無料ブログはココログ

本の紹介

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月

2010/03/31

山梨県でFSC材の割り箸

山梨県で、FSC材による割り箸が作られたようだ。

http://plaza.rakuten.co.jp/mokkun2020/diary/?ctgy=2

山梨県と言えば、県有林が全部森林認証のFSCを取得していることで知られるが、こんな方向にも森林認証が伸びてきたか。ただ、この割り箸はどこで作っているのだろう。山梨県内なのか、どこかに依頼しているのか。(誰か教えて。)

山梨FSC割箸
長さ21cm、紙袋入り、5膳セット(ビニールパック) 150円/セット

販売は、山梨県木材協会が、山梨県産の木材を県民にPRするために南アルプス市へ設立したアンテナショップ「木の国や」だそう。

これまで国内の森林認証割り箸と言えば、北海道の下川製箸だった。ただし、これはFSC認証受けた山から出る雑木? シナノキが原料だった。山梨県のものは、樹種が書いていないのだが、写真を見たところ、おそらくヒノキだろう。(誰か、教えて。)

ところで、以前山梨放送は、割り箸の無駄使いを減らす事を目的とした「MY-HASHI(マイ箸)キャンペーン」を展開していた。こちらは、もう矛を修めたかな?

2010/03/30

吉野林業は土佐の人がつくった?

今年は、「龍馬伝」のおかげが高知ブーム?

それと、何の関係もないが、びっくりの記録を見つけてしまった。

土倉庄三郎の講演録を読んでいたら、吉野林業の事始めを語っていたのである。
それがオドロキの話である。

今から400有余年前(ということは、現代から500年くらい前?)の生活は、雑木を伐って雑穀を作り、茶や楮、漆から紙や漆器を作っていた。そして自家用の木を育てるために木を植え始めた。とはいえ、背の高さほどの苗を一人1日30本くらい植える植林だった。

そこに、大坂城や和歌山城などが建てられ、大きな都市ができた。(江戸時代初期)

ちょうどその頃、土佐の人が吉野川上郷を巡視して「私のところにも吉野川という川がある。その川は大和の吉野川と似ている。その流域で植林事業を営んで、育てた木を大坂や和歌山に運搬したら便利である。そうしたら、今の生活よりも一層進んだ生活ができる」と説いたというのだ。

その人は、川上の23の村のうち21村を訪ねて、そんな話をしたという。おかげで川上郷では植林がさかんとなり、しかも密植する、吉野式造林法が誕生した……。

そんな話を土倉庄三郎がしているのである!

となると、吉野林業は、この土佐の人が勧めたことで誕生したことになる???

この土佐の人とは何者か。何も土佐から来たという意味ではないだろう。また四国の吉野川は土佐ではなく徳島(阿波)である。巡視というからには、おそらく土佐出身の武士か学者ではないか。江戸時代になって、吉野は天領になったから、幕府の役人という可能性が高い。名のある人なら、記録は残っていないだろうか。

それにしても庄三郎は、この話をどこから仕入れたのだろう。地元に伝わる伝説か、古文書でもあるのか。

いやあ、気になる。

2010/03/29

「私のしごと館」で発見!

細い間伐材の利用法として、かつて建築現場の足場があった。しかし今は金属パイプに変わってしまった……という話をよくする。

ようするに、かつては細い丸太は細い丸太なりに商品化していたのに、現在は姿を消して、それに変わる商品を生み出していないことを指摘するためだ。

で、パワーポイントでも商品見本を示そうと思うのだが、もはや建築足場に間伐材を使っているケースはまったく見かけない。おかげで写真も取れないでいた。そこで苦しい写真を利用しているのだが、ついに昨日、見事な間伐材を利用した建築足場をケースを発見。

それは、「私のしごと館」である(^o^)。

00

ご存じだろうか。雇用保険を湯水のように使って(建設費581億円以上!)、さらに維持費に年間20億円赤字を垂れ流していた、独立行政法人雇用・能力開発機構が設置した施設である。とうとう、今月末にて閉館が決まった。

実は、我が家からそんなに遠くないところにある。これは行かねばならないでしょう、と閉館前に行ってきた。

まあ、不思議な施設だった。面白かったのは、マスコミにはあまり報道されていないが、いろいろな職業体験をさせる以外に「労働」の博物館的要素もあることだ。とくに建設やものづくり現場が展示されているのだ。ここは子供向きではないなあ。

そこで見つけたのが、これ。

014

江戸時代の建築現場だそうだ。

しっかり間伐材を使って足場を作っているじゃないか!
それどころか、丸太を結んでいるのは全部藁だ。へええ、これでよく重さを支えられたものだ。

ちょっと古すぎるから、この写真をパワポで使うのはマズいかと思ったが、次にあったのが、昭和の建築現場。

022

こちらは洋風の団地などの建築現場を模しているようだ。でも、こんな雰囲気は記憶に残る建築足場そのままである。ちゃんと、丸太を番線でくくってある。

これなら使える。今後、講演でパワポを使う場合、何食わぬ顔して、この写真を「昔の間伐材商品の使用例ですよ」と映し出すかもしれない(^o^)。

まあ、よく見ると、どちらの写真にも職人の実物大フィギアが写っているのだが、それには触れないこと(-_^)。

この施設に関しては、いろいろ思うところはあるが、こんな形で私が活かしてあげるよ。

031


では、バイバイ(^_^)/~~

2010/03/28

ツバルの水没

南太平洋の島嶼国家ツバル。

近年は、地球温暖化により盛り上がる海面によって水没の危機にあることで有名になった。

だが、このツバルの水没について驚くべき情報を知った。

http://alternaeditor.seesaa.net/article/144644934.html

なんと、ツバルの面積は、増えているのだ

この100年間の海面上昇は約17センチとされている。ところが1984年から2003年までの20年間で17島の面積は、3ヘクタール近く増えたというのだ。

海面が上昇しているのなら、面積は減っていくんじゃなかったのか?

増えた理由は、波によって運ばれた砂が堆積して浜が広がったことによる。もともとツバルの国土である島は、珊瑚礁の上にできている。砂が吹き寄せられ、また珊瑚礁が成長すれば、国土は広がるわけである。

しかし、実際に海岸が浸食されたり、住居地が水に使っているシーンもあるではないか。

それに対しては、波によって砂浜が広がっている場所がある一方で、砂が流されて海岸浸食が起きている地点もあるからだそうだ。つまり、これまでにも起きていた現象なのである。
さらに、汚水などの影響で砂浜を作っている有孔虫やサンゴなどの生物が死に絶えて、海岸浸食が進みやすくなっていることも理由らしい。ともかく、そんな場所を選んで映せば、いかにも水没の危機にある島国!映像が撮れるわけだ。

それで思い出した。私の知り合いに「太平洋諸島の専門家」がいて、現在もツバルに赴任しているはずの男がいる(初めて会ったのはソロモン諸島)が、彼が言っていたのだ。

「ツバルに滞在していたとき、今度NHKが取材に来ると聞いたから、海岸浸食のことを説明する時は、ジャブジャブ海の中に入って、手を広げて、『以前はここまで陸地だったんだ』と説明するんだよ、教えたんだ」

まさに、そんな映像がテレビで流れていた(^^;)。彼の演出通りになったわけである。なんたって、彼は元ラジオ局のディレクターである。

ツバルで起きている事態は、地球温暖化とは別の次元のようだ。そもそも浸水している地域は、もともと湿地帯で人は住んでいなかった。ところが近年の人口増加によって、土地が足らなくなり、湿地だった場所に人が住むようになったらしい。そのため被害を増大させたのだ。(この点について詳しいのは、以下のサイト)

http://ncc1701d.bufsiz.jp/index.html

そういえば、バングラディッシュの洪水被害も同じような理由であった。もともと危険で住みづらい土地だったところに貧困層が住み着いたことが、被害の増大を生み出している。
またソロモン諸島では、陸地を追われた民族が、沖合に石を積んで人工島を作って住んでいた。おかけで陸地が増えていた(^^;)。

これをもって、地球温暖化による海面上昇を嘘だというわけではない。事実17㎝上がっているんだし。でも、被害の理由は別のところにある。
環境問題は一筋縄で行かないことを感じざるを得ないが、それをしっかり把握して報道することが少ないのが気にかかる。折しも総理官邸が、記者会見を記者クラブ員以外にも開放したが、このことをしっかり伝えるメディア(記者クラブ会員の新聞・テレビなど)はほとんどない……。

2010/03/27

映画「アバター」に見る奪われる側の論理

いまさらだが、話題の3D映画「アバター」は見ただろうか。

私は結構早く見ているが、この映画、3Dばかりが話題先行し、そのストーリーに関して論評されることは少ない。実際、私もストーリーはありきたりと言わざるを得ない。ただ、キャメロン監督は、ストーリーこそ「アバター」の価値だと言っているし、私も3度に渡る「奪われる日本の森」の書評を書く過程で、「アバター」のストーリーを思い出したのである。

一応、未見の人向きに簡単に記すと、この映画の舞台は、惑星パンドラ。ここには貴重なレアメタルの眠る大鉱床があり、それを地球人は開発をもくろんでいるのだが、先住民ナビがいるため、なんとか追い出そうとしている。そのために送り込まれたはずの主人公は、やがてナビの世界とその文化に傾注していくのだが……最後は、地球人側の強奪と、その抵抗のアクションとなる。

最初私は、へえ、アメリカ人も多神教的な自然崇拝に憧れがあり、そうした社会を受容しようとしているんだ、と感心していた。ところが、最後に圧倒的な兵力で先住民の聖地を破壊する地球人に対して、結局ナビ側も戦うことで土地を守ろうとする、ようするに強さで決しようとするアメリカ的思考に辟易した。

さて「奪われる日本の森」の著者らは、この映画になぞらえると、どちらの立場に立つのだろうか。一見、外国人に土地を奪われるな、と唱えているのだからナビ側である。
だが、日本の土地制度や私権の強さを問題視する立場は、地球人側、つまり公的な目的のためには土地収用も認めるべきだ、と主張している。

いや、結局は主人公のように、地球人にもかかわらずナビ側に付き、ナビのリーダーになって戦うことを理想としているように感じる。言い換えると、より優れた人が全体のリーダーになって大衆を引っ張らなくてはならないという「賢人政治」「哲人政治家」を求めているのではないか。現在の日本の政治は衆愚政治であり、確固たる哲学を持つ指導者が現れ、日本国民が団結することに期待しているのかもしれない。う~ん、国家社会主義的だなあ。

しかし、「アバター」の結末に日本的思想、安田喜憲氏のいう縄文の思想を取り入れると、戦わないという選択肢もあるのではないか。すんなり土地を明け渡すのをよしとするのではないが、苦悩の選択、運命を描くと重厚な映画になっただろう。
同じく強欲な市場原理主義に対抗しようと武器を手にとるのでは、アメリカ映画と一緒である。山林所有の問題に、第3の解決の選択肢を考えられないか。

……とまあ、あえて書評と映画評をドッキングさせてみました(^o^)。

2010/03/26

書評「奪われる日本の森」その3

なんで、これだけ貶している本の書評を一度ならず二度、三度と書くのか、我ながら不思議。結果的に応援しているみたい(~_~;)。案外、♡だったりして。

さて、やっぱり指摘しておきたいのは、この本のキーワードには「風・桶」とともに「国家主義」があることだろう。

繰り返し強調されるのは、国土が外資に買い占められることの恐怖だ。しかし、それの具体的な問題とは何だろう。
わざわざ第3章には「森が買われることの何が問題なのか」と章立てているのだが、内容は日本の土地所有制度の欠陥(土地収用ができない、権利移転はフリーで、資源の持ち出しも制限がない……)などの指摘ばかり。たしかに土地制度に法的な問題があることは私も感じている。また人々の意識の上でも、山林土地に対する認識が低いとは思う。

しかし、何が問題なのか、という点に明確に答えていない。それに土地収用は誰がするの?  どんな権利移転がいけないの? というところが具体的でない。

ようするに得たいのしれない人の手に渡すべきでない、というのが根幹だ。仮に日本人であっても、「得たいのしれない」人や企業には森林は買われたくないらしい。
この場合、「得たいのしれない」というのは、どうやら国家(指導層)から見て、のようだ。国家の決めた都市計画が進まないのは土地の私権が強いからだと嘆く。放棄地の公有化論も、国家(の優秀な指導者)に任せたら良くなるという前提なのだ。どうやら著者の平野氏は、国家と一体化した意識を持っているようである。

そして国家は善、という前提に立っている。

私には、自分の家が強制的に立ち退きを命じられても対抗手段のない社会の方が怖いのだが……。そもそも高い公的意識とはどんなものだろうか。いや、どんな意識が公的で高潔だと、誰が決めるのか。

さて、こうした思想を支えているのが、もう一人の著者、安田喜憲氏である。

安田氏と言えば、誰もが「環境考古学」を思い浮かべるだろう。環境学と民族学を融合させた壮大な文化論を構築したのだ。この論考には、私も惹かれたものである。

ところが本書で安田氏が書いているパートを読んで、ひっくり返るほど驚いた。

「日本の美しい自然、風土の力が、日本人の慈悲に満ちた優しい心をつくり上げたのである」との日本人賛美はまだいい。

しかしメソポタミアを発祥の地とする「畑作牧畜民族」の文明を、「大地の生き血を吸い尽くす吸血鬼の文明」「森を切り開き、水の循環系を破壊して大地を不毛のの砂漠に変えた」とする
さらに「畑作牧畜民は、森を破壊し無数の生命を奪い、最後には大地を生命のない砂漠に変えてきた」とののしり、「畑作牧畜民は人を信じ、自然を信じる心を失った」と断罪する。ここまで、言うか!

そして「自然を一方的に搾取し、欲望の暴走を止めることのできない」文明であり、「市場原理もまた畑作牧畜民が創造したルール」だとする。だから「市場原理主義の下、お金を手にした富裕層が日本の水源の森を買い占める」ことへの危機感を募らせる。

……正直、内容に関しては、かなり異論がある。とくに日本の森林がどのような変遷をたどったか、なぜ現在の日本の国土は緑に覆われているか、については「美しい日本人」論に与しない。しかし、そうした部分各所以上に、自然環境と民族論が一気に国家主義へと進む軌跡に虚を衝かれた気がした。意外や環境保全とか、自然文化論は、ナショナリズムに近いところに位置するのだ。

そもそも本書の成り立ちは、あとがきによると、安田氏が檄を飛ばし、東京財団が豊富な資金と人材を投入して調査したのが基礎となっているらしい。そしてマスコミに流された。なかでも反応したのが産経新聞などで、その後じわじわと世間に広がっている……という構造のようだ。

全体を通して、現代の日本社会へ大きな不安と不満を抱えていることが読み取れる。それはバブル崩壊後の経済危機による自信喪失と、小泉構造改革の生み出した格差社会への反発反動かのようだ。

奇妙な感覚に襲われるのは、著者らの主張が、国家主義的であると同時に原始共産制に近い過去の「優しい時代」を回顧し、それをよしとすることだ。単純化すると、右翼思想と左翼思想を行ったり来たりする。
たとえば土地の公有化という発想、あるいは中央集権的統制思想は、社会主義的でもある。いわば国家社会主義か。そういえば、戦前の中央ヨーロッパに国家社会主義政党があったなあ……。f(^x^)

そういえば、私の高校生時代の思想信条は、「右往左翼」と標榜していた。当時の流行り歌に載せて歌えば、「右かと思えば、またまた左、浮気な人ねえ~♪」である。本書の著者らも同じかもしれない(^^;)\(-_-メ;)

脱線した(x_x)。と、ともかく、本書は、そうした現代社会を写す思想的鏡として読んでも面白い。

「著者らの意図とは違った点で面白く読める」本のことをトンデモ本だと定義されているらしいが、その点からも、本書はトンデモ本かもしれない。

2010/03/25

書評「奪われる日本の森」その2

前回、外国人が日本の森林地域を買おうとしていること、そしてその狙いが地下水だという点、いずれも裏の取れない噂と想像のレベルであると指摘したが、ともあれ本書では、「風が吹けば、桶屋が儲かる」ことを前提に、森を守る対策を提言している。

それを紹介すると、次の4つを掲げている。

①地籍の確定
②林地市場の公開化
③売買規制と公有林化
④林業再生・辺境再生

これらを順に見ていこう。

まず①の「地籍の確定」は、私も大賛成である。境界線がわからない土地は、いかなる補助制度もオイシイ話も役に立たず、まったく使い物にならない不良債権以下だ。。私もこの問題に多少足を突っ込んでいるが、早くしないと手遅れになる。
……しかし、そうした土地は同時に外国資本だって、購入不可能ということだ。ましてや地下水汲み上げもできない。国土を守るという点からは、強力なガードとなるだろう(笑)。本書が煽っている「外資の国土買収の危機」とは正反対の状況なのだよ。

②の林地市場の透明化、公開化だが、これも理念としては賛成。マーケットは誰もが見える形にしておくべきで、誰が所有者かわからない取引はよくない。もっとも、森林簿さえクローズになっている現状を考えると、取引公開の以前にするたことがある。また不動産の場合、名前を出されると取引を嫌がる買い手の方が多いだろう。つまり公開化が林地取引自体をストップさせる恐れがある。

③出た! 売買規制。ここで一気に「お上意識」が噴き出る(@_@)。最後の手段という公有林化も同じだ。行政が保有して林地が健全化する例などあるのかい。それは原生林など手を付けない森にする場合だけだ。

「民間に任せておけない」と上から目線になっているが、私から言わせれば「公的機関には任せておけない」。規制だとか公有化など、森林を荒らす元だ。だいたいオーナーでもない2~3年で転属をする役人が、何十年何百年の森づくりなどできるはずがない。目先の都合で規制を作ったりゆるめたりするだけだ。責任感もない。そして公有林化した途端、眠れる(腐った)資産になるだろう。
ちなみに公有物の運用で損失が出た場合、担当役人は個人保証すべきである。それは退任してからも続ける。それくらいの覚悟なくして森林を預かってほしくない。

これは④に通じるのだが、林業再生をめざすのなら、林地取引を活発化させないといけない。時代の変遷(世代交代)ごとに、常に意欲のある人・組織が森林を保有すべきである。そのためには転売が欠かせない。
経済的に活性化している産業は、必ず新規参入がある。新規参入させない業界が栄えることはない。売買規制は、それに逆行している。

ただ④には、一定条件を満たす場合は林地の流動化を促進する、とあるから、ここは賛成。私も提案していた森林保有税の創設により、無関心森林の保有者を締め上げる策は、その林地流動化に寄与するだろう。
さらに林業関係の複数年の補助金制度や、林地相続税の非課税策も賛成。まあ、本当は補助金ではなく、使い方は所有者に任せた森づくり支援金が適切と思っているけどね。

そして④の最後に「辺境再生が必要」とある。

これが主眼になるべきだったのだ。そもそも林業再生も、森林保全も、外資の山林買占め阻止(~_~;)も、根本にあるのは辺境(……と呼ぶべきかどうか)山村部に人が住み続けられる環境を構築することにある。それがなし遂げられたら、林業なんてどうなってもいいし、山林を誰が所有しようが構わない(笑)。

本書では、わずかにドイツの「東方国境周辺振興法」や「むらづくり支援員制度」(これは当ブログで紹介したばかり)などを紹介しているが、決め手はない。しかし、辺境対策こそもっとも頭を絞って提言すべきテーマではないか。

本書は、この辺境再生こそ国土防衛の視点に立って著すべきだった。それを外資がどうの、地下水がどうの、とおどろおどろしい話を羅列したあげく、国家の介入を求めるから、陳腐なトンデモ本、陰謀本に成り下がってしまった。もったいないなあ。

2010/03/24

書評「奪われる日本の森」その1

新潮社より発行された

「奪われる日本の森」(平野秀樹・安田喜憲・著)

昨年より繰り返される「日本の水源を中国人が買っている」という風説の集大成?らしいので購入して読んでみた。

サブタイトルが「外資が水資源を狙っている」であり、

帯文は「このままでは日本の国土全体が、中国人や欧米人のものになってしまうかもしれないー」「今まさに私たちの喉元に及んでいる危機」である。

ようするに外国人がどんどん日本の土地、とくに水源地域の山を買っていて、それは国家の危機であるとして、そのための対策を提言している。
余談ながら、この本を書店で探したところ、森林分野の棚にはなく、社会問題の棚にあった。これは、なかなか本の性格を言い当てているように感じた。とはいえ、日本の森林問題であるのは間違いなく、林業も重要な関わりがあるのはいうまでもない。

一日であっさり読了。そして頭に浮かんだ言葉は、「風が吹けば、桶屋が儲かるだった(笑)。

ここに提言されている内容は、少し深慮して感想を記したいが、その前に指摘したいのだが、この本は、少なくてもルポルタージュとしては失格。まったく話にならない。

そもそもの命題が論理的ではないのだ。

外国人が日本の森林地帯を買っているという証拠はどこにも示されていないからだ。

そこに記されるは、まず噂話である。外国人らしき人が、山を買いたいと訪ねてきたとか、中国名の男性が現地を見に来たとか。
一方で、外資が中小企業やゴルフ場を買収した話、対馬の土地を韓国資本が買っている、羽田空港のターミナルビルの株式をオーストラリアの投資銀行が買った……などいった事例を散りばめている。

そして日本の大山主が手放した山林を、林業に門外漢の企業が購入した話を並べる。あるいは中国が日本の木材をほしがっている事例も登場する。

ところが、肝心の噂に上がった山には、売れるような木材資源がない。ではなぜ?

そこで、いきなり話は、水だ! と飛ぶのである(笑)。木材狙いでなければ、水しかないのだと決めつける。どんな論理的結びつきを頭に描いているのだろう。一応、CO2の排出権や生物多様性、そしてバイオマスエネルギーも可能性としては出しながら、その点については十分に検証せず、あっさりと済ます。

ウォータービジネスについても紹介されているが、それは上下水道の運営に関する事業だ。他国の水を汲み上げて、それを輸出入する事例がない。

では、日本の水源林を仮に購入したとして、本当にビジネスになるのだろうか。

さすがに河川の取水は、水利権があるから難しいという認識があるからとくに触れていない。そこで地下水を汲み上げるのだろう、と推測する。

とはいえ水源地域だからといって、簡単に地下水が汲めるとは限らない。本気なら購入前に地質調査をしなければ無謀な投資になる。が、その気配は感じられない。

さらに、極めて単純なことに気づいていないらしい。単に地下水を汲み上げるのなら、井戸の面積だけあればよいということを。極端に言えば10メートル四方でも足りる。ボトリング工場を併設するにしても、1~3ヘクタールもあればよいだろう。何百ヘクタールもの水源林を買う意味はないのである。山の中に1ヘクタールでも平地を作るのは大変だろうけど。
そもそも水源地で地下水を汲むのは、あまり意味がない。地下水が欲しければ、もっと下流の平野部の方が向いている。

そして、汲み上げた地下水は、どうするのか。まさか中国まで運んで水道水にはしないだろうからミネラルウォーターだろうけど、その想定需要は何万トンか。
そして日本の地下水の埋蔵量?はいかほどか。(この当たりはあがたしさんの解説が欲しいところですね。)降水量の多い日本は、慢性的に地下水脈が満水に近いように感じるが、どれほど汲み上げ可能なのだろう。

そしてコストは。ちゃんとペイすると見込めるのか。いくら富裕層が多いと言っても、高すぎては売れまい。日本の山から港に運ぶのも大変だ。すごい流通コストがかかりそう。

本当にミネラルウォーターとして汲み上げる量で、地域の水資源が枯渇する可能性があるのか、なんら検証……どころか推測さえしていない。これでは説得力はないよ。

そういえば日本もフランスのエビアン水を輸入しているが、現地の水源は大丈夫なのだろうか。

多くの情報は詰め込んであるが、なんら有機的につながっていない。にもかかわらず、3段飛びのように噂話から国際資本の戦略的日本の国土買収への想像力を広げ、ひたすら危機を煽っている。
それは風が吹くと、砂が舞う。砂が舞うと、目に入って目が見えなくなる人が増える。盲人が増えると三味線引きが増えて、三味線用の猫が捕られる、猫が減るとネズミが増えて、ネズミは桶をかじるから、桶屋は儲かるみたいな話なのである。

この手のルポを書く場合、まず外国人が土地を各地で買っていることを証明する必要がある。次にその意図を納得できるほど理論的に推測しなければならない。その上で、それが日本にとってどんな意味を持つか、危険なのか経済活性化につながるのかまで考えて、問題点を指摘してほしい。

それから、各所で数字も含めて間違いが多い。ちゃんと取材していないとわかってしまう(笑)。企業名まで間違えたら失礼でしょう。そこの保有森林面積も違うし、ゴルフ場の面積も違うなあ。この点でも、失格。

思想的に「外国人が日本の土地を買うのは危険」と考えているのは勝手だが、それなら突っ込まれないようなデータを集めるべきだろう。そしてつながりを描かないといけない。その上で理論を構築する必要がある。それに失敗したのに、強引に各事例を並べて、読者に怖い印象だけを与えようとした跡がありあり。このままだとトンデモ本になってしまう。

でも、この手の情報に敏感に反応する人は、意外と多い。極めて理論的と思えた人が、あっさり「外国人が日本の国土を買う!」と聞くと危機感を持つらしい。でも、まず事実を積み上げようよ。

私も研究者ではないから、ルポを行った場合、どうしてもつかめなかった部分を推測で埋める場合はある。だが、そのためには条件証拠を集めるし、これは推測であることを明記する。少なくても推測の上に推測を重ねることはしない。(つもりだけど、もしかしたらわからないよ 笑)

2010/03/23

生物多様性EXPOと森林認証

昨日の続き。

生物多様性EXPOに出展しているブースで目立ったのは、森林認証を全面に出している、あるいは森林認証そのものを紹介しているところが多かったことだ。

002

FSCPEFCに加えて、MSC(漁業認証)も。

そのほか木材の合法証明関連もあったから、このEXPOでは、認証というのが大きなテーマになっていることを感じさせる。

生物多様性を守るためには、それに配慮した産業・商品であることを証明しなければならない、そこにビジネスチャンスがあると考えているのだろう。

面白いのは、FSCとPEFCはあったが、和製森林認証・SGECの出展がほぼなかったこと。これは担当者の意識の問題か、単なる事務的な事情か。しかし、SGECの認知度が低くなったのは間違いない。

FSCに熱心だったのは三菱製紙。原料の23%がFSC認証材だそうだ。住友林業はFSCとPEFCと両睨み。合法証明のためのトレーサビリティも重視しているらしい。DNA鑑定まで取り入れているという。
ほか日本製紙のブースもあったし、製紙会社は熱心そう。

それにしても、PEFCは、独自のブースもあったし、力が入っているように感じた。すでにPEFC認証材を使った箸は紹介したが、ほかにも小物がいろいろ紹介されているのだ。

Exepo_023_2

メモ帳、ノート、封筒など紙類も多い。チェコレート菓子の箱紙まで。




熱心にPEFCについて質問している学生上がりの女性がいたので私が質問できなかったのだが、おもいのほかヨーロッパは日本市場を狙っている気がした。PEFCは各国の認証制度の相互承認が基本だから、日本のSGECも参加する可能性がある。

感じたのは、PEFCの目的は森林保全というより森林産物(木材、紙など)の貿易だということ。そのためのパスポート(合法性などの証明)として森林認証がある。これが本格的に日本に入ってきたら、国産材市場は怖いなあ。森林認証されているから大丈夫だ、とヨーロッパ材をどんどん買うことになる。

SGECが加盟すると、国産材だという声はかき消され、庇貸して母屋乗っ取られる……なんてこともあり得る。

2010/03/22

生物多様性EXPOの箸

大阪で開かれた「生物多様性2010」を覗いてきた。

どちらかというとおつきあいの感覚(知り合いがいくつか出展されていたので)だったのだが、予想以上に面白かったし、いろいろネタも仕入れられた。

その中で紹介したいのは、会場のたくさんのブースには、意外や「箸」に関する出展が多かったのだ。それが様々な視点を見せてくれる。

005

まずは、この写真をクリックして大きくして見てほしい。


まず一番上は、「京都北山杉のお箸」と書かれている。

当然杉箸……と思いきや、違うのである。これは樹脂箸なのだ。プラスチック樹脂にスギの粉を51%混ぜて作られた箸なのだ。木粉入りのペレットを見せてもらった。京都の会社が製造販売している。

そして3番目を見てほしい。(写真の際の順序を間違えた)

これは「紙のお箸」である。といっても、こちらも樹脂箸。紙にPP樹脂を混ぜて作られたもの。実は一緒に扱っていたのが、琵琶湖の葦の箸。おそらく炭化しているようだ。こちらは滋賀の会社。

聞いてみると、もともとプラスチックの会社らしい。それがお箸の分野に進出したわけだが、こうした商品を作った言い分は、

半分の木粉にすることで、石油由来成分の使用を抑制できる。
植物由来なので再生可能。
PP樹脂なので、燃やせて有害ガスは出ない。

プラスチックを「抑制」するのか、「半分使っている」と見るのか、立場が変わるとなかなか面白い(笑)。

そして上から2番目。

これはPEFCのロゴ入り。つまり、森林認証材を使っているのだ。写真のものは、ブナだと言われた。もちろんヨーロッパのブナ、ベルギーの森から採れた材とある。出展は、福井県小浜市の、塗り箸メーカー。
ただ、この箸は塗っていない。一緒に展示している中には、ヒノキ箸もあって、それも塗っていないという。塗ると木肌の良さがわからないから……というので、だったら割り箸でいいんじゃないの? と突っ込んでしまった(笑)。

4番目、一番下は、なんと香川県産ヒノキの割り箸。香川県庁の出展だ。
香川県で割り箸とは思わなかった。高松で割り箸リサイクルをしていることは知っていたが、その延長で、すでに閉鎖していた製箸所に頼んで作ってもらったという。そして香川県のヒノキ材を宣伝するための媒体にしている。とはいえ経費はアサヒビールからの援助があるらしい。

しかし香川県は、割り箸の製造より消費地だよ。なんたって、讃岐うどんだもんな。讃岐うどんに樹脂箸使わないでね、と頼んでしまったよ。うどん屋を束ねて、国産割り箸を供給する事業をやってくれないかなぁ。

ちなみに吉野の割り箸を展示しているブースもあった。

それぞれ思惑は違うが、箸というのは、さまざまな意味で環境をアピールする際に使えるアイテムであることを改めて感じたのである。

2010/03/21

やっぱり地球寒冷化?

先日の新聞報道によると、国立天文台などの観測で、太陽活動の弱体化の兆候が現れたらしい。

もともと太陽は、11年周期で活動の活発・弱体化が起きていたが、それとは別に100年周期の変動もあるという。その極小期には、地球上をミニ氷期にしてしまうほど地球の気候に影響を与える可能性があるのだ。

……ということは、地球は寒冷化する可能性が高いということ?

私は、昨今の地球温暖化論議に、どうもしっくり来なかった。

いや、人間の活動で大気中のCO2濃度が上がっているのは認める。また、ここ100年200年で平均気温もじわりじわりと上がっているのも事実だろう。その点での温暖化は認めざるを得ない。

しかし、地球史を考えるともっと大きな変動はこれまでも幾度もあった。人間活動などとはまったく違う桁違いの変動要因があるように思うのだ。
たとえばジュラ紀は気温が相当高くてCO2濃度も濃かったらしい。現代人が当時にタイムスリップしたら、いきなりサウナに放り込まれたような状態で、とても生活できなかっただろう、という話を読んだことがある。近年でも、巨大火山の噴火で火山灰が大気中に放出されると、気候を一気に変える可能性が指摘されている。

だから、人間活動が引き起こす影響も、その中に飲み込まれてしまうのではないか……と漠然と感じていた。もし本当に太陽の活動が極小期に入るのなら、地球温暖化もかき消されるかもしれないなあ。

2010/03/20

どこにある? ミツバチの巣箱

11




写真は何かわかるかな。

そう、ミツバチの巣箱である。ただし、ニホンミツバチ。

問題は、これがあるところ。実はゴルフ場なのだ。

先日訪れたゴルフ場で見つけたもの。メンバーの一人が、養蜂を初めて、その巣箱を置かしてくれ、と頼まれたので、ということだった。全部で5つぐらいあったかな。ゴルフ場には、花木がわりとたくさんあるので、ミツバチにとっても有り難い場所なのである。

養蜂する権利は地域ごとに分けられて許可制のはずだが、趣味のレベルならいいのだろう。しかもニホンミツバチなら。一つは、すでに蜂が入って活動していたが、まだ居ついていないものもあった。

ミツバチがいるというのは、農薬をほとんど使っていない証拠になる。実際、聞いてみると芝生に使う量も驚くほど少なかった。多分、年間18ホールで200キロくらい。しかも、そのコースはフェアウェイがかなり広い。つまり薄く使っていることになる。当然、残置森林部分には使うことはないそうだ。ゴルフ場と共存できることの証明かも。

ニホンミツバチは攻撃性が低いから、刺されることも滅多にないだろう。もともと蜜を圧めいてる蜂は、人を刺さない。巣箱の防御時が危険だから、巣箱に近づかなければ、まず心配ない。私は、近づいたけど(~_~;)。

2010/03/19

ドイツ林学と「林政意見」

土倉庄三郎は、明治32年に「林政意見」を発表している。当時の林政を厳しく批判し、新たな提言をしたものだ。

この林政意見の背景を探っていると、日本の中のドイツ林学の相剋にぶつかった。

江戸時代の日本の林学は、どちらかというとフランス派だった。おそらくオランダを通して入手した文献がフランスのものだったからではないか。

ところが明治に入ると、ヨーロッパに続々と留学生を送り込み、また視察団が訪れるとドイツ林学に入れ込むようになる。岩倉具視の視察でも林学は重視されて、大久保利通などは机をたたいて、「これだ!」と喜んだそうだ。それほど林業は国を支える基盤であり、その理論的支柱としての林学に重きを置かれたのだ。今と大違い(~_~;)。

それほどドイツの一斉林は魅力的だったのだろう。また、整然とした法正林思想などの理論は、眼からウロコが落ちるほど魅了したに違いない。

そしてドイツ林学に基礎を置いた明治政府の林政が進み出す。

ところで、同じドイツで学んだ中村弥六と品川弥二郎は、どちらもドイツ式林政に入れ込むのだが、実は対立する。それは個人的な人間関係でもあったが、同時に林政の実践に置いて意見の相違を見せたからだ。

中村は、土倉庄三郎と組んで、「林政意見」を発表する。時の政府の林政をケチョンチケョンにけなしたものであった。

詳しく説明する余裕はないが、「政府は山林事業を放擲している。木材不足は深刻化して、外材輸入で巨額の費用を流出させている。また山は禿山ばかりで、旱魃や洪水を引き起こし甚大な被害を出している。火災や風水害、誤伐で痛めつけられて、国有林は年々数千町歩ずつ減耗し、しかもろくに植林していない。だから年々一万数千町歩の禿山が増加している」というものだ。

そこで訴える政策は、

・植林を進めて原野を完全な山林とする。
・国有林野を分割し、一部を国有とするほかは、自治体の法人、個人に売却する
・深山幽谷に死蔵される原生林を利用する
・山林土木の両政務を合わせて山川省を置き、全国の山林河川の業務を統一する

最後の項目は、さしずめ林野庁と国交省河川局の合体だろうか。面白い!

実は、庄三郎が推進した吉野林業は、どちらかというとドイツの林業に近いと感じる。ドイツなど知らなくても、実のある林業経営をめざすと、ドイツ林政的になったのだ。
そのうえ庄三郎は品川とも知らない仲ではないし、その後ドイツ林学を学んできた偉才・本多静六とも親交を結ぶ。だから庄三郎もドイツ林学に親近感を持っていたはずだ。にもかかわらず、政府の林政には反対するのである。

その差は何だろうか。思うに、理論から入り実践する政府の林政と、実地に林業を営みながら築いた理論の差ではないか。

いわば演繹的な政府と、帰納的な庄三郎

そして今両者を比べた場合、軍配は庄三郎に上がると思う。

ドイツは、伐採地にたいして手間をかけずに植林できる。天然更新のように放置しても森林が成立する。そして気候や地形なども全体に平準で、計画通りに進みやすい。だから法正林も可能だった面がある。

だが、それを日本に持ち込んでも、うまく行かないのである。いや、実は本家・ドイツでもある時期から計画通りに進まなくなり、法正林思想を放棄する。そして実地に合わせた地域ごとの特色を活かした林政・林業へと転換していく。

なのに日本では、変わらず理論ばかりを振りかざす林政を続けてしまった。その結果が拡大造林やら安易な天然更新だ。結果はいうまでもない。

いままた、ドイツ式林業に注目が集まっている。

現在の帰納的に現場から学んだドイツ林政に注目するのは結構なことだ。
しかし、その現在のドイツ林政をまたもや付け刃的(演繹的)に真似すると、仏作って魂入れず、になるだろう。そして現実と遊離しかねない。

今からでも遅くない、土倉庄三郎を真似て、現場に学んでから理論武装しないかね。

2010/03/18

新聞の投稿欄

3月5日の本欄「第2次割り箸マイブーム」で記した、新聞の投稿「洗い箸広めよう」。

というものに、私は誰か反論しないか、と呼びかけたが、本日の朝日新聞投稿欄に、まさに反論が掲載された。

書き手は、奈良県大淀町の主婦(46歳)。箸を洗うのに洗剤を使う点を指摘して、環境に優しいとは言えないのではないか、と指摘する。

私としては、洗剤よりも樹脂箸が石油製品であることを指摘してほしかったが、とりあえず反論する人が現れたことにホッ。私が書きたかったのだが、立場上控えていた。いや、書いてもいいんだけどね。私が書いたら相手を皮肉たっぷりに叩きのめしてしまうので新聞向きではなくて採用されなかったと思う(~_~;)。

彼女は20年近く前に東京在住の頃はマイ箸を使っていたという。ところが吉野に通いだして、「都会人のエゴ」と言われた経験に触れている。そして、森林が荒れていることから間伐材でつくる吉野の割り箸を使って森林の再生を、と主張する。

まあ、林業が担い手不足などで荒れているとか、荒れたから花粉を飛ばしている……といった指摘に対しては、異論もあるが、そこまで踏み込むまい。

割り箸だけではないが、問題なのは、世の中にあふれる間違った言説に対して、適切な反論をする人が少ないことだ。小さなことから物言いを付けることで、少しでも世間の認識を変えていきたい。

幸い、このブログにコメントを付けてくださる多くの方が、積極的に反論異論を紹介してくださっていることが伝わっている。私も、もっと積極的にならねばならないと身につまされる。

もっとも、肝心の業界の人の声がなかなか上がらないんだよな。割り箸関係者こそ、すすんで反論してほしい。応援団に頼っていてはダメだ。

2010/03/17

バイオマス白書2010

ちょっと紹介するのが遅れてしまったが、NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク「バイオマス白書2010のサイトがオープンしている。

これは、今年1月15日に東京で開かれた「日本の森林バイオマス利用を進めるためには~日本林業復活のための提案」シンポジウムをまとめたものである。

私も出演したし、このブログでも紹介して、それなりの話題になったシンポである。その際に参加できなかった人から、どんな内容だったか知らせてほしいと、多くの人から言われた。

遅すぎる? まあ、忘れた頃だろうけど、今も興味があるなら目を通してほしい。

私のパートは、この報告書なら、4の「国産材はなぜ使われないのか」と5の「資源危機の時代へ」の2項に当たる。まあ、私がこんなに冷静に、おとなしく話すわけないが(笑)。

ちなみに、5に使った大面積皆伐地の写真をよく覚えておいてほしい。近く、別のところにも使われるはずだ。転載依頼が来たからである。誰が早く発見するか楽しみだ(^o^)。

あと、盛り上がった質疑応答の部分が掲載されていないのは残念。

2010/03/16

「誤解だらけの日本林業」を読んで

日経ビジネスオンラインに、「誤解だらけの日本林業」という連載が行われている。執筆者(というより、語り手)は、内閣官房国家戦略室の梶山恵司氏である。これまで2回分掲載された。

「林業は衰退産業という“ウソ”」

「林業は途上国の産業という“ウソ”」

林業に興味のある方ならわりと知っているだろう。ブログでも結構あちこちで取り上げられている。みんなが触れるネタは、私は敬遠しがちなのだが(^^;)、あまり無視するのもナンなので、少し触れておこう。

今回の第2回目は、機械化問題を取り上げている。

立派ですよ。内容は。読んでください。相変わらずドイツ林業を例に、ズバズバ日本の林業の問題点を指摘して、ここをこうすれば治る、生産効率は上がる、日本の林業は成長産業になる、と訴えている。

なるほどなあ。その通りだなあ。でも、多くの現場と照らし合わせると……。


                                                      

で、私はこの前の滋賀県で行った琵琶湖森林づくりフォーラム講演後の質疑を思い出した。

林業関係者らしき質問者は、間伐が進まないしコストダウンもできない、どうしても伐り捨て間伐になってしまう、と悩みを訴えた。では、どんな手があるか?
私が、日本の林業は生産性が低いと指摘し、同時に最近は集約化、機械化も少しずつ進んできた……と話したことを受けたのだろう。

ところが肝心の山林は、所有者は多いが所有面積は小さく、林齢もバラバラ、作業道もあまり入っていない……と条件が説明された。

これでは、林地の集約化・機械化を進めて、生産効率を上げなさい、という解答はふさがれたも同然(^^;)。
たくさんのやる気のない地主をせっせと口説いて集約化しなさい、銀行から金を借りて機械化を進めて作業道入れなさい、あるいは補助金が空から降って来るのを待ちなさい、とは言えない。

では、なんと答えたらいいのか。

私は「そんな方法知っていたら、特許取ってロイヤリティもらいます」と言った後に、考え方を転換することを提案した。

たしかに日本の林業の諸問題を解決する大きな一手は集約化や機械化なんだろうけど、それが簡単にはできない現実と条件がある。その場合、どうするか。

効率を挙げてコストダウンし、安い材価でも利益の出る体質にするのが難しかったら、ほかにどんな手があるか。

単純だ。材価を上げることである。コストダウンができなくても利益の出る価格に木材の方を上げる方向をめざすしかない。正確には、購入者・消費者に高く買ってもよいと思わせることだ。

そのためには何をするべきか。
一つは高く売れる最終商品を開発すること。そこに使う木材ならば高く買ってもらえる。スギ間伐材で作ったイスが一脚100万円で売れるなら、材料費に10万円や20万円は払ってもらえるだろう。

もう一つは、木材そのものを高く売る販売方法を考えること。具体的には特典を付けること。
たとえば立木直接販売制度では、市場価格の2倍にしても売れる。買い手は、自分で購入する木を選んだり、実際にチェンソー握って伐採させてもらうことで、喜びを感じるから払う気になる。

あるいは、丁寧な施業により、ユーザーがほしがるきめ細やかな造材をする(長さや太さなどの注文に応じる、スピード配達……などサービスを高める、その他)。怪しげな新月伐採も、その一つか。とにかく付加価値を感じてもらえれば、価格は高くても売れる。

また同じ山林、同じ木でも出荷する材積を増やすという手もある。玉切りの仕方一つで市に出す原木の総材積は変わってくる。切る場所で直径が変わるからだ。伐採搬出の段取り・システムを変えて、昔ながらの機械・手作業でも搬出量を多少は増やすことも可能だろう。
また細い木も手間・コストをかけず搬出すれば、安いなりに利益になる。日曜林家とか、森林ボランティア組織の利用などもその一つ。
出せる材積が増えたら、結果として山林全体の利益は増える。知恵を絞って小さく小回りを効かした経営を行い、利益を残す方法を考える。

収益アップには、コスト削減のためのハード(機械)整備だけでなく、ソフト(知的アイデア)、ハート(情熱・モチベーション)も大切だ。つまり人次第で変わるはず。ここでは、今すぐできることを考え、目先の利益こそ最重要と捉えるのだ。

壮大な目標は、ときとして人を疲弊させる。森林が対象だからと言って100年後の未来を語るより、10年後、いや来年までに行う目標を決める。そして来年の目標を達成するためには明日から何をするかを考える。組織体の目標より、個人でできる範疇のテーマを探りたい。それらが、結果的に美しい100年後につながる。

林業に限らず、経営には経営者の精一杯の努力が求められる。一発逆転の妙案を探したり、誰かが助けてくれるのを待つという対応では目の前の危機は乗り越えられない。

それは昨日の「限界集落のむらづくり支援員」と同じ。まずは目先の利益を求めて知恵を絞ってみないか。

2010/03/15

限界集落のむらづくり支援員

日曜日深夜、というか未明にTBS系列で「映像10」という番組がある。

昨夜は、大阪の毎日放送が作った「心つないで 杖ヶ薮(「つえがやぶ)より」だった。

和歌山県高野町の住民が11人しかいない限界集落に移り住んで活性化に挑む女性と、村人のドキュメンタリー。

これは、高野町が発案した「むらづくり支援員」制度のことである。過疎や高齢化が進む集落に移り住んで、再生に取り組む人材を雇用するというもの。報酬は月15万円で、仕事は月100時間のフレックスタイム制。任期は3年だ。この間に何ができるか。3人募集して162人の応募があり、結局5人が採用された。出身は東京から鹿児島まで広く、地元ではない。年齢も20代から40代まで。

この杖ヶ藪集落にやってきたのは、44歳の長崎出身の女性だった。住民は若くても70代後半で90を超える人もいるという。しかも、場所はとてつもなく急な山腹。各家までは、車も入らず歩いて登らないといけない。

かつて弘法大師も立ち寄り、聖地の高野山に野菜を納め支え続けた歴史ある集落だ。伝統ある行事もたくさんある。が、それらが消えつつある。

彼女は、生活に必要な品物の配達や、病院・買い物などの送り迎えもする。とうとう畑仕事も手伝いだした。しかし、そこでいうのは、「最初と仕事内容が随分違った。集落を活性化する手段を考えるはずだったが、現実には目の前にある火急の生活維持が必要だった」。

まさにそうだろう。活性化の前に、生活が送れなかったら集落は消えるしかない。

活性化できるかの前に、住民は活性化したいと思っているのかが問われ、さらにその前に、今暮らせるかどうかが問題となる。
それでも彼女は集落で作られた野菜や工芸品を朝市に出品して販売し、喜びを与えるとともに、集落のニュースを住民の親族などに送る。それが住民に生きがいや喜びにつながる。

結局、消えゆく流れに抗うことなく、今そこで暮らしたいと思っている住民を支えるのが重要ではないのか。消滅への軟着陸が使命かもしれない。

2010/03/14

大丈夫?遷都1300年祭

私は、このところの講演では、とりあえずせんとくんを紹介して、さらに奈良の歴史を大仏殿とともに示して……と、平城遷都1300年祭を陰ながら応援しているつもり。奈良県民ですもの(^o^)。

それにしても、肝心の1300年祭はどうなってるんだ。

まったく音沙汰なし。

一応、1月1日よりスタートしてるんだけど。

と心配して、平城宮跡に行ってみた。ここがメイン会場である。まだオープンしていないけど、大極殿も完成しているはず。これは、天皇が行事などを執り行った宮殿で、奈良時代のまま復元したのだ。なんたって、大仏殿に次ぐ巨大木造建築物である。

建物は完成したものの、まだ周辺工事が終わっていないということだった。国営公園にするための工事である。

国営公園というのは、文化庁管轄の遺跡ではなく、環境省管轄の国民公園でも国立公園でもなく、国交省管轄ということ。ようするに縦割りの産物である。

で、大極殿はこんな感じ。

001








002



正面から見たいのだけど、近づけない……。

無理して前側に回っても、こんな程度。

工事車両が走っていて、むき出しの土地のまま。せっかく平城宮跡を散歩しようと思っていたのに、とてもそんな気分になれない。

4月には、オープンするというのだけど、1カ月切ってるんだよ。

この大極殿復元にまつわる大木の調達話を含めて、泥縄式の遷都1300年祭までの経緯を語るのも、ブラック・ツーリズムに含めようか。

2010/03/13

安土城

近江八幡で講演の後、安土城址を見学した。

安土城と言えば信長であり、平城(平地に位置し、天守閣を持つ城)の始まりだと思っていたが、行ってみると結構な山城であった(^^;)。

040


頂上の本丸跡。礎石が発見されている。意外と敷地は狭いように思う。

現在は石垣ばかりであるが、そこに巨大な城を作るには、かなりの木材を運び込んだのだろう。映画にもなったとおり、木曽からも運んだのかもしれないが、この城を作る木材の大半は、琵琶湖の対岸、おそらく朽木の地から伐りだしたらしい。

かつては安土城は湖面に映える城、城下まで琵琶湖の内湖が広がっていたそうだが、今はそれらの湖は干拓されて水田地帯になってしまってる。今なら水運を使った木材輸送はできなかっただろうなあ。

046


わずかに湖面の見える一角。昔は、城のすぐ下まで湖面だったそうだ。


今日の講演では、奈良の大仏がいかに近江の国の森林を破壊したか、という、ブラックツーリズムの一端を示す内容だった(^^;)が、この安土城も当時の森林事情に大きな影響を与えたかもしれない。

ちなみに今年度の講演活動は、今日で終了。少なくても3月の残りの日々は、自宅周辺でおとなしく過ごす……ことになるかな?

2010/03/12

割り箸の付加価値

先のセミナーもそうだが、国産割り箸を振興する際に問題になるのが、コスト。

そこでアドバシなども提案しているわけだが、よく考えると箸袋に広告を載せるというアイデアは樹脂箸でもできる。もし箸袋メディアに効果があるとわかれば、樹脂箸に広告を載せることを始める外食店も現れるのではないだろうか。

そこで有料化の可能性も考えてみた。ただし、もっと、割り箸そのものに魅力をもたせないといけない。お金を払っても割り箸を使いたくなる理由付けが必要だ。

006

これは、割り箸そのものに文字を記したもの。これなら、箸袋よりいいか。が、食べるものに文字があってもよいのか、それこそ使い捨てではもったいない……なんて、声が出そう。







仮に環境を売り物にするにしても、単に「間伐材から」「端材から」作っているというだけでは無理があるのではなかろうか。

3
写真は、「はるか」という会社で作っている割り箸だが、見た通り割れているものを紙帯で留めたもの。これは、一本箸の方が、通常の背板より薄いものでも作れることから環境をより強調できるうえに、コストダウンになる。(利久や天削と比べた場合)

じっくり説明すれば、有料化も可能か。

もっと゛別の付加価値はないか。
実は、北海道の帯広では、「割り箸セット」を出している店があるそうだ。

50円出すと、道産割り箸で食事ができる。しかも、デザート付き!

50円で割り箸とデザートが付いているなら、お得感があるぞ。こうした抱き合わせが重要になるかもしれない。ほかにもエコポイント付きなどもあり得るはず。10円割り増しだけど、5円は環境基金へ寄付するとか。

そこで……。

2
これは、先のセミナーで熊(♀)さんからもらった箸。箸袋の中に、こんなものが……。

1
肩たたき券付きでした(笑)。

これなら、有料でもほしい。私は、この箸を持って、福島に行くからね。

2010/03/11

国交省が「木の家」

「“木の家づくり”から林業再生を考える委員会」が設置された。

と、これだけなら「またか」とさえ思える既視感のある話題なのだが、この委員会、実は国土交通省の管轄なのである。一応、林野庁も協力しているようだが、どう見ても付け足し。

http://www.mlit.go.jp/report/press/house04_hh_000135.html

その委員の顔ぶれも、既視感(笑)。なんだかよく出る名前である。ただし、林業関係の委員会やシンポジウムで。

「木の家づくり」は、林野関係なら以前から標榜していたことだが、実質的に何も変化はなかった。だって、林野庁が関わるのは、せいぜい製材までで建築には口を出せない状態だったからだ。まるで遠吠えであった(^^;)。

しかも環境省からは「木材を使うことが環境に優しいと言えるだけの世間の認識がない」なんて言われる時代もあって、木づかい運動どころか木を使う=森林破壊のイメージが色濃く残っていた。

それが、いまや国交省が乗り出すまでになった。林野庁が音頭を取るより話が進みそうだ(笑)。

もっとも第1回目の議題が、「議事:都市と農山村の交流について 等」だそうだから、住宅までたどりつくまでは長くなりそうだよ。

2010/03/10

COP10を取材しますか?

今日、某所より電話で「COP10を取材しますか?」と問われた。

ご存じ? COP10を。

昨年末開かれた地球温暖化防止条約会議は、COP15。ほぼ決裂したけどね。

実は、COP10は今年10月に開かれる。それも名古屋で。

正確には、第10回生物多様性条約締結国会議(だったかな?)。

ようは、生物多様性を守る国際決議をした国々が集まる会議である。いつのまにやら10回目になるのだが、今年は日本が開催国だから、もう少し注目した方がよい。しかも、私にはあまり実効性がなく、役に立ちそうにもない地球温暖化防止よりも、コチラの方が面白そうに思う(^o^)。

それに生物多様性を語るには、森林環境が欠かせないだろうし、同時に里山がクローズアップされるだろう。(というのも、環境省は、「satoyamaイニシアティブ」を発表する予定だからだ。

それに合わせるように、今年は、国際生物多様性年に選ばれている。ついでに言えば、来年度は国際森林年。

そんな国際会議となれば興味がないわけがない。そして取材に便宜計りますよ、というのだから有り難い話だ。

ま、取材してどこに発表するんだ? なんて考えると頭かくけど。

とりあえず、期待しておこう。

2010/03/09

割り箸セミナーと9時間耐久飲酒レース

東京から帰って来た。

昨日は、割り箸セミナー。なかなか盛況で、本ブログにコメントを見せていただいている方々が何人も顔を出していただいた。熊(♀)さんは、「林業な女性たち4」に任命しようと思ったのに、写真を写すのを断られたので、幻になった(^o^)。

ほか、福島で割り箸製作を始める人が二人も現れたのには驚いたし(それにJUONネットワークも会津に製箸所を作るというから、なんと3カ所も増設になる!)、某大手外食チェーンの担当者が、すでに2年からリターナル箸(樹脂箸)に全店変えているが、一部の店舗で割り箸にもどそうと思っている、という衝撃的発表(笑)が行われた。

そのほか、興味深い人々や意見がいろいろと出て、まさに割り箸マイブームが沸き立ったのである\(^o^)/。

ところで、その夜は土倉家の末裔にお会いする。

そして始まったのが、午後6時前から午前3時まで続く、9時間耐久飲酒レースであった(^^;)。いや、5時まで飲むと言われたんだけど、私は今日、初めての人に会う仕事があったのですよ。チキンレースに負けてブレーキを踏んでしまった気分(x_x)。恐るべし、土倉家の血。

2010/03/07

ツイッター始める

いまさらのご報告だが、ツイッターを始めてみた。

今だ慣らし運転?中だが、ようやく使い方がわかってきた。もっとも、いまだ何、これ? というところはあるのだが。

ちなみに、こちらには実のあることは書かないと思うよ(^^;)。

だいたい愚痴ばかり。そのほかブログのネタにならない程度のこととか、まだ十分に書けない思考途中のものとか。こちらはブログ以上に同時性のあることが価値なんだろうけど、私の頭の中は樹木の時間で動いているもので。

とりあえず、社会から遅れないための試み。

2010/03/06

縄文時代の奈良にクリ園

青森県の三内丸山遺跡の周辺には、クリ林が広がっていて、それは人が植え育てたものではないか、と言われている。

今度は奈良県でも見つかったようだ。

橿原市の観音寺本馬遺跡で、樹木の根株が68本見つかったそうだ。そのうち25本がクリで、直径は50㎝程度あるというから、結構な大木である。しかも川沿いの80m四方に密集していた。

クリの木は自然状態では密生することはない。ということは、人が植えた可能性が高い。

クリは、実が食料になるのはいうまでもないが、木材としても非常に役立つ。生木は柔らかく石器でも伐採しやすく、その後も加工も比較的容易だ。それでいて、乾燥させると非常に硬くなる。しかも腐りにくく、長持ちする。

針葉樹材は、柔らかそうに見えて、実は繊維が長いため鉄器など金属製の刃物がないと伐採も加工も非常に難しい。だから石器時代はクリなど広葉樹材の方が役に立った。

クリ以外の木もクルミやムクノキなど食用可能な実のなる木が多いという。

この遺跡の推定時代は、約2800年前。奈良には、縄文人の農園?人工林が広がっていたのかもしれない。

2010/03/05

第2次割り箸マイブーム

ブーム、って、私の周りだけだけど(^o^)。

このところ、割り箸絡みの動きが続く。すでにセミナーを大阪と東京で開いた・開くことはお伝えしたし、東京ビッグサイトで割り箸展示を見学に行ったことも触れたが、そこに割り箸のことを書くチャンスがいくつも来た。

環境経済誌「オルタナ」に、「グリーンパワー」、それに今度はゴルフ関係の雑誌。私、ゴルフしないんですけど……と言ったら、割り箸のことでもいいそうだ。ゴルフクラブにもレストランはあって、割り箸は使っているからだ。

そこに共同通信から電話で、割り箸の記事を書きたいということでコメントを求められた。

世間は、割り箸に興味をしめしているのか?

リターナル箸という呼び方で、樹脂箸がどんどん増えている状況下で、多少とも反動が起きて疑問を持つ人、また反発を感じている人も出ているのかもしれない。

が、そこに朝日新聞の投稿欄(4日付け)。

「洗いばし」で森林の保護を 

大阪の28歳会社員からの投稿だ。ようするにマイ箸を持ち歩くのは大変だから(当人は持っていない)、店が「洗い箸」に切り換えてほしい、というご主張である。

「洗って殺菌すれば衛生面の問題はないはず」で、「割り箸から、色を白くする漂白剤などの残留汚染が確認された」というのだ。

洗い箸の方こそ、洗剤や殺菌剤は残留していないの? それが石油製品であることに疑問は持たないの? 

誰か、反論の投稿してくれ。私が書くと、危険だ(笑)。

2010/03/04

生協の米

生協の米
地元の生協の米売り場にあったポスター。

吉野と提携してたんだ。
いろいろな動きがあるもんだ。

2010/03/03

100万円の使い方

兵庫県・但馬で私が行ってきた、森林林業活性化プランナー養成講座。

昨日、無事終了した。その最終回に行ったのは、「100万円の使い方」であった。

この講座、簡単に言えば、林業関係者にプレゼンテーション能力を身につけてもらうことが目的。林業界も次々と新しいテーマが登場していて、仕事内容も変わりつつある。そこでは頭を柔軟にして、外向きに訴えなくてはならない。とくに提案型施業などは、森林所有者にその意義を説明したり説得する必要がある。その能力を身につけてもらおう、というのだ。

そこで、これまで「企画会議の開き方」「コピーライティングと広告方法」「人前で話すプレゼンテーションのやり方」と進めてきたので、最後に実際にそれぞれがプレゼンをしてもらおう、という実践偏である。

そして課題が、「私は、100万円をこのように使いたい!」だ。周りを納得させる100万円の使い方を訴えよう、というもの。もちろん仕事ではなく、自分の好きなことでよい。

これまで受け身だった受講者も、いざ自分が人前で話すとなると、みんな欠席するのではないか……と予想していたのだが、案の定? 出席者はこれまでより目減りした。
が、逆に、これまで受講していなかった人が「参加させてくれ」と飛び入りしたり、参加できないが企画書だけでも……と持ち込む例があった。これだけでも進歩かもれない。

さて、実際にどんなプレゼンがあったのか。

4_1



もちろん仕事に結びつけて、「木育がしたい」という人もいれば、「奨学金を一括返済したい」という人もいる。これも単に自分の借金を減らすというだけでは失格だが、一括返済することで、現在の進学に困っている大学生を救える、また1割の報奨金?がある……とメリットを訴えると説得力が出てくる。

ほかにも北近畿タンゴ鉄道の但馬三江駅にひっかけた鉄道娘「ミス但馬みえ」コンテスト開催や、ペットボトルのキャップを集めるという趣味の魅力をとうとうと伝えたオタク、モテ度アップのために料理を学び、メガネ男子になり、優しい人になる……という人間改造テーマ、森の秘密基地を作る案。

なかなか頭を絞ったプレゼンが展開された。その中で私が最優秀賞を授与したのは、「1杯100万円のコーヒーを飲む!」である。

実は、私はコーヒーが嫌いなのである。しかし、ここでしめされたコーヒーは、アフリカのキリマンジャロ山まで行って、自分で収穫したコーヒー豆を自分で焙煎して一杯のコーヒーに仕上げるというものであった。そのために必要な旅費や装備まで調べて予算が組まれている。おバカな願い事も、十分に練り上げれば説得力を持つ。

こうした経験がどれほど林業の現場で役に立つか。

それは私にもわからない(^^;)。ただ林業もガテン系だけでは務まらないのだから、発想を変えて時代と切り結ぶ一助になれば幸いである。

2010/03/02

地方交付税

昨日の続きだが、地方分権、道州制などの話の中では、地方交付税の評判が悪い。

というのも、地方財政の足りない部分を穴埋めする性格のため、努力して財政支出を減らすと交付税も減らされる。しかしそれでは、全然財政は好転しない、やる気をそぐ元凶というわけだ。逆に使い放題しても、その多くを穴埋めしてくれる。財政規律も緩むのである。

たしかに地方の努力をつぶす役割は大きかったと思う。

が、改めて考えると、地方交付税とは、まず国税を集めて、それを地方に再配分する。各地の財政不均衡を是正するために考えられたものだ。さもないと、東京など大企業が本社を置くところばかりに税金が落ちる仕組みになって、極めてアンバランスとなってしまう。
しかも、地方交付税は、基本的にどのように使おうとかまわない自由度の高い金だ。これは有り難い。

以前の構造改革では、地方交付税を削って、その分税源を委譲する……(実は、ほとんど委譲しなかったのだが)という発想だった。

しかし、地方はもともと税源が少ない。仮に税源をどんなに委譲されたって、それで潤うのは大都市を抱えているところだけだ。地方に地方交付税を削られたのと同等以上の税源があるわけなく、地方はいよいよ財政危機になってしまう。

道州制においても同じで、大都市の数の多い州だけが潤い、さらにその州の中でも、大都市圏だけが潤う。奈良なんぞ、関西州に入れば、支出ばかりが増えて実入りは減るだろう。

このあたりのことは、市町村合併を見たらすぐにわかる。合併した旧町村は、たいてい唯一の賑わいだった役場付近までなくなっている。そして、田舎部分への支出は減らされる。

私は、もっと地方交付税を増やすべきだと思う。その代わり、補助金を全廃するべきだろう。

やはり、国税を平等に分配して、それを各地方が自分で使い道を考える方がよい。ただし、穴埋め的な性格はなくす。人口と地勢で分配率を決めて、配ってほしい。ただし、国税が減ったら交付金も減らす。収入がないのに、ばらまくのは危険すぎる。足りなければ、地方で債権発行したらいい。それも危険だけど(笑)。

2010/03/01

ふるさと知事ネットワーク

自立と分散で日本を変えるふるさと知事ネットワーク」というのを知っているだろうか。

福井県の西川知事の呼びかけらしいが、ほかに青森、山形、山梨、長野、奈良、島根、高知、熊本の9知事が参加して結成されたものらしい。あくまで地方、田舎の知事が連携することで、国を動かそうという思いからのネットワーク、とのことだ。

まだ始まったばかりで、何をするのか、何を主張しているのかさえわからない。ただ、「地方知」という言葉を使っている。「ローカル・アンド・ローカル」ともいう。

そして西川知事は「ふるさと希望指数」を提案している。

これは、地域の豊かさを経済指標でなく表す提案だ。たとえば住環境や子育て環境など生活の質を基準に組み入れようということである。

まあ、福井県は持ち家比率や医療・介護施設の数、求人倍率、進学率などが高く、「豊かな町」日本一に認定されたことがあるから出た発想だろう。以前、福井県人に聞いたら、全然実感していないそうだが(^^;)。だいたい「豊かさ指標」を作ったのが国なんだから、それを使うのはちょっと……。結局、我田引水か。

ただ、私はこうした発想そのものには、好意的に見ている。少なくても、地方がそれぞれの違いを発揮しつつ、連携するというパターンだからだ。
というのは、どうも民主党政権が掲げている「地域主権」「地方分権」、そして橋下大阪府知事が旗振りをする「道州制」には、違和感ばかりがプンプン臭うからだ。

だいたい国主導で地方分権をいうこと自体がうさん臭い。いや、理念としてはいいのだけど、いざ政権を取ると、途端に権力主義の風を吹かせ始めているし、そもそも国は借金が多くて苦しいから分権という名の地域への仕事丸投げを言っているにすぎないように感じる。

そして道州制も、結局、国から権力を一部委譲されて、地域内の都会が好きなように振る舞いたいという意識が透けて見える。
たとえば関西州ができたとして、橋下知事は、初めから大阪が中心だと決めているかのようだ。まあ、京都や兵庫は反対しているが、それも自分たちのところに強権の中枢がほしいだけではないか。下手すると、道州内のほかの府県から富や権限を吸い上げて、中枢の自分のところが強くなる構想のように感じる。

どうせなら、州都は奈良に置くと宣言しなさい(^^;)。まあ、滋賀でも和歌山でもいいけど。(EU-欧州連合は、その本部をイギリスでもフランスでも、ドイツでもない、ベルギー・ブリュッセルやルクセンブルグに置いている。その程度の気遣いがないと、道州制なんぞ意味はない。)

それはともかく、ようするに地域主権と言いつつ、地方の都会を目指している思考なのだ。そして共通の統治機構を頭に描いているように感じざるを得ない。国や市町村の権限を奪って、都道府県や道州に強権的な体制を築くことを意図していないか。

ネットワークの知事たちも、地方知をうたい文句にするなら、まず自分のところ(県内)を自由に分権させてみたらどうか。たとえば県の予算を市町村に委譲する。権限も譲ってしまう。予算を道路に使うか、教育に使うか、産業振興に使うか、任せてみる。執行にはお手伝いが必要だろうけど、決定権を譲る。
そして市町村は、さらに政策決定を住民に投げかけてもいいかもしれない。議員の権限は小さくなり、ほとんど直接民主主義になる(^o^)。

そうした地域づくりを達成させた上で、地方分権や道州制を提案すると、説得力があるんじゃないかなあ。

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

森と林業と田舎