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2010年4月

2010/04/30

里山は保全すべきか

今日は、平日らしい。世間は、休んでいるわけではないらしい。連休の谷間? 俺には関係ないけどね(-.-)。

だから、今日はマジメなことも、書こう。

ここ数日悩んでいる「里山保全」の問題。まあ、原稿としては書きかけているのだが、そもそも里山は保全しなくてはいけないのだろうか。

「人の営みによって作られた二次的自然」と位置づけているが、今の里山危機は、「人の営み」が、この地域でなくなりつつあることに起因する。ようするに、人の生活が地域の自然とつながらなくなってきたこと、さらに人が高齢化して自然に関与できなくなってきたこと、そして人そのものが減って集落維持も含めて難しくなってきたことに根源的問題がある。

それの、どこが問題か?

農地の耕作や雑木林の適度の伐採がなくなり、外来生物が侵入したり、野生鳥獣の異常発生と絶滅危機……そして人そのものがいなくなり、里山文化の消失。景観の悪化。
どれも感情的には惜しいが、具体的に人類にとっては何が困るのか。

この点を明らかにしなければならない。

そして、もう一つ。

現在の里山保全活動というのは、基本的に「人の営み」から外れている。

たとえば税金を投入して、里山地域に住む人の生活を維持しようとする。その資金は回収されることなく終わる。

あるいはボランティアで棚田を耕作したり、雑木林の管理を行う。こちらも、人員および労力は地域の生活とは遊離している。

これらの行為は、いずれも「営み」ではない。はっきり言ってしまえば、外部からの資金や労力の干渉だ。

自然の生態系、あるいは地域経済、そして文化とは、循環することで成り立つ。しかし、外部からの注入で支えるということは、循環ではない。無駄なエネルギーの放出と再生産を伴わない資金の流入である。なんだか、元の里山の自然および文化とは、似ているが本物ではないモノになりそうだ。

それを巨視的に見れば、ある種のエントロピーが増大するばかりだ。CO2の増加や、財政の悪化などの副作用が出るのではなかろうか。
たとえば病人にカンフル注射を打って一時的に意識をもどしても病気は治らない。栄養注射だけで生き長らえても、健康になったとは言わない。

……そのように考えると、今ある里山の自然と暮らし・文化を無理やり維持しようという考え方は不遜かもしれない。

人と自然は、共進化する。時代とともに人の生活も変わるが、自然も変わることを覚悟しなければならない。そこでは里山も共進化して、新しい里山を誕生させる必要があるだろう。

2010/04/29

タケノコ堀り中毒症

今日が世間が祝日であることに気づいていなかった私。

休みの日まで、小難しいことは書くまい。通常なら裏ブログ用話題を。

午前中はかろうじて仕事をしたが、午後からタケノコ堀りに出かけた。先日は10本ほど掘ったが、その後の雨と気温上昇でニョキニョキ伸びているはずだ。

タケノコ堀りと言っても雑木林だから、どこに顔を出すのか見つけるのに技術がいる。最初はどこにあるやら目の前でも気がつかない。あんまりないなあ……と思っているうちに、次々発見。慣れてくるとわかるのだ。
なかには1メートルに達する大物もある。必死で掘るが、掘り終えたら運ぶのが大変だから捨てる。掘ることに意義がある。

もういらない、と思っても、目に止まれば掘らずにいられない。崖下や、崖の途中にも見つけると、ほとんど垂直の壁に張りつくように近づいて、掘る。ほとんど片手でスコップをふるい曲芸のようだ。

土地の境界線から、ほんの少し越境しているところにも、タケノコの顔が覗く。
ああ、掘らしてくれ。頼む。ああ、掘っちゃった(^^;)。

もういい。震える手で、撤収することにした。問題は、掘ったタケノコの運搬だ。一度に持てるのは、せいぜい5本くらいだから、何度も自動車のところまで往復する。運ぶのに汗だくになった。
もう勘弁して。最後のタケノコを運んでいると、また地面からの盛り上がりが目についた。泣く泣くスコップを取りにいって、掘る。すると、その前にもう一つ……。

タケノコ堀り中毒という依存症である(^o^)。掘らないと、手が震える。幻覚を見る。

30本あまり掘って、スリランカ料理店ラッキーガーデンに納品。ゴールデンウィークはタケノコカレーが出るはずである。

で、のんびりヒツジと戯れて新緑を眺めていると、そこに女性が現れた。

その姿が、ふわふわ衣装にジーパンという昔風に言えばカントリーガール風。これがイマドキの森ガール・ファッションか。ところが話してみると、これから農作業を行うという。
ラッキーガーデンでは、自家用農地を手に入れて、耕す計画が進んでいるのだが、そこに参加するらしい。なんだ農ギャル、ノギャルであったか。

なんでも、ラッキーガーデンの一角の納屋を借りて、そこを改造してアロマテラピー教室を開く計画だという。 ラッキーガーデン内には、リフレソロジーの小屋もあるし、アニマル・セラピーもやっている。これはセラピー・ガール

ふ~ん、と話を聞いていたら、そのまま納屋に連れて行かれた。広さやロケーションは悪くないが、あまりに汚い。土に、ゴミに、ほこりまみれだ。これを片づけて教室にするまで大変ですね。

「はい、掃除して」。

と、ほうきを持たされた……。なんでやねん。そう思いながら、部屋の掃除を始める私。どうやら私が弱いのは、タケノコ堀りだけでないらしい。

2010/04/28

誰に向けて発信するか

以前の森林林業活性化プランナー研修では「広告・広報論」の講義を行ったが、その要諦は、誰に向けて発信するか、だった。

メーカーの立場で商品を広告するコピーに作る場合、同じ商品であってもエンドユーザー向けか、販売店向けか、施工者(設置する作業者)向けか、はたまた発注者か……。それによって、まったく内容が変わる。エンドユーザーには、「これがあなたの役に立つ」ことを示し、販売店ならば「こうした消費者に売ってくれ」「この機能を強調してくれ」と訴える。

その対象を間違えると、まったく効果が出ない。いかなる出来のよい商品であろうと、本当に必要な人のところには届かず、役に立たなくなる恐れがある。それは広告だけでなく、商品開発そのものでも重要なポイントだ。

誰が、何のために、使うか。

最悪であり、もっとも多い間違いは、発注者向け。直接仕事をくれた人はもっともわかりやすいから、つい発注者を喜ばせることを考えがちだ。効果も出やすい。目の前の発注者が喜んでくれたら「良い仕事したなあ」と安心しがちだ。しかし、もっとも危険な選択でもあるのだ。

たいていの公共事業がこの陥穽に陥る。
広告するにしても、商品の価値よりも、それを発注してくれる役人(行政)・政治家をヨイショする内容になる。たとえば橋とか道路でも、それを使うエンドユーザーの利便よりも、作ったことを誇りたい人向けにデザインを含めて施工する。必要ないのに、幅広で立派にするとか。あるいは金を浮かせるために安普請にするか。(浮かした金がどこに行くか知らんけど。)

結果として、無駄が出るうえ、何の効果もなかったりする。

で、本題だが(^^;)、今書こうとしている原稿で悩んでいる。原稿も商品なのである。誰が、何のために、読むのか。

今回は、里山に関する考察ではあるが、何を書くべきか。

里山には二面性がある。自然と人の営みだ。どちらに力点を置くべきか悩んでしまった。棚田や雑木林といった自然の保全か、あるいは集落の維持か
限界集落の周り広がる里山を保全すると行った場合、どちらが求められるのか。人がいなくなっても里山の生態系や景観を守れるようなシステムを提案する? それとも、景観など二の次として集落を維持するための施策を考えるべきか。いやいや、国土のあり方として山里と自然に対する視点を提供すべきか。

こういう時は原点に帰り、依頼者、そして読者が求めているものを推測することが重要だ。そこに解答は自ずと見えてくる。

読者は誰だ。依頼者は何を求めて私に原稿を依頼してきたのか。

……わからない(泣)。  コレコレ(^^;)\(-_-メ;)

私の目論見としては、依頼者の希望を裏切ること。これは私のスタンスであるが、予想されることは書きたくないというあまのじゃく精神から。しかし、その向こうにいる読者が納得するものを示さねばならない。さもないと、原稿の評価は低くなるだけでなく、ボツになりかねない。この裏切りと納得の落差が大きいほどよい。そのギリギリの線を狙う。

それが、まだつかめないんだなあ。

しかし、里山とは、人の営みによって作られ維持されてきた自然である。決して相反することはないはずだ。そのことを肝に銘じて、もう少し悶えよう。

2010/04/27

西原理恵子の「こころの遺伝子」

昨夜、NHKの「こころの遺伝子」を見た。

出演は、西原理恵子。貧困、アルコール中毒、ギャンブル中毒……負の連鎖を誘う遺伝子からの脱出の話。エピソードとしては、すでに知っている内容なのだけど、泣いた(;_;)。

転機は、鴨志田譲との出会いである。そしてキーワードとも言える言葉が

どん底の時こそ、笑え」。だろう。

が、私の注目したのは

人が耳を貸すのは、役に立つことか、笑えることだけ

どちらも鴨志田さんの言葉だが、とくに後者は、重要だ。私には。

これは、西原さんの漫画の根底にあるものだろう。どんな悲惨な事実も、よい話や意見も、それを他人に伝えるにはそのままではダメ。単に悲惨だろと伝えても、あるいは説教しても伝わらない。人は、自分に関係して役に立つことか、あるいは笑える(心の琴線に触れる)ことでなければ、本質的に興味を示さない。そこに、西原さんの漫画にある、毒を読者に伝える超絶テクニックと気合を感じるのだ。
これこそ、まさに執筆の要諦ではないか。

たまにあるんですよ。
これは、絶対世間に伝えないと」。
私がもっとも気に入った部分だから、記事に乗せたい」。

こうした思いで書いた原稿で、出来のよかった試しがない(笑)。

人に伝えるには、「読者にも関係がある、役に立つ」と思わせる条件が必要だ。あるいは、笑わせる、驚かせる、などのカタルシス的刺激を与える要素を盛り込まないと平板になる。

ただし、「泣き」はカタルシスではあるが、あまり直截すぎると読み手に「よかった」と思わせないように思う。同じことは「怒り」にも言える。はっきり言って、下品な手段(~_~;)。感情としては「笑い」の方が、一段上に位置する〔脳科学的にはメタ感情?部位の刺激とでもいうべき〕。

実は、メディア商品だけでなく、すべての商品も同じである。役に立つ機能か、感性に訴え心地よさを与える要素がないと売れない。
たとえば環境を打ち出した商品は、直接消費者に役に立たないし、感覚的にも「泣き」に近くて心地よさがない。ただ、「環境にいいことした」という自己満足的快感という隙間を狙うだけだから、売れ行きに限界がある。

まだまだ修行が足りず西原さんのようにはなれないが、「人に伝える」ことに、私はもっと貪欲に取り組まねば。……と、現在書いている原稿を前に悩む。

2010/04/26

奈良時代のオフィス

遷都1300年祭に気をよくして、続編。

会場にある平城宮跡資料館は、このほどリニューアルされてオープンした。そこに展示されている一つに、奈良時代のオフィスがある。

3

これは、実際に発掘された奈良時代の役所の机。このような机で執務を行っていたらしい。

そこで、それを再現したのがこれ。

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見よ。なんだか現在でも通用するデスクではないか。それも、結構デザイン的にもイケてると思うのだが。

机の上にあるのは、木簡。筆で文字を書いて書類とした。ナイフで削って文字を修正したりもしたらしい。

そこで、かつての役所のオフィス風景をば。

2

当時は、江戸時代のように足を折って床(畳)に座るのではなく、現代風だったのだ。ちゃんと隅には書棚もある。

たとえば、現代の小学校でも、こんなデザインの机を使ったらオシャレではないか。平城スタイルを再現してほしいね。

ついでに、貴族の家のリビング……というよりは、自宅の書斎はこんな風。

Photo

こちらも、フローリングだし、現代風ではないかなあ。

2010/04/25

これが平城遷都1300年祭会場だ!

いよいよ開幕した平城遷都1300年祭の平城宮会場

行ってきましたよ。開幕2日目の日曜日、天候は見事な快晴で、気温も前日の寒さを吹き飛ばす爽やか日和。それでも混雑覚悟で、ご近所だもの、見るべきものを見ておこうと。

ところが、意外なことに混雑はたいしたことはなかった……といっても人が少なかったわけではない。かなり入っていたのだろう。あの寒いオープニングセレモニーでさえ、目標の2万人を越える3万4000人入ったそうである。今日はそれ以上のはず。でもね、全然応えないのだ。

なんたって、会場の広さは130ヘクタール。ディズニーランドとディズニーシーを合わせても100ヘクタール程度なんだから、通常の博覧会とか祭などのイベントとは桁違い。

そしてパビリオンは、2つ(^^;)。まあ付帯施設(元からある資料館など)を合わせても4つ。さらに大極殿などの復元施設を入れても10に届かない。

つまり、この1300年祭は、これまでの博覧会とはまったく違う発想で開かれている。何か陳列物を見学するつもりだと、がっかりかもしれない。

だが、しょせん仮設建築物のパビリオンなんかとまったく違う、匠の技をつぎ込んで生み出された建築物を楽しむべきところだ。

まあ、ご近所だから、今後も10回や20回は通えるのではないか(^^;)と思っているので、内容は次の機会に。

今回は、まず写真を楽しんで。クリックして大きくしてじっくり見てほしい。1300_1

メインとなる大極殿。大仏殿に次ぐ巨大木造建築物である。
直径80センチ以上のヒノキの丸太を80本以上使っている。

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その内部。いやはや、とてつもない世界。真ん中にあるのは謁見する際に天皇が鎮座する玉座(大正天皇のものを再現)。

壁にも天平の絵が描かれている。

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まほろばステージ。中で役者が演じる舞台や、その他出展があるのだが、見てほしいのは木製の建物だ。集成材ながら、面白い構法である。

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なんだと思う? 実は会場内を走るバス停である。それも木製だった。で、そこにあった自動販売機。どうも印刷された紙を張っているようだが、木目調にしている。

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案内板も、木製。

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これはベンチ。こんなのは、通常の町や公園にも欲しくなる。





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無粋な仮設の施設も、周りを木材で格子状に囲むだけで、なんだか目になじむ。これって、木材のエクステリアとしての可能性を示しているように思う。

このように、この会場は、木材の可能性を示す展示会場にもなっているのである。

2010/04/24

「霊木」の売り出し

先日、「風説の流布」で、パワースポットの木とか霊木であることに付加価値を付けられないか……と書いたが、なんと現実化していた。

それも売り主は、高野山の金剛峯寺である!

http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042301000594.html

和歌山県の高野山と言えば、日本一の宗教都市であり、一大聖地。幾多の寺院が立ち並び、その世界と一種独特だ。その中心に位置するのが真言宗総本山金剛峯寺。日本一のパワースポットだ。強烈すぎる……。

この金剛峯寺が、高野山のスギを、一般の住宅用木材として広く売り出す事業を始めたのだ。

金剛峯寺は、広大な山林を所有していて、その管理を行う山林部も設けられている。僧籍があるのかどうか(^^;)、寺院の人々が山の手入れをしている常勤の人々もいた。私も会ったことがあった。

ここの山の木は、聖地の景観や環境を守るため、高野山のスギやヒノキを寺院の建築や修繕以外に使うことは原則禁止されてきた。ところが、この高野山の霊木で家を建てないか、と呼びかけているのだ。

といっても、当然ながら参道に立ち並ぶ立派な巨木を伐って売るのではない。森林管理の過程で出る間伐材の有効利用なのだという。自分たちで使い切る以上の間伐材が伐出されているのだろう。もっとも、財政の穴埋めの疑いもあるが。

4月16日に、2階建てモデルハウス「高野霊木の家」を公開した。延べ床面積は約180平方メートルで、柱や梁、床などにスギがふんだんに使ってある代物らしい。

「高野山の木には弘法大師の生命が込められている」なんて言われたら、思わず市価の1,5倍でも買ってしまう人もいるだろうなあ……。(ちなみに価格は市場価格より高いかどうかわからない。)

2010/04/23

タケノコ通貨

ようやくタケノコ堀りに出かけた。

もともと生駒山の中腹なので、連休前がピークなんだが、このところの寒さでタケノコも遅れているようだ。今年は順番では成り年なのだが。

今回は、8本。プラス巨大タケノコをへし折る。まだ数は少ない。もっとも、先に誰かタケノコを掘った穴があった。加えてイノシシが掘り返した跡も。ハイカーに加えてイノシシにも狙われるようになったか。

201004231340000

ちなみに私がタケノコを掘るのは竹林ではない。雑木林の山林である。我が一族の山林なのだが、年々竹が侵入してきて、ほっておくと木が駆逐されて竹林になりかねないのである。そこで、せっせとタケノコを掘るのが森林保全になる。


ただ、雑木林のタケノコ堀りは、そんなに甘くない。木の根っこと絡まっている場合もあり、掘るのにちょっとした技術がいる。
これまで最高一春に100本くらい掘ったことがあるが、もし放置すると、毎年数十本の竹が生えることになり、小さな山林はあっと言う間に竹林に変貌してしまうだろう。

こうして掘ったタケノコは、近くのスリランカ料理店に上納に行く。すると、タダでミルクティが飲める(笑)。店は、連休にタケノコカレーを出すので、もっと持ってきてくれと頼まれた。1日5キロ必要とか。贔屓にしている女性マネージャーに頼まれたら、頑張る気になるなあ。

その代わりに、次はランチをご馳走になろうか。できたらマネージャーとのデートの権利がほしいんだけど……(⌒ー⌒)。

ほかにも近くの陶芸家にも届けたし、大家さんとか、いろいろ分配先がある。
この地域では、タケノコが通貨として流通しているのである。この季節だけの期間流通だけど。それぞれ問題は、ちょっと重いことと、鮮度によって価値が変貌することだ。それにタケノコを届けて代わりに何を得るかがわからない……。ある意味、将来への投資であり、気持ちのやりとりである。

物々交換といわずに、地域通貨だと言えば、今風に広がるかも。

2010/04/22

コミュニケーションのなさを売り物に

田舎暮らしの希望者の中には、「田舎は、人が少ないから、人づきあいをしないでも生きていける」と勘違いしている人が、たまに、いやかなり多くいる。自然だけを相手に暮らしたいと願っている。

私は、そんな人々を罵倒してきた(笑)。田舎暮らしほど、濃密な人間関係が必要なんだよ、と。コミュニケーションができない人は、田舎に来てもトラブルを起こしやすいし、うまく生きていけないから移住しない方がいいとも主張してきた。

しかし、考えてみると、「コミュニケーションが苦手」な人は少なくない。とりあえず「人づきあいをしたくない」という考えから田舎暮らしを求める人が多いということは、それがニーズだとも言える。

ならば、提供してやったらどうだ。田舎に、他人と口をきかずにすむ空間を作って、人を募集するのだ。消滅集落などをあてがって、一切かまわないようにする。地元の人にも近づかないよう、お触れを出す(笑)。
どうしても必要なことは、メールで伝え合う。買い物もメールで宅配させてもいい。受け取るときも話しかけない。顔もできるだけ合わさない。そうしたインフラを作っておく。地域に害を及ぼさないよう、監視の目は気がつかないよう光らせておく。

まあ、本当に他人と出会わず、話さなかったら、普通の人なら1週間で根を上げる気はするが、人を呼び込む手だてにはなるかもよ。そして根を上げたところで、何らかの対応をすれば、田舎社会に溶け込ませることもできるかもしれない。

受け入れる田舎側にメリットがない? なに、住民票だけは絶対に移すよう決めておけば、人口は書面上増える。そうしたら地方交付税も増えるし、地代を徴収することもできる。そして田舎人側も、「よそ者」とつきあわなくてよいというのがメリットになる。

昨夜の「クローズアップ現代」で、「アスペルガー症候群」を取り上げていた。

いわゆる発達障害の一種で、近年子供の教育問題や社会性のない人間として取り上げられることが増えてきた。他人とのコミュニケーションが極端だったり、うまくできないために問題を起こしやすいのだ。

番組では、昔からこうした人々はいたのだろうが、あまり騒がれなかった。なぜなら、あまりコミュニケーションが要求されなかったからだ……という意味のことをコメンテーターは指摘していた。

明治時代の農山村では、ほとんど1日言葉を交じ合わせない生活が普通だったというのだ。柳田国夫の記録によると、1日15句だったという。何も無口だとか、近所や家族と仲が悪いわけではない。むしろ濃密な関係にあるだけに「話さなくてもわかる」世界だったのかもしれない。それを再現すると思えばよい。

現代社会は、見知らぬ同士が関わることが多く、そこには社会生活という名のコミュニケーションが求められる。そして、その能力が劣ると「社会不適応」の烙印を押される。
都会は見知らぬ者の集まりで、会話をしなくても生きていけるというが、じつはKY(空気読めない)人は暮らしにくいのだ。

でもね。コミュニケーションを強制されるのも辛いものだよ。

先日、法事で親族が集まった時に、子供らが全員独立して家では一人生活、また職場でも個人個人が受け持つ部署に分かれるため交流しにくく、ほとんど話さない日が続いていると語る人がいた。

「おかげで、たまに話そうとすると口がもつれるわ」と、そこで笑いを取るのが関西人らしいのだけど、意外とこうした立場を喜ぶ人もいるかもしれない。

2010/04/21

「風説の流布」価格

これまで木材価格に関連して、花卉産業と比べたり、あるいは野菜の高値を連想したりと、まさに「思いつくまま」に記してきた。

それらを振り返って気がついた(いや、これも思いつき)のだが、ようするに森林や木材は、その原価や加工費、労働量、需給関係、そして利用価値などを積み上げることで価格を決定するようなシステマティックな商品ではない。

どちらかというと、好きか嫌いか、流行っているかいないか、目立つか目立たないか……といった感覚的なものに左右されがちだ。いわば感性で価格が決められる要素が大きい。その点から言えば、木材を扱う商売は、まさに「山師」だ。のるかそるか、相場の乱高下を楽しむ面があるのではなかろうか。

となると、重要になってくるのが「風説の流布」である。

本来は株式取引の場で使われたらしいが、嘘か誠かわからない情報、噂を流すことで売り手買い手の気持ちを左右することで、株の値段を上げたり下げたりする。その隙間を縫えば、安く買って高く売れる。
その情報は嘘でも本当でもよいのだ。もちろん本当の方がよいが、とにかく世間に流行らせることに意味がある。そして一時的にも信じてもらえれば、価格に反映する。

どこぞの会社が、合併する、事故を隠蔽している、画期的な技術を開発した、新商品を発売する、という風説を流せば、株価に跳ね返る。

雨が続いたり、大雪だ、台風だという気象を、うまく野菜の生育とか出荷に結びつけて品薄状態を演出する。

高速道路ができるとか、工業団地計画をでっち上げて山林を高く売る原野商法もある。
中国人が山を買いに来ているという情報を流して、山の不動産価格をつり上げる御仁もいるのかもしれない(^^;)。

ならば、山主もあえて「風説の流布」をやってみてもいいかもしれないなあ。

外材の輸入が止まるとか、外材は10年で朽ちるとか、毎日木を目にしていると癌が治るとか、国産材で家を建てると補助金がもらえるとか、風説を流して価格をつり上げても文句は出ない……かも(^o^)。

あれ、すでに流れているか。間伐をした森林はCO2を吸収するとか、森林にはマイナスイオンが多いとか、森歩きをすると病気が治るなんて研究成果が発表されているもんね。

2010/04/20

野菜の高値

野菜が高値である。たしかにキュウリ1本で90円とか、春キャベツ1つが300円前後という値札が付いている。

その理由として上げられるのが、天候不順。いきなり寒くなったり、雨が多くて野菜の生育が悪くて……というわけだ。

私は、その理由に疑いを持っている。いや、はっきり言って信用していない。

たしかに天候によって生育状態に影響があるのは事実だろうが、現在の野菜価格は絶対に流通業者がつり上げているのに違いない。だって野菜の直売所を覗くと、しっかり育った野菜が並べられているもんね。農家には野菜はある。だいたい、現在の農業現場はハウス栽培も多いし、さらに水耕栽培の野菜が想像以上に増えている。あまり天候に影響されないのだ。
あるところに行ったら、きっと野菜は山と積まれている、それを倉庫に隠して出し惜しみしながら高値で売り抜けようとしているのだ……。

以上は、私のまったくの推測である。

こんな意地の悪い見方をするようになったのは、木材取引の裏話をいろいろ聞いたからだろう(笑)。国産材は高いという風説がいまだに広がっているのは、実際にエンドユーザーには高い国産材があるからだ。山元からは安く買いたたき、それを業者間で転売しつつ、建主の顔色を見ながら高値に仕上げて売りつける。

一見、業者は、シメシメ、木材の知識のない奴をだましてうまく儲けたと喜ぶのだが、その結果、日本国民は「国産材は高い」と思い込んで、国産材自体を敬遠するようになってしまった。まさに自分の首を自分で締めてきたのだ。

ところで今日20日は、イオンの5%オフの日(^o^)。

私も買い出しに出かけた。キュウリが3本で98円、春キャベツ1つ198円だった\(^o^)/。

実は先に新聞でイオンとイトーヨーカドーが、野菜の安売りを始めるというニュースを目にしていた。今のままの野菜高値が続くと、消費者の野菜離れが加速する。そこで流通大手が謀って、野菜を大放出して価格を下げようと動き出した、というのだ。

ほかにも野菜の安売りを行うスーパーマーケットはあるが、彼らは何も赤字覚悟の出血サービスしているわけではない。ちゃんと利益はあると断言していた。

流通業の良心だ(^o^)。……ここは褒めておかなくちゃね。

おそらく、近く野菜は大放出されるだろう。流通大手が安売りしているのに、仲買が野菜を高値で抱え込み続けられない。国も規格外野菜の出荷を促している。もはや購買者をだまし続けられまい。

残念ながら、国産材の世界では、大放出するのは外材業者である。

2010/04/19

木材は花だ

木材の用途について考えた時、今後、構造材としての需要は減っていくだろうと予想する。建築物の骨格としてなら、鉄骨やコンクリートを始め、ほかにも素材はたくさんある。何も木材でなければ困ることはない。むしろ鉄骨の方が機能的に優れている面もあるだろう。とくに現在のような大壁構法の家ならば、柱や梁が木材である必然はまったくない。

さらに高層建築物になればなおさらだ。あえて木造でビルディングを建てる必要性は感じない。木質ボードは生き残るかもしれないが、無垢製材は減っていくだろう。

そこで考えられる用途は、やはり人の目に止まる部分、つまり内装材だ。

内装材は、建築物の強度などには関わることはなく、見栄えが大切だ。人が目にして、それを好ましく思うことが重要である。

……このように考えると、それは花ではないか、と気づいた。木材は花と同じだ。

花は通常食べられない。花卉産業は、農業の中でも特殊な世界だ。花は、人々の生活に絶対必要なものではない。あくまで生活に潤いをもたらすもの。だから流行があり、花の形や色に左右される。つまり食料を生産する農業の中では、傍流だ。

にもかかわらず、農業でもっとも利益率が高い作物が花卉かもしれない。見栄えが人の感性に合致すれば、高値は思いのまま。海外より切り花の輸入が盛んだが、それも空輸されている。飛行機で運んでもペイするのだ。花卉産業は、農業の中でも非常に高度な情報化分野だ。

木材も、そうした感性商品となれば、将来は明るい。デザインやアイデア次第で高値が見込まれる。花を活けるように内装を変える時代が来るかもしれない。今後、木材は花卉産業と同じように、毎年の流行を考えながら商品開発をするようになるかもしれない。内装材は切り花なのである。

反面リスクも高く、流行は移ろいやすく、鮮度も求められる。花の売れる時期は野菜よりはるかに短い。少しでも花が開いてしまったら売り物にならない。また毎年何百という品種が登場して流行は変わる。
同じように内装材も移ろいやすいが、花のように枯れることはないから、在庫になっても、すぐに処分する必要はない。その点は、花より有利かもしれない。

それが発展したら、家庭で花壇づくりを楽しむように、森林をデザインして楽しむ世界が誕生するかも。寄せ植えで雑木林とか、スギの一輪挿しとか。

2010/04/18

日本森林保健学会

久しぶりに森林療法関係の情報。

、「日本森林保健学会」が、2010年4月3日(土)に発足した。森林と人間の保健・健康について考える学会ということだが、ようは森林療法を研究実践する学会と言ってよいだろう。
もちろん中心メンバーには、上原巌・東京農業大学准教授がいる。

これまで森林セラピーだの森林医学だの、さまざまな動きがある中で、改めて学会というのはこれが初めてではないか。

すでに記したと思うが、森林セラピーを推進するNPO法人森林セラピーソサエティとは別にNPO法人日本森林療法協会というのがあったのだか、こちらも分裂して、上原さんが結成したのが「みんなの森」。今回の日本森林保健学会は、こちらの系統だと思ったらよい。

学会と言っても10人ばかりらしいが、地域医療、障害者福祉、児童福祉、環境教育などに携わる人々がメンバーで、北海道から九州までのいるらしい。

ここで何が正統派か、何が分裂の原因かなどを説明する気になれないが、残念ながら研究分野の細分化が理由ではなさそうである。せめて学問的な対立なら救いもあるが、そうでもない。全然別次元なんだなあ。

一方で、「日本奥山保全・復元学会」も設立された。こちらは嘘か誠か、会員数24000人だという。もっとも、この学会を設立したのは実質的に日本熊森協会であり、メンバーも同じである。

学会といってもピンキリで、一時期、団体名に学会を付けるのが流行ったことがある。私は以前「日本焚火学会」を取材したが、内容的には、アウトドア団体でいいやん、というものである(笑)。まあ、一応、焚火の意義や技術、歴史の研究発表を行っていたけど。

ともあれ、日本森林保健学会が、純粋に研究活動を行い、社会に還元してくれることを望む。人間関係と物欲とは無縁であれ。さもないと、森を歩いても癒されないでしょ。

2010/04/17

韓国から見た日本林業

韓国の中央日報が日本の林業についての記事を書いている。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=128241&servcode=300&sectcode=300

驚いたのは、非常に日本の林業を前向きに捉えていること。

まず「日本の木材資源活用ブームは相当なもの」として、その理由に
京都議定書に基づく温室効果ガス削減義務量(6%)の相当部分(3.8%)を山林資源化で減らす計画だからだとしている。そして

▽経済性の高い木を選んで植える
▽これを管理して大きく育てる
▽一度切れば原木から枝・根まで残らず活用する

と紹介する。とくに最後の項目では、福島県の遠野興産を取り上げ、枝や葉、根まで製紙・パーティクルボード用チップ、そして肥料、燃料用ペレットに利用していることを取り上げた。

こうした多角利用は、欧米の方がはるかに進んでいるし、日本は出遅れているのだが、韓国からすると非常に先進的と見えるようだ。

というのは、韓国の木材自給率は、11.9%で、日本の半分だからだろう。そして現政権が「10年以内に自給率50%を達成するという目標」を掲げたことも大きいようだ。林野庁の予算7300億円は、 韓国の山林庁の予算の5倍を超えるともいう。これも経済規模や物価、森林面積を考えると?だが。   

それでも「日本の木材の価格は供給の安定に支えられ、輸入原木価格の騰勢にもかかわらず10年間大きな変化はない」という指摘にはびっくり。なるほど、大きな変動はないけど、それは安値安定だからね……。供給量は少ない方で安定してるかも。

ともあれ、見る目が変われば日本の林業も先進的なのだ。そして日本には、外国人の目から「今や林業ブームが起きている」と感じさせたことは重要だろう。

2010/04/16

ヒノキの枝と内装材

大分市の池見林産工業が、山に放置されているヒノキの枝を、全国から現金買い取りを始めるそうだ。末口径30×長さ600ミリ程度の枝30~35本を1束単位だという。

この会社、国産針葉樹のムク材を使用した内外装材生産量日本一の会社だ。私も取材に行きたいと思っていたのだが、その前にこのニュースが飛び込んできた。

ヒノキの枝を何に使うか?

スギ、ヒノキ、マツなどの針葉樹材に出る、死に節や腐れ節の補修に使うのだ。節部分をカットして、ヒノキの枝から作った埋木の駒を打ち込む。

これまで国産内装材は、節があると役物にならないとされてきた。しかし、ちゃんと補修すれば、美しい板として内装に使えるようになる。

もちろん、その前にしっかり乾燥させないと、駒が浮き上がったりするから、技術力は必要だが、実に単純な話しだ。どうやら大手は面倒だと参入しなかったらしいが、今や機械化しており、需要はうなぎのぼり。そこで肝心のヒノキの枝が足りなくなった。

そこで全国から買いつけようというわけだ。

ヒノキの枝が重要な商品であり金になるということも重要だが、内装材には二次加工が必要だということも気づいてほしい。
製材して板にしたら、それが内装材として売れるわけてはないのだ。ちゃんとモルダーで磨き上げ、傷などは補修する。もちろん本実と呼ばれる隣の板との接合部分の加工も必要だ。

つまり、これまでの日本の製材は、ほとんどエンドユーザー向けの商品ではなかったのだ。

それが許されたのは、大壁構法で施主には見えない木材として使われたからだろう。だが、今後木の用途は内装材が中心となる時代が来ると、今の製材所では対応できないのではないか。すると、またもや外材(とくに欧米は進んでいる)に席巻されるとも限らない。

2010/04/15

養蜂家に聞く春

養蜂家に会ってきた。

忙しく巣箱の準備をしてきたが、「今年は期待できない」そうだ。ハチミツは、あまり採れそうにないらしい。

すでに2月の暖冬の時期から、春の花は難しいと見ていたという。というのも、暖冬で早く花が咲いた場合、あまり蜜は溜めていないのである。だから、ミツバチもあまり蜜を集められない。またミツバチ自体も、まだ数を増やしていない時期に花が咲くことになる。

そして、この4月の寒波。ミツバチも飛べないだろう。場合によっては死滅する恐れもある。多少の寒さは、自ら運動して発熱するのだが、限度を越えるとコバチの養育を放棄してしまう。

ミツバチ(など昆虫)が飛ばなければ、ポリネーション(交配)も少なくなる。今年の夏の実りは、危ないかもしれない。何も農作物だけでなく、野の花も同じだ。実がならなければ来年以降はどうなるか。とくに草本は。生態系が狂いかねない。

ところで、もう一つ話題に出たのが、「巣箱泥棒」。最近、2箱やられたらしい。

どうやら素人養蜂家が狙うらしい。定年退職したような人が、養蜂に興味を持って、巣箱ごと盗むというのだからたちが悪い。ただ、ときとして同業者がごっそり何十箱も根こそぎ持っていくこともあるというから怖い。仁義なき戦いなのである。

養蜂でもっとも大変なのは、ミツバチの数を増やす晩秋から早春にかけて。この時期をすぎた今の巣箱を盗むのは、まったくあくどい。

日本に出回っているハチミツの98%は外国産だ。国産ハチミツは貴重なのだが、今年は味わえるだろうか。

2010/04/14

『生駒山-歴史・文化・自然にふれる-』

本が出た。

『生駒山-歴史・文化・自然にふれる-
(生駒山系歴史文化研究会著・ ナカニシヤ出版)である。

Photo

定価1700円+税






生駒山系を活性化することを目的にして財団法人大阪府みどり公社が結成した研究会のメンバーで執筆したものだ。

私は、研究会のメンバーの一人であるから共著者の一人。といっても半分以上は私の執筆だけどね。今年は出版の予定はなかったのだけど、この本の企画が昨年入って、おかげで共著ながら、今年も出版が途切れなかった。

もっとも内容的には、文字通り生駒山の本なので、大阪、奈良など近畿圏の人しかピンと来ないだろうな。生駒山とは、大阪と奈良の県境に伸びる山系である。日本一神様の多い山とも言われており、古事記・日本書紀にも登場する。私は「日本最古の里山」と名付けている。その点については、拙著『里山再生』にも記した。

構成は、歴史編・自然編・探訪編に分かれており、私は自然編の一部と探訪編を執筆した。歴史編と自然編は、執筆者は私以外は学者がほとんどだから、お硬い、もとい真面目な学究的なものだが、探訪編は、ポップな生駒の姿を紹介している。
おそらく、地元の人でも知らない生駒の話が相当登場するはずだ。そもそも生駒山について網羅的に語った本がほかにないのだから、貴重だ(と思う)。

内容は保証する(少なくても私の執筆部分)が、サブタイトルがねえ~(笑)。これじゃあ、手にとって買う気にならないでしょう、と言ったのだが、元締めが「格調高く!」と譲らず、こうなったのである。なんでも「売れなくてもいい!」とまで言ったそうだから、私としてはボルテージが下がることこのうえない(笑)。

まあ、私の本のタイトルは、これまで過激なのが多くて、それが物議をかもしたし、また私も編集者といざこざを起こしたものだが、今回は反対である。「もっと過激に」と私が言っているのだよ(^^;)。

これまで私が執筆した本は、13冊くらいのはずだが、共著や別名で執筆したものを合わせると、20冊くらいかなあ。(ちゃんと数えてない……。)

2010/04/13

林業はシネコンに学べ

昨日、大阪に出たついでに映画を見た。「時をかける少女」(笑)。

入ったのはイマドキのシネマコンプレックスだったが、感じたのは、なんともきめ細やかなビジネスだということだ。

まず会員になるかどうかでポイントが付く。また日にちによってはレディースディとか割引デーがある。レイトショーやシニア・サービス、夫婦割引……。シネコンの月刊誌も渡される。またパソコンから座席指定もできる。座席も豪華で、ゆったり座れる。
一方で、多くのスクリーンを持ち、どの映画をどこで何時から上映するか、結構頻繁に変わり、人気度によって延長したり打ち切ったりする。時間で上映作品を変えることさえする。
こうした対応で、日本映画はよみがえったのだ。

かつて、映画産業は斜陽だった。

観客を集めるのはハリウッドなどの豪華な洋画ばかりとなり、テレビなどにシェアを奪われて、もはや壊滅寸前。それでも映画館は、配給会社の系列などに縛られて、上映作品を自由に選べなかった。日本映画は出来もさっぱり。お子ちゃまアニメと特撮映画、それにポルノ映画しか売れない状況に陥ってしまった。

なんだか、林業界に似ていると思った。人気のあるのは外材ばかり。頼みの住宅も軽量鉄骨やコンクリートなどほかの素材が増えてシェアを奪われる。しかも国産材は強度も寸法もでたらめで品質も劣る。日本映画の斜陽時期とよく似た状況ではないか。

閉塞感漂う日本の映画界を打ち破ったのがシネコンである。フレキシブルな上映と、きめ細やかなサービスが映画に人を呼び戻したのだ。日本映画も新しい才能を取り入れて優秀な作品が続々と登場して再び黄金期を迎える。

林業も、シネコン、そして映画界の復活に学ぶ点はたくさんあるように思う。まず流通をまともなサービス業にすること。そして、よい国産材商品を生み出すこと。

日本映画と林業の共通点はもう一つある。

どちらも外野に根強いファンがいること。熱い思いで復活を願っている人がたくさんいるということ。ほかの斜陽産業にはない特徴である。

2010/04/12

林ガールって……

なぜか「林業な女性たち」が連載化してしまったが、もっと口にしやすい言葉はないか、と考えてしまった。

ようするに林業に携わっている、あるいは興味を持っている女性を指す言葉。もっとも定義は広いので、林業周辺を仕事にしている、林業の研究してる、林業やってる配偶者を眺めてる……まで年齢を問わず。性別だけは女であってほしいが(笑)。

最近は、「森ガール」「山ガール」という言葉が登場している。「森ガール」は、森にいそうな女の子、というファッション系の言葉だし、「山ガール」は山登りに熱中している女性を指すらしい。

ならば「林ガール」はどうか、と考えてみた。「りんがぁる」と読むと、なんだか語学に堪能みたいだ(^o^)。

ところが、念のためと検索してみたら、すでに「林ガール」という言葉は使われていた。それも「森ガール」になりきれないファッションの女性を指すのだそう。1本抜けてる、てことか。さらに「沼ガール」まであって……。

なんとミクシィには「林ガール」コミュニティまで作られていた。その定義は、

*林っぽい服装が好き
*林っぽい服装に憧れる
*ふわふわした服装が好き
*動物モチーフが好き(林に生息する)
*気がつくと林にいる
*歩いたあとに花が咲く
*ヤブ蚊が大量
*山菜が好き(マヨネーズつけるとうまい)
*散歩が好き
*のんびりいきたい
*森ガールになりきれなかった
*いや森より林だよ
*沼よりさわやか
*でも沼でもいい
*ひとつ足りないと自覚している
*まあなんとかなると思っている
*ゆるーくいこうよ
*てかなんだかんだ言って人生楽しい

どーも、林業とは関わりがなさそうだ。

はっきりわからせるなら「林業ガール」とでもすればよいのだろうが、面白くない。

近頃は、公務員の林業職に就く女性が増えているし、林業の現場だってかなりいる。よいネーミングはないものかなあ。もう一本木を抜いて、木ガールとか(^^;)\(-_-メ;)。

林業関係の女性の集まりとしては、morimoriネットワークなどがあって、それはNPO法人化までしているが、ちょっとイメージが違う。何も連帯しなくていいから(笑)、世間に彼女たちの存在をわかりやすく示せる言葉がほしい。

流行れば、ムックが発売されるかもしれないし、彼女らが登場する漫画が描かれるかもしれないし、アニメや実写ドラマに取り上げられるかもしれないよ。そんなところから林業の見直しが始まるかも。

2010/04/11

林業な女性たち5

ひさびさ、林業な女性!(ちなみに4番は幻の人がいて、欠番。)

佐賀県より訪ねて来られた佐藤和歌子さん。私にわざわざ会いに来たのではなく、京都に用事で来られたついでに奈良に寄っただけですが。というわけで朝から奈良を案内しました。1



ご要望に応えて、当人は小さく(笑)。バックは平城宮跡の朱雀門。

NPO法人森をつくろう理事長である。伝統構法の家の設計コンペを主催されている。というわけで、奈良の伝統構法の建築物をいろいろ見てもらった。設計コンペと言っても、その意図するところは木の家、国産材の家の振興だ。林業の話に花が咲く。つまり、彼女も林業な女性、なのだ。ちなみに父は、佐賀ではちょっと有名な素材生産業者で、その会社は彼女の妹が継ぐという。だから妹も林業な女性である。

本当は、吉野林業の本場を訪ねたかったのだけど、時間的にちょっと無理。とくに今の季節は、吉野山の桜で大混雑間違いなしだから。

そこで思い出したのは、「春日山原始林」である。ここは世界遺産にも指定された奈良の森のもう一つの顔である。

実は春日山原始林とは言うが、明治時代はかなり荒れていたらしい。そこで山の一角に、土倉庄三郎が吉野式の造林を行っている。ここを吉野林業の展示林にするつもりで「奈良公園改造計画」を出していたのだ。この人工林を輪伐して、その収入で公園を運営する構想だったらしい。
そして実際に200ヘクタールを越える面積に植えつけて、見事な人工林ができていたという。ところが戦後になって、知事公舎の隣接地を買収する資金に伐採してしまったらしい。

もし、今も残っていたら、都心のすぐそばに吉野林業のすばらしい見本が存在したことになっただろう。残念である。

それでも、自生しているスギはかなりあり、奈良のスギを見てもらうことにはなったかな。

2010/04/10

土倉庄三郎生誕170周年

4月10日は、土倉庄三郎の誕生日である。

生まれは天保11年、1840年だ。つまり、今年は生誕170周年ということになる。

残念ながら、今年中の「土倉庄三郎伝」の出版は叶いそうにない(-_-)。ごめんm(__)m

日本ではこの年に実業家・渋沢栄一や総理大臣・黒田清隆などが生まれている。坂本龍馬の妻、お龍が生まれた年だという説もある。前年には蛮社の獄などが起きており、すでに明治維新は起きかけていた。

土倉庄三郎を調べていて感じるのは、意外と彼は遅咲きだということだ。

たしかに満15歳で家督を継ぎ、地元吉野では代官と政策でやり合ったりと名を挙げていたのだが、それは地域内、業界内の動き。明治維新時も、目立った行動を取っていない。その理由としては、存命だった父の軛があったことも関係すると想像しているのだが、やはり庄三郎自身が、まだ田舎者だったように思う。川上郷、吉野郡から大きく世界を見る目はなかったのではないか。後に彼は、自分に学がなく幾度も恥を掻いたことを述べている。

広く世間に打って出るのは、30代後半である。おそらく自由民権運動と出会ったからだろう。活躍したのは40代以降である。当時の平均年齢を考えると、後半生、晩年と言えるかもしれない。まあ、庄三郎は77歳まで長生きしたから、後半生も長かったけど。

私が土倉庄三郎に注目したのは、単に林業界の偉人ということからではない。むしろ、日本の林業および山村を、彼を通して浮かび上がらせられないか、という思いからである。つまり狂言回し、いや当て馬?になってもらおうという魂胆(^o^)。まあ、ミイラ取りがミイラになったような面もあるけど。

当時と今は、時代背景はもちろん、日本の森林・林業事情もまったく違う。にもかかわらず、彼の文言や行動は、実に示唆に富んでいる。

たとえば林業でもっとも重要なのは、搬出であることを見破っている。どんなに資源があっても、伐採しても、それを搬出して売れる街まで運べなければ価値がないことを知っていた。
また、価格を上げる販売戦略、とくに吉野ブランドの確立宣伝の重要性も気づいていた。
そして、海外の木材需要にも目を向け、輸出をもくろんでいたことも、今からしても先見の明だ。
さらに国土における森林や山村の位置づけや政策に関しても現在に通じるものがある。

こうした庄三郎の目を通して、現代の林業や山村社会を映したい

ちなみに亡くなったのは、大正6年(1917年)。あと7年で没後200年を迎える。この年までには出版できていることを願っている(笑)。

2010/04/09

「依頼者は必ず嘘をつく」

依頼者は、必ず嘘をつく」。

これ、弁護士の世界で口伝(^o^)されている言葉らしい。

本来、弁護士は依頼者の意を受けて弁護活動その他を行う。言い換えると、弁護士は依頼者の味方であり、依頼者は弁護士を助けてくれる仲間と感じる、はずだ。ところが、弁護士に案件を持ち込んだ依頼者は、自分に都合のよいように必ず嘘が混じるのだそうだ。脚色したり、不利な部分を隠すという。

まあ、本当かどうかは知らないよ。でも、不利な情報を隠れたら、弁護しにくいだろう。「これは絶対勝てるケースです!」と弁護士が判断して裁判に持ち込んだら、法廷でボロボロ依頼者の嘘が暴かれたらたまらんやろ(^o^)。

こんなことを思い出したのは、林業関係でもそんなケースが多いような気がしたからだ。

ここ数十年、林業界は苦しい、不振だと言い続けてきた。だから大量の補助金もつぎ込まれたとも言える。

典型なのが、外材が入ってきて国産材が売れなくなったという言葉。実は外材が奪ったシェアは、膨らんだ木材需要の穴埋め部分が多くて、国産材は既成の需要を抱え込んでいた。そして、外材と違って国産材(とくにヒノキ)は……という目で見られるために価格が上がり気味だった。とくに銘木ではないのに、(国産材だから)銘木扱いされる木も増えた。
そう考えると、決して林業界は外材にしてやられたわけではない。それどころか大儲けした人が多かった。これまでスギと同じ値段だったヒノキが2倍3倍の価格になったからだ。でも、外向きには、「林業は不振だ」と言っておいた方が得だったのである。

たとえば吉野でも、同じように苦しい、不振だと言い続けているが、なんのことはない、1990年代後半まで吉野は景気がよかった。だって、銘木が高値で売れていたからだ。私も1㎥70万円の木を伐りだすところに立ち会ったこともある。銘木が本当に売れなくなったのは、2000年前後だという。つまり、まだ10年ほどしか経っていない。

ほかにも、台風で倒れた木を二束三文で買い取ったものの、実は根っこから倒れていた場合は、材になんの傷も付いていないから高値で売りさばけた“武勇談”も聞いたことがある。そもそも森林の面積や材積をだますことなと日常茶飯事。補助金だって施業経費の8割まで出るが、実は申請書類の金額は2割増にしてあるから、実質10割補助金で仕事をしているとか。つまり自己負担はゼロ! 余らせてポケットに入れるケースもある……。

まだまだあるが、危険な話題もいっぱいだ(^^;)。もちろん本当かどうか、私は知らないよ(ということにしておく)。

そういう裏事情に触れていると、今、森林が危機だ、林業が危ない、と叫ばれ続けているが、皆さん、眉につばつけて、8割掛け、いや5割掛けで聞いた方がよいかもしれない。

幸いなことに、裁判のように反対尋問はほとんどない。依頼人の嘘を暴く原告も検事もいない。みんな、そうか~林業って大変なんだ~と聞いてくれる。そして応援してくれる。弁護は楽だ\(^o^)/。

でも、真面目な林業家ほど取り残されるかもしれない。

……危険なこと、書いたかなあ。

2010/04/08

木材価格の決定権

先に「悪のり」でも触れた林業関係者を対象にしたセミナーでは、「商品の価格の付け方」という会計の講義の時間もあった。

そこで、商品の価格の付け方は、原価に加工費や流通費、利益……などを上乗せして最終価格を決定する「売り手」方式と、市場で売れる価格を想定して、それに合わせて原材料の選定から加工方法、流通方法まで考える「買い手」方式があることを学んだ。

かつての日本は「売り手」方式が主流だったが、現代の日本では「買い手」方式が主流になりつつある。いわば、営業優先の考え方に変わってきたのである。売れないと意味を成さないからだ。物余りの時代の典型である。

その、もっともよい例が、牛丼戦争だろう。松屋も吉野屋もすき家も、価格を一斉に下げてきたのは、さもないと売れないからだ。そして売れる値段に合わせて、牛丼の提供の仕方を帰るだろう。(今度の期間限定値下げは、もしかしたらシェアを取るための戦略で、本社の内部留保を吐き出しての体力戦になるかもしれないけれど。)

そして、同じことが木材(国産材)でも起きている。

「売れない」から、価格が下がってきた。今、自給率が伸びている理由の一つである合板や集成材に国産材が使われ始めたのも、最大の要因は「安くなった」からだ。
しかし、肝心の値下げ分のコスト圧縮はうまく行われていない。大規模化・機械化・集約化などにより伐出や流通、加工分野のコストダウンも進んではいるが、限界がある(あるいは努力を怠っている)。この部分は、ちゃんと経費と利益は(薄くなったとしても)得ている。

それでは、売れる価格まで下げられない。そこで足りない部分は、山主がかぶっている。そのため造林・育林分の回収はできず、再造林という当然の投資もできず、赤字に追い込まれている。それも木を伐るのは、ほかに収入源があり、また持続性を捨てて目先の利益を得るだめだろう。

木材価格の決定権を「売り手」にもどせないか。「売り手」方式で木材価格を決められないだろうか。
もちろん、「売り手」の希望の値段を出しても、それで木材が売れなければ意味がない。残念なことに、国際商品であるうえに国産材市場でも分断と小規模産地が多い木材は、ダンピングする業者が必ず出る。「売り手」がまとまっていないのだ。

そして「買い手」は安い方がよいから、当然「買い手」方式を望む。しかし、ここをよく考えてほしい。
エンドユーザーの求めているのは、「最終商品の安さ」であって、「山元の安さ」ではない。安くても立木や丸太や単なる板を普通の市民が買うことはない。ほしいのは住宅であり、家具やグッズになった木材商品だ。

きっと、両者が折り合える方法はあるはずだ。

ここ数年は環境問題的に、公共事業では「合法木材」の使用が求められている。違法な伐採による木材の締め出しは、国際的にも進んでいる。これは「法による規制」の典型例。

一方で「森林認証」のように経済的な方法で、環境保全への誘導も図られている。

これらの手法を融合させて、経済的誘導と法規制を一体化できないか。

大阪では、タクシー会社の値下げ申請を陸運局?が却下した。その価格では、適正な経営にならないと指摘したのだ。これ自体は、民間企業の経営に介入したとも言えるのだが、林業界にそうした仕組みづくりはできないものか。

たとえば再造林しない山の木は、ペナルティ価格にする。あるいは木材に「森林破壊シール」を貼るとか(笑)。売るな! という規制ではなく、ペナルティを与える。
それとも、合法・持続木材は、取引税を安くする。それともエコポイントを付与する。逆規制というか、公共事業の優先順位を高くして誘導するような方法だ。

合法的かどうかだけでなく、適正価格かどうかもフェアの要素に含めてほしい。適正価格の木材もフェア・ウッドと呼びたい。

2010/04/07

名張毒ぶどう酒事件に思う

ほぼ50年前(1961年3月28日)に発生した、名張毒ぶどう酒事件。

最高裁が、高裁に再審棄却判断を差し戻したとかで、マスコミが賑わっている。なんしろ5人の女性が亡くなり、10人が入院した。謎が多い事件だけに、その真偽をここでどうこういう資格は私にはない。

ただ、いくつかの点で感じるところはある。

一つは、舞台は名張市葛尾とあるが、実は山間の複雑な県境部で実態は奈良県山添村に食い込んだ一帯であること。住民の生活圏で言えば、奈良県側である部分も多い地域なのだ。

当時で20世帯だったという小さな集落の生活改善クラブという小さな組織の総会で起きた事件だけに、外部犯行は考えられず、おそらく犯人は集落内の人しかありえない。そして犯人とされて、死刑判決を受けた奥西氏は、そんな集落内に妻と愛人がいたということ。
田舎地域でもあっても、こうした人間関係が渦巻いていたことに人の業を感じる。

そして、もう一つは、この事件が80年代のゴルフ場批判の嵐を吹き荒らした遠因になっているということだ。

詳しくは拙著『ゴルフ場は自然がいっぱい』に記したが、日本全国で最初に反ゴルフ場運動を始めた奈良県山添村の濱田耕作さんが、この事件に関わりがあるのだ。そもそも濱田さんがお住まいなのは、この葛尾地区だったらしい。農地は山添村だけど。

そして濱田さんの身重の奥さんも、毒ぶどう酒を飲まされた一人であった。奇跡的に生命は助かり、無事出産できたが。

ここで誤解のないよう触れておくが、私は濱田さんの反ゴルフ場の気持ち自体は支持する。その理由や経緯などには異議を持つが、山添村はすでに4つのゴルフ場があり、それ以上はいらないだろうと感じていた。また、毒ぶどう酒事件がなくても、そのうち、どこかで反対運動の口火が切られただろう。ただ強固な意志がなければ運動は盛り上がらなかったと思えるから、やはりあの時代に山添村から声が上がったことは、事件と関わっているのだ。

それにしても、この事件の背景や、事件を通して知った当時の農村事情から、田舎地域の社会を学ぶこともできる……というのは、多少不穏当発言か。

2010/04/06

松屋で割り箸が復活

昨日の続き。私も「悪のり」してみることにした。

松屋フーズの関連会社に電話したのだ。ここではリサイクル事業を行っている。

松屋フーズの店は全748店舗。ここは2年前に割り箸からリターナル箸という名の樹脂箸に切り換えている。先月のセミナーで、樹脂箸も案外コストがかかり、また一部割り箸にもどすことを考えている……という発言があった。

その点を改めて正すと、4月中旬から、新宿の店で、割り箸に戻して実験してみるとのことだった。とはいっても最初は4~5店舗とのことだが、調べてみると、松屋関係の店は新宿に27店舗ある。さあ、どこだ。

新宿に行かれる方、探してみてくださいね(^o^)。

でも、割り箸復権への第一歩である。

ここでよい結果が出たら、大きく動き出す可能性がある。

また樹脂箸のコストや安全性など、この2年間で蓄積したデータも送っていただけることになった。さて、どんな結果が出ているか楽しみ、楽しみ。

なお松屋全体では、年間1億2000万食くらい出るそうだ。言い換えると、割り箸なら1億2000万膳必要だということ。これを供給するのは、やはり大変か。

2010/04/05

「悪のり」の効用

昨日までの3日間、各地でさまざまな人と出会う旅に出ていて、何かと刺激を受けた。新しいアイデアも浮かんだ。そして昨夜もキッチンドリンカーになっていて思いついたのが、「悪のりの効用論」である。

これまで幾回か、林業関係者を対象にしたセミナーを主催する機会があり、そこでは「人材の活性化」がテーマだった。林業を学ぶ前にやる気を出してもらわないと何も始まらないからである。
その中の一つの講座に「企画会議の開き方」を組み込んでいた。いかにアイデアを出すか、という方法論・発想法を身につけてもらうためだ。具体的には「ブレーンストーミング」をやってみる。

私流にブレーンストーミング式会議法を分析すると、特徴は二つある。一つは絶対に他者の出したアイデアを否定しないこと。もう一つは悪のりすることだ。
否定はアイデアのつぶし合いになり、参加者の意欲をそぐだけだから絶対にしてはいけない(と否定する (^^;)。 どんなアイデアでも、その中のよい点を見つけることが重要だ。

そして、そのアイデアに「悪のり」することで、次のアイデアを生み出す。大風呂敷を広げると言っても良い。

たとえばエネルギー問題の解決法を考えた場合、「水を石油に変える技術を開発する」というアイデアが出たとして、それを「そんなアホな」と言ったら、それで止まってしまう。
「水より土を石炭石油に変えよう」
「私なら水をコーヒーに変える。コーヒー飲んだらエネルギーが出る」
「いやハチミツに変えた方がよい」
と悪のりしてくだらないアイデアを出す。それは、そのまま拡散しない。どこからか収斂する。
そのうち、水から水素を生み出せば、石油より大きなエネルギー源になることに気づくかもしれない。
ならば水を分解して水素を取り出すための電気はどこから調達するか。
土から生み出した石油はどうだ。……そうだ、地熱発電がある! と展開すれば、かなり現実的なアイデアとなる。

そもそもアイデアは、孤立した状態で発想するものではない。さまざまな情報、異なる意見、見方などが交わることが重要だ。そしてそれは、悪のりすることで活力を得る。
具体的には、組み合わせ・逆転・ズレ・連想などを繰り返す中で生み出される。そこに「悪のり」は非常な効用があるのではないか。

本ブログのコメント欄でも、「悪のり」することで、新しいものが始まる可能性がある。
福島県の旅館が割り箸を樹脂箸に変えるという情報に対して、悪のりして行動を起こせば、何かが変わるかもしれない(^^;)。行動したら仕事が増えると思ったらできない。誰が得するかと言えば、結果として「悪のり」した人が何かを得るだろう。成功して満足感を得る、そうでなくても経験を身につけるし、新しい人脈や情報を得る。それが今後の人生変えるかもしれない。転職して大出世するかもしれない(と悪のりする)。

「悪のり」は、悪という文字がイメージを害するから「共感」と言い換えてみてもよいと思う。他者と共感することで、新たなものが生み出せるのではないか。

近頃は「共感経済」なんて言葉も登場しているが、共感することでモノが売れる。また次の商品が登場する。知識・情報の遮断や囲い込みは、発展性が弱くなる。むしろオープン化によって共感を増やせば活性化する。逆に孤立は縮小化を呼ぶ。問答無用の安売り商法は次がない。

そうか、日本経済・社会の縮小は、個々人の「孤立」「無縁」が引き起こしたのかもしれないなあ。人と人をつなぎ、「共感」を増やせば、新規起業が増え、社会が活性化するかもしれない。ただし仲良しごっこではない。徹底的にやり合う必要がある。それも相手の否定ではなく、大風呂敷広げごっことして。

よし、「悪のり経済復活論」を執筆しよう。それがヒットすれば人生論シリーズを出そう。 信者が増えたら宗教法人を買収して教祖に納まろう・・・と悪のりする(笑)。

2010/04/03

「大仏開眼」のエコノミー

NHKドラマ「大仏開眼」(前編)を見る。

前編では、大仏の指先も登場せず、当時の平城京が、整備は乱れ、飢饉が続き、伝染病の広まる絶望的な社会だったことが描かれる。そのため仏の力にすがろうと、聖武天皇は盧遮那仏の建立に心動かされる。だが、主人公である吉備真備は、大仏建立には多額の資金資源が必要だから国が疲弊すると反対する……。

と、そこで考えた。国家財政的に見た場合、大仏建立にはどんな意味があるか。

以前、大仏と大仏殿の建立のために国中の木材や銅、金など金属資源を費やし、はげ山を増やし公害をまき散らした……と指摘して、その発展形として、環境破壊の痕跡を見学する「ブラック・ツーリズム」の立ち上げまで至った。(沢畑氏が、すでに某新聞に発表したから、もはや世間に提唱されたも同然 ^o^)

そこで今度は、経済的に見てみたい。本当に大仏建立は国家財政を破綻させてしまうのか。

そうでもない可能性がある。それどころか、乾坤一擲の経済刺激策ではなかったか。

世の中が乱れる中、巨大プロジェクトを立ち上げ、そこに国の力を集中させることによって国民意識の興隆と人心の一体感を醸成する。そして大土木工事を展開するのだから、多くの雇用が行われ、生産活動が活発になる。直接的には林業や鉱業、工業、建築などの公共事業だが、さらに経済効果は全体に広まるだろう。雇用には賃金が支払われるから、庶民も金回りがよくなったはずだ。当時の平城京には、泡銭を稼いだ労働者が、夜な夜な宴会を繰り広げて、バブルを謳歌したのかもしれない。

問題は、その資金。全部国が出すのなら、大増税するしかない(当時は国債もなかったし)。だが、実は大仏建立には、一般からの寄付が相当量占めたのだ。その旗振り役が行基上人の勧進である。国民が競って金品を寄付したのだ。とくに貴族は、寄付することが自らのステータスになるから、こぞって出す。なんたって名目が「大仏」であり仏教である。宗教は今もそうだが、寄進することが重要な役割だから、喜んで出す。その点が税金と違うのだ。

いわば民活(民間活力導入)である。税金をばらまくのとは一味違う。
また強制労働でもなく、みんな喜んで働いたのである。

文句が出ないどころか喜んで出された金を集め、大仏というシンボルを作ることで経済を活性化し、人心まで掌握する。なかなか優れた政策ではないか。もちろん綱渡りであり、そうした金回りの良さはやがてバブル景気に膨れ上がり、対策を誤るとバブルは崩壊して破綻するのだが。
う~ん、聖武天皇は大博打を打ったのかもしれない。それに乗った行基、お主も悪よのお~。

こうした経済効果面を強調して、ホワイト・ツーリズムを創始するか?

2010/04/02

割り箸と樹脂箸のCO2排出量

そろそろほとぼりが冷めた? ので、以前もらった資料を公開。

何かというと、割り箸と樹脂箸(PBT,PPSなどプラスチック製)を廃棄後焼却した場合に出る原料由来のCO2排出量。

以前から、割り箸擁護のために、こうした数値を計算して公表できないか、という申し出はあったのだが、私には手が出なかった。ところが、この手の計算式はすでに用意されており、各材料の成分や重量などの数字を当てはめるだけで出るものらしい。

それをチョチョイと? 計算して出してくれたものが、私の手元に届いた。

で、スギ・ヒノキ製の割り箸(1膳4グラム程度)の場合
重量当たりの炭素割合は50%程度。すると1膳当たりの炭素量は約2グラム。
燃焼時のCO2排出量は、7グラム見当になる。

次に樹脂箸。1膳当たり20グラム程度。
重量当たり炭素割合は70%程度。
燃焼時のCO2排出量は、50グラム見当

という結果だった。が、もう少し突っ込めば、木製の割り箸はカーボン・ニュートラルを適用することでゼログラムとみなすことができる。ただ製造時に動力を使って製材などを行うから、その排出分がある。もちろん厳密には輸送分もある。

一方、樹脂箸は、1000~2000回の使用が可能だ。外食店では約2年使う。ただし、洗浄に温水を使い、乾燥機も使用する。それを少なくても1000回使用したことを意味する。製造時には輸入された原油からプラスチックを化合するまでのエネルギーも消費する。こうした所作からの排出量は、今のところ計算されていない。

そのほかリサイクルの要素もあるが、数字としては、ほとんど厳密性がない。それでも表すことで見えてくるものがあるはずだ。

誰か、こうした数値を使ったキャンペーンを考えないか。

2010/04/01

森林保護国債

国の国債発行額が1000兆円を超えたら、日本経済は破綻する……

これは10年くらい前から言われていたこと。私は、そうなったらどうするか、マジで考えていたことがある。対策としてはIMF管理に陥って強度の緊縮財政になるのか、いっそハイパーインフレにして国の借金を棒引きにするのか。
いずれにしても、国も自治体も、その形を変わるだろう。でもこれは、補助金を一掃して、首長も議員の特典も既得権益を一気に整理するチャンスではないか?

それが最近は、かなり一般マスコミでも語られ始められた。実際に国債発行額が900兆円を越えて、毎年40兆円前後発行し続けているのだから、あと数年で1000兆円に達するからだろう。まあ、この情報をあえて流し始めた仕掛けも感じるのだが……。

いずれにしても、そんなクライシスを引き金を引くのは、国債の信用が落ちて売れなくなり、長期金利が上がることだと言われているが……そんな時に森林保護国債が発行されたらしい。前フリが長い(笑)。

 三井住友銀行が今月発行する個人向け国債が対象で、温室効果ガス排出枠を付与するそうだ。収益の一部を購入客一人あたり100キログラム相当の排出枠を取得し、国に無償移転する。そして環境省の「オフセット・クレジット制度」に乗せられる。100万円以上の購入者には証明書を送付するという。

排出枠は、住友林業が宮崎県美郷町などの社有林で進める森林保全事業と連動させたもの。つまり国債を購入すると、これらの森林保護につながるという理屈だ。

果たしてどれだけ売れたのか知りたいところだが、これで国債の人気が高まるかねえ。国の信用が十分にあるかにかかっている。

いっそハイパーインフレの到来時を見込んで、お金で持つより森林を買った方が儲かるよ、という仕組みは作れないか。いわば貯蓄保護用森林ファンドだ。

山主には高配当を約束して、森林を供出してもらい集約化を進める。それを集めたお金で、一気に整備する。そうして出た木材を円安を利用してどんどん輸出する。木材価格を国際的な基軸通貨で換算すれば、暴落した日本の円より価値が高くなる……。そうしたら中国資本が大挙購入してくれたりして(笑)。結果的に日本の森は中国に奪われる。と、私も陰謀論を振りかざしてみる。

 

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