良い森、悪い森
以前、里山に関するセミナーの講師を務めたときに、会場から質問が出た。
「森にも、荒れた森と立派な森があることはわかったが、それを素人が見分ける方法はあるのか」
これは、結構イタイ質問である。
たしかに講演では、人の手が入って間伐や草刈りをすると、生物多様性が高くて生態系として優秀になること、逆に緑に覆われていても、森林内はまっくらで立ち枯れしている木も多くて劣化した生態系があることを話した。
また留保付き意見ながら、一般的には生物多様性が高いほどレベルが高いとも定義づけた。
もし森林ボランティア的に、これから里山に関わりたい、自然を守りたいと思っている人からすると、「では、どの山に何をすればよいのか」という活動原点が求められる。
これが禿山と木々が豊かな山で区別するなら簡単だ。木のない土地に植林をすればよい。あるいは種子を散布するか、宮脇氏のように土壌をまくというのも方法としてある。
が、素人目には緑に覆われている山を、これは手を入れるべき、これは(放置ではなくて)人の手を排除して原生状態を保つべき、という区別はどうしてするのか。下手に手を加えて、貴重な自然を破壊してしまうことはないのか。
もちろん、厳密なことを言えば、生物環境調査が必要だろう。動植物だけでなく水質・土質、微生物まで含めた調査を行い、近隣の同様の調査結果と比べて、多様性度が高い、低い、を判断すれば大きな誤りは犯さない。それこそ、エビデンス(科学的根拠)が揃う。
が、一市民にそんな能力も手間も時間もない。もちろんコストもかけられないだろう。それでも「里山を守りたい」という思いを無にせず活かす方法はないのか。
そこで私は、こう応えた。
「見た目で判断しましょう。美しい森は、だいたいにおいて『良い森』です。ざっと見て、なんだか気分が悪くなり汚く感じたら、多分『悪い森』です」
私は、こう見えても人の感覚を信じている。いや、人の感覚というのは、人にとって益不益で生まれるものだと考えているので、人間にとって害悪を与える環境はイヤな感情が発生すると思っている。逆に心地よい環境は、おそらく人間にとって益のある生物多様性の高い環境としてよいのではないか。
もちろん汚水の方が微生物多様性が高いとか、誰もが美しい森と認めても生物的には飢餓状態……なんてケースはあるから、エビデンス(笑)はあまりない。しかし、清流の水なら飲んでも腹をこわさないし、美しい森は木材生産量は高いという点で、人間には有為ではなかろうか。
だから森林療法でも、森を歩いて心地よいのなら健康にもよいし、森自体の環境度は高いと言えるのではないか。逆に森を歩いて不安に陥ったり苛立つことがあるとすれば、その森の環境度は劣化しているのかもしれない。
あくまで大雑把な話ですよ。しかし、その程度には「環境センサーとしての人の感情」は現状把握を外していないと考えたい。
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田中さんへ
良い森と悪い森を客観的に診断する方法があります。
それが、愛知県矢作川流域から始まった「森の健康診断」です。
今年2月に、本学に隣接する阿弥陀が峰国有林で森の健康診断を附属小学校6年生にして頂きました。
中部大学から、森の健康診断を指導したことがある上野薫先生をお招きしました。
その結果、春日井市にある森よりは京都の森が健康であると出ました。
生物多様性を簡単な方法で調べ、樹の込み具合、土壌の浸透度などを測定すると普通の市民でも森の健康診断が可能です。
国有林であろうと民有林であろうと、この森の健康診断をすると間伐が必要かどうか、土壌の浸透度が適切かどうか、生物多様性が高いかどうか、が簡単に調べることが可能です。
是非一度、お試しくださいませ。
投稿: 高桑進 | 2009/08/25 14:02
こんばんわ。
やっぱり、感覚は大切ですよね。
役人と仕事する機会も多いんですけど、彼らは何かというとデータで判断したがります。「見れば分かるやん」っていうのが通用しない。
偉い先生が出してきたデータよりも、長年山で仕事してきた山師の言葉の方がよっぽど信用できると思います。
投稿: はいいろととろ | 2009/08/25 18:23
「森の健康診断」、ありましたね~。たしかに、この方法なら、素人でも可能でかなり負担が軽減されています。
でも、このセミナーの質問者のニュアンスは、おそらく簡単な「健康診断」調査も大変と感じるのではないかと想像します。
これは目的と手段の問題で、役所が税金使うからきっちり証明しないと突っ込まれるといけないと考える場合なのか、森林ボランティアが自らの活動地を選定する際の目安のレベルなのか……という点で区別しないと仕方ないですね。
投稿: 田中淳夫 | 2009/08/25 22:48
おはようございます!今日も良い天気です。
上記日記,いいなあと思って読みました。いい日記ですね。環境センサーはきっと働いているのだと思います。
人間の空間把握は,一番最初はかなり包括的に知覚するようです。これは,建築空間などの知見でも同様のことが明らかだそうです。そして大まかに空間を知覚した後,細かい環境の情報を読み取るようです。
森に入った体験値が高くかつ,森林に対する知識の多い人は,この情報を読み取る「情報量の多さ」とそれら情報を瞬時に把握する能力に長けています。こういう能力を実体感,と呼んでもいいのかもしれません。知識の内部化と実践体験の一致です。また,こういう実体感を有する方々が,「森の達人」なのかもしれません。
多様性のような科学的な知見とその知見に対する実践的なフィールドワーク,または林業に従事されている方々の経験値と様々な知恵などなど,達人たちの情報量や質は人によって異なるのですが,対象が同一です。ですから,森林に対する知識や経験値の多い方が良い森と指し示す森は,それほどばらつきはないのではないかと思います。これは経験的にそう思うのです。もちろん,施業林としての良い森とか,多様でよい森とか少し食い違うこともあるかもしれませんが,知識の共有を通して,一致していく事は必定なのではないかと思います。
森の初心者の方が森を造る時に必要なのは,ずっと地域にいて,森に近い生活をしていた方の「森を見る目」に頼ることだと思っています。初心者の方と,こういった「森を見る目」をもった方と,出来るだけ一緒に森を歩き,「良い森」,「悪い森」を教えてもらうといいと思います。良い悪いの理由はそれほど重視せず,これが良い森だと教えてもらうのです。「森を見る目」を持った方々の選択はそれほど間違っていないようです。色々な樹種や林齢の良い森を診て,良い森を体験し,それに対して科学的な調査をおこなうと,良い森というのがなんとなく見えてくるのではないでしょうか。
究極の人間センサーです。
投稿: Y.S | 2009/08/27 06:00
たしかに、地元で永く森林に関わってきた人の見る目は、「かなり正しい」でしょうね。
ただ森林の知識がある人と言っても、頭でっかちにマスコミ情報に支配されている人もいて、「原生林が一番なんだ」と思っているケースもあります。実は昨日のシンポでも、肝心の地元村長が、「保水力は、人工林よりも原生林の方がいい」といった意味のことを言ったので、あれ?と思いました。人工林でも200年生なら決して原生林に引けをとらないと自慢してほしかったな。
投稿: 田中淳夫 | 2009/08/27 10:02
>人工林でも200年生なら決して原生林に引けをとらないと自慢してほしかったな。
本当ですね。同感です!
そうか,知識の質やその出所も大切なのですね。
私自身が頭でっかちでした。勉強になります。
投稿: Y.S | 2009/08/27 10:44