土倉庄三郎生誕170周年
4月10日は、土倉庄三郎の誕生日である。
生まれは天保11年、1840年だ。つまり、今年は生誕170周年ということになる。
残念ながら、今年中の「土倉庄三郎伝」の出版は叶いそうにない(-_-)。ごめんm(__)m
日本ではこの年に実業家・渋沢栄一や総理大臣・黒田清隆などが生まれている。坂本龍馬の妻、お龍が生まれた年だという説もある。前年には蛮社の獄などが起きており、すでに明治維新は起きかけていた。
土倉庄三郎を調べていて感じるのは、意外と彼は遅咲きだということだ。
たしかに満15歳で家督を継ぎ、地元吉野では代官と政策でやり合ったりと名を挙げていたのだが、それは地域内、業界内の動き。明治維新時も、目立った行動を取っていない。その理由としては、存命だった父の軛があったことも関係すると想像しているのだが、やはり庄三郎自身が、まだ田舎者だったように思う。川上郷、吉野郡から大きく世界を見る目はなかったのではないか。後に彼は、自分に学がなく幾度も恥を掻いたことを述べている。
広く世間に打って出るのは、30代後半である。おそらく自由民権運動と出会ったからだろう。活躍したのは40代以降である。当時の平均年齢を考えると、後半生、晩年と言えるかもしれない。まあ、庄三郎は77歳まで長生きしたから、後半生も長かったけど。
私が土倉庄三郎に注目したのは、単に林業界の偉人ということからではない。むしろ、日本の林業および山村を、彼を通して浮かび上がらせられないか、という思いからである。つまり狂言回し、いや当て馬?になってもらおうという魂胆(^o^)。まあ、ミイラ取りがミイラになったような面もあるけど。
当時と今は、時代背景はもちろん、日本の森林・林業事情もまったく違う。にもかかわらず、彼の文言や行動は、実に示唆に富んでいる。
たとえば林業でもっとも重要なのは、搬出であることを見破っている。どんなに資源があっても、伐採しても、それを搬出して売れる街まで運べなければ価値がないことを知っていた。
また、価格を上げる販売戦略、とくに吉野ブランドの確立や宣伝の重要性も気づいていた。
そして、海外の木材需要にも目を向け、輸出をもくろんでいたことも、今からしても先見の明だ。
さらに国土における森林や山村の位置づけや政策に関しても現在に通じるものがある。
こうした庄三郎の目を通して、現代の林業や山村社会を映したい。
ちなみに亡くなったのは、大正6年(1917年)。あと7年で没後200年を迎える。この年までには出版できていることを願っている(笑)。
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> ちなみに亡くなったのは、大正6年(1917年)。あと7年で没後200年を迎える。
没後100年では?
投稿: 神戸のキコリ | 2010/04/10 23:40
生誕170年なのに、没年数がそれより永いわけないですね(笑)。100年です。
投稿: 田中淳夫 | 2010/04/10 23:50