女子高生の感性
実は昨日のシンポジウムでは、上原さんの講演だけでなく、事例発表もあった。
その一つが泉谷繁樹氏なんだけど、紹介したのが神戸松陰高校のエコ活動。ご存じの人も少なくないと思うが、3年生の女子高生が、さまざまなエコ活動に行動を起こすのだ。有名になったのは、何と言っても割り箸だろう。国産割り箸振興を訴えて、アドバシを10万膳も配ったこと。ほかにも商店の暖房を下げさせるウォーム・ビズ運動など実践だからスゴイ。
彼女らを見ていて、女子大生もいいけど、女子高生もいいなあ~と、萌えていた、わけではないよ。いや、少しは感じたけど(~_~;)。
実は、彼女らは毎年3年生の3学期、早めに進路の決まった生徒が取り組むのだが、最初に川上村を訪れて林業の現場を見てくるらしい。そこで体感したことが彼女らの行動力の原点なわけである。
そして発表の中で興味深かったのは、伐り捨て間伐の現場を見たときの感想だ。
大人、とくに多少林業をかじった人は、間伐が行われて光が入るようになった森を見て、ホッとする。無間伐で林床が真っ暗な人工林を見て、嘆息する。
だが、彼女らは、累々と伐り捨てられた間伐材を見てショックを受けるのだ。何か禍々しさを感じるらしい。それが、間伐材利用の商品づくりにも向くらしい。
女子高生の感性は、間伐地で残した木々が育つことを喜ぶよりも、伐り捨てられた木に「良くないもの」を感じるのである。
先に「良い森、悪い森」で見た目の感覚が森の健康にも重要ではないかと論じたが、女子高生は伐り捨て間伐地に悪い森を見たことになる。この点をもっと重視すべきではないか。林床に転がる伐り捨てられた木々に目をつぶって、光の射し込む林冠ばかりを見ているのは片手落ちだろう。
ちなみに私が伐り捨て間伐を批判するのも、その汚らしさが原点だ。つまり、私の感性は女子高生並ということになる(^o^)。
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