で原始的クナイプ療法を行うとしても、厳冬期の川に飛び込ませるわけには行かないなあ(笑)。

2009/08/21

村おこしはムリ!

先日訪れた某山村。

実は、この村の地域づくりのアイデアを探るための視察であった。私のほか4人の参加で、それぞれ専門分野から、この村を舞台にしたツーリズム・プランのほか商品開発などを模索するというものだ。

実は、当初から担当者が言っていたのだが、「来れば来るほど、フツーの田舎」なのである。ずば抜けたものがない。一応、林業の村だが、他地域を圧倒する特徴はない。歴史的なものも、村ではいくつも碑を立てたりしているが、どうも地味でマニアック。ずば抜けた景勝地もないし、名物料理もない。温泉はいくつか湧いているが……。

それでも、多少は見て歩き、いくつかアイデアを出した。まあ、モノになるかどうかは今後次第だが、とりあえずは数で勝負のプランニング。ここ、プレーンストーミングの要領なのである。

その過程で、私が以前訪れて舌鼓を打った某料理屋を訪ねた。ところが前の場所からは移転しており、そこを探して訪ねる。そして、店主と話した。

すると、いきなり「この村で何か地域づくりするなんて、ムリやで、ムリ」。
こちらが訪問の趣旨を雑談がてら話した途端である。
「とにかくやる気がない。やる気のある者の足を引っ張る。とくに行政が何も応援しない。邪魔ばかりする。職員は、宴会を村内の店でせずに町に出る。騒いでいるのを村民に見られるのがいやだからよ。だから村にお金は落ちない。議員も、なんか村の将来とか心配するもんやが、何にも考えていない。あいつら給料もらうことしか興味がない。村には日本と違う法律があるんやな」

いや、しゃべるしゃべる(笑)。

以前の店は、契約がまだ残っていたが、店前の空き地にトラック業者を入れられて、とても食べ物屋をやっていられる状況ではなくなったそうだ。それで移転して、当初は村の産物も陳列していたが、肝心の村の業者が持って来なくなった。賞味期限とか切れたものを持っていたから文句を付けたかららしい。
また村内には、いくつか名所づくりに取り組んだり努力している人々もいるが、彼らの作った施設は、村の村内観光案内図には、絶対に載らない。
そのうえ、日本の法律とは別のルールがある。いくら違反だと指摘しても、村民は平気でやったり、逆に合法なことでも、やろうとすると猛烈な反発があって手をつけられないことがあるのだ。

実は店主は、移住組。それだけにアケスケである。そして、これまでの鬱憤が溜まっている様子だ(^^;)。「そこまで言っていいの?」と問い返すと「いいねん。来るなら来いや」

だが,私も彼のいうことのかなりの部分が当たっていると思っている。とにかく行政に、村を引っ張っていこうというやる気が見えないのである。しかも閉鎖的。よそ者を入れたがらない。

おかげで、視察の一行は、「やっぱりムリだったんだ(笑)」と、妙に明るくなった。アイデアが出ない理由になったよ。

フツーの田舎には、フツーの田舎の良さもある。が、それでも牽引者がなくては立ち行かない。さて、どうする?

2009/08/20

ワタ畑

022 写真は、木綿の実。

今日は、河内木綿の世界を覗いてきた。

江戸時代の衣料は、その多くが木綿で作られていた。その一大供給地が、河内である。現在の大阪府東部、東大阪市や八尾市を中心とする地域だ。

ここでは、広大な木綿畑が作られ(当時の耕地の7割を占めていたという)、紡がれ、染められ、機織られ、衣料ほかの商品に加工されていった。それらは、北前船に乗って、日本全国を席巻した。米を運ぶ北前船が、帰りに綿を積み、さらに昆布やニシンを大坂に運び、それらは肥料として木綿畑に鋤込まれた。

つまり、河内木綿は、日本の流通の要の一つだったのである。

まだ不勉強で詳しくないが、当時の綿畑は、どれほどの面積になっただろうか。

しかし、明治になると米綿が入ってくる。これは河内木綿とはかなり品種が違い、ワタ実が非常に大きく量産がきくうえに繊維が長くて機械織りに適していた。そのため河内木綿は壊滅的打撃を受けて、姿を消してしまう。

変わって、養蚕が盛んになり、全国に桑畑が作られて蚕を育てるようになった。その最盛期、日本に桑畑は70万ヘクタール以上あった。

こうなると、もはや畑だ作物だと言っていられない。森林面積に占める割合も3~4%になっただろう。それは生態系に大きな影響を与えた。

木綿畑が生み出した生態系が、やがて桑畑の生態系に変わり、それが今や雑木に包まれたり、スギやヒノキの人工林と化してしまった。そして、そこにはまた別の生態系がある。

潜在植生こそ本来の生態系とのたまうセンセイもいらっしゃるが、水田のほかにも生態系を変えた作物はたくさんある。それを無視して日本の自然は語れないし、こちらこそ人の営みとともにある本来の生態系ではなかろうか。

2009/08/19

森林療法で自己啓発?

森林療法・セラピーについてのタレ込み情報があった。

それによると、某セラピー基地の地域で開かれたセミナーでは、講師が「受講すると店の売上が伸びた!」という事例集が配ったそうだ。

??? なので、その講師について少し調べてみたら、結構有名人らしい。本も書いているし、テレビも多数出演。森林セラピーのガイドほか様々な自然ガイド? 自然療法ガイド? をしているようだ。
ところが、彼のセミナーでは、癒されたうえに、仕事がバリバリできることを宣伝しているのだ(@_@)。受講後は、身体からやる気のオーラが漂うらしい(笑)。しかも、一度や二度ではなく、繰り返しセミナーに参加すると効果が出るとしている。

これって、自己啓発セミナーじゃないのか?

精神修養セミナーともいうが、性格を変えてやる気を出させたり、前向きに人生を歩けるようになる、というのが売り物。一部に心の癒しも含むらしいが、基本は「殻を破って、新しい自分に生まれ変わる」ことである。特定の刺激を与え続けることで脳内麻薬を発生させて、別人になった、と勘違いさせるものだ。
以前はよく会社の社員研修にも使われた。しかし、いわゆるマインドコントロールや洗脳に近く、神経をおかしくする人が続出したうえ、主催者は、中毒(依存症)になった受講者を高額のセミナーに勧誘し続ける(また本人も抜け出られない)有り様になった。そのため社会問題にもなったのである。

加えて、セミナーの内容がオカルトぽくなる傾向がある。また宗教的になることも多い。もちろん、お金儲けが一番の目的であるが。一時期、成田のミイラ事件で有名になったライフスペースも、この自己啓発セミナー団体だった。

どうやら、この種のセミナーと森林療法を合体させようとしている動きがあるらしい。

とくにセミナー講師を生業とすると、いかに世間の耳目を集めて客を増やすか考えないといけない。勢い流行を追いやすい。その時々の人気の癒し要素を盛り込んだメニューを作りたくなるのではないか。

精神系のセミナーは、一歩間違えると非常に危険なものなのだが、それが森林療法の世界にも侵入しているとは。しかも、森林セラピーともなれば、たいていお役所がらみ。つまり公的な機関が、後押ししていることになる。

そう言えば、以前には森林総合研究所の報告書として、森林のマイナスイオンを測定(^^;)をしている論文を見せていただいたことがある。ようするに森林療法の効果を説明するのに、当時流行りのマイナスイオンを利用したのだろう。今や、まったく流行っていないが……。いずれにしても、林野庁系団体もオカルトに手を染めていたわけだ。

心を穏やかにする療法が、「心を強制的に入れ替え、別人になることで悩みを忘れる」方向に向かってどうする。

2009/08/18

選挙公約への質問

衆議院選挙が公示されたから、多少は、時事らしい話題にも触れておこう。

Googleが衆院選に向けて「未来のためのQ&A」というコーナーを設けている。候補者への質問を募集しているのだが、そのうち林業にも関わりのあるようなものを選び出してみた。http://moderator.appspot.com/#15/e=9df89&t=93f86

                                                           

「後継者不足なのに、新規参入に対する壁がものすごく厚いこれらの分野に、どのような政策を持っていますか」

「日本の食糧自給率を高め、国民の食の安全を確保し、荒廃しつつある森林や農地を適切に維持管理するために、あなたはどのような具体策を講じることができますか」

「一次産業にもっと税金を使う事で、豊かな自然を維持できるようなシステムを考えられないでしょうか?」

「輸入に多くを頼っている農林水産物に関して。中国やインドなどの急成長にともない、これらの国との獲得競争のため、これまでのように輸入が難しくなっていくと思われます。農林水産物の安定的な確保のため、どのような政策を考えていますか」

「国内の森林のほとんどは人工林であり、持続的な林業の存在がその維持には欠かせませんが、現在深刻な課題を抱えています。日本は次の100年間でどのような森林をどのような手段で実現すべきでしょうか?」

「過度な植林によって杉に代表される針葉樹で覆われてしまった日本の山々を、本来の姿である広葉樹の森に戻すためにはどのような政策が必要だとお考えですか」

                                                          

最後のは、大いに異議あり! の質問(^^;)だが、概ねいい線を突いた質問ではないか。

さて、1000人を越える候補者の各々は、これらにどんな回答をするだろうか。ま、その前に回答する候補者はどれだけいるだろうかね。林業に多少とも関心を向けているのは、何人いるだろうか。

2009/08/17

テンプレート変えました

突発的に、テンプレートのデザイン、変えました。

かなり、地味(笑)。疲れる夏は、おとなしめに。あっ、もう立秋を過ぎていた。。。秋になったら、また変えるか。

2009/08/16

森林療法「みんなの森」

梅雨が明けたと思えば台風の悪天候が続き、ようやく夏らしくなったかと思えば、立秋。早くも夜には涼やかな風が吹く。昨日は、お盆に終戦記念日ということで、世界平和を願って拙ブログもお休み……なんてことではなく、単に忘れていただけ(^o^)。

以前、森林療法創始者である上原巖氏が、NPO法人日本森林療法協会の理事長を退任したことを知らせた。上原氏は、その後、新たな森林療法を普及するための団体として、  「みんなの森」を立ち上げている。

そのホームページは、次の通り。
http://www.geocities.jp/ueharaiwao/

なぜ、協会を退任したのか、新たな運動体を設立したのかについては、はっきりと語っているわけではないが、よく読むとわかってきた。

「みんなの森」では、それぞれの地域にある森林・山林での活動や休養を通して、森林と人とのコミュニケーション、人と人のコミュニケーションがより良い形で取れる時間が過ごせるような機会と場を作っていきます。森林療法もこの中に含まれます。

また、現在の長期の不況のもと、森林療法に関心があったり、興味がありながらも、様々な会の入会金や研究会、体験会の費用を払うことができない方も世の中には大勢見えます。 けれども、必ずしもお金を支払わなければ森林での保健休養や森林療法はできないというものではなく、また、特定の団体に属している人だけがそれらを享受できる資格や特権があるわけではありません。

もちろんある程度の団体の組織運営を行うには、お金を集めることは必要なことだと思います。 しかしながら、そのような営利や事業拡大のような路線は選択せず、どなたでも広く市民が心のよりどころとなるような機会と場を、できる範囲でささやかながら作っていきたいと思います。

(中略)

自分の身の丈にあった森林療法の活動の原点にもう1度はじめから戻ろうと思っています。そして、ずっと前から自分を必要として待っていてくれた森や、また多忙な毎日の中で置き去りにしてしまっていた森、人々のところに帰ろうと思います。

やはり森林療法協会では、路線対立があったようだ。辞任したのは理事長である彼一人ではなく、全部で6人の理事も一斉に退任しているのだから。

その対立は、大雑把に言って「着実推進派」と「事業展開派」だそうだ。
一つのテーマを、理念を大切に内実の充実を図ることを重視する考え方と、規模の拡張をめざす考え方の差である。

その点を次のように記す。

地域の森林で、地道で、素晴らしい実践を積み重ねていらっしゃる方もいれば、いちはやく事業・営利としての展開をはかりたい方、広告・顕示も含め、ご自身のアイデンティティとしたい方、すでに「森林療法」が生業として必要な方も中にはおみえのことでしょう。

わかるなあ。私も、各所で同じことを感じているもの。

別に理念を重視すればよいというわけではない。理念とは、何も理想論だとも思わない。むしろ広く目的を達するために必要なものだ。目的と言ってもよい。 しかし、事業ばかりに目を向けると、本質から離れてしまう。

たとえば日本の森林を美しくしたい、という理念(目的)のために、林業振興を行うとしよう。これは手段だ。新しい考え方の施業や商品開発を行う。そして、その方法を広く世間に知らしめて、みんなで林業を活性化すれば結果として森林が美しくなる…… 。

ところが往々にして、振興事業そのものが目的と化してしまう。自らの事業の拡大をめざして、他の林業事業体あるいは林業地を敵対視したり、自らの利潤を上げるために、本来の「日本の森林を美しくする」という目的をないがしろにする。
売れる商品を作り出したら、その作り方を囲い込んで他者に教えない、国産材を使って作るはずが、より安い外材に替えて、製作も中国に下請けに出せば、より儲かる……なんてことを考えてしまう。また事業体の施設や規模の拡大を望む傾向もあるようだ。あるいは関係者が、自己の肩書として利用する動きもある。いわば自らの満足を得るための事業展開になってしまうのである。

ともあれ、森林療法にも、さまざまな流派? 教義? ノウハウ? を持つところが現れて、分散し始めたのだろう。すでに森林療法から森林セラピーという狭義のカテゴリーができて、、それに属さぬ森林療法団体が登場していたが、さらに違った考え方を元に、その中でも分かれ始めたことになるだろうか。

これは、どんな世界でも起こることだ。すでにチェンソーアートの世界で、これが進行している。もはや地域づくりの手段としてのチェンソーアートを唱えても、誰もあまり耳を貸してくれない(~_~;)。完全な趣味あるいはビジネス、さらに芸術、自己実現、事業欲の元に拡散してしまっている。 こうした段階を経て、ポピュラーな業界になっていくのだろうけど。

しかし、森林療法界は早い。私は、もう少し後(数年後)に始まると思っていた。これでは拙著『森を歩く 森林セラピーへのいざない』の内容があっという間に古くなるじゃないか(苦笑)。

2009/08/14

「本当は恐ろしい江戸時代」の文献

一応、カテゴリーは「書評・反響」に分類したが、これは書評ではない。

だって、読んでないんだもの(~_~;)。

書店を覗いて、「本当は恐ろしい江戸時代」(八幡和郎著・ソフトバンク新書)を見かけた。

その帯だかに、「はげ山だらけだった江戸時代の日本」とかいう惹句があるので引きつけられた。世間は、江戸時代をエコロジーな社会と思っている人が多いが、実ははげ山が多くて自然災害が頻発した……ということは、拙著でも繰り返し触れている点だ。

そこでパラパラと捲ってみた。たしかに、江戸時代の山は、どこも木が少なく荒れていたことが書かれている。その点に異論はない。ただ、書き方がイヤらしい。
なんだか人の思い込みをあげつらうような文体で、いかに江戸時代がひどい時代だったかをネチネチと記しているのだ。

実際、ほかの項目でも、「餓死者が出ても平気な幕府」とか「斬り捨て御免は伝説ではない」「農民はほとんど旅ができなかった」「女性の地位がもっとも低かった」「地方は江戸の植民地」、そして江戸時代は、まるで現在の北朝鮮みたいな社会だった! とあおっている。

一つ一つは私の知っている点からも、間違いではないだろう。が、解釈として納得いかないところが多い。徳川幕府はそもそも中央集権国家ではなかったし、当時全国を一律に統治することは不可能なのだ。それを現在の感覚で断罪するのは無茶苦茶だ。むしろ、江戸時代の方が、融通が聞いて、自由度が高い例もいっぱいある。

それにしても……「はげ山」の項目に目を通すと、その証拠として「東海道五十三次」の図絵などを持ち出しているところが気になる。もしや、と最後の参考文献欄を見る。

やっぱり。『森林からのニッポン再生』が入っているではないか。拙著を参考文献に、この項目を書いたのは間違いないだろう。

なんだかなあ。こういう風に引用・参考されても、あまりうれしくないなあ。

2009/08/13

立体緑化

いよいよお盆に入り、このブログのアクセス数も減っているこの頃(~_~;)、私も休もうかな、と思っていたが、軽く話題提供。

こんな壁面緑化の技術が開発された記事があった。竹中工務店が開発した「樹木対応型壁面緑化システム」http://journal.mycom.co.jp/news/2009/08/04/025/?rt=naである。

建物の屋上に留まらず、壁面も緑化する案はよく出ているが、実際は蔓植物ぐらいしか無理だった。それを樹木でも育てられるようにしたもの。

実は、我が家の前の道の拡幅で、我が家のみならず、隣家の庭が大きく削られる。私も借景にしているのだが、その庭は、樹木と山野草がたっぷりの空間なのだ。

そこが削られ、面積が減るだけでなく、コンクリートの壁になるらしい。それも道路面からかなり下がって、高さ3mくらいの壁になる。これまで野草を育ててきた隣家の夫婦にとっては、単なる拡幅ではなく、家から見た景色が激変することになる。精神的にもよくないだろう。

そこに、こんな壁面緑化システムを導入できたら、と思うのだが。

2009/08/12

福井で過ごした時間

まず最初に言っておかねばならない。

私は、オタクではない。この点を、はっきり宣言しておく。

たとえば元祖オタクである鉄道なんかに興味はない。鉄ちゃんとか、鉄オタとは呼ばれたくない。あんな鉄の塊が鉄の上を走るのを見て、喜ぶ趣味はない。
若いオネエチャンは好きだが、、メイド服などユニフォームに興味はないし、メイドカフェに行ったこともない。コスプレに関心もない。なんで、あの不可思議な恰好して楽しいんだ。
アニメオタクでもない。先日、「サマーウォーズ」を一人で見に行ったが、それは作品が優秀だったからで、主人公の女の子に夢中になることもなければ、アニメならなんでもよいわけではない。もちろんロボットアニメにはまることもない。ましてや、キャラクターのフィギュアを集めて、萌え~たりしない。

わかっていただけただろうか?

                                                        

さて、本題だ。今日は福井に行ってきた。片道3時間ちょっと、しかし日帰りである。結構きつい1日であった。これでは、福井県内を観光する余裕はない。かといって、まったく目的地を往復するだけというのも寂しい。

何か、わずかに寄り道するところはないだろうか。ほんのちょっと、旅の気分を味わえるようなところ……。

そこで思い付いたのが、えちぜん鉄道である。本ブログのサイドバーで紹介している「ローカル線ガールズ」の書評でも記したが、福井県内を走るえちぜん鉄道は、アテンダントと呼ばれる若い女性を乗せていて、彼女らの痒いところに手が届くようなサービスが売り物で、人気を呼んで全国的に評判を呼び、地域活性化に成功したという不思議な存在だ。

そして、今日訪れなければいけない会場は、えちぜん鉄道の沿線なのである。最初はJR福井駅からタクシーを飛ばして行く予定だったが、それよりも早めに着いて、えちぜん鉄道に乗ろう! そしてアテンダントを見てみよう!

勘違いしないでほしい。私の目的は、地域づくり成功例の視察である。アテンダント目当てではない。若い女性を見るのではなく、彼女らのサービスを見学するのである。その点、間違わないでほしい。

で、1時間ほど早めに福井入りすると、えちぜん鉄道の福井駅で、時刻表を見ながら考えた。目的地の駅までだと、わずか数駅で乗車時間は数分。これでは短すぎる。そこでもう少し遠くまで乗って、折り返すことにした。ただし、炎暑の今、永く復路を待つのは辛い。だいたい30分に1本だからだ。
じっくり考えた結果、某無人駅で下りれば、6分待つだけで上りの列車が来る。それに乗れば、目的地駅まですぐだ。往復30分ばかり乗れるうえ、2本の列車だから二人のアテンダントに逢える……じゃなく、見学できる。

乗りました\(^o^)/。009

福井駅には、なぜか恐竜の待ち客がいた。

                                               

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そして、アテンダントの放送。盗み撮りっぽい?

                                                

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市街地を抜けて、九頭竜川も渡って、田んぼも広がる中の無人駅。

                                                 

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いかにも、ローカル線の無人駅。

                                                   

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こちらは、復路のアテンダント(^o^)。

                                                 

                                               

見ていて、彼女らの忙しさがわかった。駅と駅の間は短いので、時間もあまりないのだが、その間に放送したり、切符を切ったり、質問に応えたりと、実に忙しい。駅によっては開く扉の位置も違うので、その誘導もする。子供たちには、手を振る。そのうえ、高齢者の話し相手にもならないといけない。話すときは、座っているお客さんの目線に合わせて、腰を折る。こりや、大変だ。そして、彼女らの魅力もよくわかった。列車内には、人と人の触れ合いがつくる空間の心地よさが漂っていた。

私の乗った列車は、近隣の人ばかりで観光客はいないようだが(おれがそうか?)、乗り継ぎバスの時刻表を繰ったり、観光案内もしている。

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そして私は、その忙しい彼女を捕まえて、彼女の鞄に付けているものを指さして頼んだのだ。
「キティちゃん、ちょうだいheart

このキティちゃんストラップ、えちぜん鉄道でしか売っていない、彼女らが自分で販売している限定モノですぞ! これを買わずして、えちぜん鉄道に乗ったと言えるか!!
この限定ものキティちゃんには2種類あって、運転手ものと、アテンダントもの。もちろん私が購入したのはアテンダントものであるsun

これでえちぜん鉄道が起こした奇跡がよ~く、わかった。今回の視察は、非常に有意義なものだったと言えるだろう。改めて、「ローカル線ガールズ」を読み返そう。彼女らの写真を見て、また萌え……るんじゃなくて、地域づくりについて考えよう。

以上。

2009/08/11

コンサル事業の名前募集

近頃、お会いする人が、拙著を読んでくれていることが増えてきた。

それも、思いもかけない本が登場する。先日は、田舎暮らしの取材でうかがった某町の職員は、「バイブルです」と言って、『田舎で暮らす!』を取り出した。

これは意外。『田舎で暮らす!』は、拙著の中では地味な本で、あまり話題にならなかった。タイトルが平凡すぎたかと思うのだが、内容的には田舎に暮らしたい人向けに見せつつ、実は移住者を迎える側を意識して書いている、というねじれが読者を惑わせたかと、分析したりしている。

が、まさに移住者受入れ側の人にとってはウケがよいという、逆転現象(^o^)。お役に立てているのなら幸いだ。

そして、また田舎ツアーで出会った人と名刺を交換すると、「この2週間で、3冊読みました!」と、驚きの声を上げた。『森林からのニッポン再生』や『田舎で起業!』、そして『森を歩く 森林セラピーへのいざない』である。たまたま仕事がらみで山村や林業、地域づくりについて勉強しようと思って、私の本に出会ったという。

実は、その後トントン拍子に、彼が手がける地域づくり計画に私も関わることになった。まだ中身はこれからだが、取材先で出会って、別の仕事に結びつくのなら、有り難い展開である。

もっとも、執筆する仕事からコンサル的な仕事になっていいの? と戸惑う思いもある。
と言いつつ、今日も神戸で秋から開くセミナーの打ち合わせ。私がセミナーに呼ばれるのではなく、主催する側に回ってしまっている。ほかにも宗教団体の所有する山林の改良構想とか、文化庁のふるさと文化再生事業の下請けとか。

前から考えているのだが、いっそ、コンサルタントの看板掲げようかなあ。会社じゃなくて、地域づくりを受け付ける母体になる組織か、事業体の名前。なんか、よい名前はないだろうか。「日本の森林元気プロジェクト」なんての。

よい名称、募集します(^o^)。

2009/08/10

建設業の林業進出は今

どこも不景気な話ばかりだが、国交省は、「建設業と地域の元気回復助成事業」の第1次募集結果を発表している。全国で104件を助成対象事業に選定したが、事業テーマでは、林業と観光が25件で最多となっている。(農業は24件、環境が17件。)

ようするに、建設業界では、林業への参入を考えるところが少なくないということだ。どちらも公共事業で食ってきた業界であり、建設に関する公共事業がしぼむ中、林業にはまだ公共事業がジャブジャブあると睨んだのだろうか。

が、別のデータがある。これは建設業を森林整備に転換させる施策を早くから取っていた長野県の話だが、森林整備の入札参加資格者から、建設業者の撤退が相次いでいるのだ。

7月1日現在、ピークだった2004年度より3割近く少ない244社になったのである。県は、建設業からの進出を支援していたが、その補助制度も廃止された。

実際の受注も、森林組合が18、林業専門の林業事業体が68で、発注額の3分の2を占める。受注したところも、慣れない作業で整備期間が長引いて、人件費などがかさんでしまって採算が取れない事例が多かったそうだ。
つまり、建設業はそう簡単に森林作業に転換できなかったわけだ。

もちろん研修不足であり、建設業も慣れるまで努力を続けなかった点もあると思う。だいたい林業専業になるつもりはなく、冬の建設仕事の少ないときに山の仕事を請け負おうという程度の気持ちでは、技術が身につくまでにいかないだろう。
今やバリバリと素材生産を行う会社は、前身が運輸業だったりゼロから徹底的に研修して学んだところが多い。

森林作業と都会の土木作業は似て非なる世界なのかもしれない。

2009/08/09

仕方なしの取材(^^;)

今日は疲れた。

なんたって朝から夏休みの某イベント取材で某山村に出かけなくてはならないのに、起きたら大雨。先方に電話したら、小雨だから決行するというので、仕方なしに出かける。ところが傘は先日の取材で忘れてしまいないから、仕方なしに途中でホームセンターの開店を待って購入して行く。
ぶつぶつ言いつつ、雨で渋滞気味の道を進み、山道に入り、目的地に着くと小雨。仕方ないから取材しなくっちゃ。

会場は、何家族も参加していて、かつての学校の校庭で遊んでいる。大きな銀杏の木に、梯子がかかっていて、ツリーハウス状になっていて、子供たちが登っているから、仕方なしに私も登る。

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それから流し素麺の準備。仕方なしに手伝い、出来上がった竹の筒を流れる素麺を、仕方なしにすくって食べる。取り合いになり、まだあまり食べていないうちになくなったので、仕方なしに要求して改めて流して食べる。そこにホオ葉寿司と黒米のおにぎり、それに炭火で焼いた鮎が出る。こちらも仕方なしに食べる。

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それからクワガタムシを取りにいくというので仕方なしに同行。雑木林に入って、クヌギを蹴飛ばしたり揺らして、クワガタが落ちてくるのを待つ。子供たちが一匹、二匹と取るのを仕方なしに見る。

また帰ると、今度は石窯でピザを焼くというので、仕方なしにピザ生地を伸ばして、その上にトマトソースを塗り、タマネギとピーマンを散らして、サラミにソーセージ、そしてチーズをたっぷり乗せる。それを仕方なしに石窯に運び、焼いてもらう。

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焼けた熱いピザを仕方なしに頬張りながら、ジュースを飲む。

そろそろ日が陰ってきたので、仕方なしに帰る準備。その前に地元の人に教わった湧き水のあるところに車で行き、仕方なしにポリタンクに水を汲む。

ああ、こうして夏の一日は過ぎたのであった。

さて今日は、何度仕方なしに、行動したでしょう?

2009/08/08

民主党のマニフェスト

民主党のマニフェストが、なぜか届いた。

なぜか、って、まあ、多少は仕事などで民主党議員とおつきあいがあったから広報委員会の名簿に載ったかな。

で、今日は、そのマニフェストを点検して林業政策をどうこう……言おうというわけではない。もしかしたら、そのうち各党のマニフェストを比べてみるかもしれないが、まだそこまで手間が回らない。

で、土曜日の今日は、軽く……民主党の政策の根幹であるバラマキについて(笑)。

与党側の批判は、財源問題に集約されている。それを言えば自民党はすでにバラマキし続けているし、財源が赤字国債という借金なんだから話にならないが、とにかく民主党は平成25年度に16,8兆円必要となると説明している。その財源として、国の総予算207兆円を全面組み替えして捻出するという。それが不可能だ、と与党は攻撃しているわけだ。

私は、そうでもないと思っている。十分捻出できる。

考えてみよう。これが民間の会社で、4年後に売上を2倍にアップさせると経営計画を立てても、肝心の売れる商品商材がなければ不可能だ。どんなに努力しても、徹夜しても、営業かけても、広告打っても、消費者が欲しくなり、コストパフォーマンスのよい商品がなければ、売れない。熱意だけでは売上は伸びない。企画開発が重要なのだ。

ところが行政の財政再建は簡単だ。利益を上げるのではなく、支出を削るだけでよい。もともと行政は、金を生み出す場ではなく、金をばらまく(使う)機関なのだから。
大阪府は、財政再建団体に転落寸前だったが、橋下知事になってたった1年で財政を単年度黒字にしてみせた。それもそのはず、ものすごく強引なコストカットをしたからだ。それこそ、学校を中退しなくてはいけなくなる、と泣く高校生相手に「自己責任」と言い放つ度胸? 冷酷さ?   を持って、予算を切りまくった。だから、支出を減らして黒字化できた。そこに斬新な方策があったわけではない。

だから民主党案も、簡単だよ(笑)。

ただし、本気で予算を組み替えられるか? 公共事業カットに公務員の人件費カット、衆議院の議員定数も80人減らすとあるが、それを実行できるのか? おそらく非難ごうごう、猛烈な抵抗、サボタージュ、裏工作が巻き起こるだろう。自らの支持母体や連携する党派の反対も強烈に違いない。

それでもできるか? 

私は、極めて怪しいと思う。腰砕けになるんじゃないかな。その結果、政策を撤回するか先送りにするか、あるいは赤字国債に頼るか……あんまり楽しい未来は描けない。

もし本気で実行したら、その時は私も本気で民主党を支持するよ。

私のところに届いたマニフェストは、厚さ4㎝の宅配便の箱に入っていた。中身は薄いマニフェストの冊子3冊だけ。測ってみると5ミリに足りなかった。これくらいなら封筒に入れた方が安上がりではないか。
業者に一斉発送を依頼すると、部数に関わらず全部箱を使った方が簡単で、金額的にはさして変わらないのかもしれない。が、箱詰めすれば、かさばり重くなって、流通上のエネルギー消費は増えただろう。紙資源も無駄になったはず。こんなところで、民主党のコストカット意識や環境配慮への意識に緻密さがないことを感じる。

2009/08/07

ルーマニアの木材

散歩しているときに、建築中の住宅に遭遇。

その敷地には、木材が山積みになっていた。柱材をよく見ると、集成材のプレカットだ。いまどき珍しくない。

200907191554000                                                

が、そこに張られているシールを読んで、驚いた。

原産国が、ルーマニアになっている。樹種は、スプルース。
そしてJASマーク。

う~ん、旧東ヨーロッパが経済的に勃興してきて、木材産業も盛んであることは漏れ伝わっていたが、現実にルーマニア材を身近に見ると、ちょっと感慨深い。(ただし、製造がルーマニアの会社なのか、ドイツ当たりの会社の工場なのかはわからない)

ヨーロッパ材が急進していることは知っているが、北欧、中欧に続いて東欧も日本をターゲットにしてきたことになる。人件費が安そうだなあ。

ここのところ、国産材の需要増が著しいが、いよいよ強敵が増えてきたぞ。

2009/08/06

林業生産専門技術者養成プログラム

鹿児島大が開いている「林業生産専門技術者養成プログラム」本年度2回目の受講生を募集している。9月より「本年度第二回目が行われるのだ。

私も昨年、一部を受講したものだ。全15回に渡って、作業道の設計から間伐、作業システム、事業体経営、そして木材流通まで実技と講義を交えて学ぶものだ。通称は「学び直し」と語られる。つまり、林業関係者に、基礎から林業に関わる最新の情報や技術を身につけるためのプログラムだ。

実は本年度第一回目は、大分県の日田で実施している。つまり鹿児島を離れて開催したわけだ。結果的には19名の受講生を迎えたという。今回は,再び鹿児島会場で実施されるが、定員10人だ。

門外漢の私がいうのもナンだが、プログラムの内容は、林学の基礎だろう。だが、最新の情報であり技術だ。しかも現場第一線の講師が揃っている。作業道の開設の考え方なんて、理論がガラリと変わっていた。

募集要項には「本プログラムは技術習得というよりは新しい知識と考え方を身につけるためのもの」とある。林業の素材生産分野の人材養成が目的と言えるだろう。

鹿児島会場は誰にでも通える距離ではないが(もっとも、それが東京、大阪だって、全国各地からすれば同じことだ)、無料(^^;)だし、興味のある方は、問い合わせてみたら。

Img056

詳しい要項は、まずこのチラシから。

2009/08/05

「食育は大嫌い」

昼間、たまたま付けたテレビのNHK「スタジオパーク」に、なんと西原理恵子が登場していた。生である。思わず見入る。

今や「毎日かあさん」がテレビアニメ化、「いけちゃんとぼく」に続いて「女の子物語」まで実写映画化と、まさに今年はサイバライヤーなのだ。

そこで語る話題は、亡夫のアルコール依存症であり、子育てだ。そこでズバリといったのが、 「食育って、大嫌い」である。

たしかに最近、やたら「食育」という言葉が氾濫している。ファストフードではなく、スローフード、手づくり、安全安心食品、素材の味……といキーワードが使われて、食事の大切さが訴えられる。そして食をしっかりさせれば、子供の健康が守れて、教育効果があり、非行も防げる……と、いいことづくめに語られるのだ。

しかし、当然のことながら、手づくりやスローフードを実行するには、時間も必要だし、金もかかる。共稼ぎの家庭で、仕事を終えて帰って来てからしっかり調理していたら、二時間くらいかかって、食べるのは深夜。子供と触れ合う時間がなくなるじゃないか! 出来合いのものを買ってきて、さささっと作って食べて、その後を豊かに過ごす方が、よっぽど子供のためよ、というのが西原理論である。なんたって、食べ物より親子の触れ合いの方が何倍もの教育効果があるのに決まっている。
その後見せた西原料理では、「素材の味を思い切り消した唐揚げ」を披露していた(^^;)。

私も、そうした「豊かな食卓」の教育効果自体は否定しないが、たいして重きを置いていない。私も、かつては昆布と鰹節から取った出汁しか使わなかったが、今やお手軽「白だし」愛好家(笑)。安い食材をいかにいじるか、が勝負だよ。

                                                           

食育とともに、最近では「木育」「森林教育」も語られるようになった。木に触れ合う教育である。これも否定しないが、あまり押しつけちゃ逆効果だ。木のオモチャを与えておけば、情操教育になるってもんじゃない。森林に入って遊ばせたら、子供たち全部が元気になるわけじゃない。木や森の力を過信してはいけない。だいたい木や森そのものに力があるのではなく、その中でどんな体験をするかが重要だ。そして、何より会話だろ。

そのうち、森に連れて行きすぎたためにぐれた子供たちや、木のオモチャのために木材嫌いの人が登場しないとは限らないぞ。ほどほどに。

2009/08/04

露天風呂の森林セラピー

和歌山からもどってきた。

今日は午前中に取材を終え、どうせならと新宮から十津川村に入って、奈良を北上するルートで帰る。(ただし、葛城市からまた大阪に出て、再び奈良に入るという変則ルートだけど。)

そして、十津川を通るなら、やはり源泉掛け流しの温泉につからねばならない、という強迫観念で公衆浴場「滝の湯」に入る。日帰り客向きにオープンしている温泉だ。

まずは内湯に入るが、その奥に扉があり、「露天風呂」の文字が。当然、引き寄せられる。

で、扉を出ると階段が下に伸びている。下りていくと、野外に出て、スリッパを履いてまだ進む。露天風呂は見えない……と思っていると、また階段。もちろん野外だ。どちらかというと、山の斜面を下る遊歩道的。おいおい、どこまで下るんだよ、と思いつつ進むが、この間、もちろん裸である。そして周りは森である。一応、タオルは持っているが、何にも身繕うことなく、真っ裸で森の中の階段を進むのである。
途中、上がってくる別の客とすれ違ったが、まあ気にすることもあるまい。

ようやく谷底に下りると、ありましたよ、露天風呂。すぐ下が渓流で、滝になっていた。

滝の音を聞きながらゆったりと浸かる。

そこで思い出した。

昨年の今頃、取材で歩いた全国各地の森林セラピー基地のことだ。『森を歩く 森林セラピーへのいざない』に紹介した基地群は、その後も増え続けているが、実はまだ内実が伴っていないところが多い。そこで早急に整備しないといけないのは、森林セラピーメニューだ。

それぞれ各地の基地ならではの、セラピーメニューを作ることが、基地の特徴を出す近道なのである。私も、取材の後半戦に入ると、逆に「どんなメニューを作れるか」一緒に考えるようになっていた。その中で「石のセラピー」を提案したり、トンネルを利用した「暗闇のセラピー」を考えたりした。(それを採用してくれるかどうか、知らないけどね。)

そこで思い付いた。「裸のセラピー」はどうだ! 裸で森林を歩くのである。解放感の極みではないか。もちろん、いきなり裸になりにくいのなら、露天風呂を利用するのが一番だ。木に囲まれた露天風呂までの路を、脱衣場から裸で進むのである。

裸では緊張して、癒されない?  そんなことはない。そもそもセラピー、つまり癒しを得る過程は、くしゃみに似ていると感じていた。鼻をムズムズさせながら緊張を高め、クシャン! と吐き出すことで心身を緩和させる。「くしゃみ」がおかしければ、「笑い」でもいい。最初に緊張があって、どっとゆるむ感情こそが笑いなのだ。

だから、裸になって、緊張しつつ、森の中を進み、やがて解放感いっぱいになり、最後に露天風呂に飛び込んで、一気に癒されるのである(^o^)。

外国にあるヌーディスト・ビーチなんかも、同じ効果を狙っているんじゃないかなあ。

日本では独りで行う方がよいが、同性なら、裸同士でいいんじゃないかなあ。ちなみにこの温泉、女湯は覗いたわけではないが、同じく谷の下に露天風呂があるよう。

どこか、この森林セラピーメニュー、採用しません?  

                                                         

032 写真は、全然関係ない十津川で食べた釜飯。

2009/08/03

和歌山です。

和歌山に来ています。
古座川の清流と、黒潮の海を見ながら、どちらにも触れられず、汗をかいていた日々でした。

2009/08/02

時代遅れの学問

昨日の合コン、もとい……(しつこい)女子大生木材商品開発会議のこぼれ話。

女子大生参加者の中には、林学系の学科出身者も何人かいた。彼女らに、私は「なぜ森林ジャーナリストになったのか」と問われたのだが、その答として「私は森林学をやりたくて林学科に入ったのだが、林学科は林業学を教わる場であったこと、それで意気消沈してマスコミに進路を変えたこと……」などを語った。

ところが、彼女らは最初から林業をめざしていたというのだ。ところが、入学してわかったのは、今や大学では林業を教える部分は縮小していて、森林学にシフトしているというのだ。それが不満でサークルや学外組織に加入する形で林業に触れているという。また学科の3分の1は女性であるとか。

これはちょっとショックだった。

私が学生の時代、世間は森林生態学に注目が集まり、私のような森林学をしたい学生は少なくなかったと思う。ところが大学は時代遅れ?の林業学を相変わらず教えていた。
それからン十年、ようやく世間は林業という産業学から脱皮して、自然学系へと舵を切った。学科名も林学から森林科学ナンタラ学科と変えたところが多い。ところが、その時代に女子学生が自然学問よりも、林業という産業社会へと興味を移しつつあるのだ。

若い女性は時代の先端部への感度が高いという説を取り入れれば、まさに時代は林業なのに、大学は時代遅れ?の学問を提供していることになる。
本来、林業系の研究機関であるはずの森林総研も、今や林業に役立つ学問から遊離して、純粋学問へと傾斜してしまっているし、林野庁さえ林業とは距離を置き、里山だとか森林セラピーに飛びつく人が増えているが、いまに時代に置いてきぼりにされるだろう。

ところで学生の中には、某林野庁への就職を考えている人もいた。そこで林野庁について意見を求められたので、私は正直に(^^;)思うところを語ったが、ため息を付いていた。その人も、実際に職員に接触して、同じ感想を持っていたらしい。

私の意見としては、せっかくだから勤めて、内部情報を私にチクッてくれるのが、一番うれしい(笑)と伝えた。

2009/08/01

女子大生木材商品開発会議を開催

ついに女子大生と合コン、もとい、女子大生木材商品開発会議が開かれた。

会場の京都女子大学は、本日からオープンキャンパスを実施しており、門前より女子高生があふれている。女子大生のみならず女子高生も! とおじさんは奮い立ったのでした(笑)。

で、肝心の合コン、もとい女子大生木材商品開発会議は、午後2時スタート。時間前に会場に現れたのは男ばかりで、(-.-)……だったが、やがて女子大生、元女子大生も続々と現れ、10人を越していたかな。ちなみに参加者全員で24人と想定以上の人数。さらに京都新聞の記者まで取材に来ていたから、なんだか大げさになりすぎたかも(^o^)。

今回は第1回ということで、まずは自己紹介をしつつ、私ほか数人が持ち込んだユニークな木材グッズを紹介しつつ、思い描く商品アイデアを膨らませていくブレーンストーミング。否定的な意見は抑えて、どんどん連想ゲーム的にアイデアを出し合う。

たとえばディズニーランドのミッキーマウス形紙吹雪を木にするところから、ハート形の紙(木)吹雪、四葉のクローバー形紙(木)吹雪などというように。

詳しい内容は、少し整理してから紹介しよう。

今回は、大半が初対面同士だから、一種のアイスブレイク。やっぱり合コン、もとい女子大生木材商品開発会議は、お互いが和やかで遠慮のない関係を築かないと盛り上がらないからね(^o^)。

今後、2ヶ月に1回くらいの割合で合コン、もとい女子大生木材商品開発会議を開く予定である。その間は、ミクシィの「木ごころ知れた女心」コミュで、議論を深める。
最初はアイデアの数を増やし、やがて絞り込み、専門家の意見も取り入れて、実現化していこうと考えている。幸い、参加者には製材所や大工、家具職人までいて、試作品を作るまでは、そんなに心配要らない陣容だ。そして、それを販売するルートを持っている人々もいるのだから心強い。
もしかしたら、分科会をつくって、テーマ別(玩具、文具、家具、エネルギー……など)に進めることもあり得るかもしれない。

なかなか幸先のよいスタートをきれたかな、思っている。

そして合コン、もとい女子大生木材商品開発会議は、オーガニックレストランに場を移し、ネパール料理を食べながら二次会を楽しんだのであった(´-`).。oO

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