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森と林業の本

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2010/03/25

書評「奪われる日本の森」その2

前回、外国人が日本の森林地域を買おうとしていること、そしてその狙いが地下水だという点、いずれも裏の取れない噂と想像のレベルであると指摘したが、ともあれ本書では、「風が吹けば、桶屋が儲かる」ことを前提に、森を守る対策を提言している。

それを紹介すると、次の4つを掲げている。

①地籍の確定
②林地市場の公開化
③売買規制と公有林化
④林業再生・辺境再生

これらを順に見ていこう。

まず①の「地籍の確定」は、私も大賛成である。境界線がわからない土地は、いかなる補助制度もオイシイ話も役に立たず、まったく使い物にならない不良債権以下だ。。私もこの問題に多少足を突っ込んでいるが、早くしないと手遅れになる。
……しかし、そうした土地は同時に外国資本だって、購入不可能ということだ。ましてや地下水汲み上げもできない。国土を守るという点からは、強力なガードとなるだろう(笑)。本書が煽っている「外資の国土買収の危機」とは正反対の状況なのだよ。

②の林地市場の透明化、公開化だが、これも理念としては賛成。マーケットは誰もが見える形にしておくべきで、誰が所有者かわからない取引はよくない。もっとも、森林簿さえクローズになっている現状を考えると、取引公開の以前にするたことがある。また不動産の場合、名前を出されると取引を嫌がる買い手の方が多いだろう。つまり公開化が林地取引自体をストップさせる恐れがある。

③出た! 売買規制。ここで一気に「お上意識」が噴き出る(@_@)。最後の手段という公有林化も同じだ。行政が保有して林地が健全化する例などあるのかい。それは原生林など手を付けない森にする場合だけだ。

「民間に任せておけない」と上から目線になっているが、私から言わせれば「公的機関には任せておけない」。規制だとか公有化など、森林を荒らす元だ。だいたいオーナーでもない2~3年で転属をする役人が、何十年何百年の森づくりなどできるはずがない。目先の都合で規制を作ったりゆるめたりするだけだ。責任感もない。そして公有林化した途端、眠れる(腐った)資産になるだろう。
ちなみに公有物の運用で損失が出た場合、担当役人は個人保証すべきである。それは退任してからも続ける。それくらいの覚悟なくして森林を預かってほしくない。

これは④に通じるのだが、林業再生をめざすのなら、林地取引を活発化させないといけない。時代の変遷(世代交代)ごとに、常に意欲のある人・組織が森林を保有すべきである。そのためには転売が欠かせない。
経済的に活性化している産業は、必ず新規参入がある。新規参入させない業界が栄えることはない。売買規制は、それに逆行している。

ただ④には、一定条件を満たす場合は林地の流動化を促進する、とあるから、ここは賛成。私も提案していた森林保有税の創設により、無関心森林の保有者を締め上げる策は、その林地流動化に寄与するだろう。
さらに林業関係の複数年の補助金制度や、林地相続税の非課税策も賛成。まあ、本当は補助金ではなく、使い方は所有者に任せた森づくり支援金が適切と思っているけどね。

そして④の最後に「辺境再生が必要」とある。

これが主眼になるべきだったのだ。そもそも林業再生も、森林保全も、外資の山林買占め阻止(~_~;)も、根本にあるのは辺境(……と呼ぶべきかどうか)山村部に人が住み続けられる環境を構築することにある。それがなし遂げられたら、林業なんてどうなってもいいし、山林を誰が所有しようが構わない(笑)。

本書では、わずかにドイツの「東方国境周辺振興法」や「むらづくり支援員制度」(これは当ブログで紹介したばかり)などを紹介しているが、決め手はない。しかし、辺境対策こそもっとも頭を絞って提言すべきテーマではないか。

本書は、この辺境再生こそ国土防衛の視点に立って著すべきだった。それを外資がどうの、地下水がどうの、とおどろおどろしい話を羅列したあげく、国家の介入を求めるから、陳腐なトンデモ本、陰謀本に成り下がってしまった。もったいないなあ。

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コメント

安田さんの本、いろいろ読んでいますが、最近”山は市場原理主義と闘っている”を読みました。昔の本に比べ、ちょっと宗教色が濃くなっているのが気になりました。
田中さんのおっしゃる、”山村部に人が住み続けられる環境を構築することにある”に同じ思いです。最近はもっぱら林業従事者の立場でどうやって山村で山に関わって生きていける人を増やす仕組みを作るのかばかり考えます。
国有林の仕事も一般競争入札になり、地元業者が仕事をとれなくなって来ています。
こう言うと、国有林の仕事は単価が高く、新規参入で適正価格での入札に近づいたというのが世間一般の意見になると思います。そのような批判も十分理解した上で言わせてもらうと、他県の業者が、地元に住んでいない作業班を使い、その事業の間だけやってくる。
民有林より奥地が多い国有林において、このような方向性が本当に山にとって良いことなのだろうかと、林業という地場産業を地域から奪ってしまって良いのだろうかと。
森林整備も治山事業でしょう。ですが砂防えん堤やダムを造る事業と同じ事業発注のやり方で良いのかと、批判があるかもしれませんがそう思います。

森林率90%超の山村住人としては、辺境と言われるとと不快です。平野氏がどこにお住まいかは知りませんが、隣近所の付き合いがないマンション(限界マンション)や住宅地(限界住宅地)とか、巨大地震が確実に来る都市(限界都市)とかなのでは? よそから限界だの辺境だのと言われて平野氏が嬉しいなら仕方ないですが。

田中さんの意見には私もつうくんさん同様賛成です。山村生活を安心して送ることが目的であり、林業やグリーンツーリズムやブラックツーリズムや食育はその手段であるということですな。

森林保有税は、森の健康診断みたいなことをやって、ほったらかしなら重税、きれいな手入れであればマイナス課税(カネをもらう)という傾斜をつけたいですね。森の恵みをカネで評価して、しっかり恵んでくれる森にはカネを払うような制度(直接所得補償の改善)がほしいです。

地籍(地積でいいのですか?)は当地区でも昨年度、本年度とようやく終わりました。森林簿と全く合いません。

安田さんについては、明日の「その3」で評しようと思っています……多分。

一般競争入札にしても、補助金あるいは保有税にしても、認定などの定義付けが難しい。ある程度問題があるのを覚悟で、役所は杓子定規に線引きするのだろうけど、その狭間で困る人が出てしまう。

でも、論じる価値はあると思いますけどね。ちなみに地籍でした……。直しておこう。

平野氏は、辺境という言葉がお好きなようです。あちこちに出ますから。また東京財団に天下りして勤めているから首都圏に住んでいるのでしょうね。ただ出身は熊本県ではなかったっけ(笑)。

いちばんコマッタのは、田中さんが指摘されているようなを多分わかってて書いていることだと思いますけどね。某省庁OBたるものが知らないはずはなし(知らないのならそれはそれで問題で)。

あ、これは憶測ですよ(笑

あっ、そう思いました? 実は私も薄々……。
実は、平野氏の文章はかなり以前から読んでいて文体から裏の事情までわかるほどです。それゆえに本書は、相当違和感がある。書きながら煩悶したんじゃないかと。(していないのなら、かなり問題で。)

「公的機関には任せておけない」まったくそのとおりだと思います。
良心を持って森を守ることができるのは、山の好きな人が民間の力が必要です。
一部(多く)の森林組合もひどいところが多いので、そこいらを判断するのはとても大切で大変なことと思います。
しっかりしたネットワークつくりが不可欠じゃないでしょうか。

本書にも「共有地(コモンズ)の悲劇」……共有ゆえに、それぞれが私益を最大限追うことで崩壊する、という論理、が紹介されています。
で、公的機関がまさにそうだと思うのです(^o^)。

公という名の下で個々は無責任となり、転属すれば前の仕事については手を出せない。個人がいかに善意で優秀であっても、これはシステマティックな構造ですね。
民間ならよいというのではなく、信賞必罰の構造が必要でしょう。

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