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2010/03/19

ドイツ林学と「林政意見」

土倉庄三郎は、明治32年に「林政意見」を発表している。当時の林政を厳しく批判し、新たな提言をしたものだ。

この林政意見の背景を探っていると、日本の中のドイツ林学の相剋にぶつかった。

江戸時代の日本の林学は、どちらかというとフランス派だった。おそらくオランダを通して入手した文献がフランスのものだったからではないか。

ところが明治に入ると、ヨーロッパに続々と留学生を送り込み、また視察団が訪れるとドイツ林学に入れ込むようになる。岩倉具視の視察でも林学は重視されて、大久保利通などは机をたたいて、「これだ!」と喜んだそうだ。それほど林業は国を支える基盤であり、その理論的支柱としての林学に重きを置かれたのだ。今と大違い(~_~;)。

それほどドイツの一斉林は魅力的だったのだろう。また、整然とした法正林思想などの理論は、眼からウロコが落ちるほど魅了したに違いない。

そしてドイツ林学に基礎を置いた明治政府の林政が進み出す。

ところで、同じドイツで学んだ中村弥六と品川弥二郎は、どちらもドイツ式林政に入れ込むのだが、実は対立する。それは個人的な人間関係でもあったが、同時に林政の実践に置いて意見の相違を見せたからだ。

中村は、土倉庄三郎と組んで、「林政意見」を発表する。時の政府の林政をケチョンチケョンにけなしたものであった。

詳しく説明する余裕はないが、「政府は山林事業を放擲している。木材不足は深刻化して、外材輸入で巨額の費用を流出させている。また山は禿山ばかりで、旱魃や洪水を引き起こし甚大な被害を出している。火災や風水害、誤伐で痛めつけられて、国有林は年々数千町歩ずつ減耗し、しかもろくに植林していない。だから年々一万数千町歩の禿山が増加している」というものだ。

そこで訴える政策は、

・植林を進めて原野を完全な山林とする。
・国有林野を分割し、一部を国有とするほかは、自治体の法人、個人に売却する
・深山幽谷に死蔵される原生林を利用する
・山林土木の両政務を合わせて山川省を置き、全国の山林河川の業務を統一する

最後の項目は、さしずめ林野庁と国交省河川局の合体だろうか。面白い!

実は、庄三郎が推進した吉野林業は、どちらかというとドイツの林業に近いと感じる。ドイツなど知らなくても、実のある林業経営をめざすと、ドイツ林政的になったのだ。
そのうえ庄三郎は品川とも知らない仲ではないし、その後ドイツ林学を学んできた偉才・本多静六とも親交を結ぶ。だから庄三郎もドイツ林学に親近感を持っていたはずだ。にもかかわらず、政府の林政には反対するのである。

その差は何だろうか。思うに、理論から入り実践する政府の林政と、実地に林業を営みながら築いた理論の差ではないか。

いわば演繹的な政府と、帰納的な庄三郎

そして今両者を比べた場合、軍配は庄三郎に上がると思う。

ドイツは、伐採地にたいして手間をかけずに植林できる。天然更新のように放置しても森林が成立する。そして気候や地形なども全体に平準で、計画通りに進みやすい。だから法正林も可能だった面がある。

だが、それを日本に持ち込んでも、うまく行かないのである。いや、実は本家・ドイツでもある時期から計画通りに進まなくなり、法正林思想を放棄する。そして実地に合わせた地域ごとの特色を活かした林政・林業へと転換していく。

なのに日本では、変わらず理論ばかりを振りかざす林政を続けてしまった。その結果が拡大造林やら安易な天然更新だ。結果はいうまでもない。

いままた、ドイツ式林業に注目が集まっている。

現在の帰納的に現場から学んだドイツ林政に注目するのは結構なことだ。
しかし、その現在のドイツ林政をまたもや付け刃的(演繹的)に真似すると、仏作って魂入れず、になるだろう。そして現実と遊離しかねない。

今からでも遅くない、土倉庄三郎を真似て、現場に学んでから理論武装しないかね。

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コメント

政府の森林・林業再生プランの中の各委員会の議事録を読みますが、違和感があります。
効率を上げる、採算が会うシステムを作るということ十分理解して分かっています。
しかし市場主義経済から方向転換する時期が来ているのに、やっていこうする方向は市場主義経済。
中山間村でどう暮らしていくか、暮らしていくシステムを作っていくか、結果として、日本の森林と林業が成り立っていくという日本独自のシステムを模索し、それにプラスになるドイツのやり方を取り入れる様にすべきではないのだろうか。
林業で食って行くことも大事、自分の住む集落を今後どう維持していくかも大事な仕事です。(ちょっと田中さんの論点からずれたかも・・・)

中村弥六は地元で最も有名な林学者の1人ですが、それは明治噴火で荒廃した裏磐梯の緑化を手がけたから。五色沼にもその名を残しています。その弥六がこのような仕事をしていたことは知りませんでした。これから引用させていただきます。

これまでの日本の林業が、市場主義経済とあまりにかけ離れていたから、反動みたいなところはあると思います。
ただ、林業の再生ばかりを考えて、その現場である山村を忘れると、せっかくのドイツ林学も形骸化するでしょう。

中村弥六が福島県で有名とは知りませんでした。
「林政意見」は表面上は土倉と中村の共著です。(土倉の一人称になっていたりするけど。)だから、大いに自慢してもよいと思いますよ。

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