ハチの子
今日は島根。食べたのは、ハチの子だあ!
門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
田中 淳夫: 田舎で起業! (平凡社新書)
田舎は起業ネタの宝庫だ! その成功と失敗の法則を探る、地域づくりのバイブル
田中 淳夫: 田舎で暮らす! (平凡社新書)
田舎暮らしは田舎づくり! そしてIターンを受け入れる側の極意を本音で語る
田中 淳夫: チモール―知られざる虐殺の島
知られなかった東チモールと日本の関わりと独立戦争
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今日は島根。食べたのは、ハチの子だあ!
東京滞在中に,メールで大阪のテレビ局から取材申込があった。
割り箸問題なので、私も多少とも振興の一助になればとOKしたが、何分東京なので、帰ってから打ち合わせしましょう、と返信した。
が、すぐに電話があり、結局急ぐらしいので帰宅してすぐに取材を受けることに。
場所は、背景も考えて「私の応接間」、生駒山中のスリランカ料理店ラッキーガーデンを指定する。ここなら野外で撮影できる。そのための許可も取った。
さて、朝から現地を訪れる。開店間近の時間で、ほかの客が来ないうちに済まそうということになった。
そして、約30分で取材を受けて撮影も終わった。
私としては、場所を借りるのだから料理は無理でも、お茶くらい頼もうとしたのだが、テーブルにお茶があると撮影に邪魔だというので、最初は頼まなかった。
そこで終わってから頼もうとすると、「時間がないから」とすぐに帰ろうとする。
しかし、それは店に失礼だろう。場所を借りながら何も注文しないなんて。が、帰るというのである。私が残ろうかと思ったが、山の中の店で、私も彼らの車に同乗しているから、一人残ると帰れなくなる。
結果的に、何も食べず飲まずに、撮影のための場所だけを借りて、さっさと帰ることになった。
これって、失礼じゃないか。いくら丁寧に礼を言っても、筋が通らん。何も店のオーナーは、場所を提供していくらか儲けようとしたわけではないし、私も客引きをしたつもりもないが、これでいいのか。急ぐといっても、お茶を飲んでも10分~20分のことだろう。撮影が延びたと思えば済む時間だ。単に撮影さえ終われば用なしという態度が透けて見える。
なんだか、釈然としない。テレビ出演は、いつも何かひっかかる。
東京での講演は、「自治政策講座」というもので、全国の自治体(都道府県、市町村)の議員が参加する勉強会である。
そこで森林政策について語ったのだが、参加者は都市部選出議員が多いと聞いていた。それで林業に力点を置きつつ、森林の変遷から始める初心者コース(^^;)として話したが、何の会場には長野県や岩手県など林業県からの参加者もいて、結構密な質問が出る。最後に「実は材木店を経営していて」なんて言われると、いやはや(~_~;)。
一方で都市近郊の里山保全を考えている女性議員もいる。こちらは、機会があれば里山中心の話をさせていただくことになった。
そこでセミナー主催者と話題になったのが、地方自治体向きの森林政策本の執筆である。
議員や職員向けに、論点と展開を整理したら面白くなるのではないか。もちろん実例も上げたいが、基本的には考え方をフローチャートまではいかないまでも示す。
需要あるかな。ちょっと真剣に考えてみよう。
ちなみに、セミナーでは多くの人と名刺交換したが、その中に長野県上田市の市長や選出議員がいた。なんたって、戦国武将ブームの今、人気の真田幸村の本拠地 である。
思わず「この夏、訪れました! 『サマーウォーズ』も見ました!」と口走ってしまった。
そこで、こんなストラップもらったv(^0^)。
六文銭だよ。
写真添付忘れてた(笑)
東京・両国に来ている。
快晴の空を見ると、建設中のタワーが。
「あれが新しい東京タワーですよ」
ああ、スカイツリーとか名付けられた、高さ600メートルにもなるという巨大建造物か。
街に建設中のタワーが伸びる景色は、新・三丁目の夕日だ。
これを木造でできないかと考えるのは、職業病かね(((^^;)
どーでもニュース(笑)。
ここ数年、日本の林業界をドイツと比較しつつ改善点を提案してきた某シンクタンクの某K氏(ここまで書けば、たいていの人はわかるか?)が、とうやら政府に入るようだ。非常勤委員のようなものなのか、完全な役職に就くのか、どんな形かわからないが……。
彼は、林業関係のシンポジウムなどには引っ張りだこだった。そして集約化に機械化を組み合わせた提案型施業と、それに関わる新生産システムなどを主導してきた立場だから、いわば自民・公明政権下でも、林政に発言を重ねてきた。
ところが、民主党のマニフェストづくりにも参加しており、菅直人議員とも親しいようだ。
そして、案の定、民主党政権下で公職に就くわけである。
これで、民主党政権の林政が、これまでと大きく変わる要素は低くなったかな。ただでさえ、政治家で林業に詳しい人が政権入りしていないのだから。
もっとも族議員はいなくなったし、政権交代で新しいことをやりたがっている様子はあるから(とくに赤松・農林政素人大臣はね)、変わったイメージを付けるために何か言い出すかもしれないなあ。
昨日、京都で森林総合研究所関西支所の公開講演会があった。
ようするに関西支所の行っている研究発表会である。それが「里山の二酸化炭素吸収量をはかる」と題したもの。
森林総研と言っても、林野庁の外郭団体なのだから、林業の研究しろよ、と思わぬではないが(^^;)、ここでは悪態つかずにおこう。
私は南都銀行の座談会があったのだが、その前に少しだけ顔を出す。時間的には、最初の触り部分しか聞けず、肝心の部分まで居られなかったのだが、一つ勉強になった点がある。
森林の二酸化炭素吸収(光合成)と排出(つまり呼吸)について紹介している。呼吸は、夜の葉っぱや枝、幹などが行うものである。こちらは酸素を消費してCO2を出すから、光合成で吸収した分との差が問題となる。この点は、私も繰り返し執筆しているところだ。
一般的には、光合成量と呼吸量を比べると、大雑把ながら2対1くらいになるとされていた。ところが、ここでは1対0,85という数値が出ているらしい。つまり、光合成が固定した炭素の85%を呼吸で排出してしまっていることになる。
森林のCO2固定量は思いのほか小さいのである。
これに里山全体だったら、別の排出源もあるだろうし、あまり期待できないことになる。もっとも、土壌など、植物以外の炭素固定要因もあるのかもしれない。この点は、最後まで聞いていなかったからわからない。
政府は、今後CO225%削減に向けて、国際的には吸収源を管理された森林だけでなく、もっと幅を広げるべく国際交渉に向かうと想像している。その中で、里山の整備も課題に上がるかもしれないが……この数字だと、あまり期待できないか。
『ゴルフ場は自然がいっぱい』の書評を紹介するのを忘れているが、最近、こんな載り方をした。というか、書評じゃねえか。
先日、「ゴルフダイジェスト」編集部に電話取材を受けたのだが、そこでゴルフ界に注文を語った。
それがこんな形の記事になった。ゴルフ場の環境関係の動きをまとめている。そこに拙著も紹介されて、「せっかく低農薬を進めているのに、全然世間には広報していない」ことを指摘するコメントとなった。
ちなみに掲載誌が送られてきたのだが、ゴルフの記事はどこを読めばいいのやら(^^;)。
でも、石川遼くんの情報が圧倒的に多く、彼の威力を思い知る。
思わず女子ゴルファーの写真ばかり眺めてしまったよ(^o^)。
来年は、平城遷都1300年祭。そのキャラクターとなった「せんとくん」は知っているだろう。
私は発表時から大のお気に入りなのだが、世間ではバッシングを受けて、市民団体や坊さんの会が、それぞれ「まんとくん」とか「なーむくん」を立ち上げたことで有名になった。
私は、「ゆるキャラ」というのが嫌いで、だから「せんとくん」が気に入ったのだが、「まんとくん」も「なーむくん」もゆるキャラタイプ。だから、どーでもよいのだが、奈良では、この3人?は、手打ちして、3者3様で遷都1300年をアピールしようよ、ということになっている。
ところが、最近これらのライバルを目にしない。なんでも資金難で、「まんとくん」を団体等が使う場合は、使用料を徴収することにしたとか。でも、そんなこと言えば、いよいよ露出が減るんじゃないかなあ。
ちなみに「せんとくん」は、使い放題(^o^)。
こんな図案もあること知っているだろうか。
さて、最近の私の講演では、パワーポイントを使う場合、たいてい、この「せんとくん」が登場する。林業の話題でも、森林の話題でも、地域づくりの話題でも。
なぜか。まあ、つかみに便利なんだけど(^^;)、奈良を少しでも宣伝する意味も含んでいる。そして「せんとくん」の次は、これまたたいてい大仏や大仏殿が登場する。もちろん、ちゃんと本題につながるのですよ。
知りたい方は、どこかで参加してね。
今日は、南都銀行本店で座談会。
「吉野heart」として展開している、主に国産割り箸に広告を付けるアドバシ事業に関して林業振興を訴えるものだ。いろいろ話したが、最後に、川上サプリ(川上村吉野材販売促進協同組合)の理事が、
「これを単なる話し合いで終わらせないで、ちゃんと結果を出したい」と強調した。
そこで思わず私は、
「大丈夫ですよ。この事業には補助金が出ていないから」
と口走った。
すると事業の中核をになう㈱ハートツリーの服部社長は、
「絶対、公の金は受け取りませんよ。それを使ったらオシマイだから」
これで、その場はちゃんちゃん、となったのだが、これこそもっとも重要な言葉だと思った。
吉野heartは、アドバシで国産割り箸に加えて、間伐材ペーパーを始め、さらに今度は建材まで広げようとしているが、イマドキの経済情勢だけに、決して楽な事業ではない。この1年、リーマン・ショックもあって、広告環境はかなり厳しいはずだ。しかし、もらい得の補助金は入れない、入れたら事業じゃない、という信念は正しい。安易なお金は、事業をダメにする。だからこそ、私も応援できる。
林業関係者、そのこと、わかっていますか?
割り箸という小さなアイテムから、吉野の森を救い、日本の森を守り、世界の森へと広げることができるかは、この信念にかかっている。
さて、終わってからちょっと飲み会。
そこで案内された居酒屋は、お任せで、なんとマグロの大トロなど刺身がてんこ盛りに加えて、カニが出た。
但馬で食べられなかったカニを奈良で堪能したではないか!
林業とは何ぞや? なんて哲学的なことを考え出した。この忙しいときに……。
「林業はサービス業」という人もいる。たしかに森林組合など林業事業体に働く人にとっては、森林所有者の山を預かり、その世話・管理をするサービス業であろう。
が、より本質的な林業の内容を吟味すると、その多様さに混乱する。
自然の中の仕事だから第一次産業か。しかし素材だけでは終わらないから、加工を含めた第二次産業。そして流通を始めとするサービス部門もあるから第三次産業。素材と言っても、人の感性に依存するところ大だから、イメージ産業・情報産業でもある。
同じ素材産業でも、たとえば鉄などの鉱物なら、採掘から始まり、育成などない。石油産業も同じだろう。農業は育成と商品化を兼ね備えているが、そのサイクルは短く、また商品化と言っても、たいてい食品である。(いまのところは。)
そこで大雑把に、林業を
1、森林育成業
2、森林資源利用業 に分けてみた。
1の森づくりは、森林育成業だ。植え付けから育林サービスを担当する。
一方、2の伐採・搬出から製材加工による商品化、そして流通全般は、森林資源をいかに利用するかというビジネス形態だ。
主に前半は、概ね成功した。日本の国土は森に覆われている。
が、後半は今や日本の中で立ち遅れた斜陽産業。伐採も搬出も、その後の商品開発も、諸外国から遅れてしまった。
しかし、元来の林業は後半から始まるものだった。まず伐採し、その後の商品化に進む。そして資源の枯渇を迎えぬよう、森林の育成に取りかかる。
これまで林業を、植え付けから始まる循環に捉えていた。木が育たなければ利用もない、と思っていた。そのため、生産者サイドの視点になりがちだ。育った木をどうやって利用しよう……と考える。
しかし、思い込みを外して、まず伐採から始まり、その跡地に次の収穫をめざして木を植える循環を描くべきではないか。まず消費(利用)ニーズがあり、そのために木材を調達する、持続的に調達できるように森林の育成も行う。
そうすると本質がつかみやすくなり、対策も考えやすくなるような気がした。まあ、ここまでは「思いつき」だから、今後どのように思索を重ねるか……(´-`).。oO
農業にしても、林業にしても、地場産モノが売れないと、すぐに「地産地消」が叫ばれる。
まずは、地元で消費してほしい、という考え方だが、これは農業ではかなりの成功を納めている。地元の野菜や果物を売る「農産物直売所」が、いまや全国で約1万3000施設に達しているという記事があった。コンビニ「セブン-イレブン」の店舗数を上回るとかで、農産物の全流通量の5%は直売所ルートになったそうだ。
だが、同じことを木材でできるだろうか。この点を、ずっと考え続けていた。
残念ながら木材は、最終商品ではない。あくまで素材なのだ。単なる丸太、せいぜい製材をエンドユーザーが欲しがることはほぼなくて、求めるのは木材をさらに加工した最終製品である。つまり家具や道具、そして住宅などの形にならないと、直接買うことはない。
この最終商品への加工は、山元ではあまり期待できない。
そのうえ、木材は地場産の良さを必ずしもアピールする要素がない。新鮮度を売り物にすることもできず、いわゆる品質だけで言えば、強度にしろ乾燥度にしろ、外材の方がよかったりする。スギやヒノキは腐食に強いというが、それも薬剤注入という手で差が着かなくなる。仕方ないので「風土に合った木が育っている」というわけのわからない(^^;)理屈?口舌? を振りかざすしかない。
しかし、木材は国際商品なのだ。価格も品質も、全世界を相手に競争することになる。
こうなると、「近くの山の木」は、勝ち目がないのではないか。わずかに好事家に「地元の木だよ」という気分で買ってもらう戦術に出てしまう。それが、地産地消だ。
最後の砦は、環境だろうか。だが、これも怪しい。
環境でモノを買う人は、全体の2%程度、という数字を百貨店の営業やっていた人に聞いたことがある。やはりニッチなのだ。
となると、地場産の木材が売れないと嘆くのなら、地元で買ってもらおうと思うのではなく、外でも売れる商品に仕上げるしかない。しっかりした製材、乾燥、そしてデザインなども含んだ商品開発。
そして最後に必要なのは、地道な営業である。地元ならではのきめ細かくアフターフォローのできる態勢づくり。これが地産地消の要諦ではなかろうか。
森林環境税が増殖している。
ご存じだろうか、都道府県の独自課税で、実質的に目的税(徴収は、ほぼ県民税上乗せ)で、森林関係の整備に使うことが義務づけられている。
6年前の高知県に始まり、今年の愛知県でなんと30県。だいたい平成17年以降に制定されたところが多く、5年で見直すことから、昨年今年は見直し前の総括を行うところが多い。私も、そこに招かれているのだが、そのため、この税金の意味を考察している。でも、わかんない……(笑)。
北海道や東京都、大阪府、京都府は実施していないので、全部県である。ただ京都府は検討を始めたようだ。また西高東低で、まだ導入されていないのは東日本に多い。
やはり森林環境税を制定した県は、森林面積が割合として多い自治体である。人口が少ないと、集まる税金も少ない。だいたい2~3億円程度が目立つのである。
こうした林業県では、そもそも林業関係の補助金が数十億円ある中で、1割以下にすぎない。焼け石に水というべきかも。
神奈川県、兵庫県、愛知県。ほか福岡県、広島県も100万都市は抱えている。こうしたところは、お金が集まりすぎて、使い道に困っている(^^;)らしい。神奈川県など、川の上流だからと山梨県でも使えるか調査中という太っ腹!
だが、納税者は、この税金の使い道にどの程度気にかけているのだろうか。そもそも制定時に反対意見が続出した、なんて例は耳に届かない。たいていすんなり課税されているのである。
「森林を守るために」は魔法の呪文のようだ(笑)。
皆さん、この課税をどのように感じていますか? 何かヒントありません? (~人~)\(-_-メ;)
林野庁主催(正確には、間伐推進中央協議会らしい)の平成21年度の「間伐・間伐材利用コンクール」受賞者が発表されている。
そのまま張り付けられるかな?
林野庁長官賞 | ウッドメイクキタムラ(PDF:127KB) | 三重県 |
間伐推進中央協議会会長賞 | 株式会社大田花き花の生活研究所(PDF:117KB) | 東京都 |
全国木材組合連合会会長賞 | アサヒビール株式会社(PDF:181KB) | 東京都 |
全国森林組合連合会会長賞 | 中本製箸株式会社(PDF:123KB) | 石川県 |
審査員奨励賞 | 幸田町立坂崎小学校(PDF:188KB) | 愛知県 |
審査員奨励賞 | 有限会社長浜木履工場(PDF:154KB) | 愛媛県 |
◎森林ボランティア団体等による森づくり部門 | ||
賞名 |
受賞者名 |
都道府県 |
林野庁長官賞 | 特定非営利活動法人こぴすくらぶ(PDF:303KB) | 千葉県 |
間伐推進中央協議会会長賞 | ライオン株式会社(PDF:200KB) | 東京都 |
全国林業改良普及協会会長賞 | NPO法人根来山げんきの森倶楽部(PDF:206KB) | 和歌山県 |
◎林業事業体による森づくり部門 | ||
賞名 |
受賞者名 |
都道府県 |
間伐推進中央協議会会長賞 | 松浦市森林組合(PDF:229KB) | 長崎県 |
全国森林組合連合会会長賞 | 鍋島林業株式会社(PDF:196KB) | 長崎県 |
案外、知っているところが多いことに驚いた(^o^)。これでは、次の取材先の発掘にならないよ。
まず林野庁長官賞を取ったウッドメイクキタムラは、一度取材に訪ねている。もっとも内容的には、FSCのCoC認証を取得した木工店としてである。主に速水林業との関係が深いはず。ここでもらったヒノキの丸棒は、今も家に転がっているよ(^o^)。
最後の鍋島林業も訪れた。ここは、鍋島藩の殿様の森林を管理しているのだが、単木管理をしていることが目を引いた。吉野と森づくりのあり方が似ていると思ったら、ここの森林管理を指導したのは、明治時代の林学博士本多清六であった。本多は吉野で(土倉庄三郎に)日本の林業を学んだのだ。
ほかに興味のあるところは、中本製箸。金沢の国産割り箸の雄だ。ただ国産のスギ割り箸は、年間1000万膳だとか。全体の生産量からすると、まだまだ少ない。実はスギ材で大量生産するのは難しいのだ。これが1億膳くらいになれば、希望となるのだが。(それでも消費量の0,5%以下だけど。)
毎年続けていると、ネタ切れしないかと余計な心配(^^;)してしまうが、頑張っているところを発掘して世に知らしめる効果に期待したい。いや、知らせるというより、当人たちのやる気を鼓舞する効果の方が大きいかもしれない。
福井で見せてもらった、この木の板、さて、何の木でしょう。
見た目はヒノキ? と思いかけたが、ちょっと違う。これほどネジくれた幹になるのは……実は、カイヅカイブキである。
そう、よく生け垣、庭木などになるカイヅカイブキ。通常は、小低木ぽいが、ヒノキ科の中でもビャクシン(イブキ)属だ。非常に強いヒノキチオールの香りがする。
なんでも墓地に生えていたが、だんだん伸びすぎて倒れそうになっていたから切り倒したものだという。そのままだと捨てられるか燃やされるだけだが、それをもらってきて薄板にスライスしてみた。すると、このとおりの赤い心材が美しいし、香りもよい。
そこで磨いて花台などにして売れないかとか模索中。
つい1枚もらってきてしまった。私も磨いてみようと思う。何かよい商品にならないかな。
養蜂の取材を行った。
この養蜂家とは、楽しいハチミツの話もいっぱいして、それは面白かったのだが、先に話題になったのは、やはり昨年ぐらいから世界的な問題になっているミツバチの激減。急に巣からミツバチが消えた、と騒がれている問題だ。
現在の報道では、ダニやら電磁波や地球温暖化まだ持ち出し様々な可能性を並べて、「結局、決め手になる原因はわかりませんでした」という内容で終わっている。
が、なんのことはない、答は出ているのだという。
それはニコチノイド系の農薬である。これにやられてハチは死んでいくらしい。
すでに死んだハチが見つかっており、それを調査した結果、ニコチノイド系農薬が検出されているというのだ。それは北海道や東北のこと。そして、農協側がそれを認めて賠償金を養蜂家に払っている。ここまで因果関係がはっきりして、両者が認めているのである。
こんなこというと、またぞろ、環境ゴロが書き散らしたトンデモ本(たとえば「悪魔の新・農薬「ネオニコチノイド」―ミツバチが消えた「沈黙の夏」など)が世情を賑わせている。
こんな本は読むに値せず、私なんぞ書店で立ち読みして投げ出した(^^;)。
『ゴルフ場は自然がいっぱい』で農薬の心配は薄れたと書きながら、ここでは農薬批判かよ、と思われるかもしれないが、ちょっと意味か違う。
簡単にニコチノイド系農薬を説明すると、これは節足動物の神経に効く。これまでの有機リン系の農薬は、選択性が作られていて、ある程度定められた害虫だけに効くことに対して、たいていの虫には有効だ。言い換えると、虫ならなんでも殺してしまう。しかし、人間などセキツイ動物には何ら影響が出ない。地下水も汚染しない。
つまり、人間には無害で、虫なら何でも効くから、いちいち何の害虫にはどの農薬、と考えずに散布できて、農家にとって非常に便利なのだ。逆に言えば、せっかく選択性を高めて特定の害虫だけに効く農薬を開発してきたこれまでの方向性を変えてしまう代物だ。
この点、トンデモ本は、人間にも危険とあおっているのは間違っている。
そして、本当の問題は、農薬にあるのではなく、散布側にあった。
実はこの農薬は、全国各地で散布されているが、どこでもミツバチに害を出しているわけではないそうだ。日本なら東北-北海道が問題なのである。
その理由は、この地域の水田では、無人ヘリを採用していることにある。ヘリに農薬を積み込む場合は、農薬を水に溶かさず、粉末状のものをそのまま使う。その方か圧倒的に軽いからだ。
ところが、粉末農薬は軽いゆえに風に乗り、何キロも飛んで行く。養蜂家がハチを離しているところは農薬散布をしないように地元と協定を結んでいるが、その範囲を越えて飛散する。そのためミツバチに被害が広まったというのだ。事実、通常の水溶液にして水田に播いているところでは、ほぼ被害は出ていない。
つまり散布方法に問題がある……あまりに簡単な解答である。農薬を責める前に、やることがあるだろう、という話になってしまう。
それをなぜ、報道しないのか。この点については、また改めて。
木ロウソク。あるいは木こり(樵)のロウソク、ときには切り株コンロなどと呼ばれるものを知っている人は多いだろう。
ようするに短い丸太にチェンソーで切れ目を十字に入れただけのものなのだが、この切れ目に着火材、あるいは火のついた炭を落とし込むると、この丸太は奥から燃えだす。
こんな感じ。
これが、なかなか火力が強くて、しかも炎は外に広がらないから安全だ。上にはそのまま鍋やヤカンを置いて調理することもできる。焚火にもなる。
これほど火付けが簡単で、安全に取り扱える、しかも作るのも簡単! なんだから、大いに普及させたいと思ってきた。
ところが、意外と広がらない。キャンプ場なんかで売ればいいのに、と思うのだが、あまり誰もやらない。何がマズいのか。簡単すぎる? でも、木質ペレットストーブは、薪より簡単なのが売り物じゃないか。それとも、今やキャンプ場も焚火禁止の流れの中で、これも使わせてもらえないのか。
さて、先般の福井県では、山の中に取材に行った。訪れた施設は、なかなか面白い試みをしていたのだが、そこで意外な計画を聞いた。
この木ロウソクを利用したボイラーを作るというのだ。
木ロウソクをボイラー室に放り込み、勝手に燃やしつつその熱を給湯や調理に使えるようにするものだという。
おお、これは盲点だった。どうしても木を燃やすから、嗜好品扱いをしがちだったが、これほど扱いが簡単なのだから、実用品としてボイラー燃料にするのは面白くないか?
薪ストーブや焚火そのものは、火付けが大変だったり、その後の火を保つ管理に人を張り付けないといけなかった。しかし、木ロウソクなら、一つ放り込むだけで、あとは6時間くらい燃え続けるそうだ。これなら山の家とかキャンプ場でも扱えるし、給湯などで役立つ。シャワー設備の隣に、木ロウソク・ボイラーなんて、面白い。
せっかくのアイデアを奪ってはいけないが、これを広めれば、山に捨ててある丸太が活かせるだろう。薪ストーブは、広葉樹材を求められたり薪割りの手間があるが、こちらは、スギでもヒノキでも、よく乾燥させればすぐ使える。
このためのボイラーづくりをできないか。
福井では、駆け足ながら「一乗谷」を訪れた。
戦国時代の越前朝倉家3代が拠点とした土地だ。あえて狭い谷に町を築き、要害の地としたのだが、織田信長に攻め滅ぼされたのは知ってのとおり。
その土地が、中世城郭都市の遺構をほとんどそのまま残すとして、国の特別史跡となっている。現在も発掘が続いているが、一部は復元されて、中世の街並みを再現していることで知られる。
これは町人の家らしい。
これが表通り。まさに土と木でできた町並だ。屋根は瓦ではなく、板葺きで石が乗せられている。色もなく、土と石と、くすんだ木材だけ。木はヒノキやマツが多いという。一部にはクリ材も使われている。
かつての日本の町は、こんな具合に地味だったのだろうか。
しかも、この時代には縦鋸もカンナもなく、主に手斧やヤリガンナで丸太を削り、割り、角材を作ったそうだ。
実際、この復元家屋にも手斧の跡が残っていた。写真を拡大してみると、
手斧の跡がわかるだろうか。なかなか細かなところまでこだわっている。
福井で割り箸の講演を行う、割り箸と塗り箸は、共闘して、ブラスチック箸と竹割箸を排除すべき、という持論を展開、聴衆の反応は上々だった。
今晩は、敦賀泊。夜は居酒屋に繰り出す。入った店は、プラスチック箸だった〓。しまった、マイ割りばしは、会場で配ってしまってもうない。そこで店に割りばしを要求する。
…出てきたのは、竹割りばしだった。
今日、明日と、大阪の近畿中国森林管理局前で「森林の市」が開かれている。
私は幾つかの用事をかねて大阪に出た際に、見学してきた。
人の出は多いというほどではないが、そこそこ。全体としては公的機関と森林組合関係、それにNPOが多いかな。木工コーナーもかなりあるが、そこでいろいろ木工をしている姿は、子供よりも高齢者が多く目についたのは気のせいか(^^;)。
私は、おとなしく見学し、珍しい木製品は出展されていないかと見ていたのだが、それほど目立ったものはなかった。木のハガキやオモチャ系かな。木粉入りのコースターや皿もあった。ちょっと興味あったが、混入率が20%と聞いて、引く。これでは木製品というよりはプラスチックというべきだ。
ちょっと笑えたのは、この写真。
木造住宅のコーナーで、柱材がタダ! と言われてもなあ。フツーの人は持って帰れないだろうな……。だいたい何に使うのやら。でも、まあ、こうした出展の仕方は好きだ。
ところで吉野関係の出展は多く、私は目立たないように顔を伏せつつ通りすぎたのだが、見つかってしまいました(^^;)。そこは割り箸の組合のお店。
でも、これほど吉野割り箸が並ぶのは壮観だ。地元でも、このように様々な種類が並んでいる店頭はない。しっかり「国産割り箸はエコ」を主張するようになったのは歓迎したい。これまで、割り箸批判の嵐をすぎるように過ごすことが多かったから。
そのほかのところでも捕まり,パンフレットをもらうと、ちゃんと割り箸まで付いてきた。またコレクションが増えたよ。明日の福井に持っていこう。
ちなみに、もっとも気に入ったのは、局内で無料で配布していたコレ。
ツキ板で木の葉の形をつくったものだが、そこにカレンダーを印刷している。月遅れのものを「栞にどうぞ」というわけだ。
栞はともかく、今後ツキ板という加工法には注目したいと思っている。
さらに和歌山県の龍神村森林組合の知り合いにも出会う。なんだか同窓会みたいになってきた。
但馬から帰って来た。台風の風雨は全然たいしたことなく、ほかの地域は大変だなあ、とテレビを見て思っていたのだが、いざ帰ろうとしたら、列車が動いていない……。こんなところで台風の影響をようやく感じた。
さて但馬には、カニを食べに行ったわけではない。どうせ、カニなかったし……。
いや、すねてません(^^;)。
実は「森林林業活性化プランナー養成講座」というのを開いていた。長い名前だが、ようするに林業現場の人にやる気を出してもらおう、情報発信力を身につけてもらおうというのが狙い。講師は、私ではなく、別の専門家である。
今回はアイデアの出し方である。内容は全部はしょる(^^;)が、最後に宿題を出した。
それは、この地方の丸棒加工工場でつくっている杭。
その価格は600円で、はっきり言って売れていない。だってホームセンターに行けば400円くらいの杭が売っているから。工場は赤字、このままではアブナイ。
そこで出した宿題は、この杭を1000円で売る方法を考えること。もちろん、今のままの杭では売れない。だから,どのように手を入れ、宣伝し、1000円でも売れるようにするか。これが課題だ。
もしアイデアがあったら、お寄せください(^o^)。派手な色を塗るとか、焼き印でかっこよく装飾する、いっそオモチャに改造する……なんでもよろしい。本当によいアイデアがあったら、現場に提案します。
この講座で参加者が考えた心構えは、
「周囲と連携して、基盤整備を進め、儲かる仕組みを考え、業として成り立たせる」
「プロ意識を持ち、林業の現実と可能性をPRし、連携強化をはかる」
である。この言葉どおりできるかな。
但馬に来て、カニが食えるかと楽しみにしていたが、今はロシア産だけでした。
急に冷え込んできた今日この頃、またたき火がしたくなってきた。
おりしも長野県大町市で、薪ストーブの普及を目指す「ウッドストーブサミットinおおまち」が開かれたというニュースが流れた。薪ストーブの構造や、薪の調達方法について報告があったそうだ。
以前、このブログで木質ペレット批判?をしたので、私はバイオマスエネルギーに否定的と捉える人もいるだろうが、そうではない。木質バイオマス自体には期待している。あくまで木質ペレット、それも林地残材を元にペレットを作って、林業振興の足しにしようというのはムリだと論じたのである。
そこで、改めてどんな形なら木質バイオマスのエネルギーが使えるか、考えてみると、
まずは木材発電所のような規模の発電設備を備えた施設を建設すること。そうなれば、使えるのは製材屑やチップなどがそのまま使える。
あるいは温水供給のためのボイラー。だがチップボイラーも、それなりの規模の施設でなければ設置できない。が、それでは市民に縁遠い。
そこで考えられるのが薪ストーブだ。一般庶民がバイオマスを楽しむにはペレットストーブよりも薪ストーブ(^o^)。
とはいえ、薪ストーブは、マニアックな愛好家のものとされ、なかなか増えていない。ストーブが何十万円と高く、火付きが大変で、また煙突煤などの掃除も面倒、何より薪の調達に困る……。木質ペレットストーブがのさばってきた(^^;)のも、その間隙を突いてきたようなものだ。
そうした「大変さ」を乗り越え、また薪を手に入れるために山に通うのが楽しい、とまでいう人はいい。だが、一般市民はそこまでして薪ストーブにこだわらない。あくまで趣味として、薪を燃やしてみたいだけ。普段はファンヒーターで、お客さんが来たら薪ストーブで喜ぶ。
では、いかに普及させるか。
考えてみると、たき火が好きだ、やりたいと言っている私でさえ、ひと冬の間に、たき火を行えるのは何十回もない。いや10回越すのも難しい。
同じく、薪ストーブを楽しみたいと口にはするが、本格的な薪ストーブを購入し、薪の調達に走り回るほど本気でない人ならたくさんいるだろう。噂の薪ストーブを、試してみたい、という根性なしの人向けの商品がほしい。
ならば、全部まとめた「使い捨て薪ストーブ・セット」を売り出せないか。
ストーブは、ひと冬保てればよい。その間に火を入れるのは、10回程度を目安にする。だからダルマストーブ的なブリキ製で十分。ただし趣味だから、見かけだけは立派にしたい。そして春が来たら、破棄する。だから掃除もいらない。それに10回分の薪をセットにして販売する。着火材も付けよう。
価格は、できれば1万円~3万円に抑えたい。その程度なら、惜しくないし、一度の薪ストーブを楽しむのに1000円、2000円なら無理しないですむ。ダルマストーブは、4000円くらいからあるから、それに薪を付けてそのくらいの価格にできないか。
これでひと冬薪ストーブの楽しさを感じた人は、いよいよ本格的な薪ストーブを買えばよいのである。10回では足りない人は、追加の薪購入サービスもある(^o^)。
部屋に設置するのも、窓を利用して簡単に煙突を外に出すとか、小さな庭で行えるようにしてほしい。薪は、燃やす時間を考えればスギやヒノキの間伐材や枝で十分だが、一応香りとかも考えて広葉樹材も混ぜる。そして、一本一本能書きを付ける。
……どうだろうなあ。需要ないかなあ。
第8回「森の聞き書き甲子園」に参加する高校生と「森の名手名人」「海・川の名人」の組み合わせが発表になった。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/hozen/pdf/091005-01.pdf
名人を毎回100人ずつ選んで、何人まで行くのだろうと思っていたが、海川系も入れてきたか。それはいいのだが、今回選ばれた人を眺めて、随分変わったことに気がついた。
まず「名人芸」の中に、チェンソーカービングが入った! それも3人である。
北海道の木霊(児玉)光さんと、千葉の栗田宏武さん、そして岐阜の平野守さん。……ん?
平野さんて、以前吉野チェンソーアートスクールに通っていた生徒じゃないか?!
おいおい、講師より先に生徒が名手名人になっちゃったよ(笑)。講師の立場はどうなるんだあ。て、小さなことは言わない。この平野さんは、飛騨の合掌造りの村で生まれ育ち、その後も合掌造りの家を扱う工務店を経営していたと聞いている。断然、聞き書きするネタはあるやん。チェンソーカービングより、こちらの方が話は面白そうだぞ(笑)。
全体に建具や家具職人のような木工系が増えて、森から離れていく傾向を感じるが、これまでになかった?ようなログハウス職人や、森林ガイド、重機オペレーターまで含まれている。かなり枠を広げたというか、何を持って名人というか……。
私のかかわりのある人で言えば、奈良県川上村の辻谷達雄さん。吉野林業50年の人で、いつ選ばれてもおかしくはなかったのだが、その項目が「造林手」。あれっ?
彼の凄さは、その「語り」にあるのになあ。山のことを話させたら実に面白く語る。そこに名人芸を感じるのに、造林ですか。
まあ、いろいろ眺めて楽しむことができるよ。
今日は、早朝より夜まで山の中にいた。
幸い時間はたっぷりある。そこで現在抱えている課題の資料を持ち込んで、何らかのヒントを得ようと目論んでいた。
たとえば……
●林業は、地域産業か、それとも国際産業か。
あるいは……
●各県の森林環境税は、なぜさしたる反対もなく可決したのか。
●ボランティアで森林施業を行うのは、本来の林業と言えるのか。同じく、補助金で支えられている林業は、本来の産業と言えるのか
●明々後日に訪れる但馬では、カニを食べられるか。
●来週訪れる福井では、何を食べるべきか。
答は、いずれにもまだ出ていない。
広島県の鞆ノ浦を埋め立てて橋をかける計画が、裁判所の判決で差し止めされた。主な理由は景観保全である。
ここは、宮崎駿が「崖の上のポニョ」の構想を練ったところとして知られ、それが埋め立て反対運動のシンボルにもなっていた。宮崎駿自身も反対運動に加担している。
だから判決後に宮崎駿がインタビューを受けた。そこで彼の発言が、これである。
「不便を忍んで生きるんですよ」
私は鞆ノ浦に行ったことはないし、その景色も知らない。同時に道が狭くて生活にどんな支障がきたすのかもよく知らない。また埋め立て計画を細部まで確認していないし、判決内容も新聞テレビで要旨をかじっただけだ。
だが、この発言はいただけない。これだけはよそ者が言っちゃいけない言葉ではないか。
不便を忍んで生活するのは、宮崎氏自身ではなく、住民である。自分がそこに住んでいないのに「不便なままでいろ」とは、推進派の神経を逆なでするだろう。
今や宮崎氏は、アニメ製作者というよりは哲学者か仙人みたいになっているから、こうした高みからの発言がよく出るが、住民を真っ二つにした裁判の判決への発言としては、もう少し配慮しないとこじれさせる元だ。
そもそも「救急車も入らない」と嘆き、不便だから街を去る人が増え寂れているのに、今回の判決では、解決策は示されていない。景観を守りつつ、生活を改善する計画はないのか。
(余談ながら、テレビに映し出された街並は、そんなに美しく思えなかった。新建材の家も見えたし、電信柱も多いゴタゴタした風景だ。そこに渋滞する車が連なっている。)
この手の問題は、世間に多い。開発反対運動も、多くが地元の住民ではなく、外部者が行っている。外からたまに来て「ここはいいところですね」というのは簡単だが、他人事にしかならない。景観も、そこに住む人々が生活してきた歴史の中で作ってきたものだ。(鞆ノ浦の景観は、明らかに人工物によるものである。)
それを「渋滞なんか、どこでも起きている」とか「不便だから愛着がわく」とは、個人的に思うのは結構だが、公的に言っちゃいかんだろう。宮崎氏が所詮よそ者で、本気で地元のことを考えていないことを世間にさらしたことにしかならない。
彼の立場からできる本来の仕事は、和解の仲立ちをすることではないのか。
私自身も「よそ者」としては、本当に美しい景観の街だというなら、一度訪れてみたい。ただ、安易に「ここはいいところですね」とは口にすまい。
我が家の前の道も拡張工事が決まった。景観的には、生け垣と石垣に挟まれ細くてうねった急な坂道は美しかったのだが、車が1台通るのがギリギリで、人とすれ違えない状態である。だから拡張するのに反対はしない(個人的には、人がすれ違えず壁に張りつくのも好きだったが^^;)。 ただ失われる景観をいかに心の中に納めるかを考えている。
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